春の畑は一歩一歩

五月中旬となりました。
畑を再開して一か月。
かれこれ一週間ほど自宅に帰るなどして畑から離れていましたから、三週間ほどの実作業。
春の作付けはまだまだ終わっていません。

毎年のことながら4月から6月が1年で一番の「野良稼ぎ」時です。
さあ稼ぐぞ!

防獣ネットに出入り口を取り付けました。
山小舎に転がっていた古い網戸を支柱に針金で括り付け、反対側の端っこにはカラビナをつけました。
今後は、イノシシの侵入防止用にトタン板をネットのすそに置くなどして、運用に万全を期したいと思います。

ネットを支える支柱の根元に、木の杭を打ち込んで補強します。
杭は山小舎で乾燥させている細い薪の先を鉈で削って作ります。
これで畑を時々襲う突風にも耐えてもらいます。

ご無沙汰していた「上」の畑に行きました。
昨年秋に「ガッテン農法」の実践の場として、畝作りをした圃場です。

半年たった現在、畝の形が残っており、土がふかふかしている印象です。

この圃場にはトマト、ナス、キューリなどの夏野菜を植える予定ですが、改めて耕したり、畝立てする必要はなさそうです。
雑草が繁殖する前にマルチングしておきます。

生えかかったアカザなどの雑草をかきとり、えひめAI液を散布して、さっさとマルチをかけます。
実際に触ってみた土は、雨不足で乾燥したせいか表土が埃のように舞っていました。
5年前はまだぼこぼこだった土質が一般的な畑のイメージのようにさらさら、フカフカになったことに驚きました。

「ガッテン農法」の畝づくりから半年たった畑。思ったより雑草が少なく、畝の形が残っている
この日は6列ほどの畝にマルチング

夏野菜の苗も出盛りです。
各地域のJAや直売所に寄っては、徐々に買い集めています。

ほうずき、ハックルベリー、夕顔、丸ナス、長ナス、甘龍かぼちゃなど、比較的珍しめの苗は見つけ次第確保しておきます。

苗は植え付けまで山小屋で管理しますが、夜間は屋内に入れ寒さから守ります。
うっかり外に置いておくと、山の寒さでナスなど葉がしおれてしまいます。
水やりは上からではなく下から。
ポットを水につける形で行います。

苗が元気に出番を待っています

ミツバチの巣箱です。
残念乍らミツバチが寄ってくる気配はありません。
今年はだめかもしれませんが、引き続き蜂が寄ってくる環境づくりを目指してゆこうと思います。

山際に再配置した巣箱。周りに花を植えてみました。

別荘地管理事務所のバイト仕事も始まりました。
バイト仲間の方々ともそれぞれ1年お歳を重ねた元気な姿で再会しました。
野良稼ぎと折り合いをつけながら無理せず頑張ってゆこうと思う65歳になった山小舎おじさんです。

畑で地元の人と立ち話

畑の隣組さんと立ち話をしました。

畑で作業していると、通りがかった地域の人と挨拶し、立ち話をすることがあります。
が、とうに専業農家などいない地域ですし、そもそもめったに畑に人が出ていることがありませんので、そういったことも年に何回あるかどうか?です。

今回、午前中に畑に出向くと、畑隣組の人が軽トラで自分の畑を一回りして帰ってゆくところでした。
挨拶してすれ違おうとすると、その人が寄ってきて立ち話をしました。

話は、自分の畑に自生するわらびが盗られていたので立ち入り禁止の貼り紙を立てたことでした。
その畑は、山小舎おじさんが自分の大家さんの土地と勘違いして、ミツバチの巣箱を設置しようとして、その場で注意された場所でした。
その経緯から、こちらに対して含むところがなくて、純粋にわらび盗掘に対する警告として貼り紙を立てた旨を、わざわざ言ってくれたのでした。

隣組の畑に立てられた貼り紙

かえって恐縮して挨拶を返しました。
ついで、めったにないチャンスなので、こちらからいろいろと話題を振ってみました。
その結果、畑の周りのことがおりおりわかってきました。

ジャガイモの獣害については鹿ではなく、イノシシだとのことでした。
ご自分の畑もかつてイノシシの被害にあったことがあり、番犬を置くなどしたとのこと。

山小舎おじさんの防獣ネットを見て「ああいう風に、ネットのすそにトタン板を置いておくと、ここら辺のイノシシは自分で踏んだトタン板の音に驚いて逃げてゆくから」。
「イノシシは一度食害をおこすと、次回からも記憶して漁りに来る」。
「見えないようにトンネルで覆うと被害にあわない」との体験に基づいたお話も。

とりあえずは、防獣ネットの具合に安心しましたが・・・鹿でなかったのかい!
イノシシのほうが強敵じゃん!

ネットの外側のすそに置いたトタン板がイノシシの防止に役立つとのこと

また、自分の畑の一角を指さして「あれは鹿の通り道」とのこと。
やはり鹿もこの地区で活躍しているのは間違いないようです。

隣組の畑へ下りる鹿道

このあたりの畑の水はけの悪さについては、「畑の上流にあるスギ林の中に湧水が湧く。今は水流を国道側に流しているが、かつては湧水を水路に流して水田を作っていた」とのことです。
湧水が田畑を潤していた豊かな地区だったのです。

このスギ林の中に水が湧くとのこと。林に入ってみたが湧水ポイントはわからなかった

3年目とはいえ、隣組として畑を作っているよそ者の素人にも注意を向け、関心を持ってもらっているのだなあと思ったひと時でした。

種まき急ピッチ

種まきを急いでいます。

今年の作付けは、種類別で言うと、①種芋の植付、②苗の定植、③種の直播、④種をポット植えして芽出し、の4種類の方法で行う予定です。

①の方法で、ジャガイモ類、里芋、しょうが、菊芋、コンニャクを。

②の方法で、トマト、ナス、キューリ、ゴーヤ、ズッキーニ、ホウズキ、ハックルベリー、ルバーブ、ヤーコンなどを。

③の方法で、大豆、小豆などを。

④の方法で、インゲン、枝豆、トウモロコシ、かぼちゃ、落花生、ケールなどを作付けします。

①の作業は終わったので、苗の定植を前に、種まきの作業へ移ります。

まず、畑に大豆を直播しました。
豆類は芽が出たときに鹿の食害に遭いますので、防獣ネットに囲まれた圃場の隅に蒔きました。

元肥なし、えひめAIを撒いた畝に2粒づつ種を置き、一度足で種の上から踏んでから覆土します。
覆土の上から再度足で踏んで完了です。
足で踏むのは、土と種を密着させ、水分の補給なしで発芽を促すためです。

大豆を直播します
蒔いた後の畝は鳥害を防ぐために間に合わせの不織布などで発芽まで覆います

山小舎で種をポット蒔きしました。
今日はかぼちゃ、落花生を撒きます。

用意した培養土に種を置き、軽くえひめAI液を散布したのち覆土します。
覆土の上から体重をかけて圧迫し、散水します。

ポットから水が滴るほど散水したのち、新聞紙とビニールでポットごと包んでビニールボックスへ。
発芽まで待ちます。
温度と保水を第一条件に発芽を促すためです。
この後、給水は行いません。
日中はこのまま日に当てます。

発芽後は手製の温室に置いて定植の時期を待ちます。
この時期の給水は、ポットを水につける形で行います。
水分は上から(じょうろで)与えられるものではなく、自分の根で吸い取るものだということを苗に学んでもらうためです。

2,3週間「慣れ」させた用土に種を蒔きます
種を蒔いたポットは保温、保湿してケースに収納。夜間は室内に入れます
隙間だらけの「温室」です。古い襖を奥に貼り、木枠にビニールを張ったもので三面貼りに。正面の木枠は取り外しできます。
既に芽が出ているケールが温室で成長を待ちます

連休も終わり、夏野菜の苗の売り出しが真っ盛りです。
このあたりの畑でも続々と野菜の苗が植わっています。
山小舎では春の作付け真っ盛りへあと一歩です。


成澤昌茂監督追悼上映in上田映劇

今年亡くなった、成澤昌茂という映画監督が上田出身とのことで、地元上田映劇で追悼上映があった。
上映されたのは、「裸体」(1962年 松竹)、「四畳半物語・娼婦しの」(1966年 東映)、「花札渡世』(1967年 東映)の3本。
全作フィルム上映で、パンフレットにいわく「最初で最後の特集上映!お見逃しなく!」。
山小舎おじさんは早速出かけました。

今回の特集上映のチラシ

成澤監督は県下の名門・旧制上田中学の出身。
16歳で松竹京都に入社し、溝口健二監督に師事しながら日大芸術学部を卒業。
恩師に倣って松竹から大映に移るなどした。

監督作品は全部で5作品。
脚本家として活躍し、溝口作品の「噂の女」(1954年)「赤線地帯」(1956年)のほか、「宮本武蔵」(1961年 内田吐夢監督)「関の弥太っぺ」(1963年 山下耕作監督)など全盛期の日本映画の力作・名作の脚本を執筆。
一方で「ひも」(1965年 関川秀雄監督)に始まる東映の「夜の青春シリーズ」や後の「夜の歌謡シリーズ」などで数々の脚本を担当した。

今回の特集で見たのは、「裸体」と「四畳半物語・娼婦しの」の2本。

上田映劇の側面を撮る。昔の映画館の建物は奥行きも深い

まず「裸体」。
1962年の松竹作品。

1962年は、ヌーベルバーグといわれた若手監督(大島渚!)の登用と、彼らの手による気鋭の諸作品が現れては消えていった一瞬の嵐の直後。
映画観客動員数の凋落傾向に歯止めがかからず、といって現状打開策の若手監督登用もその気負いととんがり具合が、映画事業という産業・商業とマッチングすることもないことがわかり、さらに松竹(と映画産業)が暗中模索していた時期と思われる。

なぜ、すでに松竹を退社し、溝口健二の下で脚本家として名作を連発し始めていた成澤に監督デビューの話が来たのか?

特集上映チラシの裏側

ネット検索ではそのあたりの事情は出てこないが、想像するに、ヌーベルバーグで「失敗」した松竹ではあったが、観客動員的には打開策が急務な状況には変わりがなく、撮影所育ちで急進思想を持たず、女性を主人公にした風俗ものが得意そうな若手に撮らせてみた、というところなのではないだろうか?

この作品に対する松竹の期待は、一線級のキャステイング、カラー作品、などのお膳立てに表れている。
その土俵上で成澤監督は持てる力を精いっぱい発揮しているのが感じられる。

漁村の景色を色濃く残す当時の船橋で銭湯を営む実家から銀座の税務事務所に通う主人公(嵯峨美智子)が体一つで浮世を漂う姿を追うストーリー。 
設定は19歳という主人公を当時27歳の嵯峨が演じるが、見えなくもない。
それくらい嵯峨美智子がまだまだ全盛期の輝きを持っていたし、時代背景も活気があり、日本映画も元気があった。

なんの思想も背景も野心もない一介の女性が、その欲求のままに振る舞う姿に、旧来のしがらみにとらわれたまわりの人物たちが振り回されてゆく。
天然で無垢な女性を演じる嵯峨は、吹っ切れたように画面ではじける。
この後の作品では、「救いのないほど悪意に満ちた」女性像の描写も辞さない、成澤監督も、本作ではひたすら主人公嵯峨美智子の明るさと輝きと無軌道さを追っかけている。

ちょい役の松尾和子が、職場で退社前に机の下でストッキングをはき替えるシーンで登場したり、金を前にするところりと態度を変える浪花千恵子と嵯峨の銭湯での入浴シーンがえらく長かったり、実家で内職する浦部粂子が夏とはいえ背中が裸のかっぽう着姿だったり、と成澤監督の女性表現がデビュー作からさく裂する。
そのこだわりたっぷりの「炸裂」こそが、当時のまだ余力のあった日本映画の現場によって生み出された豊かさだったりする。

「裸体」の嵯峨美智子(左)と千秋実(右)

60年代の、「旧来のしがらみに反発する心情」の空気感では、ヌーベルバーグと軌を一にする時代性に彩られた作品。
主人公が純粋無垢な存在として描かれる点でも共通性がある。
純粋無垢な主人公の「蹉跌」を、時代や世の中のせいにせず、突き放して描いている点に成澤監督の立脚点を感じる。

長くなりそうですが、「四畳半物語・娼婦しの」もいきましょう。

1962年の監督デビュー作から4年。
東映から声がかかったのですね。
成澤監督はこの作品から4本続けて東映で撮っています。

本作はモノクロ。
キャステイングは、当時、東映から佐久間良子に次ぐ看板女優としての待遇を受けていた三田佳子。
脇に木暮美千代、野川由美子。
男優陣に、田村高広、露口茂。

舞台となるもぐりの娼家の建物、中庭、玄関前の路地、表のドブ、のセットは入念に作られています。
また、全篇で30数カットという長回し撮影では、クレーンを使った移動撮影のほか、パンフォーカスがかった縦の構図もみられます。
ここらへんは、師匠・溝口の影響というか、マネでしょうが、三田佳子が京都市民映画祭で主演女優賞を受賞した事実をみるまでもなく、撮影所の力を結集した力作であることがわかります。

娼家という底辺に生きる女性を描いています。
この作品あたりから成澤監督の女性の描き方に容赦がなくなり、おかみさんの木暮美千代は救いのない強欲で冷血なやりて婆に描かれています。

三島ゆり子扮する「奥さん」が男を買いに、娼家を利用して通ってくる描写もあります。
こんなことが実際にあったのでしょうかね?

浦部粂子扮する老女が、夫が腹上死したあとの娼家へ乗り込んできて、腹上死の相手だった野川由美子と取っ組み合いをするシーンは、成澤監督の女性描写の容赦のなさが徹底して、「やりすぎ寸前」の思いで見ました。

これらの救いのない女性描写は、次作の「花札渡世」で、主人公に絡む小林千登勢が、裏表があり策略を尽くす、まさに救いのない悪人に描かれていたのを思い出させます。
成澤監督なりの女性(人間)本来の姿の希求なのでしょう。

現実の救いのなさにあって、唯一の救いを象徴する存在として、三田佳子扮する主人公が描かれています。
当時25歳の三田は、その演技力も含めて期待に応えています。
スター女優として「もともと持っているもの」が感じられます。

三田がお客の待つ座敷に入る時の一連の所作や、なじみの客とリラックスした時の、体育すわりのような崩れた座り方など、成澤監督の細かな演出が冴えます。

また、特筆したいのが露口茂。
さらっとカリカチュアライズして流すような、男優陣に対する成澤演出にあって、時に狡猾、時に情けないヒモを露口は、大芝居的ながら演技力十分に演じていて、後のニヒルなだけの印象が一変しました。

今回の特集上映、「裸体」の時はほかに2人、「四畳半物語」の時は3人の入場でした。
「上田の観客には受けなかった。むしろ遠方からの来館者があった」、とは館側の弁。

これに懲りず、上田映劇には頑張ってほしいものです。
気鋭の企画でした。
なお、上映プリントの状態は良かったの.ですが、セリフの再生音がやや不明瞭に聞こえたのは、プリントのよるサウンドトラックの再生力の限界のせいか、劇場のスピーカーの感度のせいか、山小舎おじさんの耳の老化のせいか?
どちらだったのでしょう?

上映が終わった時間は18時半過ぎ。
向かいの焼き鳥屋からは明かりと煙が漏れ始め、名にし負う上田の夜が始まる映画館前。
かつての「飲み屋の街」上田の余燼がわずかに漂います。
山小舎おじさんには珍しいライトアップされた上田映劇を眺めながら帰途に就きました。

夕闇迫りライトアップされた劇場正面風景

新・諏訪の神様が気になるの 大祝屋敷跡を見る

諏訪の神様シリーズの続編です。
諏訪大社本宮から程近くに、大祝屋敷跡があるので行ってきました。

大祝(おおほうり)は、諏訪大社の上社、下社の両方にいた最高位の神職です。
特に上社の大祝は諏訪の神様の化身、生きるご神体とのあがめられる存在で、諏訪(諏方)家が代々引き継いできたとのこと。

当時の大祝は、祭祀を司るだけではなく、政治権力を握り、鎌倉時代までには武士化して、幕府、朝廷と積極的に関係を持ったということです。

大祝の禁忌として、厳しい「郡外不出の禁」「清浄保持」があったとのことだが、当時の大祝家は、中央の軍事遠征に参加したり(当然実戦にも参戦)、あろうことか総領家(下社エリアの政治権力を分担した勢力)を大量に謀殺するに至っては何をかいわんや。
禁忌を無視するどころか、踏みにじって、最大限に冒涜し、栄華を競った時代があったようです。

明治になって神官職が中央からの派遣となり、さしもの大祝職もその長い歴史を閉じることになり現在に至っています。
大祝を奉じた諏訪家も途絶え、屋敷のみが残されているのです。

さて、五月晴れのある日、その大祝諏訪家屋敷があった場所に行ってみました。
住宅地の一角に天保年間に再建されたという屋敷の一部が残っていました。

今に残る屋敷門

門構えを眺め、案内板に従って屋敷の周りを一周します。
当初、3000坪の敷地に320坪の主屋があった場所には、いまは主を失った43坪の建屋が残っている。
完全な古民家というのではなく、窓にはサッシが入り、玄関には掃除道具などが残っており、平成14年に直系を失ったという、大祝・諏訪家の近時の断絶を物語ります。

案内板に沿って屋敷まわりを一周する
最終的に残った屋敷
屋敷を池越しに見る
敷地には立派な蔵も立つ

隣接して小さな神社がある。
鳥居と祠のみの造りで、境内には滑り台も置かれたのんびりとした雰囲気だ。

隣接する神社
藁ぶきの雨除けに囲われた祠
御柱も立つ
東照宮?

代々続いた大祝職を司る一族が途絶えたことは、諏訪の神様を巡る時代が大変化を迎え終わったたことを物語っている。
その大変化が、単に人間界についてのことなのか、神界を含むものなのかはわからない。

春先の畑作業

山小舎おじさんの畑にも春が到来しました。
畔にはよもぎが芽生え始め、ナズナやタンポポなども花を咲かせ始めています。

4月の畑作業は、まず4段の圃場のうち1面に防獣ネットを敷設しました。
高さ2メートルのネットを巡らし終わり、入り口を網戸を再利用して設置、ついで、山側にネットと1メートル離して金網を巡らせました。

金網の設置は鹿がジャンプするために助走するのを妨害するためです。
また、鹿が安全を確認するまではジャンプせず、むしろネットのすそから侵入したがるという特性に対抗して、ネットのすそを固定しています。
土の地面にネットのすそを固定するのは案外難しく、試行錯誤をしなが現在作業中です。
トタンをかぶせたり、垂木を支柱に縛り付けてネットをおさえたりして、柵の2辺まで完了したところです。
まずは物理的に鹿の侵入を阻止します。

柵が立った後は、なんとなく畑周辺から鹿の気配が消えたような気がしているところです。
去年までは、常時、畑の脇の水路周辺に鹿の足跡が入り乱れており、まるで彼らが自分のテリトリーを主張しているかのようでしたが、柵を見て鹿も「ここは人間のテリトリーなのかも?」と思ったのでしょうか。
まだ安心はできませんが、心理的にも鹿の捕食意欲をそいだのであれば結構なことです。
南側の山の持ち主が雑木を伐採したのも、隠れる場所がなくなったという意味で影響したのかもしれません。

連休前の仕事として、買っておいた種イモ類の植付を行いました。
防獣ネット柵内にジャガイモ類。
今年は男爵5キロのほか、アンデス、レッドムーン、インカの目覚め、アルバンを各1キロずつ植えました。
例年は株間に施していた牛糞、化成肥料はなし。

防獣ネット柵を施した畑の一段上は柵なしとし、トンネル栽培と鹿が食べない作物用の圃場としました。
トンネル4列にキャベツ、レタスの苗を定植したほか、露地で、長ネギ、菊芋、里芋、しょうが、コンニャクを植えました。
このほかにヤーコンを2列ほど植える予定です。
いずれも歴戦の対鹿用作物です。

ほぼ連日、畑に通っての作業は大変でもありましたが収穫もありました。
今年は管理機を入れず、鍬のみで畝立を行っていますが、人力でも起こしやすい土になっているのです。
理由としては、雑草の根が繁茂する前の季節であること、晴天が続き土壌が乾燥していること、3年目の畑で土が団粒化に向かっていること、穴掘り機で圃場何か所かに穴をあけて排水を促進したこと、が考えられます。
ガッテン農法で学んだ「ネジネジ」の埋設により土がほぐれたことも期待半分で付け加えたいと思います。

連休中は1週間ほど休み。
その後は、もう1面に防獣ネットを巡らせて、計2面の柵付き圃場を確保。
柵内部には、サツマイモ、トウモロコシのほか、枝豆、落花生、大豆、小豆、インゲンなどを作付け。

残った露地の1面には、今植わっている玉ねぎの隣に、あしたば、ルバーブ、えごま、ほうずきなど鹿が好まない作物を植えたいと思います。

もともと金網で囲まれている、別の圃場では夏野菜、かぼちゃ、ハーブ類などを植える予定です。

また、昨年芽出しで失敗した反省から、大豆、小豆、ハーブ類は十分暖かくなってから畑に直播とし、ポット蒔きして芽出しを行う作物は、トウモロコシ、かぼちゃ、枝豆、落花生などに限る予定です。

山小屋周辺は朝晩まだまだ寒く、発芽に向いていません。
育苗土の配合といい、温度管理といい、おじさんには自信がありません。
一応ビニール張りの温室のようなものを用意し、芽出しの養生場とする予定ですが。

道路に落としてからスマホの調子が悪くなり、今回は写真無しです。
ご容赦ください。
連休後は再び写真満載で書く予定ですので、今後ともよろしくお願いいたします。

菊芋の甘酢漬け

菊芋という食材があります。
最近一部でブームの健康食材です。
山小舎おじさんの家族も注目し、取り寄せたりしています。

晩秋に収穫しますが、保存性が高いのか、4月になっても県内の各直売所で売られています。
見かけがショウガのように凸凹していて小さめなので、扱いが面倒だと思い食べたことがありませんでした。

家族の要望もあり、今年の作付けに加えることにしました。
種芋の手配は、4月になってからでは遅く、ホームセンターで売れ残りのものを少々入手しただけですが、今年から畑のラインアップに加えることにします。
(ジャガイモの希少種や菊芋などの種芋は2月頃から農協などに予約して入手するのが確実なようです)

さて、山小舎でも菊芋を食してみます。
直売所で2袋程買ってきました。
1袋が150円から250円で売られています。
最初はジャガイモ代わりにカレーに入れてみました。
が、火が通ってもパリパリとした食感がカレーに合っていない気がしました。

菊芋2袋程を用意しました

ネットで検索すると、甘酢に漬けて保存する、という方法があったので試してみました。

皮をむきます。皮付きのまま調理する方法もあるようです
カットします。暑さはお好みですが、薄めにカットした方がいいような気がします
水、醸造酢、ザラメを合わせた甘酢を作ります。トウガラシを1本放り込みました
殺菌した保存瓶に入れて完成です。密閉式ではないので冷蔵庫で保存します

2、3日後に試食すると、パリパリ感はそのままで、さっぱりとしてすがすがしい味がしました。
食事の際の箸休めにもなり、何より、イヌリンという水溶性食物繊維が摂取できます。
イヌリンは単なる食物繊維ではなく、水に融ける形で腸内環境に役立つ繊維質とのことです。

また、鹿が好まない作物とのことですので、里芋、ヤーコンと並べて、防獣ネット外の露地の圃場で作付けしてみようと思っています。

去年収穫のトウガラシを使ってみました

キャベツを定植

畑にキャベツの苗を定植しました。

4列の畝を立て、トンネル架け用の、曲がり支柱と不織布を用意しました。

不織布を用意します

苗の本数はキャベツ100本、レタス30本ほど。
農協で1本20円。
あれつ?例年はもっと安くなかったっけ?

畑の準備は畝立てだけ。
元肥は入れません(昨年は石灰を入れて、尿素を追肥しました)。

その代わり、植付には十分注意します。
苗を根を半分ほどちぎり、植え付けた苗の根の周りには湿った土をよせるようにし、植付後は体重を乗せて押さえます。
植え付け前後に水やりはしません。
こういう風にこまめに手がかけられるのも、小規模個人営農の利点です。

苗を千鳥に植え付けてゆきます
植付後はトンネル用の曲がり支柱を立ててゆきます

植付後はトンネル架けです。
不織布を畝に渡して曲がり支柱の上に架けて固定してゆきます。
マルチ架けには慣れてきた山小舎おじさんですが、トンネル架けにはまた別の技術がいります。
おまけに風が吹く日でもありました。
小規模の畑とはいえ、最低限の土木作業は欠かせません。
こういった作業が苦手なおじさんも見様見真似で頑張ります。

畝の端に不織布を置き、余裕幅を持たせてピンで固定します。
このまま畝の反対側まで不織布を渡してゆき、反対側でもピンで仮止めします。

畝の両側に垂れたの不織布に鍬で土をかぶせて固定してゆきます。
トンネル内に風の侵入を防ぐためです。
風が入るとトンネルがめくれあがってしまいます。

このまま端から順に土止めしてゆくのですが、これだけではトンネルに張りが出ません。
ある程度土止めしたタイミングで、不織布の端(ピン止めしたところ)を引っ張り、トンネルに張りを持たせます。
張りがでたタイミングで不織布の端っこを縛り上げ、ピンで最終的に固定します。
反対側も同様にします。
全体に張りがあり、端っこから風が入らないようになって、トンネルの完成です。曲がり支柱の大きさと配列も完成度に大きく関係します。

右のトンネルは張りがやや甘くなりました
何とか4列が完成

植付とトンネル張り4列の作業でおじさんの背中は張りが出て、腰が痛くなりました。

付け加えると、トンネルなど不透明なものがあると、鹿はその中身に興味を示さないそうです。
去年のおじさんの畑もトンネル栽培のキャベツは獣害なしでした。

ストーブ料理の世界 山小舎カレーを作る

薪ストーブで料理を作るとおいしく出来上がります。

ストーブの火力は煮込み料理に向いています。
肉料理のほか、大根などを煮たりするとおいしくできます。
煮崩れしないで火が通り、食材のうまみが生きて仕上がるのが特徴です。

ただしスパゲッテイーを茹でたときだけは失敗しました。
よく火が通って茹で上がったのですが、出来上がった麺の食感は、うどんともつかず、何とも言えず。
スパゲッテイーではないことだけは確かな麺が出来上がっていました。
もちろん食べられないようなものではないので、うどんに近いものと思って食べましたが、二度とストーブでスパゲッテイを茹でようとは思いませんでした。

ということで、今日は山小舎ご飯の定番、カレーを作りましょう。
材料は、信州産豚のこま切れ、玉ねぎ、にんじんのほか、キノコ類も入れます。

材料はレシピ通り。地元の豚肉がおいしい。

通常のカレーレシピでは玉ねぎを炒めますが、山小舎では材料を一度に水を張った鍋に投入してストーブに乗せます。
調味料も最初から入れてしまいます。
時間がないときにこの方式で作ったのですが、おいしく出来上がったので、いつもこの方法で作っています。

材料を全部投入して水から煮ます

調味料には山小舎なりのこだわりが。
ベースにニンニクを入れるのは定番として(ニンニクも炒めるのではなく、水から煮るだけです)、自作のリンゴチャツネ、牛乳、固形スープ、ケチャップ、醤油などを最初から投入します。
チャツネを入れると一味違います。
牛乳は洋風煮込みにコクが出ます。
醤油など発酵系の調味料も加えます。

調味料も最初から入れます。このほかにニンニクを忘れずに
自家製チャツネはふたを開けてからは冷蔵庫に常備しておきます

ストーブで煮込みます。
材料に火が通れば食べられます。
ジャガイモも煮崩れせずに火が通ります。
時間がある時は水気が半分ほどになるまで煮込むとさらにスペシャルな仕上がりとなります。

ストーブで煮込みます
ほぼ出来上がりました

固形ルーを割り入れて出来上がりです。
おいしいぞう。

固形ルーを入れてからは煮込みません
何度食べても飽きないカレーの出来上がりです

防獣ネットを張る

畑に防獣ネットを張りました。

諏訪の神様への供物の鹿。
山小舎おじさんの畑にやってくる鹿は、農作物に餌付けされた「野良鹿」。

人間としては、「ここは鹿の来るところではない。食べ物は野生のものらしく、自力で探せ」と示さなければなりません。
鹿としては「そんなこと言ってもここに我々が食べられる植物があるじゃないか」といって開き直り、安易な採食をやめようとはしないでしょう。

そこで、物理的に食べられないようにしようということです。
防獣については、人間世界では、「駆除か防御」しかない、と一応の結論が出ているところです。
防獣「第三の道」はおじさん、現在勉強中で、今年の畑には間に合いません!

準備

資材を整えます。
今までの「そこにある材料で簡単に」という考えはこの際捨てることにします。

必要な資材を、最低限必要な資金を投入してあつらえます。
とりあえず畑1枚にネットを張ることにして、長さ50メートル、高さ2メートルのネットを購入しました。
ネットを支える支柱を25本も用意します。

支柱は通常の園芸用のものですが、端っこにネットの紐を支える溝がついており、もう一方の端は尖っているものです。
また、四隅の支柱用に太いものを5本ほど用意しました。
全体の強度のためです。
これで〆て1万5千円ほどの出費です。

支柱を地中数十センチまで埋め込むには人力では困難です。
冬作の玉ねぎ用の囲いを作ったときにその事実を痛感したおじさんは、穴堀機の導入を考えました。

「現代農業」の特集記事を参考にし、茅野にある農機具販売店を訪ねて情報収集。
最終的にはネットの楽天市場で2万円ほどの穴掘機を購入しました。

国産品では十数万(エンジン式)から数万(充電式)する機械が2万円は安すぎるのですが、こちらにも予算があります。
ここまでで計4万円弱の予算執行。
これで来年以降もジャガイモなどが収穫できるのであれば結構なのです。

ネット通販で穴掘機(オーガ)を買いました

作業(支柱立て)

いよいよネットを張る作業です。

不慣れな作業を一人で行うには不安があります。
ネット動画で同様な作業の模様を閲覧しました。

キモは支柱をしっかり2メートル間隔で立てること、ネットをたわまないように張ること、ネットの下はある程度地面に垂らすこと、を学びました。

さていよいよ実践です。
穴掘り機で穴をあけてゆきます。
ほぼ順調に掘り進む場所、いったん耕盤層に当たるもののそれを突き抜けるとさらに掘り進む場所、硬い場所に当たってそれ以上掘り進めなくなる場所、といろいろありました。

ドリルごと体を持って行かれそうになったりもしました。
心配していた機械の調子ですが、エンストやエンジンからの白煙などがありましたが、無理せず休ませながら使うと何とか一日持ちました。

タコ糸のしるしに合わせて穴掘りします
オーガは穴掘りに活躍してくれました。人力でここまでの穴掘りはとても無理

あけた穴に支柱を放り込んでゆき、さらにハンマーで上からたたいて埋め込みました。
穴の深さ(土の堅さ)によって支柱の高さに違いが発生しました。
どうしても穴が掘り切れない場所は、少しずらして穴を掘りました。
ハンマーで叩き、穴を踏み固めると支柱はしっかり立ちました。
高さと角度を微調整しました。

四隅の柱や若干ぐらぐらする支柱には支えとして、短い支柱などを立てて結束バンドで本支柱と結び合わせました。風の強い日など、支柱が地面で折れてしまうのを防ぐためです。

脚立に乗り、ハンマーで支柱の頭をたたいてしっかり土中に固定します
支柱が立ち並びます。深さ、角度には若干の不ぞろいがあります

作業(ネット張り)

作業のハイライトはネット張りです。
まずネットを支柱の外側の地面に渡します。

50メートルのネットは重さこそないのですが、一馬力の人力で一気に片付く分量でもありません。
順を追って作業します。

まずは、丸まっているネットの中心に支柱を通して、端っこに立てておきます。
これをくるくる回しながら渡してゆこうというのです。
この際、ネットの先端にも、フリーの支柱一本を結束しておきます。
この支柱を引っ張りながら渡してゆきますが、何せ50メートルの距離です、一気に渡すことなど無理なので、少しずつほどきながらほどいててゆきます。
2人いればはかどるのになア、と思いながらの作業です。

50メートルのネットを立てて回しながらほどいてゆきます
ネットを渡し終わりました

渡し終わったネットを、最初の支柱から、張ってゆきます。
支柱の上部の溝に通し、ネットがたわまないようにします。

ネットの中程と下部は結束バンドで支柱に固定しますが、まずは上部と中程を、テンションをかけながら張ってゆきます。
風の強い日で、ネットが風邪を受けて膨らみます。
支柱がたわみます。
偉大な自然の力の一端が思い知らされます。

渡し終わったネットを張ってゆきます
一面を張り終わりました
入り口部分を除き張り終わりました

ひと渡り結束し終わり、地面には余ったネットが垂れています。
鹿はジャンプするのは最終手段で、できるだけネットや柵をくぐって侵入するそうです(ネット情報)。
最終的には外に垂らしたネットの端を津で埋めるなどして、鹿対策の万全を期したいと思います。

今日の作業は終了

風も冷たくなってきた4月の夕方近くの畑。
予定の作業を終えて山小舎への帰途に就くおじさんでした。