「日本映画を創った男・城戸四郎伝」

映画好きの山小舎おじさん。
その中でも最近興味あるジャンルは、映画興行史です。

城戸四郎の伝記を読む機会がありました。
大正11年、松竹に入社以降、松竹映画一筋に生き、昭和52年に死ぬまで同社の映画部門のトップに居続けた人物の伝記です。

著者は小林久三。
昭和9年生まれで、昭和36年に松竹に助監督として入社、その後脚本部を経て制作者になっている人で、有名になったのはミステリー小説で賞をもらってから。
本作「城戸四郎伝」はキネマ旬報に連載したものをまとめたものだそうです。

日本の映画産業は、松竹の白井信太郎、東宝の小林一三を中心に興きてきた。
京都太秦撮影所に至るマキノ一家という系統もある。
マキノに出入りするヤクザ一家のつかいっぱしり端を発し、大映社長に上り詰めた永田雅一がいる。
日活の堀久作もいる。
これらは、あるものは必然的に、あるものは偶然に映画というダイナミズムもしくは金の生る木に吸い寄せられた人物で、それぞれの会社・組織のオーナーもしくはそれに近い存在だった。

いずれの方々も、例えばサラリーマンなど務まりようもない個性の持ち主であり、一般常識とはかけ離れた行動力と発想力で周囲を巻き込んでゆく強烈な存在だったことが容易に想像できる個性の持ち主たちだった。

本の目次

城戸四郎はどんな存在か?
松竹映画の企画決定権を生涯にわたって持ち続けたという意味において、本来の意味でのプロデユーサーとしては、社内で唯一の人物だった。
その意味では、大映社長の永田雅一や、初期東映のマキノ光男の印象と重なる。

永田は、自分が社長時代の大映作品では、その巻頭で堂々と「製作 永田雅一」をクレジットさせ、自社製品にマーキングしていたが、その作品群の中からベネチア映画祭グランプリの「羅生門」が生まれた。

マキノは戦後間もない新生東映の東京撮影所長として、「右も左もあるかい!ワイらは大日本映画党や」と、東宝をレッドパージされていた今井正を東映に招き、「ひめゆりの塔」を製作、大ヒットを飛ばした。

その点、エリートの城戸は、泥臭さはなく、万事スマートである。
常識的、良識的なというよりは安全パイを外さない城戸のイメージはそのまま松竹のそれと重なる。

仕事のやり方も、例えば「女優を妾にする」(新東宝社長:大倉貢)のではなく、頭を使って撮影所の仕組みを変えてゆく方法に寄っていたようだ。

当初は俳優の力が強く、彼らのわがままに左右され、予算を浪費していた撮影所を、最初は脚本部門の育成に注力することにより、次には演出部門に力を持たせることにより、改善していったのが城戸だった。

これはディレクターシステムと呼ばれるもので、松竹の伝統となった。
ただしいずれのシステムであってもトップには城戸が君臨していることを前提としたものだったのだが。

松竹映画ただ一人のプロデューサー・城戸のポリシーは、一言でいえばヒューマニズムだった。
それは松竹映画にあって大船調と呼ばれた。

著者・小林は、松竹映画の一大功労者として評価ゆるぎない巨人を、大船撮影所の大部屋俳優だったり、後輩の制作者だったりの目を通して描く。
そこには、力のないもの、運のないもの、自分の好みに合わないもの、自分に逆らうものには冷徹で残酷でさえある城戸の姿が現れる。

昭和30年代後半。
松竹も例にもれず、否、他社に率先して、斜陽の道を転がり落ちる映画産業の時代。
城戸もトップとして対応を希求していたものの、企画は空回りする。

若手監督抜擢のいわゆるヌーベルバーグ、武智鉄二の「白日夢」「紅閨夢」「黒い雪」と、城戸らしくない企画が続いた。
しかしながら、ヒットした武智映画の「エロ」についてはスルーするが、ヌーベルバーグの「政治性」にははっきりと拒絶を示す城戸がいた。
大島渚の「日本の夜と霧」の上映打ち切りの決定者は城戸四郎だった、というのが著者の見立てである。

「日本の夜と霧」打ち切りの真相を著した部分

森崎東という監督がいた。
「喜劇・女は度胸」でデビュー。
「男はつらいよ」の脚本にも参加し、「フーテンの寅」では監督。
山田洋次作品とは一味違う、陰影、泥臭さを持つ作品で、松竹離脱後も作品を発表し続けた。

個性的な作風のこの監督を自由契約にした(松竹をクビにした)のも城戸だった。
城戸は当時の制作本部長に対し、自分の目の前で森崎への解雇の電話連絡を行うように命じたという。

森崎東解雇を著した部分

映画プロデユーサーとしての冷徹さはともかく、また小津、木下らをフィーチャーしていた黄金時代はよいとして、60年代に入ってから、時代性や新しい才能についていけなくなったあたりが城戸の映画人としての限界だったのだろう。

さて、城戸自身、脚本執筆や、企業としての撮影所経営には興味があっても、映画というダイナミズムには果たして興味があったのか?
あったとしても、そのダイナミズムに太刀打ちできない自分にどう折り合いをつければいいのか、最後まで分からなかったのではなかろうか?という疑問がわく。

1974年に封切られた、松竹映画の金字塔「砂の器」の企画に最後までゴーサインを出さ(せ)なかったのも城戸なのだった。

映画というものの成り立ちの難しさ、不思議さをその興行史の側面からも感じる山小舎おじさんでした。

玉ねぎを収穫

葉が倒れてきたので玉ねぎを収穫しました。

今年の収穫量はコンテナに3分の1ほど。
残念ながら去年より収量は減りました。

原因はわかりませんが、活着率が悪かったのがすべてだと思います。
その理由は・・・。
わかりません。

葉をつかんで引き抜いた状態の玉ねぎたち
葉を切って、ひげ根を落としてコンテナに詰めます

活着した苗は2分の1ほどの確率で肥大化したので、来年はまず活着率の向上に心がけたいと・・・。
そのためにはガッテン農法で学んだ、苗の植付け方法を実行してみよう・・・。

とはいっても収穫を迎えるのはとてもうれしいことです。
生き残り、成長した玉ねぎに感謝して収穫です。

収穫したあと、玉ねぎは乾かさなければなりません。
畑に置いて日に当てた後、山小舎に持ち帰り、晴れた日は日に当て、夜などは、かごに入れてベランダに置いておきます。
最終期にはネットに入れて軒下に吊り下げておきます。

ある日の夕食。
シチューを作ることになりました。
玉ねぎの出番です。

小さな玉ねぎを集めて、ウインナーやベーコンなどとともに鍋に放り込みます。
後はストーブに任せて、だしの効いたシチューの出来上がりを待ちましょう。

シチューの材料には小玉の玉ねぎを使いました
ガスで沸かした後、ストーブの火力で煮込みます

野鳥の巣箱を作る

山小舎周辺には野鳥がいます。
名も知らぬたくさんの野鳥たちです。

キツツキ(アカゲラ?)もいます。
今の季節ではウグイスでしょうか。
よく鳴き声が聞こえます。

山小舎のベランダの柱にはもともと巣箱がかかっていました。
おじさんが住み始める前からあったものなのでかなり古くなっており、去年、解体して燃やしてしまいましたが、巣箱の中には親鳥が集めた枯れ草などで、巣が作られていました。
敏感な野鳥は、人の視線を感じるとベランダの巣箱から慌てて離れていったりしていましたが、しっかり子育てもしていたようです。

ということで新しく巣箱を作ってかけておこうと思いながら春が過ぎ、夏を迎える季節になってしまいました。
電動丸鋸を買ったこともあり、ある日、思い切って作ってみました。

材料は軒下にあったコンパネ。
作業台に引っ張り上げ、パーツのサイズを決め、鉛筆で線を引いてゆきます。
サイズは大体(だいたい)です。
巣箱の正面の幅と側面の長さに合わせて電動丸鋸でコンパネを切ってゆきます。

コンパネに線を引く
電動丸鋸出動!

電動丸鋸でカットするとまっすぐに裁断できるので、ほぼ正確なサイズにパーツを作成できます。
パーツを組み合わせて、釘を打って組み立てます。

難しいのは出入り口の穴です。
幅の狭いノミで丸い線に沿って穴をあけてゆき、丸く打ち抜きました。
打ち抜いた後で、断面を削って微調整します。

パーツを組み立てる
出入り口を開ける。やむなくのみを使用・・。
箱ができた

やや大きめですが巣箱ができました。

今年の繁殖シーズンには間に合わなかったのかもしれません。
来春あたりからでも、山小舎の周りを飛び交っている野鳥たちに使ってもらえれば幸いです。

屋根をつけてできあがり!
新緑をバックに山小舎の柱にたたずむ巣箱

山小舎リフォーム 光を取り込め!

山小舎は夏は涼しく、冬は底冷えがします。
1階部分は1年を通じて、薄暗く、1日中照明がかかせません。

6月のある日、山小舎を訪れた奥さんが、2階の窓から差し込む朝日を見て、これを1階に取り込めないものかと思ったのでした。
奥さんは1階の天井の一部をぶち抜き、光を1階に取り入れたい、と言いました。

それを聞いた山小舎おじさんはあることを思い出しました。
それは、別荘管理事務所の草苅バイト仲間の、ある人が山小舎に来て言ったことです。
その人は古民家が好きであちこち見て歩いたそうです。
山小舎を見たその人は、「自分なら1階の天井をぶち抜くなあ」と言ったのでした。

ああ、そう思う人もいるのか、大胆な発想だなあ、カフェでもするならいいけど、普通の民家だから・・・とその時は聞き流した山小舎おじさんでしたが、まったく同じことを奥さんが言ったのにはびっくり。
そういうことならやってみようか?と思ったのです。

東側に、風呂、トイレ、和室があり、居間に面した窓はありません。
南側には台所、西には玄関、北にベランダとサッシがついている山小舎。

土地の斜面を考慮するとやむを得ない配置ですが、ただでさえ採光には配慮の乏しい古民家がより一層薄暗くなっています。
さらには冬の防寒を考えると、空間を区切ることはあっても、開放することは考えませんでした。

今回のリフォームの発案は、その点では画期的な発想です。
特に6月から8月のベストシーズンにおいては。
それ以外の季節には、採光よりは防寒を考えなければなりませんが。

ということで、奥さんともども出入りの大工さんに天井リフォームの依頼をした山小舎おじさん。
ついでに、腐りが入ってきたベランダ支えの補強、屋根のトタンの補修、も依頼して工事が始まりました。

天井をぶち抜くのは、階段上部に当たる部分。
梁の間一つ分の天井板と、畳を取り除きます。
空いた部分の周りには、落下防止の手すりを付けます。

天井の一部分の天板と畳を除きます
同時に階段横のスペースを片付けます

ベランダ柱の補強も含めて、丸2日の作業でした。

採光もよくなりましたが、開放感が段違いで、山小舎の居住状況が改善されました。
併せて階段横のスペースの利用方法を収納部屋から、居間の一部として拡張する方法へと変えました。

居間が広がり、山小舎=古民家の広さが、いまさらながらに味わえています。
だだっ広く、十分に利用できなかった2階も、実質2分割されたことによって、効率的な利用が進む可能性があります。

2階に手すりを付けます
家具を配置しなおします
ベランダを支える柱2本に補強を入れます

柱と梁の構造さえいじらなければ、空間の区切りが自由自在ともいえる日本家屋の面白さに気づきつつある山小舎おじさんたちです。

6月中旬の畑

ジャガイモに2回目の土寄せをしました。
アンデスのほか、男爵イモにも花が咲き始めました。


インゲンが順調に育っています。


直播した小豆も発芽してきました。


鹿に穂先を食べられた菊芋が回復しています。


キューリが元気です。
初収穫しました。


ズッキーニです。収穫間近です。


トマトは茎が太くなり、旺盛に脇芽を伸ばし始めています。
定石どおりに脇芽はかいています。


夕顔が例年通り、どう猛としかいようのない生命力を発揮し始めました。
このまま自由に伸ばしてあげます。


トウモロコシも不揃いながら例年になく元気です。


去年植えたパクチーのこぼれ種が発芽し、花が咲いています。
種をコリアンダーとして収穫しましょうか。


家族が山小舎に来るのでレタスの一番大きいものを収穫してみました。
元肥、追肥、石灰なしでの栽培です。
どんな味に育ったのか?と食べてみたところ、葉が厚く食べ応えのある食感でした。


サツマイモの苗が無事活着しました。
このままいくと秋には芋堀りができそうです。


玉ねぎはそろそろ収穫です。

ベランダをDIY! その3 まだまだやるでぇ

ベランダの補修を継続しています。

防腐塗装を引き続き行なおうと、塗装予定の柱を見ました。
柱には穴が開いています。
もともとは母屋の柱として使っていた150年前の材木です。
傷みとか、腐りではなく、梁などとの組み合わせのためにあけた穴をそのままに、ベランダの柱に流用しています。

古民家の建付けは、柱と梁の組み合わせでできています。
釘などは使わず、例えば地震があっても、組み合わせた柱と梁が揺れを吸収することができるような造りにしてあります。
山小舎のベランダの柱は、そういった柱材を再利用しています。

ベランダ上部を支える柱。溝が貫通したものを再利用している

とはいっても見た目が危なっかしいので、塗装の前にできるだけ穴を補修することにします。

廃材をカットして穴に詰めることにします。
ここで電動丸のこが登場。

柱の穴のサイズに合わせてカットします。
電動丸のこのおかげで、カットが短時間でできます。
実は電動丸のこを使うのが生まれて初めてだった山小舎おじさん。
案ずるより産むがやすし、のココロでぶっつけ本番に臨みました。

何とか、サイズよりはちょい大きめに木材をカット。
カット材をトンカチで柱の穴に埋め込んでゆきます。
素人細工ながらモザイクのようにはまり込みました。
はみ出した部分は鉋で削り、サンダーでもかけましょうか。

ホームセンターで買ってきた電動丸のこを使ってみる
廃材を拾ってきて柱の穴に合わせてカットする
カットした廃材を柱の穴に埋め込む

別の日、2段梯子をかけてベランダ上部を塗装しました。

梯子を使っての塗装作業。
梯子を固定するのが最重要となります。

ふわふわした腐葉土が土台なので、まずは梯子がぐらぐらしないように土台を固めること、次に重心が上にかかっても梯子が倒れないように固定することを考えます。
本来は紐を使って固定するようですが、梯子を柱にもたれかけることで倒れるのを防ぎます。

2段梯子をかけてベランダ上部を塗装

梯子に上り、ケミソール塗料を塗ってゆきます。
雨ざらしのまま20年たったの木材にたちまち染み込んでゆくケミソール。
塗料は染み込んで色も残らず、したがって防水効果は未だし?と、2度3度と重ね塗りをします。

まだまだ時間がかかりますが、楽しみでもあるベランダ補修作業です。

6月を迎えた山小舎。快晴の朝
庭にはルピシアの花が咲き始めた
ハマナスも咲いた

ベランダをDIY! その2

ベランダの防腐防水塗装を続けています。

痛みの激しいところ、雨に当たる場所、塗りやすいところから塗り始めています。

ベランダは4本の柱が支えています。
このうち2本は露出していますが、2本は雨除けと目隠しを兼ねた板に隠れています。
目隠しの板は土に接した部分から腐り始めています。
まずは、この目隠しを撤去しました。

ベランダの軒下を覆う目隠し。板が傷んでいます
ベランダへあがるステップも耐用年数経過済みです

目隠しは、板、鉄柵、ドアサッシが土に埋められる形で設置されていました。
それらを掘り起こして取り去ります。
板は土に埋まった部分から腐っており再利用不可の状態でした。
鉄柵、ドアサッシも再利用はしたくありません。

軒下の覆いの再設置は別途考えることにします。
軒下はオープンにしておくと秋から冬場にかけて落ち葉の吹き溜まりになってしまいますので、目隠しの意味も兼ねて手当ては必要になります。
ブロックか何かで土台を作り、その上に合板か何かをサイズに切って塞ぐようにしましょうか。
いずれにせよ塗装の後の作業になります。

目隠しを撤去しました

さて、防腐塗装です。
先回使ったキシラテコールという塗料は高価なうえ、乾ききった木材には染み込むばかりで不効率なので、雨のかかる部分には、より安価で防水効果の強いコールタール系の塗料を使うことにしました。
玄関先に使ったのはクレオソートでした。
今回は同様の効果で、匂いがきつくないというケミソートという塗料にしました。
思い切って一斗缶(14リットルほど)を買いましたが、5000円台で買えました。

柱を中心に、ベランダの柵、梁などを塗ってゆきます。
畑に出かける前、バイト仕事の後などに時間を見つけてはちょくちょく塗ります。

特に腐食の進んだ部分などには重ね塗りします。
重ね塗りすると焦げ茶色に色がついてきます。
一度塗ったくらいでは、乾ききった木材にしみ込んでしまって、色がつかないのです。
色がつかないということは防水防腐効果が薄いものと思われます。

ベランダの塗りやすいところから塗ってゆきます
手が届くところはだいたい塗り終わりました

手が届かない場所は脚立を使います。
この脚立、不安定に見えるようで、家族に塗装風景の写真を送った際に、「大丈夫か?」との返信がありました。
脚立自体は強度充分なのですが、地面が場所によってはフカフカなので、脚立の足の片方が沈み込んでゆくことがあって不安定なのが欠点ではあります。

足元が不安定だと、塗装作業が進まないだけではなく、塗料をぶちまけて体にかかったりしかねません。
また、脚立ごと倒れて怪我しても周りに迷惑なので気をつけながらやっています。

鉄製の脚立を使って塗ります

県境を越えて 草津温泉へ行く

長野県は、山梨、群馬、新潟など八つの県に接しています。
県境はそれぞれ山で隔たれています。

その山塊を峠道でつないで、山梨、岐阜との間に中央本線が、愛知との間に飯田線が、新潟との間に大糸線と飯山線、北陸新幹線が走っています。
山梨県の小淵沢から県内の小諸を結ぶ小海線もあります。

県をまたぐ線路はこれだけです。
それらの線路も、中央本線と新幹線を除き、狭い谷間や山間を辛うじて単線が張り付いているような具合です。

いかに長野県が閉ざされた地形であるかがわかります。
県内の状況も似たようなもので、各地方が山に囲まれており、地方間の行き来は峠を越えるか、川沿いに行くしかありません。

ということで今回、思い立って草津温泉に行った際にも、県境の峠道の深さ、厳しさ、を思い知らされたことでした。
6月初旬に、奥さんが山小舎に陣中見舞いに来た際に草津へ行ったのでした。

行きのルートは、上田市の真田地区から菅平方面に北上し、途中で群馬方面に折れる道順でした。
県境付近は片側一車線の山また山のつづれ折で、峠を下りると、キャベツ畑の風景が広がっていました。
まとまって開かれた畑や、整備された道路などをみて、「長野とは別の地方へ来たのだなあ」と感じました。

草津へ入るとそこは大きな町でした。
古い温泉街と別荘地が同居しているようなところで、想像していたよりにぎやかでした。

昼食は奥さんがネットで調べたイタリアンへ。
根曲がりダケというタケノコや、タラの芽などが出てきました。

イタリアンレストランの窓から見る初夏の草津

昼食後は、西の河原公園の駐車場に車を止め、公園を下って温泉街へ向かいました。
西の河原公園は、温泉が流れ、賽の河原のような白茶けた風景が続きます。
三々五々、観光客が散策しています。

西の河原公園の風景

温泉街へ下り、湯畑の方面に歩いてみます。
温泉街の歴史を感じさせる土産物屋が並んでいます。

中心部の湯畑では、源泉が、何本もの木の樋を流れてゆくのが見られます。
源泉が流れてゆく景色は、秋田の玉川温泉でも見られます。
荒々しく、近寄りがたい玉川温泉のそれに比べて、ややおとなしく感じるものの、温泉街の中心部に源泉を引っ張って華々しくデモンストレーションするというところに、草津温泉の温泉街としての意欲と歴史を感じます。
さすが日本三大温泉の一つです。

温泉街を歩く。前方には饅頭売りのおじさんたちの姿が見える
中心部にある湯畑の風景

湯畑のあたりは観光客で賑わっていました。
長野県では、善光寺か松本城、夏の軽井沢にでも行かない限り、出会うことのない人出です。
ここは群馬県、首都圏であり関東圏だと実感しました。

湯畑と観光客

西の河原へもどり、露天風呂へ立寄って帰りました。
ぬるめの湯でしたが、上がってからも汗が出続けるほど効きました。

帰りは行きとは別のルートで帰りました。
軽トラで来なくてよかったと思うほどの山越えの連続でした。

一週間ぶりの畑

6月上旬に家内が山小舎に来て、それに同行して帰宅。
その間、畑を留守にしました。
一週間ぶりの畑の様子です。

防獣ネットに囲まれてジャガイモが無事育っています。
品種によって生育のスピードが異なるのが面白いです。
アンデスという品種に花が咲きました。
頃合いを見て二回目の土寄せを行う予定です。

ジャガイモ(アンデス)に花が咲きました

直播した大豆が発芽して順調に育っています。
豆類は土地を選ばずに、発芽して育ってくれるものなのでしょうか。
うれしいことです。
枝豆はいまいちなのですが、大豆と小豆は収穫が期待できそうです。

インゲンの苗が元気です
直播した大豆が発芽して成長しています

落花生の種を直播しました。
山小舎の「温室」で芽出しにトライしたのですが見事に発芽率がゼロでした。
やむなく直播しましたが、まずは発芽してほしいものです。
落花生ってむづかしいのか?

落花生を直播しました

鹿が好まないといわれる、菊芋と鷹の爪に食害がありました。
防獣ネットなしの圃場に作付けしましたが、どちらも穂先を食べられています。
まだ根は生きているのでこの程度で済めばいいのですが。
鹿は、苗の穂先などを一度「試食」した後、食べられるとわかれば、苗全体を「完食」するので要注意です。
大丈夫と言われている鷹の爪や菊芋まで、鹿の食材として「餌付け」したくないのが正直な気持ちです。

穂先を食べられた鷹の爪(とうがらし)
菊芋も先っぽが鹿の被害に・・・

夏野菜の苗の成育状況です。
個別の苗や作物の種類によっては成育程度に差がありますが、おおむね順調です。
昨年秋のガッテン農法の畝づくりの成果が楽しみです。

ズッキーニはそろそろ初収穫の勢いです
トウモロコシには糠を追肥しました
キューリはあまり剪定せずに育てる予定です
畝2列にわたってトマトが元気に育っています

玉ねぎが収穫に向かって、玉を肥大させています。
苗の活着率は良くなかったのですが、生き残った苗は無事大きくなりました。

4月に苗を定植したキャベツとレタスのトンネルを除草のために剥がしてみました。
苗の活着率は60%ほどでしょうか。
追肥なし水やりなしのガッテン農法(自然農法)でやってます。
結果は?

苗を植えてから6か月たった玉ねぎです
キャベツの成育はゆっくりしています
レタスには一部べと病が出ていました・・・

一昨年の台風で崩れた河川の修復工事が行われています。
また、畑の畔を大家さんが除草してくれました。

近くに流れる五十鈴川の護岸工事をやっています
大家さんが例年通り畔の除草をしてくれていました

ベランダをDIY! その1

山小舎にはベランダがあります。
ふもとから古民家を移築するにあたり、前オーナーは山小舎らしくしようとベランダを取り付けたのでした。
2階建てのベランダで、1階からも2階からも出られます。

2階のベランダは、古い建具や材木などの置き場となっており、布団を干したり、玉ねぎを吊るしたり、煙突掃除をするときのほかは出ることもありません。

1階のベランダは、乾いて使えるようになった薪の置き場や、焚き付けの置き場、もみ殻・糠・燻炭の入った袋の置き場、になっています。
一番奥には前オーナーが、ふもとの集落の知り合いから譲り受けたという機織り機が鎮座しています。

このベランダ、母屋から張り出した屋根の下にあり、まったくの雨ざらしではないのがよかったのか、移築後20年以上、使用に耐えています。
といっても一見して経年経過を物語る塗料のハゲ具合といい、薪を運ぶたびに感じる不安感といい、何らかの手入れを待っている状況なのは明らかです。

塗装前のベランダ支え部分と1階部分

ベランダを支える柱を出入りの大工さんに診てもらったところ、「縦の柱には支えを入れましょう。横に渡した材木は栗材だから見た目より芯が残っていますよ」とのこと。
大工工事は専門家に任せるとして、現状のベランダの防腐・防水処理はできるだけDIYしましょう。

支えの柱と横渡しの栗材のつなぎ部分が腐り始めている
栗材の表面を覆うコケ

外壁の防腐・防水処理には塗装によるのが一般的です。
塗料には油性と水性があります。

よくある油性ペンキは防水性には優れていますが、長期的には塗料が剥がれて来たり、木材の水分発散を遮断して腐食を進めたりするようなのです。

ネット情報や、バイト仲間の「DIYおじさんたち」に聞くと、木材に浸透するタイプの塗料がいいとのことでした。
そのタイプで一番性能が良いと評判の、キシラデコールという油性塗料を買ってきました。
3リットルちょっとの缶がホームセンターで1万円ほどします!

油性防腐塗料では最高の性能を誇るキシラテコール

慣れない塗装作業のとっかかりに逡巡する山小舎おじさんでしたが、バイト仲間のDIYおじさんの一人などは、仕事の前後にちょいちょい家に塗装しているとのこと。
中には年に2回、梅雨前と冬前に雨のかかる部分を塗装しているというDIYおじさんもいました。
こういった生の貴重な情報に後押しされ、バイトから帰ったある日、山小舎おじさんも意を決して塗装に取り掛かりました。

ベランダの一番下の支えを塗装します。
長い間風雨のさらされてきた木材の表面にはコケが生えています。
栗材の端っこは土に埋まっており、掘りだすと腐って崩れ始めています。

コケをそぎ落とし、たわしでこすって水をかけ、雑巾で拭きます。
土に埋まっていた部分は水洗いして泥をとり去ります。
一日おいて塗装を始めます。

栗材を全部とにかく表面に出して泥を落とす
水洗いして泥を落とす

キシラデコールの缶を開け、よく振って空き缶に適量を移します。
まったくサラサラの塗料です。

塗ってみますと、たちまち木材にしみ込んでゆきます。
ペンキのようにがっちり色がつくこともありません。
長年の埃が固まったようなところは塗料のノリがよくありません。
腐食が進んだ部分にはとにかく厚く塗ってゆきます。

コンクリートに塗料が垂れないように養生する
塗り始める

翌日2度目の塗装。
しみ込み優先の塗料とはいえ、何度か塗ると、遠目には「手入れした感」を感じるほどにはなりました。
ここまでで3リットルほどの缶は3分の2がなくなっていました。

今度は1斗缶で買ってきて塗装を続けようと思います。
ドイツ製のキシラデコールと同様の性能といわれて値段が半分ほどの、ナフタデコールという日本製の塗料があるそうなのでそれにしようかな。

栗材と柱2本を塗り終える