家城巳代治と「弾丸大将」

家城巳代治は筆者が敬愛する映画監督です。

戦前に松竹に入社、渋谷実に師事し、1944年に監督デヴュー。
以降、松竹で4本を監督。
戦後は松竹の組合委員長を務め、1950年にレッド・パージの対象となり松竹を退社。
その後は、主に独立プロで「雲流るる果てに」(1953年)、「異母兄弟」(1957年)など社会派の力作を発表した。1976年死去。
妻は女優でエッセイストでもあった家城久子。

筆者は家城監督作品のうち「雲流るる果てに」、「ともしび」(1954年)、「姉妹」(1955年)、「胸より胸へ」(1955年)の4本を見ていた。
いずれも松竹レッド・パージの直後の独立プロ作品だ。

独立プロ作品とはいいながら「雲流るる果てに」の主演は鶴田浩二、「ともしび」には香川京子、「姉妹」には中原ひとみと野添ひとみ、「胸より胸へ」には有馬稲子が出ている。
いずれも邦画メジャー所属の俳優、女優だったりする。
これらの作品、「ともしび」を除けば配給が松竹、東映などメジャーによるもの。
パージされたとはいえ、家城は松竹で監督昇進した実力者であり、配給、配役の結果を見るにつけ、メジャー作品並みの扱いである。

妻の久子によるエッセイ「エンドマークはつけないで」が手元にある。
内容は家城と久子の出会いと結婚から死別までの間、久子自身の生き方(俳優学校への入学と女優活動、脚本執筆、子供が生まれた後の地域活動、家城プロの設立)を中心に、夫家城の松竹退社後の映画製作の苦労や文化人としての活動ぶりを愛情豊かにつづったもの。
家城監督については、その知識旺盛で誠実な生き方と映画撮影時の厳しさが活写されている。

家城監督と久子夫人

「雲流るる果てに」は特攻に没した学徒兵の手記をもとにした作品。
鶴田浩二が願っての主演。

作品は、特攻に臨む学徒兵の苦悩を中心に、毎日女郎屋に入り浸る仲間、脱走を誘った学徒兵が出撃した後は抜け殻のようになる女教師(若き日の山岡久乃)などの人物像を描写。

当時の教条的左翼史観からすると「好戦的映画」とも評されたと聞く。
しかしながら、鶴田がいつものヨタった演技が嘘のように熱演し、また滑走するゼロ戦を原寸大で再現しての力作。

戦時下を知る映画人の制作による淡々とした造りは、見る者の心にしみた。

「雲流るる果てに」より鶴田浩二と山岡久乃

「ともしび」は子役らを集めて地方に長期ロケした作品。
東北の戦後直後の中学生の生活ぶりが描かれる。

乳飲み子の末妹を背負い、学校に通う中学生は、妹が圧迫されないように立って授業を受ける。
囲炉裏端のランプの光を頼りにミカン箱で勉強する中学生のもとに補習に通ってくる先生(内藤武敏)を中心に陽気に笑い合う中学生たち。

作品のタッチは生活の厳しさのみを描くのではなく、子供たちの底抜けの明るさ、そこはかとないユーモアを欠かさない。

「ともしび」より香川京子

「姉妹」は忘れられない作品。
ダムの管理で山奥の社宅を転々とする一家の姉妹の物語。

妹役の中原ひとみがいい。
東映の番線番組では準主役の町娘が定番だった彼女がこの作品では芯のある娘を演じる(今井正の「純愛物語」の彼女も良かった)。

社宅の前の道は雨が降ったり雪解けの時は泥んこ。
その道を下駄で歩く姉妹。

河原で牛を飼う訳ありの夫婦(殿山泰司ら)がいる。
近所の嫌われ者の夫婦を「でも私は好きだよ」と何事もないように擁護する妹。

姉は結婚する、嫁入りはバスで。
花嫁姿の姉がバスの後部座席から手を振る。

なんということはない地方の庶民の生活が淡々と描かれる。
その貴重さ、強さ、楽しさ、美しさ。

「姉妹」より中原ひとみと野添ひとみ
姉の嫁入りの場面
「姉妹」演出中の家城監督。左から二番目は久子夫人。

家城監督の遺作は、妻の久子の脚本による「恋は緑の風の中」(1974年)。
家城プロの第一回作品で原田美枝子の映画デヴュー作でもある。

製作中に東宝の配給が決まったという。
やはり腐っても松竹の監督出身者、家城監督は何か持っている。

一人息子を育てた経験を持つ久子が脚本を書き、青春ものはと渋る家城監督を説得し、配給が決まらないままにスタートした作品だという。
筆者は未見。

「恋は緑の風の中」のノベライズ本。原田美枝子と佐藤佑介

家城監督は、1954年から7年間、東映と専属契約を結び9本の作品を作った。
「異母兄弟」という家城監督の代表作を独立プロで発表した後のことで、監督後期のフィルモグラフィーを成す作品群を東映で撮っていたのだ。

これには、時代劇で観客動員を続け、勢い余ってニュー東映なる配給ルートを作り、東映東京撮影所の現代劇で新配給ルートを埋めようという東映大川社長の思惑があった。
そこで監督として信用のある家城に話があったことがうかがえる。

東映で家城は、のちの東映のエース監督となる佐藤純也、降旗康夫を助監督に起用した「東映家城組」をなし、佐藤らとは後々まで師弟関係であった。
映画史に残ったり、賞を取るような作品は作らなかったが(「裸の太陽」のベルリン映画祭青少年向き映画賞受賞を除く)、当時の若手女優のホープ、佐久間良子や三田佳子を起用した興味深い作品群を撮っている。

今回、ラピュタ阿佐ヶ谷で「ニュープリント大作戦」と題した特集があった。
これまで数々の特集上映に際し、新しくプリントを焼いて(多くはラピュタ持ち出のことと思われる)上映した作品を集めた特集だ。
その1本に家城監督東映時代の「弾丸大将」(1960年)があったので駆け付けた。

「弾丸大将」 1960年  家城巳代治監督  東映

家城監督が東映専属になって3本目の作品。
テーマは米軍演習場で身の危険を冒して不発弾や薬きょうを回収する日本人の姿を通して、静かに反戦を訴えるもので、家城監督の信条から逸脱するものではない。

ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーに掲示されたポスター

手法的にはますます教条的左翼主義を排した自由なものとなっている作品。
主演の南廣扮する「不発の善ちゃん」は米軍演習場で不発弾を掘り出し、信管を抜き、火薬を抜いて売るのが得意。周りには、暴発により夫を亡くした未亡人(淡島千景)や、未亡人と両思いになった挙句暴発で死ぬ男(木村功)など、周辺の部落民が跋扈する。

善ちゃんは女(春丘典子)がいるものの、未亡人に惚れて通い詰めるが、未亡人は木村功が死んでから心ここにあらずとなり、偶然近づきになった米軍人と結婚を約束する。
渡米前の準備金にと不発弾を掘る未亡人だが善ちゃんの目前で爆死する。

映画はひたすら演習場で着弾地点へ「突撃」する善ちゃんたちを活写する。
善ちゃんたちは、戦争が終わっても自ら危険を顧みず、まっしぐらに行動する日本人そのものだ。
部落の飲み屋の描き方、善ちゃんと女の描き方、善ちゃんの未亡人への迫り方も描かれるが、家城監督らしくその描写に良識は失われない。

淡島千景と南廣

川島雄三ならハチャメチャに破廉恥に、今村昌平ならねちっこくいやらしく撮るであろう、田舎の無学な衆の居酒屋におけるふるまい、男の女への迫り方、は淡々と演出される。
人間の生態描写がこの映画のテーマではないということだ。

善ちゃんはまた教条的左翼ではないので、生活のためには米軍基地反対はせず、代わりにやってきた自衛隊に対しても弾拾いを敢行する。
実践的で生活力が旺盛なのだ。
それが善ちゃんの限界でもあるのだが。
善ちゃんは戦後のわれわれ日本人の姿なのだ。

特集パンフより

あまり効果的ではなかった(というか、もったいないキャステイング)が、都会から開拓部落にやってきた場違いな美人未亡人役の淡島千景。
こういったメジャーなキャステイングも、家城監督の実力と人脈がなせる業なのだろうか。

貴重な東映専属時代の家城作品に接することができた。

「弾丸大将」演出中の家城監督

山小屋冬の模様替え その1

冬を迎え山小舎の模様替えをします。

夏の間の採光のためにあけてある吹き抜けを閉じました。

夏の間、採光のためにあけてある吹き抜け

吹き抜けは、採光のためには良いのですが、寒さがきつくなるとせっかくの暖気が2階へ行ってしまい、1階に暖気が回ってくるのに時間がかかるためです。
日中も暖房をした日などはまだいいのですが、夕方外出から帰った日などは1階が冷えたまま夜となってしまいます。

1階のストーブの暖気を効率よく使うためには、暖気が回るスペースを狭くする必要があります。
吹き抜けを閉じることはもちろん、人のいない和室を閉めたり、浴室ヘ向かう通路や階段の下に断熱のためのシートを下げたりするのです。

その第一弾としての作業です。

コンパネを運んで閉じてゆきます

吹き抜け部分に張ってあったコンパネを元に戻します。
大小6枚ほどのコンパネをベランダから運び、手摺越しに吹き抜け部分に設置します。
設置するという程厳密ではないのですが、暖気が吹き抜けから2階に漏れないようにします。

閉じ終わった吹き抜け

2階が寒くなるということにはなるのですが、居住時間が圧倒的に多い1階の居間が温かくなり、灯油代も節約できるという利点に越したことはありません。

霜の朝

11月です。
霜月です。
山小舎は日が暮れると急激に気温が下がる季節となりました。

日中は日が当たると何とか表で作業ができます。
日が暮れるともうだめです、寒くて。

室内はストーブを焚きっぱなしです。
薪ストーブはもちろん、2台ある灯油ストーブも焚きます。
灯油代もかかります。

いつにもまして寒い朝、外に出てみると真っ白に霜が降りていました。

落ち葉が霜で白くなっています。
霜柱で地面が盛り上がっています。
玄関先のマットが凍り付いています。
屋根が白くなっています。

軽トラはウインドウが真っ白です。
出発するには、ウインドウの霜を手でこそげ落としつつ、暖気運転とワイパーの合わせ技で視界を確保しなければなりません。
ウインドウに限らず、マットを敷いた荷台が白く凍っています。

山小屋は冬直前です。

今年のリンゴ狩り

11月上旬、今年もリンゴ狩りに孫一家がやってきました。

山小舎の前で遊ぶ孫たち

夜に到着した一家を迎え、恒例の室内炭火焼き大会です。

最初の晩は炭火焼き大会

翌日はリンゴ狩りの予定でしたが、体調不調の下の孫娘のために無理をせず、近場の女神湖で遊ぶことにしました。湖畔のレストハウスでランチしながら秋の女神湖を楽しみます。
食後は湖畔の木道を歩きました。

女神湖で湖面を眺める
女神湖畔の木道を散策

女神湖の後は少し先の長門牧場で一休み。
大人にとってはここのソフトクリームが楽しみなのです(孫たちは、満腹後のスイーツには興味なし)。

長門牧場にて

翌日は満を持してのリンゴ狩り。
今年も小諸の松井農園にお世話になりました。

勝手知ったるリンゴ園。
秋映、シナノスイーツ、シナノゴールドなどをもぎ取りました。
紅玉を磨いてツルツルにするのも毎年の孫たちのお楽しみ。

リンゴ園にて
リンゴ園案内人御説明を受ける

今年の秋も山小舎をたっぷり楽しんだ孫一家でした。

玉ねぎの苗定植

今年も玉ねぎの苗を植えました。
例年11月に入るころ植えます。

追肥なしの農法なので、玉の肥大はありませんが収量はまあまあです。
また、硬く育った玉だと、もちもいいのです。
これまで保管中に腐ったことはありません。

今年は苗の入手が遅れました。
また、トレーで育成した苗が今年は売られています。
束の苗だと1本7円程度のものが、トレーだと11円ほどします。
トレーの方が活着率がいいのだそうです。

11月に入って、束の苗が手に入りました。
200本購入します。

植え方は例年通りのガッテン農法です。
畝を立て、薄く油粕を敷きます。
スコップなどで畝の表面を叩いてから、マルチを敷いて、根を切った苗を、体重をかけて定植します。

今年は、事前にボカシ堆肥を施しました。
ガッテン農法開始後、数年たち、その間肥料を施していない畑です。
半年の間生き続ける玉ねぎの成長促進を、と思っての施肥です。

前作のマルチを剥がし、除草して、ボカシを施し、均しておいた畝を準備します。
スコップで表面を叩きます。
マルチを架けます。

根を切った苗を準備します。
体重をかけて植えてゆきます。
圧力をかけることによって、根と土壌の接着が強まります。
潅水も何もなしで半年間放っておく苗が、自力で根を張り、水と栄養分を吸い上げるためです。

200本の植付終了です。
しばらくしたら活着の確認に来る予定です。
寒さに耐え、来年6月には収穫期を迎えてくれることでしょう。

八ヶ岳冠雪

11月中旬。
東京の帰宅から茅野駅に戻りました。

目前にあったのは新雪に輝く八ケ岳の姿でした。

茅野市内から望む八ヶ岳連峰

茅野市内は紅葉もまだ盛りです。
八ヶ岳連峰からが目を左に転じると、これまた薄く新雪を頂いた蓼科山の姿がありました。

市内には紅葉が盛り
冠雪の蓼科山

この季節、日も短いのですが、日が暮れた後の気温の低下が急です。
寒い夜を過ごした翌朝、外に出ると降雪の後が残っていました。

うっすら雪が積もった山小舎周辺

落ち葉はすっかり散り終わっています。
日が昇ると気温が上がるのですが、それでもストーブを焚きっぱなしにしないと過ごせません。

落ち葉は散り終わりました

日差しを頼りに、泊って行った孫一家が使ったシーツ、布団カバー、タオルケットを洗って干します。
外で乾かない分はストーブを頼りに室内干しにの予定です。

日差しを頼りに洗濯物干し

冬の到来を待つ山小舎周辺です。

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代② ジャック・フェデーとフランソワーズ・ロゼエ

トーキー移行で、アメリカやドイツに後れを取ったフランス映画は、1930年になってトーキー時代を迎えた。
そのころにフランス映画界は、サイレント時代にデビューを果たしていた、ルネ・クレール、ジャン・ルノワール、ジュリアン・デュヴィヴィエらが監督の中心におり、その一人にジャック・フェデーがいた。

フェデーはベルギーの生まれ。
サイレント時代のフランス映画界で頭角を現し、ハリウッドのMGMと契約して渡米。
何作か発表したものの評判に至らず、フランスに戻っていた。
夫人はフランス演劇界の大女優、フランソワーズ・ロゼエである。

ジャック・フェデー

1930年代のフランス映画は、歴史的名作、「巴里の屋根の下」(1930年ルネ・クレール)、「望郷」「舞踏会の手帖」(いずれも1937年ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)、「どん底」(1936年 ジャン・ルノワール)などなど、を生みだし続けていた。

フェデーはこの時期に「外人部隊」「ミモザ館」「女だけの都」を発表する。
いずれも夫人フランソワーズを主演ないし重要なわき役に配した堂々たる規模の大作である。
この3作品によりフェデーはフランス映画界に永遠の名を残した。(フェデーはこの後、製作者のアレクサンダー・コルダに招かれてイギリスへ渡り、1948年に没)。

「フランス映画の歩み」表紙

では、世に言われるフランス映画の特色とはどういったものか。
ここに1冊の研究書がある。
題して「フランス映画のあゆみ」(岡田真吉著 1964年刊)。
著者はフランス映画(とフランス語)に資するところがあり、ジャン・エプスタン、ルネ・クレール、ロベール・ブレッソンらと文通して、彼らに質問したり、自らの映画批評を仏訳して送ったり、彼らから撮影台本を譲り受けたりしたという人物。
のちにフランス映画人たちの理解を得、何度もカンヌ映画祭に招待されたという(健康問題で渡仏は実現せず)。

ここでは、本著の第一章の要旨をもってフランス映画の特質、優秀性の引用としたい。
まずフランスの深い歴史的伝統に裏打ちされた文学的精神があること。
またフランスの文化的伝統たる演劇性に深く裏打ちされていること。
演劇的伝統はフランス映画に修辞作家の独立をもたらしたこと。
演ずる俳優たちが演技者として優秀であること。等々。

そして、フォトジェニイという映画的手法を確立したこと。
フォトジェニイとは「カメラに捉えられて一つの映像となるとその精神的価値を増加させる一つの資質」(同著P13)とある。
フランス映画が事実を追うだけでなく、人物の心理の陰影や性格を描いたり、一つのシチュエーションをそれが持つ情緒を浮かび上がらせるように描くことを志向するときの一つの映画的手法であり、モンタージュという概念と並ぶ映画芸術の本質を規定する要素、だという。

「フランス映画の歩み」目次

ヌーベルバーグの時代、雑誌「カイエ・デュ・シネマ」のフランソワ・トリュフォーらにより、全否定されたこの時代の作家と作品(クレールを除く。ルノワールは別格)。
しかしながらDVDで見たフェデーの作品は、作品の規模、俳優の演技力、脚本の完成度ともに一流のもので簡単に否定し去るものではなく、むしろフランス映画文化の伝統と奥深さを感じさせるに十分なものだった。

「外人部隊」 1934年  ジャック・フェデー監督  フランス

名花マリー・ベル扮する薄幸流転の場末の歌姫。
ピエール・リシャール=ウイルム扮する、無責任の挙句親族に国外追放されモロッコの外人部隊に流れ着く主人公。フランソワーズ・ロゼエ扮する場末の宿兼バーのいわくありげな女主人。
フランソワーズの宿六には「恐怖の報酬」が忘れられないシャルル・バネルが扮する。

役者がそろったところで観客はモロッコの場末で繰り広げられる「半端者」たちのグダグダの世界へ案内される。

フランソワーズ・ロゼエ(右)

主人公は悪気はないが苦労なく育った坊ちゃん。
パリで女に入れあげた挙句、親族の会社の金を使い果たして追放される。
金だけでくっついていたぜいたく好きの女フローレンス(マリー・ベル二役)は去る。
主人公は流れてモロッコの外人部隊へ。

外人部隊で友を得る主人公。
友は何くれとなく主人公の世話を焼いてくれる。
そう、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942年 ルキノ・ヴィスコンテイ)で無賃乗車の主人公を救ってしばらく面倒を見た放浪の香具師のように。

友はその過去を問うた時だけは激高した。
「お互い過去は詮索しない約束ではないか!」と。

主人公は、定宿の女主人(フランソワーズ・ロゼエ)に気に入られている。
必ず当たるので、女主人はやりたがらないトランプ占いでは、「かつての女と再会し、人を殺すが巨額を得る」と出る。
その占いは、流れ者同士の寄る辺ない一夜の暇つぶしであったはずだ。

宿の女将が主人公を占う。フランソワーズ・ロゼエ18番のシーン

友と訪れたバーで、忘れられないフローレンスとそっくりのイルマ(マリー・ベルニ役)を見る。
イルマは歌っても華がなく、席に着けば素人っぽくぎこちない酒場の女である。

どこから流れてきたのか本人も覚えていないこの女を主人公は見染める。
フローレンスが自分を追いかけてきてとぼけているたのだろう、と思う。
外人部隊で苦労しようとどうしようと、お坊ちゃんはどこまでも自分本位なのである、悪気はないが・・・。

場末のキャバレーに流れてきた女。マリー・ベル二役

過去に翻弄され、汚濁にまみれて流れてきた場末女イルマに扮し、やっとのことで主人公に心を開いてゆく、女ごころのいじらしさを演じるマリー・ベルが素晴らしい。

のちの世から見れば、お涙頂戴の不自然極まりない芝居なのかもしれないが、いいものはいい。

ラスト近く、アラブの王族とオープンカーでカサブランカを行く、本物のフローレンスと邂逅した主人公は一も二もなくなびいてゆく。
フローレンスが己を愛しているというついぞ捨てきれぬ己の幻想を信じ、またマルセイユ行きの切符2枚まで買ったイルマを船上に捨てて。

まるでサイレント時代のグロリア・スワンソンのような白一色のファッションで、王族のオープンカーから降り立つフローレンスに扮するマリー・ベルも光り輝いているが、人を信じるという経験すらない場末の女が、純粋だけは取り柄の主人公に触れて人間の心を取り戻してゆくイルマを演じ分ける、別人のようなマリー・ベルが忘れられない。

主人公の「身代わり」で激戦地に出陣し、戦死して帰ってくる友。
遺品を宿の暖炉にくべながら、ロシア語新聞に芸術家として紹介される友の記事を見るやるせなさ。

戦友の遺品を燃す。ロゼエと主人公

外人部隊が楽隊を先頭に街に入ってくる、子供らが行進に付きまとう。
モロッコの酒場での、カンカン踊りのようなベリーダンスのような、煽情だけをむき出しにした女たちのふるまい。これらをドキュメンタルというか、感傷なしに描写するジャック・フェデーの視線は乾いている。

「女だけの都」 1935年  ジャック・フェデー監督  フランス

パリ郊外に組まれたという16世紀フランドル地方都市の大オープンセット。
城内はお祭りの準備で市民が天手古舞。

市長一家のおっかさん、フランソワーズ・ロゼエも大忙し。
家では末っ子を風呂に入れ、女中のおしゃべりをぴしゃりと制して指図し、恋多き愛娘の訴えには親身にアドバイスをくれる。
そこには、モロッコの果てで占いトランプを前に斜に構える憂いに満ちたロゼエの姿はない。
庶民的で男勝りの肝っ玉おっかあの役も彼女に似合う。

フランソワーズ・ロゼエは娘にとっては頼もしいおっかさん

ロゼエの達者な演技に見とれるだけで本作を見る意味は十分あるのだが、フェデーと脚本のシャルル・スパークは寓意に満ちた本筋と練られたデイテイルを駆使して観客をぐいぐい引っ張る。

時はスペインの治世、公爵一行が城壁都市にやってくる。
思わず最悪の事態が頭をよぎる。
略奪、凌辱、拷問、殲滅の幻影。

市長ら男たちは肖像画のモデルを早々にやめて、死んだふりを行うことにする。
ここで立ち上がったのがロゼエおっかさんを中心にした女性達。
日頃から男どもの優柔不断にはあきれており、野生的なスペイン軍を思うと心ときめく、とともに体を張って外敵を迎えることを決議する。

城壁都市にスペイン兵が進駐

女達がスペイン兵たちをエスコートして街に入場する。
さっそく、男らしいスペイン将校たちに取り入るおかみさんたち。
市長夫人のロゼエは公爵にべったり。
年甲斐もなくよろめきかかる。
ここではさすがに踏みとどまり、愛娘の結婚保証人を公爵に願い出るが。

公爵一行の随行者に生臭坊主と小人がいる。
坊主にはルイ・ジューベが扮して笑わせる。
フェデー堂々の宗教権威批判だ。

幻影のスペイン軍の乱暴狼藉シーンは当時としては衝撃的でリアルな描写。
スペイン兵たちと市民たちが入り乱れる飲み屋のシーンも猥雑。
ここら辺は「外人部隊」にも共通するフェデーのリアルで乾いた描写ぶり。

中世市民のおおらかさを寓話的に描き、フランソワーズ・ロゼエの演技力という力技を加えた勢いで突っ走った快作。
古さは感じない。

キイロスズメバチの巣を撤去してもらう

山小舎周辺は野生生物の宝庫です。
鹿などの動物、昆虫類が嫌という程います。

春先になると毎年ハチがブンブン飛び回ります。
スズメバチ、あしながバチなどが多い印象です。

スズメバチは山小舎周辺に巣を作りたがります。
これまでも、2階の軒下、ベランダの軒下の廃ストーブの中、玄関先のコンパネの下に巣を作りました。(いずれも撤去)

今年も山小舎の周りには、常に1、2匹のスズメバチがブンブン飛び回っていました。
割ったばかりの薪が好きなようで、止まっているときに殺虫剤をかけたりはしましたが、特に害はなかったのでほおっておきました。

これがいけなかったのでしょう。
夏が終わり、後片付けのシーズンとなり、ベランダの軒下に廃材などを収納していた時に何気なく見た先に、立派なハチの巣がありました。
コンテナの中にすっぽりはまるように巣が形成されています。
不気味な姿にびっくりしました!

軒下のコンテナの中にできていたキイロスズメバチの大きな巣

発見時は10月下旬。
朝晩の寒さで巣にはハチが活発に出入りしているようなことはなく、むしろ巣の表面に張り付いた数匹のハチが全く動いていなかったので、これまで気が付きませんでした。

慌ててその場を離れましたが、改めてよく見ると、巣の表面に張り付いたハチがゆっくり動いています。
これを見て、一時は自力で巣を撤去できるのでは?と考えましたが、断念しました。

東信消毒という佐久市の茂田井にある駆除業者に駆除を頼みました。
スズメバチの巣の駆除は1万8000円から2万円の料金とのことでした。
2、3日後に業者がやってきました。

防御服を着てネットを被った業者が現場に入ってゆき、あっさりとコンテナごと巣を引き出しました。
巣はコンテナ一杯にはまっています。
ハチが巣から飛び出してはきません。
業者は引き出した巣を構わず刃物で解体してゆきます。

業者があっさりコンテナを取り出す
コンテナから現れたのはミツバチ用の巣箱に作られた巣

コンテナの中にはミツバチ用の巣箱が入っていました。
この巣箱を利用してキイロスズメバチが巣を作っていたのでした。
6月ころから作られた巣はすでに繁殖の役割を終え、たくさんのハチなども死滅し、女王バチは越冬場所に移っているとの説明でした。

巣箱ごと巣を取り出して解体を始める
巣箱の外側の巣を削り落とす
巣箱の中からは孵化しなかった繭などが

ワンチャン、山小舎おじさんが自力で対処しても無事に巣の撤去ができたような状況でした。
今回は無理しなくてよかったでしょうが。

キイロスズメバチはオオスズメバチなどよりの人間に対して攻撃的なこと。
ここ山小舎付近はハチの往来が多く、近所にも巣があるのではないか?ということ。
巣を撤去するなら6月ころか、あるいは10月過ぎがよいこと、などを聞きました。

取り出した巣は、巣食っていたミツバチの巣箱ごと焼却炉で燃やしてしまいました。
これで今年のハチ関係は一件落着です。

巣箱ごと完全燃焼させてスッキリ

撤去しやすい場所だったこと、危険性がほぼなかったこと、から費用は1万1千円で済みました。
良心的な業者さん、ありがとう。
ハチについて勉強になりました。

ベンチを塗装

いらなくなった木製ベンチをもらってきました。
まだしっかりしており、塗りなおせばベンチとして再利用できます。
また、こういった台が外にあると、いろいろ便利なのです。
一から作るとなると大変ですが。

しばらく物干し台の下に放置していたベンチを作業台に移動します。
表面の塗装を削りきれいにしようと思います。

もらってきた古いベンチ

ドラムを引いてコードをつなげます。
サンダー(研磨機)でやすりをかけるのです。

ドラムを出してコードをつなげ
サンダーにつなぎます

ぱっと見はそれほど汚れていなかったベンチの表面ですが、研いてみるときれいになるものです。
塗料の乗りもよくなります。
この研きを手でやるとなると大変です、サンダー様様です。

サンダーで磨くと木地が現れます
横の部分にもサンダーをかけます

研くのはベンチの表面(座る部分に渡してある板の上側)と、脚の外側、くらいにします。
要は目立つところだけはきれいに仕上げようという魂胆です。

研き終わったベンチ

ケミソートというコールタール由来の防腐塗料を塗ってゆきます。
しばらく使っていなかったので一斗缶をよく振ってから塗りましたが、それでも混ざりが悪く、塗料がさらさらしています。

塗料を取り出します。塗る前に振って攪拌します
ケミソートを塗り始めます
一度目を塗り終わったところ

表から裏側まで塗った後、乾かして、表側を二度塗りします。
一晩おいて完了です。

二度塗りして一晩たちました

ハックルベリージャム

畑で収穫したばかりのハックルベリーでジャムを作りました。
毎年恒例です。

栽培したのはガーデンハックルベリーという品種。
ベリー類ではなくナス科の植物です。
アクが強いので生食は不向き、ジャムなどに加工します。
ポリフェノールの含有量はブルーベリーより多いといわれています。

信州に来てから、直売所などで初めて見る野菜に驚きました。
夕顔、ナツメ、青いトマト、ナスの葉、巨大ズッキーニ、食用ほおずき、など。
その一つにガーデンハックルベリーがありました。
購入したときにレジのおばさんから「生じゃ食べられませんよ」と念を押されたのを覚えています。
袋には説明書が入っておりその通りにジャムに煮て食べました。

次の年からは苗を買って栽培しています。
夏の暑さと乾きには弱いのですが、寒さに強く、11月になっても枯れない印象があります。

さて、収穫した実を加工しましょう。
まずはあく抜きです。

収穫して洗ったハックルベリー

実が硬いので時間をかけて茹でこぼします。
紫のゆで汁になったらあく抜き完了です。

茹でこぼしてあく抜き

次いで、砂糖とレモン汁を入れて煮ます。
煮ていても実崩れしません。
汁がとろりとし、実が柔らかくなったら出来上がりです。

畑のハックルベリーは結実から時間が経過していたので種ができており、煮汁の中に細かな種がこぼれ出ていました。
もちろんこれでOKです。

砂糖を投入
火にかけてあく抜き
煮詰まってきた
並行して保存瓶を煮沸消毒
瓶に密封して出来上がり

1年分のポリフェノールを摂取しましょう。