トマト豊作!

トマトが豊作です。
家族や出荷先の彩ステーションのお年寄りの方々に喜ばれています。
東京にはこのトマトのファンもいるとのことです。

約2週間の放置ののちの畑のトマトです。
収穫時期を逃したトマトが一山採れました。

2週間ぶりのトマトの畝
この日の収穫。自宅へ発送用に
出荷はできないものの加工には使えるトマトが一山

このトマトは傷んだところを除き、煮て冷凍しました。
水煮缶とは比べ物にならないほどおいしいトマトソースになります。
このトマトソースを使ったミートソースは、うちの曾おばあさんも、孫たちも大好物で、のどを鳴らして食べてくれます。

完熟トマトを煮る

翌々日も一山収穫がありました。

翌々日も一山収穫

トマトの豊作、ガッテン農法の教科書通りに畝づくりをした成果でしょうか。
苗は1本100円程度の自根の苗です。
無肥料で、えひめAIの希釈液を1,2度根元に散布しました。

反省点としては最盛期の管理をもう少し丁寧に行うことと、支柱をもっと密に立てておくべきだったことでしょうか。

ピーマンも採れました
収穫機を逃し種をたっぷり含んだキューリも
セロリ初収穫です
小豆が鞘をつけています

裏の小川が流れている

令和3年の夏は西日本で豪雨があり、水害が発生しました。
その前には熱海で盛り土の決壊による土石流災害が発生しました。

長野県では令和元年秋の台風19号による水害の記憶が新しいところです。
当時の被害の復旧は現在でも行われており、上田電鉄別所線の千曲川鉄橋の復旧は今年の春までかかりました。

山小舎おじさんの畑付近の川の護岸の復旧工事はただいま現在行われているところです。

本日、山小舎の裏では、小川が音を立ててが流れていました。

8月上旬の長めの「休暇」を家族と共に過ごし、山小舎へ戻ってみると、標高1400メートル近い場所のお盆過ぎという季節とて、初秋のころのを思わせる空気感は致し方ないとしても、この間の長雨による小川の水流の音には、自然相手に暮らす山小舎の厳しさを痛感させられました。

音を立てて流れる裏の小川

この小川、台風など大雨があった後にしか流れが起きません。
普段は枯れています。
山が大水を処理しきれなかったときにだけ排水を行う安全弁のような存在と思われます。
また、上流のほうに属するため、水流が発生しても周りに害をもたらすほどの水量には至っていません。

ただしそれもこれも、今まではそうだったというだけのこと。
「体験したことのない」災害が定期的に発生するようになった日本のこと、今後もそうだとの保証はありません。

小川の岸には様々な漂流物が。近年にない流れの激しさを物語る

幸い今回の水流にしても、護岸設備を崩すほどの害はありませんでした。
組んだ丸太は崩れていません。
ただ、丸太の隙間や土台を埋めるために配置しておいた石やブロックが崩れていました。
流れは護岸丸太のすそを洗っていたのです。

護岸の丸太は崩れていないが、固めておいたブロックなどが散乱している

今後、どんな流れが発生しないとも限りません。
その際、丸太で守られている護岸を崩し、ひいては山小舎の土台に影響しないとの保証はどこにもありません。
引き続き護岸工事の継続の必要性を痛感する今日この頃です。

青春18きっぷ

青春18きっぷというJRの企画乗車券がある。
全JR線の普通列車が乗り降り自由で、春、夏、冬の3シーズン発券され、現在の価格は当日限り有効の券が5枚ついて12,050円。
使い方によってはかなりお得な切符となる。

8月上旬から中旬にかけてを家族と過ごした山小舎おじさん。
東京の自宅から山小舎への帰還用に、思い立って18きっぷを購入した。

2021年版青春18きっぷ

東京・三鷹から長野・茅野まではJRの乗車券が3,080円(営業キロ数171,1キロ)。
高速バス料金が、高速深大寺・高速茅野間で3,300円(予約なし当日現金料金)。
比べると18きっぷの1日乗り放題約2,400円は、金額的には、かなり割安となる。
しかも乗り降り自由の特典付き(ちなみに、高尾から茅野までの乗車券を買うとすると途中下車できない)である。

独身時代、東京から札幌への帰省に18きっぷを使ったことがある。
当時は上野から青森まで、普通列車を乗り継いで1日で行けた。

第一日目は青森駅の連絡船待合室で仮眠をとり、翌早朝の青函連絡船で函館へ。
朝発の札幌行きで計二日がかりで帰省したものだった。

途中の東北線は長い時間だったが、上野発の普通列車を黒磯、郡山、仙台、小牛田、盛岡、野辺地などで乗り継ぐ旅も若者にはいい経験だった。
暑い季節とて、持って行った手製の握り飯が、昼食時、栃木の黒磯あたりで包みを解いてみると、はや、すえて(痛んで)いた、という残念な思い出もある。

帰りも18きっぷの残りを使い、当時の発売価格約10,000円で東京・札幌を、計4日(4枚使用)がかりで往復した。

さて2021年の青春18きっぷ。
三鷹駅のみどりの窓口で購入し、そのまま高尾経由甲府行きに乗り込んだ。

昼前の甲府行き普通列車は思いのほかガラガラ。
コロナのせいか、夏休みのせいか。

高尾発甲府行き普通列車社内。最後尾に事業用荷物が積まれている

高尾の次の駅は早くも相模湖駅。
小仏峠を越えればそこは脱東京の風景が広がっていた。
夏の日差しが降り注ぐ。

笹子峠を越えて、甲府盆地へ入れば富士山の姿を里山越しに仰ぎ見つつ、暑く湿った盆地の夏を行く・・・のはずが曇が出始めたせいか、夏の靄のせいか富士山は見えず、普通列車の旅は続く。

笹子峠を越えた勝沼あたりの風景
この日の甲府盆地は富士山が望めず

甲府で下車し、昼食がてらの市内漫歩。
列車の旅では途中下車することの多い甲府の街。
今日の散策は駅から南の街の中心街方面へ。

コロナなのか夏休みのせいか、人出も少ない甲府の街。
飲食店には「県の要請により休業」との張り紙が目立つ。

15時過ぎの長野行きをホームで待つ間、空は一転雨模様。
乗車後、韮崎のあたりでは車窓を雨粒がたたく。

長野へ入り雨が上がる。
茅野駅到着。

反対側の上り線ホームには制服姿の高校生の群れが降り立つ。
長野県は8月20日前に2学期開始か。

長野行きを待つ甲府駅ホーム
茅野駅に到着

長門牧場

8月上旬。
家族と娘一家が山小舎にやってきました。
5泊してゆきました。

孫たちが滞在中に必ず訪れるのが長門牧場。
地元長和町の株式会社組織の観光牧場です。

標高1400メートルの高原に、東京ドーム45個分の敷地を持っています。
観光用には牛、馬、羊、アルパカなどの餌やりや乗馬体験などができ、レストハウスや売店があります。
ソフトクリームのおいしさが地元では有名です。

牧場の名称は旧町名である長門町から来ているものと思われます。
合併して長和町になった現在も地元の有力企業の筆頭格です。

この日は青天。
容赦ない紫外線が降り注ぎます。
まさに高原の牧場日和、ソフトクリーム日和です。

ホルスタイン種の牛も手から草を食べる

ただただ芝生が広がるだけで子供たちはご機嫌です。
餌を求める動物がいればさらに興味が広がります。

サフォーク種の羊に餌(そこら辺の草をむしって)やり

山小舎からは車で20分ほど。
白樺湖の傍らを過ぎ、女神湖を越え、雨境峠を越えたあたりに長門牧場はあります。
かつては山小舎おじさんも、ここで春に畑の肥料用に牛糞をもらっていました。

旧制松本高等学校

戦前から戦後直後にかけて、日本の学校制は今と違っていた。
旧制中学を卒業すると、次の進学先は旧制高校だった。
旧制高校は現在の新制高校と違い学校の数も少なく、文字通りエリートが通うところだった。
現在の学校制下では大学の教養課程に相当した。

松本に旧制高校ができたのは、大正8年。
9番目に設立された官制高等学校で、地名スクールとしては初の設立だった。
地名スクールとは、設立地名を冠する学校のことで、一高(東京)から八高(名古屋)までのいわゆるナンバースクールの後に設立された学校であることを表していた。

松本のあがたの森公園に旧制松本高等学校の校舎が残されていると聞いて行ってみた。
松本駅からは2キロほど。
住宅地の中に公園がある。
その中に旧制高校の本館の一部と講堂が残っている。

本館の建物正面
本館内部の廊下

歴史を感じさせる建物。
正門から続くメインルートにはヒマラヤスギの巨木が、往時を記憶するかのように並んでいる。

本館と講堂の間のメインルート

この日、講堂では信州大学のオーケストラが練習していた。
また本館には公園事務所のほか、図書館などが入っている。
往時を偲ばせるものとしては、本館の中に校長室などが復元されている。

講堂ではオーケストラが練習中
本館にある復元された校長室

本館に隣接して旧制高等学校記念館という建物がある。
これが実にユニークな施設だった。

展示内容は広く旧制高校の歴史から、松本高校に関する様々な資料まで。
特に松本高校に関しての展示は実に念入りで、思誠寮という学生寮の部屋の再現から、山岳部の穂高岳登頂ルート再現のパノラマ模型、名物教授たちのプロフィールなどなど、これでもかと並んでいる。

寮の部屋が再現されていた(実物に比べるとずいぶんきれいであると思われる)

 バンカラ、学生自治、などというすでに世の中から絶滅した言葉があるが、例えば40年前の大学の一部には、片鱗が残っていたそれらの概念は、旧制高校から生まれたのだという。
学帽に下駄のスタイルはともかく、寮の暮らしぶりや自治などは、山小舎おじさんの世代にとっても懐かしさに満ちたものだ。

往時の松本市内の映画館前にたたずむ松高生
花街で遊ぶことも忘れなかった

「どくとるマンボウ青春記」という書物がある。
旧制松本高校OBの北杜夫による独特のユーモアに満ちた青春時代の自伝だ。

この作品では何といっても思誠寮に暮らしたバンカラ時代の描写が印象的で、ストームなど当時の寮生たちの生態のほか、名物教授たちの生態までが遠慮なく活写されている。

展示室にはビデオコーナーがあって、北杜夫のほかに映画監督の熊井啓などのOBの対談を視聴することができた。
旧校舎の庭で機嫌よく対談するOB達の映像の合間に、名物教授や世話になった食堂のおかみさんたちの話が挟まる。

談話するOB達の視聴資料。左から熊井啓、北杜夫

「どくとるマンボウ青春記」に数学の名物教授を描いた一節がある。

終戦後の春、2年生となった主人公が学徒動員と戦直後の混乱から解放されて学校へ向かうと、グラウンドでは荒縄を着物の帯代わりにした格好の人間が砲丸を投げたり走ったりしている。
なんで乞食があんな真似をしているのか、さすがに高等学校とは変わったところだ、と思った。云々

乞食に間違われたのが蛭川先生という名物教授で、生前の姿がビデオに登場する。
まさか「どくとるマンボウ青春記」に出てきた名物教授の実物を映像で眺められるとは!
一読者としても感無量であった。

これが伝説の蛭川先生の晩年の姿だった・・・

思誠寮の建物はすでに取り壊されて駐車場になっている。
本部と講堂以外のスペースは公園として市民の憩いの場となっている。

市民とOB達の旧制松本高校への思いは、資料館に簡潔に濃縮された形で強烈に残っていた。

寮があった場所は駐車場になっていった
公園の一角に立つ松高の記念碑
一帯はあがたの森公園として保存されている

松本スイカ村

松本周辺はスイカの産地。
松本市波田地区などが名産地として有名だ。

JA松本ハイランド和田支所では、毎年7月から8月にかけて、スイカ村が開かれる。
農協の集荷場に生産者がスイカを持ち寄り、農家ごとに運営する直売所に地元客などが並ぶ、松本地区の夏の風物詩だ。

山小舎おじさんはある年のラジオのローカル放送で、スイカ村のことを知り、その後は毎年のように通っている。

松本のスイカは美味しいらしく、娘がつわりの時に送ると、「これだけはのどを通る」と喜ばれた。

おととしだったか、山小舎に集まった家族を連れて訪れると、いつもずらりと並んでいるスイカの姿がなく、客の姿も閑散としていたっけ。
聞くと天候不順で収穫量が少ないとのことで、買えなかった。

今年はどうか?
8月に入った1日、毎年の風景に誘われるように、暑い暑い松本盆地へ向かった。

山小舎から上田エリアへ下り、鹿教湯温泉わきの三才山トンネルを通って松本エリアへ入る。
市街地を迂回して、上高地から流れる梓川に沿って南下し、目指す、JAハイランド松本和田支所へ向かう。

夏雲をバックに流れる梓川

日曜日とあって、広いJA構内は客が集まっている。
直売所のテントは数張りあるが、客が集まっているのは毎年同じテント。
期待通りの風景が展開している。

一番人気のテントに今年も並ぶ。
次から次へとスイカが売れてゆく。

L玉を2個買う。
かつては1600円ほどのL玉が今年は1900円だ。

スイカ村ならではの、集荷場にずらりと並んだスイカの列。
暑い中集まってはスイカをぶら下げて帰ってゆく人々。
今年もいつもの風景が見られて安心した。

スイカは今週山小舎にやってくる、家族と娘一家へのお土産としよう。

一番人気のテントに並ぶ
テント内ではおばさんたちが懸命の客あしらい
集荷場でも大忙し
直売所への出荷を待ち受けるスイカの列
今年もスイカ村は盛況だった
L玉を2個買ってきました

野菜の出荷は朝に

標高1400メートルに近い山小舎から、標高700メートル台にある畑まで軽トラで20分ほどかかります。
のんびり走ればもっとかかります。

夏野菜の出荷シーズン真っ盛り。
週に1、2度の出荷をします。

去年までは畑作業の都合に合わせて、夕方などに出荷していました。
本来は朝に収穫するのがいいのですが、行きかえりに時間がかかる畑なので、行った以上はほかの作業も併せて行うことが多く、作業の最後に収穫してそのまま出荷することが多かったのです。

今年の夏は山小舎周辺もカンカン照り。
標高1400メートルの山小舎周辺でも、外に出て日差しを浴びるのが苦痛なほどの日が続きました。

そんなときは、標高700メートル、灼熱の畑作業などもってのほか。
野菜たちも葉っぱがヘタるのはもちろんのこと、ナスなど実がふわふわしているような気がするのです。

そんなことで、今年からは頑張って収穫、出荷は朝のうちに行うことにしました。

朝。
刻一刻と日差しがきつくなってきます。
まずインゲンから収穫します。
この日はボール一杯採れました。

インゲンは今を盛りと成っています

次にキューリ、ナス、トマト、ズッキーニの畝へ。
大きくなりすぎたズッキーニ、キューリもとにかく収穫してしまいます。
収穫後の野菜は、直射日光に当てないように注意します。

この日の収穫。ナスを初出荷しました

収穫した野菜を段ボールに詰めてゆきます。
大きなものは新聞紙に包んで、段ボールの中での結露に注意します。
インゲンやミニトマトはビニール袋を使います。

去年までは小分けして荷造りし、また値段もこちらで決めていたのですが、今年からはなるべく小分けせず荷造りし、値段も先方任せにしています。

この日の荷造りです
納品書を同封します

畑からさらに15分ほど走ったところにある、ヤマト運輸の営業所で発送します。
最寄りのコンビニからはクール便を受け付けてくれないので、営業所へ出向かなければなりません。

ヤマト運輸丸子宅急便センター

今年も山小舎おじさんの野菜を「消費者」が待っているとのこと。
「生産者」としては大きな励みになります。

ニンジン種まき、ジャガイモ試し堀り

秋の収穫に向けてニンジンの種まきをしました。

品種にはこだわらず、地元系の安めの種を選びました。

例年8月になってから蒔いていたのですが、地域の畑をやっている人のフェイスブックを見ると、もう蒔いていたので今年から7月中に蒔くことにしました。

今年蒔いたニンジンです

ためねぎを収穫した後の畝を除草し、大まかに畝を立てます。

今までは発芽のために水をまいたり、新聞紙をかぶせたりしていたのですが、今年は「ガッテン農法」の教えを遵守。種まき後にしっかり足で鎮圧するだけの方法にしました。

炎天下の土は表面はカラカラですが、鍬で起こすとほどほどに保水されており、大丈夫ではないかと・・・。
無肥料です。

雑草をどかして畝を用意
蒔いた畝を何度も踏みしめます

ジャガイモの地表部が枯れてきました。
7月は高原でもジャガイモの収穫時期です。

試し掘りしてみました。

地表部が枯れて、雑草に埋もれたジャガイモ畑

インカの目覚めという品種の畝は地表部が枯れ切って掘り起こしを待っています。
残念ながら芋が小さいものばかりでした。
肥料が必要な品種だったのか?何かが合わなかったのか?

男爵も収穫時期です。
一株掘ってみると小ぶりながらまあまあの芋が出てきました。

今月中には収穫したいと思います。
一部は来月やってくる孫たちの収穫体験用に残しておきます。


男爵を穂と株試し掘り

黒四ダム

令和3年7月中旬。
家族が山小舎に来たので、黒部まで行ってきました。

絶景地として名高い黒部ダムを見たかったのです。

今回は黒部第四ダムを見て引き返すルートにしました。
黒部立山ルート全体は、長野県信濃大町から富山県までですが、富山まで行ってしまうと帰りが大変なのです。

山小舎から長野側の出発点、信濃大町・扇沢までは車で行きます。

高速・安曇野インターを降りて、北アルプスのふもとの田園風景の中を扇沢を目指します。
扇沢は観光道路・黒部立山アルペンルートの基地でもあり、北アルプスの登山基地でもあります。

ここまでの道路は交通量も少なかったのですが、扇沢の駐車場はほぼ満車の状態でした。
観光客のほかに登山客の姿も目立つ扇沢駅です。

扇沢駅のバス駐車場
駅の券売所。登山姿も目立った

ここから電気バスでトンネルをくぐり黒四ダムを目指します。
最近までトロリーバスが走っていたルートです。

一車線の幅のトンネルがダムまで続きます。
途中一か所、バスが交差できる幅になっています。
一度に3台ほどのバスが発車しますので座ってゆけました。

電気バスの発車を待つ乗客
黒部ダム行きのバス

15分ほどの乗車時間の間に、破砕帯現場や富山との県境を通り抜けます。
黒四ダムというと、当時最大級の土木的国家事業の現場として、まさに昭和の「プロジェクトX」の歴史的モニュメントでもあるわけですが、その中でも最大の「プロジェクト」として伝えられる、トンネルの破砕帯突破という話の舞台は、このトンネルのことなのでした。

夏とはいえ半袖では涼しすぎるくらいのトンネルを抜けると、黒部ダム駅です。
階段を上がると眼下に黒四ダムの景観が現れます。

黒部ダム駅からひたすら階段が続く
展望台からダムを見下ろす

健脚向きの階段を上がり降りして、黒四ダムの全貌を眺めます。
目を上げると、北アルプス・白馬岳や立山連峰の姿が遠望されます。

一番下の展望台へ下ってゆくと、ダムの観光放水を比較的間近に見ることができます。
標高が高いので紫外線高めの日差しが降り注ぎます。
まぶしく暑い世界です。

ダム湖を展望
この時期は観光放水が行われている
一番下の展望台からの風景
ダム工事に使われたという工具が展示されている

一角にダム建設の様子を展示する施設がありました。
トンネル、ダム建設前の黒部の様子や、建設中の記録がパネル展示されています。

壁のようにそそり立つ北アルプスの奥地になぜダムを建設しようとしたのか?はこれらパネルを見終わっても、その理由は判然としませんが、こういった無茶な、歴史的な工事が許され、行われた歴史的事実は記録され、記憶されるべきなのでしょう。

資料館の入り口
工事前の黒部の景観に驚く
工事初期の人力輸送の様子
有名な破砕帯突破の様子
映画「黒部の太陽」のパネルもあった

黒部立山アルペンルートを富山側に進むなら、ダム駅から乗り換えです。
我々は1時間ほどダムを見て、扇沢駅へ引き返します。

ひたすら暑い、梅雨明けの安曇野を走って家路につきました。

土留め工事でDIY!

気になっていたベランダ下の土留め工事をしました。

畑にもいかず、バイトにもいかず、雨も降らない一日。
梅雨の晴れ間。
稀有な作業日和です。

ベランダの軒下。
家から続く土台は傾斜が緩い部分にしかありません。
斜面がきつい部分には、ベランダを支える柱こそコンクリートの土台に乗ってはいますが、そのほかの部分は土台がなくむき出しの地面になっています。

外部と軒下の境界には、以前、鉄柵や古いアルミ戸などが埋められて土留めとしていました。
土留め外側の材木が腐ったため、それらの古い土留めを取り去りっていました。

古い土留めを取り去った状態の軒下

新しい土留めを作ることにしました。
作り方は、ネットを見たり大工さんに聞いたりして、ブロックとコンクリートを使って作ることにしました。

ブロックを二段重ねにし、水平に埋めることにします。
斜面なのでブロックは段々になります。
ブロックの土台には砂利を敷きます。
またブロックが倒れたりしないように、ブロックの穴にアンカーを通し、その穴をセメントで埋めようとおもいます。

今回、8個のブロックと、8キロのセメント、4本のアンカー、16キロの砂利を用意しました。

タコ糸を張り、それに合わせてブロックを埋める穴を掘りました。
ところが地面は大きな石が埋まっていました。
何とか石の周りを掘って石にロープをかけ、軽トラで引っ張って起こしました。
一度起こしてしまえば、斜面を転がして石をどけることができました。

何せ、斜面であり、軒下の天井が低いので作業が大変でした。

何とかブロックに合わせて4段の穴を掘り、砂利を敷き、微調整しながらブロックをセッテイングしました。

ブロック一段目をセッテイング

水平をとるのが難しいのでたびたび微調整しました。
本式でやるには水準器が必要でしょうが、そこまでは・・・。

一段目を埋めて固定する。この段階での水平が大事

セメントをこねて、2段目のブロックの接着に使いました。
砂利がいらず、水で溶くだけのセメントです。
4キロの袋で水を800ccほど入れて混ぜます。

インスタントセメントをこねる

ブロックの穴にアンカーを通して地面に打ち込みました。
石などがあってアンカーが通らないと困るので、あらかじめアンカーを打って確認しておきます。
アンカーを通したブロックの穴にもセメントを流し込みます。
8キロのセメントでは足りませんでした。
後日追加しなければなりません。

二段目のブロックを固定、アンカーをセメントで固定する

何とか土留め工事の完成です。
凸凹があり、完全な水平が取れない工事でしたが、ほぼ人生初めての土木工事としてはこれでも満足です。

何とか土砂に流入は防げるか。最終的には板で空間を塞ぐ予定

土留めの外側には、大きめの石を敷いて、階段替わりにします。
ここには屋根からの雨水が落ちる地点なので地形の保全のためにも石を敷いておかなければなりません。

まだまだ未完成だが外側にも石を配列して階段とする