信州ソウルフード放浪記VOL.12 ぽんちゃんラーメンとホームラン軒

長野県限定のインスタントラーメンの話です。

先ずぽんちゃんラーメンです。
長野市に本社がある信陽食品の製品です。
といっても、山小舎周辺(上田地方,諏訪地方)のスーパーには置いてないことが多く、長野市周辺に行ったときにお土産で買ってきます。

本社は長野ですが、製造は東洋水産(マルちゃん)に委託しているとのこと委託しているとのこと。
今回購入した製品には、製造先として株式会社酒悦・房総工場(千葉県長南町)とあります。東洋水産の下請け先なのでしょうか。

食べてみます。
第一印象は食べやすいこと。
粉スープの味付けが強すぎず優しい感じがします。
麺が太めで、腰が強いというよりはボヤっつとした感じ。
別の言い方をすれば、味にメリハリがないのですが、その分食べやすいのです。

ねぎを切ってトッピングしてみました

次にホームラン軒。
東京に本社を持つテーブルマーク社(前カトキチ)の製品です。
全国規模の流通で、最寄りのスーパーでも売っています。
長野県限定の信州みそ仕立て味噌ラーメンという製品があります。

ここのカップラーメンも、ぽんちゃんラーメンほどではないにせよ、きつくない味付けと食べやすい麺が特徴だと思います。

こちらも青ネギをたっぷりトッピング

ホームラン軒は地元のスーパーでもよく売れており、味も優しいことから、一時はよく食べました。
一人暮らしの台所にはカップラーメンが必需品でもあります。

そうやって、ホームラン軒とたまにぽんちゃんラーメンを主に食べていますと、ある時急に、カップヌードル系のきつめの味が恋しくなり、そちらに戻ったりもします。

外食系でいえば、ぽんちゃんとホームラン軒は地元の外食チェーン・テンホウの味で、カップヌードル系はバーミアンの味、というのが山小舎おじさんの印象です。

前者は、やさしく体によさそうだが、メリハリのない味で量が多い、後者は消費者の健康など考えず、味のメリハリのみを追求した都会の味、とでもいいましょうか。

どちらもいいものです。

カットチェーンを取り替えて・・・

年内の主な作業は燃料用にもらった丸太の片付けです。
山とあった丸太も残すところ3本。
大物が残っているので、新しいカットチェーンをに取り換えて玉切りしました。

太い丸太を切るときは、よく切れるチェーンソーでやらないと、時間ばかりかかってはかどらないばかりでなく、途中で嫌になってしまいます。
通販で買っておいたカットチェーン(刃のこと)に付け替えます。

替えの新しいカットチェーンを用意
専用の道具でねじを緩めてゆきます

カットチェーンの付け替えで気を付けなければならないのは、正しい刃の向きや、モーターに嚙合わせるなどのことはもちろん、チェーンのテンションを適切に行うなどの微調整です。
ついでに付着したおがくずなどを吹き飛ばしておきます。

古いチェーンを外します
微調整しながら新しいカットチェーンに付け替えます

最後の難関の巨大丸太に挑みます。
新しいカットチェーンの威力は絶大です。
ストレスなく切ってゆきます。

この分だと玉切り完了も時間の問題だと思いました。
ところが巨大丸太は玉切りするのに困難を伴います。
丸太を切断するには当然ながら切断面全部に刃を通さなければなりませんが、地面に接した部分に刃を通すのが大変なのです。
そのまま切ってゆけば刃が地面を噛みます。
地面には土のほかに石があるかもしれません、石や金属に当たった刃はたちまち切れなくなってしまいます。

そこである程度切った丸太を転がすなどして、地面を刃が噛まないようにして切ってゆくのですが、腕力ではもちろん、梃子などを使っても容易に転がらないのが巨大丸太なのです。

残った巨大丸太が3本

それでも地面ぎりぎりを狙って刃を通してゆくと、火花が散りました。
刃が硬いものに当たったのです。

しまった!と思った時にはすでに遅く、せっかくの新品カットチェーンは交換前のものよりさらに切れないものになってしまいました。

もうしようがありません。
替えのカットチェーンもなく、またあったとしても帰る時間がもったいなく作業続行。

既に問題は巨大丸太のひっくり返しをどうするか?に移行しています。
だましだまし、切れない刃で作業続行、梃子を駆使し、回転方向の地面を削り、くさびやハンマーを動員して巨大丸太転がしに挑みました。

くさびやハンマーを使って巨大丸太に挑みます

時間をかけ、汗だくになりながらなんとか1本の丸太を玉にしました。
当初の予定は新品のカットチェーンで3本をスパッツと切る予定が、どっこい、やっと1本を切ったところで体力、気力、根が尽きました。

最大の丸太を何とか処理しました

でも、最大の丸太が切り終わり、玉切り完了の目途がつきました。

ほぼ玉切りを終えたフィールド

諏訪の神様が気になるの 令和3年のお礼参り

今年も山小舎仕舞が間近となる12月のある日。
この1年の山小舎暮らしの無事を感謝して、諏訪の神様にお礼参りしました。

ミシャグジ神

諏訪の神様が気になるにつれて、その存在がクローズアップされてくるのがミシャグジ神。
どうやら現存する諏訪の神様の中で最も歴史が古く、また核心部分に位置する神様のようです。

長野を中心に上越、関西地方に分布するというミシャグジ神の総社が、茅野市の神長官守矢家の敷地内にあります。

久しぶりの神長官守矢家は今日も光に包まれていた

総社というにはあまりに素朴で、簡素ですが、ご神木に守られひっそりとたたずんでいます。
社から見下ろすと、今に続く神長官屋敷が孤高の気高さを漂わせながら現存しています。

古武士のような風格のミシャグジ神総社

地元の銘酒・真澄のワンカップなどが供えれらている社に、ささやかなお賽銭を供え、今年の無事を感謝しました。

ワンカップがたくさん供えられていた

諏訪大社本宮

守矢家から車で5分ほどの本宮へ向かいました。
途中に前宮がありますが、今回はカット。

本宮へ着くと取り急ぎ、拝殿への階段を上りました。

本宮は、本殿がなく、本来のご神体は守屋山へと続く山であり、そこに生える原生林と、岩だといわれています。
それらご神体は、他の神社の配置と同様に、鳥居をくぐり、拝殿への階段を上がった正面に位置しています。

ところが現在の本宮は、左90度の位置に拝殿を構え、多くの参拝客をそちらに誘導しています。
拝殿から望むのは、現在では本宮のご神体と呼ばれるタケミナカタの神です。

今回は、ひとつ本来のご神体に参拝しようと拝殿への階段を上っていると。
いまさらですが、正面にご神体の守屋山方面を遥拝できるような空間が開いているのに気が付きました。
階段を上がった参拝客は塀に区切られた導線に誘導されて右折してから、拝殿や宝物館のある境内に入るのですが、右折へと誘導する塀が一部空いているのです。

これって、参拝客が本来のご神体に向けての視線を切らさないための造作か?と思いながら境内へ。

正面に開けられている「入口」。通行はできない

今までは気が付かなかったのですが、境内には守屋山へと続く神域に向かう遥拝所があったりして、本来の諏訪の神様への敬意を忘れていませんでした。

改めて、本宮独自の配置の妙を確認しました。
そういえば松代の神社でも本殿の90度左に、八幡様やお稲荷さんが建っていましたっけ。
古くからの神様を祀る神社が、新しい神(多くはのちの権力者によってもたらされた神)を別扱いで祀ることがあるのですね。

鳥居から向かって正面に本来のご神体への遥拝所がある
遥拝所左わきに天皇が祈願する場所という建物がある
左90度に設置された拝殿からタケミナカタの神にも参拝

諏訪の神様のご神体のもうひとつは岩です。
本宮における岩は硯岩と呼ばれており、拝殿脇にあります。
近くにまで寄れないのが残念ですが。

拝殿の右側に硯石の頭だけが見える

今年の干し柿

山小舎では毎年、干し柿を作っています。

今年も、干し柿用に最適な釣り鐘型の渋柿が出るのを待っていました。
なかなか見つからないので、今年はなしかなあ、と思っていたら、道の駅の直売所に出ていたので一袋買って干しました。

立派な渋柿。6個でこの値段は安い

その日直売所では、東京からだという一組のお客さんが、渋柿を手に取って、「東京だとこのサイズの渋柿が1個200円する。買いたいが、ヘタの形が・・・」と、係の人を呼んでいました。
ヘタがT字型にカットされていないことがネックのようでした。

係の人は、ヘタがT型にカットされていない理由はわからない。
今年は渋柿も不作でだった、今回はいつもの出荷先からようやく入荷したもの、とのことでした。

買って帰ってから、干し柿の作り方を改めて調べました。
出来上がりをきれいにするためには、消毒が大事だとのことでした。

今年は干す前の熱湯消毒のほか、アルコール噴射による消毒を併せて行うことにしました。
へたがT字型ではないので、結びを固く行うことと、一組を2個とする結びにすることで、落下を防ぐようにしました。

47度の焼酎と専用スプレーを用意

消毒用のアルコールですが、地元のスーパーに行ったところ、47度の焼酎小瓶が「柿の渋抜き用」として売っていたので買ってきて、当面1日1回柿に噴射することにしました。

柿を結び、熱湯消毒した最初の晩は、室内のストーブで乾燥させましたが、二日目以降は晴れた日は陽に当て、夜は雪の降る日でも軒下に吊り下げています。
横殴りの雨に一晩さらされた翌朝には、大慌てでアルコールを吹きかけつつ、ストーブで乾かし、雨を乾かしました。

最初の晩は熱湯消毒の後、ストーブで乾かす

その後、柿は順調に乾いています。

冬の青空をバックにすると柿の鮮やかさが際立ちます。
朝方や夕方の、モノトーンの世界でも、パートカラーのように柿色が輝います。

今年になって、改めて柿の存在感に気づく山小舎おじさんです。

冬のモノトーンの背景をバックにした柿。アルコール噴射中
冬の青空をバックにした柿

立寄り湯めぐりVOL.11  上諏訪温泉 湯小路あたり

上諏訪(諏訪市)は諏訪湖沿岸最大の観光地であり、温泉街です。
街中にも温泉が湧いています。

これまで、下諏訪温泉郷の立寄り湯には何度か入っていた山小舎おじさんですが、なぜか上諏訪の温泉にはご縁がありませんでした。

上諏訪の、表通り(国道20号線)から1本裏手に入った街中の通りを走ると、湯小路という交差点があります。
湯小路交差点を折れると、ひなびた街並みのはずれに年代物の立寄り湯の建物があります。

平湯から湯小路交差点方面をみる

平湯という建物です。
昔からあるお湯で、武士など支配階級が入る湯が別にあった時に、庶民(平民)が入る外湯として設けられたことから平湯と名付けられたそうです。
現在の建物は大正10年に建てられました。
上諏訪の歴史を感じる湯小路の街並みと、平湯の建物のマッチング感が絶妙です。
昭和30年代を想定した映画のロケがそのままでできます。

この平湯は、会員限定の入浴施設です。
会員の資格は年会費等を支払えばだれでもなれますが、現在はご時世柄、新規会員は募集していないそうです。

平湯の建物を側面から見る

すぐ隣に、これまた会員限定の上湯という外湯もあります。
これだけ平湯に近いと、源泉が同じで浴槽だけを別にした施設のようにも見えます。

すぐ隣にある上湯の入り口

この先へ入ったところにもう一軒、外湯があります。
大和温泉といいます。

入り口は注意していないと通り過ぎてしまいます。
通りから狭い通路を入ってゆき、そのお宅の中庭が「番台」になっています。
浴室は民家の敷地内にあります。
ご時世柄一時閉鎖していたとのことですが、現在では氏名、住所を記帳すると一般人でも入れます。
300円です。

大和温泉の入り口

山小舎おじさん、よそのお庭に入ったようで、恐る恐る申し出ると、管理の方は「入浴前に石鹸で体を流してください。浴槽が循環式ではないので」とのことでした。
普段、温泉には石鹸、シャンプーを持ってゆかない山小舎おじさん、恐る恐る「石鹸持っていないのですが」というと「貸してあげます」とのこと。
泡式のボデイーシャンプーボトルをお貸しいただきました。

いつだか、家族で立寄った下諏訪の菅野温泉で、小分けのシャンプーがないか?と聞いた我が奥さんに、番台のおばさんが「私のを貸してあげる」と言ってくれたことを思い出しました。

この大和温泉。
熱めのお湯がお約束の諏訪の例にたがわず、昔の夕方前の銭湯のように、体にヒリヒリとしみいるお湯が特徴。
かすかな硫黄臭とともにあふれ出る源泉は紛れもなく温泉浴のだいご味。
きっちりと体に温泉成分をしみ込ませていただきました。

ほかにお客がいないので浴室内を撮らせていただきました

いい温泉は、入った後に気分がリフレッシュします。
心地よく疲労感を感じるというよりは、むしろ心身(特に心の方)が一皮抜けたように前向きになるのを感じるのです。

この日もささやかに心身を脱皮させた山小舎おじさんです。

大和温泉とその並び

野焼き

11月の下旬になりました。
標高1400メートルの山小舎おじさんの棲家周辺では、初雪が降りました。
山小舎では朝夕、薪ストーブのほかに灯油ストーブも焚いて暖をとっています。

例年では、灯油ストーブは補助の暖房で、家族が来るときや、1月、2月の山小舎来訪時にしか使っていませんでした。
灯油を購入するときも18リットル入りの1タンクずつ買っていました。
今年は石油高騰にもかかわらず、18リットルタンクを一度に2個買ってしまうくらい寒さがこたえる冬の初めです。

畑の冬じまい作業へ向かいます。
山小舎付近は雪で真白な日も、標高700メートルほどの畑はポカポカでした。
畑へ向かう道すがら、標高が下がるにつれ、凍った道路が溶け、乾いてゆきます。

この日は午前中に野焼きをしました。
前日に消防署には届けてあります。

燃やすのは野菜の残滓のほかに、枯れた雑草、切っておいた樹木の枝などです。
切ったり刈ったりしておいたそれらは、晴れた日が続いているので、よく乾いています。

いったん火をつけたら消えるのに半日ほどかかった年もありましたが、今年の野焼きは材料がよく乾燥していたせいか2時間ほどで燃え尽きました。

トウモロコシの茎などもよく燃えました。トマトなどの残滓は全部燃やすようにしましたが、トウモロコシの茎の一部やよく乾いた雑草などは、養生のため?に畔に敷いておくようにしました。

今までは極力余計なものは畑から除き、石灰を蒔いて耕耘して冬じまいとしましたが、ガッテン農法が今年うまくいったので、そのやり方でやってみようと思います。
畔や畝は枯れ草などで養生しておくやり方です。

燃やしている間に、空いている場所にガッテン農法による畝立てをしました。
今年は2本ほど作り、全部で13本。
「上」の畑がほとんどガッテン農法による畝となります。
不作や病害虫の葉性などの問題がなければ、毎年同じ畝を使い続けようと思います。

玉ねぎは活着しました。
これまでで一番良い育ちぶりです。

人参を掘って今年の収穫じまいです。
成長しないままの人参ばかりでした。
過去にこの畑で豊作だったこともあり、何が原因だったのか?

午前中は天気が良い日であればポカポカして、畝立て作業の時などは長そで1枚で丁度いいくらいです。

畑から美しが丘高原方面を望む

玉上げ

丸太を薪にするためチェーンソーでサイズにカットすることを玉切りといいます。

玉切りした丸太を割って薪にします。

山小舎では、丸太の山を玉切りした後、薪割り場所に運んで薪割りをします。

木の葉が緑だったころに山と積まれたシラカバの丸太をせっせと玉切りしています。
玉となった丸太を今日は軽トラに積んで薪割り場所に運びました。
この作業を、「玉切り」に合わせて「玉上げ」と呼ぶことにします。

かつてはシラカバの丸太が天を衝いていました
11月下旬になって玉切りがここまで進みました

本日は主にシラカバを玉上げすることにします。

軽トラの荷台に玉を放り込んでゆきます。
大きなサイズの玉は立たせて乗せます。
こうするとたくさん積めるのと、下ろしやすいからです。

サイズ(口径や丈)が小さいものは放り投げて雑然と積み込みます。

荷台に一山積んでも軽トラは馬力があるので大丈夫。

玉を荷台に積んでゆきます
このくらい積んでも大丈夫です

薪割り場所(といってもすぐ隣)に軽トラの荷台をつけます。
大きな玉から立たせて下ろしてゆきます。

こうすると場所を取らずに済みますし、薪割りの作業がしやすくなります。

細かなものは空いている場所などに放り投げて、玉上げの終了です。

薪割り場所に玉を下ろしてゆきます
一山積んで今日の玉上げは終了です

軽トラ流れ旅 善光寺街道

11月下旬の雪の予報の日、善光寺街道(国道403号)を走ってみた。
善光寺街道(西街道)は善光寺(長野)と松本を結ぶ街道。
現在では、国道403号線、JR篠ノ井線、高速長野道が旧道をトレースするように走って長野と松本を結んでいる。

稲荷山商店街

スタートは千曲市の稲荷山とした。
善光寺街道最大の宿場であり、かつての商都であった稲荷山のまちを歩いてみたかった。

千曲市稲荷山地区の善光寺街道に面した商店街

街中の無料駐車場に軽トラを止め、商都の面影を残す蔵のまちエリアを歩いてみる。
善光寺街道から1本裏手にある。
かつて生糸と繊維業で栄えたという県内有数の商都の面影に接することができる。

稲荷山に残る蔵
蔵と土塀が形作る小路

表通りに戻ってみる。
通りの商店街は全国各地の商店街の現状例にもれず、さびれている。
おやきの看板を掲げる店が開いていた。

おやきと稲荷ずしを買いながら話を聞く。
元はお茶屋さんだったという商家を借り、営業しているNPO法人とのこと。

お茶屋さん時代の調度、備品をそのまま残してあるのが興味をそそるとともに、改めて稲荷山の昔日の興隆に思いをはせた。

お茶屋の旧商家を再利用したおやき屋さん
店の内部。小上がり
店の内部。お茶を入れるカメなどが残っている
おやき3個とお稲荷さん3個で480円だった。

おやき屋さんに稲荷山の見どころを聞く。
龍洞院というお寺がいいと言ってくれたので、寄ってみることにした。

おやき屋さんの話によると、龍洞院の住職は永平寺の偉いさんだった人で、奥さんが正田美智子さん(現上皇后)のお知り合い?とのことだった(マスク越しの会話でよく聞こえなかったが・・・)。

龍洞院は山すその気持ちのいい場所に立つお寺で、境内はよく整備されていた。
紅葉は終わりかけていたが、最盛期にはさぞきれいなことだと思った。

龍洞院のお堂
鐘突き堂
お寺のそばには篠ノ井線が走る

聖高原と博物館

善光寺街道を西へ向かい、峠を越えて聖高原を目指す。
稲荷山宿と峠の間に宿場っぽい町並みが残っている。

稲荷山から峠への途中にある桑原宿

山道に入り、姨捨のあたりを越える。

姨捨から千曲川方面を望む

雪がちらつき、やがて山林は雪景色に変わる。
地温はまだ高く、路面が溶けているので助かる。
オールシーズンスタッドレスを履いている我が愛車とはいえ、峠の雪道はなるべくならば避けたい。

峠道を上るにつれ雪景色に

善光寺街道中の難所といわれた猿ケ馬場峠を越えると、聖湖が現れた。
猿ケ馬場峠は、かつて芭蕉や正岡子規も越えた記録がある。

峠を越え聖湖に到着。冬景色だった

このあたりからが聖高原のリゾートエリアなのだろう、聖博物館の看板が見えたので寄ってみる。

聖博物館による

伊勢神宮の荘園だったという麻績地区の神社仏閣や、聖山を中心とした山岳信仰、麻績宿の歴史などが主なテーマの博物館。
小規模ながら力のこもった展示ぶりに大いに興味がそそられる。

善光寺街道に関する展示内容その1
その2

このあたりには東洋のマタハリといわれた川島芳子の日本人養父の別荘があり、長野県で女学校を出た芳子も滞在したという。
伊勢神宮との関係といい、川島芳子といい、のっぴきならぬ気配漂う聖高原の歴史背景である。

底冷えの館内をはい出て、受付のおばさんに挨拶。
聞けば、今年は積雪が早く、11月に雪かきをしたのは初めてとのこと。
雪道を気を付けながら国道に戻り、先を急ぐ。

麻績村には「川島芳子」の養父の別荘があった
珍しい和装姿の芳子の写真もあった(右側)

麻績宿、切通し、青柳宿

聖高原から善光寺街道を下るにつれ道が乾き、日差しがポカポカしてくる。
里は晩秋とはいえまだまだ小春日和だ。

麻績宿の名残を探す。
篠ノ井線にあっては聖高原駅周辺が中心部の麻績村。
善光寺街道の旧道沿いが宿場のあったエリアだった。

麻績宿の現在

麻績村を抜け、国道403号線を走り、青柳宿を目指す。
青柳駅方面の標識を左折する。
車1台がやっとの幅の旧道が続く。
旧道には青柳宿までの間に2か所、切通しがある。

旧道にある大切通し

住民らが掘ったという切通し。
壁にはノミの跡が残っていて、岩の上には道祖神らが見守っている。

切通しの側面に残るノミ跡
切通しの上に残る道祖神

切通しの地形は不思議な魅力を持つ。
その向こうには知らない世界が待ってでもいるかのような。

切通しを抜けると青柳宿。
旧道ということもあるのか、まったく道幅を広げていない。
バスがぎりぎり通れるか?くらいの狭い道幅の宿場町。
古民家がずらりと並んでいるわけではないが、道の狭さに歴史が詰まってでもいるかのような世界だった。

青柳宿

国道に出て道の駅さかきたへ寄って昼食。

道の駅さかきた(築北村)
釜揚げうどんセット。1000円。

築北村にまで来た。
このまま403号線を行けば安曇野市を抜けて松本へと続く。
一方、築北村は山を挟んで青木村へも接している。
青木村は我が山小舎がある長和町とともに小県郡を構成している隣村でもある。
帰還はもうすぐだ。

中山道シリーズ第七弾 笠取峠の松並木

中山道六十九次中、二十六次・芦田宿と二十七次・長久保宿の間に笠取峠があります。
笠取峠には江戸時代に植樹・整備されたという松並木が残っています。

広重・木曽街道六十九次より望月宿。描かれているのは笠取峠松並木

現在の国道142号線は、ほぼ旧中山道をトレースし、高崎から軽井沢へと碓氷峠を越え、佐久平を貫通して諏訪へと峠を越えてゆく幹線道路です。
関東から諏訪、松本方面へつなぐ物流ルートとしてトラックなどの交通がひっきりなしに行きかっています。
山小舎おじさんも、別荘地の周りの人たちも、佐久、軽井沢方面への行くときによく利用する道です。

国道142号線のルート上で、佐久平から諏訪方面へと越えるときの最初の峠が笠取峠です。
峠は、現・北佐久郡立科町と小県郡長和町の境に位置しています。

この日は、長和町から立科町に向かって国道142号線を走りました。
笠取峠を越えたあたりに右手に斜めに折れる旧道があります。
そこが、旧中山道の景勝地として、安藤広重の浮世絵にも絵が画れた松並木への入り口です。

国道142号線から松並木へ折れる分岐点

斜めに折れた道に入ってゆきます。
いわゆる松並木の景色を残したところもありますが、現在では松がところどころ残っている並木跡、といった風情です。

今に残る松並木

旧道は国道142号線を越えて続いています。
国道を逆落としに突っ込んでくるトラックたちに気を付けながら渡ると、常夜灯が建つ公園のような場所になっています。
峠の茶屋があった場所だそうです。
現在では、駐車場とトイレを備えた広場として整備されています。
地元の人々により中山道の歴史が大事に保存されている様子がわかります。

峠の茶屋跡

街道を芦田宿方面(軽井沢宿方面)へと下ってゆく眼前には佐久平が広がり、遠く浅間連峰が望まれます。
今よ変わらなかったであろう昔日の景色を想像できるかのような一瞬です。

松並木より佐久平方面を望む

山の初雪

山小舎周辺に初雪が積もりました。

11月下旬。
例年に比べ、いつまでも変に暖かかった今年の11月。
勤労感謝の日のあたりから季節が進み、初冬らしい寒さがやってきました。

山小舎もスリーシーズンの採光用に開けた天井を防ぎ、朝晩は和室の襖を締めて暖房効率を上げようとしていたある朝、屋根の上が白くなっていました。

毎年のことながら雪が降り始める頃に本格的な寒さがやってきます。
また、雪が降ったり溶けたりする初冬の頃が体感的には一番寒く感じるものです。
明け方頃、布団越しに寒さを感じて目が覚めることもあります。

木々の葉はすっかりなくなっています。
これからは外の作業にも気を付けなければなりません。
寒さと滑りやすくなることです。

外や玄関先に置いてある野菜の凍結にも用心しましょう。
外の水道管はすでに落として(水抜きして)あります。

鹿の足跡。雪の日でも寒さに強い鹿です。

今日は標高1400メートルの山小舎周辺に雪が積もりましたが、標高が下がる長和町の中心部では雪どころか、道が乾いた状態だと思います。
長和町の天気予報は晴れです。
それほど山の天気は寒いのです。