6月中旬の畑

6月になって真夏日になる日も出てきました。
畑の様子はどうでしょうか。

例年ならほったらかしの自然農法でやっていた山小舎おじさんの畑でしたが、今年はできるだけ手をかけるようにしています。
例年通り、農薬、肥料は使いませんが、苗に行う潅水は手間暇惜しまず行っています。

品種によって、苗のサイズによって、生育初期に水がどうしても必要な場合があります。
理想は自力で吸水できるように苗を育てることなのですが、最近の品種改良された苗だったり、サイズが小さい苗、もともと水を欲しがる品種にはやはり潅水が必要なことにいまさらながら気づきました。

ということで、春先のキャベツや、夏野菜のナス、キューリ、ゴーヤ、オクラ、セロリなどにはどんどん潅水するようにしています。
もともとが水捌けの良い畑なので、保水は重要でした。
潅水すると苗が元気になるのがわかります。
なお、潅水は真水よりえひめAIの希釈液を使うようにしています。

キューリに花が咲き始めました
ズッキーニは収穫期間近です
夕顔は例年通り放置気味の栽培で元気

苗の定植後に、水やりをほぼ行っていないのはトマトとトウモロコシくらいです。
これらは潅水せずともぐんぐん育っています。
こぼれ種から自然発芽したパクチーなども放っておいても旺盛に繁茂しています。

支柱を立てたトマト。相変わらず乾燥に強い!
芽出しして定植したトウモロコシも水やりなしで育っています

水やりと同時に、キューリ、ゴーヤ、夕顔のネット架け、トマトの支柱建てなどの作業を行います。

また、今年はインゲン、枝豆などの芽出しがうまくいかないので、豆類の直播の準備も行わなければなりません。

玉ねぎ収穫

今年も玉ねぎを収穫しました。

収穫の目安は葉が倒れていること。
時期の目安は6月中旬です。

今年収穫の分の作付けは200本でした。
途中、成育にばらつきがあり、収量が心配でした。
思ったより葉が育たないまま収穫時期が来ました。

玉ねぎを引き抜く

倒れた葉を引っ張って玉を抜きます。
天気が良かったのでそのまま半日放置して乾燥させます。

このまま半日ほど畑で乾燥

山小舎に持って帰り、翌日、根っこと葉を切り落として、日干ししました。

根を付けたままだと玉の栄養が根に移動するとのことです。

収量、玉の大きさ共にイマイチの出来です。
来年はどう工夫して作付けしましょうか。

山小舎に持って帰り、根と葉を切り落とす。葉は切らずに保存する方法もある
このまま風通しの良い場所で保存する

オオミズアオ

オオミズアオが山小舎に飛んできました。
オオミズアオは大型の蛾です。
名前の通り大きな、水色の蛾です。
一度見たら忘れられません。

令和5年6月に山小舎にやってきたオオミズアオ

自宅のある調布でも見かけたことがありました。
都立農業高校の演習地の近くで昼間にいました。

オオミズアオの飛翔カット

山小舎に住み始めて最初の2年は毎年見ました。
6月の夜になると台所のガラスに光を求めてやってきました。

最近はしばらく見ませんでした。
どうしたのかな、もういなくなったのかな。
ミズナラを伐採しすぎたからかな。
と思いました。

今年は久しぶりに見ました。

よく見ると調布で見たオオミズアオよりは小型です。

頑張って繁殖して毎年姿を見せてほしいものです。

2017年版の山小舎アルバムに記録されたオオミズアオ。ヤンマも来ていた!

DVD名画劇場 オードリー・ヘプバーン ハリウッドに降臨!

アメリカ映画協会が1999年に、映画スターベスト100を選定。
女優部門で歴代第3位に選出されたのがオードリー・ヘプバーンだった。

初期のオードリーといえばこの作品。「ローマの休日」の一場面

「妖精」と呼ばれ、日本では現在でも特別な人気を誇るオードリーは、映画の本場アメリカでも評価が高いことがわかる。
今回はオードリーの出演作から、イギリス時代の1本、ハリウッドデビュー第1作と第2作を見ました。

「若妻物語」 1951年 ヘンリー・カス監督  イギリス

若き日のオードリーはバレエを習い、舞台に立つなど、のちのスター女優への経歴を歩んでいた。
イギリス時代には映画に数本出ている。

「若妻物語」はその中の1本で、オードリーはわき役のエキセントリックな娘を演じている。
170センチの背丈と、スマートというよりやせぎすの体躯と、オーバーアクションともいえる表情、演技が印象的な21歳のオードリーが見られる。

1950年代は、イギリス、フランス、イタリア、そして日本などでも映画製作が盛んだった。
イギリスではアレクサンダー・コルダなど有名制作者や、怪奇映画のハマープロなどが海外にも通用するメジャー作品を製作。
また、ブリテイッシュ・ノワールなどと後で呼ばれる、犯罪映画の作品群も作られていた。

「若妻物語」を見ると、当時イギリスでは、コメデイ風のホームドラマも作られていたことがわかる。
また、この作品でのユーモアのセンスもハリウッド映画のそれとよく似ており、俳優が大人びて地味な点、ギャグが常識的な点をのぞけば、アメリカ製のテレビドラマといわれてもわからないくらいの類似性を感じる。
英語圏の白人の文化の共通性なのだろうか。

この作品の舞台はロンドンの住宅地。
戦後数年は経過しているが庶民の生活は苦しい。
子供が生まれたばかりの主人公夫婦は知人の家に間借りしている。

間借りといっても当時の日本とは違い、腐っても大英帝国。
広い部屋が数間あり、互いのプライバシーは厳に守られている。
さらに大家はベビーシッターを雇っている。
イギリスのベビーシッターは料理、洗濯もするようで、夫人たちは家事、育児のアウトソーシングは当然だと思っている。

間借りしている若夫婦と、大家の友人夫婦、それにベビーシッターの老婦人らを交えた家庭の事情、まだ若い男女のこころとからだの問題、をコメディータッチで描いており、テンポもよくまた出演者も達者である。

オードリーは、戦争のどさくさで家と家族をなくしたのかどうか、若夫婦と一緒に居候している娘という役回り。
時々現れては周りをかき回す。
重要な役ではないものの、男嫌いでエキセントリックな若い娘像を精一杯演じるその姿に、女優への意欲を感じさせる。

「ローマの休日」 1953年  ウイリアム・ワイラー監督 パラマウント

製作兼監督のワイラーの強い意向により長期イタリアロケを敢行。
パラマウントとしてもイタリアで稼いだ映画収益を当時はドルとして還元できない事情から、現地での製作費に使うことは渡りに船だった。
ワイラーは、カラーで撮りたかったようだが、フィルムの輸送問題から断念したという。

主演の王女役に無名のオードリーを抜擢。
テストフィルムでの演技外の自然な笑顔が決め手となったという。

イタリアロケとオードリーの抜擢がこの作品を映画史上永遠のアイコンとした。

イタリアロケでの一場面。グレゴリー・ペックと

現実離れした逆シンデレラストーリーの原案はダルトン・トランボ。
赤狩りでハリウッドを追われた一人が作った夢の様な物語。

イタリアロケの空気感、新人オードリーの素を生かしたのは、監督ワイラーの功績。
名匠ながらも己のカラーに固執せず、万人向けの作品に仕上げたのは、ワイラーの性格の良さがなせる業か。

日本公開時のポスター

王女のふるまい、英語の発音ではロイヤルな演技をするオードリーだが、グレゴリー・ペックらとローマの街をデートするときの彼女は、素の若い女性。
表情豊かでうれしそうで、元気いっぱい。

王女らしさに拘る演出ならばカットされたであろう演技も敢えて通し、オードリーの初々しい魅力追及を主眼としたワイラーの慧眼。

名跡「真実の口」の場面では、手首がなくなったとだますペックに驚くオードリーの自然なリアクションが見られる。
このシーン、監督とペックが示し合わせてオードリーをだまして撮った一発OKのカットとのこと。
オードリーの大騒ぎして相手の胸を叩くリアクションは、王女のそれではなくて彼女の素である。

オードリーのハリウッド版シンデレラストーリーとして割り切った作品なので、怠けものの特派員(ペック)をいじめる編集長にも毒がなく、周りの登場人物は「すべて善意の人々」といった趣である。
それでいい。

初々しく、見ているこちらもうれしくなるようなオードリーの幸福期の作品。
初々しくも、今はやりの言葉で言えば「あざと可愛い」のだが、それでいい。

イギリス時代の映画を見ればわかるようにオードリーはすでに演技派である。
ハリウッド映画に出られてうれしいのは本心としても、逆シンデレラの王女役を張り切って演じるのは女優としての魂である。
女優という業の深い運命に選ばれ、そのために努力を惜しまず、また野心に溢れた若い外国人女性である。
まったくの素人ならばその後のハリウッドでの活躍もなかった。

監督ウイリアム・ワイラーの演出を受けるオードリー

制作者、監督のワイラー、相手役のペックともども「悪意」なくイギリスの新人女優を迎い入れており、まさに奇蹟的なオードリーのハリウッド第一作であった。

「麗しのサブリナ」 1954年  ビリー・ワイルダー監督  パラマウント

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロだったビリー・ワイルダーは、初期にコンビを組んでいた脚本家のチャールズ・ブランケットからこう評されていた。
『人間嫌い、死を連想させる不気味な感覚、冷酷さ、根っからの粗暴さ。』(オットー・フレードリック著、文芸春秋社刊「ハリウッド帝国の興亡」P567より)。

「深夜の告白」ではパラマウントの看板女優(バーバラ・スタヌイック)に金髪のカツラを被せ、バスタオル1枚で埃臭い屋敷に登場させ、「サンセット大通り」では往年の大女優グロリア・スワンソンを妄執の老女優とし、零落したバスター・キートンなどを実名で使い倒したワイルダーが、果たして「ローマの休日」でデビューした非アメリカ人のオードリーをどう扱うのか?

ワイルダーには「異国の出来事」で30年代のアメリカ映画の女神たるジーン・アーサーをベルリンの廃墟の中のバーで天井からぶら下げた前科もある。

運転手の娘サブリナ

「ローマの休日」に引き続きモノクロ作品。
ハンフリー・ボガートにウイリアム・ホールデンまで出ているこの作品がモノクロ。
何を企んでいる?ワイルダー。

財閥のお屋敷のお抱え運転手の娘が、財閥の御曹司である屋敷の息子と結ばれるというシンデレラストーリー。
ただし、ワイラーの「ローマの休日」と違って、シンデレラストーリーにも、新人女優の売り出しにも関心がないのがワイルダーの本音。
ワイルダーの「悪意」がいつ発揮されるのか?と、ヒヤヒヤしながら見ざるを得ない、オードリーのハリウッド第二作。

お屋敷には二人の御曹司がおり、運転手の娘のサブリナ(オードリー)は弟の方(ホールデン)に惹かれている。
三回離婚したチャラチャラした遊び人を演じるホールデンは「サンセット大通り」「第十七捕虜収容所」に次いでのワイルダー作品。
アメリカ財閥の御曹司のカリカチュアを楽しそうに演じている。

一方、兄は独身で財閥のCEOである真面目一方のビジネスマン。
演じるのはボギー。
真面目一方ながら、どこかズレたワイルダー流解釈によるアメリカのビジネスマンを演じる。

ボギーは、開発したプラスチック製のテーブルに乗っかってユラユラしたりもする。
ワイルダーとしてはズレたビジネスマンを演じさせたかったのだろうが、撮影中ボギーとの仲は悪く、それはボギーの死の間際まで続いたという。
ワイルダー流演出はどの俳優にも通じたわけではなかったようだ。

想像するにヒリヒリとした、悪い意味での緊張感に満ちたこの作品の撮影現場で、我らがオードリーの心境たるやいかばかりだったか。

不器用なボギーの愛を受け入れるサブリナ

運転手の娘として木陰からお屋敷のダンスパーテイをのぞいた娘時代。
パリの料理学校から帰って見違えるファッションに身を包み財閥の弟の車をUターンさせたドレススタイル。
、ダンスに誘われた時のドレススタイル。
実直な兄に心惹かれ、兄の会社で料理を作ろうとするときのパンツスタイル。
のちにサブリナファッションと呼ばれるオードリーのファッションが見られる。

ハリウッド流メイクによっても個性の消しようがないオードリーのオードリーらしさは、ワイルダーの毒によっても消されることなく、むしろその毒に拮抗して見せた。

エデイット・ピアフの「バラ色の人生」を原語で口ずさむオードリー。
そこにはハリウッドデビューしたばかりの初々しさを卒業し、次の段階へ挑むオードリーの意欲と逞しさがある。
ヒリヒリと悪い意味での緊張感に満ちた?撮影現場も案外オードリーには響かず、むしろ女優としての野心がすべてに勝っていたのかもしれない。

撮影期間中、ウイリアム・ホールデンとのロマンスのうわさもあったオードリー。
ハリウッドの女優として、なんと逞しいことか。

サブリナパンツに身を包んだオードリー

ワイルダー流のギャグは随所に見られ、「カサブランカ」のセリフをおちょくったり。
ただしもう一つボギーがノッていないのがこの映画の玉に瑕。

それにしても、ワイルダーのモノクロ作品は設定がコメデイだろうがロマンスだろうが、禍々しいスリラーの雰囲気を漂わせているのはどうしてなのだろう?

封切り当時の劇場プログラム表紙

ハマナスの花

庭のハマナスに今年も花が咲きました。

ハマナスの花が満開

ハマナスというと北海道の海岸で咲く花の印象があります。

山小舎の先代オーナーは植物が好きな方で、庭にもいろいろな草木を植えています。
当代の山小舎おじさんは先代の残した草木を楽しませてもらっています。

標高1400メートルの高地では、長野県でもハマナスの花を楽しめます。

散り始めたハマナスの花びら

6月に咲いて、咲いたと思ったら散り始めます。
ハマナスの実も食べられます。

御泉水自然園

蓼科山の裏側、七合目登山口の手前に御泉水自然園という公園があります。

立科山の裏側、といってもどちらから見た裏側なのかわかりませんね。
諏訪・茅野側から見た裏側です。

現在は、女神湖から蓼科山と蓼科牧場を取り囲むように蓼科スカイたラインが通っており、標高1700メートルほどの蓼科山七合目から登山するのがメインルートになっています。
その手前、女神湖方面に戻った場所にあるのが御泉水自然園です。

今度の週末に仕事のサポーターの方々を連れて山小舎にやってくる予定の山小舎おばさん。
案内先に御泉水自然園がいい、とのことで山小舎おじさんは事前偵察に向かいました。

自然園の前に、少し先に行って蓼科山登山口の様子を見てきましょう。
この日は6月の天気が良い土曜日。
思った以上に登山客が多いようで、収容台数が多くはない駐車場スペースは満車。
止めきれない車が蓼科スカイラインに沿って路駐しています。
ほとんどが県外ナンバーです。
蓼科山の人気のほどがうかがえます。
シーズン中の土日の登山は考え物です。

蓼科山七合目登山口
蓼科山登山客の車が路上に溢れている

さて、御泉水自然園の駐車場に戻ります。
駐車場はガラガラです。
主に県外ナンバーの車が止まっていますが、高齢夫婦だったり、野鳥を狙うカメラマンだったり、軽いハイキングがてらの客が多いように見えます。

御泉水自然園の駐車場は空いている

自然園はGWには娘一家とともに、蓼科牧場のゴンドラに乘って訪れた場所です。
当時は蓼科牧場のゴンドラの山頂駅から自然園に入って、湿地帯の歩道を一周して山頂駅からゴンドラに乘って帰ってきました。
今回は、蓼科スカイライン側にある自然園の正門から入ります。
前回とは反対方向からの自然園へのアプローチとなります。

入園料は600円でした。
まずビジターセンター内を探索。
休憩コーナーには付近の動物のはく製などが並んでいます。
蓼科山の成り立ちについても詳しく解説されていました。

ビジターセンター内にはカモシカなどのはく製も

外へ出ます。
まっすぐゴンドラ山頂駅に向かうのであれば5,6分で行けるようです。
GWまででゴンドラの運行はストップしていますが、雪が残る北アルプス方面の眺望は得られます。

レンゲツツジが迎えてくれる

湿原内を一周する遊歩道を歩きます。
平らなので高齢者でも楽しめるファミリー向けの公園です。
原生林の荘厳さも残る貴重な場所です。

自然園内の游歩道
自然園に溢れる湧水

蓼科スカイラインの反対側には高度差のある自然林(御泉水の森)が広がっています。
滝が見られるというので、ついでに行ってみました。

最短コースは滝に向かって階段上の登山道をひたすら下ってゆきます。
膝が笑い、疲労困憊となるころ滝の水音が聞こえてきます。
節理の入った岩の間を滝が流れています。
深山の気配がします。

滝の麓でしばし休憩。
帰りは大回りの緩やかなコースとします。
途中、野鳥を狙うカメラマン2組に会いました。

汗だくで駐車場に到着。
すっきりとした気分で帰りの途に就きました。

DVD名画劇場 モダン!山中貞雄

山中貞雄という映画監督が戦前にいました。
脚本家を経て監督となり、20代のうちに26本の時代劇を監督。
28歳で出征先の中国で戦病死しました。

山中監督の作品2本を見る機会がありました。

「丹下左膳餘話 百萬両の壺」 1935年  山中貞雄監督  日活

片目片腕のニヒルな剣客・丹下左膳が用心棒兼ヒモとして、寄宿している射的屋の女将とともに、貰い子を巡って右往左往する作品。
もともとは異形の怪人として、数々の作品にフィーチャーされてきた丹下左膳に思いきった解釈を加えた山中監督の快作。

屈折した性格で、剣を抜けば神がかり、の怪奇派である左膳が、女将の尻に敷かれ、射的屋の座敷に寝そべっている。
女将(有名な芸者の新橋喜代三が演じて存在感十分)が得意の三味線で歌いだすとそそくさと逃げ出すといダメ亭主ぶり。
後の活躍の伏線とするために、ショバ荒らしのやくざを追っ払う時の颯爽とした動きの描写も忘れないが。

女将は「子供なんて嫌いなんだよ」といいながら次のカットで子供に飯を食わせている。
「竹馬なんていけません」と説教した次のカットで、嬉しそうに子供と竹馬で遊んでいる。
道場に通わせようとする左膳と、寺子屋だという女将が夫婦喧嘩。
次のカットで寺子屋へ通う子供。
脚本は十分に練られている。

人斬りのシーンの素早い凄惨さ、道場破りのシーンでのとびかかるような腰が入ってバネの効いた動き、は大河内傅次郎自身が持つ、目を見張るような凄さ。
これを最後まで封じて、子煩悩なヒモを演じさせる山中演出の新しさ。

タッチは乾いていないが日本流のソフィステイケーテッドコメデイのようだ。

大河内演じる左膳のコメデイアンぶりもいいが、女将さんを演じる新橋喜代三の貫禄、色気も存在感十分。
いいキャステイングだった。

「人情紙風船」 1939年  山中貞雄監督.  PCL

山中監督出征前の作品。
「あれが遺作では寂しい」と本人が出征中に述懐したという。

作品を貫く庶民目線(反権力)の精神を、細かいところまで練られた脚本で見せる。

長屋に住む落ちぶれた武士が、地位のあった父のツテを頼って権勢をふるう御家人に取り入ろうとするが相手にされない。
一方長屋の住人達には、目が見えるとしか思えない按摩がいたり、やくざのショバで賭博をしては逃げ回る職人崩れがいたり。

長屋の住人の描写がユーモラスでブラックで面白い。
落ちぶれた武士をあしらい続け、出入りのやくざを使ってまで排除する御家人と豪商の描写もシニックでリアリステックだ。

職人崩れが、豪商の放蕩娘を誘拐して、彼らの鼻をあかしたりもする。
が、庶民側の抵抗もここまで。
職人崩れはやくざの親分と果し合い、落ちぶれた武士は万策尽きて長屋で妻と心中する。

庶民目線の精神は、時代の暗黒を前にペシミステックな結末となる。
山中監督の「この作品が遺作では・・・」という述懐は、戦争に向かう時代の暗黒を色濃く反映した作品を遺作にはしたくなかったということなのだろう。

マンガでよむ『諏訪大明神絵詞』

山小舎では普段はテレビがつけっぱなしです。
ある日、ローカル放送のニュースで、「諏訪大明神絵詞」の研究をしている博物館学芸員のことをやっていました。

放送内容は、県内の博物館の女性の学芸員が専門の「諏訪大明神絵詞」をわかりやすくマンガにしてブログで発信していたところ、出版社から声がかかり本にした、とのことだった。

hほほnほんほんcほんcyほんちょ本著本

諏訪大社のおひざ元である諏訪地方。
諏訪大明神、お諏訪様、と呼ばれる存在は身近なものであると同時に、正体不明、謎の存在でもある。
諏訪大社の主宰神がタケミナカタの尊であることは知られているが、古事記のカミであるタケミナカタが本来の科野の神様なのか?
また、諏訪大社の古い古い歴史の中での信仰上の神秘的な流れ、武力勢力との迎合・反発という現実的な流れは一地方の歴史というにはあまりに大河ドラマ的ダイナミズムに満ち満ちており、深い闇にも閉ざされている。

諏訪大明神、お諏訪様、に関心は持っていても原典である「諏訪大明神絵詞」は難しすぎて訳が分からない。
そんな山小舎おじさんにとって、研究者によるマンガ読み下し本は格好の入門書になりそうだ。

テレビのニュースもそこそこに、おじさんは諏訪市にある本屋へ行きました。
郷土本コーナーへ意気揚々と向かうが何度探してもその本はありません。
レジのお姉さんに聞いてみました。

お姉さんもすぐにはわかりません。
ネットを叩いて検索してもらうと、どうやら当該本は書店には流通しておらず、諏訪大社本宮や神宮寺、地域の文化センターでのみ売られているとのことでした。

お姉さんに感謝し、その足で諏訪大社上社本宮へ向かいました。
拝殿近くにあるおみくじ売り場で巫女さんから購入できました。

目次

「マンガでよむ諏訪大明神絵詞」は五味夏希さんという女性研究者による本。
原著のエピソードを女性らしいやさしいマンガで読み下している。
本著で取り上げたエピソードは数編。
マンガからは著者の人柄や、原著に対するリスペクトが伝わってくる。

本著エピソードより

山小舎おじさんが「諏訪大明神絵詞」という存在を知ったのは、こちらも女性著者による「諏訪の神様が気になるの」(2020年信濃毎日新聞社刊)という本でのこと。
その本で繰り広げられていたのは、古事記や絵詞からの、国譲りなどの神話の世界や、諏訪大社を巡る大祝、神長官、ミシャクジといった神官の世界。
とても神秘的でおどろおどろしくもあり、また一方で血なまぐさくもあるものでした。

「マンガでよむ諏訪大明神絵詞」では本来の絵詞が持っているであろう、血なまぐさい権力争いの歴史は採録されてはいません。
一方で、ほのぼのしたエピソード、ありがたい仏様やお坊さんのエピソードが採録されています。

著者のやさしいマンガからほのぼの感が伝わってくるのですが、よく内容を読めば、厳しい信仰の世界や、カミの厳しさが読み取れるのかもしれません。

軽トラ流れ旅 甲州街道笹子峠越え 

6月上旬、娘とその連れ合いの誕生会で帰宅しました。
軽トラで帰りました。
帰りにマウンテンバイクを積んでくるためです。

マウンテンバイクを積み旅姿の軽トラ

下道での往復。
片道数時間以上かかります。
お土産を買ったり、道の駅に寄ったり、食事をしたり、たっぷり寄り道をします。

帰りはかねてから通ってみたかった笹子峠越えの旧道を使いました。

自転車を積んで9時ころ自宅を出発。
八王子を経て高尾山塊を越えます。

相模湖に寄ってみました。
子供が小さなころは何度か来た場所です。
平日の午後の相模湖は時間が止まったようでした。

初夏の相模湖で一服

大月駅に寄ってみます。
信玄餅で有名な桔梗という菓子メーカーの販売所があり、和菓子をよく買います。

ついでに駅の立食い蕎麦によって昼食です。
蕎麦屋は地元の学生や勤め人、外人観光客などで混んでいました。

大月駅前の桔梗屋
大月駅の立食い蕎麦で、かき揚げ丼セット

笹子の集落を過ぎ、長いトンネルをくぐると甲府盆地です。
国道20号線、中央自動車道、JR中央本線、そのどれもがトンネルをくぐります。
トンネルをくぐらず、笹子峠を越えるルートがそのほかにあります。

国道20号線を行き、笹子トンネルに入る少し前を左折します。
初めて通る道です。
集落を過ぎると山道に入ります。
周りは杉林です。
車幅は思ったより広く、普通車が交差できるほどです。

国道20号線と笹子峠旧道の分岐点
杉の美林地帯を行く

しばらく行くと矢立の杉という場所に着きます。
相当に古そうな杉の巨木が立っています。
一見の価値ありです。

神々しさをたたえる矢立の杉

笹子峠は1車線幅の隧道でくぐります。
昭和11年に完成したという味のあるトンネルです。
長さは100から200メートルほど。
入口から出口が見えますが、車両の交差はできないので用心して進みます。

笹子隧道入り口

隧道を出ると山すそに宿場町の名残を残す集落がありました。

笹子峠、甲府側の宿場案内
駒飼宿の風景

集落を過ぎると国道20号線に合流します。
感応式の信号がありますがいつまでたっても青にならないので、用心しつつ信号無視して国道に合流。
国道20号線を直走って山小舎に帰りました。

国道20号線合流地点の感応式信号

わらび採り

わらびを採りました。
山小舎おじさんの住む姫木平別荘地は山菜の採取場所としても有名らしく、毎年住人だけではなく、プロアマたちも採取にやってきます。

春の山菜はわらびだけではなく、こごみや山ウドなども採れるようです。

山小舎おじさんは今年、わらび採りにチャレンジしました。
採取場所は別荘地中央にあるスキー場跡。
山小舎おじさんがやってきたころにはすでに廃業していたスキー場です。

雑草と灌木のスキー場跡地

別荘地内のしらかば通りという登り坂を突きあたりまで行くと、スキー場の上の方に着きます。
軽トラを置いて、スキー場の坂と平行に続く道をたどってゆきます。
歩きつつ眺めるとぽつぽつわらびが見えます。

斜面にわらびが生えている

道沿いに、あるいは道を離れた斜面で、わらびが生えています。
なるほど今年は豊作です。
手で折って採ります。
既に先っぽを折られたわらびもたくさんあります。

大収穫。あく抜きに大ボールが2つ必要なほどの分量!

30分ほどで小さい籠一杯になりました。
採ったわらびは自宅に持って帰りました。
重曹と熱湯で半日あくを出してから、カミさんのお友達にあげようと思います。