定年おじさん山小屋に住む

山小屋の紹介

定年おじさんは現在単身で長野県の山小屋に住んでいる。
山小屋といっても別荘地に立つ古民家。茅野市の金沢宿にあった養蚕農家の建物を、先代オーナーが平成15年に移築したもの。移築後の延べ床面積は150平米。
太い柱や梁で組まれており、古い建具や、階段、道具類もそのまま持ってきている。
移築後、壁や床は新材で葺き直している。キッチン、洗面台、トイレ、風呂などは新しい機材を使っている。
なお、別荘地に下水はなく、排水は浸透、トイレは汲み取りである。暖房は薪ストーブ、炊事はプロパン。

山小屋の手入れ

定年おじさんが住む別荘地の標高が1500メートル。
風通しのよい日本家屋である山小屋は、冬の寒さ対策が切実。
窓を全部サッシとし、二階の梁の上に板を張るなどしてリフォーム。
また、古民家は障子・襖や欄間などの建具や、白壁がキャッチー。障子紙の張替えや白壁代わりの壁紙張りなどを行った。
天井板の張り付け、サッシの設置、板壁の補修、配線・配管などリフォームは大工さんに頼んだが、日本の木造家屋に付随する家の手入れを日々楽しんでいる。

山小屋のこれから

古民家山小屋の先代オーナーは妻の知り合いで、定年おじさんがタナボタで住まうことになった。
おじさんの夢は田舎暮らしだったが、自力での実現はあきらめていた。
山小屋に巡り合わなかったら、いやいやながら65歳まで会社に残っていたことだろう。
山小屋が古民家という日本家屋であることもラッキーだった。まだ2年目だが住んでて飽きないし、手入れも手間がかかるが楽しめる。
間取りに「余白」が多いこともおじさんのような旧世代は安心する。
今はとりあえず家族に気に入ってもらえるように手入れしてゆきたい。

定年おじさん ジャムを作る

おじさんとジャム

おじさんとジャムづくりの初遭遇は子供のころ。
家の表の路上で近所のお姉さんが七輪でイチゴを煮ていたのを眺めていたこと。当時は七輪を使った炊事を路上で行うこともあった。
60歳過ぎて自分で作るようになろうとは。

長野県のジャム素材

長野は食材の宝庫だが、ジャムの素材も豊富。
初夏のアンズに始まって、ルバーブ、スモモ、ブルーベリー、ネクタリン、モモ、洋ナシ、リンゴ、イチゴ。
モモとネクタリンのかけ合わせのワッサーというのや、珍しい素材ではハックルベリー、食用ほおずきもある。

おじさんジャム材料を探す

長野県は桃の産地でもある。長野市川中島が名産地だが、近隣のものがちょくちょく直売所に出る。
近くの直売所では、最盛期の果物が箱単位で売られ、加工用のB級品だと値段も安い。
モモ1箱を1980円で購入。地元産かと思ったら山梨産だったが。

モモのジャムを煮る

モモを煮る。
去年から本やネットを参考にいろんな果物のジャムを煮ている。
今では、季節の果物が安く売られているのを見ると思わず買って帰りたくなる。
旬の果物の香りと甘さはそれほど魅力的だ。

モモは皮を煮て色を出すのがポイント。その間、ビンと蓋を煮沸しておく。
皮から色が出たら、剥いた実を切って投入。砂糖を入れる。レモン汁も少々。               砂糖の分量はその後の保存を考えると材料の1/2が目途といわれるが、素材の香りなどを考えると1/3くらいか。                      実が煮崩れてツヤがでてきたらアツアツのうちに、これまた消毒済みのアツアツの瓶に入れ、軽く蓋をする。
瓶内の減圧のため、中身を入れた状態で再び煮沸。              数分ののち引き上げ、瓶を固く締めて出来上がり。

食べ方

パンやヨーグルトの友として食べるのが王道。すっぱみがなく子供向きの味である。
作ったジャムは、自宅へ送ったり持って帰るが、息子はカレーのチャツネとして使ってコクが出たとのこと。
蓋が固く締まりすぎるのが家族には不評で改善の余地ありと反省。

 

 

 

 

 

初めまして定年おじさんです

自己紹介

1956年北海道生まれ。大学卒業まで実家暮らし。1年浪人、2年留年ののち25歳で卒業。                                      就職試験に全部落ち、やむなく1年間の海外放浪。                 帰国後は、東京に出てバイト暮らし。農産物の産直を営む会社に入社。結婚。2児を設ける。                                      産直会社を退職。病気で入院したこともあり、いわゆる普通の会社に33歳で途中入社。3人目が生まれ、60歳の定年までサラリーマン生活。その間に3年半の単身赴任あり。2016年に定年。1年間の嘱託社員を経て2017年に退職。

現在の生活

妻の知り合いが、長野県に別荘を持っており、何度か妻に同伴で訪れていた。     別荘地内に付近の古民家を移築した建物で、柱や梁はしっかりしているが、空き家期間が長く、古色蒼然とした状態だった。ご縁があってその建物を譲り受けた。                                    退職後、単身にて居住。冬季間は東京の自宅に戻るものの、4月から11月くらいまで田舎暮らしを続けて2年目。                             自宅には妻と末の息子がそれぞれ仕事を持って居住中。長野には、娘一家も含め、時々遊びに来る。また、家族の行事に合わせ月1回程度はこちらも自宅に帰る。

現在の心境

東京でのサラリーマン暮らしを30年近く。出世とは縁がなかったものの、一人前に中年太りの身にはなった。もともと田舎暮らしにあこがれてはいたが、結婚後は現実的な生活に追われていた。                                   50歳代後半から、休日は家族に相手にされなくなってきて、もっぱら自転車で半日、近くの商店街などをさまようのを楽しみとした。同じ境遇と思われる中高年のサイクリストや散歩者を見かけた。                               山小屋(当該建物を家族はこう呼ぶ)暮らしのチャンスを得て、今時としては少々早めにリタイア。元気なうちに念願の田舎暮らしをと決断した。              わが身のとっても人生のテーマである、「定年後のおじさんとの居場所や生きがい」について、ささやかな実践の一例として発信したいと思う。