ローカル路線バスの旅 路線バスで上田へVOL.2

路線バスで上田についた。
土曜日の朝10時過ぎ。
駅前は観光客や地元のヤングの姿がちらほら。
彼らはこれからどこへ行くのか?
観光客ならまずは上田城だろう。

では地元のヤングは?
商店街にヤングの姿はほぼない。
そもそも人が歩いていない。
ではヤングは、地元のファミリーはどこへ?
その答えを探すべく、おじさんは駅近くのショッピングタウンのアリオへ行った。

アリオとはイトーヨーカドーが経営するショッピングタウンで、全国展開している。
よく地方のヤングが、「地元のデート場所はイオンタウン」とかいうが、上田ではどうなのか?

ちなみに、上田には、イオンタウンもある。アリオの方が駅から近くて。後発のようだ。

上田のヤングとファミリーはアリオにいた!

広大な駐車場。あたりをはばかる巨大な建物。
朝一番から人の出入りが多い。

アリオの内部はイトーヨーカドーの食品スーパーの周りに、各種の店舗が出店し、家族連れが引きも切らない。

サーテイーワンもある、無印良品もナムコもJTBも。
食べ物から、衣料ブランド、携帯から美容、眼科、カルチャーセンターまで。
行政サービスの一部代行までしているのかここは?
別棟にはシネコンも。
今時のファミリーの需要にピッタリ。
果たして土曜日10時から店内は、家族連れで一杯ではないか?
上田の消費者はここにいた。
商店街ではなく、ここにいた。

今時のショッピングタウンらしく、商品の展示だけではなく、レストコーナーやトイレなどの数も多く、来客が長時間滞在できるようにしている。
催し物コーナーでは、赤ちゃんのハイハイ競争や、少年向けのベイブレード大会なども催されていた。

あらゆる年代層、趣味の人がここで一日楽しめる。
今は寒い時期だから人が暖かい店内に集まる?
いいえ、暑い夏だって涼しい店内に集まるだろう。
商店街に人がいないはずだ。

万が一、アリオが上田から撤退したら?
資本の論理からして可能性ゼロではない。
そうなったら、上田市民にとっては単に商品の選択の幅が狭まるだけはなく、集いの場所が喪失するのではないか?
もっと大げさに言えば、本来は行政がサービスすべき種々の利便性の喪失ということにもなりかねない。
恐るべしアリオ。

真田の本拠、上田城は人気ランキング1位

天気がいいので、上田城へ行く。
おじさん去年に次いで二度目の訪問。

真田氏が二度にわたって徳川軍を撃退した伝説のお城。真田幸村は今でも根強い人気を誇るが、城の防衛戦での勝利のほかに、大坂の陣での徳川軍への反撃戦での活躍が後に立川文庫などの軍記物で一般化したものという。


上田城。
天守閣はもともとないし、櫓が3基と石垣が残るだけ。しかもその石垣は真田時代のものではない。
しかし11月の今日も、観光バスが乗り付け、団体客のほか観光客が引きも切らない。
テレビのお城人気ランキングであまたの名城を差し置いて一位になったこともあるようだ。

松本城のようなきらびやかさはなく、外人観光客の姿はほぼないが、地元に愛された落ち着きと風格のある場所。

帰り道、おもてなし隊の演武が行われていたので覗く。地元の劇団が出演していた。

コーヒー180円。喫茶・木の実は地元の社交場だった。

上田の中心部へ戻る。
北国街道という新潟への旧街道筋に面する商店街。
中央二丁目という交差点は、旧店舗は閉店し、マンションとセブンイレブンが目立つ場所となっている。

ここからすぐの相生町というところに古い食堂、喫茶店が残っている。

喫茶・木の実という店へはいる。
昭和32年創業で、コーヒー180円は変わらず。
おじさん2度目の来店。

コーヒーを飲んでいると、地元の商店街の旦那さん風の人がやってきた。
ビールと酒を注文し、つまみにピザのテイクアウトをオーダーしている。
高齢の女性マスターの息子が対応している。
旦那は息子相手にビールを飲み始める。

上田でも松本に倣って路上禁煙を始めるらしいとか、地元の旦那衆らしい雑談が聞こえる。
帰りしな、旦那から一緒に(ビールを)どうですか?とのお誘いがあった。

帰りが遠いからと断るが、ちょいと惜しかったか?
バリバリ地元の人と話すチャンスでもあったから。
もっとも話が弾んだかどうかはわからないが。
さすがは地元の旦那衆の応対である、と感心する一幕だった。

帰りのバスを待って駅で一杯

上田で一杯飲んでみたかった。
焼き鳥で町おこしもしているし。
16:30の帰りのバスを待つ間、上田電鉄の改札脇の焼き鳥屋へいってみたが、今日はやっていない。
こういった気まぐれなところが、商売っ気のないところが、勿体ない?

やむなく、駅のコンビニで缶ビールを買って、コンコース脇のベンチでグビリ。
寒いけど、歩き回ってのどが渇いたのか、ぐんぐんビールが入ってゆく。

上田の駅ではベンチでビールなど飲む人はいないのだろう。通行がチラチラ見てゆく。
まだバスの時間があるので、ワンカップの千曲錦を買って開ける。

聞けば、駅ビル内のから揚げセンターでは昼から1時間飲み放題をやっていたとのこと。残念。次回また。

16:30発のバスは、別荘地まで直通。
自家用車で45分のところ、集落や別荘地を巡って90分かけて走る。

18:10に真っ暗な山小屋へ着きました。
上田でビールまで飲めて充実した休日となりました。

 

ローカル路線バスの旅 路線バスで上田へVOL.1

思い立って路線バスで上田に行き、一日遊んできた。

路線バスで上田へ。
これがなかなか難しい。
まず、おじさんの住む別荘地を発着するバスが1日に6,7本しかない。
JRバスが運行する長和町巡回バスというやつ。
町内は運賃100円だ。

上田に行くには、途中乗り継いで1日4回のチャンス。
乗り継げる便は、朝2便、夕方2便しかない。
帰りの最終は上田駅発16:30だ。

これでは、「ローカル路線バスの旅」のロケも難しい。通学ならともかく、日々の買い物などには全く使えない。車が必需品となるゆえんだ。

おじさんの別荘地は長和町の端っこ。
路線バスを運行しているということ自体が、別荘住民に最大限のサービスを提供してくれていることだ、というのはわかる。
バス会社というよりは、町側の配慮なんだろうが。

若いころから当てのない旅が三度の飯より好きな?おじさん。
思い切って路線バスの旅へゴー!だ。

別荘地と集落をめぐり路線バスは行く

寒いというより冷たい朝。
8:00発のバスを待つ。
長和町役場近くのやすらぎの湯という温泉施設行きだ。

バスがやってきた。
客はおじさん一人。
出発。
別荘地内でおばさんが2人乗車。

この後バスは、隣の別荘地やら、鷹山スキー場という隣の山のスキー場やらに寄ってゆく。
そのたびに山を上り下り。
車なら大門街道をまっすぐ下ればいいところを2倍以上の距離と時間をかけて下ってゆく。

別荘地もスキー場も長和町の振興公社の経営。
路線バスもそれらの敷地を巡る路線を維持して、サービスしなければならないのだ。
当然のようにこの間の乗客はなし。
ただ、自分で運転する時と違い左右の景色を十分に眺めなられるのはバスのいいところ。
おじさんはバス旅が好きだ。

35年前に放浪した、インドでの満員のがたがたバスを思い出す。
下痢腹を抱えての長時間旅、休憩時間のトイレも周辺までフンが散らかりとても使える状態ではなかったっけ。それに比べるべくもない快適な日本のバスの旅。

ふもとの集落を通り、乗客を拾ってゆく。
3人ほど乗った。

やがて、中継地点の長久保ターミナル着。
ここまでの運賃は100円。

おじさんはここで降りて、上田行きのバスに乗り換える。
バスを待つ乗客が10人近くいた。

丸子で千曲バスに乗り換える

長久保からは幹線道路沿いに上田へ進む。

9:22丸子へ到着。
今は上田市に吸収合併されたが、もとは丸子町として独立していた地域。
私鉄上田電鉄の丸子駅があった場所にバスターミナルがある。
今は駅舎もなく、ドラッグストアが建っている。
ここまでの運賃は560円。
おじさんはその前に100円払っていたので460円の支払いをして下車。

ここでJRバスから、千曲バスへの乗り換え。
千曲バスは上田駅方面に毎時2,3本の運行と格段に便利。

料金も丸子から上田駅まで300円と、JRよりは安い。
初めて乗る千曲バス。
乗客数も増え、田舎の路線バスから街中のバスへ、車内の雰囲気が変わる。
乗客も、温泉施設や病院へ向かう年配者から、町へ遊びに行く若者の姿へと様変わり。
いつしか車窓も上田の町の風景となった。

10:10上田駅に着いた。
運賃は300円。行きの合計運賃は860円だった。

(続く)

ご近所立寄り湯めぐりVOL.2 蓼科別荘地と蓼科温泉

八ヶ岳中信国定公園の中心部に近く、古くからの別荘地で有名な蓼科という土地がある。

温泉が湧き、旅館街を形成し、街の金持ちが別荘を建てた場所。歴史は古い。
今では東急リゾートがゴルフ場などを大規模開発。
ふもとの茅野からのルートであるビーナスラインは交通量も多い。
おじさんの山小屋からは割と近いのだが、これまであまり行ったことがなかった。
今回軽トラで半日散歩としゃれこんだ。

小津安二郎ゆかりの別荘を訪ねる

茅野駅前の商業ビル内の小津安二郎コーナーの一角では、古い(戦前の?)蓼科の映像が流れている。
ボンネット式のバスが坂道を登ってゆき、温泉宿では若い女中さんたちが笑っている。
古い観光絵葉書のような光景の中には活気が感じられた。

映画監督の小津安二郎が蓼科の別荘で毎年脚本を書いていたのが、昭和30年代から40年代にかけて。

無芸荘という建物は執筆用ではなく、迎賓用に使われた別荘とのことで、立っていた場所から中心地のプール平に移築された由。

小津監督と蓼科のご縁は、蓼科高原映画祭という形で地元に残り続けている。

共同湯・蓼科温泉へ入湯

古い映像に残る蓼科温泉街の活気は今は面影もない。
古い旅館が少し残るだけ。

水の流れは変わらない?

共同湯・蓼科温泉へ入ってみた。
熱めの湯。かすかに硫黄臭がする。500円。

管理人のおばさんと話す。
中心部のプール平の由来とは、かつて温泉プールがあったからとのこと。

かつては道の終点だった、蓼科温泉街もビーナスラインが、車山や美ヶ原の方まで通って、泊り客が減ったとのこと。

ふもとの東急リゾート開発のゴルフ場や、温泉街のホテル、旅館も経営は苦しいようだとのこと。

また、住んでいる別荘族も高齢化で、温泉に集まる様子は養老院のごとし?とのこと。

温泉自体は源泉から引いた60度のお湯をそのまま使っており、時々ゴボッと湯が沸くような音がする。
熱かったが、加温した湯を使う、最近の大規模な温泉施設に比べると本来の温泉らくて良かった。

ついでに奥蓼科温泉郷を覗きに行く

蓼科温泉を出て、ビーナスラインを白樺湖方面に進む。道路わきに別荘が点在する。
学校や企業の保養施設の看板も目立つ。
おじさんの住む別荘地に比して、メジャーな雰囲気がする。

奥蓼科温泉郷という場所がある。
蓼科温泉から、さらに八ヶ岳連峰の懐に入ったところ。ついでに行ってみた。

ビーナスラインから林道を抜け、メルヘン街道という、八ヶ岳横断道路をまたぎ、湯の道街道という道に出る。
渋温泉というところで行きどまりになる道だ。

最初に現れたのが、信玄の隠し湯の謂れの、辰野館。
大規模な一軒宿で木造三階建の造り。
寂れた休館を撮影。

ここから道を進み、どん詰まりにあるのが渋の湯。
山懐の温泉。

二軒のうち一軒はつぶれていた。

バス停もあった。1日3本の便。

ビーナスラインを走る

ビーナスラインは、茅野の中心部から、蓼科温泉を抜け標高1700メートルの高原を走り、白樺湖へ降りる。

さらに大門峠を横に抜けて、車山高原から美ヶ原へ至る。

天気が悪いと霧が立ち込めることもある高原の道。
蓼科山の麓を半周して今日の小旅行を終えた。
寒いというより冷たさが身に染みる時候だった。

 

今年も柿酢を仕込む

柿酢という日本伝来の食酢がある。
発酵食で有名な、東京農業大学の小泉武夫先生のブログでも紹介されている健康食。

おじさんも仕込みました。
材料の柿は、この季節、長野ではいくらでも売っています。
渋でも甘でもいいそうです。
熟れたものの方が発酵が早いと思います。
柿の表面についている白い粉が酵母になって発酵するのだそうです。

おじさんは材料を探しました。
農家の庭先や畑の隅っこに柿は鈴なりになっています。あちこちの庭先に干し柿がぶら下がっています。
農家に知り合いでもいたら、干し柿や柿酢の材料であればいくらでも手に入りそうです。

そういった知り合いのいないおじさんは、直売所へ行きました。
直売所といっても、地元産のものを売り、食堂を併設し、お客が引きも切らないところもあれば、地域にひっそりと建っているところもあります。
そういった直売所へ行きました。
八百屋がやっている直売所のようです。
道路わきによくある安売り八百屋のようなものです。
市場で仕入れた野菜の売れ残りを売っている感じです。

B品を探すならここです。
聞いてみるとありました、熟しすぎた柿が。
一箱400円とのこと。買いました。

作り方。
柿は洗いません。へたを採ります。傷があれば除きます。
消毒した瓶に放り込みます。
布巾か紙で瓶に封をして、あとは放っておくだけです。

だんだん泡が出て発酵してゆきます。
時々かき混ぜます。
泡が浮き、透き通った酢が溜まってきたら濾して保存します。
年明けには出来ているでしょう。

これは去年の柿酢です。
濾した時には透き通っていましたが、今は柿色に成熟してきています。
正月に鱠にでも使いましょう。

畑の冬じまい

11月も15日です。
畑は収穫もほぼ終わり。
来年に向けての冬じまいです。

今年最後の畑の手入れ。
夏の間酷使した土壌を休ませ、養います。
耕して日光を当て土を消毒します。
石灰などを散布して土の酸性を中和します。
土を半年休ませて、作物が収奪し不足したミネラル分を回復させます。

おじさんの山小屋の脇には去年積んだ堆肥があります。別荘地に山と降り注ぐ落ち葉を集め、糠や鶏糞とともに積んだものです。
これが平地なら積んだ先から湯気を上げて発酵開始し、半年で養分たっぷりの堆肥になるのですが。
ここは1500メートルの高地。
気温のせいか、水分が足りなかったのか。発酵が進まないまま1年たっていました。

といっても山小屋の敷地に積んでおいても鹿のおやつになるくらいなので、軽トラに積んで、畑に運ぶことにしました。
標高600メートルの畑でこの先半年置けば、土になじんで来年養分として働いてくれるような気がしたからです。

酸性の中和には、生石灰ではなく、もみ殻燻炭を使いました。
この間せっせと作った燻炭が肥料袋で10袋近くあったのです。
燻炭というよりは灰に近いものもありましたが。

燻炭と、もみ殻と、堆肥を撒きます。

耕運機を大家さん宅から借ります。
大家さんは不在なので特に断りもなく、納屋から耕運機を出して使います。

いつもガソリンを満タンにしてくれています。
納屋から畑まで、15分くらいかけて自走します。

耕運機を縦横にかけ、畑の冬じまいが終了です。

天気はよく畑日和。
風がないとポカポカ陽気なのですが、風が冷たくヤッケが手放せませんでした。
畑よ、大家さんよ、来年もよろしくお願いします。

信州ソウルフード放浪記VOL.2 長和町「立岩和紙の里」で新そばを食べる

おじさんの住む山小屋があるのは長野県小県郡(ちいさがたぐん)長和町というところ。
長和町は上田盆地の西端に位置し、二つの峠で茅野、諏訪と接している。

おじさんの山小屋は、茅野へ抜ける大門峠という峠の下にある。
長和町の中心部へ行くには国道152号線、通称大門街道を下ってゆく。
大門街道を下りきり、役場や、「道の駅マルメロの里」を過ぎ、上田市に入る直前に、立岩和紙の里という施設がある。

この地区の特産物・和紙を取り上げた、体験型施設で、特産物の販売、食堂を併設している。

団体客が体験紙すきをしたのであろう、何十枚もの漉いた紙を型枠ごと干している風景をよく見かける。

おじさんはここの前を何十回も通ったが、入ったのは初めて。
公共施設特有の敷居の高さというか、上から目線をおじさんのナイーブな心にさざ波を立ててしまうのだ。

いつもはコンビニ弁当か直売所のうどんで済ませる、畑の後のおじさんの昼食。
今日は思い切って和紙の里の食堂を覗いてみよう。

入ってみると、内部は広く、太い柱と梁の伝統的な日本建築。
昔の学校か何かの公共施設だったと思わせる。
時代をワープして、子どもの頃の学び舎に戻ったようで落ち着く。
平日の2時ではあるがほかに客は一人。

レジのお姉さんのおすすめは新蕎麦とのこと。
今日の定食をチョイス。
蕎麦の実が入ったとろろご飯と新蕎麦のセット。

これがうまかった。
長野に来てから、十割蕎麦や、善光寺の門前蕎麦、上田の有名店などで蕎麦を食べたが、一番食べやすいそばだった。
麺の硬さと風味とが一番調和がとれていると言おうか。

田舎の食堂では、なんといっても素材の良さと盛りのよさを期待するが、素材の良さについては文句なし。
油っ気のないメニューにしては満足感もあった。

ちなみにこの施設、長和町振興公社という第三セクターの運営。
同社は、スキー場や、温泉施設なども運営している。
いわば、町の公共性の高い商業施設を、民間から引き継いで、あるいは最初から直営で運営しているわけだ。

おじさんがバイトしていた別荘管理事務所の慰労会が、湯游パークという町内の温泉施設の食堂で催されたが、その温泉施設も、長和町振興公社が経営している。
半官半民じゃないと町の商業施設は成りゆかないのか?

茅野の古民家カフェに行ってきました

茅野市東部の泉野という地区に、古民家カフェ・Mさんちがある。
定年おじさんは2017年広報ちの11月号で知った。
その号の「移住してよかった茅野市に」という特集で紹介されていたのだ。

訪れたのは2017年に続き2回目。
Mさんちもその年の3月に移住したばかりだった。
若い働き盛りの夫婦。
ご主人は日中務めており、奥さんがカフェを運営。
神奈川より移住とのこと。

泉野という地区は、標高1000メートルに位置し、かつては養蚕が盛んだった。
大きめの集落の中心部にある、築150年の古民家ともども敷地600坪を購入して移住し、古民家をリニューアルしてカフェをオープンした由。

移住者の話を聞きたくておじさんは再訪した。
干し柿がすだれをなしている屋敷の表。

聞けば庭の柿を採って干したとのこと。
これだけ干すのは大した仕事量だ。

敷地の半分が畑とのことで、去年は耕していなかった畑が半分ほど耕されている。

燃料用の廃材や丸太もカットされている。
平日勤めながらの作業。
田舎暮らしの楽しみとはいえ、時間のない中での慣れない作業であろう。

古民家の内部は、床を張り替え、壁を塗り直しただけで、柱、梁、天井はオリジナル。

本格的リフォームを施しているので、おじさん宅の古民家とはグレードが違う。

庭に面したガラス張りの引き戸がいい。
庭に面しておひさまの恵みを取り入れている。
道路に面しては閉鎖的な日本の家屋の、中に入ってみなければわからない開放性だ。
町の家っぽい感じがする。
常に底冷えがするおじさんの山小屋と比べてはいけないが。

奥さんに話を聞く。
田舎暮らしをするにあたって、別荘などではなく、集落への移住を考えていたとのこと。
まだ若い生産年齢世代の物おじしない行動力を感じる。物件は不動産屋で見つけたとのこと。
借家ではなく、買取。

地域にはよくしてもらい、行事には参加し、問題はないとのこと。
カフェのお客も地域の人が主だとのこと。

おじさんのような定年後の年代のような、おっかなびっくりさはない。
「こだわりなく、生活に突き進む」現役世代と「細かいことにこだわって後ろ向きな」リタイア世代の差であろうか。

定年おじさんも若い世代から刺激を受け、心をリフレッシュしてゆかなければ。

敷地はほぼ平面で、使い勝手がよさそうで今後の楽しみが十分ある。
若い世代の地に足を付けた生活を応援したい。

ヤーコンジャムを煮る

ヤーコンという作物がある。
アンデス原産で日本での栽培は歴史が浅い。
球根を食べるが、サツマイモのような外観。
生で食べると、シャキシャキして甘く、中国では果物として売られているらしい。

オリゴ糖など栄養分が多く、体に良いとされている。
日本では、北関東、東北を中心に栽培され、長野でもよく見かける。

定年おじさんの自宅ではスムージーの材料として、小松菜やリンゴに混ぜて飲んでいる。
今年おじさんは畑に4株(球根)ほど植えた。
順調に生育。

秋には葉を採取してヤーコン茶にした。
11月になってから収穫したが、そこそこの収量があった。

形のいいものは自宅のスムージー用にしようと思っている。
半端なものも結構出た。小さかったり細かったり。
それらをジャムにしてみた。
同量のリンゴと30%ほどの砂糖にレモン汁。

ヤーコンもリンゴも、すりおろしてから煮るのがレシピ。
おじさんは、リンゴもヤーコンもスライスして煮てみた。

ヤーコンの実が割と硬かったので、ストーブでゆっくり煮た。
2時間後、リンゴが煮崩れてきたのに対し、ヤーコンの形が残っていた。
思ったより手ごわいなヤーコン。
ヤーコンジャムを煮る際の「ひと手間」はすりおろすことだったのか?
でも硬くて手間だったしなあ。

そこでおじさんは、柔らかくなったヤーコンをスマッシャーでつぶしながら煮てみた。
何となく混じりあった。

ヤーコンのショウガに似たさわやかな香りも残ったジャムができた。
いつものように煮沸した瓶に詰めて、減圧、殺菌。

体にいい保存食ができた。

以上、家族にはジャムおじさんと呼ばれたこともある定年おじさんより。

地元パワースポット訪問記VOL.2 豊作を感謝、松尾神社にお参りする

今年の畑もほぼ終了。
畑の地元、長久保集落の鎮守、松尾神社へお参りして豊作を感謝しました。

旧中山道・長久保宿をほぼトレースして、長久保の集落が現存する。
集落の端っこ(中山道の上手)に松尾神社がある。

現中山道である国道142号線を上ってゆくと、長久保の集落を過ぎるあたりひの左手に朱色の鳥居が見える。
案内板を見ると1800年代に本殿を建立とある。
比較的新しい神社。
地域に大事にされ今でも例大祭が行われている。

おじさんは畑作の無事を祈願し、また収穫を感謝して折々にお参りするようにしている。

今年の豊作を感謝してお礼のお参りをした。
立派な鳥居をくぐると、その名も五十鈴川に架かる橋を渡る。
伊勢神宮にある川と同名の川が流れているのだ。

境内は静まり返っている。

社が2つある。
これは上手の社へ向かう鳥居。

下の社にお参りし、もう一つ坂の上の社にも行ってみる。

来年も変わらず無事に畑ができますように。

茅野の街を歩く VOL.1

茅野市は、諏訪湖の南方に位置し、白樺湖までを領域とする。
国道20号線(甲州街道)、中央自動車道、中央本線に接し東京都へのアクセスも良い。
新宿発の特急あずさの停車駅でもある。

八ヶ岳連峰の北端に接し、古くからの別荘地である蓼科高原への玄関口でもある。
また、佐久方面、上田方面への峠越えの起点でもある。

山梨県の清里、小淵沢から発し、長野県に入って富士見、原と続く高原リゾート地帯の終点でもある。
この一帯は、移住者、別荘族の楽園の地といわれる。

人口は55,000人。
後発の市ながら、近隣の諏訪市、岡谷市を人口数で抜き去ったと聞く。

定年おじさんの山小屋への玄関口が、中央自動車道の諏訪南インターで、ここで降りて、原村、茅野と通り、国道152号線で大門峠を越えて着く。
おじさんの山小屋は行政的には、上田のエリアに属するが、心理的には茅野への親近感が強い。
茅野が東京ナイズされた町だからだろうか?
距離的にも茅野に行く方が近い。

茅野駅をを仰ぎ見る

茅野の中心街は?
駅周辺であろう。
駅舎は立派だが、いわゆる雑居ビルとしての駅ビルはない。
通路でつながった商業ビルはある。
また、駅に隣接して市民会館がある。

地方都市の常として、役所、公共施設は町で一番立派な建物であることが多いが、茅野で一番立派な建物は市民会館だ。
蓼科高原映画祭のメイン会場にもなり、最新の設備を誇っている。
駐車場は3時間無料である。

駅舎は市内で出土した土偶をメインにレイアウトしている。国宝である。

駅から延びる道がメイン道路。
地元出身の小平奈緒選手がオリンピック優勝の凱旋パレードで通った道でもある。

ついでに小平さんが小中学生の時に練習に通ってというスケート場を見る。

夏はゴルフの練習場、冬はスケート場になるようだ。

街の匂いを探し駅前を歩く

アーケード街もなければ、商店が固まってもいない茅野駅前を歩く。
車で通っただけだは、住宅の間に商店が点在するだけの駅前に見える。

ちなみに、スーパーやファミレス、チェーン店などは国道152号線、通称ビーナスライン沿いに固まっている。車の通行量も多い。

「旧市街」には何もないのか?
神社があった。
巨木に囲まれた鬱然たる一角。

犬射原社との看板。
ここらで昔、犬を追って射かける、犬追物が行われた由。諏訪大社の末社とある。
よくわからないがただならぬ雰囲気。

ダウンタウン的な街を探して歩く。
雰囲気がありすぎる飲み屋がある。

市内のめぼしい役所、事業所としては市役所と信濃毎日新聞の支所くらいしか思い浮かばぬ立地。
いわゆるサラリーマンの客層は少ないだろうと想像する。

裏通りに入っても、住宅街に飲み屋が点在する風景が続く。

健全というべきか?寂れているというべきか?

以前、馬油を買った肉屋も駅前にある。
原料は北海道産と言っていた。

郷愁の新星劇場とその周辺

駅近くの線路わきに新星劇場という映画館がある。
蓼科高原映画祭のサブ会場にもなる。
常時上映はしていないが、夏休みにアニメをやったり、スポンサード映画を上映したりしている(幸福の科学作品など)。

今日は上映予定のポスター掲示もなく寂しかった。
天井の高い場内と大スクリーンの映画館らしい映画館である。35ミリ映写機も備えている。

ここら辺に飲み屋が2,3軒固まっていた。
思わず撮影。
おとなしい?町にしてはキャッチーな店名の元気な一角だ。
チャンスがあればここら辺で飲んでみたいが、そのチャンスがなかなかない。残念。

県民のソウルフード、テンホウで昼食

昼食は、「長野県民にとって中華といえばここ!」のテンホウへ。
県内に30店舗以上を展開する長野県発祥のラーメンチェーン。
茅野市内にも3店舗ある。
おじさんも何度か入ったことがある。

まずくはない。材料もケチっていない。
全国チェーンのバーミアンよりは余程良心的。

市役所前の店舗に入る。
13時過ぎでほぼ満席。
家族連れ、サラリーマン、外国人と客層も万遍ない。

お勧め定食をチョイス。780円。

見ると、食後に150円のソフトを注文する人が多い。
長野県民のソウルフードとして定着しているように見える。
埼玉県民にとっての山田うどんのように。

娘一家に野菜を送る

収穫した野菜が新鮮なうちに野菜を送ることにした。
3歳と0歳の娘二人を育てている娘宅に、応援の秋の野菜セットを詰める。
おじさんの畑からの贈り物だ。

このほかにリンゴを1袋買って追加して送った。
喜んでくれるだろうか?