桜を求めて八ヶ岳半周(前編) 南牧村・海尻城跡

山小舎開きを終え、山小舎おばさんを諏訪南インターまで送った後、桜につられて軽トラで八ヶ岳周辺をドライブしました。

茅野や原村、富士見の平地では桜の満開が終わっていましたが、八ヶ岳周辺の標高が高い場所ではソメイヨシノなどの桜が満開です。

富士見町の畑の脇の桜。背後に八ヶ岳連峰

八ケ岳エコーラインを使い、山梨県に入り、八ヶ岳高原ラインを走り、美し森など清里高原を抜けて軽トラを走らせます。
このルート、富士見高原エリアには桜が見られますが、山梨県の八ヶ岳高原ライン沿線にはほとんど桜がありませんでした。

清里を過ぎ国道141号線に合流、野辺山高原を抜けて走ります。
坂を下って長野県南牧村の海ノ口地区に入るとぽつぽつ桜の木が見えてきました。

かつては湖が広がっていたというこのあたり、その名残は海ノ口、海尻、小海などの地名に残っています。
千曲川がその源流に端を発し、国道141号線やJR小海線と並行して流れています。

南牧村海ノ口地区の中学校校庭にて

国道141号線に沿った南牧村海尻地区に、海尻城跡という人知れぬ城跡があります。
小高い山の上にあり、そのふもとには天台宗の医王院という立派なお寺が、海尻城跡を守るように建っています。

海尻地区の天台宗医王院。鐘楼を兼ねた山門が見える

医王院には立派なたたずまいの仁王像と山門があり、思わず立ち止ってしまう程です。
近くの諏訪神社の道路わきに軽トラを止め、医王院の境内に桜を探してみました。

山門をくぐる手前に木で作った鳥居のようなものがあり、「史跡海尻城」と看板があります。
見上げれば15分ほどで登れそうな小山の頂が城跡のようなので登ってみました。
眼下に医王院の大きな本堂を見ながらの山登りです。

山門手前の参道を海尻城跡へと分け入る
城址へと山道を上りながら、医王院山門を桜越しに振り返る
山道から桜越しに医王院の本堂

戦国時代以前に地方豪族によって建てられ、武田氏から地元勢力へと主を替えたというお城の跡地です。
地方豪族の「館(タテ)」の大きなものだったのでしょうか、それでも三の丸まであったとのことです。
街道筋と千曲川を眼下にした絶好の立地です、かつてはさぞ栄えたのでしょう。

小山の頂の海尻城跡
山頂の奥には一族を祀る碑が結界を張って守られていた

訪れる日も少ない、昔日の海尻城跡と、それを守る医王院の訪問を終え、再び141号線に戻ります。

国道141号線は、佐久市に入る前に小海町を通ります。
小海町は南牧村の北隣にある、千曲川流域で小海線沿線の近隣では大きな町です。

走っていると児童公園の桜が目に留まりました。
色合いが微妙に違う桜が配置されています。
ちょうど散り始めた花びらが桜吹雪というか雪の花が降っているようです。
そのただなかにいると体が震えるような思いでした。

小海町の児童公園の見事な桜
無人の公園の散る桜に癒される

桜の旅前編終了です。
後編では141号線沿線の佐久市臼田地区の稲荷山公園で桜に出会いました。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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