御泉水自然園

蓼科山の裏側、七合目登山口の手前に御泉水自然園という公園があります。

立科山の裏側、といってもどちらから見た裏側なのかわかりませんね。
諏訪・茅野側から見た裏側です。

現在は、女神湖から蓼科山と蓼科牧場を取り囲むように蓼科スカイたラインが通っており、標高1700メートルほどの蓼科山七合目から登山するのがメインルートになっています。
その手前、女神湖方面に戻った場所にあるのが御泉水自然園です。

今度の週末に仕事のサポーターの方々を連れて山小舎にやってくる予定の山小舎おばさん。
案内先に御泉水自然園がいい、とのことで山小舎おじさんは事前偵察に向かいました。

自然園の前に、少し先に行って蓼科山登山口の様子を見てきましょう。
この日は6月の天気が良い土曜日。
思った以上に登山客が多いようで、収容台数が多くはない駐車場スペースは満車。
止めきれない車が蓼科スカイラインに沿って路駐しています。
ほとんどが県外ナンバーです。
蓼科山の人気のほどがうかがえます。
シーズン中の土日の登山は考え物です。

蓼科山七合目登山口
蓼科山登山客の車が路上に溢れている

さて、御泉水自然園の駐車場に戻ります。
駐車場はガラガラです。
主に県外ナンバーの車が止まっていますが、高齢夫婦だったり、野鳥を狙うカメラマンだったり、軽いハイキングがてらの客が多いように見えます。

御泉水自然園の駐車場は空いている

自然園はGWには娘一家とともに、蓼科牧場のゴンドラに乘って訪れた場所です。
当時は蓼科牧場のゴンドラの山頂駅から自然園に入って、湿地帯の歩道を一周して山頂駅からゴンドラに乘って帰ってきました。
今回は、蓼科スカイライン側にある自然園の正門から入ります。
前回とは反対方向からの自然園へのアプローチとなります。

入園料は600円でした。
まずビジターセンター内を探索。
休憩コーナーには付近の動物のはく製などが並んでいます。
蓼科山の成り立ちについても詳しく解説されていました。

ビジターセンター内にはカモシカなどのはく製も

外へ出ます。
まっすぐゴンドラ山頂駅に向かうのであれば5,6分で行けるようです。
GWまででゴンドラの運行はストップしていますが、雪が残る北アルプス方面の眺望は得られます。

レンゲツツジが迎えてくれる

湿原内を一周する遊歩道を歩きます。
平らなので高齢者でも楽しめるファミリー向けの公園です。
原生林の荘厳さも残る貴重な場所です。

自然園内の游歩道
自然園に溢れる湧水

蓼科スカイラインの反対側には高度差のある自然林(御泉水の森)が広がっています。
滝が見られるというので、ついでに行ってみました。

最短コースは滝に向かって階段上の登山道をひたすら下ってゆきます。
膝が笑い、疲労困憊となるころ滝の水音が聞こえてきます。
節理の入った岩の間を滝が流れています。
深山の気配がします。

滝の麓でしばし休憩。
帰りは大回りの緩やかなコースとします。
途中、野鳥を狙うカメラマン2組に会いました。

汗だくで駐車場に到着。
すっきりとした気分で帰りの途に就きました。

DVD名画劇場 モダン!山中貞雄

山中貞雄という映画監督が戦前にいました。
脚本家を経て監督となり、20代のうちに26本の時代劇を監督。
28歳で出征先の中国で戦病死しました。

山中監督の作品2本を見る機会がありました。

「丹下左膳餘話 百萬両の壺」 1935年  山中貞雄監督  日活

片目片腕のニヒルな剣客・丹下左膳が用心棒兼ヒモとして、寄宿している射的屋の女将とともに、貰い子を巡って右往左往する作品。
もともとは異形の怪人として、数々の作品にフィーチャーされてきた丹下左膳に思いきった解釈を加えた山中監督の快作。

屈折した性格で、剣を抜けば神がかり、の怪奇派である左膳が、女将の尻に敷かれ、射的屋の座敷に寝そべっている。
女将(有名な芸者の新橋喜代三が演じて存在感十分)が得意の三味線で歌いだすとそそくさと逃げ出すといダメ亭主ぶり。
後の活躍の伏線とするために、ショバ荒らしのやくざを追っ払う時の颯爽とした動きの描写も忘れないが。

女将は「子供なんて嫌いなんだよ」といいながら次のカットで子供に飯を食わせている。
「竹馬なんていけません」と説教した次のカットで、嬉しそうに子供と竹馬で遊んでいる。
道場に通わせようとする左膳と、寺子屋だという女将が夫婦喧嘩。
次のカットで寺子屋へ通う子供。
脚本は十分に練られている。

人斬りのシーンの素早い凄惨さ、道場破りのシーンでのとびかかるような腰が入ってバネの効いた動き、は大河内傅次郎自身が持つ、目を見張るような凄さ。
これを最後まで封じて、子煩悩なヒモを演じさせる山中演出の新しさ。

タッチは乾いていないが日本流のソフィステイケーテッドコメデイのようだ。

大河内演じる左膳のコメデイアンぶりもいいが、女将さんを演じる新橋喜代三の貫禄、色気も存在感十分。
いいキャステイングだった。

「人情紙風船」 1939年  山中貞雄監督.  PCL

山中監督出征前の作品。
「あれが遺作では寂しい」と本人が出征中に述懐したという。

作品を貫く庶民目線(反権力)の精神を、細かいところまで練られた脚本で見せる。

長屋に住む落ちぶれた武士が、地位のあった父のツテを頼って権勢をふるう御家人に取り入ろうとするが相手にされない。
一方長屋の住人達には、目が見えるとしか思えない按摩がいたり、やくざのショバで賭博をしては逃げ回る職人崩れがいたり。

長屋の住人の描写がユーモラスでブラックで面白い。
落ちぶれた武士をあしらい続け、出入りのやくざを使ってまで排除する御家人と豪商の描写もシニックでリアリステックだ。

職人崩れが、豪商の放蕩娘を誘拐して、彼らの鼻をあかしたりもする。
が、庶民側の抵抗もここまで。
職人崩れはやくざの親分と果し合い、落ちぶれた武士は万策尽きて長屋で妻と心中する。

庶民目線の精神は、時代の暗黒を前にペシミステックな結末となる。
山中監督の「この作品が遺作では・・・」という述懐は、戦争に向かう時代の暗黒を色濃く反映した作品を遺作にはしたくなかったということなのだろう。

マンガでよむ『諏訪大明神絵詞』

山小舎では普段はテレビがつけっぱなしです。
ある日、ローカル放送のニュースで、「諏訪大明神絵詞」の研究をしている博物館学芸員のことをやっていました。

放送内容は、県内の博物館の女性の学芸員が専門の「諏訪大明神絵詞」をわかりやすくマンガにしてブログで発信していたところ、出版社から声がかかり本にした、とのことだった。

hほほnほんほんcほんcyほんちょ本著本

諏訪大社のおひざ元である諏訪地方。
諏訪大明神、お諏訪様、と呼ばれる存在は身近なものであると同時に、正体不明、謎の存在でもある。
諏訪大社の主宰神がタケミナカタの尊であることは知られているが、古事記のカミであるタケミナカタが本来の科野の神様なのか?
また、諏訪大社の古い古い歴史の中での信仰上の神秘的な流れ、武力勢力との迎合・反発という現実的な流れは一地方の歴史というにはあまりに大河ドラマ的ダイナミズムに満ち満ちており、深い闇にも閉ざされている。

諏訪大明神、お諏訪様、に関心は持っていても原典である「諏訪大明神絵詞」は難しすぎて訳が分からない。
そんな山小舎おじさんにとって、研究者によるマンガ読み下し本は格好の入門書になりそうだ。

テレビのニュースもそこそこに、おじさんは諏訪市にある本屋へ行きました。
郷土本コーナーへ意気揚々と向かうが何度探してもその本はありません。
レジのお姉さんに聞いてみました。

お姉さんもすぐにはわかりません。
ネットを叩いて検索してもらうと、どうやら当該本は書店には流通しておらず、諏訪大社本宮や神宮寺、地域の文化センターでのみ売られているとのことでした。

お姉さんに感謝し、その足で諏訪大社上社本宮へ向かいました。
拝殿近くにあるおみくじ売り場で巫女さんから購入できました。

目次

「マンガでよむ諏訪大明神絵詞」は五味夏希さんという女性研究者による本。
原著のエピソードを女性らしいやさしいマンガで読み下している。
本著で取り上げたエピソードは数編。
マンガからは著者の人柄や、原著に対するリスペクトが伝わってくる。

本著エピソードより

山小舎おじさんが「諏訪大明神絵詞」という存在を知ったのは、こちらも女性著者による「諏訪の神様が気になるの」(2020年信濃毎日新聞社刊)という本でのこと。
その本で繰り広げられていたのは、古事記や絵詞からの、国譲りなどの神話の世界や、諏訪大社を巡る大祝、神長官、ミシャクジといった神官の世界。
とても神秘的でおどろおどろしくもあり、また一方で血なまぐさくもあるものでした。

「マンガでよむ諏訪大明神絵詞」では本来の絵詞が持っているであろう、血なまぐさい権力争いの歴史は採録されてはいません。
一方で、ほのぼのしたエピソード、ありがたい仏様やお坊さんのエピソードが採録されています。

著者のやさしいマンガからほのぼの感が伝わってくるのですが、よく内容を読めば、厳しい信仰の世界や、カミの厳しさが読み取れるのかもしれません。

軽トラ流れ旅 甲州街道笹子峠越え 

6月上旬、娘とその連れ合いの誕生会で帰宅しました。
軽トラで帰りました。
帰りにマウンテンバイクを積んでくるためです。

マウンテンバイクを積み旅姿の軽トラ

下道での往復。
片道数時間以上かかります。
お土産を買ったり、道の駅に寄ったり、食事をしたり、たっぷり寄り道をします。

帰りはかねてから通ってみたかった笹子峠越えの旧道を使いました。

自転車を積んで9時ころ自宅を出発。
八王子を経て高尾山塊を越えます。

相模湖に寄ってみました。
子供が小さなころは何度か来た場所です。
平日の午後の相模湖は時間が止まったようでした。

初夏の相模湖で一服

大月駅に寄ってみます。
信玄餅で有名な桔梗という菓子メーカーの販売所があり、和菓子をよく買います。

ついでに駅の立食い蕎麦によって昼食です。
蕎麦屋は地元の学生や勤め人、外人観光客などで混んでいました。

大月駅前の桔梗屋
大月駅の立食い蕎麦で、かき揚げ丼セット

笹子の集落を過ぎ、長いトンネルをくぐると甲府盆地です。
国道20号線、中央自動車道、JR中央本線、そのどれもがトンネルをくぐります。
トンネルをくぐらず、笹子峠を越えるルートがそのほかにあります。

国道20号線を行き、笹子トンネルに入る少し前を左折します。
初めて通る道です。
集落を過ぎると山道に入ります。
周りは杉林です。
車幅は思ったより広く、普通車が交差できるほどです。

国道20号線と笹子峠旧道の分岐点
杉の美林地帯を行く

しばらく行くと矢立の杉という場所に着きます。
相当に古そうな杉の巨木が立っています。
一見の価値ありです。

神々しさをたたえる矢立の杉

笹子峠は1車線幅の隧道でくぐります。
昭和11年に完成したという味のあるトンネルです。
長さは100から200メートルほど。
入口から出口が見えますが、車両の交差はできないので用心して進みます。

笹子隧道入り口

隧道を出ると山すそに宿場町の名残を残す集落がありました。

笹子峠、甲府側の宿場案内
駒飼宿の風景

集落を過ぎると国道20号線に合流します。
感応式の信号がありますがいつまでたっても青にならないので、用心しつつ信号無視して国道に合流。
国道20号線を直走って山小舎に帰りました。

国道20号線合流地点の感応式信号

わらび採り

わらびを採りました。
山小舎おじさんの住む姫木平別荘地は山菜の採取場所としても有名らしく、毎年住人だけではなく、プロアマたちも採取にやってきます。

春の山菜はわらびだけではなく、こごみや山ウドなども採れるようです。

山小舎おじさんは今年、わらび採りにチャレンジしました。
採取場所は別荘地中央にあるスキー場跡。
山小舎おじさんがやってきたころにはすでに廃業していたスキー場です。

雑草と灌木のスキー場跡地

別荘地内のしらかば通りという登り坂を突きあたりまで行くと、スキー場の上の方に着きます。
軽トラを置いて、スキー場の坂と平行に続く道をたどってゆきます。
歩きつつ眺めるとぽつぽつわらびが見えます。

斜面にわらびが生えている

道沿いに、あるいは道を離れた斜面で、わらびが生えています。
なるほど今年は豊作です。
手で折って採ります。
既に先っぽを折られたわらびもたくさんあります。

大収穫。あく抜きに大ボールが2つ必要なほどの分量!

30分ほどで小さい籠一杯になりました。
採ったわらびは自宅に持って帰りました。
重曹と熱湯で半日あくを出してから、カミさんのお友達にあげようと思います。

レタス収穫

今年の初収穫はレタスでした。
普通サイズを4玉と小さいサイズを1玉採りました。
3月に苗を定植したものです。

レタスを切ってゆきます

自宅に帰っていて6日ぶりに訪れた畑。
雑草の背丈が伸びていました。
夏野菜の苗では、トマト、トウモロコシ、かぼちゃ、夕顔の調子がよく、ぐんぐん伸びています。

トマトが元気です

トマトの脇芽かきをし、調子がいまいちのナス、キューリにえひめAIを潅水します。
そろそろキューリにもネットを張らなければなりません。

夕顔が逞しくツルを伸ばし始めました

初収穫できるかな?と思っていたズッキーニは実の成長がいまいちでした。

ズッキーニは収穫時期にはまだ少々

病気が出る前に収穫したいのがレタスです。
ずっしり重い玉が4つ採れました。

花が咲き始めたパクチーもどしどし切りました。

レタスを収穫します

キヌサヤ一袋と併せて、彩ステーションへ送りました。
東京への初出荷です。
この内容では送料を考えると赤字になります。
夏野菜の出荷が始まると十分カバーできます。

収穫したキヌサヤ

6月中旬での初出荷は去年に比べて順調です。
今月は、キャベツ、ズッキーニ、玉ねぎなどが出荷できそうです。

種から育てて定植したビーツが活着しました

長野市立博物館春の企画展「皆神山をとりまく世界」

塩尻の平出博物館に行ったときに、長野市立博物館のチラシがあったのでもらってきた。
「皆神山をとりまく世界・パワースポットの源流を探る」企画展という大変興味を引くチラシだった。

企画展のちらし

今は長野市と合併した旧松代町。
上田側の真田地区から地蔵峠を越えて下りてゆくと、右手に低い独立峰の皆神山が見える。
道路の分岐点には「日本ピラミッド」という標識が立っている。

ピラミッド?
そう、オカルト方面でも有名な山。
昭和時代の松代群発地震の震源地?ともいわれた。

車道があり短時間で行ける皆神山山頂には、古くからの神社が建ち、近年のオカルト一派のものも含めた様々な記念碑も見られる。
パワースポットとして全国的に有名な場所となっているようだった。

長野市博物館での企画展。
とうとう博物館というアカデミズムもスピリチュアルの世界は無視できなくなったのか?と一人合点した山小舎おじさん。
はるばる長野市まで出かけました。

長野市博物館常設展示物

川中島合戦場にほど近い公園内にある長野市博物館。
善光寺平東方に広がる山塊をバックにした池のほとりに建っています。

三々五々散歩する市民。
絵画のようなこういった風景に接するたびに「地方っていいなあ」と思う山小舎おじさんです。

川中島古戦場公園

モダンな建物の博物館内へ入ります。
入場料300円は良心的。
今はマスクも強要されません。

博物館の入り口

常設展示室では写真撮影可能。

善光寺平のジオラマに迎えられた入場者は、松代地区に近い博物館ならではの地震観測コーナーを経て、石器時代から以降の歴史をレイアウトするコーナーへと導かれます。

善光寺平のジオラマ
石器時代の幕開け
竪穴住居の模型

県内の博物館へはよく行きますが、都市部の博物館をのぞき人気がないのが普通です。
が、さすが長野市、日曜ということもあり家族連れの気配がするところもうれしく感じられます。

竪穴住居や古墳を復元した模型を大掛かりに展示したり、古代の生物や石器人の模型をレイアウトしたり。
メリハリの利いたポイントを強調した構成が目を引きます。

善行寺周辺の仏像
川中島合戦コーナーの展示

長野ならではの善光寺と仏教文化のコーナー、川中島の合戦のコーナーもあります。
信州の都の博物館として、アピールすべきところをよくわきまえています。
展示された仏像にも迫力を感じます。

順を追って展示物を見てゆくと、信州という場所が石器時代、古墳時代から東日本の一つの中心地であり、その歴史の必然として、仏教の中心地たる善行寺や、諏訪大社の信仰が興て近世に至る流れがあることがわかります。

藁で作った道祖神
花火と大筒

企画展「皆神山をとりまく世界」

この日の企画展は、皆神山と川中島合戦に関するふたつ。
それぞれ一室にレイアウトされていました。
撮影禁止です。

企画店入り口。これより先は撮影禁止

皆神山に関する展示は、山を取り巻く地域の寺社の仏像など。
昔から皆神山は修験者の山。
オカルトの下地はあったようです。
展示物にオカルトの匂いは全くありませんでしたが。

松代は、戦国時代に上杉が信州攻略の前進基地としての松代城を築城した場所で、徳川になってからは明治まで真田氏が領主を務めた場所。
戦時中に大本営の移転場所が作られたり、特別な場所だったようです。

いろいろと勉強になった長野市博物館への旅でした。

春ゼミの季節

山小舎の周辺。
姫木別荘地では春ゼミが盛んに鳴いています。

例年、6月ころになると一斉に鳴き始める春ゼミ。
最初に聞いた時は「夏でもないのにセミが鳴くはずはない。これはカエルの声か?」と思ったものでした。

とにかく一斉に鳴くので晴れた昼間はにぎやかです。

山の初夏の風物詩。
「そろそろ夏か?」と思っていると、いつの間にか声がしなくなります。

雨の日や肌寒い日は全く鳴かずに、晴れる日には予期したように鳴き始めるところも、自然の摂理でしょうか。

地表に落ちるなどして姿を見せ始めると、春ゼミの季節も終わりに近づきます。

この写真は、山小舎の土台にくっついていた春ゼミです。
もうすぐ鳴き声もなくなるでしょう。
来年の春ゼミの季節までお別れです。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ザッツMGMミュージカル② ジュデイ・ガーランドの時代

MGMアメリカ映画黄金時代シリーズです。
今回はMGMミュージカルのスター、ジュデイ・ガーランドの作品を選んでみました。

1939年に「オズの魔法使い」で17歳のジュデイがスターになってから、1950年にMGMとの契約を解除されるまで。
ジュデイ20歳代の作品群です。

「若草のころ」 1944年 ヴィンセント・ミネリ監督  MGM

時まさに第二次世界大戦真っ盛り。
ヨーロッパ、太平洋共に戦線をアメリカ軍が仕切り、枢軸国を追いつめんとしている時期。
アメリカ軍の攻勢がはっきりしていた時期とはいえ、戦時体制は軍事最優先。
一般国民はもちろんハリウッドも慰問や戦時国債のキャンペーンなどで撮影所を挙げて協力していた時代。

その時代に作られた「若草の頃」は、戦争に協力せざるを得ない国民感情を刺激しないような作風。
地道で伝統的な古き良きアメリカを静かに賛美した保守的な作品でした。

1903年の春から冬へのセントルイスの一家庭を舞台に、弁護士の父、しっかりした母(メリー・アスター)、長兄、四姉妹(次女がジュデイ・ガーランド、四女にマーガレット・オブライエン)の暮らしを追うホームドラマ。

製作はアーサー・フリード。
当時のMGMプロデューサーのトップで、ミュージカルの制作に腕を振るった。
別の顔ではセクハラとロリコンで有名なユダヤ人。

監督はのちにジュデイ・ガーランドと結婚し、ライザ・ミネリの父親となるヴィンセント・ミネリ。

マーガレット・オブライエン(左)とジュデイ・ガーランド

女系家族の中で浮いている父親。
メイドとの連携よろしく、美しく料理の得意な母親。
ボーイフレンドの気を引くことに夢中な長女と次女。
家族のマスコットとして可愛がられる三女と四女。

メリー・アスター(左)、ルシル・ブレマー(中)と

古き良き、おてんばのお嬢さんキャラを演じるジュデイ。
少しやせて娘らしさはあるが、本来の元気さ、パンチが出ていない。
戦時中の保守的ドラマにあっては、ジュデイ本来の破天荒な動きと、パンチの効いた歌声は時期尚早だったのか。

なお、三女、四女を巡る描写に、アーサー・フリードのロリコン趣味が濃厚に現れており、戦時中に製作された保守的なホームドラマにあっても製作者の公私混同は貫かれていたようだった。

「雲流るるままに」 1946年 リチャード・ウオーフ監督  MGM

さあ、戦争は終わった。
アメリカは戦勝国だ。

とはいえ戦後直後の1946年。
MGMが選んだ題材は、アメリカ人音楽家の第一人者、ジェローム・カーンの自伝だった。

保守的で堅実な題材である。
製作はアーサー・フリード。

作曲家カーンはそれまでイギリス人作曲家が幅を利かせていた舞台音楽の世界で、アメリカ人として初めて第一線で活躍した人。
ロバート・ウオーカーが演じる。

主人公の生涯の恩人に、作曲家のヴァン・ヘフリンとその幼い娘。
「シェーン」につながるヘフリンの頼りがいのあるざっくばらんな善人キャラがいい。
主人公と仲良くなるおしゃまな幼女の執拗な描写に制作者フリードの好みが反映している。

主人公らの活躍と変遷のドラマに舞台のシーンが挟まる。
舞台のシーンに、ジューン・アリスン、ジュデイ・ガーランド、アンジェラ・ランズベリー、フランク・シナトラのミュージカルスターが登場する。

ジュデイの登場シーンはヴィンセント・ミネリが演出したらしい。
皿洗いのバイトをしながらスターを目指す娘、というバックステージものを演じるジュデイは溌溂としている。
楽屋で出番を待つときの緊張ぶりを演じてもいたが、ジュデイの繊細な実像とオーバーラップするようで印象的だった。

「雲流るままに」のジュデイ

1927年、舞台「ショウボート」の大成功で主人公は大作曲家となり、ハリウッドにも招かれる。
一方成長したヴァン・ヘフリンの娘(ルシル・プレマー)は舞台女優を目指して家出をし、主人公らを心配させる。

成功した人物の苦労譚はハリウッドの得意な素材。
今回も無難にまとめている。

テレビのなかった当時、作曲家にとっても舞台で評価されることが、キャリアの出発点だったことがわかる。
舞台製作者の権限、ブロードウエイで売れたときの栄光、別枠として出てきた映画という存在。
1920年代のアメリカのショウビジネス界を背景に、作曲家カーンの半生を描いた作品だった。

「ハーヴェイ・ガールズ」 1946年 ジョージ・シドニー監督 MGM

サンタフェ鉄道が走るニューメキシコ。
西部の町にレストランを開こうと、ウエイトレスの一団(ハーヴェイガールズ)とともにやってきた経営者ハーヴェイ。
偶然同じ列車に乗り合わせたのは、新聞広告の花嫁募集に応じてやってきたジュデイ・ガーランド。

西部の町にはカジノと売春宿とキャバレーを兼ねた酒場がすでにあり、ボスと情婦(アンジェラ・ランズベリー)が支配している。
かたや堅気のハーヴェイレストラン。

「ハーヴェイガールズ」主題歌のオリジナルレコードジャケット

ボス一派からの嫌がらせにおびえるハーヴェイガールズ。
単身酒場の乗り込み、ボスに啖呵を切るのは、結婚相手に夢破れたその足で、ハーヴェイガールズに応募したジュデイ・ガーランド。
若く、生き生きとした動きを見せるジュデイだが、不自然に痩せた姿を見せるのはちょっと不本意。

劇中の仲良し3人組。右はシド・チャリシー

ガールズの面々(その一人にシド・チャリシー)は、飛び切りの美人ぞろい。
スターを目指しハリウッドにやってきた娘たちから、プロデューサー(この作品もアーサー・フリード)が腕によりをかけてセレクトした風がうかがえる。

「ガス燈」の不貞腐れメイド役でデヴューし、「緑園の天使」ではエリザベス・テーラーの姉を演じた、アンジェラ・ランズベリーは酒場の歌姫役。
可愛げのない貫禄たっぷりの押し出しも、このとき弱冠21歳。
酒場の舞台では下着のようなドレスで歌い踊る。
主人公、ジュデイ・ガーランドと向き合えば、身長、体の厚みともに圧倒的な体格の差を見せる。
この存在感が息の長い女優生活を生み、「ジェシカおばさんの事件簿」につながったのか。

貫禄のアンジェラ・ランズベリー(中央)

サンタフェ鉄道のSLを走らせる大オープンセットはさすが世界一の映画会社MGMの仕事。

町のボス相手に拳銃片手に単身乗り込み、乱闘シーンもこなす若き日のジュデイ・ガーランドも、そのコミカルな演技は愛嬌があるのだが、体の線の細さが弱弱しさを感じさせる。
どうしたジュデイ!本領発揮はまだか。

「サマーストック」 1950年 チャールズ・ウオルター監督  MGM

ジュデイ・ガーランド最後のMGM出演作。
舞台裏では何があったのか知らないが、結婚し、子供を産み、体つきもしっかりしたジュデイが溌溂と歌い踊る。
待ち望んでいたジュデイらしさが存分に楽しめる。

3代続いた農場の跡取り娘がジュデイ。
経営不振で農夫は出てゆき、演劇狂いの妹も出て行ったきり、メイドと二人健気に農場を守る。
そこへ妹が売れない劇団(主宰者ジーン・ケリー)を連れてくる。
納屋でミュージカルの稽古をし、興行を打つという。

農場を守りたいジュデイ、保守的な町の人々、浮世離れした劇団。
三者が入り乱れ、決して交わらないままドタバタが続く。

町のダンス大会は伝統的なフォークダンス。
見守りながらも決して交わろうとしない劇団員たち。
決して劇団員をダンスの輪に呼び込もうとはしない町の人たち。
日本でも田舎の閉鎖性云々が話題になるが、それどころではないアメリカの、西洋の地域間、階層間の断絶もさりげなく描かれる。

ジーン・ケリーとの一場面

やむに已まれぬ事情から劇団の面倒を見るジュデイだが、ひょんなことから自分のダンサーとしての才能に気づき、ジーン・ケリーとも打ち解けはじめ・・・。

興行直前にニューヨークへ出奔した妹の代わりに主役で舞台に立つことになるジュデイ。
圧倒的な歌と踊りがこれでもかと炸裂する。

ジュデイ、MGM時代最後の雄姿

MGM最後の出演作でジュデイの才能を存分に味わえたことを良しとするべきか。
もったいないと思うべきか。

小型ながらタンクのような体でファイトむき出し、演技がうまく愛嬌もある。
何よりパワフル。

この先、肝っ玉母さんのようなキャラもできたろうし、可愛い奥さん役も似合ったろう。
売れない芸人の奥さんとして苦労する役も案外にあったかもしれない。

この後、ワーナーで名作「スタア誕生」を残しジュデイ・ガーランドは永遠にスクリーンから姿を消した。

ジュデイの原点。グラムシスターズ時代(左)

定植後の夏野菜たち

時には猛暑、時には豪雨。
定植した夏野菜の苗はその後どうなっているでしょうか。

ことしは4列、40本近くも植えたトマト。
苗の定植後はほとんど灌水していません。
斜め植えをして、根元に雑草を敷いて乾燥を防いでいます。
今のところ順調な生育です。

斜め植えしたトマトの苗
トマトだけで4列

キューリの苗。
黄色の葉っぱが気になります。
水不足と戦いつつ根を張っている途中なのでしょうか。
この後ネットを張って成長に備えます。

キューリの苗にネット用の支柱を準備

ズッキーニは今年も順調。
既に花が咲いています。
一番早い収穫を期待します。

花が咲き始めたズッキーニ

カボチャは苗を買って植えました。
初期の潅水を心がけて育て中です。

カボチャの苗も順調

山小舎で芽出しをし、定植したばかりのトウモロコシの苗は活着したようです。

為を芽出しし植えたトウモロコシの苗

低温障害と虫食いと病気を心配したレタスとキャベツが順調に育っています。
初期の潅水が功を奏したのでしょうか。
無事収穫、出荷までこぎつけたいものです。

レタス
キャベツ

一度植えてからはほったらかし、自然採種でどんどん増えるパクチーはすでにトウが立っています。

自然発芽のパクチーたち

ジャガイモも今年は無事発芽しました。

ジャガイモの列