地元パワースポット訪問記VOL.5 和田峠に湧水を汲む

長野県は山また山。
湧水もあちこちに湧く。
有名な水から無名な水まで。

山小屋おじさんの山小屋から割と近場に、黒曜の水という割と有名な湧水がある。

和田峠の湧水、名付けて黒曜の水

長野県の上小地方(上田市及び小県郡)と諏訪地方の分水嶺が和田峠。
中山道が上小地方を通過し、和田宿を後にすると急峻な峠を越えて諏訪に降りる。
この急峻な峠が和田峠で、中山道随一の難所といわれた。
現在も群馬方面と諏訪、松本方面を結ぶ物流の動脈として、交通が引きも切らないが、和田峠はトンネルで越える。

峠近辺には湧水ポイントが多い、ふもとの集落、旧道筋などによくみられる。
この中でも、和田峠下の男女倉(おめぐら)という場所の付近に、黒曜の水と呼ばれる湧水ポイントがある。

湧水量がすごい。
休日などは水を組みに来る人で、蛇口が占領されることもある。

黒曜とは、石器時代に矢じりなどに利用された石の名前で、和田峠近くのその名も星糞峠の一帯が国内有数の産地だったといわれる。
石器時代の宝物、黒曜石は「星の糞」と呼ばれていたのだ。
そして、ここで産出された黒曜石が当時の全国にいきわたったという。

おじさんの山小屋の水は、別荘地内にある簡易浄水場からのもので、湧水由来。
かなりおいしいが、天然の湧水がやはりうまい。
おじさんも畑の帰りなどに時々寄って、黒曜の水を汲んでくる。

駐車場には長和町名物のゴミ無し地蔵が立っている。

旧和田中学校の校舎と桜の風景

今は長和町となった旧和田村は、中山道和田宿だったところで、本陣なども保存され趣のある場所である。

現在は廃校になった旧和田中学校の木造校舎が残っている。
映画のロケで使えそうな校舎だ。

桜の季節なので寄ってみた。
葉桜とグラウンドに散った花びらを前景に校舎が見えた。

信州ソウルフード放浪記VOL.3 ハルピンラーメンを食べる

ハルピンラーメンをご存じだろうか?
諏訪地方を発祥とするご当地ラーメンである。

戦時中、中国に従軍した日本人が、除隊後、現地の味を再現して諏訪に店を出した、とのストーリーを持つラーメンだ。

本店が昭和49年の創業というから、ラーメン店としては古株なのだろうか。
それとも、ソウルフードと呼ぶには歴史が浅いのか。

諏訪に本店があり、周辺の茅野市などに、のれん分けした店が数店ある。
おじさんは、中央道の諏訪南インターを降りた対面にある諏訪南店に入ったことがあるが、パンチのきいた味でおいしいラーメンだと思った。
店も地元の客で繁盛していた。

茅野市内の国道152号線、通称ビーナスライン沿いにハルピン味噌ラーメン・雷蔵という店がある。

もう一度ハルピンラーメンを食べたかったおじさんは、茅野へ行ったついでに食べてきた。

メニューは味噌ラーメンを中心に、醤油ラーメンなどもある。
大き目のチャーシュウをはじめ、トッピングが主張しているのが特徴か。
定食メニューとしてお替り自由のごはんに、唐揚、餃子などが付いたセットがある。
おじさんは通常の味噌ラーメンに唐揚定食を付けたものを注文した。

ラーメンの味は味噌スープが甘めで、おいしいが飽きやすいのではないかと思った。

定食メニューは唐揚が揚げたてでうまかったのと、セルフサービスのごはんが盛り加減が自由にできてよかったと思った。
総合的には十分満足した。
外食の醍醐味といえる、濃い味付けを堪能できた。
量もたっぷりなのは地方の外食におけるお約束だ。

最近、東京などでは自然な味と称して、芦花公園にあった外人店主のアイバンラーメンとか、今も神保町で人気のエチオピアカレーなど、ナチュラルなのか水臭いのかわからない外食もある。

おじさんはたまに食べる外食ならはっきりとした味のほうが好きだ。

駐車場には北八ヶ岳ロープウエイの看板が立っている。

 

ジャガイモを定植しました

4月22日は晴天でした。
畑のある長和町の最高気温は23度。
暑いくらいです。

さあ、ジャガイモ定植の準備です

今年は男爵20キロとデストロイヤー1キロを植えます。

デストロイヤーとはグランドペチカという品種の別名で、皮が紫で芽が赤いため、マスクをかぶったような外観だからだそうです。

デストロイヤーをカットし断面に草木灰を塗ります。

男爵は小玉なのでそのまま植えます。

次に、畑の畝の真ん中を10センチくらい掘っておきます。

一足ごとの間隔で種芋を置いてゆきます

畝のくぼみに種芋を置いてゆきます。
たね間隔は30センチ。足一足分の間隔です。
芽が下になるように置きました。

次に種芋が隠れるくらいに土をかけます。
もみ殻を混ぜて撒きました。

そして種芋の間に元肥を置いてゆきます。
牛糞と化成肥料を混ぜたものにしました。

化成肥料は窒素、リン酸、カリが10:12:14のもの。
ほかに苦土石灰も入っています。

元肥は、一握り分を種芋に触れないように置きます。

土をふわっとかけて植え付け完了です。

用意した畝9列では11キロしか植えられませんでした

一昨日立てた畝は9列でしたが、デストロイヤー1キロと男爵10キロを植えた時点で9列の畝が埋まってしまいました。

小玉男爵10キロの個数が250個ほどということになります。計算が甘かったです。

残った男爵です。

慌てて午後から畑の残り半分に畝を立てました。

残り10キロの定植は明後日です。

今日はバテました。
疲れるとすっぱいものが欲しくなります。
山小屋に帰ってから甘夏をカットしてかぶりつきました。

信州桜前線VOL,3 上田城跡桜まつりにて

上田城跡千本桜祭りの最終日に行ってきました。
4月21日でした。

一般的に城の跡地は「城址」(じょうし)と呼ばれることが多いのですが、上田城の場合、「城跡」(じょうせき)と呼ばれています。

ご存知、真田家の居城として、徳川軍を二度にわたって撃退した城として有名です。

現存の建物は、櫓が3基ほど。
本丸跡地はありますが、そこにどのような天守閣があったのか、あるいはなかったのか、わからないそうです。

関ケ原の合戦で真田が西軍についたため、徳川によって1601年に城が一度破却されており、真田時代の上田城についての記録が潰えているのでしょう。

その後、徳川幕府の支配下の元、上田藩の居城となりましたが、明治になって廃城となりました。
その際、櫓が東京の料亭に売られたこともあったそうですが、地元の有志が買い戻して復元したそうです。
上田に限らず、地元の人のお城に対する愛着がしのばれます。

日本一の兵(日の本一のつわもの)と言われた真田軍の本拠地だった城跡です。
大きな実戦を二度経験した城のみが持つ迫力や凄み、が残るのでしょう。
おじさんには、観光地ずれしていない落ち着いた城跡に見えます。

千本桜祭り最終日、桜は舞っていた

お祭り最終日の午後、城跡に向かいます。

太鼓の音が聞こえてきます。
最終日の催し物は地元の太鼓保存会の演奏でした。

徳川軍を迎え撃った東門から城内に入ります。

最終日の午後のせいか、人出は思ったほどではありません。
夏の観光シーズンの出足と変わりがない感じです。

肝心の桜は満開が過ぎ、葉桜となっていました。
地元の団体や商店が屋台を出しています。

櫓の前の桜も散っています。

櫓門を過ぎると真田神社があります。

本丸跡地では三々五々、花見客がシートを広げていました。

桜の密集度といい、人出といい、花見客の様子といい、おとなしく控えめな感じがします。

都会の、ごみと人出とアルコール臭にまみれた花見を見慣れているせいでしょうか。
一見寂しい花見風景ですが、おじさんには好ましく映りました。

本丸跡地に上田藩戊辰役従軍の碑がありました。
明治維新の際の戊辰戦争に当時の上田藩が従軍したようです。
戊辰戦争とは幕府方に立った東北諸藩と、薩長の新政府軍の間の内戦ですが、上田藩は新政府軍側で従軍したとのこと。

真田時代には反権力だった上田もその後は体制側だったのですね。
これもまた、上田がたどった歴史の現実。

テキ屋さんの屋台もあります。

お濠越しに見る桜です。

花見の後は上田市内を散策

桜祭りを後にし、上田の街を散策しました。
地元の人でにぎわう、富士アイスでソフトクリームと今川焼を買います。

食べながら、近くの上田映劇をチェック。
この映画館、正面に「浅草雷門ホール」なるデコレーションがなされ、通りには「花やしき通り」のアーケードが立てられています。

実はこれ、2014年の劇団ひとり監督の「青天の霹靂」という映画のロケのためのデコレーションをそのまま残したものだったのです!

知らなかった。
映画館はNPO法人として再出発し、定期上映中。
おじさんも二回ほど入場したことがある。
懐かしい昔の映画館そのもので、おじさんは大好きです。
若い支配人が頑張ってました。

上田土産は地酒と寒仕込みみそ

上田に来たら必ず寄る、柳町通りへ。

通りの一角に保命水という湧水がある。
のどを潤す。

次いで岡崎酒造へ。
江戸時代のひな人形を保存していて時々公開もする古くからの造り酒屋。
今年も、自慢の酒・亀齢がいろいろと受賞している様子。
おじさんも好きな亀齢を一本買う。

並びの味噌屋で寒仕込みの看板があったので入ってみる。
去年の二月に仕込んだという寒仕込み味噌を買ってみる。

信州は、酒、味噌、醤油などの醸造系が素晴らしい。
上田地方も例外ではない。

信州桜前線VOL.2 丸子公園は花盛りでした

4月20日の丸子公園の桜です。

丸子公園は、上田市丸子地区の丸子城跡にあります。
上田城での真田軍と徳川軍の攻防戦の際に、真田側の前線基地として戦いを繰り広げたこともある丸子城ですが、今では全く跡形もありません。
戦国時代の城とはいえ、天守閣などは持たぬ、いわゆる豪族の館(たて)のようなものだったのでしょうか。

丸子公園のわきには依田川が流れています。
大門峠や和田峠からの支流を集めて、自らは千曲川に注ぐ河川です。

依田川には無数のこいのぼりが川を渡ってかかっていました。


圧倒的な風景に目が釘付けになります。

付近の住民が車で集まってきます。
山里の儚いともいえる桜の風景とは違う、町の花見の風景に近い光景です。

五月晴れというにはまだ早い4月ですが、文字通り春爛漫の風景です。

丸子公園近くには、安良居神社があります。
上丸子地区の氏神だそうです。
威厳あるたたずまいの神社です。
境内には2,3本の桜が満開で、鮮烈なアクセントを放っていました。
狛犬越しの桜です。

遥か上田盆地越しに残雪の浅間山が遠望できます。

信州上田地方の最西端、丸子地区の春の1日です。

 

ジャガイモ定植用の畝立てをしました

畑は春本番です。
普段、畑には土日以外はめったに人影を見ない信州の山里ですが、この時期は野良稼ぎの人を良く見ます。
人々は農作業の春本番の時期を知っているのです。
今が稼ぎ時なのです。
おじさんも畑へ向かいました。

今年のジャガイモの作付け予定

おじさんが今年から借りた畑4枚のうち1枚に、ジャガイモを植えようと思っています。
畑には、これまで、牧場から運んだ牛糞堆肥とぬか、もみ殻を撒き、昨日、耕運機で耕しました。

今年は種芋を思い切って20キロ買いました。
北海道産の男爵です。

ほかにデストロイヤーという品種のジャガイモも1キロ買ってみました。
家族がしきりと珍しい品種の野菜の栽培を提案してきており、デストロイヤーも家族推薦の品種です。

ジャガイモの植え付けの時期は信州では4月です。
地温が上がってからです。
収穫は7月から。
関東では3月に植えて梅雨前の6月には収穫します。

ジャガイモの栽培方法とは

ジャガイモの栽培方法はいろいろあります。
伝統的な方法は、高めの畝を立て、足一足分(約30センチ)の株間で一列に植えてゆくものです。

去年おじさんは、座右の書「農家が教える野菜作りのコツと裏技」にあった超浅植えという方法でやってみました。
特に高い上を立てず、畑の表面に種芋を置いてマルチをかぶせるという方法です。

芽が出たらマルチを破り後は放っておきます。
土寄せ、追肥はしません(マルチがあるからできません)。
おじさんは元肥も入れませんでした。

はじめてにしてはうまくできましたが、収量的には倍増程度だったような気がします。
大玉がゴロゴロ出てきたという印象はありませんでした。

今回改めて、ジャガイモの栽培方法を調べました。
畝の立て方、元肥の重要性、土寄せなど、ジャガイモ栽培の基本点を改めて確認しました。

今年は基本的な栽培方法をとることにしました。
マルチなしの一列植えとし、元肥に牛糞と化成肥料を入れ、初期生育に注力。
土寄せと追肥も行い、収量増大を目指します。
おそらく近隣の畑の方々もやっているであろう栽培方法です。

ジャガイモ用の畝を立てました

畑へ向かいました。
耕運機で耕した畑です。
耕運機といえどせいぜい深さ10センチに刃を入れたかどうかです。
機械の力とはそんなものかもしれません。

それ以前に、そもそも畑の作土は深さ20センチしかありません。
その下は固い粘土層になっており、岩盤につながっています。

作物はたった深さ20センチの土壌の世界で生きるのです。
逆に言えば、深さ20センチの世界を作物が生きやすいようにコントロールできれば、作物はうまく育つのです。

鍬で畝を立てます。
幅100センチに縄を張り鍬で畝立てしてゆきます。
おじさんは張った縄の内側に沿って鍬を入れてゆきますので、幅100センチに縄を張った場合、立てた畝幅は80センチほどになります。

畝幅80センチは、ジャガイモ一列植えとしては広すぎたので、縄の幅を80センチ、70センチと狭めてゆきました。
縄幅70センチだと畝幅が50センチほどに仕上がりちょうどよいのでした。

畝の深さについては、耕運機が耕した深さは10センチですので、鍬で深さ20センチを目指し、力を入れて深堀します。

8本ほど畝を立てました。

1列の長さを歩幅を測ってみると30歩ほどでした。
メートルに直すと1列9メートルになり、種芋30個ほどが植えられます。
8列とすると240個ほどが植えられることになります。

20キロの小玉男爵はいったい何玉あるのでしょうか。

連日の畑作業で疲れがたまったおじさん、今日はこれで作業じまいです。

 

畑で野焼きしました

農家には畑の野焼きという習慣があります。
冬の間の枯れ草や、野菜の残滓、時にはビニールマルチの剥がしたやつなどを畑で燃やすのです。

毎年大量に出る畑のごみは、家庭用のごみ出しによって処理できるものではありません。
野菜の残滓の処理については、農家が畑の隅にユンボで穴を掘り、埋めているのもよく見ます。

野焼きのメリットは、畑がきれいになることのほか、野菜の残滓についた植物の病原菌を消滅できること、残った灰を草木灰として利用できることがあります。
といっても、昨今は田舎でも自由に野焼きができるわけではありません。

ローカルニュースでは、長野市内の山火事や、野焼きによる高齢者の死亡事故などを報じています。
強風時のいわゆる野焼き(畑のごみを燃やすのではなく、広範囲の枯れ草などを燃やす行為)が危険なのは言うまでもありません。

野焼きを行うには、最寄りの消防署に届け出が必要です。
おじさんも届け出ました。
当初は夕方に行うつもりでしたが消防署にやんわり却下されました。
午前中の早い時間に行うこと、消火用の水を用意すること、野焼きの間は現場を離れないことを指示されました。

いざ野焼きに出発です

軽トラに野焼き用の道具を積み込みます。
ポリタンクに水を入れて用意します。
バケツ、じょうろ、レーキも。
鉈とのこぎりは、燃やす木材のカットのためです。

去年、大家さんが畑の法面の雑木を切って畑の隅に倒してありました。
鉈でそれの枝を払って燃えやすくするのです。

畑に到着。ごみを集めて点火します

大家さんが倒した雑木を鉈でカットし、集めて点火します。

畑の隅に積んであった、去年の野菜の残滓もくべます。
キャベツの根、キューリやトマトの幹、ほうずきの枝など。冬を越しても枯れたまま形をとどめています。

燃えている間は、畑の除草をしました。

1時間半後、ほぼ燃え尽きたのでバケツで水をかけて消火。

さらに土をかけておきます。

焚火の下の土は、有用な菌も含めて殺菌されてしまいますが、草木灰として耕せば、畑にとっていいはずです。

作付けを前に3年目の畑がすっきりしました。

畑を耕運機で耕しました

今日は畑を耕しました。

耕運機を積み込みました

まず、大家さんの納屋へ行きます。
耕運機は自由に使ってよいといわれているので、いちいち断りは入れません。
裏口から「こんにちわ」と一声かけて、納屋へ向かいます。

ブリッジ(ラダーレール)も納屋においてあります。
ブリッジを使って耕運機を軽トラに積み込みます。
重い耕運機を扱うにあたって一番注意を要する瞬間です。

近くの畑といえど、本来は耕運機をロープで固定しなければなりません。
次回からロープ持参は必須です。

新しく借りた畑2枚を耕耘しました

今年から借りた畑です。
段々畑が4枚。合わせて1反歩近くあります。
そのうち、堆肥、ぬか、もみ殻を撒いた2枚を耕運機で耕します。

縦に1回、横に1回耕します。
ヤンマーの歩行型耕運機です。
しばらく耕されていなかった畑を起こすには、数馬力以上の耕運機を使わなければなりません。

耕運機は力持ちですが、時々エンストしました。
力以上に固い場所に当たったり、深く耕そうと荷重をかけたときには馬力のある耕運機といえどエンストします。
無理はさせられません。

エンスト程度ならいいのですが、負荷をかけすぎてプラグにガソリンがかかってしまったらエンジンは起動しなくなってしまいます。

土が固いと頑張るのが人力ですが、無理せず出力を押さえるのが機械です。
たとえ人力でも、最低賃金以下の労賃では力出しませんが。最低賃金を抑えるため移民を入れる経団連は、その点がわかっていませんね。
わかるつもりもないのだろうけど。

畑に戻ります。
おじさんは、耕運機のアクセルを操りながら、だましだまし耕してゆきます。
畑1枚耕すのに1時間かかりました。

隣の畑には見事な枝垂桜が咲いています、春本番です。

畑の面積の2割は湿地か?

段々畑の山側の土は湿っていました。
湿っていると耕運機の刃に土がくっつき、エンジンに負担がかかります。
よく耕せないばかりか、野菜にもいい影響はないでしょう。

見ると、排水のためのパイプが設置された畑もあります。

今年は、山側の部分(各畑の面積の2割程度)は耕作をやめて、排水のことを考えなければならないのかもしれません。

今日は無事2枚の畑を耕しました。
1枚にはジャガイモを中心に、もう1枚には藍を中心に作付けする予定です。

隣の畑の見事な桜。

畑は旧中山道沿いにあります。

雪が去った畑で

4月10日の大雪の後、久しぶりで畑へ行きました。
一時は雪に埋まっていた、キャベツと長ネギは、雪の溶けた畑に頑張って生き残っていました。

畑はすっかり雪が消えました。
むしろそのあとの晴天のせいか、土が乾燥していました。

キャベツの苗は全部生きていました。
瑞々しい青から、赤みがかった葉の色になっているのが気になります。

苗が転がっているものが2,3ありました。
植えるときに、ぎゅっと押さえなかったせいか、その後の雪と乾燥で、根っこごと転がってしまったのです。

定植の時は、土の表面に置くのではなく、しっかりと穴を穿ってから、穴の底に置くように植えるのが肝心と再認識しました。

乾燥が気になったので、キャベツには微生物溶液のえひめAIの希釈液を潅水しました。

長ネギもみすぼらしい姿になりましたが、何とか生きています。頑張ってほしいと潅水しました。

おじさんの畑では、定植した苗は、厳しい環境に接して、いったんはケションとなるのですが、しばらくして自力で土中の微量元素を吸収し、見違えるように元気に育つことが多いのです。
大丈夫でしょう!

玉ねぎは雪の影響なく、順調に育っていました。

ニンニクも順調です。

畑の隅っこには春を告げる水仙が咲いていました。

信州桜前線VOL.1 山里に桜が咲きました

4月10日の大雪で一時季節の進行がストップした信州地方ですが、いよいよ桜が咲きました。

茅野市内の福寿院というお寺の境内の桜です。4月16日の様子です。

国道152号線、通称大門街道を上田側に下った、長和町大門地区の桜です。
大門街道に沿って咲いています。

大門街道と中山道が交わる当たりの道沿いは、桜とレンギョウのコラボレーションがさく裂していました。


まさに春の乱れ咲き。

長和町長久保地区のお寺の裏手にある桜です。
遠くからも目立っていたので、境内にお邪魔して撮影しました。

お寺の裏山にはさりげない枝垂桜の一枝もありました。

川沿いに枝垂桜がひっそり、否、盛大に咲いていました。

山を見渡せば、人家のそばに咲いているのが遠望できます。

桜というと、上野公園などの花見風景を連想するおじさんなどは、マスコミの影響の受けすぎたのでしょう。

信州の山里の桜は、公園に並木になって咲き誇っていることはあまりありません。
農家の庭先や、自社の境内や裏山で1本だけでひっそりと咲いていることが多いような気がします。

自然の一部として、ひっそりと咲く桜。
本本来、桜って儚いものなのでしょう。

桜だけを集めた風景もいいですが、山里の自然の中で1本だけ咲く風景もいいものです。
1本だけでも、春の訪れを主張する強烈さを桜は持っています。

本格的な生命活動の季節が到来しました。