おじさんの東京ローカル路線バスの旅。
先日、調布のつつじが丘駅から新宿を目指し、途中で時間切れペンディングとなっていた旅の再開です。
果てして結末は?
千歳烏山からリターンズスタート!
前回は、京王線の下高井戸までバスでたどり着きました。
その先の路線バスに存在の感触はありませんでした。
一方、千歳烏山から荻窪行きのバスが出ていることを知りました。
荻窪からならバスがつながるかもしれない!
おじさんは路線バスの旅を再開しました。
電車で千歳烏山駅まで行きます。
烏山北口のバスターミナルです。

いつものように交通整理さん二人で小気味よく道路交通をさばいていました。
ここでおじさんは意外なものを見てしまいました。
前をゆく小田急バスの側面に「経堂から新宿までバスで21分」との広告です。
あつ、小田急線の経堂まで行けば新宿行きのバスがあるのか!
急遽、予定変更です。
次の目的地を荻窪から経堂へ変更することにしました。
臨機応変であることもまた路線バスの旅のだいご味!
果たしてその決断は吉と出るか?それとも・・・。

環状八号線の甲州街道バス停で下車、八幡山から経堂行バスに乗車する
ということで、やってきた関東バスの荻窪行きに乗車し、二つ目のバス停、甲州街道で下車します。
このまま荻窪まで行っても、中野まではつながっているようでした。


おじさんは甲州街道停留所で下車。
環状八号線を渡れば、京王線・八幡山駅。

ここから経堂行きの路線バスが出ていることは前回確認しました。
八幡山駅はめったに下車しませんが、歩いてみると劇場があったり、ちょっとした路地風のエリアがありました。



最も、八幡山で一番有名なのは松沢病院でしょうか。
都内最大規模の精神病院です。
駅前から毎時2本のバスが経堂駅まで出ていました。

小田急バスが運行するミニバスに乗りました。
途中、希望が丘団地というところを通過します。
高層アパートが数棟並ぶ団地でした。
経堂駅までの景色は、とにかく住宅地でした。
それも共同住宅が多かったような気がします。
経堂は小田急沿線有数の商業地域でした
経堂駅に着きました。

いつ来てもにぎやかというか、大規模な商業地域です。
駅のロータリーも広々しています。

駅に接して小田急資本の商業ビルが建っています。
駅から周辺に伸びる数本の商店街があります。
まずは新宿への路線バス探しです。
ところが駅の小田急バスの発車先を見ても新宿はありません。
もと来た八幡山へ戻る路線のほかには、渋谷行きがあるだけです。
駅の案内で聞きましたが、新宿行きの路線バスはないとのこと。
おじさんが烏山で見たバスの広告は何だったんだ!
あきらめのいいおじさんは、新宿行きをあきらめ、経堂の商店街散歩へと目的を変更しました。
早速、一本の商店街を歩きます。
古本屋があったので立ち寄ります。
団子屋でゴマ団子を買いました。
鬱抜けをヘルプしてくれるショップまでありました。
路線バスの旅に敗れたおじさんに農大通りはパラダイスでした
駅の反対側へ延びる商店街も探索してみましょう。
東京農大へと続く、その名も農大通りです。

学生が多くおり、活気にあふれています。

沿道には食堂のチェーン店が一通りそろっています。
人気のラーメン屋には学生が並んでいました。
古本屋があったので立ち寄りました。

面白い品ぞろえの店で、店頭の100円本を4冊ほど買いました。
レジに「当面の間買い取り中止します」という貼り紙があったので、60代くらいの店主に聞いてみました。
「在庫が十分にあるし、持ち込み客とのトラブルが多いから中止にしている」とのこと。
ブックオフのつもりで、無価値な本を持ち込まれて散々困った経験をお持ちのご様子と察します。
「店頭販売はメイン。ネットは嫌いなので」ともおっしゃってました。
いいぞ、昔ながらの古本屋のおやじおじさん!と思いました。
サブカル、雑誌と雑多な知を集めたような品ぞろえに店主の本好きな個性が見て取れる店でした。
たい焼きがおいしそうなので買ってみました。
チェーン店ではなくここだけの店とのこと。
味が楽しみです。
今日の昼飯はここにしました。
中年というより高年の方3人がカウンター内で切り回している定食屋でした。
ショーケースには大皿に盛ったメニューが並んでいましたが、日替定食を頼むと、弁当のような容器に入って出てきました。
味はともかく量はたっぷりでした。650円。
商店街の裏手には味のある風景が残っていました。
路線バスの旅ですが、リターンにもかかわらずまたも失敗!
新宿へ行くのはもうあきらめました。

調布から自転車で府中を目指します。
しばらく行くとお寺の前庭に、近藤勇の座像もありました。



軟石づくりの蔵もありました。
右手が武蔵境方面。左手が競艇場のある是政方面です。



高層マンションが立ち並ぶ都会です。
1000年以上前、ここに武蔵野国の国府がありました。










おじさん、昼食がてら食材を調達せんとやってきた。
まずは飯。










理系の電通大と異なり、キャンパス外からの出入り口が多く、ほぼオープンな敷地となっていることが特徴です。
掲示板を見ると、世界各国のマイナーな映画を定期的に自主上映しているようでした。


半ば予期していたことなので、あわてず騒がず、今日は麺類をチョイスします。


食堂から見た外の景色です。
冬なので若干寂しい風景ですが、夏は緑があふれていそうです。
食堂の窓際では一心に勉強する学生の姿も。

3度湯でこぼしましたが苦みは十分残っています。
種もたくさんあるので取り除きます。
同時に瓶を消毒します。





陸軍時代の門扉が残っている。








旧陸軍飛行場の敷地に隣接した駐車場に、クラシックカーの廃車が残っていた。


その付近には東京オリンピックマラソン折り返し地点の石碑がある。
マラソンといっても1964年の東京オリンピックのマラソンのことだ。









戊辰戦争以降の権力側の戦死者が靖国神社に祀られているとすれば、逆賊たちは民衆たちによって祀られる。
















古い建物はどんどんなくなり、区画整理されてゆきます。

中央線沿線では、吉祥寺から西ではこういった飲み屋小路の存在は珍しい。
もっと西の立川、八王子には大規模な飲み屋街があるけど。
江戸時代、玉川上水路沿いの土手は桜の名所だったとのこと。


女性がプレーできないとか、会員になれないとか言われていた。
平日にもかかわらず品川ナンバーの高級車が何台か駐車していた。

新小金井街道沿いの古書店、はてなクラブ。



ゆったりとしたキャンパス内には農園などもある。
農学を学ぶのではなく(農学部はない)、教育学部の範囲で、自然を通してエコや共生を学ぶフィールドとして存在しているのがユニークだ。
おじさんも小学校時代の学級農園で、率先して働く先生方を見て畑が好きになったことを思い出す。
学内のサークル会館からは楽器の音が聞こえていた。






食堂のおばちゃんの対応はやさしかった。
席は満席に近い。

















注文対応のおばさん、レジのおばさんも一般客にやさしく接してくれて安心した。





















初詣の賑わいもとうに過ぎ、ゆったりした境内。








そのころには王子製紙や国土開発などをといったチームとリーグ戦をやっていたことでしょう。





帰りには駅前のマックで休みました。









シネコン方式の映画館や食べ物屋さんを有する棟がひとつ。





