蓼科山登山

数年ぶりに蓼科山に登りました。
10月初旬の単独登山です。

数年前の初登山の時は、まだまだ足に自信がありました。
7月に登りましたが、蓼科山はツアー客やグループの中高年女性達であふれており、山頂には遠足に来た佐久穂町の小学生たちまでもいました。

当時は、9合目からの急な岩場に「降りてこられるかな?」と心配しながら登った山小屋おじさんでしたが、小学生の一団に交じり、ワイワイ言いながら降りてきたのを思い出します。

この日の蓼科山全景

数年後の現在は、前期高齢者となり、体に自信はありません。
果たして蓼科山に登れるのか?
ダメだったら帰ってこよう、と思いなおし、重い腰を上げました。

9時に登山口の7合目出発を目指し、携行食のおにぎりを握ります。
ほかに菓子パン1個と200ミリペットボトル1本の水を持参しました。
外へ出ると寒かったので、用意したヤッケのほかに、ジャージの上着を着こみました。
ジャージは登山中一度も脱ぐことはありませんでした。

出発前におにぎりを握って準備

平日の朝9時、7合目登山口に着くと最寄りの駐車場は県外ナンバーの車両で満車でした。
少し離れた駐車場に軽トラを止めます。

7合目付近の登山客はチラホラ。
夏山シーズンを過ぎた今、団体客はいませんでした。

7合目登山口前駐車場。午前9時

鳥居をくぐり、山頂の蓼科神社の参道でもあるのでしょう、歴代に渡って踏み均された登山道を歩きます。
夜の寒気が残った登山道はとても寒く、立ち止まると震えるほどなのでひたすら歩き続けます。
マツやシラカバの天然林が取り囲む登山道は光がほとんど射しません。

登山口には蓼科神社の鳥居が立つ
雷に打たれた?巨木が立つ登山道
登山道には山頂にある蓼科神社への道しるべも

やがて眼下に視界が開けてきます。
女神湖が遥か眼下に見えます。木々は紅葉し始めています。

登山道は大きめの石が転がる急な道になります。
足を取られないように坂を斜めに歩きます。
このルートの最初の難所です。
前を行くのは中高年夫婦。
山小舎おじさんとは同じペースです。
早い登山者は我々をいとも簡単に追い抜いてゆきます。

視界が開け眼下を望む。紅葉越しに女神湖が見える
高山植物が目を楽しませる
日陰には霜柱が残っていた

ゴロ場を抜けると将軍平。
山小舎が開店しています。
9合目に到着です。
ここまで約1時間かかりました。

9合目、将軍平の山小舎。土産物が並ぶテントも立っている

山小舎前のテントにはキーホルダーやTシャツなどをデイスプレイし、髪を後ろで結んだお兄さんが山小舎を切り盛りしています。
頼めば食事も出ます。
有料のトイレもあります。
今朝はマイナス2度だったとのこと。
登山客はここで休憩し、最後の岩場の登りに備えます。

最後の岩場へ向かいます。
文字通り手足を使ってよじ登らなければならない急坂に大きな岩が重なっています。
健脚でバランスのいい人はひょいひょい登ってゆきます。
岩と岩をひょいひょい伝って下ってゆく人もいました。
健脚でもあり山で鍛えられている人です。

9合目からは岩場になる

急な岩場の登り体力も消耗します。
自分のペースを意識しますが時々立ち止まらざるを得ません。

思い出してナンバ歩きをやってみました。
ナンバとは日本古来の体の使い方で、足と手を同時に出す歩き方などを言います。
本で読んだだけのニワカですが、例えば下半身の動きを足から下の筋肉にだけ任せるのではなく、骨盤や上半身とも連動させて行うことだとすると、こういった急坂の上り下りには有効だと思いました。
大きめの段を下りる時など、自然に足と手を連動させますが、ああいった動きのことだと思います。
心持、登る速度が上がったような気がして、励みになる山小舎おじさんでした。

急な岩場には鎖も
岩場から眼下を望む

山頂に至る岩場は、崩れる心配もなく大勢の登山客の足場になっています。
昔から昇りやすいよう、岩が崩れないように整備されていたことがうかがわれます。
先人たちの思いと努力に感謝です。

頂上が見えてきた

ようやくの思いで山頂に着きました。
標高2530メートルの山頂は風が強くて寒く、大きな岩がゴロゴロしています。
ここでおにぎりを食べるのは早々に諦めます。
10月の天気はあくまでも天高く、八ヶ岳の山並みや眼下の町々がクリアに見えます。

頂上に建つ山頂ヒュッテ
頂上から八ヶ岳連峰を望む

三角点まで行って記念撮影していると、次々に撮影を頼まれます。
その中の舞鶴から来たという60歳過ぎの男性と話しになりました。

頂上から下り、将軍平の山小舎前の陽だまりでおにぎりを食べながら改めて話しました。
この男性は、退職後の趣味で登山をしており、今回は木曽駒ケ岳などに行ってきたとのこと。
退職後の第二の人生についての話しになったので、三々五々、此方の現状も伝えると、男性は山小舎おじさんの単独田舎暮らしに驚き、「奥さんの理解がなければできませんねえ」といいました。
「お互いやりたいことはできるうちにやろう」とエールを交換して別れました。

頂上の岩場を三角点へと向かう
頂上の三角点に建つ標識

下りは体に負担がかかりました。
将軍平でのおにぎりの後、山小舎でコーヒーなど飲んで休養をたっぷりとったのですが、ほぼ休みなしで歩いた下りは足腰にきました。
最後は足の筋肉が言うことを聞かなくなる寸前でした。

同行者がいるなど目的や気晴らしがないと登山は楽しくないこと。
自分に合ったペースを守ることもさることながら、たっぷり休憩を取らないと体力が回復しないこと、を痛感しました。

軍手が必要だったことにも気が付きました。
登山では、態勢を崩したりして砂利や岩に手を突くことがあります。
素手で登った山小舎おじさんは、手が傷だらけになりました。

足の筋肉が悲鳴を上げた蓼科山登山でしたが、滞留していた体内の気がすっかり一巡したような爽快感を得られたことも事実です。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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