真田氏発祥の郷を歩く

上田地方は戦国時代にその名を謳われた真田氏の本拠地だ。

真田氏は、初代が現在の上田市真田町に居城を築き、二代目で上田城に本拠を移した。

初代で歴史に登場したとはいえ、地方のいち土豪として、武田、北条、織田、徳川と有力勢力とつながることで命脈を保ってきた真田氏だったが、上州の領土をめぐって徳川の不評を買い、大軍で上田城を攻められること2回。
そのたびに、謀略、戦略、実力を持って徳川軍を上田城から撃退し、有名を馳せた。

次に、関ケ原の合戦で豊臣方に付いたが、敗戦側の将として幸村らが島流しにあい、上田城も取り潰された。

豊臣と徳川の最終決戦となった、大阪の陣で、幸村は再び豊臣方に付き大阪城の出城・真田丸に布陣。
最終的に出城を撃って出て家康の本陣に突入せんとすること3度。
寸前にて本陣突入を果たせず、幸村は討ち死にした。

徳川方の島津氏が、本国への書簡に「真田、日本一の兵」と記したように、真田の有名は、その後軍記物などで語り継がれることとなった。

真田氏は現在でも上田地方の誇りだ。
初代の居城があったこのあたり、真田を地名を残して現在に至る。
今回は真田の郷と呼ばれるあたりを歩いてきた。

国道144号線沿いに広がる真田の郷。下方上田市街地、上方菅平高原

真田氏本城跡

上田市の北部。
真田町の東方向。
里山のふもとのリンゴ畑のわきの道をたどってゆき、集落を抜け頂へ上る。

本庄麓のリンゴ畑は収穫間近
頂から国道144号線方面を見る

真田の郷から上田方面が一望できる。
あいにくの雨模様だったが、霧が立ち込める山際が戦国時代を髣髴とさせるよう。
あたりに漂う雰囲気もなんとなく襟を正しめるようだった。

雨天のせいか山霧がものものしい
ここから山頂にかけて築城されていたとのこと
頂から上田市街方面を見る

真田氏館跡と歴史館

本城跡を下り、国道144号線へとつながるリンゴ畑に囲まれた集落。
その一角に、真田氏の館跡がある。
館とは土豪らの屋敷のことで、周りに土塁を築き、厩などを持った砦のようなものだったのだろう。

現在は石垣の一部や門の後、土塁後などが残っている。
敷地の中央部には神社が建っている。
館からお城へと居住を替えるにあたり、館跡が荒廃しないようにと建立したとのこと。

館跡に建つ神社

歴史館に入ってみる。
真田氏3代を中心にその歴史が周辺の勢力の遍歴とともにディスプレイされている。

当時の書簡、文書の実物が展示されているのはうれしいが、例えば真田氏の鎧はNHKドラマで使用したものの展示だった。
敗軍の将としてそれらの実物は破棄され、あるいは散逸したのだろうか?
それとも上田城内にある博物館には本物があるのか?
今度、確かめてみよう。

歴史館ロビーには芸能人の色紙が並ぶ

山家神社

真田氏が武運を祈願したというゆかりの神社が郷にある。

山家神社一の鳥居

地方に埋もれた神社の中に、とてつもない尊厳を感じることがある。

山家神社も、普段の人気は感じられないが、隅々まで人出がかけられた感じがする。

本殿を望む
本殿。きれいに整えられている印象

人家が栄えて、神社は埃だらけということもあるだろう。

人家は寂れているが、神社は大事にされていることもあろう。

パワーを感じる山家神社だった。

境内には招魂碑と社も建つ
最近ではこいういったブームもあるようだ

本城、館、山家神社とも、現在でも集落に囲まれて残っている。
真田氏と領民との関係をうかがわせるようだった。

郷から群馬方面へと続く角間渓谷の入口

今日のお土産

途中の直売所で買ったかりん。はちみつ漬けにします
畑で全滅したデストロイヤーが売っていました
家族に好評な真田産の新米を購入

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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