新・諏訪の神様が気になるの 大祝屋敷跡を見る

諏訪の神様シリーズの続編です。
諏訪大社本宮から程近くに、大祝屋敷跡があるので行ってきました。

大祝(おおほうり)は、諏訪大社の上社、下社の両方にいた最高位の神職です。
特に上社の大祝は諏訪の神様の化身、生きるご神体とのあがめられる存在で、諏訪(諏方)家が代々引き継いできたとのこと。

当時の大祝は、祭祀を司るだけではなく、政治権力を握り、鎌倉時代までには武士化して、幕府、朝廷と積極的に関係を持ったということです。

大祝の禁忌として、厳しい「郡外不出の禁」「清浄保持」があったとのことだが、当時の大祝家は、中央の軍事遠征に参加したり(当然実戦にも参戦)、あろうことか総領家(下社エリアの政治権力を分担した勢力)を大量に謀殺するに至っては何をかいわんや。
禁忌を無視するどころか、踏みにじって、最大限に冒涜し、栄華を競った時代があったようです。

明治になって神官職が中央からの派遣となり、さしもの大祝職もその長い歴史を閉じることになり現在に至っています。
大祝を奉じた諏訪家も途絶え、屋敷のみが残されているのです。

さて、五月晴れのある日、その大祝諏訪家屋敷があった場所に行ってみました。
住宅地の一角に天保年間に再建されたという屋敷の一部が残っていました。

今に残る屋敷門

門構えを眺め、案内板に従って屋敷の周りを一周します。
当初、3000坪の敷地に320坪の主屋があった場所には、いまは主を失った43坪の建屋が残っている。
完全な古民家というのではなく、窓にはサッシが入り、玄関には掃除道具などが残っており、平成14年に直系を失ったという、大祝・諏訪家の近時の断絶を物語ります。

案内板に沿って屋敷まわりを一周する
最終的に残った屋敷
屋敷を池越しに見る
敷地には立派な蔵も立つ

隣接して小さな神社がある。
鳥居と祠のみの造りで、境内には滑り台も置かれたのんびりとした雰囲気だ。

隣接する神社
藁ぶきの雨除けに囲われた祠
御柱も立つ
東照宮?

代々続いた大祝職を司る一族が途絶えたことは、諏訪の神様を巡る時代が大変化を迎え終わったたことを物語っている。
その大変化が、単に人間界についてのことなのか、神界を含むものなのかはわからない。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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