自転車での散歩の途中、府中競馬場(正式には東京競馬場)の前を通りました。
周辺には制服を着た交通整理のおじさんたちが多数出動しており、競馬場で何か開催されているようでした。
東門の前を通ると、人々が三々五々門から入場してゆくのが見えました。
駐輪場に立っている係員さんに聞くと「今日は場外馬券売り場が営業しており無料で入場できる」とのこと。
開催日には200円で入場できるとのことでした。
時間があったので入ってみました。
広い広い競馬場に初めて入りました。
学生時代、札幌の競馬場の関係者駐車場でバイトしたことがありました。
制服、ヘルメットを着用し駐車場内を巡回するだけのバイトでした。
入ってくる車のほとんどが黒塗りのベンツだったような記憶があります。
サングラスをかけた人が運転しているような印象がありました。
この日の府中競馬場には幼い子供連れのファミリーがたくさんいました。
子供らは、簡単な遊具が設置してある公園で元気に走り回っています。
芝生にシートを広げるグループもいます。
ベンチで一人黙する男性は馬券を買いに来た人でしょうか。
中世より武蔵野の中心であった府中は現代にあっても三多摩地区の中心です。
刑務所、税務署、法務局、ハローワークなどの行政施設が置かれています。
ギャンブル施設においても、競馬場のほかなぜか競艇場まであるのは戦後政策のせいでしょうか。
ちなみに競輪場は戦前に京王線終点の遊興施設として作られ、戦後には米軍のダンスホールに接収された歴史を持つ京王閣がその会場となっています。
京王閣は府中の隣、調布市にあります。
府中競馬場の話に戻ります。
小高い丘に登ると馬場が遥かに見渡せます。
馬場は、芝生と土の二つのタイプがあります。
馬場が取り囲むフィールドも見渡せないほど広いのですが、開催日にはここに移動販売車などが集まるとのことです。
全部は探訪できないのでせめて競馬博物館に入ってみることにしました。
デパートのエレベーターガールのような制服姿のお姉さんが一方ならぬ丁寧さで迎えてくれます。
ここも金をかけた施設であることがわかります。
場内は全国の公立博物館のような手狭さ、そっけなさとは対照的です。
吹き抜けの階上階へは広々としたエスカレーターが常時動いています。
白塗りの壁は明るく広がる空間を演出しています。
学芸的な香りの施設というよりは、場にそぐわない百科事典を陳列した金満経営者の社長室のような居心地の悪さも若干漂っています。
肝心の展示内容ですが、歴代の名馬や名騎手のモニュメントばかりではなく、競馬の歴史も丁寧にされていました。
馬を使った競争は紀元前の戦車競走から始まり、特にヨーロッパで発達したこと。
日本では中世に始まったことがわかります。
中世の日本では武者を乗せた馬の競争があったようです。
流鏑馬や野馬追のような文化遺産が現代でも残っており、馬を使った多分に儀式的、お祭り的な行事が競馬だったのでしょう。
西洋式競馬の始まりは幕末の外国人居留地がその始まり。
日本でも賭け事としての競馬がたちまち広がったとあります。
戦前の日本では優秀な軍馬の生産が競馬の興隆の目的の一つだったともあります。
外国では、競馬のほかにドッグレース、闘牛などが発達し、日本では競輪、競艇がなぜか公営ギャンブルとなって今日にいたっています。
日本における公営ギャンブルの発生と内実は不透明そのものですが、国公認の各胴元には莫大な金員が集まることだけは確かです。
その周辺にはなけなしの金をはたいて賭けにいそしむ、よれよれのジャンパーを着た多数の浮かない顔の人々が群れていることも。