北国街道はその昔、信州を南北につなげた街道です。
軽井沢追分で中山道と別れて北上し、上田、善行寺などを経て越後に至りました。
佐渡の金などを江戸に運ぶ重要な道筋だったとのこと。
3月下旬のある日、上田市内に残る北国街道の跡をたどりました。
柳町通
上田市内で最も旧北国街道の姿を残している一角が柳町通です。
銘酒・亀齢の岡崎酒造や味噌醸造所などが残り、往時の風情を残しています。
古い商家をパン屋やカフェなどに転用した店もたくさんあり、シーズンには観光客の姿も多く見られます。
「犬神家の一族」(1976年)のロケ地にもなりました。
紺屋町
柳町を左折すると紺屋町という通りが続きます。
城下町には、大手、鍛冶、馬場、紺屋などの町名がつきものですが、上田にも一通りあります。
紺屋町とは染め物職人が集まった一角です。
お城の北側を進みます。
この通り、今では生活道路として住宅街の中に落ち着いており、観光客の姿もまずありません。
往時は軒を連ねていたであろう商家の建物はポツンポツンと残るだけです。
旧北国街道は、現在の常磐城という一帯で右折し、矢出川を渡って現国道18号線に合流します。
歴史の散歩道
常磐城から右折する北国街道ですが、地図に寄ればこの付近に「歴史の散歩道」なる一角があるようです。
お城の西側に位置するこのあてり、曲がりくねった細道が多く、たまに異様に広い敷地を持つ民家があったりします。
花園と上田電鉄
帰りは北国街道沿いを戻るのではなく、赤線があったという旧花園地区を通りました。
明治以降、上田市街地の外側に新地と呼ばれる赤線が作られたとのこと。
その時代には上田電鉄という私鉄が上田駅から、お城のお濠脇をとおり、赤線に近い花園駅までつなげていたとのことです。
上田電鉄はこのほかに、丸子線、別所線を持っていましたが、現在のこっているのは別所線だけです。
現在の花園あたりは完全な住宅街になっています。
名残は病院名や営業所名に残る「花園」の冠名だけ。
まっすぐな道と、入り口近くの料理屋、鰻屋に特徴を残すくらいです。
一味違う上田の歴史をたどったこの日の散歩でした。