中山道シリーズ第三弾 岩村田宿の現在

かつて長野県の中央部を横断して中山道が通っていました。
東海道は五十三次。
中山道は六十九次の長丁場。

お江戸日本橋を出て、現在の群馬県から軽井沢へ出て長野県を横断。
木曽路を抜けて京へ至る主要街道でした。
今回は第二十二宿にあたる岩村田宿の現在を訪ねました。

中山道岩村田宿とは

現在の長野県佐久市にあった宿場です。
八ヶ岳の東側に広がる佐久平という平地というか盆地にあります。
内藤氏1万6千石の城下町で、また中山道、佐久甲州街道(小諸から山梨県韮崎へ抜ける街道)、善光寺街道(岩村田から善光寺へ抜ける道)が交差する要衝でした。

第十八宿が軽井沢宿で、第二十九宿が下諏訪宿ですから、その間の宿場になります。

岩村田宿の現在

旧中山道沿いに岩村田本町商店街があります。
アーケードを街道の両側に頂く一昔前のスタイルの商店街です。

銀行や和菓子店、理容店などが軒を連ねており、かつてはこの地域の中心街としての歴史を伝えていますが、現在は見事なシャッター街となっています。

新幹線駅の佐久平駅が車で10分もかからない距離にあり、その周辺のモールや全国チェーン店に商圏が完全に移っています。
一方の岩村田本町商店街は、宿場時代の街並みを完全に排した、昭和の時代の商店街スタイルに変貌しています。
そのため、商店街が廃れた現在、宿場時代の歴史的景観に戻すこともできず、「昭和のアーケード商店街」としての歴史を残すのみとなっています。

ある程度の都会でも、小諸市のように街道沿いの歴史的景観が(偶然にせよ)残っている場所もあり、観光客のそぞろ歩きの光景も見られますが、岩村田の商店街に観光客が来訪するとしたら、昭和遺産のマニアくらいでしょうか?

味のありすぎる飲み屋横丁がありました。

商店街の表通りはおそらく現在でも昔からの地権者などが幅を利かせている可能性がありますが、一本横道に入ると新しい飲食店などもありました。

岩村田城址へ行ってみる

岩村田は宿場としては格上の「城下町」だったということで、城址へ行ってみました。
おそらく広かったであろうお城の跡地はほとんどが小学校の敷地になっているようでした。
城郭の中心部だったであろう土地は道路で真っ二つに寸断されていました。

残る一方の敷地には、招魂社とお稲荷さんがありました。

山小舎の割と近場を通る中山道。
まだまだ知らない歴史が広がっているようです。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

「中山道シリーズ第三弾 岩村田宿の現在」への2件のフィードバック

  1. 山小屋おじさん様
    「岩村田の現在」拝見しました。岩村田は小生の母の実家の集落から至近距離にあり、昔から知っています。確かに今は一部の商店を除いてシャッター商店街となっていますが、かつては映画館もあり栄えていました。和宮が降嫁したときに通った道でもあり、その当時の話が今でも語り継がれています。若山牧水がうた(「しらたまの」から始まるうた)を読んだ佐久ホテルもあります。佐久には「安養寺ラーメン(先日日経新聞夕刊に記事になっていました)」というのもあるそうで、機会がありましたら訪問してみてください。

    1. 関口様
      貴重な情報をありがとうございます。
      ブログでの岩村田のレポートは表面的過ぎて申し訳ありません。
      同じ場所でも何度か通って自分なりにポイントをつかんでいないと
      深みのあるレポートはできないですね。
      引き続き、ご愛読とご教授の程よろしくお願いいたします。

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