ご近所立寄り湯めぐりVOL.3 「秘湯を守る会」沓掛温泉へ

日本秘湯を守る会の立て看板が迎える、沓掛温泉街の入口。

おじさんの山小屋から1時間ちょっと。
旧東山道沿道の青木村のはずれにある温泉街。
温泉街とはいっても1軒だけあった商店も閉店し、ほかに食堂らしき店が1軒。

旅館が2,3軒と共同浴場が1軒ある。

源泉かけ流しの共同浴場・小倉乃湯

共同浴場は小倉乃湯という。
平安時代の信濃国国司(当時の県知事?)が湯治して眼病を直したという歴史ある温泉。
背後の山が京の都の小倉山に似ていることから、小倉乃湯と名付けられた由。

2種類の源泉がかけ流し、とのことだった。
入浴料200円は、県内の立寄り湯の標準金額。

温めの湯に長時間つかる、足腰の疲れが出る

軽く硫黄臭のする浴室。

2つの浴槽がある。
何気なく片一方の浴槽に入ると、体温よりちょっと高めの温度。
外は夏の暑さだからよいものの、冬は寒いだろうと思わせるほど。
これもよかろうとたっぷり時間をかけてつかる。

試しに隣の浴槽にも入ってみるとこれがちょうどよい温度。これが2種類の源泉ということか。
高温の温泉に感じる、「湯あたり」がほとんどない。
とはいえ、つかっているうちに、肩や腰に痛みが出てきた。これは温泉が効いているということなのか?

帰りの道中、眠気と闘いながら山小屋へ帰りました。

 

地元パワースポット訪問記VOL.6 不動の滝へ行ってみた

おじさんの行動範囲である大門街道(国道152号線)沿いに、不動の滝への案内板がある。

町指定の景勝地であるらしい。
地元の人に聞くと「6メートルばかしの滝があるだけだ」とのことで興味は後退していた。
が最近別荘地の高齢者作業バイト仲間の一人が、「不動の滝への道沿いの側溝にはヤマベがうようよいる。地元の人は海の魚は食べるが、川の魚は食わないんだな」というのを聞き、がぜん行ってみたくなった。

大門街道から不動の滝への道

大門街道沿いの案内看板。

見ると集落の中を細い生活道路が続いてゆく。
車の出入りもほとんどなく、観光地の持つ輝きなど全く感じられない。
普通、わざわざ行ってみようとは思わない。

果たして車は交差できる道なのか?
入って行って地元の人に怪しまれないのか?

おじさんの長野ナンバーの軽トラで入ってゆくと、やがて集落は早々に消え、田んぼや畑が広がる。
なるほど側溝があるが、田植えの季節のせいか、水がごうごうと流れており、魚影が見えるどころではない。

林道を登ってゆくと獣除けのゲートがある。
ここまでですれ違ったのは農作業の軽トラ1台のみ。

不動の滝は厳粛な空間だった

ゲートをくぐると畑はなくなり、ひたすら林道が続く。
やがて不動の滝一口の看板が見える。

林道から滝の入口へ入ってゆく。
町の案内板が立つ車だまりとなっている。

そこから見える堰堤も大規模で、流れ落ちる水には滝の趣があるが、不動の滝はここからさらに600メートル先とのこと。

ダートの坂道を車で少し上ると車両通行止めの看板。
ここから450メートルを歩かなければならない。

坂道を登ってゆく。
階段は必要ないがそれなりに急な角度の坂道。
周りは全く人影などなく山の真っただ中にいるのだが、道の周りだけは辛うじて人の気配が残る。
それなりに人出はあるのだろう。

やがて左手に巨石の壁がそそり立つ景観となり、行く手に不動の滝が現れる。
大きな滝ではないが、巨石の壁の間から水が流れ落ちるシチュエーション。
滝の流れの背後の苔むした青が俗世間との距離を感じさせる。

遠く左手に見える祠はかつて修行者が篭った名残とのこと。
独特の静謐を感じる空間。
まったくの自然が持つ怖さや排他性ではなく、人間が支配する空間ながら神聖な感じ。

これだから信州は行ってみなければわからない。
不動の滝は立派なパワースポットではないか。

地元パワースポット訪問記VOL.5 和田峠に湧水を汲む

長野県は山また山。
湧水もあちこちに湧く。
有名な水から無名な水まで。

山小屋おじさんの山小屋から割と近場に、黒曜の水という割と有名な湧水がある。

和田峠の湧水、名付けて黒曜の水

長野県の上小地方(上田市及び小県郡)と諏訪地方の分水嶺が和田峠。
中山道が上小地方を通過し、和田宿を後にすると急峻な峠を越えて諏訪に降りる。
この急峻な峠が和田峠で、中山道随一の難所といわれた。
現在も群馬方面と諏訪、松本方面を結ぶ物流の動脈として、交通が引きも切らないが、和田峠はトンネルで越える。

峠近辺には湧水ポイントが多い、ふもとの集落、旧道筋などによくみられる。
この中でも、和田峠下の男女倉(おめぐら)という場所の付近に、黒曜の水と呼ばれる湧水ポイントがある。

湧水量がすごい。
休日などは水を組みに来る人で、蛇口が占領されることもある。

黒曜とは、石器時代に矢じりなどに利用された石の名前で、和田峠近くのその名も星糞峠の一帯が国内有数の産地だったといわれる。
石器時代の宝物、黒曜石は「星の糞」と呼ばれていたのだ。
そして、ここで産出された黒曜石が当時の全国にいきわたったという。

おじさんの山小屋の水は、別荘地内にある簡易浄水場からのもので、湧水由来。
かなりおいしいが、天然の湧水がやはりうまい。
おじさんも畑の帰りなどに時々寄って、黒曜の水を汲んでくる。

駐車場には長和町名物のゴミ無し地蔵が立っている。

旧和田中学校の校舎と桜の風景

今は長和町となった旧和田村は、中山道和田宿だったところで、本陣なども保存され趣のある場所である。

現在は廃校になった旧和田中学校の木造校舎が残っている。
映画のロケで使えそうな校舎だ。

桜の季節なので寄ってみた。
葉桜とグラウンドに散った花びらを前景に校舎が見えた。

信州桜前線VOL,3 上田城跡桜まつりにて

上田城跡千本桜祭りの最終日に行ってきました。
4月21日でした。

一般的に城の跡地は「城址」(じょうし)と呼ばれることが多いのですが、上田城の場合、「城跡」(じょうせき)と呼ばれています。

ご存知、真田家の居城として、徳川軍を二度にわたって撃退した城として有名です。

現存の建物は、櫓が3基ほど。
本丸跡地はありますが、そこにどのような天守閣があったのか、あるいはなかったのか、わからないそうです。

関ケ原の合戦で真田が西軍についたため、徳川によって1601年に城が一度破却されており、真田時代の上田城についての記録が潰えているのでしょう。

その後、徳川幕府の支配下の元、上田藩の居城となりましたが、明治になって廃城となりました。
その際、櫓が東京の料亭に売られたこともあったそうですが、地元の有志が買い戻して復元したそうです。
上田に限らず、地元の人のお城に対する愛着がしのばれます。

日本一の兵(日の本一のつわもの)と言われた真田軍の本拠地だった城跡です。
大きな実戦を二度経験した城のみが持つ迫力や凄み、が残るのでしょう。
おじさんには、観光地ずれしていない落ち着いた城跡に見えます。

千本桜祭り最終日、桜は舞っていた

お祭り最終日の午後、城跡に向かいます。

太鼓の音が聞こえてきます。
最終日の催し物は地元の太鼓保存会の演奏でした。

徳川軍を迎え撃った東門から城内に入ります。

最終日の午後のせいか、人出は思ったほどではありません。
夏の観光シーズンの出足と変わりがない感じです。

肝心の桜は満開が過ぎ、葉桜となっていました。
地元の団体や商店が屋台を出しています。

櫓の前の桜も散っています。

櫓門を過ぎると真田神社があります。

本丸跡地では三々五々、花見客がシートを広げていました。

桜の密集度といい、人出といい、花見客の様子といい、おとなしく控えめな感じがします。

都会の、ごみと人出とアルコール臭にまみれた花見を見慣れているせいでしょうか。
一見寂しい花見風景ですが、おじさんには好ましく映りました。

本丸跡地に上田藩戊辰役従軍の碑がありました。
明治維新の際の戊辰戦争に当時の上田藩が従軍したようです。
戊辰戦争とは幕府方に立った東北諸藩と、薩長の新政府軍の間の内戦ですが、上田藩は新政府軍側で従軍したとのこと。

真田時代には反権力だった上田もその後は体制側だったのですね。
これもまた、上田がたどった歴史の現実。

テキ屋さんの屋台もあります。

お濠越しに見る桜です。

花見の後は上田市内を散策

桜祭りを後にし、上田の街を散策しました。
地元の人でにぎわう、富士アイスでソフトクリームと今川焼を買います。

食べながら、近くの上田映劇をチェック。
この映画館、正面に「浅草雷門ホール」なるデコレーションがなされ、通りには「花やしき通り」のアーケードが立てられています。

実はこれ、2014年の劇団ひとり監督の「青天の霹靂」という映画のロケのためのデコレーションをそのまま残したものだったのです!

知らなかった。
映画館はNPO法人として再出発し、定期上映中。
おじさんも二回ほど入場したことがある。
懐かしい昔の映画館そのもので、おじさんは大好きです。
若い支配人が頑張ってました。

上田土産は地酒と寒仕込みみそ

上田に来たら必ず寄る、柳町通りへ。

通りの一角に保命水という湧水がある。
のどを潤す。

次いで岡崎酒造へ。
江戸時代のひな人形を保存していて時々公開もする古くからの造り酒屋。
今年も、自慢の酒・亀齢がいろいろと受賞している様子。
おじさんも好きな亀齢を一本買う。

並びの味噌屋で寒仕込みの看板があったので入ってみる。
去年の二月に仕込んだという寒仕込み味噌を買ってみる。

信州は、酒、味噌、醤油などの醸造系が素晴らしい。
上田地方も例外ではない。

地元パワースポット訪問記VOL.4 信州二之宮に山小屋安全を祈願

4月は山小屋のスタートです。
山小屋の家内安全を祈願に、信州二之宮の生島足島神社へ新年度の初詣をしました。

季節外れの寒気の中の生島足島神社

上田地方の最古の神社、生島足島神社はおじさんのお気に入りの場所です。

池に囲まれたこじんまりした境内には、伝統が持つ荘厳さと、今に至るも人を引き付ける独特の明るさのようなものをを感じます。

かつては信濃国の国府があった上田地方の古社です。
信州二之宮とのことですが、一之宮は諏訪大社とのこと。
歴史的には、設立年代が古すぎてわからない生島足島神社のほうが由緒あるとのことですが・・・。

季節外れの雪の日に参拝しましたが、参拝客はほかに一人だけ。
二分咲きほどの桜が凍えていましたが、境内はいつものように独特の明るさと温かさがありました。

山小屋の家内安全を祈願

本殿の前にはアヒルとカモが歩いていました。
池から上がったのでしょうか。
生き物が集う神社本来の姿を見たようで不思議な気持ちになりました。

山小屋の家内安全と畑の豊作を祈願しました。

参拝客はいなくても社務所は開いていました。
神職のおじさんがお札を扱っていました。
奥には巫女さんの姿も見えます。

家内安全のお札をいただきました。
満たされた気持ちになって神社を後にしました。

早春の信州へVOL2 パワースポットを巡る旅

山小舎おじさんは、4月の山小舎暮らしシーズンインを前に、山小舎開きを行ってきました。
ついでに早春の信州パワースポットを訪ねてきました。

分杭峠で磁場ゼロ体験

長野の県南に位置する伊那市。
諏訪湖に端を発する天竜川に沿った町です。
その伊那市の南東端、大鹿村との境に、分杭峠があります。

分杭峠は中央構造体に位置し、地場がゼロの場所だそうです。
磁場がゼロとは、磁石が方角を示さない場所です。
パワースポットとして人気の場所と聞き、一度行ってみたいと思ってました。

山小舎から国道152号線を南下し、茅野から2か所ほど峠を越えたところに分杭峠がありました。
シーズン中にはふもとからシャトルバスが出ているという人気の場所だそうです。
訪れた3月中は、シャトルバスの運行もなく、パワーを浴びるために休憩所が設置されている場所は閉鎖されていました。

この時期、人っ子一人、通行車両1台もない峠でした。
パワースポットかどうかはともかく、自然の力が支配した清冽な気配は十分感じることのできる場所でした。
途中の自販機で買い求めたミネラルウオーターを、パワー充電の地場ゼロ水として東京の自宅へのお土産としました。

お昼ご飯は峠から伊那市に降りて、たけだという有名店でソースカツどんを食べました。
おじさんは2回目ですが相変わらずのうまさでした。

聖地・戸隠神社へ。帰りは小布施でモンブランケーキ

翌日は懲りずに県北のパワースポットを訪ねました。
戸隠神社です。

山小舎から長野市方面を目指します。
長野市内から急坂を上り、戸隠方面へ。
有名な観光地なのにアクセス道路の斜面のきつさと道の狭さに身を引き締めます。
長野らしいワイルドさが早くもあふれています。

訪れた戸隠神社は広い範囲に社が分置されています。
それ以上に、道端の残雪が隠しようもなく、夏装備の行く手を阻みます。

戸隠神社の奥社に狙いを絞り、駐車場に車を止めます。
冬期間は社が閉鎖されている奥社ですが、それにしては参拝客が引きも切りません。
登山靴にストック姿の完全装備の参拝客もいます。

鳥居から社まで2キロあります。
途中の杉並木が清冽な空気を醸し出しています。
いかんせん路面がアイスバーンになっています。
同行したカミさんは社寸前で参拝をあきらめました。
夏靴では雪の急坂に対処できなかったのでした。

おじさんは恐る恐るの参拝。
奥社の社自体はささやかな造りながら、背後の山全体に「ご神体」が感じられる神社でした。

昼食は、奥社から下がった中社近くの蕎麦・うずら屋にしました。
思った以上においしいそばで、活気ある店内と細やかなサービスに大いに満足したのでした。

そのあとは、長野市の北隣の小布施町に寄りました。
栗の産地で有名で、葛飾北斎が逗留して売品を残した町としても名を残しています。

古い町屋が並び、古美術、栗の菓子などを扱っています。名物の栗を洋風にアレンジしたモンブランケーキを食べました。

また、北斎が逗留中に描いた屋台の天井絵も見ました。
迫力がありました。

早春の信州へVOL1 山小舎と畑の様子

三月のお彼岸。
今年初めて山小屋へ行きました。
カミさんと同行の旅でした。
4月からの山小舎おじさん、3シーズン目の滞在を前に、冬を越した山小舎の様子を見てきました。

山小舎に春近し

三月下旬の山小舎の周りです。
今年は雪が少なかったそうです。
雪の少なかった去年よりさらに少なかったとのこと。
訪れた日は暖かく、地元の人は4月の陽気、といっていました。

山小舎の内部。
いつものたたずまいで我々を迎えてくれました。

例年より暖かいとはいえ、3月の山小舎に暖房は欠かせません。

今年は水回りの凍結がないのは幸いでした。

シーズンを待つ畑の様子

まず、去年から借り始めた畑へ行きました。
玉ねぎは冬を乗り越えていました。
近所の畑のものより若干たけが短いのは、冬の追肥がなかったせいでしょうか。

にんにくはたくましく伸びていました。

小松菜も少しながら生き残っています。

こちらは中山道沿いのフェンスに囲まれた、3年目の畑です。
土たちが作付けを待っているように感じました。

今年から新しい畑が1反歩増える!

息子が務めている先で藍染めをやる人がいて、原料のタデ藍を探していることを聞き、山小舎でのタデ藍の栽培を志願してみました。
ということで、今回の長野ツアーの目的の一つは、タデ藍栽培用の畑探しでした。

事前に畑の大家さんにラインを入れ、畑探しの相談がてら、新年度のあいさつに伺う旨を伝えておきます。
約束の時間に訪れると、ほぼ2年ぶりに会う大家さんが、その足で新しい畑に案内してくれました。

思わぬ新展開です。
大家さん所有の畑4枚(約1反歩=330坪)を使っていいとのこと。
あまりの展開の速さにびっくり。
いきなり畑の面積が300坪以上増えるのにもびっくり。

タデ藍どころか、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ、ヤーコン類が果てしなく作付けできそうです。
問題はおじさんの体力だけです。
大家さんにはただただ感謝です。頑張るゾウ。

早春の蓼科山に夕日が映えています。

白樺湖水は一部凍結が残っていました。

その日の夕食。湯豆腐です。
地元の鶏もも肉でだしを取り、思いのほかのうまさでした。

地元パワースポット訪問記VOL.3 諏訪大社本宮で今年を感謝

諏訪大社は全国的に有名だ。
信濃国一之宮というから、西暦1000年前後から、すでに信州における神社の筆頭格だった。

また、全国の諏訪神社の総本社という。
神社の系統は、白山神社、八幡神社、などなどあるが、その一つ諏訪神社系統の筆頭である。

創建年代は不明というほど古い。
祭神は、アマテラス、スサノヲなど天孫系の神様ではなく、オオクニヌシの息子というから国津神系。

渡来人が律令国家を形成し、天孫系の天津神をまつるようになる前から、縄文系の地元民がその神をまつる場所だったようだ。

4か所ある諏訪大社の本宮が諏訪市にある。
市内には、ほかに前宮があり、下諏訪町には、下社春宮、下社秋宮がある。
前宮は創建時の原始的な雰囲気が残る場所。
下社はそれぞれ観光名所となっている。

今日は思い立って本宮に参拝。
参道に出店も並んでいる。

立派な鳥居をくぐる。

手水舎で手を洗う。

本宮には御柱が4本立っている。

参拝路に沿って進み、参拝殿からご神体を望んで二礼二拝。

おじさんは、長野での田舎暮らしの今年の無事を感謝した。

ついでに宝物殿で代々の宝物を鑑賞。
宝物には、数々の歴史上の第一級資料のほか、神社のハンコや日本刀などもあった。
すり減った大昔からのハンコは明治になるまで使われたという。
ハンコは、単なる祭祀用だけではなく、時の政権との連絡など、行政手続にも使われていたようだ。

神社がかつて信仰の対象としてだけではなく、具体的な行政の一端を担っていたことがうかがわれる。
日本刀とは、行政組織としての「力」の裏付けの象徴か?

ちなみに、宝物館のチケットは、お授け所で巫女さんから買う。

この時、巫女さんの凛とした口調のきれいな標準語に接して、おじさんは襟を正さざるをえなかった。
そう、ここはほのぼのとした田舎の神社などではなくて、日本国の設立のころから、その精神的、歴史的な中心のひとつだった場所。

東京などよりよほど古い歴史と精神文化を、巫女さんが象徴するこの神社は誇っているのだ。
これは、先日、前宮を訪れた時に、話を聞いた宮司さんの口調、醸し出す雰囲気と同じだった。

大きな神楽殿の奥には巨大な太鼓が2張りあった。

全国から寄せられる絵などの進物を展示する建物も。
砲丸の進物は戦争時代の象徴か?

これらの進物からは、諏訪大社が民心から遊離した独善的な存在ではないことがうかがえる。

県内の地酒の樽が並ぶ。酒蔵は諏訪大社の有力なスポンサーだろう。

本宮には本殿がない。
背後の山自体が本殿で、パワースポットとされる。
堂々たる広い社内。

恐るべし諏訪大社。
来年もまた山小屋暮らしの無事を祈って訪れよう。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.2 蓼科別荘地と蓼科温泉

八ヶ岳中信国定公園の中心部に近く、古くからの別荘地で有名な蓼科という土地がある。

温泉が湧き、旅館街を形成し、街の金持ちが別荘を建てた場所。歴史は古い。
今では東急リゾートがゴルフ場などを大規模開発。
ふもとの茅野からのルートであるビーナスラインは交通量も多い。
おじさんの山小屋からは割と近いのだが、これまであまり行ったことがなかった。
今回軽トラで半日散歩としゃれこんだ。

小津安二郎ゆかりの別荘を訪ねる

茅野駅前の商業ビル内の小津安二郎コーナーの一角では、古い(戦前の?)蓼科の映像が流れている。
ボンネット式のバスが坂道を登ってゆき、温泉宿では若い女中さんたちが笑っている。
古い観光絵葉書のような光景の中には活気が感じられた。

映画監督の小津安二郎が蓼科の別荘で毎年脚本を書いていたのが、昭和30年代から40年代にかけて。

無芸荘という建物は執筆用ではなく、迎賓用に使われた別荘とのことで、立っていた場所から中心地のプール平に移築された由。

小津監督と蓼科のご縁は、蓼科高原映画祭という形で地元に残り続けている。

共同湯・蓼科温泉へ入湯

古い映像に残る蓼科温泉街の活気は今は面影もない。
古い旅館が少し残るだけ。

水の流れは変わらない?

共同湯・蓼科温泉へ入ってみた。
熱めの湯。かすかに硫黄臭がする。500円。

管理人のおばさんと話す。
中心部のプール平の由来とは、かつて温泉プールがあったからとのこと。

かつては道の終点だった、蓼科温泉街もビーナスラインが、車山や美ヶ原の方まで通って、泊り客が減ったとのこと。

ふもとの東急リゾート開発のゴルフ場や、温泉街のホテル、旅館も経営は苦しいようだとのこと。

また、住んでいる別荘族も高齢化で、温泉に集まる様子は養老院のごとし?とのこと。

温泉自体は源泉から引いた60度のお湯をそのまま使っており、時々ゴボッと湯が沸くような音がする。
熱かったが、加温した湯を使う、最近の大規模な温泉施設に比べると本来の温泉らくて良かった。

ついでに奥蓼科温泉郷を覗きに行く

蓼科温泉を出て、ビーナスラインを白樺湖方面に進む。道路わきに別荘が点在する。
学校や企業の保養施設の看板も目立つ。
おじさんの住む別荘地に比して、メジャーな雰囲気がする。

奥蓼科温泉郷という場所がある。
蓼科温泉から、さらに八ヶ岳連峰の懐に入ったところ。ついでに行ってみた。

ビーナスラインから林道を抜け、メルヘン街道という、八ヶ岳横断道路をまたぎ、湯の道街道という道に出る。
渋温泉というところで行きどまりになる道だ。

最初に現れたのが、信玄の隠し湯の謂れの、辰野館。
大規模な一軒宿で木造三階建の造り。
寂れた休館を撮影。

ここから道を進み、どん詰まりにあるのが渋の湯。
山懐の温泉。

二軒のうち一軒はつぶれていた。

バス停もあった。1日3本の便。

ビーナスラインを走る

ビーナスラインは、茅野の中心部から、蓼科温泉を抜け標高1700メートルの高原を走り、白樺湖へ降りる。

さらに大門峠を横に抜けて、車山高原から美ヶ原へ至る。

天気が悪いと霧が立ち込めることもある高原の道。
蓼科山の麓を半周して今日の小旅行を終えた。
寒いというより冷たさが身に染みる時候だった。

 

茅野の古民家カフェに行ってきました

茅野市東部の泉野という地区に、古民家カフェ・Mさんちがある。
定年おじさんは2017年広報ちの11月号で知った。
その号の「移住してよかった茅野市に」という特集で紹介されていたのだ。

訪れたのは2017年に続き2回目。
Mさんちもその年の3月に移住したばかりだった。
若い働き盛りの夫婦。
ご主人は日中務めており、奥さんがカフェを運営。
神奈川より移住とのこと。

泉野という地区は、標高1000メートルに位置し、かつては養蚕が盛んだった。
大きめの集落の中心部にある、築150年の古民家ともども敷地600坪を購入して移住し、古民家をリニューアルしてカフェをオープンした由。

移住者の話を聞きたくておじさんは再訪した。
干し柿がすだれをなしている屋敷の表。

聞けば庭の柿を採って干したとのこと。
これだけ干すのは大した仕事量だ。

敷地の半分が畑とのことで、去年は耕していなかった畑が半分ほど耕されている。

燃料用の廃材や丸太もカットされている。
平日勤めながらの作業。
田舎暮らしの楽しみとはいえ、時間のない中での慣れない作業であろう。

古民家の内部は、床を張り替え、壁を塗り直しただけで、柱、梁、天井はオリジナル。

本格的リフォームを施しているので、おじさん宅の古民家とはグレードが違う。

庭に面したガラス張りの引き戸がいい。
庭に面しておひさまの恵みを取り入れている。
道路に面しては閉鎖的な日本の家屋の、中に入ってみなければわからない開放性だ。
町の家っぽい感じがする。
常に底冷えがするおじさんの山小屋と比べてはいけないが。

奥さんに話を聞く。
田舎暮らしをするにあたって、別荘などではなく、集落への移住を考えていたとのこと。
まだ若い生産年齢世代の物おじしない行動力を感じる。物件は不動産屋で見つけたとのこと。
借家ではなく、買取。

地域にはよくしてもらい、行事には参加し、問題はないとのこと。
カフェのお客も地域の人が主だとのこと。

おじさんのような定年後の年代のような、おっかなびっくりさはない。
「こだわりなく、生活に突き進む」現役世代と「細かいことにこだわって後ろ向きな」リタイア世代の差であろうか。

定年おじさんも若い世代から刺激を受け、心をリフレッシュしてゆかなければ。

敷地はほぼ平面で、使い勝手がよさそうで今後の楽しみが十分ある。
若い世代の地に足を付けた生活を応援したい。