池袋文芸座で映画を観た帰り、目白まで歩く道沿いに大鳥神社の大看板がありました。

参道を歩いてゆくとお寺がたくさんあります。

鬼子母神を祀る大きなお寺もありました。


都電荒川線の沿線に目指す大鳥神社がありました。

主宰神は日本武尊。
日本武尊が死んで白鳥になったことにちなんで、全国に大鳥神社があるそうです。

境内には大きな岩もありました。
何かの依り代なのでしょうか?

すでに1月も20日を過ぎ、境内には日常の風景が戻っているかのようでした。

60代、第二の人生、田舎・時々都会暮らし
池袋文芸座で映画を観た帰り、目白まで歩く道沿いに大鳥神社の大看板がありました。
参道を歩いてゆくとお寺がたくさんあります。
鬼子母神を祀る大きなお寺もありました。
都電荒川線の沿線に目指す大鳥神社がありました。
主宰神は日本武尊。
日本武尊が死んで白鳥になったことにちなんで、全国に大鳥神社があるそうです。
境内には大きな岩もありました。
何かの依り代なのでしょうか?
すでに1月も20日を過ぎ、境内には日常の風景が戻っているかのようでした。
武蔵国総社、大國魂神社に新年のご挨拶をしました。
律令時代のクニの区分けで武蔵国といわれた東京、埼玉あたり。
府中はその中心部で、現在の県庁に当たる国府がおかれた場所です。国府の脇に大國魂神社はあります。
武蔵国の6つの古い神社のご神体が全部集まっているそうです。
三多摩地区では断トツに有名な神社で、年末年始やお祭りの時の人では大変なものです。
年空けて2週間経過したある休日、訪れてみるとまだまだ大変な人出です。
並んで参拝を済ませ、境内をぶらぶらし、宝物殿にも寄ってみました。宝物館では毎年5月に行われる例大祭、通称くらやみ祭りの映像が流れていました。
府中界隈には武蔵国以来の歴史が残っているような気がしました。
JR阿佐ヶ谷駅からほど近い神社です。
新年あけてから1週間以上たっていますがこの人出です。
早々に参拝はあきらめて境内を見ると、神楽殿?ではかるた大会をやっていました。
主宰神は天照大神ということです。
令和4年の新年です。
初詣に地元の布田天神へ行きました。
正月3日の昼間でしたが、参列者が境内を貫いていました。
蚤の市の出店もありました。
今年は皆さんにとっても良い年でありますように。
今年は10月31日に久しぶりの総選挙があります。
総選挙といえば昨今はAKB48の専売特許ですが、本来は、当たり前ですが国政選挙である衆議院議員選挙のことをいいます。
国民の権利である参政権を行使するためにも山小舎おじさんは期日前投票に行ってきました。
普段は長野の山小舎に暮らす身ですが、住民票は自宅のある調布市においている山小舎おじさん。
31日は自宅におりませんが、帰宅の折、期日前投票に初めて行ってきました。
選挙区は東京22区。
期日前投票所は調布市役所です。
事前に郵送されてきた投票券?さえ持ってゆけば期日前投票ができるので便利です。
この日は土曜日ということもあるのでしょうが、期日前投票所には20人ほどの人が集まっていました。
過去の衆議院選挙では忘れられない光景がありました。
東日本震災の年(だったと思う)の総選挙。
基本、選挙権は行使していた山小舎おじさんは、いつものように投票所の小学校に向かいました。
出がけに軽く投票するつもりでした。
そこで見たのは校庭を突っ切って並ぶ選挙民の列。
「ああ、震災があったばかりだから、国の運営についても皆の関心はたかいわなあ」と思い「帰りに投票しよう」とそのまま出かけました。
夕方、帰りしなに見たのは、朝方よりは少ないものの、校庭へ延びる有権者の列でした。
こんなことはそれまでもそのあともありませんでした。
当時は国内の未曽有の災難を目の当たりにし、明日は我が身という謙虚な気持ちと、いざとなった場合に頼りのなるのは隣近所の人間だ、との「お互い様」のチームワークの気持ちが国内にあったような気がします。
その中で、国のかじ取りを担う政治家の選択は、国民にとってなおざりにはできないことでした。
選挙民の関心の高さが熱気となって投票所を取り囲んでも不思議ではありませんでした。
出口調査に駆り出された、まだ自民党に入っていなかったタレントの三原じゅん子が、テレビカメラに向かって「自民党大変です!まずいです!」と叫んでいたそうです。
後日、この選挙をマスコミは「史上最低の投票率。」と伝えました。
選挙結果は自民党の圧勝でした。
投票所の光景が目に焼き付いているおじさんはそれを聞いて「それは違う」と思いました。
「強烈な違和感」どころの話ではありません、自民党圧勝はともかく、史上最低の投票率とは何事か。
あの長い列、熱気は幻だったのか。
いくらお上から「白のものを黒」と言いくるめられ続けた歴史を持つ日本人の端くれであっても、我が身をもって体験したことを全否定されるのは決してうれしくはないものです。
令和3年の東京22区は4人が立候補。
伊藤達也は地元の深大寺ペガサスという少年野球チーム出身で、かつては調布の少年野球大会の開会式に来賓であいさつしていました。
新進党から紆余曲折の末自民党入りしています。
山花郁夫は、社会党末期に委員長を務めた父・貞夫の2世で、実家は京王つつじヶ丘駅へのバス通り沿いにあります。
ほかに、れいわ新選組のくしぶちという女性が出ていますから、野党統一候補が成らなかった選挙区なのでしょう。
投票し、国民の権利を行使し終わった山小舎おじさん。
気持ちも晴れ晴れと調布駅前広場を自転車で通ると、秋晴れの下、共産党とれいわ新選組が選挙活動を行っていました。
暇があるとすぐ自転車でほっつき歩く山小舎おじさんの東京ライフ。
お決まりのコースは、東は阿佐ヶ谷から西は国分寺あたりのエリア。
この日は西荻窪から青梅街道に出て西へ進みました。
大きな神社に出くわしたので寄ってみました。
井草八幡宮
青梅街道に面して巨大な鳥居が立っています。
外からもうかがうことができる、広い敷地。
杉並区善福寺の住宅地にあって、神界の静謐が保たれているかのような空間です。
出くわした鳥居から境内へと進むと、朱色の鍾門が現れます。
鍾門をくぐると、神楽殿、社務所などがある空間に出ます。
そこから本殿への門をくぐってお参りします。
境内には、例えば大人数が押し寄せる初詣客を長年さばいてきたであろう格式が漂っています。
凛とした空気が保たれている神域ですが、都会の神社のスマートさを感じます。建物も立派で手が行き届いています。
東京の西方面では、規模、歴史からも府中の大國魂神社が有名ですが、ほかにも、山小舎おじさんが知っているだけで、大宮八幡、田無神社、谷保神社などの大きな神社があります。
井草八幡はこれらと同様規模の大きな神社です。
甲州街道と並び、旧武蔵国西部エリアの大動脈、青梅街道に面した立地からも、井草八幡が、古くから住民の信仰の対象であったことが納得できます。
八幡神社とは?
全国に4,400ほどもあるという八幡神社。
天神、稲荷、熊野、日枝、諏訪、白山、など神社の系統が多々ある中での最大派閥?とのこと。
八幡神社。
ここに祀られている神様に、天孫系というより国津神・・・、弥生というより縄文・・・、渡来系ではなく原住民系・・・、の起源を感じるのは山小舎おじさんだけでしょうか?
2月のある日。
調布市柴崎の彩ステーションというところで、山小舎おじさんによる野菜の報告会がありました。
彩ステーションは、本ブログでもお伝えしたことがありますが、調布市柴崎の深大寺商店街の空家にオープンしたスペースです。
みんなの居場所作りをコンセプトに、物作りや健康をテーマにしたワークショップを開催したり、学校閉鎖の時は子供を預かったりしています。
普段は近所のお年寄りが三々五々集まってお茶したり、外国人が日本語を習いに来たり。
オーナーは隣の個人医院の院長さんですが、副代表を山小舎おじさんの奥さんがやっております。
実質の運営は奥さんと、数人のサポーターでやっています。
このサポーターおばさんたちは、大人数の料理を上手に作ることができたり、あっという間に宴会の片づけができたり、ついでに自家製のおいしいキムチを漬けたりもできる、ハイパワーなおばちゃん方で、山小舎おじさんも崇拝しております。
この彩ステーションに、山小舎から野菜を出荷しております。
1回に付き段ボールひと箱。
週に最大2回の配送。
金額にして1回、1500円から2000円の出荷です。
この野菜が彩ステーションの利用者に好評で、毎回売り切れとのこと。
キューリ、ナス、トマトなどのお馴染みの野菜だけでなく、食用ほおずきを初めて食べてファンになった人もいるとのこと。
これはファン感謝も含めて、生産者による報告会をして、消費者に山小舎と野菜の更なるイメージアップを試みなければなりません!
ステーションの副代表さんに時間をもらった山小舎おじさんは、ついでにパワーポイントの準備もお願いして報告会に臨みました。
簡単に山小舎の位置、畑の位置、付近の環境などを述べた後、畑と野菜の写真を季節ごとにまとめてスクリーンに映してゆきました。
畑と野菜の写真の後には、ジャムなど食品加工の写真、薪づくりの写真、そして今シーズンから取り入れる「ガッテン農法」などの写真を映してゆきました。
収支状況と今年から値上げしたいという話もしました。
参加者は全員80歳代の10名ほど。
スクリーンに真っ赤なトマトが映し出されると「あートマトだ」と歓声が起こるなど、全体を通して好意的な反応に終始しました。
今シーズンから値段を上げたいとの提案には反応がありませんでした。
山小舎としては、毎回ほとんど収益がない状態からは脱却したいのですが。
途中からどんどん質問してくるおじいさんがいましたし、帰り際に「いつも買っています。野菜が届くと皆で取り合いになるんですよ」と話すおばあさんもいました。
最初は参加者の年代を見て、正直、張り合いのなさ?を感じました。
ところが、終わってみて、代えがたい充実感があることに気づきました。
なぜか?
お年寄りのコミュニケーションのやり方を見ていると感じることがありました。
彼らは、話すときには相手と向かい合って相手の顔を見て話しているし、一方的に自分の話したいことを話すのではなく、また相手からの反応を待つ独特の「間」を持っている、のです。
山小舎おじさんの子供時代の社会(日本限定なのかどうかはわからないが)は、大人はこんな感じでコミュニケーションしていたなあ、と懐かしく思い出しました。
これがしっかりとした人間同士の意思疎通だったなあ、と。
今シーズン、山小舎の収支が改善するかどうかは不明ですが、貴重な経験の場を東京でいただいた山小舎おじさんでした。
冬の間の山小舎おじさんの今年のバイトは、テニスコートの管理人とガイドヘルパー。
2月下旬の晴れた土曜日、多摩川の土手沿いに散歩する利用者さんのガイドヘルパーをしました。
利用者さんの自宅を出て、多摩川の土手に上ります。
このあたりは狛江と調布の境目です。
晴れた休日には散歩やランニング、自転車の人たちで賑わいます。
土手の道が整備されたころは、スポーツ自転車の集団が高速で行き来し、自転車同士のあるいは対人の事故をちょくちょく見かけたものでした。
今ではスポーツ自転車のブームが去ったのか、あるいはマナーがよくなったのかは知りませんが、その姿が少なくなりました。
土手の主な通行者は、ウオーキング、ランニングの人たち。
次いでスポーツ自転車とママチャリ。
スポーツ自転車も集団走行はほとんど見かけなくなりました。
河原は国有地です。
が、多摩川の河原で畑を作っている人がいます。
ビニールハウスを建てたり、鉄パイプで畑を囲ったり、自家菜園にしては本格的です。
昔は橋の下に「サムライ部落」などと呼ばれるバラックの集落があったりしました。
今でも、河原など住協表示のない「番外地」に家を建てて住んでいる人がいます。
私有地の不法占拠は困りますが、国有地である河原の畑は、人に迷惑をかけない範囲であれば、のどかなもの?だと思うのは・・・山小舎おじさんだけでしょうね。
一方で、河川敷のあちこちに立っている「調布市占有」の杭。
知らぬ間に河川敷が耕されてしまっては困る行政側の対抗措置でしょうか。
今どきの河川敷、市民サービスのためのグラウンド用地のみならず、花火大会の場所などとしても、調布市としては確保しておきたいところなのでしょう。
もう少し行くと、「多摩川漁業組合」の幟がはためく養魚池がありました。
写真では見えませんが、釣りをしている人が数人います。
釣り堀も兼ねているのか?勝手に釣っているのか?
そして多摩川漁業組合の仕事は何?
漁業権は設定されていてるのでしょうが、釣り人から入漁料を徴収しているという話は聞かないし、漁師の姿も見たことがないし。
渡し船はとっくにないし。
狛江の多摩川岸の貸しボート業のことか?
あるいは残っている土手沿いの食堂みたいなところの営業権のことか?
多摩川の歴史を感じさせる「漁業組合」の幟でした。
京王相模原線の鉄橋に近づくと、河川敷にグラウンドが現れてきます。
バスケットボール、サッカー、ラグビー、ソフトボール、野球などが行われています。
少年野球の女子チームと思しき子供たちが練習していました。
時代の流れを感じます。
おととしの台風は、ここら辺の河川敷にも被害を及ぼしたようで、河川の改修工事が延々と行われています。
鶴川街道が渡る、多摩川原橋を越えて少し行くと道路に4キロの表示があります。
ここで折り返します。
往復8キロ。
2時間の散歩を終えました。
山小舎おじさんには厳しめの運動です。
利用者さんの保護者から感謝され、雇用先から時給までいただけるのですから、こちらからも感謝したいくらいです。
「散歩の達人」という雑誌があります。
主に東京周辺の街歩きをテーマにしています。
自宅の本を整理していたら、2017年3月号の同雑誌が出てきました。
三鷹、武蔵境、小金井特集号。
山小舎おじさんの出没地域と重なっています。
4年前の情報誌を手に自転車で街に出てみました。
三鷹駅南口からまっすぐに南下する商店街の左側にそびえる建物。
1階に入っている東急ストアが目につきます。
この建物は、道幅を広げるため、当時の路面店を吸収した建物だったことを、「散歩の達人」の記事で知りました。
上層部は住宅公団によるアパートになっています。
駅前の区画整理や再開発いうと、戦後直後の闇市をビルや地下に統合すること(新橋、渋谷など)や、現在行われている駅ビル、駅直結のタワーマンションの建設(武蔵小金井、国分寺など)などが思い出されます。
こういった区画整理は、「戦後」が落ち着いた昭和40年前後にもあったのですね。
2017年の同誌に紹介されていた店がコロナ下で元気に営業していました。
コロナ下(禍)のせいかどうか、4年の間に廃業(休業?)となった店もありました。
小金井市前原にある、丸田ストアー。
このストアーは2021年版の「散歩の達人・三鷹・武蔵境・小金井」号にも紹介されている同誌のお気に入り先です。
かつては町々にあった、八百屋、魚屋、肉屋などが集まるストアーだったのですが時流に押され、古い店で残るのは肉屋のみ。
抜けた店舗の跡には花屋、カフェなどが入ってにぎやかに続いていました。
ストアーに入ってゆくと「いらっしゃい」と次々に女性の店主・店員から声がかかり、驚くやら嬉しいやら。
かつてのストアーからちょっとコンセプトを変えて、新しい女性たちの発信の場になっているかのようでした。
たった4年でもこの変貌。
コロナ下(禍)のグレートリセットが起こっているのでしょうか。
それでも山小舎おじさんは、このエリアの散歩が好きです。
令和3年の1月。
八王子の街を歩いてきた。
八王子は調布から京王線で30分ほど。
東京との西端に位置する市で独自の文化圏を有する町。
山小舎おじさんが30代前半の時に、八王子にあった職業訓練校に何か月か通ったことがあった。
当時の訓練校は国家直営?
専用の校舎を有し、専任職員が配置されていた。
教室は机・椅子・黒板など、小中高学校と全く同じ造り。
訓練生はクラス委員を選出しホームルームを運営、放課後の掃除当番もあった。
また、クラスメイトは、場所柄か八王子在住の人が多く、言葉の端端から彼らの地元意識を感じたものでした。
この日、京王線八王子駅に着いたおじさんは、JR八王子駅方面へ向かい、駅前の商店街を目指します。
まずは古本の佐藤書店。
蔵書は多く、見て回るだけで楽しめます。
ここで古い角川文庫などを買ったことがありました。
1970年代ごろの角川文庫は、公開された洋画をさっそく文庫化し、カバーを映画の場面写真でデザインしていました。
今ではその時代の角川文庫を古書店で見かけることも少なくなっています。
昼食は佐藤書店の並びのトンカツ屋で。
600円でかつ定食が食べられます。
子供入場お断りの張り紙があったり、お愛想がほとんどないサービスぶりが特徴の食堂ですが、安く一食食べられてこれで充分です。
少し前まではかつ定食が500円でした。
八王子に来たらもう一か所寄るところがあります。
国道20号線沿いの団子屋・伊勢屋です。
団子、もち、海苔巻き、稲荷ずしなどを扱って、地元客で引きも切らない店です。
ここでお土産の団子とどら焼きでも、と思いましたが、今日は定休日でした。
残念。
国道20号沿いには、ユーミンこと松任谷由実の実家、荒井呉服店もあります。
かつて、職業訓練校仲間だった地元の女性は、単に「アライ」と、この店のことを呼んでいました。
地元と荒井呉服店の密着度をその時感じました。
八王子はかつて繊維産業で栄えた町。
旦那衆が遊ぶ、三業地が栄えたことでも有名で、今でも芸者がいるとのこと。
お茶屋、置屋、料理屋が並んだ三業地の名残りも残っています。
赤線と呼ばれた特飲街はまた別の場所にあります。
今回は訪ねていません。
これまでのコースは八王子歩きの際の定番コース。
おじさん的にはマンネリ感もぬぐえません。
そこで改めて八王子の全体像を眺めるべく、郷土博物館を探してみることにしました。
初めて訪れる町でそうするように、地元の博物館、資料館を訪ねることのしたのです。
八王子の郷土資料館はJR駅から徒歩20分ほど。
立地といい、建物といい、内容といい、現在の大都市・八王子にはもはやふさわしくないレベルでした。
時代ごとに地域の発展の様子を簡潔にまとめて展示してあるのですが、ありがちな歴史の展示の印象が強い。
特有の繊維産業とそれに伴う町の興隆に焦点を置くようにしてはどうでしょう?
そのためには、周辺地域との原料・物資の交流ルートの変遷を大きく図形化して展示し、また最盛期の八王子の中心街を大パノラマ化するなど、ドラマチックに再構築してはどうでしょう?
などと勝手に想像してしまう山小舎おじさんでした。
時々訪れたくなる街、八王子。
今度来るときにはどういう姿を見せてくれるのか楽しみです。