ご近所立寄り湯めぐりVOL.8 初冬の野沢温泉は「新潟」の匂い

新潟との県境に近い野沢温泉へ行ってきました。

ジャンプ場もある県内では有名なスキー場を持つ温泉です。今ではスキー場のほうが世界的に有名なのでしょうか。
温泉には外国人の姿が目立ちます。

スノーモンキーで有名な、サルが温泉に入る地獄谷野猿公苑へも片道1時間ほどの距離にあります。
名物は野沢菜漬けです。

新潟へ抜ける国道117号線と、JR飯山線沿線からほど近い立地。

11月下旬に家内とともに行ってきました。

上田から上信越道に乗って豊田飯山インターチェンジで下車。
あと2つ先のインターは新潟県という立地です。
沿道から遠望する山々は真っ白で冬そのものの風景でした。

内陸部に位置し、気温は低いものの豪雪地帯は少ない長野県の風景とは既に違います。
雪のにおいプンプンの「新潟っぽい」雰囲気がします。

豊田飯山インターから下道を北上。
飯山市街地のわきを抜けると野沢温泉の標識があります。

温泉街の規模は、県内有数の別所温泉に比べると倍以上の規模の野沢温泉です。
しかもシャッターの下りた店が少ない。
初冬の季節とて観光客の姿も少ないのですが、開いている店が多いのが不思議です。

案内所に飛び込み情報収集。
立寄り湯が7か所もあるとのこと。
その中で有名な大湯は古い木造の浴槽が情緒をそそるのですが、天井が高く寒い季節にはお勧めしない、とのこと。
案内所のおばさんは細かに情報をくれました。
おいしいそば屋や、野沢温泉名物の麻釜(おがま)という温泉が湧出している場所などの見どころをゲット。

温泉街の中心部?
人影は少ないのにみやげ物屋は結構開いています。

蕎麦屋に入ると、客は外国人ばかりでした。
団体客やピカピカの観光客というのではなく、日本に滞在中?とか野沢温泉に滞在中?の外国人といった感じ。
どういう人たちなのでしょうか?
本格的なスキーシーズンはもうちょと先ですが。
店内には歴代の野沢温泉観光ポスターが貼ってありました。スキー場としての歴史が感じられます。

麻釜。
温泉を使って野菜を洗ったり茹でたりする場所。
部外者は立ち入り禁止で地元民限定です。
観光客用には小規模な同様の場所が別にあります。

立寄り湯の大湯です。

我々は案内所おすすめの横落の湯に入りました。
入浴料は任意。
東北の共同湯にあるような料金箱方式です。
お湯は熱めですが入れないほどではなく温まりました。

長野県内にあって裏日本の雰囲気も楽しめる野沢温泉の旅でした。

ご近所パワースポット探訪記VOL.12 日本ピラミッドと松代大本営

今日のパワースポットは強烈だよ!

愛車の軽トラが車検なので。
丸子自動車へ愛車を預け、代車の軽トラにまたがって一日オフ。
代車はオートマでカツ馬力があるので走りやすいんだこれが。

ルートは真田の里から、地蔵峠を越え、下りたところの城下町・松代でまったり、帰る途中の戸倉上山田温泉でひとっ風呂、の一周半日コース。

ところがこの松代という町、只者ではなかった。
歴代のオカルティストの聖地であり、日本ピラミッドの一つと言われる皆神山が鎮座し、戦時中には天皇御座所と大本営、中央官庁の移転を予定した地下壕の跡が残る町だったのだ。

真田の里で野草茶を買う

菅平高原へ向かう山裾に真田一族の出身地、その名も真田地区があります。

ゆきむら夢工房という施設で一休み。
菅平方面の山には霧がかかっていました。

ここの直売所は初夏には名産の杏が出ます。
今日は、キウイ、シナノゴールドに加え、野草茶、干しシイタケなどを買いました。
いずれも魅力あふれる地元の名産。

興味を引いたのは野草茶。
笹、ヤーコン、ヨモギ、スギナのほかにカモミール、オレガノなどのハーブが原料です。
野草に入ったハーブティのような味がするのでしょうか?
楽しみです。勉強になります。

旧北国街道の難所・地蔵峠

真田から長野市のある善光寺平へ抜ける地蔵峠です。
旧北国街道が通っていたとのことです。
その後、北国街道は別のルートになったとのこと。

峠にはお地蔵さんが建っていました。

眼下に望む長野の市街地が、11月の寒空にかすんでいました。

日本ピラミッド・皆神山に上る

地蔵峠を降りると松代です。
古くは終戦直前に大本営が移転する場所として、近年?では群発地震の場所として有名です。

峠道を降りるとすぐ右手に皆神山があります。
おわん型の独立峰。

徒歩で30分、車で5分で頂上に着きます。
これが日本ピラミッドの一つと言われる山です。

頂上には古くからの皆神神社があります。


この点からも、ここが由緒ある山だとわかります。

問題はその後です。

皆神神社の境内には、天地カゴメの宮と富士浅間神社という別のお宮が建っています。
カゴメの宮の建立趣意が書かれた碑を見ると、そこには出口王仁三郎「霊界物語」から引用したかのような物語が刻まれています。

王仁三郎が教祖である大本教の教義にもろに影響を受けての建立であることがわかります。
出口王仁三郎自身の言葉の碑も併設されています。
まさに日本オカルティズムの直系男子が建立したかのようなお宮です。

ピラミッドと言われる皆神山の「磁場」が新興宗教者やオカルティストの嗅覚にヒットし、呼び寄せたのか?
それとももっと深い歴史的かかわりのなせる業なのか?

天地カゴメの宮。
そのまがまがしさに、パワースポット認定!

松代大本営に風寒し

11月末ともなると風が冷たい。
国内の戦争遺産・大本営跡の素掘りの殺伐とした内部の寒さもまたひとしおだった。

松代の町のはずれの山をくりぬき、それこそ皆神山の地下までも含む広大な面積を掘り、天皇御座所、大本営、中央官庁の移転予定地としたという。

ルバング島の小野田少尉もびっくりの大日本帝国最末期の断末魔が形として残っている奇跡。
これこそ「負の」パワースポットと言わずして何と言おう。

入場無料。
まったく観光地化されていないせいもあろうが、戦争遺産であれば何らかの気概なり勇壮さ、の片りんでも残しておいてほしかった。

まったく何のオーラもない素掘りのトンネルが続いている。魂の抜けた場所。
夜逃げの跡のような廃墟。
そうか、ここは国家の夜逃げ(未遂)の跡だったんだ。
どうりで寒いわけだ・・・。

松代という町

「NPO法人夢空間松代まちとと心を育てる会」が町の中心部に案内所を開いていた。
マップをもらいに寄ったついでに聞いてみた。

「皆神山はなぜピラミッドと言われているの?」
「独立峰で形が似ているから」。

皆神山を訪ねてくる人が多いので、NPOでも独自に調査してまとめてみたとのこと。
折角なのでその冊子を購入。
「祈りの山皆神山・松代の不思議を訪ねて」、1100円。

城下町で北国街道の宿場としての歴史を持ちながら、並行してピラミッドを持ち、大本営が移転先に選ばれるという不思議な町。

昼食は町の中華店であんかけ焼きそば

昼食はパンフレットに載っていた町の中華店へ。
これまたパンフに載っていたあんかけ焼きそばを注文。
パリパリに揚げたそばに具だくさんのあんがかかっている。

「写真撮っていいか?」とおかみさんに聞くと逆にびっくりされ、大将が「写真にとるようなもんじゃないけど」と。

満腹になるボリューム。
常連さんが夜の宴会の予約をしていましたが、飲んだら楽しそうな店。

14時までの営業とありながら店を出た13:41には「CLOSE」の看板がかかっていました。

充実すぎる松代の旅でした。
帰りの日帰り温泉の報告は別の日に。

 

 

「小諸なる古城のほとり」にて、晩秋。

山小屋おじさんの今シーズンもあと一週間。
12月からは自宅に戻ります。

畑仕事は終わったのですが、追っかけの薪仕事に追われる今日この頃。
骨休めにと、小諸に行ってきました。

途中の立科町で「ふじ祭り」に遭遇

山小舎からいったん白樺湖に下りて、女神湖、長門牧場、雨境峠を越える県道40号線ルートで小諸方面に向かいました。

山を越え里に入ったところの農協で、JA佐久浅間主催の「ふじ祭り」が行われていました。
11月中旬を過ぎ、主力品種のふじリンゴの収穫を待っての収穫祭兼即売会でした。

地元主催のお祭り系には立寄るのをモットーとしている山小屋おじさんは駐車場へと軽トラを滑り込ませました。

地元による地元のための行事です。
主催者もお客も全員地元の完全アウエー。
威勢はいいが気の小さな山小屋おじさん、駐車場の段階から動悸でおどおど。
何とか好奇心が勝って会場へ。

蓼科牛の焼肉、ヨーグルト、野菜など地元産品のの出店が並び、遠くに的屋の屋台も見えます。

メインはなんといってもフジの即売。
これに長蛇の列。
まさか立科町の農協でこのような列が見られるとは!
田舎をなめていました、スイマセン。

皆さんご進物用にリンゴを箱で買っているようです。
なんといっても地元が誇る名品の念に一度の収穫の日です。新嘗祭(勤労感謝の日)です!

よく見ると値段は100円/個見当で特段安くはありません。
産地直送の一級品ですこぶるおいしいのでしょうど・・・。ということでおじさんは、ソースかつ弁当500円と、リンゴジュース350円を購入。
そそくさとアウエー会場から脱出したのでした。
貴重な体験でした。

小諸城址を「懐古園」に訪ねる

その昔、献上用の馬の牧場があったという、御牧ケ原という地名の高原を抜ける千曲ビューラインという快適な道を通り小諸に向かいました。

小諸は島崎藤村が「小諸なる古城のほとり・・・」とうたった城下町です。
小諸城址は現在では「懐古園」という公園になっています。

懐古園の駐車場は全国ナンバーの車で満車状態でした。
小諸といえば城址ということでしょうか。

駐車場からすぐの三の門です。

三の門からしなの鉄道線をくぐって反対側には大手門があります。
建物も立派ですが石垣が大掛かりで素晴らしいと思います。

城内に入ります。
お濠をまたぐ黒門橋からのモミジです。
今年最後の紅葉です。

島崎藤村の記念館。
小諸義塾という私立の学校の講師として招かれたことが藤村と小諸の(ひいては信州の)ご縁となりました。

千曲川を望む展望台。
千曲川が切り立った谷を刻む急流であることがわかります。今現在も完全な治水はできていない急流なのです。

天主台。
天守閣が小さなものだったことがうかがえます。

この小諸城、関ケ原の戦い当時、徳川軍の本拠として真田軍との間に、第二次上田合戦に臨んだとのこと。
といっても表面上は徳川のいうことを聞きつつ、結果的には真田に利する働きをしたようです。

恐るべきは信州人の面従拝復。
複雑で芯の強い性格は昔からのようです。

深々としたお濠の跡をみても実戦的なお城だったことがわかるような気がします。

城址公園としてはほとんど破壊しつくされた上田城などよりはるかに原型をとどめており、当時の様子がうかがえる気がします。
何よりゆったりした雰囲気が最高なのです。
気に入りました。懐古園。

園内には動物園もあります。

園内にはカップルの姿もあり、地元のヤングのデートコースでもあるようでした。

北国街道・小諸宿

北国街道という重要な街道があります。
江戸五街道に比べてネームバリューはありませんが、佐渡の金を江戸の運んだルートであり、仙台の伊達、安芸の毛利と並ぶ実力者・加賀の前田の参勤交代のルートだったのです。

城下町でもあった小諸は単なる宿場町というだけでない栄えた場所だったようです。

現在の小諸宿の中心部です。
歴史的建造物はあまり残っていません。
もったいないですが、もともとこの地方の中心地として栄えていたため、「宿場」に頼らずとも、戦後のある時期までは発展できたということなのかもしれません。

北国街道とその宿場については今後とも関心を持ってゆきたいと思います。

北国街道と平行する現在の中心部。
地方都市の例にもれずシャッター街と化しています。

なんとなく、城下町、宿場時代からの「都会風」の名残を町の空気に感じます。

駅です。
しなの鉄道は2本/毎時、JR小海線は1本/毎時ほどの運転状況でした。

駅前の庭付きカフェの前で、出店が出てギターの演奏が行われていました。
若い人たちの息吹です。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.7「信州の鎌倉」別所温泉

晩秋の別所温泉へ行ってきました。
信州の鎌倉と言われている温泉地です。
なぜそう呼ばれるのかというと、鎌倉時代に由来する古いお寺が多く、風情があるからだけではありません。
この地を収めたのが、塩田北条氏といい、鎌倉北条氏の要職にあった人物を祖としており、ており、その意味で鎌倉とはつながっているからなのです。

温泉地の中心は北向観音

上田市郊外の塩田平のどん詰まりに湧いた温泉です。
北向観音と呼ばれるお寺が中心部にあります。

参道の両側にはみやげ物屋が並びます。

善光寺の南向きに対し、ちょうど向き合っていることからこう呼ばれるようになったとのこと。
善光寺の未来往生とこちらの現世利益は一対のもので、両方に参拝しないと「片参り」と呼ばれるそう。

 

なるほど観光地として人があふれかえりながらもどこか一人孤高を保った風の善光寺に比べて、場末の裏町のような俗っぽさを含んだ北向観音と参道です。
聖と俗を併せ持っています。

境内に愛染かつらが実在するのも北向観音らしいところ。「愛染かつら」古いですねえ。
上原謙と田中絹代ですよ。
主題歌は霧島一郎でしたっけ?
おじさんは映画見たことあります。

国宝・八角三重塔と安楽寺

風情のある古刹を楽しむならここです。
安楽寺。

本堂に至るアプローチは今の時期モミジに彩られています。空気がきれいです。
格式ある天台宗のお寺で、国宝の三重塔を有してはいますが観光地の俗っぽさを超越しています。

山門をくぐってすぐ右手の鐘突き堂の堂々たる高さにビックリ。

本堂といい、いちいち建物が立派です。
都会と違い由緒あるお寺が昔のままに残っているのです。

唐風の三重塔は、県内の国宝指定第一号とのこと。
おじさんの好みでは、青木村の大宝寺三重塔のほうがいいですが、こちらも景色にフィットした良さがありました。

ちなみにこの日の写真が「ボケ」ているのは、ソフトフォーカスを狙ったわけではなく、レンズを汚い手で触り汚れていたからです。
申し訳ありません。

外湯「石湯」に立ち寄り

別所温泉には外湯が3か所あります。
今回は石湯に入りました。


入浴料150円、ロッカー代50円(戻りません)。
石鹸、シャンプーの備え付けはありませんが、売ってはいます。

かすかに硫黄臭がする透明なお湯です。
熱すぎず、温くもありません。
若干トロリとした湯質です。
温泉に入るとその日一日からだが温まったままです。

上田電鉄・別所温泉駅

上田電鉄別所線の終着駅です。
昔日、人々が電車で温泉を訪れた時代、の賑わいを忍ばせるような駅です。

今は主に沿線住民の通勤、通学の足として利用されている別所線ですが、10月の台風19号により、千曲川にかかる鉄橋が崩落し、上田、城下という1区間が不通のまま復旧のめどがついていません。


一刻も早い復旧が待たれるところです。


旧車両が展示されていました

「日本に二つしかない五稜郭」へ行ってきた

佐久へ行ったときの報告です。
中山道の望月宿から、佐久平で地酒・千曲錦を求め、野沢地区でぴんころ地蔵を訪ねてきました。
望月宿とぴんころ地蔵については別稿でご報告の通りです。

今日は佐久市の南端、臼田地区にある「日本に二つしかない五稜郭」を訪ねた時の報告です。

ぴんころ地蔵をお参りした後、佐久市を南下。
臼田という地区から西方向へ向かうと、龍岡城五稜郭がありました。
函館五稜郭とともに日本で二つしかない五稜郭です。

幕末の時期、当時の藩主が西洋式の城郭をと建築したとのこと。
函館よりは規模が小さいものの、鋭角な城壁とお濠の形といい、確かに五稜郭でした。

城壁の内部は小学校になっています。

函館のようにタワーがあって全体を俯瞰できるような設備はありません。
資料館が建っており、当番の地元の方がいるだけです。

周りの集落に溶け込んだ具合は、地元のお城に対する愛着を感じました。

天守閣がそびえたつお城が日本では有名ですが、探せば国内にもさまざまな様式のお城があるのかもしれません。

五稜郭から千曲川を渡った西側に稲荷神社がありました。
鳥居と紅葉が見事でした。

佐久のお土産は千曲錦です。

佐久平に蔵元がありますが、この日は休みで蔵元の直売所へは行けませんでした。
近くのデイリーヤマザキに「千曲錦」の張り紙があったので寄ってみました。
品切れになると蔵元に直接仕入れに行くというご主人の説明を受け、「帰山」と「限定生酒」の2本を購入。

別荘地の朝市のお客さんで「千曲錦なら飲める」という人がいたので気になっていたのです。
集まりの時にでも飲んでみようと思います。

 

ご近所立寄り湯めぐりVOL.6 下諏訪温泉郷・菅野温泉

下諏訪温泉郷といっても、そこは豪勢な温泉ホテルが立ち並ぶいわゆる温泉街があるわけではありません。
民家の中に立ち寄り湯(外湯)が点在するような場所です。下諏訪はなんといっても諏訪大社下社の町です。
そこに古くから温泉も出ていたわけです。

国道20号線沿いにある矢木温泉、街中に分け入った場所にある新湯、旧中山道宿場に近い旦過の湯などの立寄り湯があり、地元の人や観光客に親しまれています。

今日は菅野温泉という立寄り湯に寄ってみました。

国道20号線の交差点です。
直進すると諏訪大社下社秋宮、右折すると上諏訪方面(東京方面)。

左側の八十二銀行が目印です。

交差点を左折するとぐっと落ち着いた(さびれた)雰囲気の通りとなります。

右側に菅野温泉の入口がありますが、看板もなく、一度来た人でないとわかりずらいです。

ここが温泉への通路です。
表の入口は反対側にあるのでしょう。

細い道を入るとやっと菅野温泉の案内板が。

そこから一気に菅野ワールドの世界です。

トンネルのような路地の入口に大きな暖簾がかかっています。

暖簾をくぐると薄暗い路地が続いています。
昔の路地裏のスナック街のようです。
そこには地元の人が通う1軒の銭湯がありました。

菅野温泉。
入浴料240円です。
あれ?つい最近まで230円だったような?気のせいかな?

ちなみに、浴場に無料のロッカーはありますが、石鹸、シャンプーはありません。
一度、うちのかみさんと来た時、石鹸、シャンプーを忘れてきたことがありました。
なんとその時に、番台のおばあさんが自分用のシャンプーを貸してくれたということで、かみさんが感激していましたっけ。

夏場は高めの湯温が気になりますが、冬場は体が芯から温まります。
やはり下諏訪温泉です。

広めのロビー(番台脇のスペース)と広めの脱所。
昔ながらの体重計も現役でした(66キロでした)。
おじさんはこういう銭湯に安心します。

これからも国道20号線の岡谷、塩尻方面からの帰りに寄りたいと思います。

駐車場はありませんので、歩いて5分の観光用無料駐車場を利用するとよいでしょう。

地元パワースポット探訪記VOL.11 国宝松本城

松本へ行ってきた。
シーズン中の松本は国内外の観光客で身動きが取れないこともあるが、晩秋の時期、松本は落ち着いた町に戻っていた。

奥座敷・浅間温泉街に浸る

美しが原高原から松本平に下りたあたり、松本の奥座敷・浅間温泉街がある。
日本書紀の時代から歴史に表れていた古い温泉。
現在でも都市周辺の温泉地として保養客を集めるとともに、随所にレトロな雰囲気を漂わせる。

外湯・仙気の湯。
12:30に訪れたが、昼休み中。
11:30から15:00までは昼休みとのこと。
地元御用達の外湯とはいえ、この「融通のなさ」に、県民性を感じてしまうのは山小屋おじさんだけだろうか?

温泉街の飲泉所。
暖かい温泉水を汲んできました。
細かな注意書きが貼ってありました。

浅間温泉の開湯といわれる琵琶の湯。
奥まったアプローチとただならぬたたずまい。
立寄り湯専門の施設だそうです。

廃業した木造3階建ての建物。
ただの廃屋ではない存在感です。

注目はモミジではなく煉瓦の塀。
旅館の外塀ですが醸し出す存在感にパチリ。
重みがありハイカラです。

温泉街の歴史とともに歩んだ商店がありました。

松本城の今日のたたずまい

松本のシンボルにして世界的知名度を誇る歴史的遺産・松本城。
天守閣はオリジナルなものが現存しています。

シーズン中は内外の観光客でお堀端はにぎやかですが11月中旬の今日は寂しいくらいの人出です。

いつ見ても本物の迫力に圧倒されます。
冬期間の雪を頂く北アルプスを背景にした天守閣もいいですが、紅葉に彩られた人出の少ないお城もいいものです。

お城を出ていつものコース。
四柱神社、縄手通り、中町通り、パルコのある中心街、駅前までを一巡しました。

シーズン中はにぎわっている観光客の姿がほとんどありません。
その分街の浮ついたにぎやかさがなくなっています。
これが松本の本来の姿なのかもしれません。

松本の、都会的で浮ついた明るさにひかれていた山小屋おじさんもしょせん「観光客」の一人だったのでしょう。
でも何度か来るうちに表面的な観光コース上の街の様子は見飽きました。

松本城へ至る観光客用のよそ行きコースには、地元の人はいないのかもしれません。
そういえば、上田や長野にある風情ある飲み屋街をこの町で見たことがありません。

今後は少しずつディープな松本の姿に触れるべく意識して訪問の機械を作ってゆこうと思います。
待ってろよ松本!

おじさんの松本土産

地元の和菓子屋・開運堂のどら焼き

駅ビルの書店の山と渓谷社コーナーで発見した「定本・黒部の山賊」という文庫本。
松本は上高地の玄関口としても有名だ。
書店の店員さんに「松本のタウン誌はないか?」と聞いたら「かつてはあったが今はない」とのこと。残念。

JA松本の直売所で入手した米麹。
今年は味噌を仕込みます。

同じく直売所でシナノスイートをゲット。
規格外とはいえ8個入りで324円!

写真を撮る前に食べてしまったが、駅前の藤屋という和菓子屋の団子。
ゴマと草団子つぶあん。
今までに食べた団子の中でも最も食べ応えのあるものだった!

 

中山道望月宿を行く

山小屋おじさんの住む長和町を東西に貫く中山道。
江戸五街道の歴史を刻み、現在は関東圏と中部・北陸を結ぶ物流の動脈として命脈を保っている。

長和町には、中山道の宿場として和田宿と長久保宿がある。長久保宿から江戸方面に笠取峠を越えると、芦田宿があり、もう一つ江戸方面に行くと望月宿がある。

佐久方面へ向かった山小屋おじさんは望月宿を訪ねてみた。

望月歴史民俗資料館へ

トラックが行きかう国道142号線(現中山道)。
笠取峠を越えて、左に折れ、望月宿に入ってゆく。

とたんに表通りの「雑踏」から裏通りの「日常」に戻ったような静寂(沈滞?)の雰囲気に包まれる。
角に中山道の道しるべ。
旧街道を歩くウオーカー用だろうか。
望月宿へのイントロダクションとしてふさわしい風景だ。

宿場の街並みは日曜日なのに人影もなくたたずんでいる。
ひと先ず、民俗資料館へ。
地域の情報を系統的に把握するには資料館に飛び込むのが一番だ。
入場料310円。

先史時代の土器類から、宿場時代の絵図類、戦後の生活道具類までをコンパクトに展示しており郷土への誇りと愛着が感じられる資料館。
中でも、鎌倉時代からこのあたりで馬を飼い慣らす「牧」があったこと、終戦直前にこの地に陸軍士官学校が神奈川県から移転してきたことが目を引いた。
中世から戦中にかけてこの辺りはある意味で「選ばれた場所」だったのだ。

本陣は現在医院になっています。

重要文化財の建物です。

「犬神家の一族」ロケ地

1976年の「犬神家の一族」は角川書店の大々的宣伝の先駆けという意味でも画期的な映画だった。
作品自体も市川崑監督の個性と、当時のスタッフ、俳優の力量がマッチした満足できるものとして記憶に残った。

この映画で冒頭、金田一耕助がクライアントに招かれ、投宿する「那須ホテル」のロケ地が望月宿である。
ロケ地は出野屋旅館といい、現在も営業している。

旅館の様子は「日本ボロ宿紀行2」に載っている。
同書によると戦前は芸者の置屋として繁盛し、戦後は下宿屋に転業した歴史を持つ、凝った造りの宿屋だそう。
食事には佐久名物の鯉料理もつくそう。

予備知識がなければ営業しているのかどうかもわからないほどの人気のなさが気になりますが。

バスターミナル周辺に昭和の繁栄の名残

望月宿の街並みは数百メートルの長さだが、街並みの一番佐久寄りにバスターミナルがあって、現在の宿場の中心地がターミナル周辺であることがうかがえる。

バスターミナルは不釣り合いなほど広い敷地で、かつては乗客でにぎわっていたことが想像される。

正面の書店は閉まって久しい感じだが、比較的大きなつくりの書店からも、ターミナル利用客や宿場自体の人口が多かったことがうかがえる。

諸行無常。

地元パワースポット訪問記VOL.10 ぴんころ地蔵

長野県の東信エリアに佐久市があります。
東に群馬県下仁田町と接する長野県の東端です。

北陸新幹線駅ができてから(佐久平駅)急速に発展しています。
東京への新幹線通勤エリアとのことです。

佐久平の駅前にはスーパーをはじめ、郊外レストランのチェーン店が一通りそろい、首都圏郊外のニュータウン駅前のような様相を呈しています。

県内随一の「ファスト化」した風景でしょうか。
あっ話がそれました。

佐久にある、ぴんころ地蔵に行ってきたのでした。

ぴんころ地蔵とは?

お察しの通り「ぴんぴんころり」から名前をいただいています。
佐久市の野沢地区ある、成田山薬師寺の参道に2003年に建立されたお地蔵さんです。
ぴんぴんころりを願う参拝者の名所になっているそうです。

佐久へ行ったついでに寄ってみました。
いや、ついでではなくて、佐久訪問の主目的でした。
かみさんからも「行って来たら?」と言われていましたので。
それほど県内では有名で、またおじさんの年齢の世代にはヒットするスポットなのです。

ぴんころ地蔵のある佐久市。
面積は広く、西は山小屋おじさんの住む長和町と接し、北は小諸、東は群馬県と接している。
南北に千曲川が貫流し、またJR小海線が走っている。

現在の中心部は新幹線の佐久平駅を中心にしたエリアだが、ほかにも旧中山道の宿場町の岩村田地区、ぴんころ地蔵のある野沢地区、日本に二つしかない五稜郭城のある臼田地区など、それぞれ歴史のある町が点在している。
特産品は米を中心とする農産品のほか、鯉料理が有名。

ぴんころ地蔵がある町

国道254号線から成田山薬師寺への曲がり角。
左ぴんころ地蔵の看板のわきにケヤキの巨木が生えていました。

ケヤキを左折すると地元の商店街。
一見統制がとれて元気そうな商店街ですが、日曜日でも8割がたシャッターが閉まっていました。
地方では例外なく見られる風景です。

参道入り口わきの食堂。
看板に鯉料理とあるのがいいですね!

商店街を外れたところにあるたい焼き屋さんで購入。
たい焼き160円、ドーナツ100円です。
たい焼きはあんこの味つけと皮の厚みがおじさん好みでした。

ぴんころ地蔵へお参り

成田山への参道入り口です。

参道の両側には出店がびっしり!ですが、手相見のおじさん以外、1軒も営業していませんでした!
年末年始と縁日の時以外は店を出していないのかもしれませんが、寂しさを通り越して異様な風景にも見えます。

まず母体の成田山薬師寺へお参り。
地方によくある歴史を感じる立派なお寺です。

ぴんころ地蔵です。
新しいお地蔵さんです。
佐久地方はもともと住民の健康寿命がいこともあり、それにあやかろうと建立されたようです。

ぴんぴんころりと逝けますようにと作法にのっとり頭をなでさせてもらいました。

日曜の午後2時過ぎ。
そろそろ肌寒くなってくる時刻とはいえ、ほかに参拝客は、2,3組。

わびしさが極まる?と思うところが参道あたりには温かさ、明るさが満ちていました。
お寺とお地蔵さんのおかげなのか?
にぎわった歴史が醸し出す場の記憶の重みなのだろうか?

たい焼きをほおばりながら帰途に就きました。
ぴんぴんころりと逝けますように。

台風一過 杖突峠を越えて伊那へ

台風から2週間後のある日。
その日も雨でした。
山小屋おじさんは軽トラで伊那へ向かいました。

杖突峠は通行止め解除

いったん茅野へ降りて、杖突峠を越えて高遠経由で伊那へ向かいます。

なぜ伊那へ?なぜ今?

その答えの前に、杖突峠の現状です。
峠に至る坂道は通行に問題ありません。
峠の茶屋も営業していました。

峠からの展望(信州三景とうたわれているらしい)は折からの雨で霧にけぶっていましたが・・・。
峠の通行止めの原因は倒木とのこと。
それで復旧が早いわけだ。

杖突街道。直売所日和

峠を降りると杖突街道沿いに集落が点在します。
昔の信州はこうだったろうな、と思わせる古い民家と畑の風景です。
ここの景色と空気は大好きです。

街道沿いに直売所があります。
おばさんが一人店番しています。
寄ってみると店頭にはシナノスイートの袋と自ごぼう(キノコ)のパックが今日のメインにフィーチャーされていました。
「渋柿ある?」「ない!」。
おばさんとの会話は当意即妙、一転曇りもありません。
シナノスイートはおばさんが趣味で作っているリンゴ。
6個入って300円。
買わない理由がありません。
渋柿はこれからとのこと。
ここら辺、台風19号の被害はなし。
ハザードマップでは真っ赤な地域なんだけどね、とおばさん。
会話は弾みましたが肌寒いので早々にお暇。
おばさんは分厚いチョッキで防寒していましたっけ。

高遠でまったりパート1。信州ソウルフード・ローメンにトライ

杖突街道を折れ、権兵衛街道と呼ばれる国道361号線へ入るところが城下町・高遠です。
城址公園で開かれる高遠桜祭りで有名です。
今は伊那市と合併しています。

街の中心部、権瓶街道沿いの2,300メートルは城下町の町屋風に景観が維持されていてちょっと降りて歩いてみたくなります。

おじさんはここで車を止め(商店街の客用に無料の駐車場がある)、まずは昼食です。

一度は行ったことがある食堂・みすゞ。
今回は伊那が発祥のソウルフード、ローメンを試してみました。
ソース味のようでいて、にんにくを利かせた味噌味の汁に漬かった独特の麺を食べるローメン。
汁あり焼きそばといえばばわかりやすいか。
ホールのおばちゃんがきびきびと気持ちの良いみすゞ食堂。あと、田舎の食堂のいいところは、味噌汁がうまいのと、漬物が自家製だったりするところなんだよね。
ここがそうだからというわけではないけれど・・・。

というわけで、今日のおすすめ、ローメン定食。
900円でした。

高遠でまったりパート2。饅頭屋、不動産屋で油売る

食後は景観保存が見事な商店街を流してみます。

まずはお土産でも、と饅頭屋へ高遠饅頭をフィーチャーした饅頭屋さんへ。
ショーウインドウには高遠饅頭のほか、クルミ柚餅子などが並んでいます。
ここの若女将というか、お姐さんはとんでもなくおしゃべり好きでした。
いや、最初に声をかけた山小屋おじさんがおしゃべり開始の原因だったのですが・・・。
台風19号の被害状況(高遠はほぼ被害なし)から、景観維持には補助金が出ていること、町のお偉方の閉鎖性、高遠の町おこしが不発なことまで、お姐さんの話が止まることはありません。
Uターン組のこのお姐さん、地元高遠への思いはやまないも、若い日に広げた視野の広さからか、通りがかりの人を見かけると話が止まらない、ようだ。
その気持ちよくわかる。

次いで饅頭屋の向かいの不動産屋に邪魔してみる。
この不動産屋、「田舎暮らし希望者へ古民家紹介します」の張り紙がおじさんの目にジャストミートした。
饅頭屋の姐さんに聞けば「面白い主人がいる、寄っていけば?」とのことで迷惑を顧みずいい年して用もないのに寄ってみたのだ。

飛び込んだおじさんを歓迎し、お茶まで出してくれたこの不動産屋夫婦。
地元出身で開業40年。
移住者に地元の物件を紹介してきたとのこと。

今は、都会の相続人にとって、田舎の不動産は完全に負の遺産で、家屋敷、土地はもちろん、畑、山林付きでただでもいいから売りたい人が多いとのこと。

田舎暮らしを希望する人は、東京で情報を見るより現地の不動産屋へ飛び込んでみたほうがいかもしれない。

このご夫婦は移住者のその後の相談にも乗っている、というか乗らざるを得ないとのこと。
移住という事業が、移住する側にとってもされる側にとっても一大事ということがわかる。
頼りになるご夫婦だと思った。

ということで、伊那へ下り、せっかく伊那にに来たのだからと、天竜川の濁流と、日中友好をアピールした中華屋の看板と、を見てから・・。

帰途、南箕輪村の直売所で、紅玉(ジャム、チャツネ用)と大豆(味噌用)を買い、降る雨の中帰りました。

で、なぜ伊那へ行ったか?
特に理由はありません雨だと山小屋に引っ込まざるを得ず、うっとうしかったからかな?