中山道シリーズ第三弾 岩村田宿の現在

かつて長野県の中央部を横断して中山道が通っていました。
東海道は五十三次。
中山道は六十九次の長丁場。

お江戸日本橋を出て、現在の群馬県から軽井沢へ出て長野県を横断。
木曽路を抜けて京へ至る主要街道でした。
今回は第二十二宿にあたる岩村田宿の現在を訪ねました。

中山道岩村田宿とは

現在の長野県佐久市にあった宿場です。
八ヶ岳の東側に広がる佐久平という平地というか盆地にあります。
内藤氏1万6千石の城下町で、また中山道、佐久甲州街道(小諸から山梨県韮崎へ抜ける街道)、善光寺街道(岩村田から善光寺へ抜ける道)が交差する要衝でした。

第十八宿が軽井沢宿で、第二十九宿が下諏訪宿ですから、その間の宿場になります。

岩村田宿の現在

旧中山道沿いに岩村田本町商店街があります。
アーケードを街道の両側に頂く一昔前のスタイルの商店街です。

銀行や和菓子店、理容店などが軒を連ねており、かつてはこの地域の中心街としての歴史を伝えていますが、現在は見事なシャッター街となっています。

新幹線駅の佐久平駅が車で10分もかからない距離にあり、その周辺のモールや全国チェーン店に商圏が完全に移っています。
一方の岩村田本町商店街は、宿場時代の街並みを完全に排した、昭和の時代の商店街スタイルに変貌しています。
そのため、商店街が廃れた現在、宿場時代の歴史的景観に戻すこともできず、「昭和のアーケード商店街」としての歴史を残すのみとなっています。

ある程度の都会でも、小諸市のように街道沿いの歴史的景観が(偶然にせよ)残っている場所もあり、観光客のそぞろ歩きの光景も見られますが、岩村田の商店街に観光客が来訪するとしたら、昭和遺産のマニアくらいでしょうか?

味のありすぎる飲み屋横丁がありました。

商店街の表通りはおそらく現在でも昔からの地権者などが幅を利かせている可能性がありますが、一本横道に入ると新しい飲食店などもありました。

岩村田城址へ行ってみる

岩村田は宿場としては格上の「城下町」だったということで、城址へ行ってみました。
おそらく広かったであろうお城の跡地はほとんどが小学校の敷地になっているようでした。
城郭の中心部だったであろう土地は道路で真っ二つに寸断されていました。

残る一方の敷地には、招魂社とお稲荷さんがありました。

山小舎の割と近場を通る中山道。
まだまだ知らない歴史が広がっているようです。

伊那谷に春を訪ねて・・・。

畑作業4連勤につかれた山小舎おじさんは、GWのある1日、伊那市へ行ってきました。
伊那は山小屋から直線距離にして上田とほぼ同じ。
松本や長野よりは近いのです。

杖突峠は桜満開

伊那へ行くルートは、茅野へ降りてから西側にそびえる山塊を杖突峠で越えます。
峠を越えたあたりに桜の木が数本あり、満開でした。

城下町・高遠へ続く杖突街道です。
谷あいに集落が続く鄙びた道はいつ来てもなぜか落ち着きます。
今日の今日とて、街道沿いの直売所は閉まっていましたが・・・。

高遠城址公園は閉鎖中・・・

杖突峠を下ると高遠の町。
今は伊那市に吸収合併となっていますが、その昔は高遠藩が治める城下町。
高遠城址は地元の誇りで、桜の季節の高遠城址公園桜祭りは有名です。
今年は例によって桜祭りは中止、城址公園は閉鎖となっていました。

折角高遠に寄ったのだから、地元の神様と古刹にご挨拶。
まずは建福寺。
本堂へ至る石段に沿って数十体の石仏が残っている。
江戸時代に全国的に有名だったという、高遠石工の作によるものだそう。
今は格子の背後で佇む石仏たち。
慈悲深いというよりは独特なきりっとした顔つきをしていました。

石仏たちの反対側には観音像が建ち、高遠の町を見守っています。

西暦721年創建という高遠の守り神、鉾持神社へもお参りしました。
現在の地に遷座した際に、鉾が出土したので改称したという古社です。
急な321段を登って拝殿へ向かいました。
毎年2月にはだるま市が開かれるとのこと。
納められただるまが残っていました。

人気のなさは、畑の近くの長和町松尾神社に匹敵しようかという寂しさでしたが、境内の広さといい、格式ある立派な神社です。

拝殿を望む
神社の門前の廃屋です。破れたガラス窓が何とも言えません。

昼食はお楽しみ、伊那のソースカツ丼

高遠を出れば伊那市の町はもう少し。
伊那といえばソースカツ丼が有名です。
開いていました、田村食堂。初めての店です。
ただし持ち帰りオンリーでの営業でした。
分厚い肉と甘いタレ。さすが地元の名物です。
パック入りのソースカツ丼を軽トラの運転席で食べました。
できれば店内でゆっくり食べたかった。

伊那の横丁は今日も強烈だった

高遠方面から伊那谷へと下り、天竜川を渡った時に目に飛び込んでくる伊那の飲み屋街の看板。

なぜ「日中友好」なのかよくわからないが、車道からまず目に飛び込んでくるのがこの建物

動物横丁と呼ばれるこのあたり、カメの向こうにキリンの看板があるのが見えるでしょうか?

飲み屋の件数が多いので有名な伊那の町。
かなりさびれていますが、かつての名残が強烈に残っています。

焼け跡ではありません。平時は食堂を営業中です。
これは本当の廃屋です。一昔前の建築様式が貴重ですが・・・。
映画館です。シネコンではありませんが、データ上映機器を導入して生き残っています。
路面電車の沿線ではありません。JR飯田線の伊那市内の沿線風景です。
このまま伊那に泊まって一杯飲みたくなります
横丁の銭湯です。効きそうですね

伊那に春を探した1日でした。

明日からまた畑やー。

こうなりゃ神頼みだ! 諏訪大社上社と諏訪湖畔の人々

長野県内も緊急事態宣言。
県知事がローカルテレビでしきりと、不要不急の外出自粛と観光客の来県の自粛を呼び掛けています。
まじめで好感の持てる知事さんなのですが、上から言われたことをなぞるだけのようなコメントが、物足りません。
といっても某都知事のように、ここを先途と勇ましく、テレビにスポットで出まくって、リーダーシップの発揮?ならぬ、公費での選挙活動ばかりされてもどうかと思いますが。

ということで標高1300メートルの山小舎暮らしの定年おじさん、軽トラのガソリンも尽きかけていたので、大門峠を越え、60歳以上割引のガソリンスタンドのある、茅野市のザビック(安売りスーパー)へ向かいました。

折角茅野へ下りたので、諏訪大社へお参りしました。
山小舎を開いた後は、毎年、月遅れの初詣をしている諏訪大社。
上田側の生島足島神社といい、県内有数の神様に車で1時間圏内に位置する山小舎にいられるなんて、恵まれた身分です。

上社前宮へお札をもらいに行く

向かったのは茅野市に位置する、諏訪大社上社前宮。
ご存知の通り諏訪大社は、4つのお宮からなっており、中央に近い2社が上社。
遠い2社が下社と呼ばれます。
上社は、茅野市にある前宮と諏訪市にある本宮からなっており、下社はどちらも下諏訪町にある春宮と秋宮からなっています。

茅野市街を南に抜けた里山沿いに、上社前宮があります。
平時でも参拝客が少ない神社なのですが、この日も連休初日ながら三々五々の人出。静かでした。

参道に茶店もなければ、境内を柵や石垣で囲ってもいません。
おそらく原初の時代と変わらぬ姿を保っている?と思わせる素朴な雰囲気に包まれています。

素朴ではあっても漂う厳粛な雰囲気には襟を正されます。
すがすがしい空間です。
本殿の裏には、祀られている豪族の古墳があるとのことです。

かつては神社を守る有力者の屋敷が連なっていたという古参道は、今では民家の裏道になっています。

境内を流れる清水には、ワサビと思われる草が自生していました。

何年か前にお札をもらった社務所はご時世柄閉所していました。
お札は本宮でもらってくれと書いてありました。

前宮境内から望む、雪を頂いた八ヶ岳連峰です。
原初の時代から変わらぬ景色なのでしょう。

上社本宮へ今度こそお札をもらいに行く

軽トラで10分行けば諏訪市内の本宮へ着きます。

全国的には、諏訪大社といえばここのお宮をさすのでしょう。
広大な駐車場と、参道のみやげ物屋数軒が迎える大きな神社です。

素朴な前宮とは異なり、壮麗な社屋が連なり、お宮の前には地酒の樽が供えられ、社務所には巫女さんが常駐しています。

鳥居から参拝殿へと向かうメインルートは観光地特有の「公な」雰囲気に支配されていますが、境内の背後の原始の森の姿には、本来の諏訪大社の雰囲気を感じることができます。

ここで念願のお札をいただくことができました。
社務所で硝子戸の向こうにいる巫女さんはやはりマスクをしていました。

八重桜満開の法華寺へ

本宮の裏手に法華寺というお寺があります。
初めて寄ってみました。

山門脇の八重桜が咲き誇っています。
何とも言えない鮮やかな色です。

このお寺、忠臣蔵の悪役、吉良上野介の養子の墓があるのです。
山形の米沢から吉良の養子に入り、赤穂事件に連座して、諏訪に蟄居を命じられた養子が、ひっそりと寺の裏手の山すそに供養されています。

この法華寺、明治時代の廃仏毀釈騒動で、かなりのお堂が文字通り廃棄されたとのこと。
並行して、隣接する諏訪大社本宮が、国家神道の名のもと整備、統制されていき、今日に至ったことがうかがえます。

答えはあった、諏訪湖畔は繰り出す人々でにぎやか

ついでに諏訪湖を1周して帰りました。
諏訪湖畔、特にメインの下諏訪町から湖の反対側の岡谷市のエリア。
湖畔に公園が連なっており普段は住民の憩いの場になっていますが、ここが連休初日の今日は賑やかだった!

外出自粛ではなかったのか?
人があふれています。
茅野や岡谷にこんなに人がいたのか?!

それも中高生らしき若者が多い。
平時なら街に遊びに出てしまう若者が、自粛の名のもとに湖畔に繰り出しているのだ。

いいではないか。
平時は人気がなく、死んだようだった地方の町が、実はこれだけ老若男女のマンパワーを秘めていたなんて!

これも緊急事態がもたらした、天地返し、真実暴露、仕切り直しの一環なのだ。にぎやかでいいと思います!

今日この頃の上田市内

長野県でもマスコミは周到に「外出自粛」を謳っています。
そんな時に、そんな時だからこそ、今年初めての上田市内に行ってきました。

緊急事態宣言下の土曜日。
天気は晴れ、気温も暖かい。
桜は散っていますが、花々がほころび始め、遠く浅間山の残雪がまぶしい。
上田盆地は春真っ盛りを迎えています。

昼食を上田市郊外のとんかつ屋・味楽亭で済ませる。
いつもは地元客で行列のできる店。
時間を外したこともあるが、店内は奥に地元のヤングが10名近くで陣取る以外は、コロナなど気にしてもしょうがないおやじが、単独で三々五々現れるだけ。客席はやっと半分埋まったくらいか。
なによりも寂れかかったような店内のムードがヤバイ!
ロースかつ定食1400円。
こんなに高かったっけ?
ネット情報にあるように、豚肉をはじめとして食料が不足から高騰してゆくのか?
味はいつも通りでした。

上田市内に入る、幹線道路の交通量は平時の1/2くらいか?
中心部の交差点はいつもと変わった様子はない。
軽トラを駐車場に止めて、いつものルートで街を歩き始める。
今年初めての上田訪問だ

トンカツで満腹の腹を抱え、中心部の商店街・海野町商店街を歩く。
いつにもまして人の姿がない。土曜日なのに。

商店街の中ほど、富士アイスに寄る。
ここには人がいました。
といっても平時の半分くらいか。
今川焼を1個買って食べ歩き。

上田映劇へ向かう。
休映中なのは承知。
せめて映画館らしい匂いに触れてみたくて。
館を運営するNPO法人の決意の大文字デコレーションに少々安心したものの、映画館らしくない人気のなさ。
思うのは、いかに歴史ある建物でも、使われていてナンボだなあと。
頑張ってくれ!

海野町商店街に隣接する飲み屋街。
かつては織物景気で、人口比の飲み屋の件数が全国有数だったという上田。
飲み屋街は表面的には健在も、よく見ると自粛中の張り紙の嵐だった。

こうなりゃ、商店街の守り神・弁才天と、隣のお寺の日蓮上人にそれぞれ神頼みや!

同じく中心街にある、カレーのベンガルは扉を開けて営業中。
コーヒーの木の実もやっているようだった。

山小舎おじさんお気に入りの和菓子屋・やまざきやへ。
やってました。
店員さんに聞くと、個人客はそこそこも、学校や会社などの法人需要がなくなっていると。
団子と柏餅を買いました。
ここ名物の新作団子は「桜団子」。
桜の花をあしらった白あんがのった団子でした。

柳町通りへ行ってみます。
旧北国街道沿いの古い町並みです。
シーズンの土曜日には観光客がそぞろ歩く名所ですが、それらしき姿は一組だけでした。
蕎麦屋などの食堂は閉まっています。

おじさんお気に入りの岡崎酒造で、地元米使用の限定版・亀齢を1本。
特製の甘酒も気になったので1本求めました。
畑作業で疲れたときは甘酒がいいのです。
土間にひな人形が飾ってあったのでパチリ。
江戸時代の人形とのことです。

帰りに去年の台風19号で橋げたが落ちた、上田電鉄別所線の鉄橋現場を見てきました。
片方が千曲川に落ちていた鉄橋は撤去されていました。
新たな鉄橋を架設すべく、土台になる堤防を新たに作っているところです。

崩落してから5か月。
遅いような気がしますが、崩落したままの鉄橋が撤去されたのだから、工事は進捗しているのでしょう。

コロナ対策に金を渋るような国が、田舎の私鉄の鉄橋補修なんかに優先して金なんか出すわけない。
とはわかっていても、いまいちポジティブな気持ちになれない春の午後でした。字余り。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.8 初冬の野沢温泉は「新潟」の匂い

新潟との県境に近い野沢温泉へ行ってきました。

ジャンプ場もある県内では有名なスキー場を持つ温泉です。今ではスキー場のほうが世界的に有名なのでしょうか。
温泉には外国人の姿が目立ちます。

スノーモンキーで有名な、サルが温泉に入る地獄谷野猿公苑へも片道1時間ほどの距離にあります。
名物は野沢菜漬けです。

新潟へ抜ける国道117号線と、JR飯山線沿線からほど近い立地。

11月下旬に家内とともに行ってきました。

上田から上信越道に乗って豊田飯山インターチェンジで下車。
あと2つ先のインターは新潟県という立地です。
沿道から遠望する山々は真っ白で冬そのものの風景でした。

内陸部に位置し、気温は低いものの豪雪地帯は少ない長野県の風景とは既に違います。
雪のにおいプンプンの「新潟っぽい」雰囲気がします。

豊田飯山インターから下道を北上。
飯山市街地のわきを抜けると野沢温泉の標識があります。

温泉街の規模は、県内有数の別所温泉に比べると倍以上の規模の野沢温泉です。
しかもシャッターの下りた店が少ない。
初冬の季節とて観光客の姿も少ないのですが、開いている店が多いのが不思議です。

案内所に飛び込み情報収集。
立寄り湯が7か所もあるとのこと。
その中で有名な大湯は古い木造の浴槽が情緒をそそるのですが、天井が高く寒い季節にはお勧めしない、とのこと。
案内所のおばさんは細かに情報をくれました。
おいしいそば屋や、野沢温泉名物の麻釜(おがま)という温泉が湧出している場所などの見どころをゲット。

温泉街の中心部?
人影は少ないのにみやげ物屋は結構開いています。

蕎麦屋に入ると、客は外国人ばかりでした。
団体客やピカピカの観光客というのではなく、日本に滞在中?とか野沢温泉に滞在中?の外国人といった感じ。
どういう人たちなのでしょうか?
本格的なスキーシーズンはもうちょと先ですが。
店内には歴代の野沢温泉観光ポスターが貼ってありました。スキー場としての歴史が感じられます。

麻釜。
温泉を使って野菜を洗ったり茹でたりする場所。
部外者は立ち入り禁止で地元民限定です。
観光客用には小規模な同様の場所が別にあります。

立寄り湯の大湯です。

我々は案内所おすすめの横落の湯に入りました。
入浴料は任意。
東北の共同湯にあるような料金箱方式です。
お湯は熱めですが入れないほどではなく温まりました。

長野県内にあって裏日本の雰囲気も楽しめる野沢温泉の旅でした。

ご近所パワースポット探訪記VOL.12 日本ピラミッドと松代大本営

今日のパワースポットは強烈だよ!

愛車の軽トラが車検なので。
丸子自動車へ愛車を預け、代車の軽トラにまたがって一日オフ。
代車はオートマでカツ馬力があるので走りやすいんだこれが。

ルートは真田の里から、地蔵峠を越え、下りたところの城下町・松代でまったり、帰る途中の戸倉上山田温泉でひとっ風呂、の一周半日コース。

ところがこの松代という町、只者ではなかった。
歴代のオカルティストの聖地であり、日本ピラミッドの一つと言われる皆神山が鎮座し、戦時中には天皇御座所と大本営、中央官庁の移転を予定した地下壕の跡が残る町だったのだ。

真田の里で野草茶を買う

菅平高原へ向かう山裾に真田一族の出身地、その名も真田地区があります。

ゆきむら夢工房という施設で一休み。
菅平方面の山には霧がかかっていました。

ここの直売所は初夏には名産の杏が出ます。
今日は、キウイ、シナノゴールドに加え、野草茶、干しシイタケなどを買いました。
いずれも魅力あふれる地元の名産。

興味を引いたのは野草茶。
笹、ヤーコン、ヨモギ、スギナのほかにカモミール、オレガノなどのハーブが原料です。
野草に入ったハーブティのような味がするのでしょうか?
楽しみです。勉強になります。

旧北国街道の難所・地蔵峠

真田から長野市のある善光寺平へ抜ける地蔵峠です。
旧北国街道が通っていたとのことです。
その後、北国街道は別のルートになったとのこと。

峠にはお地蔵さんが建っていました。

眼下に望む長野の市街地が、11月の寒空にかすんでいました。

日本ピラミッド・皆神山に上る

地蔵峠を降りると松代です。
古くは終戦直前に大本営が移転する場所として、近年?では群発地震の場所として有名です。

峠道を降りるとすぐ右手に皆神山があります。
おわん型の独立峰。

徒歩で30分、車で5分で頂上に着きます。
これが日本ピラミッドの一つと言われる山です。

頂上には古くからの皆神神社があります。


この点からも、ここが由緒ある山だとわかります。

問題はその後です。

皆神神社の境内には、天地カゴメの宮と富士浅間神社という別のお宮が建っています。
カゴメの宮の建立趣意が書かれた碑を見ると、そこには出口王仁三郎「霊界物語」から引用したかのような物語が刻まれています。

王仁三郎が教祖である大本教の教義にもろに影響を受けての建立であることがわかります。
出口王仁三郎自身の言葉の碑も併設されています。
まさに日本オカルティズムの直系男子が建立したかのようなお宮です。

ピラミッドと言われる皆神山の「磁場」が新興宗教者やオカルティストの嗅覚にヒットし、呼び寄せたのか?
それとももっと深い歴史的かかわりのなせる業なのか?

天地カゴメの宮。
そのまがまがしさに、パワースポット認定!

松代大本営に風寒し

11月末ともなると風が冷たい。
国内の戦争遺産・大本営跡の素掘りの殺伐とした内部の寒さもまたひとしおだった。

松代の町のはずれの山をくりぬき、それこそ皆神山の地下までも含む広大な面積を掘り、天皇御座所、大本営、中央官庁の移転予定地としたという。

ルバング島の小野田少尉もびっくりの大日本帝国最末期の断末魔が形として残っている奇跡。
これこそ「負の」パワースポットと言わずして何と言おう。

入場無料。
まったく観光地化されていないせいもあろうが、戦争遺産であれば何らかの気概なり勇壮さ、の片りんでも残しておいてほしかった。

まったく何のオーラもない素掘りのトンネルが続いている。魂の抜けた場所。
夜逃げの跡のような廃墟。
そうか、ここは国家の夜逃げ(未遂)の跡だったんだ。
どうりで寒いわけだ・・・。

松代という町

「NPO法人夢空間松代まちとと心を育てる会」が町の中心部に案内所を開いていた。
マップをもらいに寄ったついでに聞いてみた。

「皆神山はなぜピラミッドと言われているの?」
「独立峰で形が似ているから」。

皆神山を訪ねてくる人が多いので、NPOでも独自に調査してまとめてみたとのこと。
折角なのでその冊子を購入。
「祈りの山皆神山・松代の不思議を訪ねて」、1100円。

城下町で北国街道の宿場としての歴史を持ちながら、並行してピラミッドを持ち、大本営が移転先に選ばれるという不思議な町。

昼食は町の中華店であんかけ焼きそば

昼食はパンフレットに載っていた町の中華店へ。
これまたパンフに載っていたあんかけ焼きそばを注文。
パリパリに揚げたそばに具だくさんのあんがかかっている。

「写真撮っていいか?」とおかみさんに聞くと逆にびっくりされ、大将が「写真にとるようなもんじゃないけど」と。

満腹になるボリューム。
常連さんが夜の宴会の予約をしていましたが、飲んだら楽しそうな店。

14時までの営業とありながら店を出た13:41には「CLOSE」の看板がかかっていました。

充実すぎる松代の旅でした。
帰りの日帰り温泉の報告は別の日に。

 

 

「小諸なる古城のほとり」にて、晩秋。

山小屋おじさんの今シーズンもあと一週間。
12月からは自宅に戻ります。

畑仕事は終わったのですが、追っかけの薪仕事に追われる今日この頃。
骨休めにと、小諸に行ってきました。

途中の立科町で「ふじ祭り」に遭遇

山小舎からいったん白樺湖に下りて、女神湖、長門牧場、雨境峠を越える県道40号線ルートで小諸方面に向かいました。

山を越え里に入ったところの農協で、JA佐久浅間主催の「ふじ祭り」が行われていました。
11月中旬を過ぎ、主力品種のふじリンゴの収穫を待っての収穫祭兼即売会でした。

地元主催のお祭り系には立寄るのをモットーとしている山小屋おじさんは駐車場へと軽トラを滑り込ませました。

地元による地元のための行事です。
主催者もお客も全員地元の完全アウエー。
威勢はいいが気の小さな山小屋おじさん、駐車場の段階から動悸でおどおど。
何とか好奇心が勝って会場へ。

蓼科牛の焼肉、ヨーグルト、野菜など地元産品のの出店が並び、遠くに的屋の屋台も見えます。

メインはなんといってもフジの即売。
これに長蛇の列。
まさか立科町の農協でこのような列が見られるとは!
田舎をなめていました、スイマセン。

皆さんご進物用にリンゴを箱で買っているようです。
なんといっても地元が誇る名品の念に一度の収穫の日です。新嘗祭(勤労感謝の日)です!

よく見ると値段は100円/個見当で特段安くはありません。
産地直送の一級品ですこぶるおいしいのでしょうど・・・。ということでおじさんは、ソースかつ弁当500円と、リンゴジュース350円を購入。
そそくさとアウエー会場から脱出したのでした。
貴重な体験でした。

小諸城址を「懐古園」に訪ねる

その昔、献上用の馬の牧場があったという、御牧ケ原という地名の高原を抜ける千曲ビューラインという快適な道を通り小諸に向かいました。

小諸は島崎藤村が「小諸なる古城のほとり・・・」とうたった城下町です。
小諸城址は現在では「懐古園」という公園になっています。

懐古園の駐車場は全国ナンバーの車で満車状態でした。
小諸といえば城址ということでしょうか。

駐車場からすぐの三の門です。

三の門からしなの鉄道線をくぐって反対側には大手門があります。
建物も立派ですが石垣が大掛かりで素晴らしいと思います。

城内に入ります。
お濠をまたぐ黒門橋からのモミジです。
今年最後の紅葉です。

島崎藤村の記念館。
小諸義塾という私立の学校の講師として招かれたことが藤村と小諸の(ひいては信州の)ご縁となりました。

千曲川を望む展望台。
千曲川が切り立った谷を刻む急流であることがわかります。今現在も完全な治水はできていない急流なのです。

天主台。
天守閣が小さなものだったことがうかがえます。

この小諸城、関ケ原の戦い当時、徳川軍の本拠として真田軍との間に、第二次上田合戦に臨んだとのこと。
といっても表面上は徳川のいうことを聞きつつ、結果的には真田に利する働きをしたようです。

恐るべきは信州人の面従拝復。
複雑で芯の強い性格は昔からのようです。

深々としたお濠の跡をみても実戦的なお城だったことがわかるような気がします。

城址公園としてはほとんど破壊しつくされた上田城などよりはるかに原型をとどめており、当時の様子がうかがえる気がします。
何よりゆったりした雰囲気が最高なのです。
気に入りました。懐古園。

園内には動物園もあります。

園内にはカップルの姿もあり、地元のヤングのデートコースでもあるようでした。

北国街道・小諸宿

北国街道という重要な街道があります。
江戸五街道に比べてネームバリューはありませんが、佐渡の金を江戸の運んだルートであり、仙台の伊達、安芸の毛利と並ぶ実力者・加賀の前田の参勤交代のルートだったのです。

城下町でもあった小諸は単なる宿場町というだけでない栄えた場所だったようです。

現在の小諸宿の中心部です。
歴史的建造物はあまり残っていません。
もったいないですが、もともとこの地方の中心地として栄えていたため、「宿場」に頼らずとも、戦後のある時期までは発展できたということなのかもしれません。

北国街道とその宿場については今後とも関心を持ってゆきたいと思います。

北国街道と平行する現在の中心部。
地方都市の例にもれずシャッター街と化しています。

なんとなく、城下町、宿場時代からの「都会風」の名残を町の空気に感じます。

駅です。
しなの鉄道は2本/毎時、JR小海線は1本/毎時ほどの運転状況でした。

駅前の庭付きカフェの前で、出店が出てギターの演奏が行われていました。
若い人たちの息吹です。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.7「信州の鎌倉」別所温泉

晩秋の別所温泉へ行ってきました。
信州の鎌倉と言われている温泉地です。
なぜそう呼ばれるのかというと、鎌倉時代に由来する古いお寺が多く、風情があるからだけではありません。
この地を収めたのが、塩田北条氏といい、鎌倉北条氏の要職にあった人物を祖としており、ており、その意味で鎌倉とはつながっているからなのです。

温泉地の中心は北向観音

上田市郊外の塩田平のどん詰まりに湧いた温泉です。
北向観音と呼ばれるお寺が中心部にあります。

参道の両側にはみやげ物屋が並びます。

善光寺の南向きに対し、ちょうど向き合っていることからこう呼ばれるようになったとのこと。
善光寺の未来往生とこちらの現世利益は一対のもので、両方に参拝しないと「片参り」と呼ばれるそう。

 

なるほど観光地として人があふれかえりながらもどこか一人孤高を保った風の善光寺に比べて、場末の裏町のような俗っぽさを含んだ北向観音と参道です。
聖と俗を併せ持っています。

境内に愛染かつらが実在するのも北向観音らしいところ。「愛染かつら」古いですねえ。
上原謙と田中絹代ですよ。
主題歌は霧島一郎でしたっけ?
おじさんは映画見たことあります。

国宝・八角三重塔と安楽寺

風情のある古刹を楽しむならここです。
安楽寺。

本堂に至るアプローチは今の時期モミジに彩られています。空気がきれいです。
格式ある天台宗のお寺で、国宝の三重塔を有してはいますが観光地の俗っぽさを超越しています。

山門をくぐってすぐ右手の鐘突き堂の堂々たる高さにビックリ。

本堂といい、いちいち建物が立派です。
都会と違い由緒あるお寺が昔のままに残っているのです。

唐風の三重塔は、県内の国宝指定第一号とのこと。
おじさんの好みでは、青木村の大宝寺三重塔のほうがいいですが、こちらも景色にフィットした良さがありました。

ちなみにこの日の写真が「ボケ」ているのは、ソフトフォーカスを狙ったわけではなく、レンズを汚い手で触り汚れていたからです。
申し訳ありません。

外湯「石湯」に立ち寄り

別所温泉には外湯が3か所あります。
今回は石湯に入りました。


入浴料150円、ロッカー代50円(戻りません)。
石鹸、シャンプーの備え付けはありませんが、売ってはいます。

かすかに硫黄臭がする透明なお湯です。
熱すぎず、温くもありません。
若干トロリとした湯質です。
温泉に入るとその日一日からだが温まったままです。

上田電鉄・別所温泉駅

上田電鉄別所線の終着駅です。
昔日、人々が電車で温泉を訪れた時代、の賑わいを忍ばせるような駅です。

今は主に沿線住民の通勤、通学の足として利用されている別所線ですが、10月の台風19号により、千曲川にかかる鉄橋が崩落し、上田、城下という1区間が不通のまま復旧のめどがついていません。


一刻も早い復旧が待たれるところです。


旧車両が展示されていました

「日本に二つしかない五稜郭」へ行ってきた

佐久へ行ったときの報告です。
中山道の望月宿から、佐久平で地酒・千曲錦を求め、野沢地区でぴんころ地蔵を訪ねてきました。
望月宿とぴんころ地蔵については別稿でご報告の通りです。

今日は佐久市の南端、臼田地区にある「日本に二つしかない五稜郭」を訪ねた時の報告です。

ぴんころ地蔵をお参りした後、佐久市を南下。
臼田という地区から西方向へ向かうと、龍岡城五稜郭がありました。
函館五稜郭とともに日本で二つしかない五稜郭です。

幕末の時期、当時の藩主が西洋式の城郭をと建築したとのこと。
函館よりは規模が小さいものの、鋭角な城壁とお濠の形といい、確かに五稜郭でした。

城壁の内部は小学校になっています。

函館のようにタワーがあって全体を俯瞰できるような設備はありません。
資料館が建っており、当番の地元の方がいるだけです。

周りの集落に溶け込んだ具合は、地元のお城に対する愛着を感じました。

天守閣がそびえたつお城が日本では有名ですが、探せば国内にもさまざまな様式のお城があるのかもしれません。

五稜郭から千曲川を渡った西側に稲荷神社がありました。
鳥居と紅葉が見事でした。

佐久のお土産は千曲錦です。

佐久平に蔵元がありますが、この日は休みで蔵元の直売所へは行けませんでした。
近くのデイリーヤマザキに「千曲錦」の張り紙があったので寄ってみました。
品切れになると蔵元に直接仕入れに行くというご主人の説明を受け、「帰山」と「限定生酒」の2本を購入。

別荘地の朝市のお客さんで「千曲錦なら飲める」という人がいたので気になっていたのです。
集まりの時にでも飲んでみようと思います。

 

ご近所立寄り湯めぐりVOL.6 下諏訪温泉郷・菅野温泉

下諏訪温泉郷といっても、そこは豪勢な温泉ホテルが立ち並ぶいわゆる温泉街があるわけではありません。
民家の中に立ち寄り湯(外湯)が点在するような場所です。下諏訪はなんといっても諏訪大社下社の町です。
そこに古くから温泉も出ていたわけです。

国道20号線沿いにある矢木温泉、街中に分け入った場所にある新湯、旧中山道宿場に近い旦過の湯などの立寄り湯があり、地元の人や観光客に親しまれています。

今日は菅野温泉という立寄り湯に寄ってみました。

国道20号線の交差点です。
直進すると諏訪大社下社秋宮、右折すると上諏訪方面(東京方面)。

左側の八十二銀行が目印です。

交差点を左折するとぐっと落ち着いた(さびれた)雰囲気の通りとなります。

右側に菅野温泉の入口がありますが、看板もなく、一度来た人でないとわかりずらいです。

ここが温泉への通路です。
表の入口は反対側にあるのでしょう。

細い道を入るとやっと菅野温泉の案内板が。

そこから一気に菅野ワールドの世界です。

トンネルのような路地の入口に大きな暖簾がかかっています。

暖簾をくぐると薄暗い路地が続いています。
昔の路地裏のスナック街のようです。
そこには地元の人が通う1軒の銭湯がありました。

菅野温泉。
入浴料240円です。
あれ?つい最近まで230円だったような?気のせいかな?

ちなみに、浴場に無料のロッカーはありますが、石鹸、シャンプーはありません。
一度、うちのかみさんと来た時、石鹸、シャンプーを忘れてきたことがありました。
なんとその時に、番台のおばあさんが自分用のシャンプーを貸してくれたということで、かみさんが感激していましたっけ。

夏場は高めの湯温が気になりますが、冬場は体が芯から温まります。
やはり下諏訪温泉です。

広めのロビー(番台脇のスペース)と広めの脱所。
昔ながらの体重計も現役でした(66キロでした)。
おじさんはこういう銭湯に安心します。

これからも国道20号線の岡谷、塩尻方面からの帰りに寄りたいと思います。

駐車場はありませんので、歩いて5分の観光用無料駐車場を利用するとよいでしょう。