DVD名画劇場 イギリス時代のアルフレッド・ヒッチコック

ヒッチコックはハリウッド時代に世界的に花開いた大監督ですが、出身はイギリスのロンドン。
映画監督としてデビューしたのもイギリスにおいてです。

今回ご紹介するのは、イギリス時代に監督した3本。
それぞれの作品が、のちにサスペンスの巨匠といわれるヒッチコックならではの味わいを持ったものですが、同時にイギリスの風土性、文化性に彩られたものであり、これ以上はないイギリス映画らしいイギリス映画でもあるのでした。

ヒッチコックは1899年ロンドンのカソリック教徒の家に生まれ、幼少期をキリスト教系寄宿舎学校で過ごす。
理工科専門学校を経て、電信会社に就職し、海底電線の専門家として過ごす。
働きながらロンドン大学で美術を学び、演劇と映画に興味を持つ。
当時イギリスに進出していたパラマウント系のプロダクションンにタイトルデザイン(サイレント映画のセリフのデザイン)を応募し、採用され、映画界入り。
以降、シナリオ作家、助監督をしながら美術、編集にもタッチ。1925年「快楽の園」で監督デビューした。

参考文献はキネマ旬報社「世界の映画作家12 アルフレッド・ヒッチコック」とフイルム・ライブラリー助成協議会発行「イギリス映画の回顧上映1964」です。

キネマ旬報刊「世界の映画作家12 アルフレッド・ヒチコック」
フィルムライブラリー助成協議会編「イギリス映画の回顧上映1964」

「恐喝」 1929年 アルフレッド・ヒッチコック監督  イギリス

ヒッチコックがタイトルデザイン作家として就職した、パラマウント系のフェイマス・プレイヤーズ・プロは、撮影所をイギリスのプロデユーサー達に貸すことにし、アメリカ向けの映画製作から撤退した。

ヒッチコックに監督デビューさせたのは、この撮影所を根城にゲインズボロウ映画というプロダクションを興した製作者のマイケル・バルコンという人。
のちにハリウッドのセルズニックと組んで「第三の男」を製作した国際派のアレクザンダー・コルダとは異なり、弱小の映画製作会社を興しては、国内向けの映画を製作してきた人とのこと。

「イギリス映画の回顧上映」より

ヒッチコックはバルコンの製作により、ゲインズボロウ映画で5本監督する。
そのあとにブリテイッシュ・インターナショナル・ピクチュアズというこれまたイギリス国内向けの制作会社で10本ほど撮るが、「恐喝」はその時代の作品。

つまり、当時のイギリス映画はアレクザンダー・コルダがハリウッドなどと組んで製作する一部の映画をのぞき、バルコンなどの製作者が興した弱小プロによる国内向けの作品がほとんどで、ヒッチコックもそういった環境で映画を撮っていたということである。
のちの世界的監督のキャロル・リードやデビッド・リーンも初期には、国内向けの映画を撮っていたのである。

「イギリス映画の回顧上映」より

ヒッチコックの「恐喝」は、日本での「イギリス映画の回顧上映1964」という催しで上映されている。
探偵小説の本場であるイギリスで作られた戦前の純イギリス映画の1本として、またその当時のヒッチコックの代表作として選ばれたようである。

刑事の婚約者を持つ雑貨屋の娘が、一晩ほかの男につぃて行ったことから誤って男を殺してしまう。
真相を知るごろつきが恐喝する。
娘をかばう刑事。
状況は二転三転。
娘は警察に自首しようとするが、その時・・・。

ロンドンの下町の湿った薄暗さ。
密室で行われる不慮の殺人。
再三画面に出てくるニュー・スコットランド・ヤードの金看板とパイプをくわえた(威厳のある)上官。
金髪でコケテイッシュなヒロインとそれをかばうハンサムなヒーロー。
灰色決着ながらハピーエンドの安心感。
ブラックなユーモア。

イギリス的な、ロンドン的な風土性、精神性に彩られた作品。
イギリス的なものへの信頼に裏打ちされたヒッチコックタッチ。

ヒッチコック本人は、主人公カップルがデートに向かう地下鉄のシートで子供にいたずらされる乗客で登場。

[恐喝「の一場面。左端がヒッチコック

「三十九夜」  1935年  アルフレッド・ヒッチコック監督  イギリス

ヒッチコックのハリウッド時代の名作で、ケイリー・グラントとエバ・マリー・セイントが共演した「北北西に進路を取れ」を連想させる内容。

殺人犯に疑われ追われる主人公。
追うのは正体不明の国際スパイ団。
警察は味方だが最後まで助けにならぬ。
偶然にも逃避行に同行する美女。
スリル。
思いもよらぬ皮肉な状況の変化。
まさにハリウッド時代の全盛期に豪華絢爛にスクリーンを彩った、ヒッチコック映画の原点がここにある。

市民社会に溶け込んだ某国スパイの恐怖。
それと知って近づく主人公のサスペンス。
列車での逃走劇では高所から下を見るヒッチコックお馴染みのカットも。
迷い込んだスコットランドの農家で、かくまってくれる農婦の機転で危機一髪の脱出。
スパイの親玉との対決で一度は撃たれて倒れる主人公。
万事休すか。

「三十九夜」の一場面

魅力たっぷりの美女に通報され、警察と思いきや、偽装したスパイ団に拉致される主人公。
美女も一緒だ。
手錠でつながれたままの脱出。
ホテルで一夜を明かす際のドタバタ。

ヒッチコック流ジェットコースタームービー。
この作品が純国内向けのイギリス映画だったとは!
水準が高い。

美女役のマデリーン・キャロルは、エバ・マリー・セイントとはタイプが違うが、ハリウッド映画のおきゃんでコケテイッシュな女優のよう。
冤罪で逃げ回る主人公ロバート・ドーナットはケーリー・グラントほど洗練されてはいないがイギリス的。
ヒッチコックがどこに出ていたかはわからないほど画面に引き込まれた。

主役のロバート・ドーナット

「サボタージュ」  1936年  アルフレッド・ヒッチコック監督  イギリス

ひょんな弾みから殺人を犯すが、「三十九夜」同様に偶然に救われて罪には問われない(であろう)ヒロインをハリウッド女優のシルビア・シドニーが演じる。

シルビアはロシア・東欧系のユダヤ人で、ニューヨークで舞台に立っていたところをパラマウントの重席、B・P・シュルバーグにスカウトされてハリウッド入りした女優。
シュルバーグの愛人となり、「アメリカの悲劇」(のちに「陽の当たる場所」としてリメーク。シルビアはシェリー・ウインタースがやった役)、「激怒」などで売り出し中だった。
翌1937年には「暗黒街の弾痕」にも出演してキャリアの頂点を迎える頃。

シルビア・シドニー

このシルビアがなぜ突然イギリス映画に出たのかはわからない。
イギリス側の要請か、ハリウッド側の思惑があったのか。

ということで、どうしてもこのシルビア中心に映画を見てしまう。

意に添わぬ?40代の男と結婚し、男が経営する映画館のモギリなどをしているのがシルビアの役。
親がいないのか弟が同居している。
隣の八百屋にはシルビアに好意を寄せる売り子が働いている。

実はシルビアの夫は某国のスパイ。
八百屋の売り子はスコットランドヤードの探偵。
探偵はスパイのテロ行為を防ごうとするが、スパイ側の爆弾がシルビアの弟を巻き込んでバスで爆発してしまう。

ヒッチコックと打ち合わせ中のシルビア

映画館と八百屋を中心にロンドンの市中を舞台にしたドラマ。
場末の映画館のわびしいモギリ風景。
スクリーンの裏というか、裾が事務所であり、住居である。
映画館の埃ささが漂うかのような画面づくり。
シルビアが八百屋の売り子に親近感を抱き、やさしく微笑むだけに一層、情景のわびしさが際立つ。

スコットランドヤードには例によって007のボスのような威厳正しい上司がいる。
これが頼りがいがありそうで、そうでもなさそうで。
当時のパトカーが駆け付け、刑事たちがぞろぞろと降り立つシーンはどこかゆったりしており、緊迫感よりユーモアが感じられる。
これもイギリス流か。

「三十九夜」と違い、スピード感はなく暗さが目立つ。
スパイのキャラが、洒落た紳士ではなく、まるでロシア人を模したかのようにゴツイからか、それともシルビア・シドニーの演技がコケテイッシュというよりは悲劇的(逆境に暮らす薄幸な美人風)であるからか。

  

メキシコ時代のルイス・ブニュエル②

この8月、渋谷シネマヴェーラで「スペイン、メキシコ時代のブニュエル」という特集があり、スペイン時代の初期作から、メキシコに撃つっての50年代初期作品までが上映された。
貴重なメキシコ時代のブニュエル作品について述べる。

参考文献はキネマ旬報刊「世界の映画作家7 ショトイット・ライ ルイス・ブニュエル」とフィルムアート社刊「インタビュー ルイス・ブニュエル公開禁止令」。

「愛なき女」 1952年 ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

メキシコに移ってブニュエル6本目の作品。
メキシコ時代から劇映画の演出を始めたブニュエルは、ここまでミュージカル風だったり、エスプリの効いた喜劇風だったり、悪女ものだったり、ドキュメンタルな社会派風だったり、と多岐にわたった作品を撮っている。

この作品(今回見たプリント)の開巻ではコロンビア映画のマークが映し出される。
ハリウッドメジャーのコロンビアが配給していることになる。
おそらくメキシコで製作後に、コロンビアが配給権を買い取り、アメリカ国内で配給したものと思われる。
マイナーな映画館での番組穴埋め的な公開だったと想像するが、ハリウッドメジャーが買い上げるほどの商業映画をこの時期すでにブニュエルは撮っていたということになる。

キネマ旬報刊「世界の映画作家7」のブニュエル自作を語るでは「完全な注文仕事である」と一言のみ。

「世界の映画作家7」ブニュエル自作を語るより(題名役が「恋なき女」となっている)

フィルムアート社刊のインタビュー集「ルイス・ブニュエル公開禁止令」でも1ページに満たない内容で、インタビュアーが「どこをとっても及第点の見当たらない唯一の映画だと思う」と切り出し、ブニュエルも「私にも見当たらないよ」と応じている。

モーパッサンの「ピエールとジャン」の翻訳で、すでにアンドレ・カイヤットが映画化していた。
「公開禁止令」によると、20日間の撮影期間中、ブニュエルはカイヤット作品のシーンをなぞって撮影したという。

ロザリオ・グラナダス(中央)

実家が貧しく、愛無き結婚をした女性(ロザリオ・グラナドス)が、若い時に林業技師と恋に落ち次男を設ける。
長男のために林業技師との駆け落ちを断念。
息子二人は医師に育つ。
息子たちの容貌、性格は異なり、厳格な父親との関係、昔の不倫を知った母親との関係に苦しむ。
最後はハピーエンド。

子供にとって理想的な母親像を演じるロザリオ・グラナドスの落ち着いた美貌が見られる。
また、戦後すぐとはいえ、恵まれたメキシコの上流階級の暮らしぶりを見られるのも貴重。

アラン・ドロンの出来損ないのような風貌の次男役の俳優、長男から次男に乗り換える女医役の女優のコケテイッシュ、長男とできている崩れた感じの看護婦役女優など、当時のメキシコの映画俳優の珍しい姿を見られるのも貴重。

まるでハリウッドの二流メロドラマのような映画だが、どこか漂うノワールなムードはブニュエルならでは。

シネマヴェーラのパンフより

「乱暴者」 1952年 ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

この作品もコロンビア映画が配給。
主演のペソロ・アルメンダリスはジョン・フォード作品にも出ている国際派。

「世界の映画作家7」によると「出来上がった作品は卑俗の極致」とブニュエルは極言。

「世界の映画作家7」ブニュエル自作を語るより

「公開禁止令」でのインタビューは10ページに及び、ブニュエルは語る。
主人公は悪人ではないが一匹の野獣であり社会的常識を身に着けていなく、その暴力の振り方が好きではないこと。
主人公が近づき、結婚まで意識する娘(ロシータ・アレナス)の善良な甘美さと無垢さに魅了されたこと。
ラストシーンで主人公らが死に、情婦(カテイ・フラード)がその場を去る時に鶏が出現し情婦と見つめ合うが、鶏は私(ブニュエル)の持っている多くの幻想を形成するものであり、悪夢そのものである、こと。

ブルートとパロマの愛欲シーン

ブルートとあだ名される主人公(アルメンダリス)は強欲なボスに服従している。
ボスは所有するアパートの住民を立ち退かせようと主人公を屠殺場から手許に呼び寄せ住民のリーダーを襲わせる。リーダーは死ぬ。
下手人として住民らに追われた主人公は逃げ込んだ部屋で無垢な娘メチエに助けられる。
主人公はボスの妻パロマとも出来ており、パロマからボスを殺すよう迫られる。
主人公は一緒に住み始めたメチエを選び、ためにパロマから密告され殺される。

ストーリーは上記のように清と濁、富と貧困、正義と悪が混然となったカオスの世界を描く。
メキシコらしく、またブニュエルらしい世界である。
どちらかの価値観に誘導しようとしないところもいい。
ブニュエル自身の好き嫌いは画面に濃厚に出ているが。

終盤、ボスに反逆するブルート

開巻の屠殺場のシーンから強烈なブニュエルの世界が始まり、貧困を抉るような住民立ち退きを迫る富者の横暴な描写、凶暴な主人公と私欲丸出しの妖女の肉欲へと映画は展開してゆく。

主人公との初夜のシーンでストッキングを脱ぎベッドにもぐりこむメチエ役のロシータ・アレナス。
その若く無垢で善良な姿は「忘れられた人々」で盲目の乞食に牛乳で足を洗われる少女以来のブニュエル好みのキャラクターか。
ストッキングの場面については「ビリデイアナ」のシルビア・ピナルに、そして「小間使いの日記」のジャンヌ・モローへと受け継がれるブニュエルこだわりの場面の、これが出発点か。

淫乱とむさぼりの極致、パロマ役のカテイ・プラード。
女性の持つ二面性の一面だけを強調したキャラを存分に演じるプラードの、その「濃さ」も見どころ。

ラストでパルマと向き合う鶏も「忘れられた人々」以来の重要なブニュエル組の一員(一羽)。

シネマヴェーラのパンフより

「エル」 1952年  ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

インタビュー集「公開禁止令」でブニュエルは語る。
「主人公には何か私の分身がいる」と。
それは主人公の性格(他人から賛美されたい願望だったり、嫉妬深さ、他人から追求されると逆上したりする)に表されている。
主人公はまた大衆を見下し、彼らを抑圧したいとの願望も持ち、ブニュエルもそれに組する。

片や主人公は祖父の代からの富豪であり、慎み深く理性的な人間として社会から信用を得ている。
その本性が出現するのは特定の他者(この作品では妻)に対するときだけなのだ。

こういった性格はパラノイア(あるいはサイコパス?)と呼ばれるものだろう。
事実この作品はある精神病院で典型的なパラノイア症状の理解のために定期的に上映されていたとのことである。

「世界の映画作家7」ブニュエル自作を語るより

ただしこの作品の目的は、パラノイア症状の描写ではなく、主人公の願望の発露にある。
つまり、主人公にとってはパラノイアと分類される諸願望を発揮することが自己解放であり、それが己の偽らざる願望であるのだ。
自己を偽らず、ついには社会的(宗教的)信用を失う事態になってもなお、自己を貫く人間を描くことにあるのだ。

こう書くと立派な人間のように聞こえるが、主人公の願望とは、嫉妬だったり、他社からの賛美だったり、大衆の抑圧だったり、サデイズムだったりするから全く立派ではなく、限りなく卑近でひょっとしたら万人の心の奥底に潜む恥ずべきものだったりするところがブニュエル流といえる。

冒頭の協会での洗足シーン。敬虔な主人公が後ろに控える

主人公フランシスコがのちの妻グロリア(デリア・ガルセス)をその足の美しさから教会で見染め、略奪婚。
新婚旅行の日からパラノイアぶりを発揮し新妻を苦しめる。

教会の尖塔から落とそうとしたり、心が離れた妻の寝室にロープと針と糸をもって侵入するなどの行動をとった挙句、追いつめられたフランシスコは教会で神父に対し乱暴を働き、社会的に抹殺される。
精神病院を経て修道院で暮らすフランシスコだが、自分はずっと正気であったとつぶやく。

教会の尖塔で新妻を転落させようとして逃げられる

嫉妬に取り乱すフランシスコがテーブルの下でグロリアの脚を見た瞬間に発情する場面。
ロープなどの小道具をもってグロリアの寝室に侵入する場面。
ブニュエルの本領発揮だがユーモラスというよりは、ひたすら暗い。

心が離反した褄の寝室にロープなどをもって忍び込む

妻がパラノイアの相手に不条理に追い詰められるシチュエーションや、教会の尖塔から突き落とされんばかりの場面は、ヒッチコック映画のようだった。

ブニュエルは、自己に忠実なあまり滑稽としか見えない行動をユーモラスに描いたわけでも、ましてやスリラーを描いたのではない。
自己の内部に潜むパラノイア性とそれに忠実に自己を解放しようとする人間を割と真面目に描いたのであろう。

DVDで見ました

ヒロインのデリア・ガルセスは気品ある聖女的なキャラで、パラノイアである主人公の願望を受け止める。
全く受け身的なポジション。

ブニュエル映画のヒロインが、聖女的な外面と妖艶な内面を併せて発露するようになるのは、「ビリデイアナ」のシルビア・ピナル、「小間使いの日記」のジャンヌ・モロー、そして「昼顔」「哀しみのトリスターナ」の真打カトリーヌ・ドヌーブの登場を待たなければならない。

メキシコ時代のルイス・ブニュエル①

御盆に自宅に帰ると、猛暑の東京。
渋谷のシネマヴェーラでは、「スペイン・メキシコ時代のブニュエル」という特集上映をやっていました。

シネマヴェーラの特集パンフ

ルイス・ブニュエルはシュルレアリストとして「アンダルシアの犬」を作ったスペインの映画作家。
作品の内容の、反権威、反宗教的過激さから故国を追われ、ハリウッド経由でたどり着いたのが同じスペイン語圏のメキシコ。
1940年代後半から50年代にかけて、ブニュエルは10本以上の映画をメキシコで撮っている。

ブニュエル映画永遠のミューズ、カトリーヌ・ドヌーブ。聖と淫のアイコン

メキシコでは、シュルレアリストとしてではなく一映画人として、商業映画を撮ったブニュエルだが、そこはそれ。美男美女の職業俳優を使い、一般的な観客に受けれられる商業映画の枠組みを踏襲しながらも、彼らしい、彼ならではの作品が生まれていた。

今月はメキシコ時代のブニュエル作品をシネマヴェーラで5本、DVDで1本見ることができた。
まず初期の3本についてお届けしたい。

参考文献はキネマ旬報社刊「世界の映画作家7 ショトジット・ライ、ルイス・ブニュエル」とフィルムアート社刊「インタビュー ルイス・ブニュエル公開禁止令」。

キネマ旬報刊世界の映画作家7
フィルムアート社刊「ルイス・ブニュエル公開禁止令」

「のんき大将」 1949年 ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

キネ旬刊「世界の映画作家7」の「ブニュエル全自作を語る」によると「フェルナンド・ソレルの活躍する喜劇で、2週間で撮りあげてしまった。清潔な映画だが、面白味はない」とある。

一方「公開禁止令」ではインタビュアーとのやり取りが3ページにわたって記載されている。
この時期前作の「グランカジノ」を撮り終えてから仕事がなく、故国の母親からの仕送りで暮らしていたこと。
プロデユーサーの依頼でこの仕事をしたこと。
主演のフェルナンド・ソレルはメキシコ演劇界の重鎮的存在だったこと。
この作品撮影時のブニュエルの関心事は、己の感性をいかに作品に反映させるかではなく、モンタージュ、アングルなど劇映画撮影時の技術的習得にあったこと。

「のんき大将」フェルナンド・ソレル(右端)

作品は富豪の主人公(ソレル)が、世間知らずの娘や寄生する親戚夫婦に騙されたふりをしながら、一芝居うち彼らを立ち直らせ、娘を幸せな結婚に導くというストーリー。

人間の幸福は富にあるのではなく、真実にあるのだ。
というのが、ルネ・クレール映画のエスプリに満ちた皮肉を待つまでもなく、ハリウッド映画にも共通する鉄則であり、「のんき大将」もその鉄則を踏襲している。

その意味では1949年の段階でメキシコ映画は十分映画界の近代水準にマッチアップしており、またソレルを中心にした演技陣や、カメラ、セットなどのスタッフの技量も同様であることが確認できる。

娘とのちの結婚相手

最後の最後で、愛する娘の結婚式で司祭の愛の誓の確認に待ったをかけ、真実の愛を待つ青年のもとに娘を送り届ける主人公の姿に安心する観客の心理は、ハリウッド映画「ある夜の出来事」のラストシーンに喝采を送るのと同じ観客心理である。

ブニュエル本来の関心とは縁のない作品ではあるが、劇映画の習作として意味はあっただろうし、また当時のメキシコ映画界の高い(ハリウッド映画的基準を十分に意識しているという意味も含めて)レベルを知ることができる。

シネマヴェーラのパンフより

「スサーナ」 1950年  ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

「のんき大将」の後ブニュエルは「忘れられた人々」を撮っている。
メキシコの非行少年の実態をドキュメンタルに撮った衝撃作だ。
その写実性もさることながら、女性の脚、不具者、鶏、母性などなど、この後のブニュエル作品に必ず出てくるアイコンが網羅された記念碑的作品が「忘れられた人々」だった。

「忘れられた人々」の次作が「スサーナ」。
「世界の映画作家7」ではブニュエルが語る。
「ハッピーエンドの虚偽がはっきりした。これは私の最悪の映画である!」と。

左から農場主、牧童頭、スサーナ

「公開禁止令」では8ページを使ってインタビューしている。
スサーナを演じる主演女優ロシーナ・キンタナが製作者の妻であること。
制作者からの依頼仕事であるが、ブニュエルの即興によって撮られたシーンがいくつかあり、それは主にエロテイシズムを暗喩しまた強調するためのものだったこと。
スサーナが農場に現れる際のびしょ濡れの姿や、牧童頭に言い寄られて前掛けの卵が割れて太ももを伝わり落ちる場面などがそれにあたること。

スサーナと牧童頭をのぞき見する農場主の息子

少年院を脱走したスサーナが嵐の夜に農園にたどりつく。
彼女を憐れみ、彼女の話すうそを信じ、滞在を許す農園一家。
主人、息子、牧童頭の男どもはスサーナに誘惑され、翻弄される。
仲良かった農園一家が解体寸前になってスサーナは警察に連れ去られ、一家は悪夢から覚める。

金髪で白人めいた主演のロシーナ・キンタナはブニュエル映画のヒロインとしては類型的過ぎた。
目指す男を見つけると、ドレスの襟ぐりを胸元まで下げて出てゆくスサーナに苦も無くメロメロとなる男ども。
農園主相手にはスカートをめくって足を全開にするロシーナ・キンタナは、もう立派なブニュエル女優。

悪女がばれて農場主の妻に殴打されるスサーナ

悪女スサーナが退場し一家に平和が戻るのは商業映画としては平常運転。
しかしながら、仮にこの映画からハピーエンドをカットし、男どもを自死か他死かで退場させ、スサーナが最後に誇らしく自分の女性性に居直ったら、立派なブニュエル映画にならないか?

その意味では半分はブニュエルらしい映画なのだと思う。

スサーナがその凶暴な正体を現し、農場主の妻に対して鎌を振りかざした後、警察に引きずられて叫びながら退場するラストシーン。
私の幻影なのだろうが、引きずられるスサーナを俯瞰でとらえた5秒ほどのの間にびっくりする場面が出現した。
それは、部屋がまるで熱帯の植物園のように彩られ、あまつさえ引きずられるスサーナの右側、部屋の隅に、足を出した熱帯娘がスサーナの反対をむいてブランコに乗っているのである!

老眼が進んだ私の目に映ったそれは幻想なのだろうが、幻想だとしても、まさにハッピーエンドを嫌うブニュエルの面目躍如の演出のようにも、正体を現したスサーナへの賛美のようにも感じる自分がいた。

また、農園主を演じたフェルナンド・ソレル。
その風貌といい、女性に翻弄される役どころといい、後年のブニュエル映画の常連、フェルナンド・レイを思い出す。
別人とは思えないくらいだ。

シネマヴェーラのパンフより

「昇天峠」 1951年 ルイス・ブニュエル監督  メキシコ

メキシコで商業映画を撮るようになったブニュエル6本目の作品。
メキシコの土着性あふる魅力的な作品が出来上がった。

主人公とリリア・プラドの夢想シーン。

「公開禁止令」によると、「愛なき女」という作品の方が先に撮られているようだ。
また、さらにひとつ前に「ドン・キンテイン」という作品があるようだ。
いずれも1951年の作品になる。

「昇天峠」についてブニュエルは次のように語っている。
主人公を誘惑する女を演じたリリア・プラドはルンバを踊る踊り子だった。
リリアに誘惑される主人公は母親と花屋を営んでいた若者。
脚本は要旨的なもので、即興も含めて演出はほとんどブニュエルのオリジナルによるものだった。
カンヌ映画祭の最優秀前衛映画賞を受賞した。

夢想シーンで主人公から、花嫁衣裳のまま川に投げ捨てられる貞淑な妻

田舎町に住む主人公は、瀕死の母親の頼みで、町の書記官を迎えにバスに乗る。
主人公は貞淑で親思いの女性と結婚したばかり、妻は義母の面倒を見るために残る。
主人公の乗ったバスには、なぜか主人公に迫りまくる酒場の女が乗っている。
バスは出発早々パンクし、川の増水で立ち往生し、葬式の棺が乗り込み、車内には羊が横行する。
最後は運転手の実家に立ち寄り宴会が始まる。
主人公は女に誘惑される・・・。

ブニュエル印のオンパレード。
義足の男、女の脚(バスが川で立ち往生すると乗客の女達はスカートをまくってバスを降り水浴を始める!)、羊、聖なる母(と、へその緒でつながっている主人公の夢のシーン)、貞淑な妻(を、川に投げ捨て酒場の女の誘惑に溺れる主人公の夢想シーン)。

無邪気に主人公に迫りまくるリリア・プラドの若く、野生的で、土着的な美しさ。

バスが川の増水でストップ、さっそく水浴びの準備をするリリア・プラド

すべては夢のようなメキシコの田舎のゆったりムードの中で展開し、どこまでが現実なのかわからない。
何かあると、楽隊が登場して宴会が始まったり、羊が主人公の体の上を歩いて行ったり、酒場の女が迫ってきたりするのだから・・・。

メキシコの貴重な50年代の田舎の風景と空気感。
それにブニュエルの幻想がぴったりマッチして夢を見るような映画に仕上がった。

シネマヴェーラのパンフより

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ザッツMGMミュージカル③ 40年代ジーン・ケリーとフランク・シナトラ

MGMミュージカルシリーズの第三弾です。
50年代に絶頂期を迎えるMGMミュージカルが、盛隆を誇った40年代。
今に残る名作群が生まれています。

戦中から戦後の時代、アメリカの明るさ、豊かさが爆発しそうな時代。
ブロードウエイの舞台出身のジーン・ケリーと、イタリア移民の子孫で楽団コーラス上がりのフランク・シナトラがMGMのスクリーンで共演していました。

「錨を上げて」 1945年  ジョージ・シドニー監督  MGM

製作はジョン・パスターナク。
クレジットはシナトラ、キャスリン・グレイン、ジーン・ケリーが1枚の画面に上から順で。

製作がアーサー・フリードではないせいか、全体に地味な作りの印象。
地味というのは、レビューシーンに美人ダンサーがずらりと出てくるような場面がないこと、色っぽくなまめかしい色付けがなく、むしろ男の子とその叔母さんを出すなどアットホームな場面を強調していること。

フリード製作ならば子供は女の子だったろうし、豪華絢爛のレビューシーンでは腕によりをかけた美人たちをギラギラにデコレーションして総動員したであろうから。

若いシナトラがケリーの踊りについてゆく

サンデイエゴに停泊する航空母艦上での「錨を上げて」のマーチングで始まるこの作品。
4日間の休暇をもらった水兵たちがハリウッドで体験する心温まる物語。

奥手でぎこちない水兵を演ずるシナトラと、その保護者よろしく万事やり手の水兵を演ずるジーン・ケリーのコンビ。
8か月ぶりの休暇を酒池肉林で過ごすのではなく、子供の夢をはぐくみ、それぞれ運命の相手に巡り合うというハリウッドストーリー。

劇中アニメのジェリーと踊るジーン・ケリー

シナトラが出合う運命の相手は、ブルックリン出身のウエイトレス。
移民のるつぼニューヨーク・ブルックリンの出身者同士の無理のない交際が、移民出身のシナトラには良く似合う。
若いシナトラは細身の体をしならせて、精一杯の踊りでケリーについてゆく。

ジーン・ケリーの相手に収まるのは、ソプラノ歌手としてMGM入りしたというキャスリン・グレイン。
黒髪豊かなラテン風の容貌で、メキシコレストランで歌ったりする。

この映画、ヒロインが二人とも移民系のキャラクター。
金髪美人がレビューシーンで媚を売りまくるようなミュージカルに比べると、毛色が変わってはいないか。

ジーン・ケリーが達者な演技で、シナトラの面倒を見続けるという、男の友情の物語であることもこの作品のカラーとなっている。

「踊る大紐育」 1949年 ジーン・ケリー/スタンリー・ドーネン監督  MGM

主演のケリーと振付師出身のスタンリー・ドーネンの共同監督。
製作は、まってました!アーサー・フリード。

コンセプトは「錨を上げて」同様の水兵の休暇の物語。
期間を24時間と短縮したせいもあろうか、テンポよく、まとまりよく出来上がっている。

休暇でニューヨークに上陸した3人。まずは歌で喜びを表現

今回の水兵チームは、シナトラ、ケリーにジュールス・マンシンの3人組。
ニューヨークで次々と巡り合うお相手が、ベテイ・ギャレット、ヴェラ=エレン、アン・ミラー。

女タクシードライバー(ギャレット)がシナトラに一目ぼれして迫りまくったり、博物学者(ミラー)が原始人に似ているマンシンに興味をしめしたリ。
出会いの場面は唐突でぶっ飛んでいるが無駄がない展開。

ヴェラ=エレンの若々しいスポーテイなダンスシーンもグッド。
アン・ミラーがタップダンスが特別にうまく、独特の色っぽい雰囲気も「イースターパレード」でお馴染み。

男の友情を基本線にしているのは「錨を上げて」同様だが、前作よりその色合いは薄い。
その分女性陣のパフォーマンスが前面に出ており、ホームドラマではなくコメデイとなっている。
彼らがさ迷う夜のクラブの場面では(待ってました!)派手なダンサーたちが次々登場し夜のムードも色濃く描かれる。

エンパイアーステートビルで、右からヴェラ=エレン、一人置いてアン・ミラー

ジーン・ケリーがやり手で達者なキャラ、シナトラが不器用で奥手なキャラなことは「錨を上げて」を踏襲。
育ちは悪いが歌が上手いあんちゃん、というこの時期のシナトラの存在感がわかる。

「私を野球に連れてって」 1949年 バスピー・バークレイ監督  MGM

大リーグの試合は7回の攻撃前になると球場に「私を野球に連れてって」の曲が流れる。
その曲をモチーフにした映画である。
製作はアーサー・フリード。

監督は振付師としてブロードウエイから招かれ一世を風靡したバスビ-・バークレイ。
バークレイはその名前が〈凝った作りのミュージカルナンバー〉という意味の一般名詞として辞書に載る有名人。

〈バズの暴力志向と、女性に対する倒錯的な態度は(彼が振り付ける)ダンスナンバーにもはっきりと表れている〉とは、ケネス・アンガーによる「ハリウッド・バビロンⅡ」でのバークレイの人物評。

幾多の女優を紹介、抜擢し、私生活では3人死亡の自動車事故を無罪で切り抜けたりもしたバークレイ。
ハリウッドに来てからは一般映画の演出もこなしたが、この作品が監督としての最終作になった。

ミッキー・ルーニーに振り付けするバズビー・バークレイ(左)

またもや主演はシナトラとケリー。
今度は野球選手の役。
シーズンオフには二人して旅劇団で歌って踊る、というおまけつき。

開巻の二人の舞台「私を野球に連れてって」の歌と踊りでかっさらい、あとは怒涛の展開だ。

球団の新オーナーとしてキャンプ地にやってきたのは若い美人のエスター・ウイリアムス。
エスターは水泳選手から水中レビューをしていたところをスカウトされてMGM入り。
本作では、なぜかは知らぬがキャンプ地から遠征先まで、ずーっつと球団について回り、監督にも口を出す球団のオーナー役。

ホテルの夜のプールで、エスターが黄金色の水着で泳ぐシーンの夢のような美しさ。
その動きの良さと、長身のスタイル、可愛げのある顔立ちは一瞬にしてみるものの心をつかむ。

野球のシーズンオフに芸に精を出す二人

同じように心をつかまれた球団のスター遊撃手・ケリーが彼女を追いかける。
片やぶきっちょで奥手なシナトラには「踊る大紐育」でシナトラに迫りまくった達者な女優ベテイ・ギャレットが再び登場して名コンビよろしくカップリング。

エスターのキャラが明るいので昼のムードに覆われた家庭向きの作品となっている。

ぶっ飛んだギャグが連発される中、ケリーが口八丁手八丁のやり手のキャラ、シナトラが不器用で奥手のキャラを演じるのは、今回の3作品に共通していた。
作品を貫く能天気なムードは東宝の「若大将シリーズ」をちょっと思い出したりして。

上田映劇にイタリア映画の名花集結

上田映劇で突然、ロッサナ・ポデスタとカトリーヌ・スパーク、ラウラ・アントネッリの代表作が上映された。

夏の日の上田映劇

ジャン=ポール・ベルモンド傑作選などで旧作発掘に意欲的なキングレコードの再輸入による特集。
今回はポデスタの2作品(「黄金の七人」「黄金の七人・レインボー作戦」)とスパークの「女性上位時代」、アントネッリの「セット・マッソ」をセレクト。

上田映劇に時ならぬイタリアの名花が咲き誇った。

「女性上位時代」 1968年 パスカーレ・フェスタ・カンパーレ監督  イタリア  上田映劇上映

カトリーヌ・スパーク主演の艶笑コメデイ。
カトリーヌは1945年フランス生まれの女優で、一族はベルギーの出身。
父親のシャルル・スパークはフランス映画黄金時代の脚本家だった。

10代のころからイタリアで女優として活躍していたカトリーヌ。
「太陽の下の18歳」「狂ったバカンス」などで175センチの肢体を披露し有名となった。

「女性上位時代」では20代となっていたカトリーヌだが、堂々の主演を張る。
監督は「若者のすべて」「山猫」の脚本家で、イタリア映画本流の実力派のカンパーレ。
相手役ジャン=ルイ・トランテイニャンをフランスから迎えるなど一流の布陣である。

入場者に配られた「女性上位時代」ポスター

カトリーヌは夫に死なれたばかりの富豪未亡人の設定。
世間知らずのお嬢様そのものの風体で、様々な最新ファッションに身を包み、男から男へと渡り歩く。
一度付き合うと、夢中になる男どもを相手にせず、次の男へ。

育ちがよく、アイドル性もあるカトリーヌの存在そのものがこの映画の生命線。
既に多くの出演作を経て、若干の疲れが表情とお肌に現れた?カトリーヌだがまだまだ20歳を超えたばかり。
脱ぎっぷりよく男優陣の間を駆け巡る。

60年代に活躍したイタリア女優のレジェンドの一人である、カトリーヌ・スパークの貴重な姿が見られた。
イタリア映画がなぜか固執する富豪の成金生活ぶりも今となってはキッチュ。
ある意味カルトっぽくもあるイタリア映画。

入場者にオリジナルポスターのコピーを配ってくれた上田映劇の対応もナイス。

「セット・マッソ」 1973年  デイノ・リージ監督  イタリア  上田映劇上映

イタリア映画の60年代以降の名花といえば、ラウラ・アントネッリを忘れてはいけない。
「青い体験」は当時のヤングにとって、母性と懐かしさに彩られた衝撃作であり、ラウラは永遠のアイコンとなった。

ラウラ・アントネッリは1941年クロアチア生まれ。
1971年に「コニャックの男」でベルモンドと共演して以来10年間の愛人生活。
「セット・マッソ」はその最中の作品。
その後、「青い体験」で全世界のアイコンとなり、ヴィスコンテイの遺作「イノセント」にも出演した。

入場者に配られた「セット・マッソ」のちらし

「セット・マッソ」はイタリア式艶笑コメデイの究極形。
10話に近いオムニバスの中で、演技派ジャンカルロ・ジャンニーニとのコンビで、ある時は富豪のマダム、ある時は極貧の子だくさん、ある時は尼僧姿で登場。

仮装の限りを尽くしオーバーなパフォーマンスに終始するジャンカーニに、演技力では一歩劣るも存在感では決して引けを取らないラウラ。
そのボリューミーな肢体を見せるだけですべてを納得させてしまうのは、彼女の女優としての財産。

庶民性と逞しさという、イタリア女優の伝統を継承しているのもいい。

チラシ裏面その1

イタリア映画の流れとしては、おおらかな時代の艶笑コメデイー例えば50年代のソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのコンビの作品ーが60年代になってアイドル性の高い女優が華美なファッションに身を包んで登場し、70年代に至ってはより露出性を高めつつも混迷を極めてきた、ようにも見える。
「マット・ロッソ」にはその混迷のさまが見える。

チラシ裏面その2

ただしラウラ・アントネッリの存在の絶対感は改めて確認できた。

DVD名画劇場 ロッサナ・ポデスタ㏌「黄金の七人」

ロッサナ・ポデスタは1934年生まれのイタリア女優。

戦後、アンナ・マニアーニ、アリダ・ヴァリ、シルバーナ・マンガーノ、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジータ、クラウデイア・カルデイナーレと続いたイタリア女優の流れ。
逞しくて泥くさく、野生の女の色気ムキ出しの女優さんたちだった。
その戦中戦後第一世代から時間がたち、敗戦国イタリアも落ち着いてきたころあらわれたのがポデスタだった。

「スクリーン」1962年1月号のグラビアより

野性味豊かなマンガーノ、ローレンらに比べると、スケール感に乏しいものの、かわいらしさ、アイドル性に加えイタリア女優ならではのボリューム感を併せ持つ存在のポデスタだった。

「スクリーン」1962年1月号より

この度、上田映劇ではポデスタ主演の「黄金の七人」「続黄金の七人・レインボー作戦」のほか、カトリーヌ・スパーク主演の「女性上位時代」、ラウラ・アントネッリ主演の「マット・ロッソ」の4作品が上映された。

今回はポデスタ主演の2作品に加え、DVDで見ることができた「黄金の七人・6+1エロチカ大作戦」を特集する。

「黄金の七人」 1965年 マルコ・ビカリオ監督  イタリア DVD鑑賞

アニメ「ルパン三世」が元ネタにしたって、ほとんどそのままじゃないか!
ルパンのキャラはベルモンドのコピーらしく、銭形警部のキャラは元ネタより誇張されてはいるが。
ロッサナ・ポデスタについてはスタイル、音楽がそっくりそのまま峰不二子にコピーされている。

左様にこの作品のロッサナは鮮烈で強烈。
ぶっ飛んだファッションで登場し、敵味方関係なく男どもをとろけさせ、義理人情関係なく裏切り、またよりを戻す。

銀行強盗という現在ならばありえないアナログそのものの行為。
デジタルではなく、発信機による映像と音声の伝達によって。

当時は犯罪もアナログなコミュニケーションによるものだったのだなあ。
人間的だったなあ。
声によるコミュニケーションで、マテリアルそのものの金塊を物理的に盗むなんて。
今はネットによるデジタルの世界で、数字の移動による詐欺まがいの犯罪の世界だもんな。

ロッサナはアイドル時代を経て、色気と貫禄十分な演技。
奇抜なファッションにも負けていない。

映画は、脱力感に満ち満ちながらも、随所でスピード十分などんでん返し。
その点は今でも新鮮な「黄金の七人」でした。.

「黄金の七人・レインボー作戦」 1966年 マルコ・ビカリオ監督  イタリア  上田映劇で鑑賞

1作目の世界的ヒットを受け作られた続編。
主要キャストは同一。

当日、上田映劇で入場者に配られたチラシ

いつものように工事のふりをして銀行強盗を仕掛ける黄金の七人。
延べ棒の強奪に成功?と思いきや。
警察よりも政府寄りの上の「組織」に強盗を妨害される七人。
その頭脳である「教授」の協力を「組織」から強要される。
さすがの七人もここまでか?と思いきや、軽やかに斜め上を行く黄金の七人。

チラシの裏面

一層晴れやかにぶっ飛んだ存在感を示すロッサナ・ポデスタ。
ぴったりのボデイスーツスタイルも決まっている。

上田映劇に張られた宣材

今回の仕掛けは、潜水艦を使ってのアクション。
金もかかっている。

ロシアを敵国とし、中南米の革命軍が出てくる。
政治的な色合いは「黄金の七人」には似合わなかったが。

「黄金の七人 1+6エロチカ大作戦」 1971年  マルコ・ビカリオ監督  イタリア  DVD鑑賞

「黄金の七人」とは関係のない作品。
ロッサナ・ポデスタが主演で監督が同じことから邦題に「黄金の七人」が使われたもの。

イタリア映画伝統の艶笑もので、シチリア出身の絶倫家が北部ベルガモにやってきて、富豪マダムの間で種馬として一世を風靡するというストーリー。

主人公が執事として仕える屋敷の奥様がロッサナ・ポデスタ。
「黄金の七人」から数年たち、アイドルというより奥様として風格、貫禄が出たロッサナ。
種馬とそんな仲になるのもむべなるかな。

イタリア映画がなぜか好む富豪(成金)の金満生活が存分に描かれる。

種馬を取り巻くマダムには美人女優のシルバ・コシナと演技派のアドリアーナ・アステイ。
「ゴッドファーザー」でシチリアの結婚式で花嫁役を務めたピア・ジャンカルロも出ている。

それぞれ魅力的なイタリア女優ではあるが、アドリアーナ・アステイの死体になった後の目を見開いた演技が最高だった!

ロッサナのファッションは、登場シーンのレオタード姿から、当時はやった?ホットパンツスタイルなどまさに百花繚乱。

上田映劇で吉田喜重追悼上映

映画監督の吉田喜重が亡くなりました。

1955年松竹に助監督として入社。
同期に山田洋次、1年先輩に大島渚。
就職難の時代とはいえ、大島ともども映画ファンでも監督志望でもない、大卒エリートが映画会社へ入社した時代。
映画界が獲得したこれらの人材は、本人たちの独立とオリジナルな映画活動のみならず、日本映画史のムーブメントへとつながってゆくことになった。

上田映劇では吉田監督の作品から「水で書かれた物語」を35ミリフィルムで追悼上映。
その理由は上田ロケ作品だからとのことだった。

「水で書かれた物語」 1965年 吉田喜重監督  中日映画社(日活配給)

松竹で1960年に「ろくでなし」で27歳で監督デビューした吉田喜重。
1年先輩の大島渚、田村孟さらに高橋治らとともに、当時20代の新人監督の一斉台頭は松竹ヌーベルバーグなどと呼ばれた。

松竹で6本撮った後、吉田は退社。
独立第一作がこの作品。
当時結婚したばかりの松竹スター岡田茉莉子が主演である。

中日映画社のスタッフに、岩波映画出身の鈴木達夫(「キューバの恋人」「祭りの準備」)がカメラマン。
上田でロケしており、上田電鉄丸子線、田沢温泉、デパートなどが出てくる。

石坂洋次郎の原作で、母親への肉体面をも含めた追慕をテーマとしている。

複雑な出生背景を持つ主人公と、それを巡る3人の女たち(母親、妻、芸者)。
3人の女を演じるのは、岡田茉莉子、浅丘ルリ子、弓恵子。
それぞれがキャリア全盛期の作品であり、体を張った演技を見せる。

「水で書かれた物語」亡夫役の岸田森と

特に岡田茉莉子。
夫の独立第一作は、彼女自身の女優全盛期の美しさの時期に重なる。

岡田茉莉子といえば、輝くばかりの若々しさに彩られた「モダン道中その恋待ったなし」(1958年)や、小津作品でのポンポンものをいうおきゃんな娘役や若妻役を思い出す。
その後、自らプロデュースした「秋津温泉」(1963年)で吉田を監督として起用し、時代に翻弄される女の一生を演じた。

「水に書かれた物語」の岡田茉莉子は「秋津温泉」よりいいと思った。
彼女本来の男にこびない、ニヒルの一歩手前の女の魅力が、無言の表情の中に出ている。
しかもそれが全盛期の美しさをもって。
「秋津温泉」の主人公が時代の犠牲者だったとしたら、この作品の岡田茉莉子は人生の結果を自分で引き受ける女性の潔さと孤独を表現しているかのようだ。

吉田監督の個性は、この作品のテーマにあるような微妙なセクシュアリテイだったりの個人的な世界を感性豊かに描くことにあるのだろう。
政治性やポピュリズムは不随物として関与することはあろうがメインテーマとはならない。
そこは大島渚とは異なる個性だが、個人的な世界も突き詰めると果てしないテーマ性につながり、通俗性を旨とする「商業映画」とは相いれないものとなる。

未亡人となった岡田茉莉子を見受けした山形勲と

吉田は「水で書かれた物語」の後、独立プロ現代映画社を設立し、岡田茉莉子とともに「女のみづうみ」「情炎」「炎と女」「樹氷のよろめき」「さらば夏の光」などといった作品を発表してゆく。

いずれの作品も現在では見る機会も少なく、また大島渚作品のように、大向こう受けを狙ったポピュリズムに彩られたキャッチーナ作品でもない。
おそらく己の世界を綿々と追求した、まじめで息苦しい内容なのだろうが、吉田の世界を探求するためにも今こそ見てみたい気がする。

上田映劇当日のラインナップ

DVD名画劇場 「疑惑と迷宮の世界」より

旧作映画のDVD10枚組のセットが売られている。
新聞広告でよく見るあれだ。
書店の店頭などにも並んでいいる。
10枚組で定価1800円ほど。
収録作品を見ると、1930年代の古典だったり、隠れた名作がラインナップされている。

発表以来70年が過ぎ、版権が切れた(版権が保護されていない)映画ソフトはパブリックドメイン(公有)となり、廉価でソフトを発売、鑑賞できるようになっている。

そんな10枚組セットの中から、1920年代から40年代にかけての、ハリウッド製ホラー・ミステリー文学映画コレクション「疑惑と迷宮の世界」を選び、4作品を鑑賞した。
いずれも有名原作の映画化作品だった。

フレデリック・マーチ扮するジキルとハイドをトップに据えたDVD10枚セットのパッケージ

「ジキル博士とハイド氏」  1931年  ルーベン・マームリアン監督  パラマウント

原作ロバート・ステイーブンソン(「宝島」)の堂々の映画化。

スペンサー・トレイシーとイングリッド・バーグマンが共演した1941年版が有名だが、1931年版はタイクーン、アドルフ・ズーカーが君臨した(クレジットではズーカーPRESENTとトップで表示)メジャースタジオ、パラマウントの制作になる大作で、主演のフレデリック・マーチがアカデミー主演男優賞に輝いたもの。

監督のマームリアンは1930年代から40年代にかけて、ガルボ(「クリスチナ女王」)やデートリッヒ(「恋の凱歌」)などのA級作品を演出した人。
「ジキル博士とハイド氏」でも正統派の画調の中に、実験的な技法(ジキルからハイドへの変身シーンの特撮、画面を斜めにワイプする処理、主観映像に丸い枠の縁取りを施す)を取り入れ、意欲的な演出をみせている。

人格高邁で、恵まれない人への関心が厚い医者のジキル博士は、一方で人間の隠れた欲望への関心が高く、またそれを否定しなかった。
研究の結果、悪意と欲望をひとりの人格の中で分離して表す薬を発明し、自らで実験。
薬を飲むと、自らの悪意、欲望が全開のハイド氏に変身することに成功する。

ハイド氏への変身シーンは、メーキャップ、特殊撮影ともによくできている。
が、一番驚いたのはフレデリック・マーチの変身時の表情の演技。
二枚目俳優が演技派としての実力を、大げさなまでに発揮。

ハイド氏になってからの、素早い動き、アクション、女性に対するハラスメントの数々も、代役ではないのなら、フレデリック・マーチの俳優としての能力に驚く。

ハイド氏にさんざんハラスメントされる場末の商売女にミリアム・ホプキンス。
これもまた、零落ぶり、蓮っ葉ぶり、商売女ぶりを存分に演じて印象深い。

演技派女優、ミリアム・ホプキンス

人格高邁なジキル博士の隠された欲望や悪意が、ハイドの姿を借りて存分に発揮された挙句、破滅する物語。
人間は神の領域に手を付けてはいけないのだった。

「獣人島」 1932年 アール・C・ケルトン監督 パラマウント

H・G・ウエルズ原作の初映画化。
のちに「ドクター・モローの島」として1977年に再映画化されてもいる。

異端の科学者モロー博士が南海の孤島で禁断の研究を行う。
動物の遺伝子を操作し、人間化した動物たちを支配している。

そこへ迷い込んだ主人公。
その恋人は消息を絶った主人公を探して禁断の島へむかう。

モロー博士に扮するのは演技派のチャールズ・ロートン。
まるで白人の侵略者が原住民を、心理的、物理的に支配するように、動物人間を支配する様を演じている。
ここら辺はマッドサイエンテイストの奇行を越えた普遍的、文明的な批評に満ちた描写になっている。

モロー博士は、女を作って飼っている。
この動物女が人間の男に関心を持つかどうか試すべく主人公に近づける。
動物女(クレジットでは豹女と表示)にキャサリン・バークという女優が扮し、ターザン映画のジェーンのような恰好で出てくる。
ジェーンと異なるのは会話も完全ではなく、精神も未完成な人工的存在であること。
その不安定さ、不気味さ、不幸を濃い目のメークアップで表現した姿は、「フランケンシュタインの花嫁」の女性版怪物を連想させる。

神の領域に踏み込んだ人間(モロー博士)はここでも破滅の結果を迎える。
ジキル博士の場合と違って、たくさんの動物を実験台にして不幸に陥れた分、罪は深かったのかもしれない。

「早すぎた埋葬」 1935年 ジョン・H・オゥア監督  J・H・オウアプロダクション

エドガー・アラン・ポー原作。
映画は「エリッヒ・フォン・シュトロハイム IN」がトップで出てくる。
下に小さく監督のオゥアプロダクションと。
配給は不明。

1920年代に監督として名声をほしいままにしていたシュトロハイムが製作費の浪費、製作期間の超過、完成作品の常識を超えた長尺などから、監督としての仕事がなくなった後、その個性を生かして俳優として生き延びていた時期の作品。
こういったB級作品では、唯一の有名人としてまだまだネームバリューがあったことが、クレジットでトップの扱いからもうかがえる。

映画の不気味さを醸し出す、常軌を逸した偏執狂演技は俳優シュトロハイムの独壇場。
病院の院長として出勤してくるシュトロハイムが、看護婦にコートを預け、たばこに火をつけ、手をもみ、手で口を拭う。
そのもったいぶった一連の一人芝居が、シュトロハイム扮する人間と病院のただならぬ不気味さ、非人間性をたっぷりと印象付ける。

院長室に隣接する実験室でシュトロハイムが作り上げたのが、一定時間内は死んだことになる薬。
これをかつての恋敵の手術時に投薬。
何十年前の恋敵は、生きているのに埋葬されることになる。

「罠」(1939年 ロバート・シオドマーク監督)では、フランス人女優、マリー・デアを相手に、ドレスフェチの変態ぶりを可愛く演じたシュトロハイムだが、本作の正統派偏執狂役もまたふさわしい役柄だった。

「不死の怪物」 1942年  ジョン・ブラーム監督  20世紀FOX

ジェシー・ダグラス・ケルーシュ原作。
20世紀初頭のイギリスを舞台に狼男伝説をモチーフにしたミステリー作品。

ある屋敷に伝わる怪物伝説。
祖父が自殺?したのは霜の降りる夜だった。
伝説など信じない当主とその妹も霜の降る夜に怪物に襲撃される。
当主の妹は、怪物の正体の解明をロンドンの科学捜査班に依頼する。

この科学捜査班。
一見、余裕をこいた名探偵風たたずまいだが、メンバーにスピリチュアルめいたやかましい中年女性がいたり、とユニークで、映画的にもいい味付けになっている。

捜査班は屋敷に滞在して、500年昔から一族が眠る地下埋葬室などで捜査。

古くからの執事が一族の秘密を知っているらしい。

スピリチュアルを否定した科学的解決か?と思わせて、最後で狼男への変身場面を見せ、映画は人知の及ばぬ世界を示唆するところが、スリラー映画としてのこの作品の真骨頂。
一族の男子には狼男の遺伝子(映画では神経症と解説)が伝わっていたのだった。

欧州に伝わる精神世界の一端としての狼男伝説をさらりとモチーフにして白人のDNAの奥底に訴える?作品。

ところで、科学捜査班の個性派メンバーはこの一作だけの登場だったのか?
それとも続編などで活躍したのだろうか?
個性派捜査班を主人公にした怪奇事件シリーズを企画したら面白かった?と思ったりして。

上田トラゥム・ライゼでゴダール追悼

上田にあるミニシアターで、2022年に亡くなったゴダール追悼特集が上映された。
会場は上田映劇と同じNPOが運営している映画館トラゥム・ライゼ。

上田映劇、トラゥム・ライゼともに、ワンスクリーンでフィルム上映も可能な昔ながらの映画館。
上映作品はいわゆるミニシアター向けの作品が多い。

近年全国上映されたパゾリーニ(「テオレマ」「王女メデイア」)やブレッソン(「たぶん悪魔が」「湖のランスロ」)、ミムジー・ファーマー(「モア」「渚の果てにこの愛を」)などの旧名作の再輸入プログラムもカバーしているのがうれしい。

ゴダール追悼上映の全国プログラムもカバーされ、そのうちの2作品に駆け付けた。

「小さな兵隊」 1960年  ジャン=リュック・ゴダール監督  フランス

ゴダールの長編第二作であり、のちにゴダールの妻、アンナ・カリーナの長編デビュー作。
撮影は「勝手にしやがれ」と同じくアンリ・ドカエ。

フランスからの独立戦争であるアルジェリア戦争。
アルジェリアの独立派と保守派の、フランス国内における抗争を背景に、保守派の鉄砲玉として独立派の幹部を暗殺する主人公と、独立派の女性(アンナ・カリーナ)の出会いと別れを描く。

ハリウッド映画であれば、派手なアクションと男女間の立場を超えたロマンス、体制派の価値観に沿った結末とセンチメンタルな男女の分かれ(独立派の女性が、保守派の男の手の中で死亡)で終わるのがパターンだが、ゴダールの手法は全く異なる。

処女作「勝手にしやがれ」はハリウッドのB級ギャング映画に仮託していたその作風が、「小さな兵隊」では、一見スパイ映画に仮託した風ではあるが、ゴダール自身の特性を濃厚に漂わせる、重たく、暗い政治的作品となっている。

追悼上映パンフレットより

保守派の義勇兵を脱走しジュネーブの街を漂う主人公は、ゴダール映画の主人公らしく、とにかくしゃべりまくり、動き回る。
追跡する保守派の幹部から、脱走を免責する代わりに独立派の幹部の暗殺を命じられるが、優柔不断に避け続けたり、暗殺に失敗したりする。
独立派につかまり、証拠が残らないような拷問を延々とされる。
独立派の女性は拷問の末殺されたことをにおわす。

主人公の前に現れる独立派の女を、初々しいアンナ・カリーナが演じるが、作中臆面もなくカリーナにそそがれるゴダールの視線は、映画監督でなかったら最も女性にもてない(理解されない)であろうゴダールのオタクっぽい暗さに満ち満ちている。

なんて的を得たタイトルなんだ!

全編オールロケ、対話する人物の間を往復する手持ちカメラ、一つの芝居の間に関係のないカット(演技の後のオフショットだったり)が挟まる手法、はゴダール映画ならでは。

ヌーベルバーグの作家たちも、予算があれば豪華セットでクレーン撮影によるワンショットワンシークエンスの演出をしたかったと思う。
が予算がなく、何よりそこまでの経験、力量(演出力と俳優の演技力も)がない若手監督にとって、撮影セオリーをあえて無視したカメラはやむを得ないもの。
また、わざとらしいドラマチックさを排除する編集手法もゴダールならでは。

アルジェリア戦争という政治的なテーマは、例えば大島渚がどうしても「日本の夜と霧」を作らなければ前に進めなかったように、ゴダールにとっては必然のテーマだったのだろう。

そのためか、「勝手にしやがれ」「女は女である」「男性女性」といった、B級ギャングやミュージカル、ポップミュージックに仮託したときの軽やかさ、明るさがない作品となった。
作品に漂うのは重さと暗さ。
それこそがゴダールの本質なのだが。

一方でアンナ・カリーナを撮るときの、学生映画の作り手の主演女優に対するようなまなざしは、ほほえましいというかなんというか。
ゴダールのアンナに関する憧れは、次作「女は女である」でついに炸裂。
「小さな兵隊」ではぎこちなかったアンナの演技も満開となるのだった。

「カラビニエ」 1963年  ジャン=リュック・ゴダール監督  フランス

今回の追悼特集には「はなればなれに」がラインアップされていた。
残案ながら見逃がしたが、アンナ・カリーナ主演で、ギャング映画に仮託したミュージカルの色付けがある作品とのことだった。

「カラビニエ」はゴダールの一方のカラーである、暗い政治的メッセージに彩られた作品。

出演は、素人だったり無名の俳優だったりするが、主人公の家族役の2人の女優などは、アンナ・カリーナやのちのアンヌ・ヴィアゼムスキーに似ており、色気もある魅力的な女優で、ゴダールの女性の好みが見事に反映されている。

また、予算のなさはいつものことながら、トラクターにベニヤを被せたような戦車を1台と、戦闘シーンでは複数の爆薬を設置するなどの大盤振る舞いを見せている。
大掛かりな戦闘シーンは第二次大戦時のニューズリールで代用しているが。

トラゥムライゼ入り口
劇場の掲示板

王様の命令で戦争に行く主人公たち。
戦地では美女を思いのままにでき、財宝をわがものにできると信じた無知の主人公井たち。
戯画化され誇張され、また省略化された戦場場面を経て自宅に戻った二人が、家に待つ女性二人に持ち帰ったものは世界各地の絵葉書だった。
やがて王様はレジスタンスに追われ、主人公たちも王様側の兵隊に殺される。

ゴダール初期の作品で、寓話的内容ながら戦闘シーンなど、具体的な描写に心がけた作品となっている。
のちのゴダール作品の象徴性(「中国女」ではベトナム戦争の米軍爆撃機をプラモデルで表現)への移行以前の貴重な作品だった。

上映後の帰り道。上田の夜

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代①  ルネ・クレールと巴里


エジソンがのぞき窓式の動画・キネトスコープを特許商品としたのは1894年のことでした。
スクリーンに上映するという現在の方式で映画を公開したのは、翌年の1895年フランスのシネマトグラフが最初です。

フランス映画の歴史はこの後、リュミエール兄弟とジョルジュ・メリエスという映画作家を生み、スタジオでトリック撮影するなど、シネマトグラフを発展させました。
第一次大戦による欧州の疲弊で、ハリウッドにその座を奪われるまで、世界最大の映画会社はパテとゴーモン。
フランスの映画会社でした。

1930年前後のトーキーの時代を迎えたころから1950年代まで、フランス映画界で活躍し今も映画史上にその名が残る映画作家が、ルネ・クレール、ジャック・フェデー、ジュリアン・デュビビエ、マルセル・カルネ、ジャン・ルノワールです。

ルネ・クレール

今回はこの世代の代表格として名高いルネ・クレールの戦前の作品を4本見ました。

「巴里の屋根の下」 1930年 ルネ・クレール監督  フランス

クレールのトーキー第一作にしてフランス映画のトーキー第一作。
パリっ子クレール監督のパリを舞台にした作品で、クレールの代表作の1本としてだけではなく、のちの映画作品に作風、技法ともども多大な影響を与えている。

主題歌の「巴里の屋根の下」は今ではポピュラーなシャンソン。
街角の楽譜売りの主人公が作品中に何度も歌う。

「巴里の屋根の下」メインセット。右下に楽譜売りを取り囲む聴衆が見える

楽譜売り、そこに集う人、それを狙うスリ、町のやくざ者。
パリの市井の人々が集う街角。

下町の屋根が並び、煙突から煙が昇る。
屋根屋根を移動していったカメラが舗道に下りてゆく。
アパートの各階の人々の暮らしを写しながら。

クレールが奏でる巴里の物語の世界へと一瞬で引きずり込むカメラ。
家々はすべてセットに組まれたもの。
遠近法を取り入れ、遠景は実写も使っている野外セットだ。

スリに奪われた鏡をヒロインに返す主人公

堅気とやくざの境界線上のような楽譜売りで暮らしている主人公。
歌を歌っては1枚1フランで楽譜を売る。
これが今はやっている歌だよ、と。
盲目のアコーでイオン弾きが伴奏だ。

歌いながら聴衆に若い美人がいると目を付け、スリが仕事をするとそれにかこつけスリと友達になる。
自由にパリの街角で生きるパリジャンが主人公。
目を付けた美人のヒロインとの恋模様が始まる。

やくざの親分(左)もヒロインにご執心

泊まる場所がなくなったヒロインを部屋に泊めることになった主人公。
一晩の顛末は、ピューリタンの倫理に支配されたハリウッド映画(「或る夜の出来事」「ローマの休日」)のように高潔なものとはならずにフランス風の味付け。
主人公はヒロインをあきらめきれずに一晩中ドタバタするというねちっこさ、否、人間臭さ。

主人公の部屋で一晩過ごす。おとなしくは終わらない

監獄の塀の上を歩いて暮らしているような主人公が、冤罪で入獄した間にヒロインが親友とくっつく。
ハリウッド映画なら、ヒロインと親友が倫理的価値観に基づき処理されるケース。
クレールの味付けは、恋人に振られた主人公に身を引かせる、という大人で粋な巴里風の決着。

あるいは男同士の信義にも厚い主人公、親友との友情を重んじたから身を引いたのか。
一方で、開き直るでもなく堂々としている新しい恋人たち(親友とヒロイン)。
既婚者同士の不倫でもなし、人生こんなこともあるだろう、とでもいうようなフランス映画の世界。

町のやくざ者と主人公の果し合いのシーンでは、武器を持たぬ主人公にやくざ連中が自分のナイフを提示し、主人公がそれぞれにダメを出すというユーモラスな描写も。
助けに来た親友が拳銃をぶっぱなし、街灯に弾が当たってあたりが暗闇となり、パトカーのヘッドライトに我彼が浮かび上がるという、ギャング映画でよく見る場面が続く。

こういった場面処理って、ひょっとしたらクレールがその先駆け?
その後のギャング映画で何度も繰り返され、映画的記憶となっているのは、後進の映画監督たちがクレールの手法をまねしたから?

喧嘩のバックに汽笛が流れるなどのスマートな場面処理も見られ、1930年当時、クレールの才気が画面に渙発している。

セリフで説明しなくてもいい場面のサイレント映画風の処理。
よくできた映画主題歌とその効果的な使い方。

ヒロインを奪われた後、主人公がカフェで親友と話すシーンでは、肝心な会話はカフェの窓ガラス越しで聞こえない。
役者にすべてを語らせず、説明過多を避ける粋な手法。

パリジャンは、ルネ・クレールは、やぼったくない。
「巴里の屋根の下」はそういう作品だった。

「ル・ミリオン」 1931年 ルネ・クレール監督 フランス

今作の主人公は売れない画家。
肉屋、牛乳屋、大家に借金を重ねてている。
アパートの向いの部屋の若い女性(アナベラ)が婚約者だが、見てくれのいいほかの女性にも当然のように粉をかけては、アナベラに怒られており、パリジャンの面目躍如。

ヒロインを務めるアナベラ

1930年代のパリの下町。
若い画家の主人公と親友、婚約者、愛人。
主人公を追いかける借金取りはミュージカル風にコーラスしつつ、サイレント映画風に一列で主人公を追いかける。

そんな主人公がオランダの宝くじに大当たり。
ところが当選くじをポケットに入れた上着を盗まれ、その上着は泥棒市でオペラ歌手の舞台衣装になり。
借金取りが当選祝いの祝宴を主人公の自宅で準備するなか、上着を追いかける主人公たち。
上着の奪取後は祝宴の支払いが待っている!

自らもバレエダンサーとしてオペラに出演するアナベラ嬢は、主人公のために上衣を追って主役のおじさんに取り入ったり、また親友は主人公を裏切って上着を独占しようとしたりの展開。

主人公(左)とバレエスダンサータイルのアナベラ

家々の屋根のシーンから始まる巴里物語。
今回はアパート内部のセットが幾何学的で、思いきったデイフォルメ処理で目を引く。
追いかける警察の一団はコーラスを歌いながら登場し、これまたミュージカル風に一列で行動する。

役者を複数回起用しないというクレール作品では珍しく「巴里祭」と併せてクレール作品に登場しているアナベラ嬢。
若々しくも素人っぽいバレエダンサー姿で走り回る。

音楽とのコラボ。
サイレント映画的処理。
巴里が主人公。
男同士の友情(裏切りもあり)。
可憐な乙女と別な愛人。
機知にとんだユーモア。

いつものクレール節が炸裂している。

フランソワ・トリフォーは本作と「巴里の屋根の下」「巴里祭」をクレールの巴里三部作と評している。

「自由を我等に」 1931年 ルネ・クレール監督  フランス

今回は、パリ市内にある刑務所からの話。

刑務所内の親友(クレール作品にお馴染みの親友同士)が脱獄する。
一人が脱獄に成功し、一人は残る。
脱獄した一人が、蓄音機の工場を経営し、やがて財閥となる。
出獄したもう一人がひょんなことから蓄音機工場に雇われて二人は再会する。

満期出獄した方の一人は金や名誉にまるで関心がなく、工場の管理事務所の若い娘にのみ淡い恋ごころを抱く。
財閥になった方は、再会した親友に対し、金の無心だけを心配する。
が実は、財閥になった方も、毎日のパーテイと浮気性の妻にはうんざりしており、妻が情人と出て行って喜んだりする。

主人公二人組(右が財閥役)

刑務所内での作業風景と蓄音機工場での流れ作業の描写を似せて描くクレール。
むしろ刑務所での牧歌的な作業をより非人間的にしたのが工場での流れ作業だ、という描写。
「モダンタイムス」やジャック・タチの近代工業批判のタッチとこの作品のそれは同じだ。

工場経営者による「働くことにより自由が得られる」というセリフは、アウシュビッツ収容所の入り口ゲートにかかる標語と同じ。
資本家による洗脳の標語をこの作品はナチスより先取りしていた!

随所に溢れるウイットとユーモア。
テンポの良い描写。
セリフで過度に説明せずにパントマイム的な動き。
ヒロインの可憐さ。
は他のクレール作品と同様。

過去がばれそうになって工場を手放し、もう一人は憧れの乙女との結婚をあきらめ、再びコンビに戻って放浪の旅に出る二人。
放浪者チャップリンはヒロインとカップリングする結末を描いたが、まったくの一文無し、女なし、という自由をたたえるクレールの潔さよ!

「最後の億万長者」 1934年  ルネ・クレール監督  フランス

フランスとパリという題材を離れたクレールが作った風刺作。

カジナリオという架空の国。
首都がイコール国土という狭い国で、産業は外人観光客によるカジノ。
国民は全員役人で乞食が一人いるだけ。

財政ピンチになり、国外に住む富豪に公債3億フランの引き受けを要請する。
富豪は20歳の王女との結婚を条件に出資を引き受ける。

カジナリオ国王宮

カジナリオの王室のこっけいさをたっぷり描いたのち、富豪が国へやってくる。
国民は給料が出ておらず、電話交換手は通話の途中で勝手に切ったりして、話が通じない。

既に宮中楽隊のコンダクターの愛人がいる王女は結婚から逃げ回る。
王女は愛人と駆け落ちしようとするが、財政難で車のガソリンを買えず失敗したりする。

「ビジネスマン」の富豪は、国の権力を奪取しようと、行政長官の座に就くが、大臣らは反発し暗殺未遂。
頭を強打した富豪はパツパラパーになり、おかしな法令を連発する。

時間が経過。
今度は王室から狙われた富豪が一発食らって今度は正気に戻り。
しかし社長不在の本業が株価暴落で破産となり、約束の3億フランは、ない袖は振れず。

富豪は母国にとどまらざるを得なくなり。
王室は当てが外れて右往左往。
王女は念願かなって愛人と島へ脱出。
という結末。

クレールの批判精神が炸裂した作品。
巴里を離れ、フランス人の人情の世界を離れた作品だからだろうか、ヒットはしなかったようだ。

「自由を我等に」のように、あくまでパリとフランスを舞台にして、批判精神を加味していればよかったのかも。

風刺だ、批判精神だといっても例えばマルクス兄弟のように周りの役者を落とし込むような、我だけ良しの毒はないのがクレール流で、その洗練と鷹揚さがうかがわれる。

また、フランスの喜劇には、ルイ・ド・フユネスやクレイジーボーイもののように、とことんくだらなく、だらけた喜劇の伝統があるのだとしたら、テンポがよくスマートで才気が感じられるのがクレール流。
フランスが誇る一流の映画監督である。