ラピュタ阿佐ヶ谷で表題の特集上映がスタートした。
東映東京撮影所(大泉撮影所)で製作された現代劇の特集第三弾。
緑魔子が映画デヴューした「牝犬シリーズ」。
若き日の高倉健のギャング物。
梅宮辰夫が大原麗子などを相手役にした「夜の青春シリーズ」。
渥美清と佐久間良子の「急行列車シリーズ」。
などを中心としたラインナップ。
オープニングは家城巳代治監督の「裸の太陽」。
一も二もなくラピュタに駆け付けた。
丘さとみ 初の現代劇
丘さとみは東映の女優。
京都撮影所の時代劇で映画デヴューし、「東映城のお姫様」といわれた。
手許の「丘さとみ・東映城のお姫様」(さとみ倶楽部編 ワイズ出版社刊 1998年)の本人インタビューから以下抜粋・要約する(一部脱線あり)。
宝塚生まれ。
1952年、デイズニープロ主催の「和製シンデレラコンテスト」で優勝。
RKO日本支社で秘書をやっていた時に東映にスカウトされ、1955年東映入社。
第二期ニューフェースに交じって養成を受ける。
同期に高倉健、今井健二。
「御存じ怪傑黒頭巾 第二話 新選組追撃」(1955年 内出好吉監督)でデヴュー。
以降、大川恵子、桜町弘子とともに「花の東映三人娘」として売り出され、千恵蔵、右太衛門両御大をはじめ、中村錦之助、大友柳太郎、大川橋蔵、東千代之介ら京都撮影所の時代劇スターの相手役を務めた。
この当時は、スターの相手役のほか、仕出し(東映所属の俳優によるエキスストラ)も務めて休みがなかったという。
1958年の「裸の太陽」が初めての東京撮影所での出演作。
キネマ旬報ベストテン5位、べルリン映画祭青年向映画賞を獲得。
ブルーリボン主演女優賞では1票差で2位だった。
ベルリン映画祭には東和映画の川喜多長政、東映の専務と参加。
英語での舞台挨拶、パーテイ出演のほか、「眼下の敵」のクルト・ユルゲンスと一緒にラジオ出演もした。
家城巳代治作品には「素晴らしき娘たち」(1959年)にも出演、紡績工場で働く青春像の一人を演じる。
(以下脱線)
1962年には松竹を退社した大島渚が東映に招かれ「天草四郎時貞」を撮った際、大川橋蔵とともに出演する。
が、大島がこだわるプロレタリア群像の抵抗劇としての天草の乱では大川と丘のスター性、明るさが生かされることはなかった。
作品中、丘の顔がアップはおろかまともに映されることはなく、暗いライテイングのもとで横顔が捉えられるのがせいぜいだった。
全身が明快に映るのが佐藤慶ら大島の盟友たちばかりで、彼等のオーラのない地味な悪党面ばかりが印象に残り、せっかくのスター達が影で塗りつぶされる中、演説的なセリフばかりが飛び交う劇となった。
いわば架空の世界である時代劇に於いて、この華のない絵は致命的で、映画的盛り上がりというものがまるでない作品だった。
大島としては「日本の夜と霧」(1960年)が興行的に失敗作だったことへのこだわりがあったのだろうが、同じ路線で再度失敗したことになる。
松竹時代には社員監督として、職業俳優を使って4本撮っており、「青春残酷物語」「太陽の墓場」(ともに1960年)ではスター俳優を使って映画的盛り上がりを見せた大島には、スターを使いこなす力も、映画的盛り上がりを見せる力もあるのだから、ここで己の主義主張にこだわったのはもったいなかった。
丘さとみにとっても(大川橋蔵にとっても)大島作品に出演したことは、キャリアにおいてもほとんど意味がない出来事だった。
(脱線終了)
丘さとみは「大菩薩峠三部作」(1957年~1959年)、「宮本武蔵五部作」(1961年~1964年)で内田吐夢作品に出演。
「宮本武蔵第一部」では出演場面に監督のOKが出ず、ワンカットに3日間かかったこともあった。
その間、武蔵役の中村錦之助は、画面に映らなかったが何も言わず傍らで付き合ってくれたという。
1965年映画界を引退し、二世と結婚して渡米、3児をもうけるが1975年に離婚し子供を連れて帰国。
その後は舞台、テレビなどで活躍した。
「裸の太陽」 1953年 家城巳代治監督 東映
『釜焚き、釜焚け、釜焚こう!・・・』。
力強いコーラスをバックに蒸気機関車の力走シーンで幕を開ける「裸の太陽」。
主人公の青年は田舎の機関区の運転助手(釜焚き)だ。
機関区の寮に住み、同じ町の紡績工場で働くガールフレンドがいる。
主人公が乗る機関車が紡績工場の近くを走る時、汽笛を鳴らし、それを合図に彼女があぜ道を走ってきて手を振るのが約束だ。
職場も公認のカップルは、結婚資金を貯めて、1万7千円になった。
彼女の妹が必死に頼んでも貸せない大事な貯金だ。
主人公の同僚には暗くひねた性格の幼馴染がいる。
誰かの財布から金がなくなったとしたら真っ先に疑いがかかる存在だ。
主人公は心情的には幼馴染の味方だ。
ある日彼の必死の頼みを一度は断ったものの、貯金を下ろして1万7千円を貸してしまう。
このため、公休日に海でデートする軍資金もなくなって彼女は当然怒る。
海水着も買えないではないか。
彼女のへそくりで何とか特価品の海水着を買い、ラーメンを食べるのがやっと。
でも若いころって最後の所持金で彼女とラーメンを食べてしまっても、平気だし、旨いんだよなこれが。
そうやって公休日の海水浴デートを楽しみに待てば、幼馴染の無断欠勤で仕事に出ざるを得ない主人公。
現代の若者なら何を差し置いても彼女に連絡し、言い訳にこれ務めるであろうシチュエーションも、当時の若者は連絡は後回し、出勤が決まると不承不承ながら仕事に向かう。
現場は急こう配。
機関車は砂を線路に撒きながら進む。
砂が詰まって列車がピンチ。
阿吽の呼吸で運転士に釜焚きを任せ、機関車の先端にはい出て手で砂を撒く主人公。
勾配を上り終え、機関車を停車させて主人公のもとに駆け寄る運転士。
煤で真っ黒の顔が安どする。
「殉職」と紙一重の任務をやり遂げる主人公の責任感と成長。
職場では職員が指示命令に敬礼で応えている。
昔の国鉄はそうだった。
どんな小さな駅でも列車が通過するときは駅長さんがホームに出て敬礼して列車を見送っていた記憶がある。
主人公は職場の若手で「杉の木会」という集まりを主宰している。
が、仲間と付和雷同して場に馴染まないヤツをいじめるのは性に合わない。
むしゃくしゃしたときは、シャツをまくってそこら辺を叩きながら「釜焚きロック」をがなって、オルグが来ているような職場会をめちゃくちゃにすることもある。
理路整然とした弁はなく、時には手も出るが、極めて人間的でまっすぐな主人公なのだ。
貧しく、無学だが、まっすぐで正直な青年たちの物語。
結婚資金をためればなくなる、デートの約束をすれば仕事が入る、欲しいものも買えない、うまくゆかず気分がむしゃくしゃする。
でも若くてエネルギッシュで明るい。
主人公には江原真二郎、彼女に丘さとみ、その妹に中原ひとみ、主人公の幼馴染に仲代達矢、幼馴染の片思い役に岩崎加根子。
江原と丘のカップル役は息もぴったり。
「姉妹」(1955年)「こぶしの花の咲くころ」(1956年)のコンチ役で家城組の座付き女優的存在になりつつあった中原ひとみと、若い仲代達矢がちょっとむづかしい役で脇を締める。
「警察日記」(1955年)では杉村春子の人買いおばさんに買われ、風呂敷一つで故郷を離れる少女役だった岩崎加根子は人妻役で登場。
「雲流るる果てに」(1953年)「姉妹」で社会の底辺というか基盤の部分で、時代の犠牲になったり貧しかったりしながらも、人間性を失わず真面目に明るく生きる若者を描いてきた家城監督の、またしてもの会心作。
江原真二郎はもちろん、現代劇初出演の丘さとみの魅力を画面いっぱいに引き出している。
二人のキスシーンはデートの後の公園のブランコで。
将来のことを語り、主人公が「機関士を目指す」といい、彼女が「それだけ?」と言った後のこと。
口当たりのいい「夢」は語らないが、目の前の目標には全力で取り組むであろう主人公と、それを含めての彼を受け入れる彼女。
若い二人の将来を祝福するかのようなみずみずしいシーンだった。
「丘さとみ・東映城のお姫様」で丘は家城監督について。
「家城先生に、『丘さんまた及び腰ですよ』って。もうしょっちゅう及び腰って。
時代劇って相手に物言う時、必ずこういう形にかがむじゃない。(中略)恥かかさないように小さい声で注意してくださるの。ものすごく優しいの、家城先生。今までの東映で付き合った監督とは違った。
私らごとき新米が言う意見に対しても、監督が真剣にジーッと聞いてくださるの。『うん、あ、そう、いいよ、丘さん。そう思うんだったら、いいよ、やってごらん』って。こんなこと今まで言われたことなかった」(P124)と絶賛。
家城監督の人柄と演出方法が目に浮かぶようなエピソードを披露。
また、岩崎加根子については、
「『素晴らしき娘たち』でも一緒だった加根子ちゃんとはなぜか仲がよくって、ウマがあってね。
別に個人的付き合いもしていないんだけど、時々パーテイなんかがあると二人でくっついてんの」(P123)と、若い共演者との出会いを語る。
郡山での一か月に及ぶロケについても「旅館、楽しかった。」(p124)とのこと。
丘さとみにとって、いいスタッフと仲間に恵まれ、京都撮影所では得られない経験をした「裸の太陽」だった。
耳に残る『釜焚き、釜焚け、釜焚こう!・・・』の音楽は芥川也寸志。
メリハリのあるみずみずしい脚本は新藤兼人。
悠然としてドラマチックな撮影は宮島義勇。
家城巳代治が東映大泉に集めた最高のスタッフによる仕事だった。