DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジュリアン・デュヴィヴィエ その2

ジュリアン・デュヴィヴィエを集中的に見るシリーズの第二弾です。

1930年代の中盤、デユヴィヴィエはその代表作を続けて発表します。
お気に入りのジャン・ギャバンを主役に据えての三部作や、脚本家シャルル・スパークと組んでのオリジナル作品などがこの時期の代表作です。

手許のDVDから、「望郷」(36年)、「舞踏家の手帖」(37年)、「旅路の果て」(38年)を鑑賞します。

精悍な表情のデユヴィヴィエ(右)

「望郷」  1936年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

1939年キネマ旬報ベストテン第1位。
デユヴィヴィエとジャン・ギャバンの代表作とされ、パリの美女を演じたミレーユ・ダルクのイメージを決定づけた作品で、ハリウッドで2度リメークされた。
『いつ、どこで、何度上映されても、大入り間違いなし』といわれるくらい日本でも人気だった作品。

「望郷」公開時の日本版ポスター

パリで銀行強盗を起こし、アルジェリアのカスバに逃げ込んだペペルモコという男がいる。
カスバに隠れて2年、情婦のジプシー女イネスと暮らしながら、男前と気前の良さからカスバの顔役となっている。カスバに自由に出入りし、ペペに付きまといながら捕まえるチャンスを狙っている刑事スリマンがいる。
ある時パリの女ギャツビーがペペの前に現れた。
宝石に包まれ、パリの香りをまとったギャツビーに一瞬で惹かれるペペ。
ギャツビーにとってもワルの気配を身にまとったペペは魅力的で、二人は恋に落ちる。
その結末は・・・。

『・・・ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く・・・』。
1955年に発売された「カスバの女」という日本の曲が流行った。
「望郷」にインスパイアされたであろう無国籍歌謡で、そのやるせなく、捨て鉢なムードが印象的だった「カスバの女」は発売後もしばらくテレビなどで流れていた。

ミレーユ・バラン

さて、映画「望郷」を、プロデューサーのアキム兄弟と監督のデユヴィヴィエの視点から読み込んでみる。

エジプト出身の映画プロデユーサー、アキム兄弟の初ヒット作である「望郷」。
アラブという異邦を舞台にしたエキゾチックなドラマを、というコンセプトが作品のスタートであろう。
監督には当代一流で、決して観客を(そしてプロデユーサーを)裏切らない(であろう)ジュリアン・デュヴィヴィエを起用し、現場の一切を任せる。

アキム兄弟のその後のプロデユース作品を見ると、ジャック・ベッケル(「肉体の冠」51年)、マルセル・カルネ(「嘆きのテレーズ」52年)、ルネ・クレマン(「太陽がいっぱい」60年)、ミケランジャロ・アントニオーニ(「太陽はひとりぼっち」62年)、ジョセフ・ロージー(「エヴァの匂い」62年)、そしてルイス・ブニュエル(「昼顔」67年)など、芸術派監督の代表作が並んでいる。

起用された監督はそうそうたるメンバーなのだが、よく見ると主役に旬のスターが起用されていたり、有名な原作の映画化であったり、映画音楽がヒットしたりしていて、アキム兄弟の商売の確かさがうかがえる。
また、監督との契約条項に「作品の最終編集権はプロデユーサーにある」とするのがアキム兄弟流だった。

「望郷」にもアキム流の映画製作のやり方が濃厚に現れている。
カスバを舞台にしたエキゾチックでペシミステックなメロドラマという作品の骨格。
アキムが最終編集権を握っていることも、作品の通俗性に帰結しているのだろう。

では、デュヴィヴィエはアキム流のメロドラマをどう料理しているのか。

『メトロの香りがするぜ…』

先ず舞台のカスバを前面に押し出した。
パリジャンのペペが不本意にも流れ着き、同化している迷路のような街は、屋上のテラスを通っても行き来でき、情報は瞬時に伝わる魔宮だ。
情婦のジプシー女、トルコ帽を被った正体不明の刑事などは異国情緒たっぷりだ。

カスバの顔役としてふるまうペペだが本心はパリが恋しくてたまらない。
フランス男の、それもワルにふるまう粋筋のどうしょうもない性。
それがギャツビーという着飾ったパリジェンヌを見た瞬間に制御が外れる。
ギャツビーとてパトロンの愛人としてアルジェを訪れただけ、堅気の女ではない。

ペペと現地人の刑事スリマン

粋で寛大にふるまう伊達男のペペの、実は脆弱な存在が哀しい。
彼は一歩カスバの外に出ると逮捕されるのだ。

ペペの懐に入り込むように付きまとい探りを入れるスリマン刑事の不気味さ。
このキャラはヤクザに同化する刑事のようでもあり、コロンボ警部の馴れ馴れしさのようでもあり。
そういった刑事キャラの元祖なのかもしれない。

ペペの情婦イネスのひたすらペペを思う土臭い土着性。
これらのキャラをわかりやすく色分するデユヴィヴィエの腕の確かさ。
デユヴィヴィエにとっては登場人物をはっきり描けばいいのだからやりやすかったのではないか。
演技を要求するのはペペ、イネス、スリマンらで、ギャツビー役のモデル出身のミレーユ・バランにはパリのあでやかさの象徴であり、細かな演技の要求はない。

ペペとジプシー女の情婦イネス

ペペとギャツビーの二人だけのシーン。
アップで二人をこれでもかととらえ、名セリフを繰り返す。
デユヴィヴィエがこの作品のために用意した最大の「売り物」だ。

ペペと巴里女のはかない恋

映画は後半になって急速に馬力を増す。
ペペがいよいよギャツビーに狂い、いてもたってもいられなくなり、それに乗じてスリマン刑事がペペをカスバの外におびき出す策略を練り、イネスがペペを思って止めに入る。
ここら辺の場面転換、入り混じった登場人物の整理、デユヴィヴィエの独壇場だ。

登場人物はよく描き分けれているが、裏の意味というか含蓄はない。
ラストが比較的あっさりしていることも含めて、プロデユーサーアキム兄弟の「最終編集権」のせいなのだろうか。

マルセイユ行きの船を見送るペペ

ペペにジャン・ギャバン、ギャツビーにミレーユ・ダルク、イネスにリーヌ・ノロ、スリマン刑事にリカ・グリドゥ。

「舞踏会の手帖」  1937年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

デユヴィヴィエ全盛期の代表作。
130分の長尺映画を7話のオムニバスで構成。

各挿話にはフランスワーズ・ロゼエ、ルイ・ジューヴェ、アンリ・ボール、フェルナンデルなど当時の名優らが出演しているが、なんといってもオムニバス方式による最初の作品(デユヴィヴィエの発案)というところに歴史的価値がある(註)。

 註)オムニバス方式には本作の5年ほど前のアメリカ映画「百万円貰ったら」という作品があったとのことだが、〈オムニバス映画〉の本格的な始まりは本作からとのこと(「ジュリアン・デュヴィヴィエをしのぶ」1968年フィルムライブラリー助成協議会編 P36より)

さて本作全7話の統一ヒロインはマリー・ベル。
「外人部隊」(1934年 ジャック・フェデー監督)のヒロイン二役を務めた実力派美人女優だ。
絢爛たる衣装に身を包めば画面映えし、シックなドレスとふるまいで品格を漂わせ、場末の酒場の歌姫に扮すればこれ以上ない薄幸美人ぶりを演ずることができる女優さんだ。
本作ではお城の王女様然とした彼女の気品と、帽子にもこだわったファッションが当時37歳のフランス演劇史上の美人女優の存在感を際立たせる。

マリー・ベル

霧に閉ざされた湖畔のお城に20年前に嫁入りし、夫を亡くしたばかりの若き未亡人クリステイーヌ(マリー・ベル)。
夫婦思い出の品を燃やしていたが、自らの舞踏会の手帖を燃やし忘れる。
16歳で純白のドレスに身を包み舞踏会にデヴューしたころのダンス相手の名前を記した手帖だった。

クリステイーネは湖畔のお城に住む

クリステイーヌが16歳の時を回想する舞踏会の幻想的なシーンが素晴らしい。
純白のドレスに身を包んだ淑女が並び、紳士たちが手を取ってダンスが始まる。
スローモーションで揺れるドレス。
主人公クリスティーヌの原点にして忘れられない思い出だ。

映画のおけるダンスシーンといえば、マックス・オフュルス監督の諸作品(「輪舞」「快楽」「たそがれの女心」)が忘れられない。
豪華絢爛たるお屋敷でのダンスシーンでは、次々と馬車で集まってくる招待客と、くるくると踊る何十何百というカップルがこれでもかと描かれる。
カメラは映画の主役二人を窓越しに延々と追いかけ、窓越しに室内に入って主役二人の周りを延々と回り始める(カップルにクルクル回らせて、まるでカメラがカップルの周りをまわっているように見せる撮影技法)。
延々と続く移動撮影による、目くるめくような夢のような舞踏会シーンが続く。

オーストリア生まれのオフュルスといい、フランス生まれのデユヴィヴィエといい、欧州生まれの芸術家にとっての舞踏会というものの大切さ、憧れを感じることができる。

さて、夫に死別したクリステイーヌ。
お城の奥様とはいえ、満ち足りた結婚生活ではなかった。
偶然再見した手帖に記された名前を順に追ってみることにした。
16歳で社交界にデヴューした当時の自分に再会するためとも、その当時の自分に愛を告白した男たちに再会するためとも理由はいくらでもあった。

手帖の最初の名前はジョルジュ。
訪ねると母親が出てきた。
ジョルジュは20年前クリステイーヌの婚約を知り拳銃自殺していた。
母親は息子の死を認めることができず、部屋のトランプもそのまま、カレンダーも20年前のままで息子の帰りを待っているのだった。
現実を記憶はしつつ、息子の死についてはかたくなに認めることができない母親をフランソワーズ・ロゼエがほぼ独演で演じる。
戸惑うクリステーヌことマリー・ベルの表情は時として「外人部隊」の薄幸の歌姫のように頼りなかった。

第1話。フランソワーズ・ロゼエ(左)と

手帖の次の名前は弁護士志望の19歳の学生だった男。
今では弁護士資格をはく奪され、夜の帝王と呼ばれる存在になっていた。
トップレスダンサー(酔客の指名が可能)が踊るナイトクラブのオーナーにして、詐欺的強盗団を操る悪徳元弁護士をルイ・ジューベが演じて、ぎょろ目をむく。
訪ねてきたクリステイーヌに売春の相手を紹介しようと早とちりするジューヴェは、やがて彼女を思い出し、20年前のヴェルレーヌの死を愛する青年に戻って自身の思い出を美化したのち、警察に連行されてゆく。
ポマードで固めた黒髪でにらみを利かせるジューヴェの悪役演技が見もの。

第2話の暗黒街の連中。右端ルイ・ジューヴェ

デュヴィヴィエ一家の座付き俳優で、太っちょ中年アリ・ボールが神父を演じるのが第3話。
20年前に16歳のクリステイーヌに恋敗れて、さらに義理の息子を失ったショックで信仰の道へ入る元新進の音楽家という設定にリアリテイはないが、ここは、アリ・ボールの独演と見守るマリー・ベルの黒のつば広帽子の下の美貌を愛でよう。

仏印のサイゴンからの引揚者、今では港町の闇堕胎医にまで落ちぶれた元医学生の第6話は暗く、切迫感に満ちていた。
片眼を失い、神経症の発作に見舞われる元医学生の姿にはかつてのエリートの面影はない。
訪ねたクリステイーヌの前で内縁の妻とDV騒ぎ。
食事を用意してもワインのボトルを持つ手が震える。
斜めのカメラでこの挿話を捕らえるデユヴィヴィエの、サスペンスに満ちた演出が冷徹。

第6話。闇の堕胎医に落ちぶれたかつてのダンスパートナー(ピエール・ブランシャール)

ある時は流れるようなドレス姿、ある時は帽子を目深にかぶって相手を見つめ、ある時はスキーヤー姿でアルプスの山小舎を訪ねるマリー・ベルの過去巡り。
否、現実という名の地獄・極楽めぐり。

巡った先はペシミズムに彩られた悲劇的世界もあれば、微苦笑を誘うような現実世界もあった。
いずれにせよ自由になったクリステイーヌが憧れる世界ではない。
その胸に去来する16歳の時の舞踏会の夢のような幻影。

第7話でフェルナンデル(左)と。

ラストでクリステイーヌが現実の舞踏会へ誘うのは、湖の対岸に住む手帖に記された唯一の行方不明者・ジェラールの息子だった。

その青年を演ずるのはデュヴィヴィエ出世作「にんじん」(1932年)の主演少年ロベール・リナンで、かれはのちに占領下のフランスでレジスタンスに加わり、つかまって処刑されたという。

ジャックを舞踏会に送り出すクリステイーヌ

マリー・ベルが嫁いだ湖畔のお城の幻想的な風景は、デユヴィヴィエ後年の「わが青春のマリアンヌ」(1955年)を思い出させる北方的なムードが漂よう。
また、第1話の霊魂が復活するかのような神秘性、第2話のギャング映画のようなノワール性、第5話の庶民的な喜劇、第6話のヒリヒリとしたサスペンスは、いずれも多才なデユヴィヴィエが得意とする分野だ。

第1話と7話に出てくる小道具としてのトランプにも注目。
第1話でのそれはフランソワーズ・ロゼエが出てくる挿話のこともあり、「外人部隊」へのオマージュなのかもしれない。

第2話と第5話では、いずれの主人公(クリステイーヌが訪ねる相手)にも義理の息子がいる設定になっている。
片や死別し、片や実家に戻っては金をせびる不肖の息子と、それぞれ幸福な設定ではない。

エピローグに登場するジャックはクリステイーヌの養子となり、第2話、5話に続く三度目の〈義理の息子〉となる。
果たしてその結末はハッピーエンドを迎えることができるのだろうか。

「旅路の果て」  1938年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督   フランス

デュヴィヴィエ最盛期の末尾を飾る作品。
「地の果てを行く」「我等の仲間」「望郷」「舞踏会の手帖」などの代表作を30年代に発表したデュヴィヴィエは、1938年にハリウッドに招かれ、MGMで「グレート・ワルツ」を撮り、帰国後フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受けた。

「旅路の果て」は叙勲後初の作品であり、また、こののちデュヴィヴィエは「幻の馬車」「わが父我が子」の2作品を撮った後、アメリカに亡命することになる。
デュヴィヴィエがフランスで帰国後の第一作を撮るのは1946年の「パニック」だった。

座っているのがマルニ(ヴィクトル・フランサン)。なお(48)は(38)の誤り

「旅路の果て」はデュヴィヴィエ映画の総決算にして集大成でもある。
これまでの作品では、文芸作品や推理小説、宗教ものなどの原作を素材に、エキゾチシズムやロマンチシズム、ノワールなど野味付けに趣向を凝らして観客にアピールしてきたデュヴィヴィエが、〈素材〉から離れ、〈装飾〉をかなぐり捨て、〈自分の作りたいものを、作りたいように〉作った、おそらく初めての作品なのではないか。

芳紀花盛りの美人女優も出てこなく、出てくるのは老人ばかり、それも筋金入りの頑固で自意識に凝り固まった老人たち。
活気ある世間とはかけ離れた加齢臭漂う老人ホームと、隣の貧乏くさい田舎カフェが舞台。
主題は老いてなお、自我と妄執から離れられない人間そのものの業だ。

マルニと田舎カフェの女給ジャネット(マドレーヌ・オズレ)

主役は3人の老人。
ホームの主役よろしく、集団生活を取り仕切ったつもりになっているカプリサード(ミシェル・シモン)は終生代役で終わった才能のない役者。
主役さえ病気になれば自分も舞台で輝けた、との思いだけが生きる支え。
息子は死に、肉親からの連絡はなく(ここでデユヴィヴィエ作品のモチーフの一つである〈息子との死別〉が出てくる)、毎年付近でキャンプを張るボーイスカウトから歓迎されることだけが励みとなっている。

才能はあるが売れなかった元主役俳優のマルニ(ヴィクトル・フランサン)は見るからに謹厳実直。
自らの才能をひけらかさないこと岩のごとし。
妻が浮気し、死んだことが生涯の心の傷となっている。

そこに現れたサンクレール(ルイ・ジューヴェ)。
昨日まで現役の主役だったがお払い箱になりホームに騒々しくやって来る。
ざわつく元女優の老女たち。
サンクレールはとんでもないドンファンで、入所中の老女シャベール夫人(ガブリエル・ドルジア)の死んだ息子(ここでも息子が死んでいる)の婚外父であり、またマルニの妻を寝取った後自殺に導いてもいる。

カプリサード(ミシェル・シモン)

自らの老いを認めず、女とみれば粉をかけ、金銭に執着し、過去の傷に拘泥し、と、人に嫌われる個性ばかりを思いっきり発揮しまくる3人の老人。
見返りは肉親からの拒絶だったりするがその現実はきれいにスルーする。
彼等の姿は単に老醜の醜さを表すだけにとどまらず、人生そのもの人間そのものの無残を表しているといえよう。

こういった人生の醜さについてはビリー・ワイルダーが作るアメリカ映画では、落ちぶれた元スターを実名で登場させるなどしてセンセーションをあおる手法をとるなどするが、そこは大人のフランス映画、露悪的な手法は取らない。
あくまでも劇中の出来事として、演出と演技で本質を突き詰め、より厳しく現実に迫る。

ジャネットにもちょっかいを出すサンクレール(ルイ・ジューヴェ)

事件らしい事件も起きずに進む映画を、ヒリヒリとした緊張感と、無残な現実描写で描き切ったデュヴィヴィエの手腕と、主演3人を中心とした演劇人の個性に引きずり回された110分だった。

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジュリアン・デュヴィヴィエ その1

「望郷」、ぺぺルモコ、カスバ、ジャン・ギャバン。
1930年代に製作された「望郷」は、日本にとって、あるいは世界にとって、わすれられない名画であった。

「望郷」を監督したのがジュリアン・デュヴィヴィエ。
「地の果てを行く」(35年)、「我等の仲間」(36年)、「舞踏会の手帖」(37年)、「旅路の果て」(39年)など、ペシミズムに彩られた人生の機微を描いた1930年代の名作群を作り、また戦後に「わが青春のマリアンヌ」(55年)で忘れられない幻想的ロマンチシズムを描いたフランスの名匠である。

1930年代はフランス映画界に、ルネ・クレール、ジャック・フェデー、ジャン・ルノワール、マルセル・カルネなど名匠が現れ、その代表作を発表した、フランス映画の黄金時代だった。
それらの映画作家の中で、世界的にも人気があり、芸術性と大衆受けを兼ね備えた名作を連発したのがデユヴィヴィエだった。

のちに映画史家によって「詩的レアリズム」と呼ばれたこの時代の作風は、『ペシミステックな暗さの美学化であり、滅びゆく人間の運命が、あいまいな文学的抒情性、高尚な哲学性の衣をまとって、深遠な人生観として賛美されて』いる(集英社新書「フランス映画史の誘惑」87Pより引用)と定義される。

「ジュリアン・デユヴィヴィエをしのぶ」表紙

手許に「ジュリアン・デユヴィヴィエをしのぶ」という冊子がある。
1968年フィルム・ライブラリー助成協議会(現フィルムアーカイブ)の発行。
67年に亡くなったデユヴィヴィエ監督を偲んで、東京国立近代美術館で行われた連続上映会のプログラムである。

「同」目次。そうそうたるメンバーの執筆陣

巻頭に「ジュリアン・ヂュヴィヴィエ」と題する映画評論家飯島正の文があるので、下記に太字にて要旨を紹介したい。

デユヴィヴィエは1896年に北フランスのリール生まれ。
舞台俳優、監督を経て映画界へ。
1919年よりサイレント映画約20本を監督する。
1930年「資本家ゴルダー」がトーキー第1作。
1932年の「にんじん」の映画化がデユヴィヴィエの名を世に広めた。

「にんじん」は当時珍しかった文学作品の映画化で、その企画・発想は、デユヴィヴィエのプロデユーサー的素質によるものであり、その自然描写と心理描写が一体化した雰囲気づくりのうまさは、デユヴィヴィエの映画監督としての技術の確かさによるものだった。

デユヴィヴィエの特質として、純粋に芸術を志向するのではなく、大衆受けを意識した作品作りにあり、シムノンなど、一般受けする探偵小説を原作とするとその親和性が高い。

「望郷」は世界的な人気を誇るが、異国的ロマンチシズム、情緒的センチメンタリズムを大衆受けの要素として意識的に取り込んだデヴィヴィエのプロデユーサー的才能の表れだ。

「旅路の果て」のオムニバス構成はデユヴィヴィエの創意によるもので、その後の映画で流行した。

また、デユヴィヴィエはフランスとベルギーに渡るフランドル地方の出身であり、その北方的な資質が「わが青春のマリアンヌ」での幽玄たるドイツロマンチシズムの再現に結びついた。

岡田真吉著「フランス映画の歩み」より、デユヴィヴィエからのアンケート回答

また、ここにフランス映画研究者岡田真吉の「フランス映画のあゆみ」(1964年 七曜社刊)という映画本があり、岡田氏がデヴィヴィウエ本人に送った興味深いアンケートの回答が掲載されているので転載してみたい。

アンケートは1933年に岡田氏がフランスの映画監督らに送り、ジャン・ルノワール、ジャン・エプスタンら6人から回答をもらったものである。

アンケート3問のうち「トーキーの芸術的可能性」という問いについてデユヴィヴィエは、
『偉大な可能性を開く大きな進歩であると考える。しかし私は音響的要素に、映像以上の重要性を与えること、殊に映画中の台辞の地位を誇張することは怠りであると信じている。』と回答した。

セリフの重要性を最大に考えることは誤りだと信じるデユヴィヴィエの信念はサイレント時代に映画修業をした経歴がもたらすものなのか、あるいは、セリフは音楽やセットや照明、撮影などと同列の映画手法の一つであり、それら手法が総合的に合致して効果を表すのが映画である、セリフのみが重要性を持つのではない、との信念からだろうか。
いずれにせよ、デユヴィヴィエの映画製作に関する根本姿勢の一つを表す発言ではある。

ジュリアン・デュヴィヴィ

飯島正による紹介、岡田真吉によるアンケートを読むにつれてもデユヴィヴィエという映画作家の全体像はつかみきれない。
大衆性、サービス精神に満ちた映画作家であることは間違いない。
多様なジャンルを題材とし、いずれの作品でも己の作家性よりも大衆受けを計算し、手練手管の技巧をもって実現することができる。
が、「作家」としての「こだわり」や「純粋性」(偏狭さといってもいい)は、残された作品の印象からは見えてこない。

日本では評価が高いデユヴィヴィエだが、フランス本国では(今では)それほどでもないとのことである。
なぜ日本では大衆的にも、高尚な批評家的にも受けて、フランスではそうではないのか。
デュヴィヴィエの作家性、手法の特徴、時代とのかかわり、プロデユーサー的特質、などとはその作品においてどう発揮されているのか。

まずは、デユヴィヴィエの初期作というべき「モンパルナスの夜」(33年)と「ゴルゴダの丘」(35年)からDVDで見てみよう。

「モンパルナスの夜」  1933年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

デュヴィヴィエのトーキー第6作。
この作品が作られた1933年には、オーストリアでシューベルトの伝記映画「未完成交響楽」が名曲に彩られた牧歌的人間賛歌を謳っていた。
折から第二次大戦勃発まで5年の時代だった。

一方、フランスでは悠々とジョルジュ・シムノン原作の犯罪映画「モンパルナスの夜」が、デユヴィヴィエによって作られていた。

主役のメグレ警部に扮するのはアリ・ボール。
中年の太っちょ体形。
捜査の腕はいいが、迅速な動きなどは望むべきもないように見える。

フランス映画では、中年の太っちょがヒーロー、という伝統でもあるのか、アリ・ボールは「モリナール船長」(1938年 ロバート・シオドマーク監督)でも、初老の太っちょを演じていたし、近年の俳優では「追想」(1975年 ロベール・アンリコ監督)の逆襲のヒーロー、フィリップ・ノワレの中年体形が思い出される。

センセーショナルな斜めの書体によるクレジットタイトルと、タイトルバックのシャンソン歌手ダミアの錆びの効いた歌声で始まる「モンパルナスの夜」。
ノワール風活劇の体裁を取ってはいるが、フランス映画好みの酸いも甘いもかみ分けた大人の世界が、すでに濃厚に匂うオープニング。
フレンチノワールの元祖(ということはフィルムノワールといわれるジャンルの草分け)ともいわれるデュヴィヴィエの堂々たるノワールジャンル第1作の幕開けだ。

場面転換は斜めに上下する画面ワイプが使われる。
クレジットタイトルの斜め文字といい、この作品の一つのコンセプトは「斜め」なのかもしれない。
『さあこれから映画ならではの、背徳的な世界に案内するよ』と、デユヴィヴィエのしたり顔が場面の背後に透けて見えるようだ。

アリ・ボール(右)とワレリー・インキジノフ

「プロデユーサー」デユヴィヴィエの本領発揮という面では、犯人役の容貌魁偉な異邦人ラデイックにワレリー・インキジノフをキャステイングした点にとどめを刺す。
自身が中央アジア出身で、東洋人のような風貌(設定はチェコ出身の医学生)のインキジノフの異様な存在感にまずは驚かされる。
誰だ!この役者は?

フランス人から見れば、人外の地から出現し、パリの巷で享楽に現を抜かす有閑階級にルサンチマンを漲らした、何をするかわからない異邦人ラデイックという存在は、得体のしれぬ物の怪に見えるのであろう。
当時のフランス人観客の排外性、差別性を刺激するかの如く、東洋人の外見を持つワレリー・インキジノフの犯人役へのキャステイングはこの作品の見世物として重要である。

見世物とは、文字通り目を引くもの、存在するだけで注目されるものである。
見世物は映画発祥の昔から、映画における「売り物」の重要な一項目である。
その「売り物」の重要性を熟知しているのがデユヴィヴィエ一流の経験と知恵である。

ワレリー・インキジノフ(右)の怪演。アリ・ボール(中央)と

インキジノフ扮する異邦人が、完全犯罪を企む殺人者としてメグレ警部と対峙するのだが、作品はその過程で共犯の有閑階級の遊び人たちの堕落を批判もしており、単にラデイックの犯罪を憎み、異邦人を排除するだけではない。
ここら辺の作品の重層性もデユヴィヴィエは抜かりなく描く。

完全犯罪者ラデイックに犯人に仕立て上げられた青年

独自のパリ中心の世界観を貫くフランス映画でありつつ、暗く退廃的なムードが支配する作品。
その暗さはノワール劇だからというだけではなく、大戦前の時代性を反映してはいないか。

クレジットタイトル、斜めワイプのほかにも、猥雑なカフェ内部の長い移動撮影、雑音とたばこの煙にまみれた刑事詰所の同じく長い移動撮影、などデユヴィヴィエの意欲的な技法が冴える。

何よりフランス的なあいまいさ、いい加減さ、ずるさ、が俳優の動きに現れている。
きびきびとしたゲルマン系の動きとの違いがこれでもかとにじみ出る。
フランス映画はあくまでフランス映画なのだ。

太っちょの中年男にヒーロー性を見出し、異邦人を普通に差別し、猥雑な場末の巷に安住するのが好きなフランス映画の世界なのだ。

「ゴルゴダの丘」 1935年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

何と堂々とした作品なのか。
題材は新約聖書の福音書。

ガリラヤで弟子らとともに予言や癒しを行っていたイエスが、ユダヤの祭礼である過ぎ越しの日にエルサレムにやって来る。
エルサレムの民にもセンセーショナルな人気のイエスに、自らの地位が脅かされるのを過度に懸念するユダヤ教の祭司たち。
折からエルサレムを統治していたローマ軍のピラトにイエスの排除を訴えるが、ピラトはユダヤのことはユダヤ自身で処置せよと取り合わない。
祭司たちは、イエスの弟子のユダを買収しイエスを捕らえる。
ローマ皇帝への訴えを示唆してピラトに迫る祭司たち。
とうとうピラトはイエスの磔を命じる。

イエス役のロネール・ル・ヴィガン

エルサレムの城門、城壁や円柱を再現した大セット。
一部にスクリーンプロセスを用いたほかは実写による撮影が圧巻。
巨大な城壁をバックにした何百人ものエルサレムの民らを引きの画面でとらえるシーンが延々と続く。
古代エルサレムの歴史的光景を物量で再現する歴史スペクタクルはこの作品の「売り物」の一つである。
スペクタクル志向はハリウッドの「イントレランス」(16年)、「ベン・ハー」(25年)と共通する。

エルサレム城内のユダヤ議会には祭司たちが右往左往し、街には羊を連れた民があふれるように続く。
土と埃と住民たちの汗のにおいが伝わってくるような画面作り。
単に福音書を再現しただけの作品ではない、歴史的な地誌的な事実へのドキュメンタルな姿勢がみられる。
宗教的な神秘性や荘厳さの強調は全くない。
この点はハリウッドの諸作品と異なっており、デユヴィヴィエの作家性が感じられる。

ピラト役のジャン・ギャバン

イエスとその弟子たちの関係やその集団的性格は、キリスト教の本質にも関係あろうが、レギオン(軍隊)とも呼ばれるその集団性が描かれる。
イエスがユダを「裏切る者」と呼び、鋭いまなざしを向ける。
すべてを許容するわけでもなく、集団に厳格な規律を求める集団の軍隊的な性格が表れている。
既存の組織にとっては、現代の反体制新興宗教のように脅威以外の何物でもないだろう。

作品のテーマは、卓越した天才が世の中に理解されることの困難だったり、教祖と弟子の信頼関係のあやふやさだったり、既存の権力構造の反動的強固さだったり、扇動に簡単に騙される群衆のポピュリズムだったり、なのだろう。
そのテーマを画面に表す手法としてデユヴィヴィエの方法はわかりやすい。

例えばイエスを裁判にかける場面では、城内の舞台のようなところで被告のイエスと裁判長のピラトが立つ。
検察官よろしくユダヤ祭司たちが舞台のそでで騒ぐ、傍聴人の民らは舞台下の観客席のポジションにいる。
裁判の偏向性、群集のポピュリズム、被告の恥辱などが、位置的にもわかりやすいよう表現されている。

ギャバンと妻役のエドウージュ・フィエール

ここで「ジャン・ギャバンと呼ばれた男」(鈴木明著 1983年大和書房刊)という映画本を紐解く。
「ゴルゴダの丘」の前作「白き処女地」(1937年)でカナダに移住した素朴で逞しいフランス青年を演じスターの仲間入りしたギャバンは、デユヴィヴィエのお気に入りでピラト役をオファーされてたのだという。

ギャバンのピラトはローマ風の権力者の髪形と服装が思ったよりも似合い、すっかり役にはまっていた。
悪人ではないがあやふやな態度を撮り続ける支配者に役が適役だった。
ギャバンはこの作品の後、「地の果てをゆく」(35年)、「我等の仲間」(36年)、「望郷」(36年)でデュヴィヴィエ映画のヒーローを務めることになる。

ガリラヤの支配者のヘロデ王役で、デユヴィヴィエ組のアリ・ボールも出演。
思いっきり俗っぽくも、一癖もふた癖もありそうな王の怪物性をそのまま顔面に滲み出しての演技を披露していた。

イエス役はロネール・ル・ヴィガン。
宗教画のイエス像を再現したような風貌。
ユダヤ祭司たち、エルサレムの民らを、パレスチナ風の風貌の役者をキャステイングしていたのに比して、白人そのものの俳優をイエスに起用したデユヴィヴィエ。
この端正なイエス像は映画の「売り物」の一つで、「プロデューサー」デュヴィヴィエにとっては妥協できなかったのだろう(あるいは妥協してのことだったのか)。

コスチュームプレイではないし、スター映画でもない。
無声映画時代に2本の宗教素材を撮っているというデユヴィヴィエ本来のテーマの一つを真摯に撮った作品である。

DVD名画劇場 戦前オーストリア映画のパッション

戦前のドイツとオーストリアは映画の都だった。
ドイツにはウーファ撮影所があったし、オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウイーンにはサッシャという映画会社があった。

1930年代、(33年に)ナチス党が政権を取ったドイツ本国に比べ、同盟国とはいえオーストリアでは芸術の自由が幾分か残っていた。

この時代を知る日本の映画評論家に筈見恒夫、南部圭之介がいる。

南部圭之介著の「続・欧米映画史」と、筈見恒夫が監修した「写真 映画百年史全5巻」が手許にある。
どちらも戦前のドイツ映画、オーストリア映画の豊饒な世界についてたくさんの稿を割いている。

戦後になり、現代になって映画の世界はアメリカの独り勝ち。
一部のマニアにフランス映画などが志向されているような状況となっている。
否、映画に国籍はすでになく、資本、スタッフ、キャスト、撮影地が各国を複層して製作されるようになっている。

が、戦前にドイツ、オーストリアに於いて、当時のハリウッドに比す内容、規模の映画を巡るワールドが展開されていたことは歴史上の事実だった。
後年の各国の諸作品へのジャンル的、手法的な影響を多く残した点でも特筆される。
筈見恒夫、南部圭之介らの著作には当時の日本の映画評論家がいかにドイツ、オーストリア映画に注目し、関心を持ち、評価していたかが表れている。

「続・欧米映画史」。表紙の写真は「未完成交響楽」の名場面
「同」奥付
「写真映画百年史第3巻」表紙
「同」38,39Pには、1930年代のオーストリア映画を解説

1930年代のオーストリア映画から代表作3本を見てみよう。

「未完成交響楽」  1933年  ウイリー・フォルスト監督  オーストリア

南部圭之介の「続・欧米映画史」(全213ページ)では、本作について6ページ以上を割いて紹介評論している。

本作品についての著者の気持ちは、『「会議は踊る」とともにこの時代に夢多い青春を送った男や女にとっては「会議は踊る」と同じように忘れえない名画であった』(同著49P)という一文に表れている。

また、『ハンス・ヤーライのシューベルトは、私共のような遠い東洋の果ての人間に、シューベルトのイメージを固定してしまうほどの強烈な印象であったし、マルタ・エゲルトのカロリーネ姫は、茶目っ気の明るさの中に忘れがたい女の情念と貴族の娘としての品位を持ち合わせていた』(同49P)と主演のハンス・ヤーライとマルタ・エゲルトを称賛している。

カロリーネがシューベルトから音楽レッスンを受ける

シューベルトを主人公に、貴族の令嬢との悲恋を描いた本作は、シューベルトの伝記をゆがめたと、本国のオーストリアとドイツでは不評だったとのこと。

DVDで見ると、第二次大戦まで5年の製作時代ではありながら、全体を覆うおおらかでのびやかな空気感、折々に見られるユーモラスな表現、たっぷり流れるシューベルトの名曲たち、に彩られた幸福そのものの映画だった。

ハンガリーの田舎の酒場で、村娘の姿のカロリーネ

シューベルトの世間ずれしていない朴念仁ぶりは、小学教師として算数を教えながら頭に浮かぶメロデイーを黒板に書いてしまったり、大事な公爵邸の演奏会に着ていく服がなく親切な質屋の娘に質流れの礼服を借りてゆくが質札をつけたままで公爵邸の塑像に引っ掛けたり、などの描写に描かれる。
それらのエピソードを悠々と描く、スタッフたちのすばらしさ。

麦畑でのラブシーン

貧乏時代のシューベルトを助ける質屋の娘(ルイーゼ・ウルリッヒ)の庶民的で明るいお転婆ぶりも全く古びていない。

ヒロイン、カロリーネを演ずるマルタ・エゲルトは、ハンガリーの令嬢として夜会服を着こなし滑るように登場し(カメラは遠めの移動ショットであでやかなその姿を捉える)、シューベルトを家庭教師として迎えた場面では「夜曲」を歌いこなし、屋敷の外の酒場に忍んでは村娘の格好でジプシーの演奏をバックに民俗舞踊を踊りまくる。
見かけのあでやかさにとどまらない芸達者ぶりに感嘆する。

酒場を抜け出し薄暮の麦畑を走るカロリーネ。
カメラは目線の高さの移動ショットでカロリーネを追う。
やがて忘れ物のスカーフをもって追いついた朴念仁のシューベルトにキスを誘うカロリーネ。
美しいラブシーン。

小学校でシューベルトに算数を教わりながら、気が付いたら黒板に書き写された「野ばら」を歌う少年たちに.ウイーン少年合唱団を配役。
BGMの演奏は世界のウイーンフィルハーモニー。
流れる名曲は「菩提樹」「未完成」「夜曲」「アヴェ・マリア」など。

貴族たちの音楽会の描写はきらびやかに、ハンガリーの田舎の居酒屋の描写は土臭く、ウイーンの都会の描写は庶民の困窮した生活感を、それぞれ的確に描き出したフォルスト監督とウイーンのサッシャ撮影所の力量は見事。
どの時代の観客も好感を持つであろう作品。

「たそがれの維納」  1934年 ウイリー・フォルスト監督  オーストリア

「未完成交響楽」のフォルスト監督作品。
前作のようなのびのびした開放感や、裏表のない人間賛歌はここにはない。
ドイツではナチス党が政権を握り、大戦まで5年ほどとなった世相を反映しているのか、ウイーンの上流社会の暗黒面が反映しているのか、重苦しく苦々しい雰囲気が映画を覆っている。

ところどころ監督の特性かオーストリア文化のなせる業か、独特のユーモアが見られるのは「未完成交響楽」と同様で、ヒロインのボルデイ(パウラ・ヴェゼリー)のキャラクターに濃厚に醸し出される。

プレイボーイの画家(アドルフ・ウオールブリュック)との初デートでは、「こんなはずないわ」「うそだわ」「思ってもいないくせに」と画家の口説き文句をはぐらかし、酒をぐいぐい飲むボルデイ嬢。
そのおおらかで、男慣れしていない素人娘のふるまいをパウラ・ヴェゼリーが熱演。
「未完成交響楽」でシューベルトに心を寄せる質屋の娘のおてんばキャラと共通するキャラクターである。

ボルデイ嬢はまた、画家にアトリエに呼び付けられ、勝手に「サモワールが湧き、チャイコフスキーが流れるアトリエ・・・」と妄想するが、行ってみると現実は全く違っており、勝手に唖然とするくだりも、彼女のキャラの個性が現れていておかしい。

プレイボーイの画家(アドルフ・ウオールブリュック)が純真な小娘・ボルデイ(パウラ・ヴェゼリー)に惹かれてゆく

実直なボルデイと違って、画家が出入りする上流社会は裏表ばかりの世界。
舞踏会はそれは豪華でにっぎやか。

画家とボルデイが流れるようにダンスし、壁越しにカメラが移動撮影で追うカットがあった。
マックス・オュフルスの「輪舞」(50年)、「たそがれの女心」(53年)での、カメラが延々と移動し、主人公たちの周りをくるくると回る(ように見える)流麗なダンスシーンを思い出した。

撮影のフランツ・プラナーは「未完成交響楽」も手掛け、戦前にハリウッド入りし、のちに「ローマの休日」(52年)、「ティファニーで朝食を」(61年)の撮影を担当したというから、さもありなん。

流麗な撮影手法に、のちのマックス・オュユルスへの深い影響を感じる本作だが、その影響は配役にも及んでいる。
画家役のアドルフ・ウオールブリュックが「輪舞」、「歴史は女で作られる」(56年)と、のちのオフュルス作品に続けて出ているのだ。
うーん。
歴史は女で作られるというけれど、オフュルス映画の歴史はオーストリアで作られていた!のか。

ラストに向かってボルデイ嬢の逞しさ、実直さ、一さが存分に発揮される。
プレイボーイの画家を本気にさせ、その命を救ったオーストリア女性の真心、根性とでもいうべきものが描かれる。

ボルデイは愛する画家の命の危機に、教授に手当てを頼み込む

上流社会の愛欲にまみれた人間関係を背景に、急転回に翻弄される人間たちの様子は、ハリウッド映画のよくできたドラマのよう。
舞踏会の目くるめく描写はマックス・オフュルスに影響を与え、その作品で完成を見た。

邦題のみのこととはいえ、「たそがれの女心」と、『たそがれ』という言葉でつながっている本作は、戦前のオーストリア映画である本作と、後年の名監督マックス・オユュルスのつながりを偶然とはいえ象徴しているかのようだ。

「ブルグ劇場」  1937年  ウイリー・フォルスト監督  オーストリア

伝統あるオーストリア王立のブルグ劇場の座付き役者ミッテラー(ウエルナー・クラウス)は、公演が終わると出待ちのファンを巻いて一人帰るのが日課。
殺風景な部屋でプロンプター(舞台のそででセリフを伝える役)の中年男と猫と暮らす味気ない日々。
女性と社交界には興味を示さず、キャバレー通いもとうの昔にやめた。

ある日、珍しく春の光に誘われてプロンプターと散歩していると教会があり、気まぐれに中に入ると敬虔に祈りをささげる乙女レニ(ホルテンセ・ラキー)に遭遇し、何十年ぶりかの恋に落ちる。
レニはミッテラー御用達の仕立屋の娘で、仕立屋に下宿している演劇志望の若者を愛している。

一方、王立劇場は、役者にとってコネがなければ専属契約はままならず、また上流社会のパトロンがガッチリ食い込んでいる世界である。
連日のようにボックス席に現れ、ミッテラーのファンを公言する男爵夫人(オルガ・チェーホワ)が、ミッテラーのお忍びの馬車で待ち伏せたり、男爵邸のパーテイに招待したりするがミッテラーは関心を持たない。

ミッテラーはレニにアプローチし続けるが、レニの頭にあるのは愛する演劇青年のこと。
ある日、レニはミッテラーの部屋で男爵夫人の招待状を見つけ、盗んで、青年あてに送付する。
有頂天でパーテイに参加する青年。
ミッテラーならぬ見知らぬ青年が現れるも、その場のトークで切り抜ける男爵夫人。
なんやかんやで劇場の重鎮たちに認知された青年は劇場と専属契約を交わすが、背景には男爵夫人のコネがあると噂になり・・・。

ウエルナー・クラウス(右)とホルテンセ・ラキー

歴史ある劇場の裏側の硬直したコネと権威の世界。
劇場の一枚看板とはいえ、乾ききった老俳優の私生活。
愛する若者を一途に思うだけで突っ走る乙女。
野心の塊で、利用できるものは利用して出世を望む演劇青年。
劇場と俳優たちの背後にいて付かず離れず、艶然と陰で采配を振るう男爵夫人。

これらの登場人物たちが交錯するドラマ。
単に老人が乙女に恋するだけの話ではない。

主人公ミッテラーの描写は「嘆きの天使」のギムナジウム教授の四角四面の生活ぶりを思わせる。
ゲルマン民族の几帳面さ、融通のなさそのものだ。

「嘆きの天使」では謹厳実直なゲルマン紳士が零落し、みじめな様子が強調される。
一方本作では、同じく勘違いした老人が若い女性に振られる物語でありながら、老人への尊厳を忘れていない。
老人が勘違いするエピソードは深刻というよりほのぼのとしたタッチで描かれる。

このあたり、ほかの作品にも共通するフォルスト監督のユーモアというか、オーストリア映画の余裕というか。
俳優たちの動きはきびきびしており、そこにユーモアが加わると何かコントのようにも見えるが、これがフランス映画でもハリウッド映画でもない、ゲルマン流の味なのだろう。

名優ウエルナー・クラウスの本領は終盤も終盤に発揮される。
身の丈に合わない栄達から、男爵夫人とのスキャンダルの責任を取っての失墜となり、自殺を考えた若者を、幕が下りた劇場の舞台でさとし、叱咤し、激励する場面の力感あふれる独演。

この作品の主題は単に老人の零落ぶりを描くだけではなく、必然的な世代交代への前向きな姿勢、それも老人が持てる力を振り絞って若い世代にげきを飛ばす、その老年のパッションを描くことにあった。

また、硬直し、権威と虚構にまみれ、上流社会の玩具と化した演劇世界への批判的姿勢を描くことも忘れていない。上流社会の化身でいながら、抗いようのない魅力を漂わせる男爵夫人の描き方も、貴族社会が残っていた当時のウイーンならでは。

主演格の両女優については。
レニ役のホルテンセ・ラキーは金髪、丸顔、口紅ばっちりと、ハリウッド女優を意識したかのようなメイク。
ゲルマン女性の逞しさより、ダニエル・ダリューのような愛らしさを意識している。
役の幅が限定的なので可愛い(だけの)役作りとなったものか。

男爵夫人役のオルガ・チェーホフは名が示すようにスラブ系の出身(一説には文豪チェーホフの一門)。
貴族の貫禄を気品をもって美しく演じた。
ポーレット・ゴダードかモーリン・オサリバン(「類猿人ターザン」のジェーン役)に似ていたが、比べものないほどの気品があった。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 アービング・サルバーグのスピリット

アービング・サルバーグは、創世記ハリウッドの第二世代の製作者で、ユニバーサルを経てMGMで活躍し、デヴィッド・O・セルズニック、ダリル・F・ザナックとともに、当時のハリウッドで「奇蹟の若者たち」と呼ばれた。

映画は『ショーマン特有の勘とドラマツルギーに精通し、激しく飛び交う言葉と音とを見事に統一する能力を要求される』製作者がいなければ生まれない、といわれたその製作者の一人がサルバーグだった。

サルバーグは、その存在がのちに伝説となり、スコット・フィッツジェラルドの小説「ラスト・タイクーン」のモデルとなった。

アービング・サルバーグ。妻のノーマ・シアラーと

ニューヨークのユダヤ人移民の中流家庭に生まれたサルバーグは、第一世代のタイクーンたちとは違っていた。

第一世代のタイクーンたちが、『(くず拾い時代に身に着いた癖で)撮影所内を歩き回っては釘が落ちていると口に含ん』だり、『ムッソリーニに憧れて、かの制服を模倣して着用し、部屋にかの肖像を掲げ』たり、『威張り、口汚くののしり、半可通を振りまわすばかり』という、有名なエピソードに見える、育ちの悪さを隠せない、映画館主上がりのユダヤ人たちだったのだとしたら、サルバーグは『手際よく、きわめて説得的で、品がよかった』(1972年みすず書房刊「映画のタイクーン」P80)とされる存在だった。

1972年みすず書房刊「映画のタイクーン」。フィリップ・フレンチ著。表紙はワーナー兄弟

英国人著者による「映画のタイクーン」ではサルバークについて、『看板作品なる、あまりもうけは期待できないが、撮影所に名誉と活気をもたらし、優れたタレントの出演を容易にした作品を制作した。』(同著P80)と評価している。
さらに『芸術的要求と本社営業部に固有な現実的要求との調整をものの見事に果たす能力を持っていた』(同P80)、また『事故の意見をはっきりと正確に表現することができ、絶対に自分が恥じ入る類の映画を作らなかった』(同P80)と述べている。

『サルバーグの存在とその影響力のおかげで、MGMはハリウッド随一の最も華々しい撮影所となり、その体裁の良いスタイルときちんと整った作品、きら星のごとく並ぶスターたちで有名だった』(同P82)とも。

「映画のタイクーン」より

また、パラマウントの制作部長B・P・シュルバーグを父に持つのちの小説家バット・シュルバーグによる「ハリウッド・メモワール」ではサルバーグについて、ハリウッドで最高の教養人の一人だとしたうえで『サルバーグは酒をたしなまず、一日二十時間働き、美人の妻ノーマ・シアラーと結婚後も一緒に住み続けた彼の母親に尽くした病弱な聖人であった』(「ハリウッド・メモワール」P307)と述べている。

あるフランスの映画人もサルバーグについて称賛している。
ピエール・ブロンベルュジェという映画人はのちにジャン・ルノワールからヌーベルバーグまでの映画製作者として名を残したが、若き日、戦前のハリウッドのMGMスタジオでサルバーグとともに、製作中の作品のラッシュフィルムを見て意見を言い合うという経験をした。

ここに山田宏一著の「わがフランス映画誌」(1990年 平凡社刊)があり、著者が1987年の第二回東京国際映画祭に来日したブロンベルジェにインタビューした記事が載っている。

ブロンベルジェは「ほぼ一年間、MGMで彼(サルバーグ)と一緒に仕事をすることができたことが、私のキャリアの真の出発点となったといってもいいでしょう。素晴らしい冒険でした。サルバーグは私にとって映画の学校でした。プロデユーサーは一つのことだけに拘らずにできるだけ広い視野を持たねばならないこと、監督が常に最後まで作品の精神を見失わずに仕事を続けていくことができるようにしてやらなければならないことを学んだのも、サルバーグとの付き合いからでした。」(同著109P)と述べたという。

ブロンベルジェの回想から浮かび上がるのは、効率と興行力のみを追求する製作者像ではなく、映画という文化の創造性をも尊重することができた、ハリウッドプロデューサーの姿だった。

ピエール・ブロンベルジェによるサルバーグについての回想が載っている「わがフランス映画誌」

サルバーグはしかし、1936年37歳の若さで肺炎で死んだ。
彼は製作者としての自分の名前を映画にクレジットしない主義だった。
今回、サルバーグがMGM時代に製作した4本を鑑賞した。

「ベン・ハー」  1925年  フレッド・ニブロ監督  MGM

サルバーグがMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーと共同制作したサイレント映画の巨編。
1907年に15分のサイレント作品で映画化され、本作が2度目の映画化。
有名なチャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」(1959年 ウイリアム・ワイラー監督)は、3度目の映画化で本作品のほとんど忠実なリメイク作品。

エルサレムに登場するメッサラ

原題は「Ben-Hur:A Tale of the Christ」。
ローマ時代のエルサレムに住むユダヤ人のベン・ハーが友人でローマ軍人のメッサラの奸計で奴隷にされ、苦辱を味わうが、やがては戦車競走でメッサラを破り、追放されていた母妹との再会を果たすというストーリーに、イエスの誕生から磔までを並行して描くもので、どちらかというとイエスの生涯の描写の方に力点が置かれているんじゃないか?と思わせるほどの作品となっている。
イエスは(かつての日本映画に於ける天皇の描写のように)顔出しはもちろんなく、腕から先しか画面に出てこないが、「誕生」「マグダラのマリアへの許し」「最後の晩餐」「ゴルゴダの丘」などの新約聖書のエピソードはテクニカラーで表現されるという力の入れようだ。

ベンハーに扮するラモン・ナヴァロ(右)

1880年に発表されたという原作をもとにしている。
宗教色が濃い内容で、キリスト教原理主義的な興味を満足させるとともに、ユダヤ人を英雄的に描くというハリウッド的主張を反映した作品となっている。

気になったのは、イエスの誕生を予言して「東方の三賢人」が供物をもって祝った、とわれわれが記憶していることが、本作では「南方の三賢人」としてアフリカからやって来る内容になっていたこと。
また、布教をするイエスを取り巻く信徒が「軍隊」(Rhegion)と表現されていたこと。
史実はどうなのか、日本人とアメリカ人の宗教感の違いから、映画はアメリカ人に迎合した内容としたのか。

キリスト教には1800年代にイギリスで設立された「救世軍(Salvation Army)」という組織がある。
アメリカ人あるいは西洋人にとって、キリスト教と「軍隊」とは親和性があるのだろうか。

ベン・ハーの性格描写も実利的で、上記のRhgion発言のほか、戦車競走に勝ち怨敵メッサラを屠った後「目的を喪失したこれからどうしよう」と悩み「そうだイエスに帰依してRhgionに参加しよう」というが、まるで実利名誉に満足した金持ちが宗教に寄付し布教にいそしもうとするように見える。
そうか、それがアメリカ人の価値観だもんな。

何より目を見張るのはそのスケール。
20年代にはD・W・グリフィスが超大作「イントレランス」を作り、実写では今に至るも空前絶後の大セットと群衆を使って戦闘シーンを再現したが、本作でもエルサレムの城壁のセットの巨大さ、戦車競走の実物大の競技場とフィールドに立つ巨象、実物大と思われる奴隷船などが用意された目を見張る大作である(これらをほとんど実写で再現した、1959年ベン・ハー」もまたすごいが)。

戦車競走の競技場

いずれにせよ正々堂々、何の迷いもない価値観の映画化は、現代の迷いに満ちてヒネくれた映画にはない、王道感と幸福感に満ちたものだった。

迫力ある戦車競走シーン

「戦艦バウンテイ号の叛乱」  1935年  フランク・ロイド監督  MGM

「ベン・ハー」でキリスト教原理主義的満足を観客にもたらしたサルバーグは、本作で権威主義的強権や非人間的な規則などに対して人間性尊重の観点からの批判を試みた。
現実世界の救いのなさをせめて映画館の中でだけでも観客に忘れさせんとするかのように。

史実に基づく映画化だという。
1800年代、西インド諸島の植民地経営のため、奴隷の食料用にパンの木の苗を、タヒチから挑発して運べ、との命令でバウンテイ号がイギリスポーツマスを出港する。

強権的で私利私欲の塊の艦長にイギリス人名優チャールズ・ロートン。
彼に反発し反乱の首謀者となる士官にひげをそったクラーク・ゲーブル。
希望に燃えて乗船するが、艦長にいじめられ抜く青年士官にフランチョット・トーンという若い男優。

嵐などの困難、士官同士の子供じみたいさかい、そして艦長による水夫たちへのサデイステックな仕打ちなどが繰り返されながら、バウンテイ号はアフリカ喜望峰を回り、インド洋を越え、太平洋のタヒチ島に到着する。

チャールズ・ロートンとクラーク・ゲーブル

タヒチでは若者たちが船をこいでバウンテイ号に殺到し、娘たちは船員を歓待する。
タヒチ島民の無垢な歓待ぶりはおそらく史実だったのだろう。

それよりも驚くのは、バウンテイ号乗組員の航海に対する執念だ。
艦長の必要以上の強権ぶりも、行き過ぎとはいえ当時の帆船による長期航海を規律あるものにし、目的を達成するための手段として見ればある意味納得できる。
映画では嵐の夜、自ら舵を握ってずぶぬれになって指揮を執る艦長の姿を描写する。
腕利きで、目的達成のためには強力なリーダーシップを発揮する艦長の姿は、のちの反乱によってボートで追放された後、仲間を叱咤激励して貴重な食料を公平に分配する姿としても描かれる。

たっぷり盛り込まれた海洋シーンはきれいごとだけではない海と公開の厳しさに満ちたものとなっている。

タヒチに着いたバウンテイ号に漕ぎ出す島民

一方、ゲーブルとトーンの両士官ら反乱組は艦長を追放しタヒチの南洋美人をパートナーとして楽園のような暮らしぶりである。
悪鬼のように復讐に再来する執念の艦長を見て、ゲーブルが逃げ出し、トーンは無実を信じ艦長に同行して帰国する。
それぞれの結果や如何。

フランチョット・トーンとタヒチの恋人

カタリナ諸島での長期ロケ。
当時珍しかったであろう南洋風俗をたっぷり盛り込んだドキュメンタルな楽しみにも満ちた作品。
島民には現地語?をしゃべらせ、ゲーブルらを現地娘をくっつかせる(ゲーブルの相手はメキシコ人女優だという)。
当時としては、差別感の少ない視野の広い作品だったのではないか。
人間性の勝利を謳う主題も製作者サルバーグの主張に沿っているものと思われる。

アカデミー作品賞を受賞した本作は、のちにハリウッド映画の1ジャンルとして定着した、南洋ものの走り?の作品で、たっぷりとロケされた南洋情緒に、悪意や差別感がなく品の良い作品となっている。

「桑港」  1936年  W・S・ヴァンダイク監督  MGM

この作品に描かれたものは製作者サルバーグの理想なのかもしれない。
人間性への共感、精神の気高さへの尊重、スペクタクルを越えて貫かれる愛。
それらが明るく、格調高いトーンで謳いあげられている。

舞台はサンフランシスコ。
歴史上の大地震がシスコを襲う1906年の新年が明けた。
西海岸の新興都市で享楽と悪がはびこるこの町の歓楽街でパラダイスという名のレヴュー付きバーのオーナーのブラッキー(クラーク・ゲイブル)のもとに火事で焼け出された歌姫メリー(ジャネット・マクドナルド)が職を乞いにやってきた。
マリーのオペラ仕込みの本格的な歌声に驚くも高給で雇い入れるブラッキー。

パラダイスにてゲーブルとジャネット・マクドナルド(右端)

ブラッキーは地元育ち。
若くして悪の道に入るが根は人間性に満ちた男。
ポーカーに負けた相手に「コーヒー代だ」と100ドル渡したり、店のお祝いには従業員全員シャンペンを奢り掃除係のおばさんも誘う。

ブラッキーには幼馴染で神父になっている親友(スペンサー・トレイシー)がいる。
一方、メリーに一目ぼれしてオペラにスカウトしようとするライバルのバーレーという町の顔役がいて最後まで二人の邪魔をする。

乱暴だが人間性に満ちた男ブラッキーが、純真な歌姫マリーに惹かれる。
マリーは己の打算や幸せ(ブラッキーへの愛)よりも魂の救いを優先する女性だった。
二人の心を見抜き、見守る神父。

マクドナルドとゲーブル

すったもんだの挙句ブラッキーのもとに戻り、黒いストッキング姿のミニスカートで舞台に出ようとするマリーを、パラダイスの楽屋で止める神父。
親友の反抗に殴って応えるブラッキーだが、マリーは楽屋を去る、本来の自分の役割に改めて気づいたかのように。

そうは言いながらも心ではブラッキーを愛しているマリーは、カフェ組合の出し物コンテストに勝手にパラダイス代表で出場し優勝する。
そこへ駆けつけたブラッキーは、マリーが去った腹いせもあり優勝トロフィーを投げ捨てる。
その時突如として起こる大地震。
ブラッキーは「マリー!」と叫ぶ。

ジャネット・マクドナルド

マリー役のジャネット・マクドナルドは、ブロードウエイのミュージカルスターからハリウッド入り。
吹き替えなしのソプラノを劇中の数々の舞台シーンで披露する。
彼女の持つ品の良さと純真さがマリーの役柄にあっている。
淀長さん解説のシネアルバム「ハリウッド黄金期の女優たち」では、『顔がきれいで、歌もソプラノですごくうまかったからね、凄い女優でした。品もあって、みごとでした』(同書P123)とある。

また終盤の大地震のシーンが大掛かり。
大火災シーンや延焼防止のための建物爆破シーンなどは精巧なミニチュアで再現。
大掛かりな地割れのシーンも再現された。
実写で被害を再現するシーンの数々は、スペクタクルとしても、ブラッキーとマリーの「再生」「再開」への序章としても生きている。

悪の道に染まった人間の救い、愛する人を魂の目覚めへ導く純な心。
それぞれをブラッキーとマリーに託して描く。
理想の高さはサルバーグの信条だろう。
理想が高すぎて、甘く、先が読めるところはこの作品の印象をぼやけさせたが。

「大地」 1937年  シドニー・フランクリン監督  MGM

映画の冒頭、アービング・サルバーグに捧げるとの文言が入る。
公開を待たずに37歳で死亡したサルバーグの遺作にして、サルバーグ映画の完成形といえる作品。

サルバーグの理想像が主役の一人、ルイーズ・ライナーの演技によってもたらされた。

1965年の日本再公開時のパンフレット

原作はパール・バック。
中国で育ったアメリカ人女性である。
彼女によるリアルな中国人の描写とともに、当時のアメリカの世論が中国寄り(ルーズベルトが親中、反日だった)だったためもあり、「大地」は、脚本化され舞台でヒットし映画化された。

ルイーゼ・ライナー

主役の中国人夫婦を演じるのは、ポール・ムニとルイーズ・ライナー。
どちらもオーストリア系のユダヤ人で、ムニは幼少期にアメリカに移住し、ライナーは現地で舞台女優として活躍ののちハリウッド入りした。
日本人から見ると西洋人が中国人を演じるのは、顔の造作、ふるまい方を見ても無理がある。
英語を喋って中国人を演じるのだからなおさら。
特にポール・ムニの大げさなジェスチャーと尖った鼻。
無理やり作った辮髪姿が似合わない。

村民を指揮するワンルン

ハリウッド映画である以上、主役は英語でしゃべらなければならないし、本作品はドキュメンタリーではない。
むしろ、ルイーズ・ライナー扮する農婦オーランの表情、体の傾け方、ふるまいに、製作陣による中国にむけての(それ以上にアジア全体に向けての)精一杯の関心と尊重を感じることができる。

ワンルンとオーランに扮した、ライナーとムニ

オーランは実家が飢餓で流浪中に売られ豪農の下女として生活していた。
劇中では奴隷(Slave)と表現されている。
貧農のワンルンといわれるがままに結婚し一家を支えて働き続ける。
口数はごく少なく、いつもうつむき加減、夫への愛情や恥ずかしさは体を傾けて表現する。
すべてを受け入れ、寛容で、感情を主張しない、アジアの女性の生き方であり、ふるまいである。

オーランはまた耐えるだけではなく肝心な時には体を張って主張もする。
彼女によって飢餓にあっても農民の命である土地は残り、都市部へ出稼ぎに出て命をつなぐことができた。

映画の製作陣(サルバーグと監督のフランクリン)は、演技者として力のあるルーズ・ライナーに、メイクを施し、この映画の製作意図を伝えて、西洋人としてはこれ以上ないほどの中国人農婦オーランを作り出した。

オーランに扮するライナーと子供たち

雹が降り出す嵐の中の麦の刈り入れ、辛亥革命間近の都市部での暴動と鎮圧、ラストのイナゴの襲来と闘う人々。
これらのスペクタクルシーンは群衆の数、舞台の広大さなどによって迫力あるシーンになっている。
映画の終盤にスペクタクルシーンを加えてドラマの転換点とするのもサルバーグ流か。

農婦オーランの生涯はまさに大地そのものだ、という本作の主題がルイーズ・ライナーの演技によって見事に現れていた点を称賛したい。

  

DVD名画劇場 ハリウッドカップルズ③ マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエル

「ザッツ・エンターテインメント」というMGM映画の過去の名場面を集めたアンソロジィーがヒットしたのが1974年。
MGM映画50周年を記念しての作品で、当時の「キネマ旬報」(なぜか分厚い号だった)でも表紙を飾る話題でもあった。

山小舎おじさんなどの世代にとっては、同作品中の「雨に唄えば」や「世紀の女王」でのジーン・ケリーの踊りやエスター・ウイリアムズと美女スイマー達のプールを使ったレヴュー場面の、しつこい踊りだったり大掛かりなセットは初見参で大いに目を見張ったものだった。
何より場面場面が持つ、ぜいたくさ、明るさ、世界の不変を信じ込んだような楽天性が楽しかった。
同作に登場する作品のオリジナルを見ようとすればテレビ放送を待つしかなかった時代でもあった。

私は実は「ザッツ・エンターテインメント」を見てはいない。
見てはいなくても、テレビなどで紹介された名場面や「キネマ旬報」掲載のグラビアを見るだけで、今でも記憶に残るほどで、また未知の映画の世界が広がるようだった。

「ザッツ・エンターテインメント」パブリシテイ

「ザッツ・エンターテインメント」はフレッド・アステア、ミッキー・ルーニーらをプレゼンターとして起用し、歴史上の数々のMGM作品を紹介したのだが、その中で誰が歌ったのか、MGMのスターたちを順に紹介する曲があった。
ラジオで聞いたのだろう、その一節が今でも耳に残っている。
『ローデイ・マクドォール、マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエル・・・』という一節で、軽快なメロデイに乗って名前が紹介されていた。

歌に登場するロデイ・マクドウオールは「名犬ラッシー・家路」の子役だった人。
エリザベス・テイラー扮する令嬢に譲られたラッシーを心配する少年を演じていた。
彼は長じてからも役者を続けたが次第に役が付かなくなり、「クレオパトラ」撮影に当たり子役時代から親しかったエリザベス・テイラーが呼んでくれたという(エリザベス・テーラーの当時の権力や恐るべし)。

そしてマーナ・ロイとウイリアム・パウエルは、「影なき男」シリーズで名コンビの夫婦を演じて当たり役としたハリウッドカップルだった。
「ザッツ・エンターテインメント」できっちり紹介されているあたり、このコンビがMGMのドル箱だったことがわかる。

ここで、例によって1998年キネマ旬報社刊「ハリウッド・カップルズ」の一項「スクリーンのなかで暮らす夢の夫婦 マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエル」を紐解いてみる。

同書によると、マーナとパウエルの共演作は14本あるという。
このうち「影なき男」シリーズは6本。
シリーズのヒットにより『パウエルはMGMと長期契約を結び、マーナはヴァンプ女優のイメージを拭い去り、ハリウッドきっての〈完全なる妻〉といわれるようになっていく。』(「ハリウッド・カップルズ」P128より)

1998年キネマ旬報社刊「ハリウッドカップルズ」
同著、マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエルの項

またマーナ・ロイについては我が淀長さんが、芳賀書店刊の「シネアルバム71 ハリウッド黄金期の女優たち」で、『だけどはじめはエキゾチックな裸が売り物の女優だったんだからね。そういうわけで、おもしろい人ですね。いいよね、マーナ・ロイっていう女優。ほんとにいい女優さんです。天下一品の奥様女優。いかにもアメリカ的なね。』(同書P108)と評している。

マーナ・ロイ
中国娘を演じる若き日のマーナ
「映画の友」1950年2月号の表紙を飾ったマーナ・ロイ

マーナ・ロイにとって(ウイリアム・パウエルにとっても)映画史上の評価は定まっている、そのきっかけとなったのが「影なき男」だった。

「影なき男」 1934年  W・S・ヴァンダイク監督  MGM

「影なき男」封切り時の日本版ポスター

記念すべきシリーズ第一作。

監督のヴァンダイクは当時のMGMのエース監督の一人。
原作は戦前から50年代にかけて、ハリウッドに集まって映画の原作や脚本を書いていた小説家たち(スコット・フィッツジェラルド、グレアム・グリーン、レイモンド・チャンドラーら)の一人ダシール・ハメット。

主役のウイリアム・パウエルはブロードウエイからハリウッド入りした芸達者。
20年代後半に演じた私立探偵役に定評があり、MGMのボス、ルイス・B・メイヤーは、本作での起用には賛成だった、がマーナ・ロイをパウエルの妻役に起用するのに反対だったという。

それまでの中国人役やヴァンプ役ばかりの彼女のキャリアからして、無理もなかったが、監督のヴァンダイクが強固にマーナの起用を主張し、三週間以内に撮影を終了するという条件でメイヤーのOKが出たという。
彼女は監督の起用に応え、名(迷)探偵ニックの妻ノラを好演、夫婦役の二人の息もぴったりで作品をヒットさせるとともに、自身の新たなキャラクターを開拓した。

名コンビ、ニックとノラ

この作品、ストーリーを引っ張る主役はあくまでニック探偵で、妻のノラはシルクのナイトガウンや大胆な柄のサマードレス、大きく背中の空いたイブニングドレスに身を包んで彩を添えながら、事件となるやニック探偵に付きまとい、首を突っ込みたがりつつ、ちょっと夫の邪魔をしながら結局は力になる程度の存在・・・

が当初の設定だったのだろう。
が、この作品が描き出したものは、謎解きだけではなく、探偵夫婦の生き生きとした愛情や、ちょっとした互いへのからかいなど、ほほえましくもくすぐったい関係が大きなウエイトを占めていた。
ニックの突っ込みにふくれっ面で返したり、夫の指示を無視して事件に首を突っ込みたがる妻をかわいらしく演じるノラの存在が重要だった。
ノラを演じたマーナ・ロイの魅力が作品を膨らませた。

ニックは退屈のあまり部屋で空気銃を撃つ。心配するノラ

常にアルコールをたしなみながら、妻をからかい、愛し、うっちゃりながら軽やかに身をこなす芸達者なウイリアム・パウエルは、詐欺師のようにも大道芸人のように見え、つまりは古典的芸人の顔とふるまいが身に着いた役者ぶりで、調子よく事件を解決してゆく。
事件の周りの人物は、作品の性格上マイルドに味付けされてはいるが、浮気妻やマザコン息子、牛乳メガネの精神科医など怪しい人物ばかり。
唯一まともな若い女を「ターザンシリーズ」のジェーン役のモーリン・オサリバンが演じている。

ニックが最愛のウイスキーをかける真似。夫婦の戯れのワンシーン

原題は「The Thin Man」。
直訳すると「薄い男」「軽い男」だが・・・。
日本映画で流行っている「シン(ゴジラななど)」とはなにか関係あるのだろうか?

「夕陽特急」  1936年  W・S・ヴァンダイク監督  MGM

シリーズ第二弾。
話も前作の「影なき男」から続いている。

「夕陽特急」オリジナルポスター

休暇先のニューヨーク(第一作の舞台)からサンセットエキスプレスでサンフランシスコに帰ってきた、ニックとノラ、愛犬アスタ(テリア種)も一緒。

地元に帰ったとたん人気者のニックは歓迎を受ける。
かつて事件を解決しニックが監獄に送ることになったっ元犯人は、逆恨みするどころか親し気に寄ってくる。
怪しい人たちや庶民により人気があるのがニック。
内心は感心しないと思いながらも悠然と構える妻ノラが控えているのがこの夫婦らしいところ。

怪しげな中華レストランにて、オーナーをおちょくるニック

留守中に愛犬アスタの連れ合いに子犬が産まれており、よその犬が夜這いに通っていたなどのエピソード。
自宅に帰ってくるなり、知らない人達が自宅でパーテイしているところに出くして台所に対比するニックとノラ。

事件の舞台になる怪しげな中華レストラン・ライチの怪しげなオーナーと蓮っ葉な歌姫のショー。
若き日のジェームス・スチュアートはすでにスターで、クレジットは主役二人に次ぐ三番目、重要なわき役を務める

愛犬アスタが先頭になって事件解決!

あらゆるユーモアと欲望渦巻く世の中を、常にアルコールを求めながらすいすいと泳いでゆくニック探偵。
妻ノラとの仲は常によく、ふいに顔が近づけばニックがノラにキス、好奇心旺盛なノラが事件解決の邪魔になれば叫ぶ妻を閉じ込め鍵をかけるニック(いつの間にか出てきて事件解決に協力しているのがノラのノラたる所以)。

1936年という戦前の微妙な時期にこういったある意味ノー天気な作品を作る所はアメリカの「大国」たるゆえんか。アメリカ風の雰囲気に疑いを持たずに自信たっぷりに描いている。

監督のヴァンダイクは、探偵映画でもスリラーでもなく、健全でちょっと色っぽくかわいい夫婦の機微の描写に重点を置いていてそれがこのシリーズの成功の要因。
良くも悪くも古き良きアメリカの時代がここにある。
主演二人にとっては代表作ともいえる適役ぶり。

DVD版の解説より

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 村山新治監督と「夜の青春」シリーズ

ラピュタ阿佐ヶ谷の「OIZUMI東映現代劇の潮流」特集も佳境に入ってきた。
いよいよ梅宮辰夫の「夜の青春シリーズ」の登場だ。

それもシリーズ初期の名匠関川英夫監督による「ひも」「ダニ」「かも」などの有名作品ではなく、シリーズ第6作の「夜の牝犬」、第7作「赤い夜光虫」、第8作(最終作)「夜の手配師」が上映された。
監督は村山新治である。

村山新治は前回紹介したように記録映画出身で、戦前の大泉映画に入社したのち、東映大泉で監督昇進し「警視庁物語」シリーズ(1957年~)で名を上げた監督。
60年代に入ってからは、ギャングもの、文芸もののほか、夜の青春シリーズなども手掛けた。

村山新治監督が所属する東映大泉撮影所では1960年代に入り、梅宮辰夫や緑魔子などを主演にした風俗映画路線にかじを切り、「二匹の牝犬」(1963年 渡辺祐介監督)や「ひも」(1965年 関川英雄監督)などの作品が生まれヒットした。

「二匹の牝犬」は新東宝出身の渡辺監督が持ち前の斬新な感覚で都会の底辺に生きる若い姉妹を描いた力作で、演技力のある小川真由美と新人緑魔子の共演もあり注目された。

「ひも」は青春スター候補だった梅宮辰夫を本来のスケコマシキャラに目覚めさせ、のちの「夜の歌謡シリーズ」、「不良番長シリーズ」、「帝王シリーズ」へのきっかけとなる記念すべき第一作だった。
「ひも」のほか「ダニ」(1965年)、「かも」(1965年)を撮った関川英雄は、戦前にPCLに黒澤明と同期入社の人で、東宝争議の後レッド・パージで退社するが、独立プロで「きけわだつみの声」(1950年)、「ひろしま」(1953年)などを製作し気を吐いた筋金入りの名匠だった。

渡辺祐介や関川英雄といった気鋭の監督や名匠が手掛け、内容の良さからヒットしたシリーズものを、そのあとで引き受けたのが村山新治監督だった。

1978年戦後日本映画研究会刊「日本映画戦後黄金時代8東映の監督」より村山新治の紹介ページ
同上

「夜の牝犬」  1966年  村山新治監督  東映

タイトルバックは上野駅の実写風景。
線路が駅構内で行き止まりになっている、いわゆるターミナル型の上野駅と、行きかう人々の混雑ぶりが時代を感じさせる。

ラピュタのロビーに掲示されていたオリジナルポスター

界隈のゲイバーの売れっ子・シゲル(梅宮辰夫)。
シゲルはビジネスおかまで、料亭の女将(角梨枝子)の若いツバメだ。
かつて上野でコマして夜の世界に引きずり込み、今は別のバーのマダムになっている(緑魔子)とは、体だけの腐れ縁が継続中。

ある日上野駅で女衒のばあさん(浦辺粂子)に騙されそうになっていた青森出身の少女(大原麗子)を横取りしたシゲルは、少女があまりの天然ぶりで買い手がつかないためやむなく部屋に住まわせる。

プレスシートの解説文

この作品の本当の主役こそが田舎少女を演じる大原麗子。
ノーメイク(のようなメイク)で青森弁をしゃべる「不思議少女」。

肝心な時には放心したような表情で自分の世界に閉じこもり、何を考えているのかわからない。
金のみに生きる夜の住人の世界に紛れ込んだアンチテーゼにして、彼らが失った真心や清純さの象徴でもある「不思議ちゃん」だ。

「不思議ちゃん」大原は梅宮にコマされた後も彼の身の回りの世話に明け暮れる。
そして娘心のひたむきさなどには一切関心のない梅宮が、最後に「真心」を裏切った報いを受けることになる。

ジャズ界の雄といわれた山羊正生作曲のバロック風の旋律が、「不思議ちゃん」の無心な動きを純化するように流れる。

「飢餓海峡」(1964年 内田吐夢監督)のカメラマン仲沢半次郎の撮影は、街頭ロケを多用し、都会の雑踏を泳ぐようにさ迷う若い出演者たちを捉える。

「赤線地帯」(1958年 溝口健二監督)のシナリオライター成沢昌成の脚本は、モノローグを多用して、ビジネストークとは真反対な夜の住人の本音をあぶりだす。

ラピュタの特集パンフより。おかまメイクの梅宮と料亭女将役の角梨枝子。

梅宮がツバメとなり、養子に潜り込もうと狙いを定めた料亭女将役の熟女美人が目を引いた。
誰かと思って調べたら松竹出身の角梨枝子という女優さん。
文芸春秋刊の「キネマの美女」にでも紹介されていた正統派美人女優でした。

ほかにも浦辺粂子、沢村貞子、北条きく子など、個性派、実力派がわき役に揃うこの作品。
1960年代の邦画の配役は、すでに5社協定など有名無実、フリーとなった俳優・女優も多く、多彩な芸達者たちの元気な姿が見られる。
東映に定着していた緑魔子は、表の主役梅宮辰夫とともに多彩なゲストスターを迎え撃つ、いわば「夜の青春シリーズのホステス役」に落ち着いていた。

1999年文芸春秋社刊「キネマの美女」より。料亭女将役:角梨枝子の若き姿

「赤い夜光虫」  1966年  村山新治監督  東映

大坂の盛り場を歩く梅宮辰夫を追うカメラがとあるバーへ入ってゆく。
レズビアンバーのけだるい雰囲気の中をさ迷い舐めるタイトルバック。
夜の青春シリーズ第7作「赤い夜光虫」のしゃれた導入場面だ。

オリジナルポスター

脚本:成沢昌成、撮影:仲沢半次郎、音楽:八木正生は前作同様のスタッフ。
低予算の添え物作品ながら腕利きのメンバーがそろった。
脚本の成沢は溝口健二に弟子入りし、女の世界をみっちり仕込まれ、関西にも詳しい。
撮影の仲沢は「警視庁物語シリーズ」で村山新治監督と組んでいたベテラン。

配役は梅宮辰夫と緑魔子のホストコンビを狂言回しに、前作「夜の牝犬」で印象的だった大原麗子を起用。
新人大谷隼人、クレジットに(東宝)と書かれた田崎潤の名もある。
そして本作に宝塚風にして成沢脚本味の「花」を添えるのは、東映ニューフェイス上がりの北原しげみと新井茂子。

プレスシート
プレスシートの解説文

今回の舞台は大阪のレズバー。
梅宮も緑魔子も関西弁のセリフ回しという新趣向。

ホステス役の北原しげみと新井茂子は短髪、男装の宝塚ルックで登場。
シャツの下にはさらしを撒いて胸を押さえている。

二人ともビジネスレズの設定で、それぞれパパ活(相手は田崎潤)したり、ヒモ(新人大谷隼人)がいたりするのは、人物描写の裏と表を押さえた成沢脚本の定石。

パパ活の現場の旅館で浴衣姿となり、しっぽり、さっぱりとした大人の女性の魅力をみせる北原しげみ。
場末の職人の住居の2階にヒモと間借りし、普段はヒモと怠惰に同衾する新井茂子の、下町娘のような庶民的で肉感的なふるまいも成沢脚本の味か。

虚と実、嘘とまことが入り混じった夜の世界で、真正レズとして「裏表がない」役柄を演じるのは、かつて父親から犯され男性を拒否するバーのママの緑魔子。

屋敷に住まい、忌まわしい過去に心を閉ざす役だが、病的な心理の演技は緑魔子には似合わない。
屋敷のアトリエでルパシカを着て絵筆を握る場面があったが、緑魔子では緊迫感がない。
人情ではなく、異常な精神状態を描くのは成沢脚本は向いていないのだろう、作品の本筋ではないし。
緑魔子としても夜の青春シリーズの卒業の頃なのかもしれない。

前作で思いのほか印象的だった大原麗子が引き続き抜擢され、地に近い金持ちのドラ娘を演じている。
明るく物おじしないで、レズバーに出没し、男を漁る。
その正体は田崎潤から放任されたドラ娘だが、本心は親から親身に構ってほしい娘ごころの持ち主というもの。

大原の若さ、明るさ、奔放さ、下品さ、不良性感度は東映によく似合う。
彼女の登場は東映のヌーベルバーグだったのかもしれない、と一瞬だが感じさせた

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

梅宮と緑魔子がすっかりシリーズのホストと化し、梅宮に至ってはコメデイアンめいてきており、シリーズの終焉間近を感じさせる。
大原麗子や谷隼人の重用は、来るべき「不老番長シリーズ」の到来を予告しているかのようだ。
夜の青春シリーズは次回作を最終作とする。

なお、ラピュタ阿佐ヶ谷で本作上映時に私的に伊藤俊也監督が来館しており、終映後5分ほど挨拶を行った。

・本特集36本中、9本ほど伊藤氏が助監督(「懲役十八年仮出獄」1967年降旗康男監督にみファースト助監督)でつ  いたこと。
・本作(「赤い夜光虫」)ではセカンド助監であったこと。
・「荒野の渡世人」(1968年 佐藤純也監督)では予告編を撮ったこと。
・当時の東映大泉撮影所は低予算作品が多かったが、伊藤氏にとっての青春時代だったことなどを話していた。

1937年生まれの伊藤監督は、茅野市の蓼科高原映画祭で審査委員長を務めるなど旺盛な活動意欲を示す。
階段の上り下りなど若干不自由そうだが杖を使わず、またラピュタのスタッフにも愛されているようだった。

「夜の手配師」  1968年  村山新治監督  東映

シリーズ前作から2年たっての第8弾。
夜の青春シリーズの最終作。

2年たったからなのか、梅宮辰夫とコンビを組んでいた緑魔子は去り、シリーズ第6作と7作で勢いを見せた大原麗子の姿もない。
脚本は下飯坂菊馬に代わり、撮影の仲沢半次郎、音楽の八木正生は変わらず。
助監督は山口和彦。

オリジナルポスター

いろんな意味でシリーズ最終作を予感させる作品。
まず、夜の住人梅宮のキャラに新味がなく、相変わらずの口八丁手八丁のいい加減なキャラ。

見た目は派手だが、貧乏暮らしも相変わらず。
愛人は生活感のにじみ出たホステス(白木マリ)で、彼女と組んで店で見せ金を切ってはほかのホステスを誘惑するという、見せ金詐欺の稼業。

梅宮の生きがいが貯金300万を目指して、柄にもなく純愛をささげる飲み屋の看板娘(城野ゆき)と結婚して店を持つこと。

その梅宮に銀座のマダム(稲垣美穂子)が絡む。
日活で数々出演し、当時30歳の稲垣美穂子の貫禄ある美貌が冴える。

マダムは昔の仕打ちが忘れられず、仕打ちを受けた白木マリを潰すためには手段を選ばない。
梅宮は金のためなら白木を裏切ろうとなにしようと、マダムのためにこそこそと動き回ってはホステスに声をかける。

梅宮に声をかけられるホステス達に真理明美と真理アンヌ。
二人とも演技が下手で魅力に乏しい。
真理アンヌが「殺しの烙印」に出演し強い印象を残したのが1967年、「夜の手配師」の前年のことだったが。

プレスシート

下飯坂の脚本は無理のないストーリーテリング。
伏線はきっちり回収され、意味不明のキャラクターも出てこない。

当時の全共闘のデモがテレビに出て来たり、デモ帰りの学生たちを居酒屋に出させるなど世相をとリ入れることも忘れない。
無学の梅宮が学生たちに反発するなど、当時の世相に梅宮のみじめさを逆照射させてもいる。
看板娘の彼女が無邪気に学生デモに憧れるなど、梅宮と彼女の行き違いの伏線を張ったりもしている。

何とか金を作り、店を手に入れた梅宮の前に、心変わりした彼女と新しい男(南原宏治)と現れる。
南原はかつての梅宮のアニキで、親分の女に手を出した梅宮をリンチし、追放した因縁の相手。
ルンペンのような姿で梅宮の前に現れ、彼女のいる飲み屋に居つくようになったダニのような男だった。

このダニに彼女と買ったばかりの店を奪われた梅宮。
梅宮は彼女にだけは手出しせず、柄にもなくお姫様を扱うように純愛をささげていたにもかかわらず。

銀座マダムにいい顔をし、パトロンの無理難題に右往左往してきたものすべて純愛をささげた彼女との夢をかなえるため。
自業自得とはいえ、身から出た錆にどんでん返しを食らう夜の手配師人生のおそまつな一幕。

プレスシート解説文

綱渡りのいい加減な夜の男を一生懸命演ずる梅宮がだんだんコミカルに見えてくる。
梅宮のダメ男加減が、まるで寅さんのような愛すべき男に見えてくるのであれば、夜の青春シリーズも終わりだ。

映画のエピローグ。
よりを戻した梅宮と白木がお馴染みの金見せ詐欺稼業に舞い戻る。
銀座ではなく、新宿の場末のキャバレーで御世辞にも美しくないホステスたちを前にして。

寅さんが新年の青空の元、地方の神社の境内でタンカ売をする「男はつらいよ」お馴染みのエピローグシーンを思い出させる。

寅さんがいくらだめな男でも、頭上にはおてんとうさまがいたのとは対照的に、夜のダメ男・梅宮には濁った空気の場末のホステスたちの下卑た嬌声が付きまとっているのが根本的に違うのだが。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフレットより

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 渡辺祐介監督の大泉時代

ラピュタ阿佐ヶ谷で行われている東映大泉の現代劇特集では、渡辺祐介、村山新治両監督作品をはじめとしたプログラムピクチャーの数々に接することができた。
特に渡辺祐介監督は緑魔子デヴュー作「二匹の牝犬」をはじめとして5本の作品を見ることができた。
いずれの作品も渡辺監督のカラーがあふれる、意欲的なものだった。

手許に「日本映画戦後黄金時代 第13巻 新東宝の監督」というグラフ誌?がある。
戦後日本映画研究会というところが1978年に編集したもので、スチール写真で構成された冊子である。
この号でデヴュー当時の渡辺監督が紹介されている。

「意欲的な新人」と題して、渡辺監督の簡単な経歴を紹介し、新東宝時代の作品スチールとともに載っている。
紹介文には、『60年「少女妻・恐るべき十六才」(新東宝)でデヴュー、清新な演出が話題を呼んだ。翌年、東映に移り、緑魔子主演の悪女もので注目される。その後、松竹でドリフターズの全員集合シリーズを一手に引き受け、喜劇的才能を発揮した』とある。

「日本映画戦後黄金時代13新東宝の監督」より。新東宝時代の渡辺監督

また、同誌巻末の「解説」には、シナリオライターで日本映画に詳しい桂千穂による「まさにプロフェッショナル渡辺祐介」という小タイトルでの記事がある。
ここで桂千穂は、渡辺が助監督時代に、軽妙でナンセンスな喜劇の脚本に才能を発揮していたこと、監督昇進後はデヴュー作の好評を受け、新東宝解散までに喜劇作品を立て続けに撮ったこと、特に「ピンクの超特急」(1961年)は渡辺監督の初期の代表作だ、と述べている。

「日本映画戦後黄金時代13新東宝の監督」より、桂千穂による解説

この度のラピュタでの特集では、東映に移った後の渡辺作品、「恐喝」(1963年)、「暗黒街仁義」(1965年)、「あばずれ「(1966年)を見ることができたので以下に紹介してみたい。
(「二匹の牝犬」「牝」については本ブログにて紹介済み)

「恐喝」  1963年  渡辺祐介監督  東映

1963年の高倉健が精一杯若いギャングを演じる。
60年代後半以降のストイックな任侠道に呪縛される前の高倉健は、軟派なほど自由闊達で女にちょっかいを出し、金に目がないギャングが似合う。
ギャングといっても、貧乏からの脱出手段としてその道に進んだだけの、しがない地元やくざの下っ端だ。

幼馴染の安井昌二は夜学を出て社会福祉協議会に務め、地元の貧民街のために自転車で駆けずり回っている。

地元のマドンナ(三田佳子)は工場主・加藤嘉の娘。
22歳の三田は汗にまみれながら働く零細工場の娘を若さで好演。
かつて不良の高倉に犯されたが、いまは安井の婚約者という設定。

やくざ業界に馴染めない高倉が、一丁こましたろうと手形サルベージのシノギをごまかして、利益誘導したのがばれ、組に追われ地元に逃げてくる。

真面目だが貧困の安井とマドンナは、やくざな高倉に反発する。
マドンナは実はまだ高倉に惹かれてもいる。
高倉は貧困から脱出する才覚もない地元民に歯がゆい思いをし、罵倒する。
が、貧困そのものの地元が彼の心の故郷でもある。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

1963年の渡辺祐介監督はデヴュー3年目。
東映に移り、大泉撮影所製作の添え物用モノクロ作品で、貧困の絶望感とそれでも地道に生きることの大切さを描いた。
若き高倉健と三田佳子を使って。

下町の貧民街の丁寧な描写。
街の零細な工場からの内職に頼り、生活保護でかつかつに生きる人々。
そんな貧困が嫌で、どんな手段を使っても一旗揚げようと、やくざな道に飛び込んだ高倉。
一方は、地道に人々を助けようと献身する安井。

高倉と安井の幼馴染の心の根底は一緒。
素直になれない高倉がヤバイ金を、倒産しそうな加藤喜の工場のために安井に託すが、安井からは叩き返される。
地元の人々は追いつめられた高倉から目を背ける。
組に追いつめられる高倉。
『ズバッ、ドスッ』という刀の効果音をあえて使わない、無音のままでの斬りあいシーンは、ライテイングを押さえた暗黒の中で描かれる。
痛そうで、冷たくて、見放されたやくざの末路の渡辺演出だ。

作品のプレスシート

喜劇の才能で知られる渡辺監督の若き日の力作。
背景には階級闘争があり、持たざる者への眼差しがあり、アウトローへの突き放した視線があった。

「暗黒街仁義」  1965年  渡辺祐介監督  東映

渡辺監督の数少ない本編(2本立てのメイン)で、鶴田浩二主演のカラー作品。
共演に丹波哲郎、天知茂の新東宝勢、アイ・ジョージ、南田洋子、内田良平の外様組、渡辺監督子飼いの緑魔子も出演。
キャステイングに監督の意向が大いに反映されているところが異色といえば異色。
脚本は笠原和夫と共同。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

客を呼ばなければいけない本編作品とはいえ、ゴルフ焼けした鶴田がアメリカ帰りの「ビジネス」を連呼するようなお笑いにしか見えないやくざを気持ちよさそうに演じるだけの前半はいただけない。

ゴルフ場開発の利権に群がるアメリカと日本のやくざ。
アメリカやくざの代理人として15年ぶりに帰ってきた鶴田やくざが、かつての兄弟分(丹波)や恋人(南田)との間で揺れ動き、あげくアメリカに裏切られ、力づくの決着を迎える。

作品のプレスシート

鶴田はしきりと「ビジネス」を連発し、クールでドライな取引の世界を強調するが、一方で15年前にどっぷりつかっていた日本やくざの義理人情の湿った世界に片足を突っ込んでいて、脱しきれない。

日本やくざの丹波の行動もたいがいだ。
手段を選ばず利権に突っ込み、鶴田の女を奪った挙句、鶴田には義理を強要する丹波。
この辺は「博奕打ち・総長賭博」(1968年)から「仁義なき戦い」(1973年)に至るまで、義理人情の世界の嘘くささを糾弾してゆく笠原和夫脚本のテイストか。

全く鶴田に似つかわしくないアメリカかぶれの日本やくざの所作と古めかし兄弟分、恋人とのじめじめした関係性。まったく渡辺監督らしくない展開。
丹波も南田も天知も、ついでにアイ・ジョージも全く活きていない。

これは、鶴田の鶴田による鶴田のための映画だったのか。
最後にボロボロになって死んでゆくシーンも鶴田の希望通り、というほかに言うべき言葉はないのかもしれない。

「あばずれ」 1966年  渡辺祐介監督  東映

併映用のモノクロ作品。
主演はデヴュー作以来渡辺とは信頼関係で結ばれている緑魔子。
助監督に降籏康雄。
共同脚本、神波史男。
併映用の小品ながら、自由に自分の世界を描き切った渡辺監督の佳編。

オリジナルポスター

川口のベッドハウスに暮らす親子。
妻に逃げられたニコヨン暮らしの父と、肥満児の弟の面倒を見て暮らす工場勤めのユキ(緑魔子)を巡る、寓話のような、でも現実味も帯びた少女の成長譚。

壁もなく二段ベッドが並び、小上がりのような座敷があるだけのベッドハウス。
秋田の後生掛温泉にあった自炊棟を思い出す空間。
トイレ、炊事場は共有、風呂は銭湯。
ユキはベッドハウスのアイドルのように愛想よくクルクル動く。

ある日、洗濯を終えて荒川の土手で寝転んでいると弟が駆け寄ってきて、親父に女ができて腹には子がいると告げる。
甲斐性なしの親父のふるまいに絶望したユキはハウスを飛び出す。
御爺ちゃん(大坂志郎)に聞いていたサーカスの一員になろうと埼玉県内を探し回り、ある一座に潜り込む。

一座の座長(志村喬)とおかみさん(浪速千恵子)。
どうせ続きっこないと、体よく追い出されるが、食らいつくユキ。

ユキを食い物にせんと近づくブランコのスター・哲次(待田京介)のいやらしさ。
一方、ユキにはつらく当たるが、実は相思相愛でブランコの手ほどきをしてくれる三郎(山本豊三)がいる。
厳しいがやりがいがあり、家族のような温かさがあるサーカスでの生活がユキを育てる。

とはいえ、名もなきゴミのような庶民であるユキや三郎に現実は無慈悲だった。
哲次に犯され、せっかく三郎と磨き上げた空中ブランコを披露することもなくサーカスを去るユキ。

三郎もユキを犯した哲次に切りつけ日陰の道に。
三郎を探し回るユキ。
日陰者としてユキを避ける三郎だったが心は嘘をつけない。
愛を再確認して結ばれる二人。
そこへやくざ仲間の追手がやってきて三郎に切りつける。

ベッドハウスを家出してからのユキの世界は、目まぐるしくも痛々しいが、悲惨さばかりが印象に残らない。
そこはかとなく醸し出されるユーモアと人間味は、渡辺監督と緑魔子の持ち味。

また、虚構か現実か、ワンダーランドをさ迷うかのようなユキを俯瞰で眺める温かみのある目線は渡辺監督のもの。
監督に応えるかのように、精一杯ユキに取り組む緑魔子の真面目さと初々しさもいい。

若き緑魔子のレオタード姿が頻繁に登場する。
スタイルがいい。

魔子のレオタードのストッキングを破っての暴行未遂の末、入浴中の魔子を襲い暴行を完遂させる哲次こと待田京介の禍々しさ。
魔子と相思相愛ながら運命に翻弄され不幸に沈む三郎こと山本豊三の哀しさ。
団長こと志村喬と奥さんこと浪速千恵子の現実を経験しきった人間のもつ温かみとやさしさ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

どんな素材でもそれなりにこなす渡辺監督が、子飼いの緑魔子を主演に迎えて、社会の底辺でけなげに生きる若者像をリリカルに描いた佳編。

少女の旅立ちというテーマでは日活に「非行少女」(1963年 浦山桐郎監督)、東宝に「あこがれ」(1966年 恩地日出夫監督)といった作品があった。
他社作品に比べると「あばずれ」は、俗っぽくて色っぽい東映らしい作品だが、少女に対する視線はあくまでもやさしかった。

ユキこと緑魔子は「道」(1954年 フェデリコ・フェリーニ監督)のジェルソミーナの日本版なのかもしれない。
ジェルソミーナは捨てられて修道院で死んだが、我らが緑魔子は生き残ってベッドハウスに帰った後、おじいちゃんの焼き芋屋をついで元気に働くのだ。

緑魔子と並び渡辺組女優陣の一方の雄、若水ヤエ子はサーカスを宣伝するチンドン屋として一場面だけ登場。
ピエロのメイクでチラシを配る初心者のユキに盛んにダメ出しをする姿が可笑しい。

1999年文芸春秋社刊「キネマの美女」61ページより

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 緑魔子の「おんな番外地」シリーズ

ラピュタ阿佐ヶ谷で上映中の「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集で、緑魔子が1965年から66年にかけて主演した「おんな番外地」シリーズ全3作品中の2作品が上映されたので駆け付けた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙

上映されたのは、シリーズ1作目の「おんな番外地・鎖の牝犬」(1965年 村山新治監督)と、2作目の「続おんな番外地」(1966年 小西通雄監督)の2本。
緑魔子が「二匹の牝犬」(1964年 渡辺祐介監督)でデヴューしてからわずか2年間の間に、東映で出演作を連発していた頃の、デヴュー以来十数本目の出演作である。

緑魔子は、モノクロの併映作品でのはあるが主役での起用が続いた。
出演作品のポスターやプレスシートには、今では死語の「魔子ムード」なる言葉が踊っている。
「おんな番外地」シリーズでは、キャストクレジットに単独トップで登場、堂々の一枚看板である。

「おんな番外地」シリーズの監督は村山新治と小西通雄。

村山は1922年、長野県の屋代町出身。
芸術映画社というところで記録映画に携わり、1950年に東映大泉撮影所の前身の大泉映画に入社。
東映発足後は今井正などの助監督に付き、1957「警視庁物語 上野発五時三十五分発」で劇映画監督デヴュー。
以降「警視庁物語」シリーズなどで記録映画的手法により一つの世界を作り上げた。

小西は1930年岡山生まれ。
1954年東映入社、大泉撮影所に配属、1期上に深作欣二。
1962年「東京丸の内」で監督昇進。
「警視庁物語」や「おんな番外地」などのシリーズものを手掛ける。
その後はテレビに活動の主軸を移す。

村山と小西は東映大泉の監督として、主に併映用の現代劇を撮り続けた。
当時の東映は、京都撮影所で製作される時代劇をメインとし、モノクロの現代劇との2本立てで番組を編成。
時代劇スターの人気などにより、邦画会社中トップの観客動員を誇っていた。
一時は第二東映という別系統での作品配給も行ったほどで、そのために製作本数も倍増し、製作現場は多忙を極めた。

そのことは必ずしも粗製乱造の結果とならず、むしろ製作現場に活力を生み、数々のプログラムピクチャーの傑作を生みだしたともいえる。
量産体制は新人監督のデヴューを促し、とくに大泉撮影所製作の現代劇では、小予算の個性的作品が相次いだ。
その担い手が「警視庁物語」の村山新治であり、小林恒夫、飯塚増一、島津昇一、深作欣二、佐藤純也らである。
他社から移籍してきた関川秀雄、家城巳代治、瀬川昌治、石井輝男、渡辺祐介らの活躍もこの時期ならではのことだった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の「OIZUMI特集」では、東映の量産時代の副産物ともいえる、個性あふれる現代劇の世界に触れることができた。

「おんな番外地・鎖の牝犬」  1965年  村山新治監督  東映

緑魔子のアップの写真に「魔子ムード」のキャッチコピーが踊るオリジナルポスター。

「二匹の牝犬」でデヴューし、梅宮辰夫の「夜の青春」シリーズなどの出演が続いていた緑魔子が、モノクロの併映用作品ながら堂々の一枚看板で主役を張る「おんな番外地」シリーズの第一作だ。

「魔子ムード」のキャッチコピーが踊るオリジナルポスター

舞台は女子刑務所。
だました男(梅宮辰夫)を刺し殺し8年の刑で入獄する主人公(緑魔子)。

囚人に理解がある部長(荒木道子)と無表情でサデステックな担当刑務官(中北千枝子)が待ち受ける刑務所。
雑居胞仲間には、ベテランスリの若水ヤエ子を中心に、刑務所が養老院代わりの浦部灸子、売春あっせんで捕まった清川玉枝、顔にあざがあり小児まひが残る終身犯の原知佐子、売春犯の春川ますみ、らが揃う。

それぞれ癖が強烈で、つまりは「芝居がうまい」女囚役の中に入ると、若い緑魔子は育ちのいいお嬢様にみえる(実際そうなのだろう)のが、おかしいやら楽しいやら。

女囚役でも地でやっているようにみえる、浦部、清川、若水もいいが、舞台出身で新東宝スターレットから東宝に移り「黒い画集・あるサラリーマンの証言」(1960年 堀川弘道監督)で小林桂樹を翻弄する若きOLを演じた原知佐子の演技が見もの。
顔にあざがあり、小児まひの後遺症で足が不自由、だました男を家族全員で殺害し終身刑となったレズの女囚を演じる。
不幸に心を閉ざし、最後は自殺してゆく女の暗さと一途さを、原が表現する。

緑魔子は同情的に原と絡む。
終身刑に至る話を聞き、原のともだちになる。
原を排除しようとする囚人たちに同調せず、自分の判断で原を守る。
物語の狂言回しとして、また普遍的価値観の体現者としての緑魔子の存在が示される。

原はこの作品の後、「かも」(1966年)では梅宮辰夫に貢ぐ若くないトルコ嬢役で、また「続おんな番外地」では前作とは別のキャラクターで東映作品に連続出演する。

作品のプレスシートには、「平山妙子の手記」が紹介されている。実在の人物の体験が原案であることがわかる

女囚物の映画に期待するのはエロだが、記録映画出身で「警視庁物語」で名を上げた村山監督にエロは不向き。
唯一のそれらしいシーンは緑魔子が服を脱いで男の刑務所長を挑発する場面だが、緑魔子のハダカはなし。
女囚同士のむせかえるようなオンナの匂いが画面からあふれ出るような場面もない。

むしろ刑務所内の集団生活の淡々とした点描や、コンプレックスを女囚への暴力に転嫁する刑務官の心理描写だったり、人道的な部長だったりが印象に残る。
人生経験豊富で女囚たちを導く部長役の荒木道子が、官僚的口調ではなく、日常会話のような調子で女囚に話しかける演出もいい。

村山監督の演出はわかりやすくすっきりしているが、不良性感度が物足りなくシリーズ2作目以降の降板となったものと思われる。

エロよりは、世の中の不幸と不運が煮詰まったような刑務所の人物像を描き、世の中の不条理を問い詰めようとしたこの作品。
緑魔子はいわば狂言回し的に刑務所という地獄めぐりを案内する。
まだ若く、無味無臭な彼女は、人間臭さの極限のような囚人達そのものを演じるより、状況を虚無的に見る立場の役がふさわしい。

映画のプレスシートによると、実在の女囚の手記が原案だという。

このポスたーにも「火のような魔子ムード」の文字が
ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

「続おんな番外地」 1966年 小西通雄監督  東映

シリーズ第二作の内容は一作目の続き。
持ち前の正義感から、刑務所にとっては反抗的でもあった主人公(緑魔子)は改心し、模範囚として出所する。
「ここへはもう帰ってこないでね」と送り出す人情部長の荒木道子。

刑務所のあっせんで、更生寮に荷をほどき、入獄中に資格を取った美容師の職を探す主人公。
頼りになる保護司役は高橋とよ。

松竹小津組の名物わき役の高橋も、60年代中盤になるとこうして東映に出演していることから、五社協定なるものが少なくともわき役クラスにとっては有名無実化していたのがわかる。
看守役で出ていた中北千枝子も、もとはといえば東宝の女優だ。

オリジナルポスター。「魔子ムードが怪しいエロテイシズムを放つ」のキャッチコピーが

主人公は入獄中のともだちとの約束を果たすべく、その恋人の住所へ赴く、がそれが再びの地獄の始まりだった。
ともだちの恋人(今井健二)はすっかりダニのような男に成り下がっており、現れた主人公にターゲットを絞りどこまでも追いかける。
就職先の美容院に現れ主人公の前科をばらし、職場に居れなくする。
ならばとパトロンを見つけ独立した店までもかぎつけ、パトロンに主人公から手を引かせることまでする。

東映にはこういったダニのような役に向く男優には事欠かないが、高倉健、丘さとみと同期入社の今井健二までもが、二枚目優男の面影を残しながら、この作品でダニ役にイメージチェンジしている。
わざとらしい悪人笑いが痛々しくもあるが、今井健二の悪役人生がここら辺から始まったのか。

「侠骨一代」(1967年 マキノ雅弘監督)で、高倉健の軍隊時代からの相棒役に扮し、兄弟(きょーでぇー)と高倉を呼びながら死んでいった今井の演技を思い出す。

「続おんな番外地」のプレスシートより。「人気最高潮の緑魔子」の表現が

シャバではダニに絡まれ、世間の無理解に翻弄される主人公だが、ムショ仲間と再会したシーンには人情味があふれる。
新宿で職探しの最中に女スリの若水ヤエ子にばったり。
そのまま売春あっせん業の大年増・清川玉枝のおでん屋に連れてゆかれ、最長老・浦部灸子、ストリッパー・春川ますみらと再会する。
ベテラン女優たちが醸し出す猥雑な人間味が画面に溢れる。
ここら辺の描写はは小西監督の持ち味か?

清川に旦那(パトロン)を紹介される主人公。
持つべきものは心の通った友だ。

おでん屋のシーンではヨッパライ演技で盛り上がるベテランたちの端っこで、素で笑って楽しんでいるような緑魔子の表情がある。
緑魔子の人柄を表しているような一場面だった。

女囚物につきもののエロは、公募で集めたという素人を使っての獄中の集団入浴シーンで唐突に描かれる。
会社の要請だったのだろう、1966年の映画としては画期的で直截的なエロ描写だった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

若く魅力的な主人公が、出所後も世間の無理解と不条理に遇うというストーリー。
緑魔子は精一杯真面目に生きようとする健気な女性を演じる。
当時の社会では若い独身女性はそれだけで社会的弱者でもあった。

映画は社会的弱者が出合う社会の悪意と不条理を描きたかったのか。
どこにでも現れる今井健二の無理に作った悪人面は不条理そのものだったし、弱者である緑魔子はそれに対抗しようがなかった。

女囚が悪に力で対抗するのは梶芽衣子の「女囚701号さそり」(1972年 伊藤俊也監督)の登場を待たなければならなかった。
奇しくもというべきか必然なのか、「さそり」が生まれたのも東映大泉撮影所であった。

1951年頃の「映画の友」とパトリシア・ニール

手許に雑誌「映画の友」の1951年3月号と1952年10月号があります。
それぞれ表紙がキャサリン・ヘプバーン、エヴァ・ガードナーです。
雑誌の傷み具合にも年季が入っており、後者の号は裏表紙が取れています。

「映画の友」1951年3月号
「映画の友」1952年10月号

パトリシア・ニールは50年代にかけて活躍した女優です。
自伝「真実」を読み、また「摩天楼」(1948年)、「地球の静止する日」(1951年)、「ハッド」(1963年)などの出演作品を見てきました。
美人で魅力的なうえに演技力もある女優さんでした。

彼女は日本との関係も深く、朝鮮戦争の米軍慰問などで来日の折、「映画の友」編集者の淀川長治氏らと面談し、また氏がハリウッドに出張の折にはスタジオで再会してランチを共にするなどしています。

「映画の友」1951年5月号では表紙を飾ってもおり、日本での人気を物語っています。

「映画の友」1951年3月号のパトリシア・ニール

新作紹介のグラビアで、パトリシア・ニールの映画3作目の「命ある限り」(1949年 ヴィンセント・シャーマン監督)が紹介されています。
個別の新作グラビアには「1ダースなら安くなる」(1950年 ウオルター・ラング監督 マーナ・ロイ出演)やケイリー・グラント主演の「気まぐれ天使」、グリア・ガースン主演の「塵の中の花」(1941年 マービン・ルロイ監督)らが紹介されていますが、それらの作品を押さえてのトップ掲載です。

パトリシア・ニール映画デヴュー第三作。ワーナー映画「命ある限り」
「命ある限り」。ビルマ戦線の野戦病院が舞台。共演ロナルド・レーガン

また、同誌34頁には、洋画評論家界の重鎮・双葉十三郎氏の「アメリカ映画散歩(3)」という連載記事が掲載されており、パトリシア・ニールのことが紹介されています。
記事の中で氏は「摩天楼」を見てパットに夢中になったと書いています。

双葉氏は『ロングスカートでの立ち姿、身のこなしは、キャサリン・ヘプバーンの初期と同様の美しさで、歩く姿はWalkではなくSailである』とパトリシアを激賞しています。
氏の盟友の野口久光氏も同感のようで、ワーナーブラザースはもうベテイ・デイビスなどいらんねとおっしゃった、と野口氏が語ったことを書いています。

双葉十三郎の連載「アメリカ映画漫歩」。トップがゲーリー・クーパー。パットとの縁を感じる
「アメリカ映画漫歩」のパットに関する記述の一部

さらに、48ページから51ページには「四大監督を語る座談会」という記事があります。
ワイラーの「西部の男」、フォードの「わが谷は緑成りき」、ルビッチの「小間使」、キング・ヴィドアの「摩天楼」の四大監督作品を語る座談会です。
出席は南部圭之介、植草甚一、双葉十三郎、上野一郎、野口久光という伝説の大御所映画評論家たち。
司会は我らが淀長さんです。

記事では1ページ以上に渡って「摩天楼」が語られています。

座談会では原作者(アイン・ランド=女性)が右翼的思想の持ち主であることにも触れ、『だから個人(の自由)を守るところから国家が生まれるという風な思想が匂っている』という意見がでたものの、『(個人の最大限の自由の尊重という)ああいう人間の在り方を見極めようとする精神を貫くところがいい』と、作品のポリシーをたたえています。

『シンボリックな劇なんですね』と、極端に走る登場人物の描き方への理解も示しています。
『あの光と影の巧みさはどう!』とヴィドア監督のテクニックへの賛美も。

予備知識なしで今見るとトンデモ映画に見える本作ですが、シンボリックな映画として見ればわかりやすいかも、と映画ファンにとっても勉強になる意見が続出しています。
結論的にはこの作品、右翼的、新自由主義的な力の勝利を謳うものなのですが。

本号には座談会とは別にパトリシア・ニールの紹介記事も掲載されていた

パトリシア・ニールについては、双葉、野口の両氏の賛美発言のほかに南部氏が『パトリシアは令嬢の味を見事に出しちゃった』とほめていました。

いずれにせよ「摩天楼」を、シンボリックな登場人物を斬新なテクニックで処理した作品、と作品の骨格を喝破しているところに、わがレジェンド評論家陣の知的レベルの高さを知ることができる座談会です。

「映画の友」1952年10月号のパトリシア・ニール

カラー口絵は「静かなる男」のジョン・ウエインとモーリン・オハラ。
ついでエスター・ウイリアムス。
そのあとになんと!シェリー・ウインタースのカラーグラビアが載っている!という本号です。

モノクログラビアのトップが「東京のパトリシア・ニールさん」。
朝鮮戦争慰問の際に東京に立ち寄ったパトリシアの特写記事です。
歓迎の花束と「映画の友」誌をもって駆け付けた淀長さんと小森のあばちゃまの姿も写っています。

淀長さんと小森のおばちゃまに迎えられるパトリシア
パトリシア・ニールを囲む若き日の淀川長春と小森和子

グラビア欄で紹介の新作は「陽の当たる場所」(ジョージ・ステーブンス監督)、「肉体の悪魔」(クロード・オータン=ララ監督)、「ミラノの奇跡」(ヴィットリオ・デ=シーカ監督)など。
今に残る名作群が新作紹介されています。

パトリシア・ニールの来朝記事は116ページから、淀長さんの担当です。
1952年8月に朝鮮慰問から東京の第一ホテルに戻ったパトリシアと面談した淀長さんと小森のおばちゃま。
淀長さんにとっては三度目?のパトリシア。
1949年に東京で?、1951年に20世紀フォックススタジオの食堂でに続く面談です。

ハリウッドでの面談はパトリシアからの招待でしたが、今回(1952年)の面談も、朝鮮から戻ったパトリシアが淀長さんあてのに手紙を送って実現したもの。
パトリシアの飾らぬ人柄と淀長さんとの縁を感じることができます。

淀長さんがハリウッドで会った時のお礼を言うと、パトリシアが『少し太りましたね』と返し、フォックスのごちそうのせいです、と淀長さんが返せば手を振って笑ったというパトリシア。
おばちゃまからの問いには『以前から日本が好きで一度来たかったんです。日本のお座敷に靴を脱いで上がると、いかにも疲れが取れて楽々としています』と日本を礼賛。

うん?彼女が初来日だとすると淀長さんの本の、1949年に日本で面談というのは記憶違い?
また1951年にハリウッドで「再開」を喜び合ったという記載は?

わたしにはよくわかりません。

来日時、すでにワーナーブラザースを解雇され、20世紀フォックスに移り3本契約をこなしていた頃のパトリシア。
ゲーリー・クーパーの恋に破れ、堕胎し、ハリウッドに見切りをつけていたころです。

そういったことをおくびにも出さず淀長さんと談笑しているパトリシア・ニールのサービス精神と芸人根性に素直に脱帽です。
また、1951年ころの日本の映画評論界における彼女の人気ぶりに驚きました。
玄人受けする、人柄のいい女優さんなんですね。

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 渡辺祐介と緑魔子

ラピュタ阿佐ヶ谷で、渡辺祐介監督、緑魔子主演の2作品を見た。

手許に国書刊行会発行の映画雑誌「映画論叢27号」(2011年発行)がある。
ラピュタのロビーで展示発売していたものだ。
緑魔子のインタヴュー記事が載っていた。

「渡辺祐介監督だけを見て、体当たりでぶつかっていきました」と題するインタヴューは、1944年生まれの緑が実年齢67歳のころのもの。
芸能界に入った頃のことから、東映での映画デヴューに至るまでの時期を中心に語られている。

貴重なオフショット。渡辺監督の人柄、女優陣との信頼関係がうかがえるようだ

(以下、抜粋・要約)
・東宝ニューフェイスとして芸能界入り。
当初はテレビ部に所属し、芸術座、NHK演劇研究所などで研修。

・ある日新宿でスカウトされ、撮った写真が、渡辺祐介監督の目に留まり「二匹の牝犬」の妹役としてカメラテストを受けた。
芸名の緑魔子は渡辺監督の命名。

・「二匹の牝犬」出演に当たっては、渡辺監督が「全部僕の言うままに動いて」との言葉通りに動いた。
監督さんの方だけ見て、体当たりでぶつかっていった。
監督が「君が持っている力が100だとしたら120出たよ」と言ってくれた。

・(共演の)小川真由美はすごい美人でやはり「違うなあ」と思った。
やさしくてお姉さんみたいな感じ。今でも「お姉さん」と勝手に思っている。

・契約は(東映との)専属で1年契約。
本数契約。「二匹の牝犬」のギャラは5万円。

・「二匹の牝犬」はヒットして何週も続映したのに(私自身は)東映ではあまり大事にされなかった。

・「非行少女ヨーコ」で共演した梅宮辰夫はヤクザっぽくて怖かったけど、共演の女性にコナをかけるような人ではなかった。

・渡辺監督以外で心に残っているのは関川秀雄監督。
居酒屋でロケの出待ちをしているときに、関川監督が熱燗を頼んでくれて「あったまるから少しならいいよ、飲みなさい」と言ってくれた。
優しい人でした。

勝手な引用が長くなったが、渡辺祐介監督との信頼関係、他の役者たちとのほんわかした交流、当時の大泉撮影所での撮影風景が再現されたかのようなインタビューとなっている。
何より緑魔子本人の飾らない人の好さ、子供のような感性がよく出ている。

作品がヒットしても東映では大事にされなかったとか、梅宮辰夫に迫られなかったとか、映画撮影所の世界に染まり切らない緑魔子の人間性が感じられる。

「二匹の牝犬」 1964年  渡辺祐介監督  東映

1960年代の東映大泉撮影所。

当時の監督陣は佐伯清、小林恒夫、村山新治、石井輝男、関川秀雄、瀬川昌治、渡辺祐介、家城巳代治など群雄割拠の実力派メンバーがそろっていた。
東映発足当時に、今井正や関川秀雄を起用して「ひめゆりの塔」「きけわだつみの声」を企画しヒットさせた大泉撮影所が集めそうな、右から左までを網羅した顔ぶれ。
天下の東宝、松竹のレッドパージ組の関川秀雄、家城巳代治の両巨匠組から、倒産した新東宝からの横滑り組の石井輝男、瀬川昌治、渡辺祐介まで、一筋御縄ではゆかない面々である。

東映に助監督で採用された、佐藤純也、深作欣二、降旗康男などが監督に昇進し、大泉撮影所の主力となるのは60年代中盤以降のこと。
佐藤、深作らの手堅く斬新な作風に、家城巳代治や関川秀雄ら他社出身の実力派監督が与えた影響はいかばかりだったろうか。

「二匹の牝犬」は新東宝で3本ほど撮り、1961年に東映に移籍した渡辺祐介が監督したオリジナル作品。

渡辺は東映在籍中の1962年から1967年の間に十数本の現代劇を撮っている。
主には京都撮影所で製作される時代劇の併映用のモノクロ作品が多かったが、その中では1964年の「二匹の牝犬」「悪女」「牝」の3本が特筆される。
前2作は主役に小川真由美を起用、また全3作に新人緑魔子を抜擢、現代における女性性の根本に迫る作品となった。

東映を離れてからの渡辺監督は、東宝や松竹でドリフターズものを十数本撮った後、松竹、東映でのピンクがかったコメデイをコンスタントに発表。
1970年代に入って「必殺仕掛人」シリーズや「刑事物語」シリーズも手掛けている。

何でも屋の職人監督然とした経歴だが、これだけ途切れなく監督のオファーが続いたのは、商品映画の作家としての腕が確かだったことと、製作サイド(およびキャスト)とのトラブルがなく、業界的に信用されていたからだった。
渡辺監督の人間性が浮かび上がる経歴である。

出身母体の新東宝が倒産する前の大蔵貢体制時代に監督昇進し、移籍した東映では、映画量産時代を背景に、併映用作品ばかりとはいえコンスタントに映画を撮れたことも幸運だった。
60年代中盤の大泉撮影所では、題名さえどぎついものにして居れば内容を自由に撮れたともいう(ヒットしなかった場合などの結果責任は撮影所長から厳しく追及されるのは自明だが)。


1958年の売春防止法施行日の赤線街から話がスタートする「二匹の牝犬」。
1927年生まれの渡辺監督にとっては赤線の存在はあるいは身近なものだったはず、法律の施行に伴い、店を出てゆかざるを得ない女たちのやるせなさが漂うプロローグが印象に残る。

オリジナルポスター。重要なわき役の若水ヤエ子の名前が載っていないのは如何。

撮影所長の岡田茂から、「ノースターで女を描いてみろ」といわれ、文学座の小川真由美と新人緑魔子をキャステイングした渡辺監督。
小川のキャステイングはテレビ番組の悪女役で好評だったから、また新人・緑については眼が気に入ったからだった。
劇団の資金難から文学座の俳優が多数出演したが(北村和夫、宮口精二、岸田森など)、むしろ印象に残るのは渡辺監督御贔屓だという若水ヤエ子に加え、東映所属の宮園順子らトルコ嬢役の女優たち。

千葉の漁村出身で赤線廃止のときに店に流れ着き、女将の言うままにトルコ嬢として売れっ子になり、収入を株で運用する主人公(小川)と株屋の担当社員(杉浦直樹)がメインキャスト。

主人公の夢は貯めた200万円を元手に美容院を経営すること。
その主人公のアパートに千葉から家出してきた腹違いの妹(緑)が闖入する。
調子がいいだけの株屋(杉浦)が無節操な欲望のままに姉妹に絡む・・・。

主人公の棲む世界は、トルコ風呂とみすぼらしいアパートを結ぶ線上にある。
トルコ嬢の控室には下着姿の女たちがタバコを吸い、ラーメンをすすり、花札をしている。
売れっ子の主人公はヒョウ柄の派手な水着姿で客を選別するなどやりたい放題。
トルコ嬢たちはぎすぎすした感じはなく、ワイワイ賑やか。
年増の若水ヤエ子を立て乍ら、時には社員旅行で箱根まで行ったりする、「昭和の距離感」。

主人公の棲むアパートは、風呂はなくトイレ、洗濯場は共用?だが、主人公は隣近所に愛想がよい。
主人公が育った昔ながらのコミュニテイをおもわせる。

渡辺監督の女性陣に対する視線は優しい。
一見、非人間的に金に執着しているように見える主人公は周りに愛想がいい古いタイプの人間として描いている。
だからこそ株屋(杉浦)のいい加減さと裏切りが許せない。

トルコ嬢たちの人間味あふれる描写にも監督の温かい目が注がれている。
ところが緑魔子にだけは監督の突き放した視線が注がれる。
突き放したうえで、その新人類的なキャラに興味津々に注がれる視線が。

緑魔子がフレッシュだ。
20歳の締まった体。
開き直った時の座った眼。
一度聴いたら忘れられない甘ったるい声。
すっかり参ってしまう株屋(杉浦)の気持ちもわかる。

緑魔子の出現は、のちの桃井かおり、秋吉久美子らの路線の原典となった。
この3人の中では緑魔子が一番いい。
緑魔子は年をとったら北林谷栄になりうる素質がある、あとの二人には無理だ。

ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーに掲示された作品のプレスシートより。劇場向けの宣伝文句が並ぶ
同上。タイトルデザインなどが列挙されている

地方出身の姉妹が東京で再開し、傷つけあうという「二匹の牝犬」の物語の骨格は、同じく東映の「天使の欲望」(1979年 関本郁夫監督)を思い出させる。
「天使の欲望」の姉役・結城しのぶは清楚な美人がはまり役の女優だったが、本作では悪女役を体当たりで熱演。
美形の悪女で低い声、というところが小川真由美に似ているといえば似ている。

調子がいいだけの株屋を演じた杉浦直樹は、とぼけた表情が18番で相変わらずの演技だったが、最後主人公にとどめを刺されて目を見開いて這ってゆく断末魔の姿には妙に迫力があった。

小川真由美は適役で存在感はさすがだが、すごんだり、捨て台詞を吐く演技はすでに見慣れた感じで新鮮味がなく、むしろ株屋(杉浦)を刺した後の、影を生かしたライテイングに浮かぶ表情がハッとするほど記憶に残った。
けれんみたっぷりの演出に劇的な演技で応えて活きる女優さんなのかもしれない。

オリジナルポスター。この版には若水ヤエ子は載っている

作品を通して、東映らしいヤクザでマッチョな男優の姿がなく、どこか新東宝的な「安易で雑多で庶民的」なムードも漂い、何より若い二人の女優たちが懸命に演技する姿は「悪女」というより女性というものの人間性を感じさせた。
渡辺監督が描きたかったのは、底辺に生きる人間性たっぷりでエネルギッシュな女性像だったのだろう。
同時に新人類的・ドライな女性の出現も予告しつつ。

オリジナル脚本はたっぷりとエピソードを盛った力作だが、人間性の追求はひとまず置いてサスペンスに徹してみても見ごたえのある娯楽作になったのではないか、と想像する。
作り物めいた構図の中で小川真由美がとてつもなく「活きる」のではないか、と思うからだ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

「牝」 1964年  渡辺祐介監督  東映

渡辺祐介×緑魔子の第3作。
3本は同じ年に立て続けに撮られている。

「二匹の牝犬」「悪女」と起用できた小川真由美は撮影所を去って舞台に戻った。
ここで、人気(というかセンセーショナリズム)が出てきた緑魔子で1本。
題名さえどぎつければ題材は自由。

馬場当の原作を渡辺が脚色(クレジットタイトルより。ほかの資料では両者の共同脚本となっている例もある)。
音楽は木下恵介の弟の木下忠司。
助監督、降旗康男。

緑魔子の相手役に菅佐原栄一。
脇に久保菜穂子、ジェリー藤尾、佐々木功。
そしてなんといっても中村伸郎。

松竹にも出演しているが、新東宝的というか新鮮さのかけらもない菅佐原栄一はマイナー感たっぷりだ。
本物の新東宝出身の久保菜穂子は、池内淳子、大空真弓、三ツ矢歌子とともに新東宝脱出後に大成した女優で、この時すでに貫禄が出てきた久保は説得感十分の謎めきよろめき人妻を演じる。

ジェリーは新東宝最末期の「地平線がギラギラツ」(1961年)からの「引き」なのだろうか、東宝「若大将シリーズ」で青大将の天敵のバンドリーダー役(ビートルズのパロデイ)も強烈だったが、本作ではヒロイン(緑)のことをオタクと呼ぶなど、若者の虚無感、人間関係の希薄さを演じて芸達者ぶりを見せている。
佐々木功は大島渚「太陽の墓場」での気弱なチンピラ役からの援用か。

そして中村伸郎。
年代的に前後するが、東宝「豹は走った」(1970年)の黒幕役(表面上は日本商社の重役)も適役だったが、その前に東映の併映作品でまさかの体当たり演技をこれでもか、と見せていたとは!
あるいは「牝」での現代通俗劇への適応ぶりがのちの悪役開眼へとつながっていたのか。
中村伸郎恐るべし。


主役抜擢の緑魔子は本来の真面目さ、素直さを発揮して一生懸命に演じている。
体を通してのエロはほとんどなし。
表情と存在感で若者の虚無感、不毛感を演じる。
そこからエロがにじみだす。
若いので退廃ではなくエロだ。
退廃は久保菜穂子が全盛期の色気をもって醸し出す。

緑と菅佐原の代償行為的不倫関係の不毛。
緑と中村のファザコン的な父娘関係のもどかしさ。
中村と久保のなし崩し的不倫の不健康さ。
緑とジェリーらの若者の暇つぶし的交流と希薄な関係性。

これらの人間関係が混然となって映画は進む。
際どくまた観念的なセリフの背景に木下忠司の明るい音楽が流れる。
久保や緑を相手にキスシーンを繰り返す初老・中村伸郎の鬼気迫る表情!

迷走し、錯綜するストーリーの挙句、ドラマの核心は父娘のタブーを越えた愛、であることがわかる。
が、本当にそれがこの作品のテーマだったのか。

ラストシーン。
父娘の葬式の帰りに何事もなかったように元妻の肩を抱く菅佐原としなだれかかる久保。
二人は離婚したのではなかったか。
虚妄の二人を包む退廃と諦めと官能。
その逆説的現実味と不条理と深い絶望感。

父娘の愛が「純粋」だったからこそ、対比的に描かれる菅佐原と久保の夫婦の、ぬめぬめしてふてぶてしい開き直りがリアルだ。

1年の間に緑魔子を素材にして3本連作した渡辺監督。

大島渚は松竹で1960年の1年間、「青春残酷物語」と「太陽の墓場」をヒットさせ、会社から「さあもう1本」とせっつかれて「日本の夜と霧」というヒットしない題材に「逃げた」のだった。
「この作品を撮らないと前に進めない」と言って。

1964年の渡辺祐介は「二匹の牝犬」「悪女」「牝」の3本を、「逃げず」に撮った。
大松竹の若きエース監督に祭り上げられた大島とはかなり立場が違い、モノクロの併映作品を作る立場ではあったにせよ、スマッシュヒットを放ち続けた渡辺祐介。
何より緑魔子という存在を世に出した功績は大きい。

さすがに3本目の「牝」では観念劇に「逃げた」気配がするとはいうものの、この年の渡辺祐介や恐るべし、と思うのは筆者だけだろうか。