今年の帰省は帯広スタート!

山小屋おじさん一家の帰省は今年も9月でした。
おじさんのオリジナル家族5人中4人が参加。
例年通りの2泊の行程。
札幌のお寺にあるお墓参りと叔父さん一家との年1回の交流が目的です。

第一日目は帯広スタート

子供たちが小さなうちは、お盆に家族で帰省し、親の家に滞在しました。
両親がなくなった今は、その年に参加できるメンバーで、時には旭川や函館などを観光で経由するなどして帰省を楽しんでいます。

今年はなんと帯広に飛んで旅をスタートしました。
十勝平野名産の乳製品、豚肉。小麦、大豆を味わうためです。

帯広空港。
羽田から降り立つと空港内外が冷房したように冷たい空気に満たされていました。
朝の気温は12度とのことでした。

幸福駅。
おじさんが高校生の時、道東を一人旅した時に当時の広尾線に乗り幸福駅に降りたことを思い出しました。
当時すでにブームでした。
現帯広空港からはすぐ近くです。

思いやりファーム。(写真無し)
粗飼料のみで育てた牛の無殺菌牛乳とソフトクリームを食べました。
さらっとした口当たりでほのかに草とクリームの香りがしました。
帯広の南隣、中札内村にあります。

豚丼。帯広駅近くのぱんちょうという店で食べました。
思ったよりしつこくなくておいしかった。

高橋まんじゅう屋。(写真無し)
帯広市民御用達のおやき屋さん。
店内の昭和な雰囲気は最高。
あんこの味は・・・。
六花亭のどら焼きにも感じたが最高の素材(小豆)を生かし切れていないような気がする。
あんこに煮方は都会のほうがうまいのか?
残念。

パンの麦音。
地元の人がわんさと訪れるパン屋。
並んでパンを買ったあと建物外の広々とした芝生でくつろぐ。
これぞ十勝のファミリーの昼食。

狩勝峠。
帯広を出て富良野、旭川経由で札幌に帰りました。
途中の狩勝峠です。

かつては根室線の難所で、鉄道の三大車窓にも選ばれた景観です。

現在はこの間のJR線は台風の影響で不通になったままです。JR北海道はこのままこの区間を廃線にするつもりでしょうか。

青い池。
美瑛から活火山の十勝岳方面に上った白金温泉の近くにあります。
立ち枯れた木が湖中に残っている風景です。

有名になったのは最近のことで、道産子には白金温泉の近く、と言わなければ通じないことが多いようです。
訪れる人の外国人の割合が増えた場所でした。

二日目は親戚訪問、お墓参り、小樽遠征・・・

二日目にお墓参りをセット。
お墓のあるお寺では、いつもお経をあげてくれる前代の住職が今年も待っていてくれました。
感謝。

昼食は小樽で寿司。
今年はサンマやイカは不漁で、代わりにハマチやイワシが上がっているとのこと。

小樽の市場で生イクラなどを買って自宅へ発送。

夕方からは親戚一家と地元の居酒屋で一席。
魚がうまい居酒屋で、ニシン、ソイ、ハッカクなどの珍しい刺身を肴に、北海道のビールと地酒を飲みました。

高齢の叔父さんは山小屋おじさんの母親の弟にあたり、88歳になりましたがおかげさまで無事にしておりました。

故郷と、亡き両親と親戚らに感謝の帰省でした。

自宅に戻り町内会バーベキューに参加しました

11月上旬に東京の自宅へ戻りました。
健康診断があったためです。
おじさんは、妻の被扶養者になっており、田無病院というところで健康診断を受け、ついでに高血圧でかかっている医師の診察を受けました。
ちなみに被扶養者となったおかげで、国民健康保険料・月24,000円が節約できています。
妻に感謝。

おじさんの自宅が所属する町内会のバーベキューが3日にあったので参加しました。
自宅があるのは調布市です。
町内会(地方自治法上の正式名称は「自治会」です)は、同時に建売住宅に入居した10軒で立ち上げました。

会員名簿と会則を市役所に届け出れば、自治会が設立できるのでした。
その前に、近隣の既成の自治会に参入を打診しましたが、断られました。

東京の郊外は、旧来の地主や農家などを中心にした、割と大規模な自治会が残っています。
一方、新興住宅地や社宅などでは、住民がそれぞれ自治会を立ち上げてもいます。
おじさん宅の近隣はそうした新興自治体がいくつもありました。
そういった自治会は、会員の流動もなく、年とともに自然消滅してゆくようですが。

おじさんの自治会の唯一の行事は、年に1,2回のバーベキューです。
一応、自治会長はおじさんということにして届け出てありますが、実際には年長の自営業社長宅が町内会の中心で、バーベキューの回覧もやってくれています。

というわけで、町内会の唯一の行事、バーベキューは、20年間続いています。
20年前、おじさんは40歳そこそこ。長女が5年生、長男が3年生、次男が5歳でした。
町内会10軒のうち、家長がおじさんと同じ年が2軒。長女の同学年の女の子が2人。長男の同学年の子が2人いました。

バーベキューの日は子供たちが走り回り、大人たちも念願のマイホーム生活実現に盛り上がっていました。
連帯感のようなものを感じたのも、酔った勢いのせいばかりではありませんでした。

20年たち、子供たちはそれぞれ独立もし、亡くなったメンバー、離婚して去ったメンバーもいました。
転勤により離脱したのは1軒だけで、近隣に引っ越してきた1軒が新規に加わりました。
またゲストで参加する人、実家に帰ってきて家族ともども参加するかつての子供たちなど、毎回賑やかに催されました。

会場は10軒の間を走る路上です。
袋小路なので公道ですが実質的には私道です。
おじさんの自宅は袋小路の一番奥の方ですので、路上に炭焼台を出し、炭をおこします。

三三五五、折り畳みテーブルやいすを持ってメンバーが集まりだします。
缶ビールで乾杯の後は、各家からとっておきのワインや日本酒などが出てくることもあり盛り上がります。

暗くなったり、寒くなってくると、世話役のお宅に集まりなおして2次会です。
おじさんは最近は2次会の前にダウンすることが多くなりました。

今年のバーベキューは、おじさん2年ぶりの参加。
ゲストが多く近年になくにぎやかでした。
おじさんは、サンマ数匹と信州鳥の焼き鳥、畑のサツマイモ、里芋のホイル焼きなどをして好評でした。食材は山小屋から担いだり、買って帰ったものです。
また、山小屋ビジター用におじさんが作ったアルバムも回覧しました。
山小屋の紹介を目的に、立地や地域の歴史や自然、山小屋での暮らしなどを写真と切り抜きでまとまたものです。

20年前からのオリジナルメンバーは、思ったよりは元気でにぎやかでした。
皆地域での交流を望んでいるからうれしいのでしょう。

田舎暮らしをしている身からすると、話題に強烈な個性を感じなかったのは、「守りに入っている」都会人のなせる業でしょうか。
都会は住民が個性を発揮する場所ではなく、お互いに出すぎないようにけん制しあいながら注意深く暮らすところなのかもしれません。
いざとなった時に頼りになる近隣者かどうかは、そうなったことがないのでわかりませんが。

子供たちが小さなころは誰かが路上で遊んでいて活気があった町内ですが、ここ最近は活気が乏しくなりました。
住民の年齢とともに、街も年を取ってゆくということでしょう。
実質リーダーの自営社長は、小淵沢に別荘を持っています。
今度寄ってみようと思っています。