令和6年畑 初出荷

今年はなぜか畑づくりに熱が入りません。
思うように苗が成育しなかったり、野菜の味が去年よりよくなかったりが原因かもしれません。

東京に帰る日数が多くなったり、草苅バイトに出ることを優先しているせいかもしれません。

この日、畑に行って草刈りと収穫をしました。
成育がうまくいってないとはいえ、最盛期の畑へ行くと収穫量はそれなりにあります。
キューリやズッキーニ、トマトは、おすそ分けや自分の消費程度では余ってしまってどうしょうもありません。

トマトの味が想定通りではないこともあり、保留していた彩への出荷を行うことにしました。

畑では夕顔の実がぶら下がっています。
黒々としたハックルベリーの実が収穫時期を迎えています。
トウモロコシの穂が出てきました。
枝豆の実が膨らんできました。
トマトは変わらず赤く熟しています。
ミニトマトは味も例年と変わらず、枝を四方に伸ばしています。

夕顔の実がぶら下がっている

今のところセロリとルバーブも順調なようです。

この日は、育ちすぎのキューリをたっぷりと、ズッキーニを数本、トマトを一籠分収穫しました。
品質の良いものひと箱分を彩に送りました。
大好評で売れたとのことでした。

収穫したズッキーニ
収穫したトマト

8月になり、ヘタすると中旬まで畑に行けなくなるかもしれません。
枝豆、トウモロコシはどうなるのか。
彩への出荷はあと何回出来ることでしょう。

軽トラ流れ旅 松本スイカ市~今井恵みの里~塩尻の花火屋と平出の泉

真夏日の松本平に向かいました。
毎年行っている松本のスイカ市で波田のスイカを買うためです。

松本郊外の波田地区はスイカが名産です。
シャリシャリしたスイカが食べられます。

朝7時半に山小屋を出発して向かいました。朝から炎天下の軽トラ旅です。
三才山トンネルを抜けて松本側に下り、梓川沿いに南下して会場へ向かいました。

9時半前には会場のスイカ選果場に着きましたが、既に駐車場は9割がたが埋まっており、テント前には長い行列ができています。

今年の松本スイカ市。だいちゃんすいかに並ぶ列

毎年この時期には県外ナンバーの車両も含めた来場者であふれています。
遅くに到着して売り切れだった年もありました。

毎年、スイカ農家が数軒ほどテントを張って出店しますが、今年は2軒ほどが出店。
1軒は例年購入している百瀬さんのもの、もう1軒が最近大人気の通称だいちゃんスイカ、名前を出しての出店はこの2軒だけでした。
だいちゃんスイカには30メートルほどの列ができています。

山小舎おじさんご指定の百瀬スイカのテント
百瀬スイカ、本日完売・・・

迷わず百瀬さんのテントに向かいましたが、到着寸前に無情の本日完売のプレートが出されました、残念。

隣を見るとJA松本ハイランド名のテントがあったのでそこに向かいました。
おそらくJA加盟の各農家の出品によるものなのでしょう。
波田スイカの呼称はありませんでしたが、何度も来れる場所ではありません、ここで購入しましょう。
1個を調布の自宅に送り、1個は持ち帰りました。
L玉が2100円で、去年の1900円から上がっています。
その前は1600円でしたが。

選果場にはスイカが並ぶ

買い終わって炎天下の選果場を後にします。
松本から山形村を抜けて塩尻に南下するアルプスグリーン道路と呼ばれる農道を走ります。
途中に、直売所と道の駅が1か所ずつあります。

そこではスイカなど季節の農産物が花盛りと積まれ、買い物客で賑わっています。
信州の、夏到来です。
この1か月の間に、スイカ、桃、スモモ、ブルーベリー、枝豆、トウモロコシのほか夏野菜が出盛りとなり、8月中旬にはその季節が去ってゆくのです。
信州の野菜農家にとっては1年分の稼ぎ時なのです。

山形村にある道の駅今井恵みの里では、季節柄か七夕の飾りが天井からかかり、スイカの試食サービスに客がならんでいます。
秋の長芋、白菜、初冬のリンゴなど、季節ごとの安曇野の恵みが一堂に会する直売所がある道の駅で、山小舎おばさんもお気に入りの場所です。

山形村の道の駅、今井恵みの里。直売所へのアプローチ
山形村もスイカの産地。松本スイカ市よりかなり空いている
飾られていたスイカ

地元の桃のはねだしが1箱2500円、少々高い気がしますが加工用に買いました。
ジャガイモのデストロイヤーがあったのでこれもゲット。
ビーツは見当たりませんでした。
昼ごはんにソースカツ丼弁当も。

加工用桃
ホックリ甘いデストロイヤー
本日の昼食。580円

この日は塩尻まで下って、花火屋へ行く予定です。
まだ10時半ですが、弁当を食べる日陰を探しながら塩尻方面へ下ります。

ここで、急に平出の泉を思い出しました。
塩尻郊外にある縄文遺跡群の中ほどに湧く青く澄んだ沼です。
スマホで調べると案外近いので花火屋の前に寄ることにします。

平出博物館の近くに泉はありました。
年配の男性が二人、カメラをもって泉を眺めていました。
確かに底まで見通せる澄んだ水でした。
神秘の青をたたえています。

青くたたずむ平出の泉

平出を後に塩尻の中心部に向かいます。
大門の通りにはテキヤのテントが並んでいます。
夜のお祭りの準備のようです。

テキヤのテントが並ぶ塩尻市中心部

塩尻には今では珍しい花火屋さんがあります、この店季節以外はひっそりと文房具を扱っているようです。
セットではなくバラで売っており、種類も豊富です。
孫らのために手持ち花火を中心に選びました。
買った後、2割ほどの分をおまけで選ばせてくれるサービスの良いお店です。

花火屋の入り口

会計をしながら店のおばさんに、表で準備しているお祭りのことを聞きました。
玄播祭、とのことでした。
なんでもこの地方にいた古狐の玄番之丞というものに由来したお祭りとのこと。

お祭りの由来が塩尻市図書館に掲示されていた

茅野ドンパン、上田ドドンパ、丸子ワッショイといった現代風、町おこし的な命名のお祭りが多い(と思われる)信州で、地域の伝説にのっとったお祭りがそこそこ大規模に行われているなんて、塩尻は素敵なところじゃないですか。

シラカバを伐採したが  その3

裏庭のシラカバがついに倒れました。

倒木した後、3つに切り分けたシラカバの現在の姿

伐採したまま、隣の国有林のカラマツに寄りかかり、地面に倒れていなかったシラカバでした。
何度切ってもだるま落としのようにドスンドスンと新しい切り口を下にして直立姿勢を崩そうとしなかったのでした。

作業にかかる前のシラカバ

チェーンソーの刃が挟まり、挟まったまま「だるま落とし」に巻き込まれ機械本体ごと小川に水没したり、鉄のくさびが「だるま落とし」に巻き込まれ現在未回収となっていたり、いろいろありました。
ありすぎました。
新しい問題が起こるたびに徒労感に襲われもしました。

毎回、重心が後ろにかかりチェーンソーが挟まれる

シラカバを倒木すべく、倒れるであろう方向に受け口を切り、追い口を切ってゆくたびに重心が追い口の方向にかかり、刃が挟まってしまうのが毎回。
それもこれも上の方の枝がカラマツに絡まったままなので、シラカバの幹が切り口で折れるようになり、重心が倒れる方向にかからないからなのです。

打ち込んだくさびと手斧も挟まってびくともしない

それでも苦悩の挙句、だんだん短くなってきたシラカバは、枝にも手が届くようになりそれを切り落とすことで、いらぬ支点の数を減らし、倒したい方向に重心がかかってきました。
そしてとうとう、幹全体が国有地の斜面に倒れたのです。

数度の「だるま落とし」の挙句倒れ込んだシラカバ

ここまで来たら一安心、と言いたいところですが油断は禁物。
足場の悪い斜面での玉切りと、玉の移動が大仕事として残っています。

梅を漬ける その3

7月下旬となりました。
漬けておいた梅を土用干しします。

重しを乗せ、塩漬けし、赤しそを加えていた梅のたるを開きます。
小梅はうまく漬かり、きれいに発色しています。
中梅は完熟した実ではなかったためか、硬めに漬かっています。
色味もよくありません。

赤ジソを入れてしばらくたった梅漬けのたる

それぞれをざるにあけて日中の太陽の下に広げます。
シソも同様に干します。
赤く染まった梅酢も瓶に入れて日光消毒です。

程よく染まった小梅を天日干し。隣には梅酢を入れた瓶

小梅は外側が乾き、中がトロッとした梅干に仕上がりそうです。

中梅はどう仕上がるでしょうか。

ここ最近の中梅干は硬く仕上がってしまっています。
生の実の状態のせいでしょうか、塩漬けのやり方のせいなのでしょうか。

色味が薄く、、硬めに漬かった中梅

土用干しを終えると梅干しの作業は終了です。

キューリのピクルス

キューリのピクルスを作ってみました。

出来上がったピクルス

畑で規格外のキューリがどっさり採れました。
この間、山小舎を訪れた山小舎おばさんにも、帰りに持たせましたが、まだまだたくさん残っています。

東京の自宅では末息子がピクルスを作り、娘が食べておいしかったとのことです。
そこで親父も山小舎で作ってみることにしました。

保存瓶を煮沸します。

液を作る材料を集めます。
レシピでは穀物酢、砂糖、塩、ローリエ、とうがらし、ニンニク、黒コショウなどを使うとなっています。
手元には米酢、砂糖、とうがらし、ニンニク、黒コショウがあります。

水と米酢を同量鍋に入れ砂糖を大匙1杯、塩を小さじ1杯入れて沸騰させます。
その間、キューリを保存瓶の丈に合わせてカットし、塩をまぶしておきます。

規格外の畑のキューリをカット
塩をまぶす

保存性をよくするため、とうがらし、ニンニクを鍋に入れて液とともに加熱しておきます。

保存瓶に生のキューリを入れて、そこに熱い液を流し込みます。

材料のキューリは煮ていませんので常温保存には不向きです。
瓶ごと冷蔵保存し、1週間以内をめどに消費することにします。

保存瓶にキューリを詰める
調味液を流し込む

山小舎 真夏日

令和6年の夏は、東京では梅雨明け以前に真夏日が続いたりと酷暑の様相を呈しています。

標高1400メートル以上の山小舎でも、7月中旬になって、30度以上の真夏日に襲われています。

真夏の日差しにさらされる山小舎周辺

今月になって毎週1回以上を草苅バイトに出ている山小舎おじさん。
猛暑日に当たると、日陰はいいのですが、日向での作業は強烈です。
30分から40分に1回の休憩があり、平均年齢70歳のバイト仲間たちは気を使ってもらえるのですが、それでも体力が消耗しダメージを食らいます。

山小舎おじさんはある時、午後になってから、熱がこもって気分が悪くなりそうでした。
つなぎを着ての仕事なので、暑さが逃げないのです。
それでも体力があるうちはいいのですが、午後になると体がギブアップしそうになる時があるのです。
先日も別のバイト仲間が苦しさを訴え、休憩してました。

バイト休みのこの日も真夏日です。
客用の布団や、ダイニングの椅子のソファーを、ぎらぎらの日光に当て乾かします。
バイト用のつなぎ服も干します。

絶好の洗濯日和

30年以上住んでいる人によると、かつては「シーツが1日で乾かなかった」ほどの姫木も、温暖化の影響なのか真夏日に襲われるようにもなりました。

つなぎ作業服もたちまち乾く

洗濯ものや、布団干し、これからシーズンの梅の土用干し、薪の乾燥などには都合がよいのですが、山小舎がこれだけ暑いと、平地の畑などの暑さはとんでもないことになっているので行動が制限されます。
山小舎周辺でも直射日光下での作業は気が進みません。

午後2時を過ぎるとひんやりした風が吹き始め、日暮れから翌朝までは涼しいことが救いです。

令和6年畑 「収穫」ラッシュ

7月中旬の畑です。
1週間ほど自宅に帰り、戻ってみた畑は雑草とともに、収穫時期を逸したキューリなどが実をつけ、夏の盛りを迎えていました。

除草した跡もなくない程の雑草で覆われつつある畑では、巨大なキューリがぶら下がっていました。
集めるとやっと持てるほどの重量になりました。
巨大なものばかりで、キューリ好きのバイト仲間といえど、持ってゆくのは憚られます。

この日収穫した巨大キューリ

ズッキーニも巨大なものが3本ほど転がっていました。
去年は採れなかった巨大ズッキーニ。
豊作はうれしくもあり、もったいなくもありです。

巨大ズッキーニが成っている
ズッキーニ、この日の収穫

トマトはぽつぽつと赤い実が成っています。
雨が多かったのかどうなのか、肝心の枝ぶりに旺盛さが見られません。
実にも病気のものが若干あります。

味見したトマトは例年のようなコクと青臭さと滋味がなく、これまたお配りするほどのものではなく残念。
収穫するとザル一杯にはなりましたが、生食用にとっておくほかは料理用に煮て使うしかないようです。

寂しげに成っているトマト
収穫したトマトを集める

ハックルベリーの実が成っています。
重々しく黒々とした実が鈴なりです。
苗がよかったのか、その後の生育がうまくいったのか。

元気なのはハックルベリー

もう一か所の畑では、収穫前のジャガイモが全滅です。
防獣テープもものかわ、畝を掘り起こして芋を食べ尽くしています。
イノシシの仕業です。
ここがイノシシの餌場であったことを忘れていました。
イノシシと鹿のW攻撃は強力です。

イノシシが「収穫」した後のジャガイモの畝

調布上ノ原小学校夏祭り

令和6年7月13日と14日、東京の自宅近所の上ノ原小学校で夏祭りがありました。

上ノ原小学校夏祭り本部席

例年6月中頃を過ぎると、体育館で練習する太鼓の音が聞こえてきます。
夏まつりに盆踊りの櫓の上で叩く太鼓の練習が小学校の体育館で行われるのです。

毎年7月の中旬、夏祭りは行われます。
山小舎おじさんも、子供が小さかった頃は屋台の手伝いをしたことがありました。
当時の屋台は、地区の青少年対策委員会や、地区のおじさんソフトボールチームなどが思い思いに出店して、焼きそば、トウモロコシ、ビールなどを売っていました。

近隣の柏野地区の夏祭りが、地域の婦人会や青年会の助力を得た地域色の残ったものだとしたら、上ノ原地区のそれは当時から、地主や自治会、婦人会などの参加がなく(それらの地域組織はすでに無力化していた)、PTAなど小学生の親たちが中心になって行われていました。

開始を待つ夏祭り屋台

それからかれこれ20年以上たちました。
孫たちがお祭りを見たいと調布までやって来るというので、久しぶりに夏祭りの下見に出かけました。

焼きそばの屋台ではすでに出来上がったおじさんがいた

午後4時過ぎの小学校グラウンドは、焼きそばの準備をしたり、櫓に太鼓を運び込んだりと大わらわでした。
既にビールで出来上がっている出店者などもいました。
20年前より規模が大きくなり、またカオス化している印象です。
また出店者たちは若返っているというか、小学生の親世代が中心メンバーであることがうかがえ、祭りの世代交代が進んできたことがうかがえました。

盆踊りの櫓

小学校周辺は浴衣姿で友達と待ち合わせる小中学生や、会場へ向かう家族連れなどが続々と集まっています。

孫たちは7時過ぎにやってきました。
会場では、主な食べ物は売切れており、かろうじてお好み焼きを食べられたとのことでした。
会場に流れる音響は20年前の「東京音頭」「炭坑節」ではなく、流行りの現代音楽だったとのことです。

浴衣姿で参加する子も

23区内ではこのようなお祭りがすでに行われていないことが多く、お祭りや盆踊りを知らない小学生がいるとのこと。
賑やかに行われている調布上野原地区の夏祭りは貴重なのかもしれません。

また、時代は変われどお祭りに象徴される、参加型レジャー、発散の場、人間同士の接触の場、といったお祭りの持つ機能がまだまだ現代人に渇望されているのだとも思いました。

軽トラ流れ旅 大河原峠~小海~稲子湯

初夏の流れ旅、今回は蓼科山のもう一つの登山口・大河原峠を通り、佐久へ下りた後、再び八ヶ岳山中に戻って、山腹の秘湯・稲子湯に浸かってきました。

まずは蓼科山のすそ野を巻いて、7合目登山口を過ぎ、林道を抜け大河原峠を目指します。
蓼科山の登山口は何か所かありますが、大河原峠もその一つです。

蓼科山の登山口、大河原峠

狭くグネグネとした林道をやっと抜けると,標高2090メートルの大河原峠です。
蓼科山へ登る時には、今度はここからもいいな、と思っての下調べの意味もありやってきました。

この日はあいにくの曇天。
峠は風もあり、肌寒いくらいです。
大河原峠の駐車場は満車。
装備を整えた登山客が三々五々登ってゆきます。

ここからのコースは、メインの登山口の7合目登山口より距離は長いものの平坦と聞きました。
ただ、峠に到着するまでの林道が長く、時間がかかります。
道幅も狭く、車両の走行も容易ではないので、どうでしょう、孫たちと蓼科山に登るとしたら、ここまで来るより多少登りがきつくても、7合目からの方がいいように思いました。

大河原峠より佐久方面を望む
登山客で満車の駐車場

大河原峠を後にして初めての道を佐久方面に下ります。
峠を越えると別荘などの建物が見え始めます。

やがてJAXA宇宙空間観測所のパラボラアンテナが見えてきました。
蓼科スカイラインと呼ばれる道は片側1車線の走りやすい道路です。

大河原峠から佐久へ下る途中のJAXAパラボラアンテナ

道を降りたところは佐久市の臼田地区。
国道141号線を右折して佐久穂、小海方面へ向かい直売所などで産品を見て回ります。
夏の収穫シーズンを目前にした佐久地方では、レタスやセロリなどの新物が出回っています。
他にも何か珍しいものがあるかもしれません。

昼食は小海駅に直結したアルルという商業施設にある食堂・月華に入ります。
ご夫婦二人でやっている食堂でカツ丼を注文するとソースカツ丼が出てきました。
食べやすい味でしたが量が多く、満腹になりました。

小海駅直結の商業施設アルル
食堂月華のソースカツ丼
カウンターにNHKデイレクター和田勉の色紙があった

ここまでくると、141号線沿いのスーパーナナーズと高原のパン屋さんに寄らずには帰れません。
2軒ともこの地方のローカル店で、それぞれ2,3店舗を近場に展開しています。
ナナーズは今でもレジ袋を無料サービスしてくれます。
店内で作る総菜が美味しいので感心します。
この日は夕食用にコロッケのほか、お米なども買い込みました。

高原のパン屋さんは、手作りのあんパンやカレーパンが美味しく、地元で人気のパン屋です。
家族へのお土産にあんパンを買い込みました。
自宅へは息子の誕生会のために近々帰ります。

さてここから山小舎への帰還ルートですが、野辺山を回って清里からエコーラインで八ヶ岳の山すそを回遊するのが一般的です。
この日は、最短で茅野へ抜けることができる八ヶ岳横断コースのメルヘン街道を通ることにしました。

小海から松原湖畔を通ってメルヘン街道を目指していると、稲子湯方面の看板があります。
時間があるので寄って行こうと思いました。

麓の集落の狭い道を抜け、高原野菜の広々とした畑を抜けると山道に入ります。
やがて本沢温泉への分岐点を越えます。
本沢温泉は最終駐車場から2時間歩かないとたどりつけないことで有名な温泉です。

やがて稲子湯の建物が見えました。

八ヶ岳中腹の秘湯・稲子湯

北八ヶ岳の登山基地としてひっそりとたたずんでいる稲子湯。
開湯して100年。
天狗岳、硫黄岳への出発地点の宿です。

この日は駐車している車は2台、そのうち1台は立寄り湯に来た高齢者のものでした。
そのおじさんが出てゆくのと入れ違いに建物の中へ。
中には管理人のおじさんが一人います。
入浴料は650円でした。
ちなみに一泊二日の料金は9,870円とのことです。

閉鎖されている売店と食堂。かつての賑わいを思わせる

自炊宿のような、昭和の香り漂う館内を通り温泉へ。
浴室の入り口を過ぎると硫黄臭がして温泉らしさが迫ってきます。
浴室は東北の温泉場のような年季の入った秘湯感にあふれたもので、最近のスーパー銭湯のような温泉に入りなれた身には懐かしくもあり新鮮でもありました。

ここまでコミュニテイバスが運行している

帰りのメルヘン街道は、標高2000メートルの麦草峠を越えたあたりから、霧雨に覆われ視界がふさがれるほど。
ワイパー全開で点灯し、慎重に走行します。

肌寒くもあり、初夏とはいえ山の気候の厳しさを思い知らされました。

天気一変のメルヘン街道

ビーツの甘酢漬け

初めてビーツの保存食にチャレンジしました。
ビーツの甘酢漬けです。

ビーツは赤いカブのような野菜。
ロシアのボルシチの色付けに使われています。
信州では秋から冬にかけて直売所などで見かけます。
山小舎おじさんの自宅では野菜のスムージーに使います。
独特の土臭さと、生命力の強さを感じる味です。

7月になったばかりの初夏に真田の直売所で見かけたビーツ。
夏に採れる品種なのでしょうか、3個買いました。
そのうち1個を甘酢漬けにしてみます。

レシピ通りサイコロにカットし水で煮ます。
ひたひたの水がなくなってくる頃、ビーツが柔らかくなります。

別の鍋で甘酢を作ります。
リンゴ酢と水を1対1。
砂糖と塩を分量入れて煮立たせます。
火が通ったビーツを甘酢に漬けて、煮沸した瓶で保存します。

スムージーの材料になるほか、様々な料理に利用できます。

ここでビーツに関する思い出です。
40年ちょっと前の放浪旅行の最後の方にポーランドを回った時、ワルシャワの旧市街のレストランに入りました。
当時のレートではドルとポーランドズロチでは、公定レートも闇のレートも比べものにならないくらいズロチは安く、街中やレストランではドルの闇両替の声が掛かったりしました。
入ったレストランでは民族衣装を着たウエイトレスがメニューを持ってきましたが、此方が指し示すメニューのことごとくが「できない」とのことでした。
できるメニューの一つが真っ赤なスープに浮かんだロシア餃子のスープでした。
その時の鮮烈なビーツの味を思い出します。