味噌を仕込む

味噌を仕込みました。
3年目の山小屋暮らしで初めてのことです。

去年も試みましたが大豆がうまく手に入りませんでした。
今年は伊那地方の南箕輪村というところの直売所で地元の大豆を見つけて3キロ買っておきました。
去年の豆ですが1キロ300円はお買い得でした。

麹はJA松本の直売所で見つけて買っておきました。
松本の藤林屋というところの麹で1キロ800円しました。
スーパーでは1キロ400円の麹が売っていますからちょっとした贅沢です。

味噌仕込みの準備

前日から大豆を水につけておきます。
大豆をよく洗って倍の量程の水に漬けます。
ネット情報によれば18時間ほどつけるとよいそうです。
それに近い時間漬けました。
乾いた大豆が白いのに対して長時間水につけた大豆は黄色く艶が出ています。

翌朝、大豆を煮る準備です。
3キロの大豆は大量です。
大きな鍋とそれをかける火が必要です。
味噌を漬けこむカメも用意しておかなければなりません。

大豆を煮る

外にストーブを用意しました。
拾ってきたボロボロの薪ストーブを使います。

その間、水につけておいた大豆を鍋に入れ、ひたひたに水を張りなおします。

火にかけます。
95度ほどでコトコト煮込むのがいいそうです。

ボロボロの薪ストーブでは微妙な火力調整はできませんので火力が衰えないように薪をくべながら時々鍋を見に行きます。
ネット情報では2時間ほど煮込むとありましたが、おじさんは5時間ほどかかりました。
早々に火が通り、食べられるほどの堅さ(というか柔らかさ)にはなるのですが、指ですぐつぶれるような柔らかさにはなかなかなりませんでした。

味噌を仕込む

麹と塩を混ぜておきます。
塩の量は麹の半分(大豆の半分でもある)としました。
よく混ぜておきます。

この時点で、かなり扱う分量が多いことを実感しました。
塩麹だけで大きなボールに一杯分もあります。
普通の家庭ならこんな大容量の容器を用意できるでしょうか。
これに大豆が混ざるのです!

ゆであがった大豆をつぶします。
ポテトサラダを作る時のマッシャーでつぶしましたがこれが時間がかかる!
受けるボールの容量にもよりますが、お玉に4,5杯を一回分としてつぶしましたが20回ほどやったでしょうか。
しかも結構力がいるので、スマッシャーの柄が曲がってくるほど!

大豆の分量が多い場合はミキサーを使わなければ現実的ではないな、と思いました。
袋に入れて棒でつぶす方法もあるようです。

たまに大豆の形が残った味噌がありますが、人力での大豆つぶしの大変さが分かった今では、作った人の気持ちがわかります!

必死の思いでつぶし終わった大豆を塩麹と混ぜます。
この時点で3キロもの大豆で味噌を仕込もうとした無謀さをはっきりと悟りました。

大豆を煮た大鍋と、塩麹を混ぜた大ボールをやりくりして何とか大豆と塩麹を混ぜました。

ネット情報では大豆の煮汁は使わない(使う場合は塩を混ぜてカビを防ぐ)ことなので使いませんでした。
なんでも、味噌というものは「大豆は柔らかく炊け、味噌は固く仕込め」というものだそうです。

何とか混ぜ終えた味噌をカメに詰めました。
丸めて詰めてみましたが、途中で、カビ防止のためには空間を作らないこと!を思い出し、上から押しこみました。

表面を平らにしたらラップで表面を密封しました。
さらに重しをかけなければなりませんが、中蓋がありません。
探しているとホーロー容器のふたがありましたのでそれを使うことにしました。

重しを乗せ、異物が入らないようにビニールをかけひもで縛りました。

出来上がりが楽しみです。

思った以上の1日仕事でした。
来年以降は反省して1キロにしようと思います。

畑の冬じまい その2

13日付のブログで「畑の冬じまい」をご報告しました。
3年目を迎える一番慣れた畑の冬じまいの様子でした。

同様に今年から始めた畑の冬じまいをしようとしましたが、今度は思うようにゆきませんでした。

今年から始めた畑は全部で4枚あり、総面積も200坪ほどの広さです。
段々畑で元は水田。
粘土質の上、水はけがよくありません。

4月の春先にはそれでも耕運機で耕して、ジャガイモ、藍などを作付けしたのです。
が、冬じまいの耕耘をしたときは、土がぬかるんで耕運機のタイヤが滑ったり、刃が泥でつまったりして全くはかどりませんでした。

台風19号で1年間の降水量の40%が降ったという長野県です。
粘土質の畑にはその時の水分がまだたっぷり残っているのでしょうか。

それでも頑張って耕運機を操り、2枚半耕しましたが、そこでギブアップ。
年内の耕耘をあきらめました。

畑表面の雑草と枯れ草が土壌の乾燥を妨げているのかな?
と草刈り機で生え残っている雑草を借り、枯れ草を集めて、畑の表面に直接日光を当ててみようかな?
と思いましたが、土壌のぬかるみ?は短期間では乾きそうもないとわかりました。

ということで、この畑、年内の作業は枯れ草、枯れ枝の野焼きと排水のため排水路の整備にしました。
どこまでできるか。
今回は、畑の周りと排水路周りの雑草、枯れ枝を集め、野焼きの準備をしました。

排水路については、隣の山すそ沿いに1本、段々畑の各石垣沿いに1本(山すそ方向と、農道方向に)素掘りで掘ったもの(の名残)があります。
今後、それらを再度掘り直し、水の通りを良くしたいと思います。
この畑の排水には数年かかるものと思います。

畑の前任者による排水パイプが残っている。
利用したい。

「日本に二つしかない五稜郭」へ行ってきた

佐久へ行ったときの報告です。
中山道の望月宿から、佐久平で地酒・千曲錦を求め、野沢地区でぴんころ地蔵を訪ねてきました。
望月宿とぴんころ地蔵については別稿でご報告の通りです。

今日は佐久市の南端、臼田地区にある「日本に二つしかない五稜郭」を訪ねた時の報告です。

ぴんころ地蔵をお参りした後、佐久市を南下。
臼田という地区から西方向へ向かうと、龍岡城五稜郭がありました。
函館五稜郭とともに日本で二つしかない五稜郭です。

幕末の時期、当時の藩主が西洋式の城郭をと建築したとのこと。
函館よりは規模が小さいものの、鋭角な城壁とお濠の形といい、確かに五稜郭でした。

城壁の内部は小学校になっています。

函館のようにタワーがあって全体を俯瞰できるような設備はありません。
資料館が建っており、当番の地元の方がいるだけです。

周りの集落に溶け込んだ具合は、地元のお城に対する愛着を感じました。

天守閣がそびえたつお城が日本では有名ですが、探せば国内にもさまざまな様式のお城があるのかもしれません。

五稜郭から千曲川を渡った西側に稲荷神社がありました。
鳥居と紅葉が見事でした。

佐久のお土産は千曲錦です。

佐久平に蔵元がありますが、この日は休みで蔵元の直売所へは行けませんでした。
近くのデイリーヤマザキに「千曲錦」の張り紙があったので寄ってみました。
品切れになると蔵元に直接仕入れに行くというご主人の説明を受け、「帰山」と「限定生酒」の2本を購入。

別荘地の朝市のお客さんで「千曲錦なら飲める」という人がいたので気になっていたのです。
集まりの時にでも飲んでみようと思います。

 

切干大根 日光浴中

切干大根を作っています。

去年も作り家族に好評でした。

ちなみに家族に好評だった農産加工品は、干し柿、切り干し大根とブドウジャムでした。

今年は大根畑が台風19号の豪雨による土石流で流されたため、買った大根で作りました。
切干大根にすると、スジ張った大根でもごまかせる上に、味がよく出るので、ぜひ今年も自作の大根で作りたかったのですが・・・。

ということで切り干し大根作りです。

大根は洗って皮付きのまま輪切りし、千切りしてザルに広げます。

ザルは晴れの日にはお日様に当てるようにします。

ある朝、鹿が庭先に来てザル半分ほどの大根を食べてしまいました。
飛び出して鹿を追い払い、畑同様に鹿よけテープをザルの周りに張りました。

その後も鹿は朝9時になると顔を出しました。
小鹿連れの母鹿でした。
朝9時までザルを出さないようにしました。
テープの効果かどうか、鹿は顔を出さなくなりました。

切干大根は、お日様と寒風が味を出してくれます。
夜と雨天の日は室内に入れ余分な湿気を吸わせないようにします。

5日目のザルです。
柔らかい青首大根から乾き始めています。

市販の切り干し大根同様に乾けば完成です。

今年も好評かな?

初霜!薪運び急ピッチ

山小舎は晩秋というか、初冬です。
今朝は霜が降り、氷が張りました。

おじさんも冬支度急ピッチです。

やりかけだった薪運びを終えました。

台所下には去年積んだ薪があります。
これからの燃料に使います。

一輪車を使ってベランダに運びます。

台所下で薪を一輪車に積み込みます。

一度は乾いた薪ですが、その後の雨で湿ってしまったものもあります。
雨水を吸い込んだ薪はベランダで乾かしましょう。

一輪車は便利な道具です。
日本の発明でしょうか?
安くて簡単な造りの割に汎用性、操縦性が抜群です。
建設現場はもちろん、畑作業、庭作業には欠かせません。

厳寒の前を通り、山小屋のベランダ側に運びます。
一輪車の通行に段差は禁物なので、丸太と薪を使ってスロープ代わりにします。

ベランダ下につきました。
あとは手作業でベランダに運び、積み上げます。

積み上げた薪の重さは相当なものですが、ベランダは持ちこたえています。
土台がしっかりしていることはもちろん、ベランダが屋根の下にあり、「野ざらし」状態ではないことが大きいようです。
別荘地内の建物を見ても、野ざらしのベランダなどは遅かれ早かれ腐って崩れてしまっています。

運び終わった台所下の乾燥台は、しばらく日光に当てて休ませた後、これから割る新しい薪の置き場として活躍してもらいます。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.6 下諏訪温泉郷・菅野温泉

下諏訪温泉郷といっても、そこは豪勢な温泉ホテルが立ち並ぶいわゆる温泉街があるわけではありません。
民家の中に立ち寄り湯(外湯)が点在するような場所です。下諏訪はなんといっても諏訪大社下社の町です。
そこに古くから温泉も出ていたわけです。

国道20号線沿いにある矢木温泉、街中に分け入った場所にある新湯、旧中山道宿場に近い旦過の湯などの立寄り湯があり、地元の人や観光客に親しまれています。

今日は菅野温泉という立寄り湯に寄ってみました。

国道20号線の交差点です。
直進すると諏訪大社下社秋宮、右折すると上諏訪方面(東京方面)。

左側の八十二銀行が目印です。

交差点を左折するとぐっと落ち着いた(さびれた)雰囲気の通りとなります。

右側に菅野温泉の入口がありますが、看板もなく、一度来た人でないとわかりずらいです。

ここが温泉への通路です。
表の入口は反対側にあるのでしょう。

細い道を入るとやっと菅野温泉の案内板が。

そこから一気に菅野ワールドの世界です。

トンネルのような路地の入口に大きな暖簾がかかっています。

暖簾をくぐると薄暗い路地が続いています。
昔の路地裏のスナック街のようです。
そこには地元の人が通う1軒の銭湯がありました。

菅野温泉。
入浴料240円です。
あれ?つい最近まで230円だったような?気のせいかな?

ちなみに、浴場に無料のロッカーはありますが、石鹸、シャンプーはありません。
一度、うちのかみさんと来た時、石鹸、シャンプーを忘れてきたことがありました。
なんとその時に、番台のおばあさんが自分用のシャンプーを貸してくれたということで、かみさんが感激していましたっけ。

夏場は高めの湯温が気になりますが、冬場は体が芯から温まります。
やはり下諏訪温泉です。

広めのロビー(番台脇のスペース)と広めの脱所。
昔ながらの体重計も現役でした(66キロでした)。
おじさんはこういう銭湯に安心します。

これからも国道20号線の岡谷、塩尻方面からの帰りに寄りたいと思います。

駐車場はありませんので、歩いて5分の観光用無料駐車場を利用するとよいでしょう。

地元パワースポット探訪記VOL.11 国宝松本城

松本へ行ってきた。
シーズン中の松本は国内外の観光客で身動きが取れないこともあるが、晩秋の時期、松本は落ち着いた町に戻っていた。

奥座敷・浅間温泉街に浸る

美しが原高原から松本平に下りたあたり、松本の奥座敷・浅間温泉街がある。
日本書紀の時代から歴史に表れていた古い温泉。
現在でも都市周辺の温泉地として保養客を集めるとともに、随所にレトロな雰囲気を漂わせる。

外湯・仙気の湯。
12:30に訪れたが、昼休み中。
11:30から15:00までは昼休みとのこと。
地元御用達の外湯とはいえ、この「融通のなさ」に、県民性を感じてしまうのは山小屋おじさんだけだろうか?

温泉街の飲泉所。
暖かい温泉水を汲んできました。
細かな注意書きが貼ってありました。

浅間温泉の開湯といわれる琵琶の湯。
奥まったアプローチとただならぬたたずまい。
立寄り湯専門の施設だそうです。

廃業した木造3階建ての建物。
ただの廃屋ではない存在感です。

注目はモミジではなく煉瓦の塀。
旅館の外塀ですが醸し出す存在感にパチリ。
重みがありハイカラです。

温泉街の歴史とともに歩んだ商店がありました。

松本城の今日のたたずまい

松本のシンボルにして世界的知名度を誇る歴史的遺産・松本城。
天守閣はオリジナルなものが現存しています。

シーズン中は内外の観光客でお堀端はにぎやかですが11月中旬の今日は寂しいくらいの人出です。

いつ見ても本物の迫力に圧倒されます。
冬期間の雪を頂く北アルプスを背景にした天守閣もいいですが、紅葉に彩られた人出の少ないお城もいいものです。

お城を出ていつものコース。
四柱神社、縄手通り、中町通り、パルコのある中心街、駅前までを一巡しました。

シーズン中はにぎわっている観光客の姿がほとんどありません。
その分街の浮ついたにぎやかさがなくなっています。
これが松本の本来の姿なのかもしれません。

松本の、都会的で浮ついた明るさにひかれていた山小屋おじさんもしょせん「観光客」の一人だったのでしょう。
でも何度か来るうちに表面的な観光コース上の街の様子は見飽きました。

松本城へ至る観光客用のよそ行きコースには、地元の人はいないのかもしれません。
そういえば、上田や長野にある風情ある飲み屋街をこの町で見たことがありません。

今後は少しずつディープな松本の姿に触れるべく意識して訪問の機械を作ってゆこうと思います。
待ってろよ松本!

おじさんの松本土産

地元の和菓子屋・開運堂のどら焼き

駅ビルの書店の山と渓谷社コーナーで発見した「定本・黒部の山賊」という文庫本。
松本は上高地の玄関口としても有名だ。
書店の店員さんに「松本のタウン誌はないか?」と聞いたら「かつてはあったが今はない」とのこと。残念。

JA松本の直売所で入手した米麹。
今年は味噌を仕込みます。

同じく直売所でシナノスイートをゲット。
規格外とはいえ8個入りで324円!

写真を撮る前に食べてしまったが、駅前の藤屋という和菓子屋の団子。
ゴマと草団子つぶあん。
今までに食べた団子の中でも最も食べ応えのあるものだった!

 

畑の冬じまい

今年の畑はいろんなことがありました。
毎年新しい畑を借り増しして、全部で300坪ほどの畑を耕すことになりました。

作付け品目と収量は多くなりましたが、鹿の食害でサツマイモとかぼちゃが全滅するなどの被害もありました。

そもそも全面積を耕し切れませんでした。
春先から作付けの時期までは広い面積の扱いに追われ、夏には旺盛な雑草の草取りに追われました。

極めつけは10月の台風19号で借りた畑1か所が土石流に巻き込まれたことです。
幸い人的被害はなかったものの、収穫間近の大根、人参のほか、畑の端の柿の木、梅の木まで根こそぎ流されたのはショックでした。

うまくできた作物、できなかった作物など今年も様々でした。

11月中旬。
越年のアスパラガス、玉ねぎ、にんにくを残し、すべての作物の栽培が終了しました。
畑しまいです。
方々で枯れ草や収穫物の残滓を燃やす野焼きの煙が上がっています。

畑じまいには、収穫後の畑を耕して石灰を散布しておきます。

この時期に畑を耕すのは、冬の間に土壌を日光消毒するためと収穫物の残滓などをすきこんで分解を促進するためです。
1年働いてくれた畑にお疲れさんを伝えるのが慰労の意味もあるでしょうか。

というわけでおじさんも1年働いてくれた畑を耕して冬じまいしました。

まず、精米所からもみ殻をもらってきました。
米袋に14袋ほど。

日頃から土壌の通気性の保持、団粒構造化のためにもみ殻を畑に投入しています。
米の収穫が終わった今頃がもみ殻集めの時期です。
精米所にはいくらでももみ殻(糠も)があるので手間はかかりますが、米袋を使って集め、畑にまきます。

もみ殻を撒いた後、畑を耕します。
おじさんは大家さんの管理機を借りて耕します。

雑草や作物の残滓が多いおじさんの畑では管理機の刃にいろんなものが絡まります。
ときどき管理機を止めて絡まったもの外します。

耕し終わったら石灰を散布します。
消毒とPH改善のためです。

畑の端にどけてある夏野菜のツルや、茎などは来春野焼きで燃やすことにしましょう。

畑よ来年また会おう。

中山道望月宿を行く

山小屋おじさんの住む長和町を東西に貫く中山道。
江戸五街道の歴史を刻み、現在は関東圏と中部・北陸を結ぶ物流の動脈として命脈を保っている。

長和町には、中山道の宿場として和田宿と長久保宿がある。長久保宿から江戸方面に笠取峠を越えると、芦田宿があり、もう一つ江戸方面に行くと望月宿がある。

佐久方面へ向かった山小屋おじさんは望月宿を訪ねてみた。

望月歴史民俗資料館へ

トラックが行きかう国道142号線(現中山道)。
笠取峠を越えて、左に折れ、望月宿に入ってゆく。

とたんに表通りの「雑踏」から裏通りの「日常」に戻ったような静寂(沈滞?)の雰囲気に包まれる。
角に中山道の道しるべ。
旧街道を歩くウオーカー用だろうか。
望月宿へのイントロダクションとしてふさわしい風景だ。

宿場の街並みは日曜日なのに人影もなくたたずんでいる。
ひと先ず、民俗資料館へ。
地域の情報を系統的に把握するには資料館に飛び込むのが一番だ。
入場料310円。

先史時代の土器類から、宿場時代の絵図類、戦後の生活道具類までをコンパクトに展示しており郷土への誇りと愛着が感じられる資料館。
中でも、鎌倉時代からこのあたりで馬を飼い慣らす「牧」があったこと、終戦直前にこの地に陸軍士官学校が神奈川県から移転してきたことが目を引いた。
中世から戦中にかけてこの辺りはある意味で「選ばれた場所」だったのだ。

本陣は現在医院になっています。

重要文化財の建物です。

「犬神家の一族」ロケ地

1976年の「犬神家の一族」は角川書店の大々的宣伝の先駆けという意味でも画期的な映画だった。
作品自体も市川崑監督の個性と、当時のスタッフ、俳優の力量がマッチした満足できるものとして記憶に残った。

この映画で冒頭、金田一耕助がクライアントに招かれ、投宿する「那須ホテル」のロケ地が望月宿である。
ロケ地は出野屋旅館といい、現在も営業している。

旅館の様子は「日本ボロ宿紀行2」に載っている。
同書によると戦前は芸者の置屋として繁盛し、戦後は下宿屋に転業した歴史を持つ、凝った造りの宿屋だそう。
食事には佐久名物の鯉料理もつくそう。

予備知識がなければ営業しているのかどうかもわからないほどの人気のなさが気になりますが。

バスターミナル周辺に昭和の繁栄の名残

望月宿の街並みは数百メートルの長さだが、街並みの一番佐久寄りにバスターミナルがあって、現在の宿場の中心地がターミナル周辺であることがうかがえる。

バスターミナルは不釣り合いなほど広い敷地で、かつては乗客でにぎわっていたことが想像される。

正面の書店は閉まって久しい感じだが、比較的大きなつくりの書店からも、ターミナル利用客や宿場自体の人口が多かったことがうかがえる。

諸行無常。

丸太の山に取り組む

丸太の山ができました。

丸太と言っても細い雑木が多いですが・・・。

山小屋おじさんの下に届けられた燃料用の木材です。

細い丸太は切ったり干したりする手間ばかりかかる割に、すぐ燃えてしまうので、燃料としての利用価値は低いのです。業者としても廃棄するしかないのでわざわざ持ってきてくれるのです。

半分に割れる太さがあれば割って干します。
割れない太さの枝は・・・よく乾けばタキギ代わりになります。

畑の仕事も、最後に石灰を撒き耕運機で耕して冬じまいするだけになり、今の季節、たまりにたまった丸太の処理がメインです。

太い丸太を優先的にチェーンソーで切ってゆきます。
鉞で割ることを考えると40センチから45センチの長さに切らなければなりません。

木の材質や丸太の直径により長さは前後します。
白樺などの割りやすい木は長めに、アカマツなど割にくい木や節のある木は短めに切ります。

切った木は軽トラで庭先に運びます。
手があいたときに鉞で割って乾燥台に積んでゆきます。

細い枝の乾燥台です。
おじさんが枝の乾燥台に使うのは山小屋にたくさんある不要のスチール製ラックです。

ラックに枝を積む場合は枝全体の重さと重心に考慮します。
ラックの土台をしっかりさせ、積み方が偏らないように気をつけます。

こんなにたくさんの薪を干す場所があるのかって?

実は、去年積んだ薪が台所下の壁際で乾いており、一輪車に積んでベランダに移動しています。
これからの燃料用です。
小一時間の作業で5時間くらいかかる量で、まだ3時間分しか移動できていません。

この場所が空いたら、今年の新しい薪を積んでゆこうと思います。
日当たりはいい場所です。

その場所も一杯になったら?
玄関わきに積みます。

切る作業、割る作業、積む作業。
薪づくりは手間と時間がかかります。

11月中に丸太の処理が終わるかどうか心配です。