初冬の庭仕事 3日目

今週末で山小屋とはしばしのお別れです。

今日の庭仕事は、薪の乾燥台に雨除けのベニヤを乗せたこと、庭木の冬囲い、などです。

夏前から薪を割っては積んでいた乾燥台です。

普段は露天にしていて、雨の日や長期離脱時には雨除けにベニヤなどを乗せていました。

12月からの山小屋冬じまいの前に、「本格的」に雨除けを施しました。

本格的といっても、いつもよりベニヤなどの数を増やして、かつ風で飛ばないように重しの薪を多めにしただけです。

冬の間は雨はほとんど降らず、雪だけです。
しかも今年の雪の量は少ないだろうとのもっぱらの噂です。

庭のブルーベリーの苗木に冬囲いです。

毎年冬の前に、夏の間伸びた枝を鹿に食べられてしまい、買った時よりも丈が短くなっている苗です。
買ってから丸2年たちました。

今年は例の鹿よけテープで冬囲いしてみました。
来年は春先から鹿よけテープで囲おうと思います。

冬になり別荘地内に鹿の群れが我が物顔で横行しています。人間を見ただけでは逃げもしなく、かわいさはありません。

柿酢が仕込みから一週間

今年の柿酢を仕込んでから一週間たちました。

11月15日に仕込みました。

いつも通りきれいにした保存瓶に柿を詰め込んだだけです。

発酵博士の小泉武夫さんのブログには、「柿の表面の白い粉が発酵の酵素なので洗って落とさないように」とあります。ですから柿はほとんど洗わずに、ヘタと傷んだ部分だけとって詰め込みました。
甘柿、渋柿は問いませんでした。

原料の柿は、まず直売所の甘柿100円を2袋。
固い柿が多かったので、1週間ほど常温で保存しましたが大して柔らかくはなりませんでした。
一応すり鉢でつぶそうとしましたが、固くてつぶれないものはそのままにして使いました。

次に、道の駅で買った1袋400円の柿はほどほどに熟していたので、つぶしながら詰め込みました。

以上、原材料費は600円です。

柿の追加もOKとのことなので、畑に行ったときに近くの無人の畑のわきの柿の木から計10個くらいもいできて加えました。
この柿は表面の白い粉のふき加減もよく、またよく熟しているので見るからに発酵に寄与しそうな感じがしました。

ということで仕込みから1週間。
追加は適宜で仕込んだ柿栖の現状です。
カビはなく、腐敗もなく、いい具合にあぶくが出てきています。

順調だと思います。
この分で行くと来春頃には、何ともいえない自然由来の風味を持つ酢になっていることでしょう。

「小諸なる古城のほとり」にて、晩秋。

山小屋おじさんの今シーズンもあと一週間。
12月からは自宅に戻ります。

畑仕事は終わったのですが、追っかけの薪仕事に追われる今日この頃。
骨休めにと、小諸に行ってきました。

途中の立科町で「ふじ祭り」に遭遇

山小舎からいったん白樺湖に下りて、女神湖、長門牧場、雨境峠を越える県道40号線ルートで小諸方面に向かいました。

山を越え里に入ったところの農協で、JA佐久浅間主催の「ふじ祭り」が行われていました。
11月中旬を過ぎ、主力品種のふじリンゴの収穫を待っての収穫祭兼即売会でした。

地元主催のお祭り系には立寄るのをモットーとしている山小屋おじさんは駐車場へと軽トラを滑り込ませました。

地元による地元のための行事です。
主催者もお客も全員地元の完全アウエー。
威勢はいいが気の小さな山小屋おじさん、駐車場の段階から動悸でおどおど。
何とか好奇心が勝って会場へ。

蓼科牛の焼肉、ヨーグルト、野菜など地元産品のの出店が並び、遠くに的屋の屋台も見えます。

メインはなんといってもフジの即売。
これに長蛇の列。
まさか立科町の農協でこのような列が見られるとは!
田舎をなめていました、スイマセン。

皆さんご進物用にリンゴを箱で買っているようです。
なんといっても地元が誇る名品の念に一度の収穫の日です。新嘗祭(勤労感謝の日)です!

よく見ると値段は100円/個見当で特段安くはありません。
産地直送の一級品ですこぶるおいしいのでしょうど・・・。ということでおじさんは、ソースかつ弁当500円と、リンゴジュース350円を購入。
そそくさとアウエー会場から脱出したのでした。
貴重な体験でした。

小諸城址を「懐古園」に訪ねる

その昔、献上用の馬の牧場があったという、御牧ケ原という地名の高原を抜ける千曲ビューラインという快適な道を通り小諸に向かいました。

小諸は島崎藤村が「小諸なる古城のほとり・・・」とうたった城下町です。
小諸城址は現在では「懐古園」という公園になっています。

懐古園の駐車場は全国ナンバーの車で満車状態でした。
小諸といえば城址ということでしょうか。

駐車場からすぐの三の門です。

三の門からしなの鉄道線をくぐって反対側には大手門があります。
建物も立派ですが石垣が大掛かりで素晴らしいと思います。

城内に入ります。
お濠をまたぐ黒門橋からのモミジです。
今年最後の紅葉です。

島崎藤村の記念館。
小諸義塾という私立の学校の講師として招かれたことが藤村と小諸の(ひいては信州の)ご縁となりました。

千曲川を望む展望台。
千曲川が切り立った谷を刻む急流であることがわかります。今現在も完全な治水はできていない急流なのです。

天主台。
天守閣が小さなものだったことがうかがえます。

この小諸城、関ケ原の戦い当時、徳川軍の本拠として真田軍との間に、第二次上田合戦に臨んだとのこと。
といっても表面上は徳川のいうことを聞きつつ、結果的には真田に利する働きをしたようです。

恐るべきは信州人の面従拝復。
複雑で芯の強い性格は昔からのようです。

深々としたお濠の跡をみても実戦的なお城だったことがわかるような気がします。

城址公園としてはほとんど破壊しつくされた上田城などよりはるかに原型をとどめており、当時の様子がうかがえる気がします。
何よりゆったりした雰囲気が最高なのです。
気に入りました。懐古園。

園内には動物園もあります。

園内にはカップルの姿もあり、地元のヤングのデートコースでもあるようでした。

北国街道・小諸宿

北国街道という重要な街道があります。
江戸五街道に比べてネームバリューはありませんが、佐渡の金を江戸の運んだルートであり、仙台の伊達、安芸の毛利と並ぶ実力者・加賀の前田の参勤交代のルートだったのです。

城下町でもあった小諸は単なる宿場町というだけでない栄えた場所だったようです。

現在の小諸宿の中心部です。
歴史的建造物はあまり残っていません。
もったいないですが、もともとこの地方の中心地として栄えていたため、「宿場」に頼らずとも、戦後のある時期までは発展できたということなのかもしれません。

北国街道とその宿場については今後とも関心を持ってゆきたいと思います。

北国街道と平行する現在の中心部。
地方都市の例にもれずシャッター街と化しています。

なんとなく、城下町、宿場時代からの「都会風」の名残を町の空気に感じます。

駅です。
しなの鉄道は2本/毎時、JR小海線は1本/毎時ほどの運転状況でした。

駅前の庭付きカフェの前で、出店が出てギターの演奏が行われていました。
若い人たちの息吹です。

ご当地どら焼き食べ比べ

どら焼きを見ると食べたくなる山小屋おじさん。
食べてよし、お供えしてよし、お土産によし。
持ちもいいし、よそ行き感もちょっぴりある、重宝なお菓子ですね。
自然相手の労働につかれた時の糖分補給にも、これが最高なのです。

ということで、この3年間に出会った、ご当地のどら焼きをを食べ比べてみました。

竹風堂のどら焼山は定番中の定番?

小布施に本店のある竹風堂。
長野市近辺を中心に、松本、上田、軽井沢などの県内に店舗展開している。

店に入るとお茶のサービスがある。
店員さんの印象は非常に良い。
またソフトクリームも販売している。
諏訪や茅野に店がないのが残念。

どら焼きは、どら焼山の登録商標で売られており、「小倉あん」と「栗粒あん」の2種類ある。

食感はしっとりしており、香りがある。
皮がしっとりしているのがよい。
餡は取り立てて特色がなく、小豆の風味より甘みが目立っている印象。
栗餡は粒をかみしめたときに幸福感を感じるものの、それ以外の餡に栗の香りが弱い。

明治17年創業の老舗、開運堂

松本の中心地に本店があります。
東京や名古屋のデパートにも出店しているそうです。
県内では全国レベルの和菓子屋さんです。

松本本店の店舗もおしゃれで、庶民的というよりはお高くとまった感じです。

ここのどら焼きがおいしい!
最初食べたときは皮にも甘みをつけている!と感じました。皮の材料に砂糖が含まれるのは当然ですが、必要以上の甘みを感じたのです。

二度目に食べたときは、全体の香り、しっとり感、小豆の風味、どれをとっても満足感がありました。
高級感があり、お土産にも最適だと思いました。

東御市の花岡は山小屋最寄りの和菓子店

上田の隣の東御市に、花岡という和菓子メーカーがあります。
直営店が丸子のツルヤ隣にあるので行ってみました。

クルミをアレンジした商品が一押しのようです。
クルミ団子とどら焼きを買ってみましたが、クルミ団子はあまじょっぱいクルミ餡が強烈な印象でした。

どら焼きも期待したのですがこれといった特色無し。
皮、餡、風味、しっとり感、すべてがいまいちの印象でした。残念。

ということで、3社、4個のどら焼きの評価は、開運堂がNO.1でした。

 

初冬の庭仕事 2日目

庭仕事急ピッチです。
今朝も寒かった。
寒さが冬のそれになってきました。

これからの季節、日差しがさすまで外に出たくありません。
日差しが強い日は、日中のほんの一瞬だけ山小屋周辺もポカポカするのですが。

太い丸太を玉切り

今日は残っている太い丸太を玉切りしました。

太い丸太は扱いが大変です。
まず重い!
とても人力では扱えません。

と言って、地面に密着している丸太をチェーンソウで切るのには注意が必要です。
刃が地面に接するのは厳禁なのです。
土や石を刃がかむと、てきめんに切れなくなるのです。

丸太にこびりついた泥やごみにも注意です。
丸太をなでるように軍手で拭き、刃が地面や石をかまないように気を付けて切ってゆきます。

太い丸太を切るのには時間がかかります。刃の切れが悪いと仕事が進みません。

ということで、丸太を転がしたり、端っこを頑張ってほかの丸太に持ち上げるなどして玉切りしました。
この丸太は赤松なので、節や筋が絡まりあった材質で、切るのはいいのですがものすごく割りにくいのです。

一難去ってまた一難の薪割が待っています。

薪割、積み込み、ごみ焼き

次に玉切りした丸太で山になっている庭の整理です。

暇を見ては割っています。
白樺などは割りやすいのですが、先の赤松はものすごく割りずらい。
なので赤松の細めの奴は、無理して割らずにそのまま積んでしまいます。
太い丸太はなんとか割るようにします。

焼き台ではごみをガンガン燃やします。
燃料は薪の端材です。

割った薪ですが、メインの乾燥台はそろそろ満杯なので、台所下の乾燥台に運んで積みます。

台所下の乾燥台は、地面が傾斜している上に、ラックの強度がないので積み方に注意します。
端っこから積んでいったら、崩れてしまいました。

改めて、全体に下から積んでゆき、ラック2本とそれ以外の山が全体でバランスが取れるように積みなおします。

冬支度はまだまだです。

「奇跡のリンゴ」第2弾「すべては宇宙の采配」再読

山小屋おじさんは11月初旬に孫たちと松川町のリンゴ園へ行ってきました。
そのときにリンゴ農家の人と話したのがきっかけで、木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」を再読しました。

やっぱり面白い本だし、木村さん面白い人だと思ったので、その第2弾「すべては宇宙の采配」という本を引っぱりだして読んでみました。

木村さんの面白エピソード満載の本

「奇跡のリンゴ」がルポライターによって、木村さんが無農薬リンゴの栽培にたどり着くまでの経緯を現した本だとすれば、「すべては宇宙の采配」は木村さん自身を著者とした、自分語りの本です。

本で読むだけで、木村さんという人の面白さは伝わりますが、それにもましてというか、それ故にというか、木村さん自身のエピソードが面白すぎるのです。

バイトとして携った弘前のキャバレー時代の話や、白ナンバートラックの運ちゃん時代の話は、とんでもない失敗談の中に木村さんの人柄と強運ともいうべき人生の背景をうかがわせて忘れられません。

それから、竜を見たとか、UFOに乗った話になるのですが、他人はともかく本人は真実のエピソードと信じていることがうかがえます。

無農薬リンゴを実現した人だからこそ許された自分語り。
やはり木村さんは特別な人なのでしょう。

DIME増刊「大学は美味しい!!」

急に2008年発行の雑誌の話になります。
DIMEというビジネス雑誌、まだ発行しているのでしょうか?

おじさんが持っているこの増刊号は、「キャンパスの隠れた食の名品」をキャッチフレーズに、大学発の食の名品を特集したもの。
捨てずにとっておき、山小屋に持ってきてました。

当時、新宿高島屋の催し物会場で同趣旨のフェアがあり、おじさんも駆けつけましたが、仕事帰りの時間帯では狙っていた品物は売り切れており、残った中で良かれと思って選んだ、奈良女子大の「奈良漬アイス」が家族に不評だったこともありました。

閑話休題。
この雑誌に弘前大学のリンゴジュースの話が載っていたことを思い出し、取り出してみました。

その中に弘前大学教授の話として「ポリフェノールの含有量は完熟果より、摘果して捨てられている未成熟のものに多い」、このことを発見して「無農薬無肥料栽培の未成熟リンゴを原料にリンゴジュースを作った」とあります。

ありました、「無農薬リンゴ」というキーワードが!
なるほど、生食用として成熟させなければならないリンゴと違い、最初からジュース用の未成熟を作るのであれば無農薬でも栽培可能なのでしょう。

コマーシャルベースで無農薬リンゴの有無を論ずる以前に、現場には面白い現実が転がっているのです。

木村さんは生食用の成熟果を無農薬で栽培しているのかもしれません。
あるいは、消費者から見ればB級品のような見かけのリンゴなのかもしれません。
あるいはUFOに乗るような木村さんですから、リンゴとは既に別な果実の開発に成功しているのかもしれません?

いずれにせよリンゴの世界は奥が深そうです。
ましてや自然全般の世界においておや。

初冬の庭仕事

山小舎は晩秋というより初冬の塩梅です。

夕方前には急激に寒くなります。
洗濯物を干したり、切り干し大根や干し柿を日に当てる時間はせいぜい9時から15時まででしょうか。

夜は薪ストーブだけでは寒さでリラックスできないほどで、夜中は布団から手足を出すと寒さで目が覚めます。
ちなみにパジャマの下にはシャツとズボン下を着込み、靴下をはいて寝ています。

たまった薪を積み込む

今日は一日庭仕事をしました。

まず気になるのはたまった薪です。
業者が持ってきた丸太がまだまだそのままになっています。細い丸太が山になっています。
このうち、チャーンソウで切ったものをラックに積み込みます。

このような状態の丸太置き場です。

積み込む前の乾燥台です。
細い丸太専用のラックです。

カットした丸太を一輪車に積んで運びます。

ラックに積み込みます。
ラックは傾かないように土台に石などを敷いておきます。
重心を下に、また前後左右に傾かないように積み込みます。

今日の分を運び去ったとの置き場です。

積み込み後のラックです。
結構積み込みましたが、幸いラックが前後左右に傾いてはいません。
今月中にできるだけ積み込みます。

その後、太い丸太をチェーンソウで玉切りし、集めておきました。
次回、軽トラで運んで薪割りします。

夕方はもみ殻燻炭焼き

野外は寒いので気持ちだけでも温まろうと、作業中はごみ焼きをします。
燃料は薪を切ったり割ったりする際の端材、木っ端、などいくらでも出てきます。

焚火のオキを残しておいて、もみ殻燻炭を焼きました。

かまどを密閉してもみ殻をくべて蒸し焼きにします。
難しいのはオキの火力の具合と密閉度。
火力が強いと(密閉が弱いと)灰になりますし、火力が弱いとゴマ塩状態の燻炭が出来上がります。

夕方5時前には真っ暗です。
今日の庭仕事が終わりました。

縞ウリの粕漬試食!

8月に塩漬けして、9月に酒粕で本漬けした縞ウリを試食しました。

材料は直売所で一袋100円で買ったウリです。
漬物にしようと思い購入しました。
こういった余り品種改良されていない在来種の作物は安くてお買い得です。
おじさんの好きな粕漬を作るチャンスです!

ネットで漬け方を調べました。

一度塩漬けにしました。
酒粕で本漬けするときには、塩抜きして表面を乾かしました。
レシピ通りです!

11月中旬。恐る恐るカメをあけてみました。

これまで漬物というと、たくあんが2年連続失敗。
キューリやナスの漬物は最初の年は粕漬や辛子漬けまでうまくいったのですが、2年目は塩漬けの段階で失敗しました。

何事も経験ですが、丁寧にやることが一番だ寺なのかもしれません、何事も。

というわけで今年のウリの粕漬。
何とか食べられるように漬かりました。
好みからいうともう少し甘くてもいいかな?
酒粕の酒臭さが残っているな?
しょっぱいかな?という気がしますが、自分で作ったと思うと十分おいしいのです。

もうちょっと漬け込んで、ウリの実が透明になるくらいまで待ちましょうか。
そのためには来年の春以降の温暖な時期に気をつけなければなりません。
あっ、その時期には新しいウリの漬け込みの季節になっていますね!

ご近所立寄り湯めぐりVOL.7「信州の鎌倉」別所温泉

晩秋の別所温泉へ行ってきました。
信州の鎌倉と言われている温泉地です。
なぜそう呼ばれるのかというと、鎌倉時代に由来する古いお寺が多く、風情があるからだけではありません。
この地を収めたのが、塩田北条氏といい、鎌倉北条氏の要職にあった人物を祖としており、ており、その意味で鎌倉とはつながっているからなのです。

温泉地の中心は北向観音

上田市郊外の塩田平のどん詰まりに湧いた温泉です。
北向観音と呼ばれるお寺が中心部にあります。

参道の両側にはみやげ物屋が並びます。

善光寺の南向きに対し、ちょうど向き合っていることからこう呼ばれるようになったとのこと。
善光寺の未来往生とこちらの現世利益は一対のもので、両方に参拝しないと「片参り」と呼ばれるそう。

 

なるほど観光地として人があふれかえりながらもどこか一人孤高を保った風の善光寺に比べて、場末の裏町のような俗っぽさを含んだ北向観音と参道です。
聖と俗を併せ持っています。

境内に愛染かつらが実在するのも北向観音らしいところ。「愛染かつら」古いですねえ。
上原謙と田中絹代ですよ。
主題歌は霧島一郎でしたっけ?
おじさんは映画見たことあります。

国宝・八角三重塔と安楽寺

風情のある古刹を楽しむならここです。
安楽寺。

本堂に至るアプローチは今の時期モミジに彩られています。空気がきれいです。
格式ある天台宗のお寺で、国宝の三重塔を有してはいますが観光地の俗っぽさを超越しています。

山門をくぐってすぐ右手の鐘突き堂の堂々たる高さにビックリ。

本堂といい、いちいち建物が立派です。
都会と違い由緒あるお寺が昔のままに残っているのです。

唐風の三重塔は、県内の国宝指定第一号とのこと。
おじさんの好みでは、青木村の大宝寺三重塔のほうがいいですが、こちらも景色にフィットした良さがありました。

ちなみにこの日の写真が「ボケ」ているのは、ソフトフォーカスを狙ったわけではなく、レンズを汚い手で触り汚れていたからです。
申し訳ありません。

外湯「石湯」に立ち寄り

別所温泉には外湯が3か所あります。
今回は石湯に入りました。


入浴料150円、ロッカー代50円(戻りません)。
石鹸、シャンプーの備え付けはありませんが、売ってはいます。

かすかに硫黄臭がする透明なお湯です。
熱すぎず、温くもありません。
若干トロリとした湯質です。
温泉に入るとその日一日からだが温まったままです。

上田電鉄・別所温泉駅

上田電鉄別所線の終着駅です。
昔日、人々が電車で温泉を訪れた時代、の賑わいを忍ばせるような駅です。

今は主に沿線住民の通勤、通学の足として利用されている別所線ですが、10月の台風19号により、千曲川にかかる鉄橋が崩落し、上田、城下という1区間が不通のまま復旧のめどがついていません。


一刻も早い復旧が待たれるところです。


旧車両が展示されていました

畑の冬じまい その3

畑の冬じまい、その3です。

水気の多い粘土質の畑の冬じまいです。

台風19号の雨をたっぷり吸い込んだ畑は、大家さんから借りる小馬力の管理機ではうまく耕せません。

畑の乾燥を待つ間、枯れ草や枯れ枝を整理することにしました。

集めると枯れ枝や枯れ草はたっぷりあります。
ヤーコンや里芋の葉や茎も残っています。

野焼きによって畑の「ゴミ」がきれいになり、残った灰が土壌を良くします。

なんといっても野焼きの火が、湿った日陰の畑の「気」を温めてくれるような「気」がするのです。
これって「気」のせいでしょうか?

今朝の山小屋周辺は強風で冬のような肌寒さでした。
「今日は風が強いから野焼きは無理かな?」と思いましたが、畑近くの消防署に電話すると、「こちらは風が強くない」とのことで野焼きを届け出ることにしました。

2か所で焼きました。
枯れ枝ばかりの山は勢い良く燃えましたが、生木の混じった山は燃えが悪く、時々パーンと破裂音がします。
生木の破裂音が近くの山にこだまします。

途中の精米所でもらったもみ殻を1袋、野焼きの山に空けました。
簡易ですが、もみ殻燻炭ができました。

3時間かけて野焼きを終えました。
鎮火を待ち、灰を畑に広げておきました。

畑は表面が乾いてきていますが、少し土をめくると水分で固まっています。
今月内に管理機を使えるような水分にならなければこのまま冬仕舞いです。
もみ殻と石灰でも撒こうかな?