来客準備おおわらわ

8月上旬に娘一家が、友達家族らと一緒に山小舎にやってきます。
大人6人、子供7人の大部隊の来襲です。

山小舎おじさんは老骨に鞭打って準備します。

障子を張り替えました。

ついで、来客たちの寝室になる和室を整備します。
椅子や装飾品の物置にもなっていた和室から余計なものを移動撤去します。

10畳の和室のうち、たんすなどで使えない2畳分を除く8畳をフルに使えるようにしました。
天井や部屋の隅にはクモが巣を張っているので、はたきをかけます。
掃除機をかけた後、重曹水に浸した雑巾を固く絞り拭き掃除です。
天候の良い日には日中窓を開けて換気します。

和室の収納品を撤去し、掃除

大人数が宿泊するので布団を準備します。
マットレスは時々干してはいるものの、カバーはおそらく20年来洗ってないと思われるので、カバーを外して洗って干します。

マットレスカバーを洗濯

中味も干しておきます。
これでマットレス由来の埃臭さはなくいなります。

マットレスの中味も干干す

乾いたカバーを装着する際、カバーが破れてしまったものがあります。
経年劣化でカバーの布地が薄くなっていたのでした。
新しいマットレスカバーを買わなければなりません。

山小舎には布団だけは十分にあります。
二階の布団袋に入れたままだった、敷布団、掛布団を取り出して干します。
本来は年に一度、虫干ししなければならなかったので、いい機会です。

玄関のアプローチに敷かれたコンパネ。
クレオソートを塗装して防腐処理してはあったのですが、ここにきて塗装が薄くなっていました。
重ね塗りしておきます。
こうすれば、玄関の保全となるだけでなく、家の周りの〈手入れ感〉も出てきます。

玄関のアプローチに塗装を重ね塗り

駐車場兼作業場には丸太を切った、玉を山にしてあります。
来客時には計3台ほど車両が来ます。
ここに2台が縦列で止められたら?と思いました。

あと3日ほどで出来るだけ薪割りして、奥の作業テーブルはバーベキュー台として表に出せば、2台止められるかな?と思います。

残った玉を薪に割り、奥の作業台を移動すれば2台止まれるか?

DVD名画劇場 郵便配達は3度!ベルを鳴らす

ジェームス・ケイン原作の犯罪小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は4回映画化されている。
このうちDVDで鑑賞可能な3作品を見比べてみた。

題して、郵便配達は3度ベルを鳴らす!

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 1942年 ルキノ・ヴィスコンテイ監督 イタリア

制作当時のイタリアを舞台に原作を大胆にアレンジしたヴィスコンテイのデビュー作。

主人公の流れ者が町の郊外のドライブインに流れ着く。
ドライブインのキッチンを覗くと、マスターの若い妻が調理台に足を開いて腰掛け、その足をばたばたさせている。

続いてヴィスコンテイは、画面半分に主人公の姿を映し、残り半分の画面で、調理台に座った若妻の足だけを捉える。
一瞬にして男女が惹かれ合うどうしょうもなさを、これ以上なく上手にワンカットで表したシーン。

主人公の二人

流れ者と若い妻は同じ〈人種〉。
片や、ずっと働き詰めで「まともな会話を人としたことがなかった」と流れ者が回想すれば、若い妻は「身寄りがなくて、いろんな人が通り過ぎて行った」。

若い妻は、年寄りの夫に拾われ、場末のドライブインで働く現在の境遇が、いわば〈最後にたどりついたまともな生活〉だとわかっている。

二人は簡単に結びつき、駆け落ちしかけるが、女は戻る。

男は再び一人で流れようとするが、一文無し。
汽車で無賃乗車が見つかった時に、一人の男が助けてくれる。

この男のエピソードは原作にはないものだろう。
大道香具師をしながら旅を続ける男。
吟遊詩人であり、フーテンであり、ヒッピーであるこの人物は、主人公の救いの神であり、内在する良心の化身でもあった。

二人はしばらく旅を続けるが、旅先でドライブイン夫妻と再会し、主人公は再び悪夢の世界へと舞い戻ってゆく。
悪夢に気が付いた主人公の懇願の声に決して振り向かず、救いの神は去ってゆく。

男女がドライブインの経営者である夫を交通事故を装って殺してからは、男が罪の意識におののくのに対し、女はひとたび舵を切った悪夢の世界に開き直るように迷いがなくなる。
悪夢の現実に開き直る女から逃げようとする男が町に出て若い女をひっかける。

ダンサーをしているというその女は、自室に男を連れ込むと迷うことなく服を脱ぎ始める。
貧しい普通の娘である。
イタリアのこの当時の世相の一つなのだろう。

社会の困窮を表した場面だが、ここも原作にはなく、イタリア版オリジナルのエピソードと思われ、ひたすら哀しい。

エプロンをかけ、安っぽいワンピースをひらひらさせるクララ・カラマーイが素晴らしい。
のちにベテラン俳優として活躍する、マッシモ・ジロッテイは、いつも汗じみたランニングシャツによれよれのズボン姿。
同類としてのみじめさと、当時のイタリア社会の庶民の貧しい暮らしが凝縮された、二人の衣装。

底辺の人間同士が犯罪を通してやっと確認できた自己のアイデンティティー。
時すでに遅く、吟遊詩人と、若いダンサーからの〈救い〉は主人公に届かなかった。

DVDパッケージ裏面

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」1946年 ティ・ガーネット監督

DVDでは見ていなく、何年か前に渋谷シネマヴェーラのフィルムノワール特集で観た。

ほぼ原作通りと思われる映画化で、男女の結びつきから発生する犯罪が露見するまでが描かれる。

この映画のイメージを端的に表すポスター

何といってもドライブインの若妻を演じるラナ・ターナーの存在感が圧倒的で、場末のドライブインのキッチンへ、パリっとした白いショートパンツ姿で登場するシーンが映画のハイライト。

〈白〉はファムファタルとしてのラナ・ターナーの象徴となり、のちに「白いドレスの女」でキャスリーン・ターナーに引き継がれた。
この映画でラナ・ターナーは生活感がなく、いつも仕立ての良い衣装に身を包む。

白はラナ・ターナーの色(登場シーンより)

作品は、当時ハリウッドで流行っていた、犯罪映画(運命の女=ファムファタルが男を破滅させるもの)の一環として作成され、のちにフィルムノワールと呼ばれるジャンルを踏襲した作品に仕上がっている。

流れ者役のジョン・ガーフィールドは舞台出身のユダヤ人俳優で、のちに赤狩りの犠牲者となり心臓発作で死んだ。
その先入観があるせいか、彼が演じた流れ者には、単なる粗暴な流れ者としてばかりではなく、社会の犠牲者としての痛々しさを感じた。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」1981年 ボブ・ラフェルソン監督 パラマウント

真新しく、生活感のない上着に身を包んだジャック・ニコルソンが場末のドライブインで、魅力的な若妻ジェシカ・ラングに迫る。
若妻は正体不明の流れ者を最初は激しく拒絶する。
ラナ・ターナーに敬意を表してか白を基調とした新品の衣装に身を包むジェシカ・ラング。

全編にわたり好演を見せるジェシカ・ラングだが、彼女の正体というか背景が描かれないのが物足りなかった。
ニコルソンも常にこぎれいな衣装に身を包み、社会の底辺を歩いてきたという設定ながら、金持ちの親元から家出してさ迷っている〈遅れてきた反抗中年〉のように見えてしょうがない。

主人公二人の背景描写に代わって、この作品が注力するのはドライブインの親父の出自。
ギリシャ移民の親父はギリシャ語を妻に教えようとし、移民仲間をパーテイーに呼ぶ。

ギリシャ移民がアメリカ社会の底辺である、という意味なのか?
それとも、この時代には必須となっていたマイノリテイーに対する過剰な配慮の結果なのか?
それとも、マイノリテイーの味方であることに自己満足したい作り手の〈意識の高さ〉のなせる業か?

主人公の女についてはその背景の描きが不足していたこと、男については配役そのものが(ニコルソンに〈色〉が付きすぎていたことも含め)不満の映画だった。
ジェシカ・ラングはおそらくキャリア中出色の演技だったと思う。

まとめ

主演女優については、総合第一位がクララ・カラマーイ。敢闘賞がジェシカ・ラング。別格で存在そのものがファムファタルで賞がラナ・ターナー。

主演男優は、マッシモ・ジロッテイとジョー・ガーフィールドがそれぞれ敢闘賞。ジャック・ニコルソンは選外。

作品そのものについては、ヴィスコンテイ版、ガーネット版、ラフェルソン版の順番、でしょうか。

障子の張替え

山小舎は古民家を移築したもの。
階段や障子、襖などの建具も古いものが多く、障子の張替えは毎年の行事となっています。

が、ついついさぼってしまい、丸2年障子を張り替えていませんでした。

今年は8月上旬に、娘一家が社宅時代の仲良し2家族とともに山小舎にやってくるとのことで、準備をしています。

先月、山小舎おばさんと息子が来た時に、風呂場を天井まで磨いてカビを取ってくれました。
トイレ、台所などもピカピカにしてくれました。

山小舎おじさんは気になっていた障子の張替えをこのチャンスに行いました。

障子は玄関の内側に一組、和室と居間の間に一組あります。

和室の引き戸は全部が障子ではなくて、引き戸の一部に障子のサンをはめ込むような造りになっています。
このタイプの引き戸は、今では完全に失われた建具の一つでしょう。

和室の引き戸のサンを外す

サンを外して古い障子紙を取り去り、ついでに格子の埃を拭いてから、格子に糊を乗せて障子紙を張り付けます。サン自体が小さいので作業がしやすかったです。

障子紙の糊が乾いたら、引き戸にはめ込みます。
今でも狂いなくはめ込むことができる引き戸を作ることができた往年の職人技術に敬意を称します。

外したサンの古い障子紙を取ります
新しい障子紙を張ります
サンをはめ込んで完成です

ついで玄関の障子の張替えです。
縦1間、横半間の障子が3枚。

台所のテーブルを取っ払って作業します。
障子はがしには台所用合成洗剤を薄めて使います。
糊は買ってきます。
かつて山小舎おじさんの親世代は、でんぷん粉か何かを煮て糊を作っていましたっけ。

何とか張り終えました。
乾かす時間も入れたら半日ほどもかかる作業時間です。
その甲斐あって室内が明るく、新しい感じになりました。
これで来客を迎えられます。

大物3基の張替えも何とか終えました

信州ソウルフード放浪記VOL.21     立食い蕎麦「桔梗」の山賊焼きのせ

塩尻に寄ったときに、塩尻駅構内の立食い蕎麦屋で昼食を摂りました。

桔梗という屋号の立食い蕎麦屋で、駅の売店の並びにあり、待合室に続いた一角で営業しています。
三々五々、旅行者や通学の高校生などがよく食べています。

茅野駅構内の立食いそば店が「白樺亭」から経営が替り、味が濃くなって値段が高くなりました。
塩尻駅の「桔梗」は変わらず営業しているようです。

塩尻駅構内に売店、蕎麦、待合室を合わせた一角がある

食券を買おうと自販機を見ると、山賊焼き乗せ、というメニューがありました。
フルサイズの山賊焼きが乗った蕎麦はすでに売り切れで、ハーフサイズが販売中でした。
山賊焼きは信州の名物で、鶏肉を広げて揚げたものです。

山小舎おじさんは山賊焼きを食べたことがなく、珍しいので、ハーフの山賊焼き乗せを注文してみました。
立食いそばにしては高価な700円です。

暖簾をくぐって注文する

出てきた山賊焼き乗せ蕎麦です。
ハーフサイズの山賊焼きが乗っています。
おなかがすいていたので一気に完食しました。
満腹になりました。

山賊焼きハーフサイズ乗せ。満足!

そもそも駅の立食い蕎麦屋さんは、地元の人から一過性の人までが思い思いに立寄ってゆく場所です。
旅心が刺激されます。
客の回転がいいので、常に新しいものが出てきますし、不特定多数の客に鍛えられたであろう、味もいいことが多いのです。

信州は蕎麦の産地ですので、蕎麦自体の味も期待できます。
その点、塩尻駅の「桔梗」は十分及第点をもらえるものと思います。
地元名物の山賊焼きも同時に味わえて、いいものをいただきました。

観光シーズンを迎えた塩尻駅前景

DVD名画劇場 ビリー・ワイルダーの闇 「深夜の告白」「第十七捕虜収容所」「情婦」

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロをしていたワイルダーは、戦前にアメリカに亡命し、ハリウッドに潜り込んでシナリオライターから身を起こした。
今回は初期の作品に特徴的なワイルダーの暗黒な作風を追ってみた。

「深夜の告白」 1944年 

ワイルダーの監督第一作。
破滅する主人公にフレッド・マクマレー。
破滅を誘うファムファタルにバーバラ・スタンウイック。

瀕死のマクマレーが己の罪を独白するシーンから始まるのは「サンセット大通り」が、警察の死体置き場に置かれた死体となった主人公の回想シーンから始まるのと同じ趣向。

この作品からファムファタルがしばらく当たり役となったバーバラ・スタンウイは、埃とたばこのにおいがこもる部屋にバスタオル姿で登場し、アンクレット(娼婦が足首につける装飾品)を巻いた足首を組んでマクマレーを挑発。

金髪(のカツラ)、スリット入りのスカート、サングラス、など様々な意匠を凝らし、ファムファタルの役柄に応えようとするスタンウイックだが、あくまで芸として役柄に徹しており、存在が悪女そのものであるラナ・ターナーのように根っからの悪女に見えないのが、この救いのない作品の数少ない救いでもある。

かび臭い部屋での両者の邂逅。女は足首にアンクレットをつけて足を組みなおす

スケベでいい加減な保険セールスマンのマクマレーは、何度か後戻りのチャンスがあったものの、スタンウイックと知り合った瞬間から、自ら破滅の道へと進んでゆく。
マクマレーは何度か戻ろうとしたが、スタンウイックと組んだ悪事から引き戻れなくなった時点から、映画そのものも主人公が見る悪夢となっていった。

保険会社調査員のE・G・ロビンソン以外のキャラは、全員がイカれており、悪意と欲望に満ちている。

マクマレーは死に臨んでから、スタンウイックはマクマレーに撃たれる前の告白(本心かどうかは疑問だが)で正気に戻るが時すでに遅し。

DVDパッケージ裏面

ワイルダーとしては「失われた週末」の前に作ったサスペンスで、亡命ユダヤ人である本人が戦中に感じたであろう不安、不条理を隠れたテーマにした作品。

調子よく生きてきた独身のフレッド・マクマレーが、自らはまっていったた白昼の悪夢を好演。
マクマレーを悪夢にはめたファムファタルを、あくまでも自己の女優のキャリアの一環として演じたバーバラ・スタンウイック。
ラスト以外徹頭徹尾、救いのないストーリーはワイルダーが見てきた己の前半生を反映したものなのだろう。

1950年ころRKOのスタジオで淀長さんと歓談。バーバラ・スタンウイックの気さくな性格がうかがえる

「第十七捕虜収容所」 1953年 パラマウント

第二次大戦中のドイツ軍捕虜収容所。
撃墜された米軍パイロットなど下士官クラスが収容される捕虜収容所の物語。

ドイツ軍に金品などの供与を行い、たばこ、ワインなどをため込み、望遠鏡を自作してロシア軍女捕虜ののぞき見させ捕虜仲間から金品を集めるイヤなヤツがウイリアム・ホールデン。
ホールデンとしては、「サンセット大通り」がヒットしたものの後年のようなヒーロー役一辺倒となる前の作品だ。

戦闘ノイローゼとなった米兵、配給のスープで靴下を洗う米兵、などの多彩で苦渋と諧謔に満ちたキャラクターの数々。
金髪のカツラで捕虜同士ダンスをし相手がその気になるとカツラを脱ぎ捨てる(「お熱いのがお好き」のラストに自ら援用)シーンもある。
辛辣だったり、微苦笑を誘うワイルダーらしいエピソードが繰り返される。

収容所長を演じるのが映画監督のオットー・プレミンジャー。
ドイツ人っぽい風貌だがユダヤ人のこの人。
ぬかるんだ泥道にいちいち板を敷いて歩いたり、宿舎の中で軍靴を脱ぎ、まるで日本人親父のステテコ姿のような格好で部下に命令したり、と、ドイツの軍人を盛んに揶揄した演技を繰り広げる。

収容所内のスパイとして、ホールデンが疑われ、リンチにも遭うが、実はアメリカ育ちのドイツ人が捕虜に扮して紛れ込んでいた。

そのスパイを炙りだし、ホールデンらが脱走に成功する。
暗闇の中、スパイは自軍(ドイツ側)の銃弾に倒れる。
爽快感ゼロの結末は、のちの収容所脱走ものの映画とは大きく異なる。

DVDパッケージ裏面

主人公のホールデンも収容所内のイヤなヤツ。
イカれた捕虜と、いけ好かないドイツ軍。
コメディーでもなくシリアスでもなく、後味に苦渋の残るワイルダー印の捕虜収容所物語。

「情婦」 1957年 ユナイト

裕福な未亡人が殺される。
当時のボーイフレンド(タイロン・パワー)が逮捕される。
仕事にドクターストップがかかっている弁護士(チャールズ・ロートン)に弁護の依頼が来る。
アガサ・クリステイーの原作。

MGMはDVDの版権を持っているだけ。映画オリジナルの製作はパラマウント

前半はロートンと看護婦のやり取り、未亡人殺し容疑のパワーの弁護シーンが続く。
ロートンの演技はいつもながらうまいが、ワイルダーらしい苦さ、暗さ、皮肉はまだ画面に出てこない。

パワーが米兵としてハンブルグに駐留時代に結婚したドイツ女性役の、マレーネ・デートリッヒが登場してから映画は動き、ワイルダーらしさが出てくる。

占領下のハンブルグのバー。
男装したデートリッヒがアコーディオンを弾きながら歌う。
脚を見せろ、とヤジが飛びズボンを片足引き裂かれる。
そのまま酒場は大乱闘。
デートリッヒの楽屋で、パワーはコーヒーひと缶でデートリッヒのこころに付け入る。

回想シーン。終戦直後のハンブルグのバーで歌う、男装のデートリッヒ

ワイルダー作品中では「異国の出来事」(1946年)でもデートリッヒが戦後の瓦解したベルリンのバーの歌姫として登場し、また米軍士官をパトロンとして廃墟のビルの自室に迎え入れていた。

「異国の出来事」。デートリッヒとジーン・アーサー

ワイルダーとデートリッヒ。
片やユダヤ人系映画人として戦前のベルリンでジゴロなどしながらナチスにおびえ、片やウーファのスター女優として嘱望されながらナチスを嫌ってアメリカへ亡命、戦中は危険を冒して連合軍兵士を前線に慰問した。

デートリッヒを起用した2作品では、ワイルダーとしては珍しく出演者に対するリスペクトをデートリッヒに捧げている。
さすがのワイルダーも、戦争当時、亡命ユダヤ人組織に財政支援をしたという、デートリッヒへの恩は忘れない、ということか。

DVDパッケージ裏面

「情婦」はメインテーマとしては対独戦争は描かれていないものの、ワイルダーの関心の的だったであろう、戦後のドイツ人の苦しさ、と反面の矜持みたいなものはデートリッヒのキャステイングによって暗喩されていた。

「情婦」での男装のデートリッヒと、「異国の出来事」でのドレスアップしたデートリッヒの酒場のステージは、いささか映画の主題とは異なるかもしれないが、両作品中の白眉だった。

不安な時代、世相への強烈な恐れ、おののき。
滑稽な行動をとりながらも暗い絶望感に打ちひしがれる登場人物たち。
ドイツとドイツ人に対する他人事ならぬ関心。

これらはワイルダーの初期作品に共通してはいないだろうか。

50年代に入り、オードリー・ヘップバーンなどをキャステイングしての「麗しのサブリナ」「昼下りの情事」などではワイルダーのこういった闇の部分はどう描かれているのだろう?

今年のスイカ村

松本の農協では毎年夏にスイカ村が開かれています。
今年も行きました。

会場は波田と呼ばれる、松本市郊外のスイカの名産地に立地する農協。
毎年7月中旬から8月上旬にかけて、数軒のスイカ農家が出店を出してスイカ村が開かれ、客が詰め掛けます。

7月下旬のある日、軽トラでスイカ村へ行きました。
土曜日ということで、県外ナンバーの車も目立つ会場。
数軒のスイカ農家がテントを張って出店しています。
人気のある店には客が列を作ります。

山小舎おじさんは毎年買っている店に並びました。
待つまでもなく買えました。
L玉2個で、3,800円。
夏の来客用です。

信州の短い夏の収穫期が始まりました。

大収穫!

7月の畑の収穫です。

ある日の収穫。ミニトマトはまあまあとれてます

キューリがどんどん採れています。
ズッキーニも例年通りです。

2日ほど畑を留守にするとキューリがこの通り
ズッキーニとキャベツ

ナスとピーマンは樹の丈が伸びず、収穫は始まりましたが実の数が少ないままです。

ナスとピーマン類。この日はナスの初収穫です

トマトがよくありません。
葉っぱに病気が広がり、大玉の実が尻腐れ病になりました。
ミニトマト以外の収穫が絶望的です。

理由は雨が多い天候、風通しの悪さでしょう。
遅まきながら、フェンスに絡まった草を刈るなどして畑の風通しを良くしようと思います。

ズッキーニの葉の上のキリギリス(メス)

週2回ほど、奥さんがやっている彩ステーションに出荷しています。
彩ステーションでは好評で、毎回完売とのことです。

DVD名画劇場 ハリウッドの異邦人 ルネ・クレールとマックス・オフュルス

今回はルネ・クレールの「奥様は魔女」とマックス・オフュルスの「忘れじの面影」。
第二次大戦時にドイツ、フランスからアメリカに渡った両監督がハリウッドで作った名作です。

「奥様は魔女」 1942年 ルネ・クレール監督 ユナイト

クレジットにはルネ・クレールプロダクション製作、とある。
さすがは戦前のフランス映画界において、ジャック・フェデー、ジャン・ルノアールと並んで三巨匠と呼ばれた名監督だけある。
ドイツから逃れてきたユダヤ人監督たち(フリッツ・ラング、ロバート・シオドマク、マックス・オフュルスら)とは待遇が違ったようだ。

クレールがハリウッドで選んだ題材は「奥様は魔女」。

山小舎おじさんの世代だと、「旦那様の名前はダーリン、奥様の名前はサマンサ。二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をし・・・ただ一つ違うのは、奥様は魔女だったのです」のナレーションで始まるアメリカ製テレビドラマの「奥様は魔女」の方が馴染みがあるが、ルネ・クレールの本作がオリジナルである。

とにかく魔女役のヴェロニカ・レイクが可愛い。
40年代が全盛のハリウッド女優で、アラン・ラッドとの共演でフィルムノワールっぽい犯罪映画に出ていた。

現代のおとぎ話である本作では、浮世離れした魔女のキャラクターにぴたりとあてはまり、天然にコケテッシュな振る舞いと豊かな金髪で、現世の人々をきりきり舞いさせる。

きりきり舞いさせられる、現代の人々にフレデリック・マーチとスーザン・ヘイワード。

特にヘイワードはマーチと結婚寸前の花嫁(田舎議員であるマーチの後援者の有力新聞社社長の娘。ワガママで鼻持ちならず、婚約者のマーチをバカにしている)役で、結婚式の段取りの悪さにかんしゃくを起こしたり、観客の前でだけ無理な笑顔を作る演技がケッサク。

ヴェロニカ・レイクとフレデリック・マーチ

クレールの演出は、正攻法で奇をてらわず、しかもユーモアを欠かさない。
全編を覆う、いい意味での緊張感のなさは大監督の悠々迫らぬ余裕のなせる業か。

エピローグのシーン。
結婚したマーチとレイク。
子供が4人ほどいる。
女の子がホーキに乗って遊びたがるのをマーチ扮する父親が注意するが、レイク扮する母親は、さすが魔女の子孫と気にもしない。

この場面を見て、のちにテレビ版「奥様は魔女」が作られたわけがわかるような気がした。
典型的な中流階級の家庭に潜む秘密をベースにしたコメデイというコンセプトこそ、無限のエピソードの源泉だろうからだ。

「忘れじの面影」 1948年 マックス・オフュルス監督 ランバート・プロ

メロドラマかな?と思って見た。
その体裁を取ってはいるが、一人の女性の魂の遍歴を描いた、忘れられない場面の数々に彩られた映画だった。

主人公を、その少女時代からジョーン・フォンテイーンが演じる。
周りになびかず、自分の世界に閉じこもりがちな少女が、自分が住むアパートに越してきたハンサムな音楽家に惹かれる。
それが一生続く。

主人公にとって、音楽家との関係が唯一の〈現実〉だった。

母親が継父とともに引っ越す列車に同乗せず、音楽家の住むアパートへ戻る。

音楽家が住むウイーンで洋服店のモデルの仕事(お客に気に入られると指名同伴?するような仕事)をして一人の時間を過ごす。

雪の日の夜に偶然、音楽家に出会う。
かつての少女のことなど忘れている音楽家との再会。
主人公は音楽家と遊園地や、ダンスホールでデートする。

たった一度のデートで音楽家の子供を妊娠し一人で産む。

資産家に見染められ、連れ子ともども何不住なく暮らすが、オペラハウスで落ちぶれた音楽家の姿を見た瞬間、ぜいたくな暮らしと誠実な夫を捨てて音楽家のもとへ走る・・・。

主人公の世界は一貫して変わらず、行動も一貫している。
たとえ音楽家が己の存在を記憶していようがいまいが。

この主人公の心理は、彼女個人にのみ特有なものなのだろうか、それとも女性に、人間に、普遍的なものなのだろうか。

DVDパッケージ裏面

雪の日の街角での出会いの幻想的で映画的記憶に満ち満ちた場面。
世界旅行の書割をバックに尽きることない時間を過ごす遊園地のシーンの不思議な懐かしさ。

オーストリアからの亡命者でユダヤ人のオフュルス監督は、アパートの中庭や、お屋敷のセットには階段を用い、出演者に階段を上り下りさせて、立体的な画面作りを試みる。

移動、パン、クレーンを多用した流麗なカメラワークのは、夢の中を生き切った主人公の心理を表しているかのよう。

ジョーン・フォンテイーンは、持ち味の普通ッポさ、オドオドした感じを前面に出し、この特異で一途だが、普遍的でもあるキャラクターを好演。
忘れられないこの作品の象徴となった。

1943年「永遠の処女」のジョーン・フォンテイーン

番外) 「レベッカ」1940年 アルフレッド・ヒッチコック監督 セルズニックプロ

「忘れじの面影」を見て、ジョーン・フォンテイーンが気になり、彼女の出演作を探した。

ヒッチコックの渡米第二作の「レベッカ」は、フォンテイーンにとって、製作者セルズニックに見いだされてのメジャーデビュー作だった。

レベッカという名の前妻の影が色濃く残るお屋敷に後妻となって移り住んだ主人公のフォンテイーン。
彼女の持ち味の、普通さ、オドオドした自信なさげなキャラクターにより、まがまがしいレベッカの恐怖が強調されるミステリー。

途中までは、フォンテイーンを後妻にめとったローレンス・オリビエの正体が不明で、死んだレベッカにかしずく屋敷の女執事長の正体やいかに、というミステリーに満ち満ちていた。
が結末では合理的な説明がなされ、レベッカという稀代の魅力的な美女にして悪女に振り回されてのまがまがしさだったことがわかる。

DVDパッケージ裏面

ジョーン・フォンテイーンは確信的悪女そのものだったレベッカとは対極にある、平凡で常識的なキャラクターを好演し、変質者(女執事)や神経衰弱(ローレンス・オリビエ)が跋扈するこのミステリアスな物語の被害者を演じつつ、安心感に満ち満ちた結末をもたらすべく、夫を励ます健気な新妻を演じきった。

チェーンソーの刃を取替て伐採

チェーンソーの刃が切れなくなりました。
ホームセンターで刃の新品を買ってきました。

今日は草苅バイトには行かない日。
午前中から家周りの仕事をします。

チェーンソーの刃を取替ました。

新品の替え刃を用意します

ブレードを外して古い刃を取り出します。
ついでに機械にこびりついた木くずを出来るだけ取り除きます。

新しい刃を取り付けます。
チェーンの張り具合も調整しておきます。

ブレードを外し、古い刃を取り外します
新しい刃を装着します

新しい刃のうちに、立木を伐採することにします。

立木を伐採するときには、木の長さを勘案し、倒れる方向に電線、屋根がないことを確認します。
またほかの立木に引っかからないようにも、しなければなりません。
自分が倒れる立木にぶつからないようにするのはもちろんです。

去年はしなかった立木の伐採です。
通算でも10本ほども切ったでしょうか。
まだまだ初心者です。
気を付けるに越したことはありません。

もっと言うと、何十年も生きてきた木を倒すのですから、倒す側の人間が、疲れたときや気が乗らないときに行うものではなく、十分に気持ちが充実したときにのみ行うべき作業だと思います。
さもなければ、木の力に負けてしまいます。

今回伐採したのは、細めの木でしたが、生きている木に刃を入れるときには、いつもながら決心がいります。
覚悟を決め、刃を入れてゆきます。

倒したい方向に倒れるように切れ目を入れてゆきますが、万が一のことも考えて用心しながら刃を入れてゆきます。

予定した方向にメリメリと倒れ始めたら一安心ですが、予想以上に木の丈が長くてどこかに引っかかったりしないか心配は残ります。

どこにも引っかからずにドシンと着地するまでは安心できません。

ミズナラの樹がうまく倒れました
枝を切り離してゆきます

無事倒れたら、枝を外してゆきます。
たくさんの葉がついた枝は主軸から切り離してまとめておきます。
葉が枯れたころ、枝を適当な長さに切りそろえて乾かせば焚付になります。

ついでに丸太を玉切りしてしまいます

倒れた丸太の玉切りはこの後の仕事ですが、刃がよく切れるのでついでに切ってしまいました。

刃物は切れ味がすべてです。
仕事のはかどり具合が数倍違います。

枝は葉がついたまままとめておきます

軽トラ流れ旅 善行寺参道を歩く

長野市の相生座へ映画を観に行きました。
映画を観た後、権堂通商店街から長野駅まで善行寺表参道を歩きました。

軽トラを付近の駐車場に止め、午前10時前の権堂通商店街アーケードを相生座に向けて歩きます。

土曜日午前10時前の権堂通り商店街
毎年夏行われる、長野びんずるのポスター

10時からの回を相生座で観ます。

100周年を迎えたという相生座。
2クリーンを擁した映画館で、今回はロキシー2と呼ばれるやや小さめのスクリーンで目指す「テオレマ」は上映されました。
観客は予想を上回る、10人ほどの入り。
上映された映画は難解で、眠気をこらえるのが大変でしたが・・・。

いつもの相生座の全景
劇場は100周年!
10時からの上映は「テオレマ」

映画が終わるとお昼の時間。
アーケード街にある喫茶ブラジルでナポリタンのランチ。
地元では有名な店とか。

ナポリタンはバターが効いた味で、ケチャップの味付けもぎりぎり程よく、またセットのクリームコロッケは手作り風でおいしかったです。
ずっと残ってほしい店です。

権堂通の一角にあるブラジル
ナポリタンランチ(クリームコロッケ付き)をチョイス

アーケード街を出るとそこは善行寺表参道。
右へ行くと善行寺で、左が長野駅方向です。
左へ曲がります。

のんびり歩いて長野駅までは20分ほどでしょうか?
長野市街地のメインロードで、新旧様々な商業施設が集まっています。

FM局や銭湯が見えます。
古い町らしく仏具展などもあります。
また、長野市街地は風情ある路地が多いことで有名です。

表参道から見える場所にある銭湯
地元FM局も
数ある小路の中の一つ、しまんりょ小路

県内のヤングファッションの発信地?といわれた商業ビルがつい最近閉店しました。
長野市にとっては権堂アーケードに立地していたイトーヨーカドーの閉店(2020年)に続く大型商業ビルの閉店です。

これも市街地の商店街衰退の世の流れでしょうか?
地元の買い物客は、郊外のバイパス沿いに並ぶ全国チェーン店の列か、あるいはモールへ車で出かけるようです。

閉店したばかりのAGAIN

駅が近くなりました。
長野市街地では、観光客が集まる善行寺周辺と、東急デパートと新装駅ビルがある長野駅周辺に人が残っています。

駅近くにもミニシアターが1軒残っています。
ここ千石劇場は、新作上映がメインですが、「仁義なき戦い」5部作の一挙上映なども行う映画館です。

駅近くの「ミニシアター」千石劇場
上映予定作品には地元由来の新作「破戒」も

駅ビルの中には県内の有名店が出店していますが、2階奥にあるアンテナショップには、地酒、ワイン、シードルなどの県内銘柄が集まっていて眺めるだけでも楽しく、またお土産に美味しそうな地酒、ワインを求めるのに便利です。