上田トラムライゼで「湖のランスロ」

トラムライゼ(旧上田電気館)へ行きました。
ロベール・ブレッソンンが1974年に製作した「湖のランスロ」という映画を観るためです。

モダンな外観のトラムライゼ(旧上田電気館)

トラムライゼは、上田映劇を復活させたNPO法人の運営で2館の距離は歩いて3、4分です。
上映プログラムは、ミニシアター系作品が中心です。
その中に、旧作をデジタルで再輸入した作品も含まれており、ブレッソンの「たぶん悪魔が」(1977年)と「湖のランスロ」(1974年)もその流れで輸入公開され、東京公開を経て上田にも来たものです。

この日は10時5分開映。
ロビーでモギリを済ませてトイレへ急ぐと、開いた入り口から場内が見えました。

スクリーンには次回上映の「勝手にしやがれ」(1960年 ジャン=リュック・ゴダール監督)の予告編がかかっており、思わず見入ってしまいました。

〈ジーン・セバーグ20歳!〉〈ジャン=ポール・ベルモンド26歳!〉〈ゴダール28歳!〉の文字が躍るスクリーン。
画面には、トリュフォーが絶賛した〈新しい映画の女神〉ジーン・セバーグの若さが輝いています。
「勝手にしやがれ」でのジーン・セバーグの登場は、映画史上で最も輝かしい瞬間の一つです。

これは何度でも見に来なければなりません。

「気狂いピエロ」予告編の一場面。(映画泥棒にならないよね)

さて「湖のランスロ」。
アーサー王と円卓の騎士伝説の英雄・ランスロが、キリストの血を受けたといわれる聖杯探しに失敗しての帰還後、王妃との不義密通、ライバル騎士との確執に揺れる挙句に死ぬまでを描いています。

例によって素人俳優、特に女優の静謐で理知的な美しさに心ひかれます。
ランスロとの不義密通を、単なる肉欲にまみれたものだけではなく、二人の宿命的なものとしての表現に説得力をもたらすこの素人女優さんは魅力的です。

パンフレットより、王妃役

西洋鎧の重さと剣の重さの表現、打撃を受けた人体の損傷の表現にはリアリテイが見られます。
騎士が乗る馬はサラブレッドではなく、農耕馬のような丈夫な馬。
騎士の野営地にはテントが張られ、黒い衣装と帽子を被った従者が騎士たちの世話をします。
ブレッソンは、ヒーローものとしてではなく、中世ヨーロッパの現実としての騎士団を描いています。

木と土壁で作られた当時のヨーロッパの家屋。
内部はクッションと防寒材を兼ねた藁のくずが散乱しています。
一歩、野営地を出ると、かつてヨーロッパ中を覆っていた暗く湿った森が広がっています。

馬に乗って槍でぶつかり合う騎士の試合に使う槍は、木を削って作り、壊れると従者が代わりの槍と交換する、という描写も、ブレッソンが史実に忠実に再現したものなのでしょう。

山小舎おじさんに、アーサー王伝説や、聖杯伝説、中世ヨーロッパの実情などの知識があればもっと楽しめたことでしょう。

パンフによると騎士道精神の崩壊過程を描いてもいるとのことでした。
ランスロは王妃と不義密通するなど、最大限の背信行為をしつつも、王への忠誠心、神への信仰心は厚く、その人間らしい矛盾と苦悩が主題の一つだったのかもしれません。

パンフより、左ランスロ、右王様

トラムライゼを出ると11時半。
上田の街で食事をと、中心部のはずれにある相生食堂へ。
850円のとんかつ定食を堪能。

熱いお茶を何度も注いで回ってくれるおかみさんのサービスにも感激し勘定へ。
1,050円出すとおつりを500円出してきました。
850円だよと言って200円のおつりをもらいなおしました。
大丈夫かなおかみさん。

相生食堂全景

今年最初の上田映劇

上田映劇は、大正6年開業の上田劇場をルーツとする映画館。
現在はNPO法人が運営するミニシアターとなっている。

映画好きの山小屋おじさんとしては、上映情報のチェックが欠かせない。
上映作品は、いわゆる内外のミニシアター系の新作が中心だが、時に「フィルム上映大会」として寺山修司の「田園に死す」などを取り上げたり、地元上田出身の映画監督・成沢昌茂の追悼上映として、「花札渡世」など4作品を上映するなどの企画にも取り組む。

今回はロベール・ブレッソンというフランスの映画監督の旧作「たぶん悪魔が」(1977年)が上映されたので駆け付けた。

この日、劇場に駆け付けると、支配人がラックにチラシなどをセットしていた

この日の上映開始は16時20分。
14時半ころまで畑で苗の植付作業などを行い上田を目指す。

上映開始までに近くの商店街で今川焼のあんことクリームを購入、上田映劇に併設しているカフェでコーヒーテイクアウトしてから場内へ。

いつものように広々とした場内。
観客は自分を入れて5人ほど。
まるで大スクリーンを個人で独占しているかのような鑑賞条件に感謝、満足。

ロベール・ブレッソンは映画史上で評価が定まった巨匠だが、山小舎おじさん的には、リアルタイムで見た「白夜」(1971年)という作品が唯一の鑑賞体験。

ここ最近になって、「少女ムシェット」(1967年)、「やさしい女」(1969年)などがデジタル素材で再輸入されてミニシアターなどで上映されており、本作「たぶん悪魔が」と「湖のランスロ」(1974年)も同様にデジタル素材での輸入公開(日本では初公開)となったもの。

作品チラシより、ブレッソン紹介の部分

今川焼を食べ、コーヒーを飲みながら(上田映劇は場内での飲食可能)ほぼ初めてのブレッソン作品を見た山小舎おじさん。
芸術作品にありがちな、観念的、象徴的、形而上的な映画なのかと思っていました。
もしそうだったら無理して理解しようとはせず、画面のあるがままを受け入れ、力を抜いて見ていようと思いました。
退屈しないか、だけが心配でした。

作品チラシより

心配は当たりませんでした。
登場人物は他のブレッソン作品同様、職業俳優ではないようでしたが、静謐で知的な美男美女でそれだけで画面が締まります。

素人俳優の演技は個性を排した動きで、まるで小津作品における俳優たちのセリフ回しのようですが、それが映画そのものをスポイルするということはありませんでした。

登場人物たち

ストーリーは、1970年代のパリの学生である青年が、あらゆる事象に救いを得ることができず、自殺するといいものです。
政治運動、宗教、ヒッピー、麻薬、恋愛、学問などの事象が出てきますがそれらは青年の救いにはなりません。
反対に当時の環境汚染などの映像が青年の絶望の象徴としてカットインされます。

映画を貫くテーマは、ブレッソン監督の感性〈そのもの〉です。
もっというと、ブレッソンの感性〈それだけ〉です。

俳優に自由な演技を許さず、むしろロボット的な動きを求めるなど、ブレッソンの感性を逸脱する動きを排した映像が続く作品です。
そういった作品が緊張感を維持し、退屈ではないのは、ブレッソンの感性の完成度が高く、また普遍性を持っているからだと思います。

映画作家には、〈この作品を撮らなければ前へ進めない〉と思って作った作品があるように思います。
それは大島渚の「日本の夜と霧」(1960年)だったり、ビリー・ワイルダーの「異国の出来事」(1946年)だったりします。
両作品に共通するのは興行的にヒットしなかったこと(「異国の出来事」は日本に輸入すらされなかった)。
作家の個人的感慨を唯一のテーマにしたり、濃厚に反映させた作品の宿命でもありましょう。

おそらくはブレッソンのフィルモグラフイーはほとんど全部が、ほかのだれかが企画したものではなく、ブレッソン自身が〈この作品を撮らなければ前へ進めない〉と思って撮った作品なのではないでしょうか。
その結果が、興行成績はともかく、各作品が映画祭等で受賞し、現在に至るまでファンを獲得しているところがロベール・ブレッソンのすごいところだと思います。

夏野菜の定植始まる その2

ナスとトマトの苗を定植しました。

ナスの苗を計10本、大玉中玉トマトの苗を14本用意しました。

買い集めておいたナスの苗を定植前にえひめAIの希釈水につける
元気なトマトの苗

ナス10本の内訳は、千両2号が4本、長ナスが2本、丸ナスが2本、小布施ナスが2本です。

千両2号はいわゆる標準型のナス、長ナスは細く長めの実が付く品種、丸ナスは在来種で丈夫な品種、今年初めて作る小布施ナスは北信地方の在来種で、きんちゃく型の実がつく品種です。

トマトは、露地栽培向けのサターンという品種を8本、一般的な大玉品種の桃太郎を2本、加工用品種のシシリアントマトを4本です。

苗は定植前にえひめAIの希釈水につけてからマルチを張った畝に定植します。
マルチの下の土はほくほくしていて温かく、冷たい希釈水に浸った苗の根を包み込むように迎え入れてくれます。

ナスは体重をかけて埋め込み、支柱を立てて結わえます。
さっそくの水やりも欠かせません。

トマトはいつもの寝かせ植えをし、マルチにかかる部分が熱で焼けないよう草を敷いて枕にします。
乾燥気味に育てる方が根の張りもいいので水やりはしません。

去年のように無事育って実をつけ、高原野菜を待っている東京の方々を喜ばせることができるように!

夏野菜の定植始まる

5月の連休が終わると夏野菜の定植の時期です。

JAのみならず近隣の直売所を巡り苗を調達します。

山小舎おじさんが、苗を調達によく行く直売所は、茅野のたてしな自由農園、立科町のなないろ畑、丸子のあさつゆ、佐久市望月地区の望月農協、佐久市赤坂地区の赤坂直売所などです。

こういった直売所には、大手のJAでは見かけないような、つやつやした、見るからに丈夫そうな苗や、ハックルベリーや小布施ナスなど珍しい品種の苗があったりします。

たてしな自由農園の苗売り場

集めた苗を順繰りに畑に定植します。

「ガッテン農法」で去年までに立てておいた畝に、えひめAIを散布し、マルチを架けておきます。
フカフカで水分が保たれ、地温のある土になっています。

畝にはすでに雑草が束になって芽吹き始めています。
雑草の芽の集団を剥がすように除去しつつ、マルチを架けておきます。

畝にマルチを架けて定植の準備

この日は、セロリ3株、ズッキーニ4株、ハックルベリー3株、モロヘイヤ1株、ピーマン4株、シシトウ2株、万願寺トウガラシと大甘トウガラシを各1株、タカノツメ3株を植えました。

セロリ(去年は硬く育ってしまったので今年は柔らかいものを収穫したい)
ズッキーニ(収穫遅れで実が巨大化するのを今年は防ぎたい)
ハックルベリー(東京のファンに今年も届くように・・・)

ピーマン類の苗には支柱のほか、行灯と呼ばれる風よけをしつらえておきます。
保温と風よけのためです。
ピーマンの苗は軟弱なので、強風にあおられると茎がポキッと折れることがあります。

ピーマン、トウガラシ類を定植
行灯の中のピーマンの苗。暑いときはビニールのすそを挙げて風を通す。

ポットに芽出ししておいたカボチャ数株と、直売所で購入した甘龍という白く細長い品種のカボチャ2株も植えました。
種から育てたカボチャの成長が楽しみです。

種から育てたカボチャも定植の時期を迎えた

ヤーコンはマルチなしの畝3列に植えました。
ヤーコンは購入したポットの苗を半分か三分の一に分割して植えました。
ポットの中の種芋を割って植えてもヤーコンは育つのです。

鹿が嫌う、里芋、ヤーコン、菊芋を同じ圃場に植えています。
今のところ菊芋の若芽が少々食われた程度に食害は止まっています。

ヤーコンも定植完了。10月の収穫まで頑張って!

4月に植えた作物の様子です。
キャベツは4月の積雪に遭い、結局全滅しました。
同時に植えたレタスは生き残りましたが、その後の生育はよくありません。
積雪後に苗を買って定植したレタス類は順調です。

積雪後に定植したレタスは順調
ジャガイモの列は芽が出そろう

夏野菜の主役、トマト、ナス、キューリは現在苗を調達中です。

階段作りで DIY!

ゴールデンウイークに来小舎した娘一家。
4泊の間、山小舎のベランダにいた娘のムコさんが、腐り落ちそうな階段を見て「これを直したい」といいました。

雨ざらしで経年した現状の階段

その階段は前オーナー時代からのもので、現在は雨ざらしの場所に置かれているもの。
3センチの厚さの重い木材で作られており、注文したらそれなりの値段がかかりそうなものではありますが、いかんせん屋外で使う木材製品としての耐用年数はとっくに経過しています。
この間の、防腐塗装などの手入れも、少なくとも山小舎おじさんの時代になってからはありません。

理系で、DIYにも関心のありそうなムコさんからすると看過できない事態でしょう。
山小舎おじさんとしても緊急の作業として認識はしており、木材の寸法を計って、ホームセンターで材料の見当はつけてありました。
が、いかんせんDIYに心得のない山小舎おじさんにとって、作業をスタートするまでの心理的な壁が高く、手つかずになっているのでした。

ムコさんの言葉は渡りに船です。
「よし、それじゃ今日、材料を買いに行こう」と即日の作業開始を提案。
外出のついでにホームセンターで、材木と電動ドリル、ねじくぎを購入したのでした。

山小舎に戻って作業開始。
小学校2年の孫娘も父親を手伝うと宣言、防腐塗装などを手伝いました。

大体のサイズはホームセンターでカットしたので、踏み板をはめ込む凹みの寸法を横板に「墨だし」する作業から始めます。

やる気満々のムコさんに、電動丸鋸、電気を引くドラム、定規などの道具を出してやってから、山小舎おじさんは別の用事で外出しました。
ここは父と娘でじっくりと共同作業を楽しんでもらおうと思ったからです。

隅だしから作業をスタートする親子
踏み板の防腐塗装は孫娘やりました

帰ってくると、ムコさんが一生懸命、横板に深さ10ミリの凹みを刻もうと苦戦していました。
のこぎりを使って刻もうとしていますが思うようにいってないようです。

山小舎おじさんは丸鋸を使って刻もうとしましたが、刃が深く入ってしまいます。
時間が来て今回の作業はここで終了となりました。
「自分で全部やるから残しておいてください」とムコさんのやる気は止まりません。

娘一家が帰った後、別荘住民仲間に聞いてみました。
別荘地にはDIYで、孫の勉強机を作るような人もいたりします。
その人に凹みの刻み方や、階段作り全般のことを聞いてみました。

その人から、丸鋸で刃の深さを10ミリに調節して切れ目を入れノミで掻き出すこと。
丸鋸は垂木などを置きそれに沿って進めるようにするとまっすぐ切れる。
防腐塗料を重ね塗りすること。
階段の端を地面に直接つけないでブロックなどをかませること。
などを教わりました。

丸鋸の刃の深さを調整
深さ10ミリで墨に沿って刻みを入れる
くりぬく場所に刻みを何本か入れる
ノミで刻んだ部分を掻き出す
凹みができた。ノミできれいに削る..
踏み板をはめ込んでみる

丸鋸の刃の深さが調節できることすら知らなかった山小舎おじさんたちでした。

帰ってきてその通りにやってみるとまあまあの凹みができました。
片方の横板に4つの凹みをたちまち作ることができ、娘のもとにLINEで送りました。
残りはよろしく、と娘経由ムコさんに頼みました。

完成は6月以降になりそうです。

夏野菜定植前の畑

5月初旬の畑の様子です。

夏野菜(トマト、キューリ、ナスなど)は早くて連休後に苗を買って定植します。
それまで畑では、夏野菜用の畝の準備のほか、豆類、トウモロコシ、かぼちゃなどの芽出しと定植などの作業をします。

夏野菜用の畝にマルチをかけます

インゲン、枝豆、かぼちゃ、トウモロコシの芽出しをしました。
ポットに種をまき、発芽させます。

晴れた日にはポットを日光に当て、夜間は室内に置いて保温します。

今年は全体的に発芽率がいいような気がします。
温度管理と育苗土に発酵腐葉土を使ったためと思われます。

ポット蒔きしたインゲンが発芽
かぼちゃの芽です

畑では4月に植えた種芋が発芽し始めました。
ジャガイモや菊芋たちです。

特に菊芋は、今年植えたもののほかに、去年掘り残した芋が、里芋の畝や畝間から盛んに芽を出しています。
旺盛な生命力です。

ジャガイモの発芽
kききkきくきくいきくいmきくいも菊芋菊芋

苗で冬を越した玉ねぎも、6月の収穫に向けて元気で成長中です。

玉ねぎが元気です
珍しくアスパラが出ていました
キジのつがいが歩いていました

孫一家と松本城へ

令和4年の大型連休は10連休とのこと。
家族と孫一家が山小舎にやってきた。

共稼ぎの娘が日頃の疲れを癒すためか「温泉かパワースポットに行きたい」というので、到着翌日の行程として、松本城を見てハルピンラーメンでも食べ、鹿教湯温泉に入るコースを提案しました。

山小舎から一度丸子に下って、三才山トンネルをくぐると松本市。
そこからお城まで15分ほどの行程です。
市街地に入るとお城までの道が若干混んでいたが、駐車場には何とか入れました。
そこには全国各地のナンバーの車両が集結していました。

連日の長時間ドライブで車にはすっかり飽きていた孫たちも、雪を頂く北アルプスをバックにした松本城を見てリフレッシュ・・・するわけもなく、仕方なくついてきた風でしたが、お濠の鯉たちにまず興味を持ち、程よい人出の中を歩くうちに気分転換できた様子。

大人たちは東京とは全く違うすがすがしい空気と、堂々としたお城の景観に一瞬でリフレッシュ。
「いいね、いいね」を連発しながらお濠に沿って正門まで歩き、城内見学120分待ちの標識を眺めつつUターンして戻りました。

お濠越しに天守閣を見る
遠くに雪を頂いた北アルプスを望む

ハルピンラーメン松本店では孫の食欲も爆発。
すっかりご機嫌となりました。

帰りの鹿教湯温泉文殊の湯は、お湯の温度も低めでちょうど良く、大風呂にも慣れた孫たちに好評だった模様。
大人たちは源泉の癒し効果を我が身で実感して感激。
身が軽くなったような温泉の効果で夕食のビールも進んだことでした。

孫一家は山小舎に4連泊。
長門牧場で羊のエサやり。
ジィジの畑へお弁当を持って行って大豆の種まき体験。
山小舎周辺でのお絵かきなどで遊びました。

大人たちは夜の恒例の炭火焼きのほか、ジィジがストーブで煮込んで用意した、煮込みやスペアリブ、息子(孫にとっての叔父さん)が炭で焼いて作ったローストビーフなどを肴に連日、ビール、ワイン、地酒をグイグイ。
折から山小舎おじさん・おばさん夫婦の誕生会も兼ねて、連日の大宴会と相成りました。

山小舎の前で遊具で遊ぶ
傷んだバルコニーの階段を見て修理を始める父と娘

大変充実した山小舎の大型連休でした。

令和4年・寅年 諏訪大社上社御柱祭 茅野三友会練習

諏訪大社上社御柱祭の里曳きが行われる4日前の休日。
茅野市のたてしな自由農園という大きな直売所の横の空き地で、地元自治会による御柱祭の練習が行われていました。

たまたま買い出しに自由農園を訪れていた山小舎おじさんの耳に、塩田平の生島足島神社の御柱祭里曳きで聞いたことのある進軍ラッパが聞こえてきました。
さては?と駐車場を横断してラッパが聞こえる方に歩いてゆくとやっていました、御柱祭。

上社の里曳きは5月3日と聞いていたので、別の諏訪神社のお祭りかな、と思いました。
見ると、三友会と書かれたそろいの法被を着た数十人が、片や御柱に乗り、片や木遣りを詠い、片や進軍ラッパを吹いています。

さあラッパ隊のトランペットが炸裂する

後で調べると、三友会とは茅野市の湖東地区、米沢地区等の住民による団体で、諏訪大社上社の御柱祭にも参加しているとのこと。

法被の色は黄色、青、ピンクとなっており、黄色が木遣り衆、青が御柱を曳いたり乗ったりする衆、ピンクがラッパ隊に分かれていました。

見ていると、黄色い法被を着た木遣り衆が詠い、それにこたえて御柱に乗った衆がバトンのようなものを上げ下げする、頃合いを見てラッパ隊が突撃ラッパで景気を挙げる。
これを繰り返して練習していました。

木遣りに呼応する団員

ラッパ隊が消防団の応援だった、塩田平と違って、色違いながら三友会のロゴ入り法被を着ていることから、仲間うちで組織されたものであることがわかります。
ラッパだけではなくドラムと大太鼓にシンバルまで合奏しています。
吹いているのが進軍ラッパ、突撃ラッパというのは塩田平と同じです。
なおラッパ隊には女性もいました。
女性は木遣り衆にも一人いました。

木遣り衆。手前が女性

いつもならそれとなく参加している団員に聞き取りをかける山小舎おじさんですが、きっかけがつかめず断念しました。
まとまりがいいというのか、団員が集中しているというのか。
観衆がいようがいまいが、団員たちの熱量が変わらなとい地元衆の団結の強さに付け入るスキがない感じでした。
ラッパ隊は指揮者の号令一家、見事な演奏ぶりでした。

御柱祭にはラッパ隊が欠かせない?

法面のカラマツ割り

山小舎の敷地の法面に去年からのカラマツの丸太が転がっています。
正確には丸太を玉切りした「玉」がたくさんあります。

年を越えて残った「玉」たち

本来なら昨年中に薪に割って積んでおきたかった「玉」です。

時間を見つけて割ってゆきます。

法面での薪割りは大変です。
ただでさえ力を集中してやっと割ることができるものを、斜面で行うのです。
人間が普段行う作業は、水平の場所で行いますが、その有難さ、効率の良さがよく理解できます。

特に大口径のカラマツにおいては大変さを痛感します。

斧だけではとても無理なので、くさびを使います。
特に大口径で丈が長いものには、チェーンソーで縦に切れ目を入れてから、くさびを二つ使って割ります。

チャーンソーで入れた切れ目にくさびを立てます
ハンマーでくさびを打ち込みます

カラマツは繊維が絡まっているので、くさびを使ってもパカンとは割れません。
くさびを打ち込んだ後、斧を使って繊維を断ち切ります。

くさびだけでは割り切れませんので斧を使って両断します
「玉」が二つに割れました

四つ割りにした所で積み込みます。

カラマツはしばらくは野ざらしにして油分を雨で洗い流すとよいということを聞いたので、露天で積み込みます。

さらにくさびで両断します
4分割出来ました
野積みします。翌年大きなものはさらに割って使います

一回に4~5玉を割ればヘトヘトです。
全部終わるまで何日かかることでしょう。

ヒモトレ実践

「現代農業」という雑誌を畑づくりの参考に時々購入していますが、その連載に「ヒモトレ」がありました。

日本には古来からたすき掛けやハチマキなどの風習がある

ヒモトレとは農作業などを行う際に、体に紐を巻くことで作業負荷を軽減させようという方法です。
いや正確にいうと、体の使い方を正しく、偏りなく行うことで作業効率を上げようというもののようです。
体全体を使うことで、特定の部位に負担がかかることがなく、また腰が入った姿勢となったりして、結果として作業がはかどるようなのです。

山小舎おじさんは100円ショップの6ミリのひもを使用

山小舎おじさんも畑で年々寄る年波に我が身を嘆きつつありますし、別荘地管理会社でのバイトが体に負担となってきました。
体力というか、心肺能力というか、筋力が落ちているのはもちろんですが、疲れてくると右ひざや腰などにダルさや痛みが集中してきます。
1日おきとはいえ、実働7時間、つなぎの作業服を着て、側溝の落ち葉集めや草刈りなどの作業は心の準備と休養がないと行えません。

膝やモモのひもは作業中に下がってくるのが難点

今年から見様見真似でヒモトレを試してみました。
腰をリカバリーしようと腰に巻き、右ひざの負担を軽減しようと左右の膝に、足首もつかれるので左右の足首、上体を正しく保持しようとたすき掛けもしてみました。

キモチは体全体を正しく使って特定の部位への負担を軽減させよう!です。

姉さん被り。ヒモトレが日本の文化から学んでいるのがわかる

やってみたところ、体がスムーズに動くような気がしました。
通常なら腰の負担を気にしながら行うような作業にも自然と入ってゆけるような気がしました。
動いている間は古傷の右膝以外は気にしないでいられました。
たすき掛けすると上体がシャンとするような気も。

だからといって疲れないかというとそんなことはありませんでした。
体はいつも通りくたびれます。
良く動いたせいかむしろ例年よりグッタリかもしれません。

が右ひざや、腰、右足首に疲れが集中しませんでした。
両膝、足首を共に使えたことで負担が公平になったためのような気がします。

「現代農業」より

今後はバイト、畑作業、薪割りなどの時に引き続きヒモトレを行うつもりです。