自宅→山小舎 中央線各駅停車の旅

10月中頃、子供たちと飲みたくて自宅に戻った。
5日ほどいて山小舎に戻ってきた。
帰りの足は中央線の普通列車を使ってみた。

高尾初の普通列車大月行きに乗る

中央線下りの普通列車は高尾発がほとんど。
自宅で自分の分の洗濯、掃除、布団干しを終え、京王線で高尾を目指す、行き当たりばったりの旅。
高尾に着くと、甲府行きが出たばかりで、次の大月行きまでは30分ほど時間があった。

JR高尾駅正面
JR高尾駅の駅前風景

窓口に聞くと茅野まで切符を買うと途中下車ができないとのこと。
大月までの切符を買ってあとは成り行き任せとする。
駅の売店でおにぎりを買い、列車待ちの間に腹ごしらえ。

駅構内の売店兼食堂
本日の昼食
高尾から大月行きに乗車

列車が高尾を出る。
いきなり車窓に緑一杯の山間が迫る。
平野部から山間部にいきなりチェンジする車窓風景。
どこかで見たような。
東北の奥羽山脈に分け入る北上線や仙山線と同じだ。
中央線も、日本特有の山岳路線の一つだった。
やがて小仏峠をトンネルで抜けて、列車は早や次の駅・相模湖駅へ。

大月の町歩き

相模湖と次の大峠・笹子峠との間の中心都市が大月。
甲州街道の宿場でもあった。
この列車の終点。
次の列車は、と見ると1時間後の松本行き。
ちょうどよい、大月の町歩きだ。

大月駅の駅前風景
大月は富士急線の連絡駅でもある

まずは駅前から、甲州街道こと国道20号線沿いの商店街を歩く。
山梨・長野方面の下道を行くときにはよく通る道だ。

国道20号線沿いの商店街

国道から1本はずれた住宅地を歩いてみる。
大月は谷あいの町。谷に向かって坂になっている。
坂の横丁もなんとなく風情がある。

国道から1本入った住宅街。街角に塚があった
昔ながらのラーメン店があった
坂のある横丁
大月は学生の町でもあるようだ

乗車前、駅前のこぎれいな菓子屋による。
信玄餅の本舗が出している店だろうか。
試しに買ってみたシャインマスカット大福。
思ったよりずっとおいしかった。

駅前のお菓子屋さん
シャインマスカット大福はうまかった
駅近くに飲み屋街があった
大月から松本行きに乗車。背景に岩殿山が見える

大月からは乗り換えなしで茅野まで

大月からは松本行きに乗る。
笹子峠をトンネルで抜けると甲府盆地。
眼下に広がる葡萄畑。
町々が続いている。
目をやると富士山の頂が盆地の西側の山並みの上に顔を出している。

笹子峠下の笹子駅から峠方面を望む
笹子トンネルを抜けたところにある甲斐大和駅
車窓から富士山頂が見える甲府盆地
甲府に到着。沿線第一の都会だ

甲府を過ぎると、再び線路は登ってゆき、八ヶ岳山麓の高原に入ってゆく。

小淵沢付近から雪を頂いた八ヶ岳が見えた

リゾート地、小淵沢を過ぎると、信濃境という駅で長野県に入る。
富士見、青柳といった駅に止まってゆく。

茅野着は16時過ぎ。
ホームには大勢の高校生が乗車を待っていた。
入れ替わるように下車する。

茅野駅に到着

自宅から山小舎に向かう交通手段は、自家用車、軽トラ、高速バス、特急あずさを利用してきたが、各駅停車の旅もよかった。
時間は調布から4時間ほど。
乗り継ぎ時間を含めると5時間か。
高速バスの倍だ。

列車のいいところは、座席からの目線が低いところ。
高速道路からは山の上半分しか見えないが、列車の車窓からは沿線風景が人本来の目の高さで見える。
町の雰囲気を感じることができる。
地域性の変化を感じることができる。

具体的に言うと。
高尾から相模湖に入ると、そこは東京にはありえない湖が広がる別世界が展開し。
甲府盆地では、武田信玄を神格化する濃厚な歴史の空気が、お出迎え。
そして八ヶ岳山ろくでは、冷涼な高原の開拓地に吹き渡る開放的だが寂しげな風に吹かれ、すっかり遠方に来たなあと思う、のだ。

駅駅で地元の人が乗り降りしてゆく風景に接することができるのもいい。
今どき、通学時間の中高生くらいしか乗り降りしないが、それでも沿線で風景のみならず、人間に接することができるのは、いい。

車両の造りは通勤車両と同じ、ベンチシート方式。
ボックスシートに埋没して味わう旅の風情には乏しいが、今どきしょうがない。それでも空いていることが多い普通列車は、バスより居住性はいい。

今度は路線バスで帰ってみようか。
でも、「ローカル路線バスの旅」では、笹子峠越えのバスがなくてタクシーを使っていたなア。
路線バスと列車の組み合わせでもいいか。
でも暖かい時期じゃないとだめだな。

「鉄茶」を仕込む

農家と畑愛好者のバイブル「現代農業」に、最近注目の記事が載った。

鉄と茶葉を水に入れて作った「鉄茶」を畑に散布すると、作物の生育がよくなり、果実の味がよくなるという。

この「鉄茶」は専門的には「タンニン鉄」と呼ばれるとのこと。
タンニン鉄とは鉄分とタンニンが結びついたもの。
そのままでは吸収されない鉄分が、タンニンと結びついてキレート化することによって植物に吸収されやすくなるという。

鉄分は、植物の葉緑素の合成に必要なミネラルとのこと。
また、鉄分が細胞内のミトコンドリアを活性化させ、エネルギー代謝が高まるため、植物が余った養分を果実の充実に回せる、とのこと。

早速、「鉄茶」を自作してみた。

20リットルのポリタンクを用意。
「現代農業」では鉄素材として、100均ショップで300円で売っている鋳物にフライパンを推薦していたので、買ってみたが、ポリタンクには入らない。
そこで山小舎を物色すると、あったあった、ドリルの先の錆びたやつなどなど。

茶葉は冷蔵庫にあった、水出し煎茶を数パック使った。

早速、ポリタンクに水を満たし、錆びドリルを入れ、煎茶パックを放り込んだ。

現代の畑の世界は、脈々と営まれてきた伝統的な畑づくりが、ひとつ前の世代で途切れるという稀有なタイミングを迎えています。

放棄された畑の土壌が、科学的・物理的に劣化していたり、排水・用水の構造が壊れていたりします。
野生動物との共存のバランスが崩れてしまっていることもあるでしょう。
農に関する職人的な知識・技能が途切れてしまっていることもあるでしょう。
放射性物質、化学物質などの汚染もあるでしょう。

その中で、素人でもできる、ささやかな一つの「対抗策」として「鉄茶」を使ってみようと思います。
最初は11月に定植する玉ねぎに使ってみます。

10月 畑の草刈り

令和2年も10月中盤になりました。

畑に残っている作物は、春からの里芋、ヤーコン、長ネギ、ホオズキ、えごま、唐辛子、ツルムラサキ。

ナス、トマト、ピーマン、シシトウが頑張って実をつけ続けてくれています。
だいぶんペースは落ちましたが。

それと夏に蒔いた、大根、レタス、白菜、キャベツが少しですが成長しています。
これが全部です。

ニンジンは発芽がわずかだったうえ、発芽しても鹿に食べられました。
サツマイモも全滅。
鹿よけテープの効果はありませんでした。
どさくさに紛れて、あしたば、ルバーブ、モロヘイヤも食べられました。

それはそうと、11月の畑じまいを前にして雑草が気になりました。
夏とは違う種類の雑草がしっかり畑を支配しています。
10月中に一度、もみ殻を入れて、えひめA1も投入して耕耘したいと思ったので、その前に草刈りすることにしました。

草刈りする前の畑

草刈り機で刈ってゆきます。
暑いときに生える、強力なイネ科の雑草はすでに刈ってあったので、生えているのは柔らかい雑草ばかりです。
草刈りははかどりました。

トンネルの間の部分から草苅開始!
草刈りをざっと敢行!

鹿よけのピンクテープで囲った、サツマイモが植わっていた畝も、囲いを撤去してきれいさっぱりと刈り払いました。

草刈り後の畑。写真のピンクテープもこの後撤去
草が替えた後、もみ殻を撒いて耕運機をかける予定

やはり畑は手を入れるときれいになります。
作物の管理にもやる気が出ます。

粘土質の土壌を少しでも野菜向けに改良しようと、10月中に一度耕耘したいと思います。
11月に入って最終収穫ののち、畑じまいにする予定です。

あっ、11月には玉ねぎの定植がありました。
玉ねぎ用の畝も用意しなければなりません。

秋の恵みを保存した

信州の秋は、これでもか!とばかりに秋の恵みが出回ります。
夏野菜の出盛りが終わったころから、プルーン、ナシ、ブドウ、リンゴ、栗、柿・・・と数々の果物。
10月にはいってもなお、桃、トマト、トウモロコシを見かけます。

冬から初夏にかけての半年以上、せいぜいリンゴくらいしか果物が出回らない地方の貴重なひと時です。

珍しいところでは、食用ほおずき、ガーデンハックルベリー、ナツメ、アケビ、ヤマブドウ、なども信州の恵みの果物です。

山小舎の貯蔵室には瓶詰の数々が・・・

今年も山小舎おじさんは、秋の恵みを入手して加工しています。
今回入手したのは、紅玉、洋ナシ,巨峰、加工用トマト。
直売所や八百屋で見かけたらこまめに購入するようにしています。

ちなみに今回の個別の購入費。
紅玉、洋ナシは各280円、巨峰は300円、トマトは2袋で120円です。
加工用にはこれで充分です。

紅玉と巨峰を仕入れる
洋ナシと訳あり加工用トマト。これで充分!

紅玉はジャムにしました。
生を味見すると酸味と香りが強烈です。
あまり時間をかけずに、風味を残して仕上げたいものです。
皮付きのままで煮ると鮮やかな紅色のジャムになります。
紅玉が出回っているうちに、チャツネにも加工する予定です。

紅玉を切って芯を撮り水で洗う
ザラメと白砂糖をブレンドして味付け
ストーブの火力で煮込む
瓶詰めして出来上がり。蓋はあけるのが困難なほど密閉される

洋ナシはコンポートにしました。
生でも食べころで、香りもよかったので、大きめにカットして、果実の缶詰を目指して作りました。
シロップを煮たてた中に、4分の1カットのナシを入れて煮ます。
シロップは、水と砂糖と白ワインとレモン汁で作りました。

洋ナシを4分の1にカット。皮も剥く
シロップ液に実を入れて加熱
大きめの瓶1本ができました。左はかぼちゃの種

種なし巨峰は皮ごとジャムに煮ました。
皮を入れると、色と香りがいいのですが、皮が完全に煮崩れないのが難点でした。
今回は皮ごとミキサーにかけてから煮てみました。
皮の感触が残ることはありませんでした。

今後は種ありブドウの加工が課題です。
どうやって種を除くか?
今までは、事前に種を取ってみたり、煮ながら種だけを拾ってみたりしましたが、手間がかかりすぎです。
ミキサーを使ったり、粗目のザルでこしてみたり・・・いろいろ工夫してみます。

ブドウジャムは家族にも好評です。

巨峰は1パックで小瓶が二つ

追加

少し前にはドライプルーンも作ってみました。
乾燥には天日のほか、ストーブの熱も利用しました。

プルーンを天日で干す。天気が悪いときはストーブの力を借りて乾燥させる
種を抜いて完成。保存は冷蔵庫で

ご近所立寄り湯めぐりVOL.10 下諏訪温泉の矢木温泉に入る

下諏訪町に噴出する下諏訪温泉。集めの源泉は、町内の何か所かの公衆浴場に引かれています。

公衆浴場には、新湯、菅野温泉、矢木温泉などが、町中に点在しています。
また、中山道・下諏訪宿付近には、より観光性の強い、旦過の湯があります。

今回は国道20号線に沿いに看板が出ており、その存在が普段から目についていた、矢木温泉を訪れてみました。

国道20号線の下諏訪町沿道を走っていると見える看板

駐車場は10台ほども止められます。
玄関の造りは、ほどほどに整えられており、地元限定に鄙びすぎてもいなく、観光性を追求した派手さもありません。

収容台数の多い駐車場を完備
つつましやかな入口から入場する

番台には地元の住民と思しき高齢者のおじさんが座っており、また県内のこういった公衆浴場と同様に、検温や氏名住所の提出、マスク着用・・・の手続きは一切ありません。

入浴料240円を払って入浴。
混んでもいない客層は、地元の高齢者が中心でした。
下諏訪温泉の湯の印象は高温、ですが、旦過の湯はもちろん、菅野温泉ほどに熱くはなく、適温でした。

松本、塩尻方面からの帰途、国道20号線を利用するときの立寄り湯として貴重な存在です。
ただし、気温が低くなるこれからの季節、ここから約1時間かかる山小屋までの間、軽トラの座席での湯冷めを心配する必要はありそうです。

塩尻の東座で「ひまわり」を観た

塩尻に東座という昔ながらの映画館があります。
シネコンではなく、フィルム上映も可能な、座席数168の映画館です。
1号館、2号館があり、それぞれ一般映画とピンク映画を上映してます。

「大蔵映画」の看板を掲げる映画館は他に現存しているだろうか

たまたま塩尻を訪れたときにこの映画館を見つけ、是非一度映画を見に来たいと思っていました。
調べてみると「ひまわり」(1970年、イタリア・ソ連合作)がリバイバル上映中とわかり、改めて駆けつけました。

一般映画の上映作品はいわゆるミニシアター系が多そう

「ひまわり」は、日本公開当時の1970年時点で10代以上の映画ファンなら、誰でも知っているであろう名作です。

ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニという、イタリアでは人間国宝級の二人の共演。
監督はヴィットリオ・デ・シーカ。
戦後直後に、イタリア社会の現実をドキュメンタルに描写した「ネオレアリスモ」と呼ばれた一連の作品群の代表作である、「靴みがき」(1946年)、「自転車泥棒」(1948年)を監督した人です。

デジタル上映でよみがえった名作を見て感じたことを表してみたいと思います。

館内は傾斜があり、とても見やすい。この回の入場者は6人ほど

その1、イタリア軍のロシア戦線の従軍

「ひまわり」は愛し合った男女の戦争による離別を骨格とした物語です。
イタリアの男は戦争当時、徴兵されることが当然でした。

主人公もそれは覚悟で、徴兵の猶予期間(12日の新婚期間、入営が猶予される)狙いで結婚し、あまつさえ狂言で精神病院へ入院までするのだが、狂言がばれて送られた先がロシア戦線だった。

第二次世界大戦で、イタリア軍も北アフリカでドイツ軍の補助に参加したのは知っていたが、ロシア戦線に従軍したのは知らなかった。

調べてみると計23万人ものイタリア軍がドイツ軍に呼応してロシア戦線に従軍したとのこと。

当初はルーマニア、ハンガリーもドイツ軍として従軍したロシア戦線。
スターリンの圧政に苦しむ当時のウクライナでは、ドイツ軍が「解放軍」として迎えられたとのエピソードが示す通り、複雑かつ混とんとした情勢の中、ソ連軍の反抗と冬将軍の到来に撤退を余儀なくされた時、イタリア軍は15万人になっていたという。

「11人以下の人数の戦い(サッカーのこと)だと強い」「マンマが見ているときだけ強い」などと揶揄されるイタリア男性。

イタリア軍についても、「エチオピアを植民地とすべく攻め込んだイタリア軍が、騎馬と槍で武装したエチオピア軍に何度も跳ね返された挙句、毒ガスを使ってやっと勝った」とか、「北アフリカ戦線で、水不足とSOSを発したイタリア軍部隊に、救援のドイツ軍部隊が駆けつけてみると、盛大にスパゲテイを茹でていた」など、うそか誠か、でも「いかにも」と思わせるエピソードに事欠かない。

ところが、第二次大戦のロシア戦線でのイタリア軍は奮戦したらしい。
ドン川周辺の占領地域の防御戦で再三ソ連軍の反抗を跳ね返し、ソ連軍に「白い悪魔」と呼ばれたスキー部隊もいた、とのこと。

本作での、ロシア戦線での戦闘描写、厳寒の雪原を敗走する場面、戦後になって妻がソ連に夫を探しに行ったときに目の当たりにする、丘一面の無数の白樺の墓標、は決して大袈裟な描写ではなかったのだ。

映画「ひまわり」の歴史的背景描写と史実は決して乖離してはいなかった。

上映予定表。予約割引、メンズデイなどの有益情報も記載されている

その2、イタリア映画の豊かな伝統

「ひまわり」は、イタリアの大プロデユーサー、カルロ・ポンテイの製作作品で、ソビエトロケやトップ女優・リュドミラ・サベリーエワの出演など、ソ連との合作によって実現した大作という側面が強い。
一方で、イタリア映画の細かな伝統を随所に感じさせる作品でもある。

【イタリア映画の伝統その1】

主人公二人が新婚時代を過ごす町の広場で三々五々過ごす人々の自然な描写。
駅で出征兵士を送る母親年代の女性達の味のある顔また顔。

イタリア映画のエキストラの存在感。
セリフもないエキストラ達は、アップになっても得も言われぬ存在感を醸し出す。

演技がうまいのか、もともと人々の個性が強いのか。
多分両方なのだろう。

画面を引いて、駅の建物一杯に人々が行きかう群衆シーンになっても画面のリアリテイは失われない。

【イタリア映画の伝統その2】

カメラを固定させ、アップもパンも多用しなかったネオレアリスモの時代の後、イタリア映画に於ける撮影はその技量を高めていったように思う。
質感あふれる引きの構図があるかと思えば、独創的な移動ロングショットがあったりする。

マストロヤンニとサベリーエワの夫婦が都市のアパートへ引っ越すときのトラックを、前面から回り込み助手席のサベリーエワ親子をアップでとらえるまでのワンショットの移動撮影。
カメラマンのよほどのやる気と技術と準備がなければできない撮影だ。

イタリア映画でのエキストラの活かし方と、熟練の撮影は、ベルナルド・ベルトルッチ監督にも引き継がれている。
同監督の「暗殺の森」(1970年)、「1900年」(1976年)では、迫真に迫るエキストラシーンと、見事な撮影を観ることができる。

ロビーに置いてあるマップ。塩尻の食堂、カフェなどの情報満載

その3、主題は戦争の悲劇にとどまらず

さて、本作の主題。
ここにもイタリア映画の伝統が強烈に顔を出す。

「ひまわり」という映画のこれまでの印象はというと、山小舎おじさんは「戦争が引き裂いた夫婦の別れ。二人とも運命を受容。悪いのは戦争だ」、というもの。
だからこそのキレイな悲劇の物語。

実はそれにとどまらないのがイタリア映画のしつこいところ。
戦争などで引き裂かれても、イタリア女性はそんなことではあきらめない。
死力を尽くして愛する夫を探し当てる。

女性は、戦争などでは夫への愛を「あきらめ」ないが、反面、夫が別な女性と愛し合っている事実を確認すると、「あきらめ」る。
後に、ソ連からやってきた元夫とイタリアで再会した時も、戦争のせいにする夫を許しはしない。

肉食的というか、頭ではなく体で生きるというか。
イタリア女性の面目躍如。
きれいごとで済まさないところがスゴイ。
それを扱うイタリア映画もスゴイ。

とはいえ、別れた時間は容赦がない。
それぞれに家庭と子供があり、元に戻ることは現実的にはできない、という「落としどころ」に落ち着く。

「ひまわり」撮影時、ソフィア・ローレン34歳、マストロヤンニ46歳。
名コンビとはいえ、新婚時代からを演じるにはギリギリの実年齢。
無理がある?とも思ったが、合作の大作としては必要なキャステイングだったのだろう。

結果としてはリバイバル上映にも十分耐えうる二人の存在感には何も言えない。ソフィアは、若い時と、夫を探すとき、夫を見切ってから、と3つの時代を演じる。
それぞれが素晴らしいが、特に夫をソ連に探しに行ってから見切るまでの時代の演技が素晴らしい。

ソ連で「戦争と平和」のヒロインを演じたこともある、モスフィルムの名花にして、当時のソ連を代表する美人女優のリュドミラ・サベリーエワ。
本役にはもったいないくらいの美貌だが、彼女とてただの悲劇のヒロインではない。

随所に現れる、サベリーエワの人間臭いセリフと動作。
さすがイタリア映画の演出である。
ただの悲劇のヒロインなど一人も出てこない。

随所に現れるマストロヤンニの母親。
息子の行方不明を嘆き、初めて嫁であるソフィアのところへやってきたとき、コーヒーを勧める嫁に、それを断るところ・・・。

人間の描写にいちいち真実をつかないと気が済まない?のがイタリア映画。
これが「人間復興」というものなのか?ルネッサンスの伝統なのか?

一筋縄では行かない大作の「ひまわり」でした。

護岸工事でDIY!

田舎暮らしの醍醐味といわれるものがいくつかあります。
畑だったり、鶏飼いだったり、薪作りだったり、渓流釣りだったり、山歩きだったり・・・。
いずれも都会暮らしでもできることですが、田舎ではそれらがぐんと身近になります。

DIYという言葉があります。
家具作り、簡単なリフォーム、ペンキ塗り、土木仕事・・・。
それらを自分で行うことです。
昔は日曜大工などという言葉もありました。

DIYは、山小舎おじさんの苦手な分野です。
簡単な家具さえ作れません。
庭の法面に簡単な階段が欲しくても作り方がわかりません。
山小舎で行ったDIYらしきことというと、台所の流しと窓の間の垂木に透明防水塗料を塗ったくらいです。

やろうと思っていることはたくさんあります。
ストーブの背後にレンガで防火壁を付け足すこと(現在でも防火壁はあるが少々面積が足りないような気がする))。
居間の天井の梁にそれらしい塗装をすること(梁の1本だけが鉋をかけた無垢の状態になっている)。
などなど・・・。

気になっていることの一つが、山小舎の裏手の小川の護岸工事です。
普段は水無川だが、台風や大雨になると水流が起こる小川で、ちょうど山小舎の裏手に向かって水路がカーブを切っている。
水流が激しくなるとこのカーブが削り取られてゆく可能性が高い。
事実、朽ちたような丸太が小川に並行して打ち込まれている。
先代オーナーが施したものだろう。
ほおっておくと土地が削られ、山小舎の土台に影響するかもしれないから。

その部分に土嚢を積むことも考え、管理事務所にも相談した。
「言ってくれればやります」との返事だったが、正式に依頼しないまま現在に至っている。

今日は護岸工事をDIYしてみた。

岸に杭を打ち、丸太を杭の山側に並べれば護岸になるであろう。
さらに丸太で作った壁の山側に石だの、土を詰めてゆけば堤防になるはずだ。
幸い手ごろな丸太は転がっている。

まず、細めで、杭になる丸太をチェーンソーでカットする。
ついでに先端部分もカットしておく。
杭は長めにしたいが、丸太の都合で長さはバラバラになった。
杭の山側に並べる丸太も見繕っておく。
あまり長いと扱えないので、適当な長さに切っておく。

次いで、現地に行き、いきなり杭を打ち込んでゆくが、基礎部分は河原。
石がごろごろしており、ハンマーで叩いても素直に打ち込まれてゆくとは限らない。
困ったが、位置を替えて何度か打ち込んでいるうちに、何とか砂利の隙間に入り込み、杭3本ほどがしっかり基礎の河原に打ち込まれた。

杭より太めの丸太を杭の山側に並べてゆく。
杭の長さが見事に不揃いで、見栄えのほか実用的にも不安があるが、今のところ丸太による壁らしきものができてきた。

丸太の壁の山間に石を投げこんでゆく。
水害の時、丸太製の堤防が水で洗われ、丸太は崩れなかったとしても、山側の土が水とともに流されてゆくのを防ぎたい。
本来は土嚢がいいのだろうが、できるだけたくさん石を詰め込んだ堤防の基幹部を丸太の山側に形作りたいものだ。

不揃いの杭に長さが工事の信ぴょう性を疑わせる出来栄え
水無川の川底を入れ込んでのカット
川の下流方向を眺める
山小舎の裏手を入れ込んだカット。土台が削れかかっている

本日の作業はこれで終了。
第二期工事は、長めの杭を追加して、長めの丸太を横通しし、石と土に寄る丈夫な堤防基幹部を作る予定です。

杖突街道→伊那→塩尻

10月に入った秋晴れの日。
軽トラで旅に出発した。

鄙びた別世界のような杖突街道を走って、高遠では行きそびれていた郷土資料館へ入り、伊那でソースカツ丼を食い、国道153号線を北上しつつ箕輪町の直売所で仕入れ、さらに北上して行ったことのない塩尻市内を見物しよう、という予定だった。

杖突街道での発見

伊那地方と諏訪地方を結ぶ杖突街道こと国道152号線。
杖突峠を越えて古都・高遠までの沿道風景は、時間から取り残されたような鄙びた集落が続く、山小舎おじさんお気に入りのルートだ。

高遠歴史博物館で買った杖突街道のマップ。情報がてんこ盛り

木造の古い建物が目をかすめた。
木造校舎か?と立寄ってみた。
正体不明の建物だった。

とりあえず写真撮影して、近くに神社があったので表敬訪問。
貴船神社とあるその神社。
案内板を見ると京都の本家・貴船神社から正式に勧請された、とのこと。
縁結びで有名な貴船神社。
調べてみると全国に450社の分社があるという。

杖突街道からこの木造建物が目についた
正面から見た木造建物
京都から勧請した貴船神社
貴船神社の本殿
このあたりの集落は新しい蔵が目立つ

さて不思議な木造建物の件。
この先で寄った、沿道唯一の直売所の駐車場で荷造りしていた地元?の男性によると、地元(藤沢地区)の公民館だったとのこと。

沿道唯一の直売所は閉まっていた

高遠を経て伊那で昼食

高遠では歴史博物館へ寄ってみる。
ここの展示の目玉の一つが、絵島囲屋敷。
絵島という江戸時代の女性が、大奥で女中頭の身でありながら、歌舞伎見物で帰城の門限を破り、当地に島流しにあって、27年間幽閉の身を過ごした屋敷が博物館に隣接しているのです。

高遠歴史博物館で購入した朱印

13時を回ったので慌てて伊那を目指す。
目指すソースカツ丼屋は、長野県の食堂の例にもれず、昼食は14時までの営業時間。
遅れるわけにはいきません。

目指す、たけだという食堂に着いたのが13時36分。
既に看板は「準備中」に裏返っています。
店員に掛け合ってみましたが、「ごめんねラストオーダーは13時30分なの」というばかり。
残念ながら諦めました。

さてどこで何を食べようか?何度か行ったことがある田村食堂へだめもとで行ってみますと、こちらは「ラストオーダーが13時45分」の看板が。
同時刻に滑り込み、快く受け入れてもらいました。

たけだを目指したがかなわず、田村食堂へ

国道153号線沿いに出現する信濃国二ノ宮・小野矢彦神社

伊那から北上して箕輪町の直売所で季節の紅玉リンゴなどを仕入れ、さらに国道153号線を北上する。

伊那地方と塩尻・松本方面を結ぶ国道153号線は交通量も多く、車両の運行速度も速い。

長野県の交通事情は、運転マナーもよく、奥ゆかしいイメージがあるが、どうして、平地を走る主要国道・バイパスの車は飛ばす。
のろのろ走っているとあっという間に後ろがつながってしまう。

国道20号線の塩尻峠、佐久平を北上する国道141号線などは、通行車両が「必死になって先を争って走る」印象がある。

ということで、後ろを気にしながら走っていると、ただならぬ雰囲気の神社が左手に出現して慌ててストップする。
辰野町小野地区と塩尻市にまたがる、小野矢彦神社だった。

国道153号線沿いに出現する小野矢彦神社。巨木がそびえる
手水場はコロナ下(禍)でも閉鎖されていない。心意気やヨシ!

境内に外にまでにじみ出る荘厳な雰囲気。
境内には巨木が立ち並ぶ。
取り急ぎ拝殿に参拝。

参拝したのは小野神社のほうで、矢彦神社は隣にあったらしい。
信濃国二ノ宮とのことがだが、二ノ宮は上田の生島足島神社もそうだったよなあ、と思う山小舎おじさんでした。

小野神社の拝殿。派手にデイスプレイされている
小野神社の神楽殿は拝殿の正面に建つ

塩尻でびっくり!

塩尻は松本と隣接し、つながってしまっている印象だが、実際訪れてみると個性豊かな町だった。

国道から市街地方面へ折れると目の隅に看過できない建物が飛び込んできた。
よく見ると映画のポスターが貼られた建物だ。
東座と銘が打たれた大き目の建物。
よく見るとピンク映画のポスターも貼られている。

待てよ、これは絶滅危惧種の昔ながらの映画館の生き残りではないのか?
慌てて軽トラを止める。

塩尻東座の建物が現れた

「新東宝映画」「大蔵映画」の文字がうれしいというか時代錯誤というか。
都内でも、ここ2.3年で飯田橋駅前にあった専門館が撤退し、上野と池袋にのみ現存するピンク映画の上映館が、一般映画上映館と併存とはいえ塩尻に残っていたとは!
後日ゆっくる訪問することにして写真撮影を済ます。

上映作品のポスター
一般映画上映の1号館入場口

行き当たりばったりの塩尻初訪問。
町の情報を得ようと塩尻駅でパンフ類を収集する。

隣の観光案内所に行って再度びっくり!
コンテナにマスカットを山盛りにして、「3房で100円」の張り紙。
どうしたものかと眺めていると、職員が「駅構内で栽培しているんですよ、黄色めのものが熟してます。種は出さずに食べると甘いです」とのご案内。
思わず100円玉を出し、買う旨を伝えると、袋に詰めてくれ、おまけにもうひと房をくれました。
昔ながらのマスカットは香り豊かで、甘さ充分でした。

JR塩尻駅
観光センター入口
駅構内特産のマスカット特売現場!
駅構内には黒葡萄が実っていた

折角なので、イヅツワインの醸造所まで行ってみます。
塩尻はワイン醸造の名所でもあります。

イヅツワインの売店でワインとジュースを購入しました。
醸造所限定品などはなく、むしろ出荷優先で販売しているとのことでした。

国道19号線沿いの、桔梗が原と呼ばれる当たり、イヅツのほかに五一ワイン、アルプスワインなどの醸造所が集まっているエリアです。

塩尻市桔梗が原のイヅツワイン工場売店

杖突街道から派生する金沢街道などの旧街道筋はぜひ行ってみたいともいました。
また、塩尻の東座は近々訪問したいと思いました。
うれしい宿題二つをもらった今回の旅でした。

上田アリオに行ってきた

アリオといえばセブンイレブン系のショッピングモール。
長野県第三の都市、上田にはもともと西武系のイオンタウンがあったが、後発のアリオが上田駅近くにモールを出店したもの。

ご存知の通り地方都市では(昨今は首都圏でも、都内でも)既存の商店街は閑古鳥が鳴いている状況。
とはいえ、住民の日々の買い物、休日のショッピングの需要はあるわけで、国道沿いの郊外型店舗群がその受け皿となっていたが、近々のマーケテイングというか、商圏として出現したのが、モールという存在。
大規模なものとしてはららぽーと、一般的には○○タウンなどと呼ばれる複合型商業施設が全国的に存在する。

上田では、駅前から続く真田坂、それと直行する海野町商店街などが元来の商店街なのだが、人通りはほとんどない。
店舗を占めた商店も目に付く。

では上田の消費者はどこにいるのかというと、イオンタウンだったりアリオ。
特にアリオは真新しい店内と、全国チェーン店の出店で、休日は地元のファミリーやヤングが繰り出している、という印象だった。

「印象だった」というのは、山小舎おじさん、このアリオに過去1回行ったときに、店内をそぞろ歩く人たちを見て「上田の人は(商店街にではなく)ここにいたのか!」と安心した記憶があったからだ。

地方では、人気のない商店街や住宅地をみて「ひとがいないんだなあ」と感じるが、いざ何かの行事が開催されると、スタッフや参加者に人があふれ「人がいるじゃないか!」と思うことがある。
例えば、茅野市街地では歩く人の姿を見るのも稀な印象だが、蓼科高原映画祭開催の時は、市民ホールと新星劇場に和解世代も含めた住民スタッフが溢れ、「茅野にもこんなに人がいたんだ!」と安心する。
今年のコロナ騒動では、春先の休日に諏訪湖畔に散歩する人の姿が溢れ、普段感じられない地域住民の人数の多さを実感し、頼もしく思ったものだ。

何が言いたいのかというと、地方都市にはまだまだ人がいるということだ。

閑話休題。
前置きが長くなりました。

この日の上田アリオ。
平日の午前中に訪れると、1階のイトーヨーカドーのスーパーマーケットエリアは人が集まっているものの、ショッピングエリア、レストランエリアは閑散としておりました。

上田アリオの入口
1階のイトーヨーカドー
2階から1階通路を見る

もともと地方では、人口の絶対数が少ないうえに、日中、若い人は学校に、壮年は職場に、主婦はパート先に・・・と居る場所が決まっています。

食堂も全国チェーン店以外は、14時から休業時間に入ります。
東京のように勤務時間が様々だったり、何をしているのかわからない人が大量にいたりすることがないので、結果として人の行動は規律的になります。
昼食にしても12時から13時の間にほぼ全員が摂るわけで、食堂はその時間以外に空けておいても客が来ないのです。

たとえ話が長くなりましたが、ついでに続けます。

平日日中のショッピングセンターの閑散ぶりは、東京でも見られます。
街中のスーパーに見られる閑散とした店内と、休憩コーナーで時間をつぶす高齢者の姿です。
この日の上田アリオの雰囲気もそれに近いものでした。

地方に特有の「のどか、のんびり、まったり」した雰囲気ばかりではない「閑散」とした雰囲気。
これが原因は、地方云々というばかりではなく、大きくいえば日本全体の景気停滞、社会の疲弊に端を発するのかもしれませんが。

衣料品店が並ぶストリート
ストリート中ごろには、ハロウイーンのデイスプレイ
シネマコンプレックスも併設
TOHOシネマズのロビーは最新式

とはいえ、新築でこぎれいな、上田アリオ。
で歩いていて気持ちのいい場所です。

上田では貴重な新刊書店もあります。
レストラン街のほかにフードコートもあり、昼食には便利です。
何より全国チェーンの衣料、雑貨店がもたらす都市カルチャーとの直結感が貴重です。

1階のレストラン街、和洋中がそろう
2階のフードコートはそこそこの人出

用事を済ませ、カフェで一息つきながら、午後を迎えたに山小舎おじさん。
その時間には下校時の高校生など、午前中より客層が若返り、人数も増えてきました。
「やはり上田で一番賑やかな場所だ」と感じることができました。

この日の用事はJTB
スタバで休憩した

実は、アリオ訪問記を「パワースポット探訪記」の一環としてまとめる予定でしたが、訪問後、その気持ちがなくなりました。
ひとが集まる場所としては上田で一番なのでしょうが、その割にパワーを頂けなかったという気持ちでした。

それが原因は、自然発生的で歴史ある場所ということではない、現代の商店街・モールの持つ性格なのでしょうか。
地域との共存共栄というよりは、採算が悪くなればいつでも撤退してゆく、という、そのコンセプト。
それを承知で刹那に訪れる人々の移ろい感。

安易に「パワー」を求めてさまようことへの自戒も含めて勉強になりました。

裏山に上ってきた

山小舎の背後には国有林の山がそびえています。
9月の末日、裏山を登ってきました。

登山口?から林道を越えてトレイルへ

別荘地の道路から登山口を伝って裏山ハイキングの開始です。
この道、ほとんど通る人はありません。
獣道のような登山道を登ってゆくと林道に出ます。

登山口?けものみち?からゴー
国有林の間から山小舎が見える
林道に出る

林道を横断して、さらに踏み固められた道をもぼってゆくと、斜面を削った道に出ます。
その道をたどって山を巻いてゆくと尾根に出ます。
大門峠から続く尾根です。

林道を渡って再び登り口へ
斜面を削った道をたどってゆく
尾根に出る

尾根は、防火帯のように草木が削られ、砂利が敷かれた道が続いています。
長門牧場から霧ケ峰方面につづく尾根伝いの道で、分水嶺トレイルと呼ばれ、毎年初夏にトレイルランが行われる道です。

山小舎からここまでの所要時間は小1時間でしょうか。
ちなみに、山小舎前任者の「仙人さん」は、健脚にものを言わせて『白樺湖までの所要時間:25分』と書き残されていましたが。

山小舎おじさんではとても無理。
白樺湖まで下る時間を含めると優に倍以上の所要時間がかかりましょう。

尾根は分水嶺トレイルと呼ばれる
尾根沿いにあった標識

分水嶺から白樺湖を望む

遮ることのない景色を分水嶺から楽しみます。
目を北に向ければ蓼科山、東の眼下には白樺湖が浮かびます。
あたりは一面の薄の原っぱです。

分水嶺トレイルから見た蓼科山
大門峠方面へと続く分水嶺
眼下には白樺湖が望める

折角なので、尾根から白樺湖畔へ下りることにします。
大門峠から続くビーナスラインに出ます。
車山高原を経て、霧ヶ峰、美しが原へ続く観光ルートです。

分水嶺から白樺湖畔へ下りる途中のビーナスライン

更に下ってゆくと白樺湖畔の大門街道に出ます。
平日のこともあり、ハイカー、登山者などの歩行者には一人も出合いません。

湖畔へ下りて大門街道を渡る

白樺湖畔をゆっくり

白樺湖畔の西側でゆっくりします。
土産物屋が2軒ほどと、食堂が1,2軒、宿屋が2.3軒営業している湖の西岸です。

湖畔ではスワンボートが営業中
湖畔の釣り人

夏の間はともかく、紅葉にはまだ早い9月末の平日は人気も少ない白樺湖畔です。

土産物屋前のアルパカの人形
かつては湖畔を馬車が引かれていたのか
西岸の土産物屋は軒並み閉店している

一休みした後、やってきたルートをたどって山小屋まで戻りました。
気持ちのいい初秋のハイキングでした。

付録・裏山ルートで見たもの

植物とキノコ

?タケ
ベニテングダケと思われる
トリカブトの花が咲く
マムシグサ

動物の足跡

鹿の寝床と思われる
鹿が食べた木の皮
動物がひっかいた跡。熊か?
動物の骨。鹿のあごの一部か?