かんぴょう干し

山小舎おじさんの畑では夕顔の実がぶら下がっています。
一つ収穫してきました。
例年なら冬瓜代わりに煮て食べるか、それともズッキーニ代わりに炒めるか。

今年は新規開拓でかんぴょうにしてみようと思いました。

ネットで調べます。
1センチ幅に輪切りして皮を厚めに剥き、中身を桂剥きにしていました。

早速、巨大夕顔に立ち向かうことにします。

夕顔、今年の一番果

1センチ幅の輪切り。
これは問題なくできます。

1センチ幅に輪切り

皮を厚めに剥く。
これもできました。

皮を厚めに剥く

中味の桂剥き。
これが難しい。

夕顔の輪切りというのは、芯がふわふわなので、大根と異なり、1センチ幅の輪切りにはそもそも強度がないのです。
桂剥きしようにも非常にやりずらい!
仕方なく厚めに桂剥きするのですが、それでもぼつぼつに切れてしまう。
ピラーでやってみましたが、輪切りそのものに強度がないうえに、手元のピラーでは薄くなりすぎてしまいます。

桂剥きの成果?
残った芯の部分はやむなく廃棄

ぼつぼつでもいいから、と作業を続行。
大きな夕顔からは少なすぎるかんぴょう素材が採れました。

ネットの通りに一晩冷蔵庫で乾燥。
翌日天日干しにしました。

果たしてどうなるやら。

天日干し。辛うじてぶら下げられる部分
天日干し。ブツブツに切れた部分

薪の乾燥台再生

令和5年も8月になりました。
お盆過ぎには秋風が吹き始めるであろう山小舎です。
既にトンボが飛び始めています。

7月に乾燥済みの薪をベランダに移動しておきました。
空いた場所に新たに乾燥台を設置しました。

乾燥台を設置する前の状況

基本的には乾燥台は例年同じ場所に設置します。
風通しがよく、日当たりの良い場所です(比較的)。

土台は高さ15センチ以上高くします。
台とするパレットを水平に設置するのはもちろん、パレットを支える土台がしっかりしており、強度があることも必要となります。

土台には大きめの石、ブロック、大きめの柱材などを使います。
スコップで掘るなどして土台を安定させます。
土台とパレットの間には鉄材、角材などを用います。

目見当での作業なので、土台にパレットを乗せてみて、ぐらぐらしたり、水平が取れていなかったりします。
その場合は平べったい石などを挟んで調整します。

崖側の土台の強度には十分注意します。
崖側が心持高くなっているくらいでOKです。

土台を組みなおし、3枚ほど設置

今回は去年の土台より一段高くしました。
廃品の鉄材やベッドの部品なども利用して土台を作りました。

パレット4枚を設置完了

5枚ほどのパレットを敷きました。
うち2枚はJA茅野の廃品をもらってきたもので、重さのある良品です。

端っこにベッドの部品を土台に5枚目を設置

出来上がった乾燥台。
水平取りは厳密ではありませんが、薪の積み方で調整することにしましょう。
全体的に強度は十分だと思います。

一番端っこのパレットの土台のバランスには不安がありますが、乗せる薪の重さで調整しましょう。

新規の乾燥台設置完了

次回の作業は、空き地の丸太の玉切りと、薪割りです。

軽トラ流れ旅 道の駅南アルプスむら長谷

真夏の土曜日、軽トラに乗って旅に出た。

目指すは杖突街道を通り高遠へ。
そこからは、いつもの伊那方面ではなく、高遠から南下して分杭峠付近の立寄り湯へ、さらに駒ヶ根まで下って、伊那、南箕輪を通って帰るというもの。

軽い1日コースではあるが、心配なのは真夏の暑さ。

まずは茅野へ下りて杖突峠を目指す。
順調に軽トラは走るが、夏休みの他県ナンバー車に追われるようでゆっくり走れない。

暑い中、途中下車して杖突街道沿いの古道具屋に寄ってみる。

2階から髭を生やした店主が下りてきて色々説明してくれる。
7年前に古民家を買って移住したという70がらみの店主は、かつて料理人の仕事で住んだ、イギリス、フランス、ロシアなどの話題が豊富。
趣味の古着は高級そうだった。

古道具屋を辞し、高遠の街へ。
ここを通過して152号線・秋葉街道を南下。
途中にダムが見えたので一時停車。
暑くてダム見物もしんどい。

秋葉街道をゆくとダムの風景が現れた
美和ダムという場所だった

まずはその先の道の駅を目指す。
広い駐車場には他県ナンバー車両で一杯の道の駅・南アルプスむら長谷。
食堂、直売所、ベーカリーの棟のほかに、一帯のビジターセンターの建物も隣接している。
芝生の緑が目に染みる。

道の駅南アルプスむら長谷に到着
中庭に芝生が広がるロケーション

ここでは、地物のトマトなどを買う。
ついでに安くて並んでいるパンも少々。

館内では熊のはく製がお出迎え
直売所入り口には生産者紹介とカブトムシが

昼飯もここで食べる。
ソースカツ丼。
地元飯らしく小鉢が多い。
味付けもばっちり。
食堂のおばちゃんたちも愛想よく頑張っていた。

食堂では意欲的にメニューを紹介
この日はソースカツ丼をチョイス。品数がたっぷりだ

この先の情報を得ようとビジターセンターへ。
おっとりしたお姉さんに目指す立寄り湯の情報を聞く。
なんと、ネットで調べていた分杭峠近くの立寄り湯は店じまいしてやっていないとのこと。
分杭峠から駒ヶ根に下る道も通行止めとのこと。

ビジターセンターで情報収集
ゼロ地場で有名な分杭峠のプレゼンテーションが

やはり地元で聞いてみるものだと納得。
これ以上の南下を断念して、高遠へ戻りいつもの道を伊那へ。

伊那の街中の酒屋でこの季節のおすすめの日本酒を買い、南箕輪町の直売所で桃を買って帰りました。

暑かった!
念願の杖突街道沿いの古道具屋を訪問でき、道の駅で美味しいランチを食べ、珍しい日本酒を手に入れ、季節の果物を格安で買えたので満足の旅でした。

1年分の桃を煮る

高遠、伊那方面へ行った帰り、いつものように南箕輪町の直売所・あじーなへ寄りました。
初夏を迎えた南箕輪町の直売所ではさぞかし夏野菜や果実で花盛りだろうと思ったからです。

特に、あじーなは地域の産物の出荷量がよく、値段も手ごろな印象があります。

この日もありました。
季節の桃が。

あまり知られてはいませんが、長野県は桃の生産量が全国トップクラスです。
桃に限らず、ネクタリン、ワッサーなど関連品種も多く出回ります。

白桃は、山梨県産ほどの大きさや甘さはないかもしれませんが、普段食べる分あるいは加工用には十分です。
また、直売所にはよく、自家用のB品が売られており、加工用の品を探すことができます。

この日あじーなで見つけたのは、中型の桃がひと箱(22から24個入り)で1400円ほどのもの。
大型の贈答用なら4000円でしたから、これはお買い得です。

あじーなで購入した桃

勝った翌日、さっそく加工をしました。

まずは砂糖を煮溶かしてシロップを作ります。
そして桃をむいてカットしてゆきます。
選ぶのは硬めの桃。
コンポートをつくるのです。

シロップで桃を煮る

箱の半分くらいの桃を使ってコンポートにします。
カットした桃をシロップに入れて、煮崩れないように加熱。
消毒した瓶に詰めて煮沸して出来上がりです。

コンポートが3本完成

残りの柔らかめの桃はジャムにします。
コンポートで使ったシロップの残りに桃の乱切りを投入。
しばらくストーブにかけておきます。

なかなか煮崩れしなかった桃ですが、果肉が残ったジャムになりました。
余りを試食すると、思ったより風味が残るジャムでした。

今年も夏の恵みを保存できました。

左からジャム3本、コンポート3本

今夏は山小舎もギラギラ

例年、山小舎周辺の夏日は幾日あったでしょうか?

例年なら、姫木が30度予想になったら驚いたはずです。
夏の直射日光は、紫外線十分で厳しいものがありますが、空気は湿っておらず、木陰に入るとすーっつとしました。

ある夏日の山小舎前庭

今年は鮮烈な日光に加えて、蒸し暑い日が続くのが特徴です。

その日に管理事務所の草苅バイトだったとしたら、つなぎの長袖が上から下まで汗でびっしょりとなるほどです。
日に当たり続けると暑さにグッタリし、またヘルメットや帽子の中の熱が去りません。
木陰が涼しいのは例年通りなのですが、蒸し暑い日が多いような気がします。

山小舎の前の道もギラギラ

直射日光の下では洗濯物もすぐ乾きます。
いつまでたってもパリッと乾かない山小舎周辺の湿気が嘘のようです。

厳しい暑さの日には、表の直射日光に当たるのがダメージなので、山小舎室内のひんやりした中で過ごします。
そういった日は山小舎の窓という窓を夕方まで全開にして風を通します。

夏の空は抜けるように青い

東京のことを思うと、熱帯夜のない山小舎は天国なのですが、日中の外仕事は大変なこの季節です。

紫外線に照らされる山小舎。室内はヒンヤリ

ある日の野菜出荷

畑は夏野菜の出荷最盛期を迎えました。

畑では週1~2回の出荷日に向けてせっせと野菜たちが準備しています。

畑に訪れるたびに真っ赤なトマトが出迎えてくれます。
収穫の前に、伸びすぎた枝を誘引し、脇芽を掻き、根元の雑草を引き抜き、枯れてきた根元に近い葉をカットします。
自然発芽したトマトも各所でぐんぐん伸び、実をつけ始めました。

この日の収穫。黄色トマトや白ナスは今年から作り始めた品種
万願寺トウガラシ、ピーマンは初出荷。荷物がいっぱいになり、ミニトマトは出荷できず

この日はキューリとナスも収穫。
収穫後はなるべく日に当てないようにします。
軽トラの荷台に運び、野菜の保存用のビニール袋に入れて荷造りし、宅配業者の営業所に持ち込みます。

トマトを植えに保存用ビニールに入れて梱包

カンカン照りの信州高原より、さらに焦げ付いているであろう東京のお客さんに生命力をお届けです。

八島湿原

標高1400メートルに位置する山小舎。
今年は山小舎周辺も猛暑が続いています。

山小舎から大門峠に出て左折。
ビーナスラインを通って、車山高原から霧ヶ峰へ。
直進すると諏訪へと降りる道、霧ヶ峰を右折すると美ヶ原へと続く道となります。
霧ヶ峰を右折し、美ヶ原までの間に八島湿原があります。

諏訪からの帰り道、八島湿原に寄ってみました。
平日とはいえ、夏休みの八島湿原駐車場はほぼ満車。
無料の駐車場に止めて、まずはビジターセンターを訪れてみます。

八島ビジターセンター
八島湿原駐車場

ビジターセンターには湿原に暮らす動物、昆虫のはく製、標本などのほか、霧ヶ峰高原や八島湿原の成り立ちなどが解説展示されています。

ビジターセンターに展示されているはく製

霧ヶ峰高原がなぜ草原になっているのか?観光用に木を伐採したのか?疑問に思っていた山小舎おじさんでした。ビジターセンターの展示を見て、ここが江戸時代からの草刈り場で、毎年草を刈り、火入れしてきた結果、木が生えずに創元が維持されていたのだとわかりました。
霧ヶ峰とて、ほおっておくと灌木が生え、やがて森林になるのだそうです。

ビジターセンターで昔の山小舎の写真を見る

八島湿原の周りを歩いてみます。
一周90分の遊歩道コースが整備されているとのこと。
ハイカーたちとすれ違いながら右回りで木道を進みます。

八島湿原への入り口
湿原と池
湿原の周りの木道

左側に湿原を見て進みます。
湿原には3つか4つほどの池があります。

コースの最深部にはヒュッテが建っています。

御射山神社がありました。
諏訪信仰の一部をなす御射山(の一つ)がここだったのです。

湿原最深部にあるヒュッテ
御射山神社がある

木道はすでになくコース取りに迷いながら最深部を進みます。
このあたりは歩く人とてほとんどいません。
やがて砂利道に出ました。
標識に従い、駐車場方面に向かいます。

トイレのある休憩所ではたくさんのハイカーが休んでいました。
そこから再び木道が整備されています。

夏の入道雲
高山植物

左手に湿原と池を見ながら出発点へと戻りました。
日を遮るものがなく、厳しいハイキングでした。
木道も少々痛み始めていました。

高山植物や野鳥に詳しい人にとっては天国でしょう。
できれば湿原のただなかを歩いてみたかった気がします。

八島湿原

太鼓の自然林の中を歩くのなら、御泉水公園の方がいいです。
霧ヶ峰高原の成り立ちがわかったのは収穫でした。

上田映劇にイタリア映画の名花集結

上田映劇で突然、ロッサナ・ポデスタとカトリーヌ・スパーク、ラウラ・アントネッリの代表作が上映された。

夏の日の上田映劇

ジャン=ポール・ベルモンド傑作選などで旧作発掘に意欲的なキングレコードの再輸入による特集。
今回はポデスタの2作品(「黄金の七人」「黄金の七人・レインボー作戦」)とスパークの「女性上位時代」、アントネッリの「セット・マッソ」をセレクト。

上田映劇に時ならぬイタリアの名花が咲き誇った。

「女性上位時代」 1968年 パスカーレ・フェスタ・カンパーレ監督  イタリア  上田映劇上映

カトリーヌ・スパーク主演の艶笑コメデイ。
カトリーヌは1945年フランス生まれの女優で、一族はベルギーの出身。
父親のシャルル・スパークはフランス映画黄金時代の脚本家だった。

10代のころからイタリアで女優として活躍していたカトリーヌ。
「太陽の下の18歳」「狂ったバカンス」などで175センチの肢体を披露し有名となった。

「女性上位時代」では20代となっていたカトリーヌだが、堂々の主演を張る。
監督は「若者のすべて」「山猫」の脚本家で、イタリア映画本流の実力派のカンパーレ。
相手役ジャン=ルイ・トランテイニャンをフランスから迎えるなど一流の布陣である。

入場者に配られた「女性上位時代」ポスター

カトリーヌは夫に死なれたばかりの富豪未亡人の設定。
世間知らずのお嬢様そのものの風体で、様々な最新ファッションに身を包み、男から男へと渡り歩く。
一度付き合うと、夢中になる男どもを相手にせず、次の男へ。

育ちがよく、アイドル性もあるカトリーヌの存在そのものがこの映画の生命線。
既に多くの出演作を経て、若干の疲れが表情とお肌に現れた?カトリーヌだがまだまだ20歳を超えたばかり。
脱ぎっぷりよく男優陣の間を駆け巡る。

60年代に活躍したイタリア女優のレジェンドの一人である、カトリーヌ・スパークの貴重な姿が見られた。
イタリア映画がなぜか固執する富豪の成金生活ぶりも今となってはキッチュ。
ある意味カルトっぽくもあるイタリア映画。

入場者にオリジナルポスターのコピーを配ってくれた上田映劇の対応もナイス。

「セット・マッソ」 1973年  デイノ・リージ監督  イタリア  上田映劇上映

イタリア映画の60年代以降の名花といえば、ラウラ・アントネッリを忘れてはいけない。
「青い体験」は当時のヤングにとって、母性と懐かしさに彩られた衝撃作であり、ラウラは永遠のアイコンとなった。

ラウラ・アントネッリは1941年クロアチア生まれ。
1971年に「コニャックの男」でベルモンドと共演して以来10年間の愛人生活。
「セット・マッソ」はその最中の作品。
その後、「青い体験」で全世界のアイコンとなり、ヴィスコンテイの遺作「イノセント」にも出演した。

入場者に配られた「セット・マッソ」のちらし

「セット・マッソ」はイタリア式艶笑コメデイの究極形。
10話に近いオムニバスの中で、演技派ジャンカルロ・ジャンニーニとのコンビで、ある時は富豪のマダム、ある時は極貧の子だくさん、ある時は尼僧姿で登場。

仮装の限りを尽くしオーバーなパフォーマンスに終始するジャンカーニに、演技力では一歩劣るも存在感では決して引けを取らないラウラ。
そのボリューミーな肢体を見せるだけですべてを納得させてしまうのは、彼女の女優としての財産。

庶民性と逞しさという、イタリア女優の伝統を継承しているのもいい。

チラシ裏面その1

イタリア映画の流れとしては、おおらかな時代の艶笑コメデイー例えば50年代のソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのコンビの作品ーが60年代になってアイドル性の高い女優が華美なファッションに身を包んで登場し、70年代に至ってはより露出性を高めつつも混迷を極めてきた、ようにも見える。
「マット・ロッソ」にはその混迷のさまが見える。

チラシ裏面その2

ただしラウラ・アントネッリの存在の絶対感は改めて確認できた。

DVD名画劇場 ロッサナ・ポデスタ㏌「黄金の七人」

ロッサナ・ポデスタは1934年生まれのイタリア女優。

戦後、アンナ・マニアーニ、アリダ・ヴァリ、シルバーナ・マンガーノ、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジータ、クラウデイア・カルデイナーレと続いたイタリア女優の流れ。
逞しくて泥くさく、野生の女の色気ムキ出しの女優さんたちだった。
その戦中戦後第一世代から時間がたち、敗戦国イタリアも落ち着いてきたころあらわれたのがポデスタだった。

「スクリーン」1962年1月号のグラビアより

野性味豊かなマンガーノ、ローレンらに比べると、スケール感に乏しいものの、かわいらしさ、アイドル性に加えイタリア女優ならではのボリューム感を併せ持つ存在のポデスタだった。

「スクリーン」1962年1月号より

この度、上田映劇ではポデスタ主演の「黄金の七人」「続黄金の七人・レインボー作戦」のほか、カトリーヌ・スパーク主演の「女性上位時代」、ラウラ・アントネッリ主演の「マット・ロッソ」の4作品が上映された。

今回はポデスタ主演の2作品に加え、DVDで見ることができた「黄金の七人・6+1エロチカ大作戦」を特集する。

「黄金の七人」 1965年 マルコ・ビカリオ監督  イタリア DVD鑑賞

アニメ「ルパン三世」が元ネタにしたって、ほとんどそのままじゃないか!
ルパンのキャラはベルモンドのコピーらしく、銭形警部のキャラは元ネタより誇張されてはいるが。
ロッサナ・ポデスタについてはスタイル、音楽がそっくりそのまま峰不二子にコピーされている。

左様にこの作品のロッサナは鮮烈で強烈。
ぶっ飛んだファッションで登場し、敵味方関係なく男どもをとろけさせ、義理人情関係なく裏切り、またよりを戻す。

銀行強盗という現在ならばありえないアナログそのものの行為。
デジタルではなく、発信機による映像と音声の伝達によって。

当時は犯罪もアナログなコミュニケーションによるものだったのだなあ。
人間的だったなあ。
声によるコミュニケーションで、マテリアルそのものの金塊を物理的に盗むなんて。
今はネットによるデジタルの世界で、数字の移動による詐欺まがいの犯罪の世界だもんな。

ロッサナはアイドル時代を経て、色気と貫禄十分な演技。
奇抜なファッションにも負けていない。

映画は、脱力感に満ち満ちながらも、随所でスピード十分などんでん返し。
その点は今でも新鮮な「黄金の七人」でした。.

「黄金の七人・レインボー作戦」 1966年 マルコ・ビカリオ監督  イタリア  上田映劇で鑑賞

1作目の世界的ヒットを受け作られた続編。
主要キャストは同一。

当日、上田映劇で入場者に配られたチラシ

いつものように工事のふりをして銀行強盗を仕掛ける黄金の七人。
延べ棒の強奪に成功?と思いきや。
警察よりも政府寄りの上の「組織」に強盗を妨害される七人。
その頭脳である「教授」の協力を「組織」から強要される。
さすがの七人もここまでか?と思いきや、軽やかに斜め上を行く黄金の七人。

チラシの裏面

一層晴れやかにぶっ飛んだ存在感を示すロッサナ・ポデスタ。
ぴったりのボデイスーツスタイルも決まっている。

上田映劇に張られた宣材

今回の仕掛けは、潜水艦を使ってのアクション。
金もかかっている。

ロシアを敵国とし、中南米の革命軍が出てくる。
政治的な色合いは「黄金の七人」には似合わなかったが。

「黄金の七人 1+6エロチカ大作戦」 1971年  マルコ・ビカリオ監督  イタリア  DVD鑑賞

「黄金の七人」とは関係のない作品。
ロッサナ・ポデスタが主演で監督が同じことから邦題に「黄金の七人」が使われたもの。

イタリア映画伝統の艶笑もので、シチリア出身の絶倫家が北部ベルガモにやってきて、富豪マダムの間で種馬として一世を風靡するというストーリー。

主人公が執事として仕える屋敷の奥様がロッサナ・ポデスタ。
「黄金の七人」から数年たち、アイドルというより奥様として風格、貫禄が出たロッサナ。
種馬とそんな仲になるのもむべなるかな。

イタリア映画がなぜか好む富豪(成金)の金満生活が存分に描かれる。

種馬を取り巻くマダムには美人女優のシルバ・コシナと演技派のアドリアーナ・アステイ。
「ゴッドファーザー」でシチリアの結婚式で花嫁役を務めたピア・ジャンカルロも出ている。

それぞれ魅力的なイタリア女優ではあるが、アドリアーナ・アステイの死体になった後の目を見開いた演技が最高だった!

ロッサナのファッションは、登場シーンのレオタード姿から、当時はやった?ホットパンツスタイルなどまさに百花繚乱。

畑ギラギラ

夏日が続く畑はギラギラです。
日差しが突き刺さり、跳ね返ります。
人間の作業は2時間どころか、1時間で汗だくです。

トマトは畑に行くたびに完熟の実が大玉、ミニトマトそれぞれ一籠ずつも採れます。
枝は伸び放題で、脇芽かきと、枝のくくりで小一時間ほども作業時間がかかります。

大玉トマトが次々と完熟してゆく

キューリは段々盛りが過ぎてゆくのかもしれません。

成長が遅かったナスはこれから結実が本格化するでしょう。

ナスの結実が本格化

野菜の成長の様子を撮影しようとするのですが、日の光がまぶしくて、スマホの画面が見えません。
何とか操作して撮影するのですが、夕顔の実が画面からはみ出ていたり、何を撮ったのかわからない写真になったり。

全景を収めたつもりがはみ出した夕顔の実

ナス、キューリ、ゴーヤ、ピーマン、セロリなどには畑に行くたびに潅水します。
それらの作物は潅水すると生育が良くなるから正直です。

まったく潅水しないトマトの成育が一番良いのはカンカン照りが続く気候を好むからなのでしょうか。