令和6年畑 畑じまいその4

冬の畑じまいは終わっていません。

12月に入り予報通りに大雪となりました。
畑ではネット撤去の作業が途中状態です。

姫木別荘地は、周りが真っ白、道路は圧雪。
真冬です。
この日の長和町の天気予報は晴れ。
麓の地域は案外カラカラかも?と、雪の姫木から畑作業に出発しました。

当日朝の姫木別荘地の道路状況

畑に着いてみると、若干の降雪の跡。
日差しはむしろポカポカ。
風は冷たいですが。

畑にもうっすらと雪の跡

前回の作業では、2段目の畑のネットを外し、支柱を撤去し、ネットをほぼ丸めておきました。
この日はこの外したネットを巻き終えて、軽トラに積み込む作業から。

2段目の畑の外したネットを巻き取る

枯れ草を巻き込み、膨らんだネットを何とか巻いて積込みます。
散らばった支柱などをまとめて畔に立てます。

ネットは4段目の畑にもあります。
廃墟のような惨状を見せているネットを前回は1辺だけ外しておいてました。

4段目のネット外し作業を再開します。

4段目では、イノシシの侵入を防ぐため、地域の方のアドバイスを参考に、ネットの内側にトタン板を立てたり、外側に金網を廻したりしていました。
ネットのすそにも角材などを置いて地面に固定しています。
地面に固定されたネットには雑草の根が絡んでいます。
手をかけて食害から作物を守ろうとした跡が残っています。

4段目の畑には防獣のための様々な工夫が。これはネットの一部外側に巡らせて金網

様々な装置工夫を撤去し、2時間近く悪戦苦闘して4段目のネット外しを終えました。
呼吸も荒く疲労困憊の山小舎おじさんです。
今日の畑作業の終了を体が訴えています。

4段目に畑のネットを外し終える。予報通り陽が射してきた

あと1日で、ネットの回収を終え、畑じまいとしたいところです。
雪はいいが、雨が降らないことを願います。

新たな丸太が到来! 雪を突いて積込み

薪を割ったら乾燥台に積込みです。

土日や祝日、早朝、夜間はエンジン付き機械の作動が禁止されている別荘地内では、土日の薪割り機使用はできません。
これまで割った薪を軽トラで乾燥台に運んで積み込みます。

積込み先は、薪を山小舎のベランダに移動したり、貰ってくれる別荘地内・外の人向けに薪を運んだりして空いた台などです。
丈の短い薪は、軒下に積み込みます。

天気予報通り雪に見舞われた週末。
サラサラの雪が積もった軽トラの荷台は、薪をつかむ際に雪が邪魔して薪が滑りやすくなり、積込みの効率が下がります。

また、雪が積もると斜面下の積み台へ薪を運ぶにも、軽トラを使いにくくなり、これまた効率が悪化します。

玉に切った丸太を、斜面下から薪割り機のある斜面上へ運ぶにも、玉が地面やほかの玉と凍りついていたりします。自然現象である雪の威力というか、チカラの戸外作業に対する「反作用力」を痛感します。

薪割り作業は11月中にするものだ、と改めて思いつつ、薪割り機を借りているうちに割れるだけ割ってしまおう、と悪戦苦闘する雪の日々です。

12月 朝焼けの風景

12月初旬です。
大雪注意の天気予報の朝、外を見ると朝焼けでした。

朝焼けはドイツ語で、モルゲンローテというそうです。
朝の赤色。
季節や気象を表す日本語の多さが語られますが、ドイツでも朝焼けという言葉があるのですね。

寒さ的には厳寒、という程でもありません。
いつも補助の暖房具として使っている、温風式灯油ストーブも早々に消して、薪ストーブだけにしても過ごせる室温です。

外は一夜にして真っ白の雪景色。
東の山すそからは青空が広がっています。

新たな丸太が到来! 薪割り開始

11月に突然到着した丸太。
玉切りをし、積み台をリニューアルして、薪割りと積込みに備えておりました。
その後、リンゴ収穫のバイトに行ったり、七五三で帰宅したりして半月程が過ぎました。

雪が降ったり、軽く積もったり冬を迎えた12月初旬。
山小舎の冬じまいを前に、薪割りを開始しました。

雪が積もるまでが勝負です。
防寒に、上4枚、ズボンの下に股引を履いて外に出ます。

管理事務所から借りた薪割り機を始動させます。
出力を調整し、木の節や二股の部分に、刃が当たってもエンストしないようにして、薪割り開始です。
ゆっくりと刃が動き、木を割ってゆきます。
時間がかかります。

借りてきた薪割り機をスタンバイ

最初にナラ材を割ってゆき、空いた積み台に、崩れないように積み込みます。

ここにきて、薪をもらってくれるバイト仲間が現れたり、リンゴバイトで一緒だったペンション?経営の人が薪をもらってくれそうなので、多少、積み台が空きました。

手近な積み込み場所がいっぱいになったら、先日、新しいパレットでリニューアルした、斜面下の場所に積み込みます。
薪割り機で割った薪をそのまま軽トラの荷台に放り投げてゆき、一杯になったら軽トラごとバックで斜面を下がり、積み台の脇につけて、積んでゆきます。

軽トラを駆使して斜面下の積み台へ
リニューアルした積み台へ薪を積み込む

日中はまだいいのですが、日が陰り始める3時近くになると、大気が徐々に冷たくなってゆきます。
4時半を過ぎると作業続行は不可能です。
初日は、薪割り機を4回ほど稼働させ、4回軽トラを一杯にし、4回積み台に積み込んで作業を終えました。

まだまだ薪があります。
最低限、積込みが完了しなくても、薪割りだけでも終了させようと思います。

上田の麹屋

上田市の住宅地の一角に昔ながらの麹屋があります。

福無量という造り酒屋で、特別純米美山錦を求めた際、「麹はないか?」と聞いたところ、「うちでは仕込み分の麹しか作らないが、市内に麹専門店がある」とのことで、行ってみました。

表通りから折れた住宅地を通る細い道路沿いにその店はありました。

上田の山辺麹店

古い造りの商家というのでしょうか。
表にガラス戸もなければ、ショーウインドもありません。
門構えを抜けると、土間に大きなかまどがあり、羽釜がかけられています。
中庭の奥には母屋が見えます。
声をかけるとまだ若い主人らしき人が出てきました。

門の中に土間が見える

扱っているのは麹と甘酒と味噌とのこと。
麹と味噌の製造所が、小売販売もやっているという風情です。
とりあえず麹1キロと甘酒を注文しました。

手に入った麹はスーパーなどで売っているものとは一味違う感じ。
「保存はビニールではなく紙袋で」とのこと。
甘酒は二倍に薄めて飲むとよし、と。
腰が低い主ですが、麹についてはこだわりを持っていることがうかがえます。

麹1キロを購入

土間を眺めていると、敷居の上にのこぎりのようなものがしつらえてあるのが目に入りました。
聞くと「燕に巣を作らせないため」とのこと。
歴史を感じます。

東京へ帰って、麹と甘酒を、流行りの発酵食品に関心を持つ娘一家にプレゼント。
娘からは「麹には、きれいな麹菌がびっしりついていた」と反応があり、さっそく塩麴、しょうゆ麹、だし麹に加工したとのラインがありました。

甘酒はさらっとしていた
甘酒には案内文がついていた

山小舎でも、残りの麹で塩麴を作ってみようと思います。

令和6年畑 畑じまいその3

畑じまいを大急ぎ。
この日は気になっていた鹿よけネットの撤去です。

フェンスに囲まれている畑を除いた、4面のうち、2面にネットを張っていました。
鹿よけのためです。
しかし年月を経てネットがすっかりヘタッていました。

ヨレヨレになったネット

冬の間に谷戸地形の扇端から吹き上げる強風に支柱が折れたり、冬の季節に草を求めた野良鹿たちがネットを食い破って畑に侵入の後、体当たりして脱出するため支柱が盛大に折れて破壊されたり。
最初のころは補修していたのですが、次第に無力感に襲われてしまいました。

今年は鹿よけとしてのネットに役割は期待せず、保護したい作物には個別のネットで対応しました。
今後もそうします。

ということで、畑じまいの作業として、ネットの撤去をしました。

この日用意した道具
ネットを外してゆく

折れたり傾いている支柱や添え木をハンマーで叩き、ぐらぐらさせてから引っこ抜きます。
ネットを地面に押さえているトタン板などを撤去し、ネットと支柱を結び付けている針金や結束体を切り外します。
ネットは、動物がめくって侵入しないよう、トタンなどで土に固定され、その後、雑草の根と一体化して土に貼りついており、それを鎌で切り外してゆきます。
力ずくです。

ネットを押さえていたトタンなども取り外す

一組のネットを外すのに2時間かかりました。

一回り外し終わったネット

次の作業は、はずしたネットの巻き取りと、支柱などの資材の片付けです。

孫が七五三

小学校一年生の孫が七五三のお参りをするというので、帰宅しました。

東京は秋晴れ。
穏やかな日です。

参拝するのは調布の布田天神。
山小舎おじさんの子供たちもお参りした神社です。

この日の布田天神

三々五々、拝殿に参拝。
お祓いを受けるにあたって待合室で順番待ち。
大勢で神主さんのお祓いを受けました。

千歳飴を求める

着慣れぬ晴れ着姿に疲れた小学一年生の孫。
孫にも衣装です。

参拝した一家

この日の布田天神は、境内に各々、出店者が出店を並べる、例大祭の日。
工芸品や食品などの出店ががあり、にぎやかでした。
よく見ると各出店の出品は、凝っており、プロ並みのできも。
さすが東京の、クラフトは出来が違うと感心しました。

例大祭の出店が並ぶ境内

小春日和に恵まれた七五三の一日でした。

境内にそびえるイチョウ

りんごの季節到来 王林でジャム

11月中に信州で出回るリンゴの主力は、フジの前に出る品種の、王林、名月、高徳などです。

山小舎おじさんがりんごもぎのバイトで御邪魔していた、立科町五輪久保のりんご農園でも、収穫中のりんごはフジですが、自販機などで売られている品種は、名月、王林、高徳でした。

王林のキズありが、一袋300円だったので購入。
帰ってからジャムにしました。

王林は酸味に乏しく、かといって強烈な甘みもない、どちらかというと中途半端な味ではあるのですが、独特の香りを持ち、ファンが一定数いる品種です。
出回る時期は限られており、特有の青みがアピールするので、年に一回は食べておきたいりんごです。

ジャムを作るにあたっての特異点は、香りを生かすため砂糖はザラメではなく白砂糖とし、割合も抑えめにしました。
レモン汁は多めにしました。

いつものように皮付きのままスライスし、砂糖をまぶしておきます。
汁けが出てきたら加熱します。

全体が柔らかくなったら、果肉の形が残っていても加熱を終えます。

煮沸した瓶に詰め、蓋を軽く締めて抜気します。

青みを帯びた王林ジャムの完成です。

りんごのジャムでも、王林は珍しいので、来シーズンの来客のお土産になるかもしれません。

シン・りんご園でバイト

りんご園でのバイトが終わりました。
バイト期間中の山小舎おじさんは、早朝の起床、お弁当作り、慣れない環境と作業、初めて接する人々などなど、貴重な体験の中を嵐のように過ごしました。

9時出勤のためには、6時、遅くとも6時半には起きます。
ストーブをつけて朝食。
昼食用の弁当を作ります。

弁当はバランスを考えて、メインのおかずと野菜を入れます。
野菜はカボチャや里芋の煮物、根菜類の煮物などを、前日までに炊いておきます。
メインにはブリの漬けを焼いたり、コロッケを半分に切ったり。
彩にブロッコリーをチンしてくわえたりします。

お弁当1
お弁当2
お弁当3

夏の草苅バイトの昼食は山小舎に帰って摂ることができたので、案外簡単でした。
温かいものも食べられましたが、いつもの孤食の上、間に合わせでした。

一方、りんご園での昼食は、農園主が母屋の一室を開放してくれ、お茶を用意してくれるなど万全の環境だったのに加え、バランスと量を考えた持参の弁当を、バイト仲間の方々と談笑しながら食べることができ、バイト仲間と交流できる楽しいひと時で、消化吸収にも良いものでした。

この時期の外での作業は、まず第一に保温を考えなければなりません。
朝の山小舎は凍てついて、あたりが真っ白な日もありました。

農園がある五輪久保では、ポカポカした日もありましたが、冷たい風が吹く日もありました。
バイト仲間はほとんどの人が、冬用のジャンパーにオーバーズボンをはいていました。
山小舎おじさんも、上に4枚を重ね着し首にタオル、さらに薄手のヤッケ姿、下には冬用の股引の上に作業ズボンという格好でした。
それでも夕方は動いていないと寒くてしょうがない日もありました。

りんご農園がこの時期に用意する資材も大変な量となります。
アルミ製の脚立が10脚以上、摘んだリンゴを入れる籠(15個以上入る)が数えきれないほど。
籠を10個ずつ運ぶキャリアーがエンジン付き、手押し式各1基(ほかに斜面用のキャタピラー付ががあったかもしれない)。
選別したリンゴを入れる屋号の入った専用コンテナが数えきれないほど。

家族が行う選別場所は、テーブルを並べ、バッテリーから照明とラジオ用の電気を取って、畑ごとに設営されます。これら資材を準備するだけでも大変な資力がいります。

電灯がぶら下がった選別場。ここにバイトが摘んだリンゴが集められる

バイト仲間も構成は、山小舎のある姫木からは、二組の夫婦が参加。
ほかの方々は地元ですが、佐久市の浅科や上田市、白樺湖のロッジ経営の人、小諸からくる農園主の義兄、老齢のご夫婦などの方々でした。
女性陣は互いを下の名前で呼び合うなど、なが年の交流をうかがわせる親密な関係ぶり。
地元では名字が同じ人が多いので、自然と下の名前で呼び合う習慣なのかもしれません。

農園の敷地内にある、りんごの自販機

地元生まれ育ちの農園主の言葉は、皆の前でしゃべる時は完全な標準語でした。
仲間うちの時は地元言葉が出るのかもしれませんが、常に地元言葉を発していたひと世代前とは完全に異なっています。
さらに下の世代は仲間内でも標準語でしゃべりあっているのかもしれません。

りんごもぎの仕事は慣れるまでが大変です。
最初のころはよく実を落下させました。
実と枝をつなぐ軸は実の重量を支えるほど頑丈ですが、ひねったりすると簡単に離れます。
それがわからないと、空中で実を持ち替えたとたんに手から離れて落下するのです。
また、ちょっとでも引っ張る様にすると軸が実から取れてしまいます。

軸が離れる場所に指を当ててひねるようにしてもぐのですが、ポジション的にむづかしい状況はいくらでもあります。
脚立に乗り、重い籠を操りながら、いかにして軸を残し、きれいのもぐかが肝心です。
それがりんごの等級を下げないことにつながるのです。

五輪久保のフジ

最終日に農園主がお土産として、りんご1ケースをくれました。
農園一家が選別したA級品の1コンテナ分です。
ありがたいやらうれしいやら。
これは早速、自宅に送りましょう。

農園のバイトへの厚遇ぶりと、農園の経済的豊かさがうかがえます。

最終日にお土産でいただいたフジ

りんご農園の1年のハイライト、フジの収穫が終わりました。

農園はこの後も、選果場への出品のほか、贈答用超A品の荷づくりと発送、A品の自宅前での直売など忙しい作業が待っています。
バイトへの賃金の精算と送金も奥さんの仕事です。

来年の再会を約して農園を去りました。
12月からの直売には来ようと思います。

五輪久保から望む浅間山

続・リンゴ園でバイト

五輪久保のりんご園で、フジ収穫のバイトが始まって11日目となりました。
山小舎おじさんは、この間2日休んだので、9日出勤したことになります。

バイトの就業は、標準で8時から17時です。
山小舎おじさんは9時から15時までの就業です。
午前中で帰ったこともありました。
休むときは農園主か奥さんに前日伝えればよく、午前中で帰る時は当日伝えればいいというものです。
事前に伝えておけば、何時に帰っても農園主一家は「お疲れさまでした」と挨拶してくれます。

五輪久保地区の表示板。背後は収穫の終わったりんご畑

農園主一家は穏やかな性格で、バイトの使い方も心得ています。
なんでも、昔は収穫の手伝いに、青森からの出稼ぎ者を使ったそうで、彼らの宿泊場所もあったそうです。

そういったこともあり、臨時雇いの者については、時間や規則で縛るようなことはせず、相互信頼に基づいた扱いをします。
たとえば、昼休み母屋を昼食場所に開放してくれますが、「13時までここにいてください」といってくれます。
夕方も、17時まで就労するバイトに対しても、必ずしも時間一杯働かせるようなことはなく、暗くなったり、仕事に区切りがついたら上がらせます。
雨の日は中止です。

この日の収穫現場

金銭的な面では、通勤費として1台当たり1000円/日の、また昼食代として300円/日の支給があります。
素晴らしいホワイトぶりです。
10時と15時の休憩では、リンゴと日替わりの菓子が出て、皆でコンテナを囲み、雑談します。

農園一家で行う選果場所

肝心の仕事ですが、これには慣れが必要です。
脚立に上ってりんごをもいでゆくのですが、脚立の上り下りの体力、脚立を使ってある程度高い所へ上るバランス、りんごが入った籠を運ぶ力、りんごを等級を下げずにもぐ技術などがいります。

戦禍の終わったりんごが入ってケース

山小舎おじさん以外のバイトの人は、数年の経験者が多く、技術力と人柄が定評ある方々です。
また、バイトをしている理由として、リンゴ特にこの農園のりんごのファンである人が多く、バイトすることと同時に、りんごの注文するなどしています。
農園とリンゴにつながる目的でバイトしている人がほとんどのようなのです。