ジーン・セバーグという女優がいました。
「悲しみよこんにちは」(1957年オットー・プレミンジャー監督)のセシルカット姿、「勝手にしやがれ」(1959年ジャン₌リュック・ゴダール監督)を颯爽と駆け抜けるミューズで、世に映画文化が残る限りその存在を永遠に刻印するであろう、アメリカ人女優です。
極私的なジーン・セバーグ
山小舎おじさんにとってのジーン・セバーグは、テレビの映画劇場で観た「悲しみよこんにちは」、16ミリ上映会で観た「勝手にしやがれ」がすべてです。
子供の頃に「ペンチャーワゴン」(1969年ジョシュア・ローガン監督)を映画館で観ていますが、残念ながら長尺のにぎやかな西部劇ミュージカルだったこと、リー・マービンの存在が強烈だったことしか覚えていません。(この作品には、セバーグのほかにクリント・イーストウッドも出ていたらしい)。
なんといっても「勝手にしやがれ」の主演女優だったことが、彼女に対しての印象の80パーセントを占めています。
映画史上の一大ムーブメントだったヌーベルバーグの旗手であるゴダールの代表作にて主演・ジャン₌ポール・ベルモンドの相手役を務めたのですから。
生き生きとした若々しい彼女がヌーベルバーグ勃興期の記念すべき代表作にさっそうと登場した姿。
ゴダール映画らしく突然ストーリーの中から消えていった姿。
ヌーベルバーグとの、否、映画史とジーン・セバーグとの運命的、歴史的な邂逅の瞬間でした。
ギャリー・マッギー著「ジーン・セバーグ」
セバーグの評伝が出ていた。
3500円の定価。
西荻窪の古書店・音羽館に2200円で出ていたので買った。
山小舎おじさんにとっての大枚です。
セバーグの生い立ちから早すぎるその死までを、両親、兄弟、恩師、結婚相手などなど多数の関係者に取材してまとめた労作です。
アメリカの中西部・アイオワ州の田舎町に生まれ、チャンスを得て「聖女ジャンヌ・ダーク」(1957年オットー・プレミンジャー監督)で主演デビュー。
初期作品の不評などにより、ハリウッドメジャーでの活躍歴は少ないが、フランス人弁護士との結婚によりフランスを拠点に映画のキャリアを重ねてゆく。
後に生涯のパートナーともいえる、作家のロマン・ギャリと再婚。
一方、彼女が持って生まれた弱者に寄りそう正義感に満ちた性格により、ブラックパンサー運動を支援して、FBIから要注意人物として生涯マークされることになる。
1979年車の中で死体で発見される。
同著ではセバーグとフランスの深い関係性を表すエピソードに触れることができる。
「悲しみよこんにちは」が公開された当時。
ヌーベルバーグをしょって立つ若手監督の出身母体だった映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」の表紙を彼女が飾り、同誌の主筆の一人フランソワ・トリュフォーがセバーグを「映画の新女神降臨」と絶賛したこと。
後にセバーグ自身が、トリュフォーの新作「華氏451」(1966年)に出演を希望したがかなわなかったこと。
こんどは、トリュフォーの代表作の一つになった「アメリカの夜」(1973年)の撮影に際し、トリュフォーが主演にセバーグを考え、連絡を取ったがつながらなかったこと。
スターの持つ輝き
スターの輝きというものは不思議というか特別なもので、どんなに古い、モノクロフィルムでも、スターの輝き・オーラというものが時空を超越して画面に現れることがあります。
「晩春」(1949年)ほかの原節子、「弥太郎笠」(1952年)の岸恵子、「素直な悪女」(1956年)のブリジット・バルドー・・・。
男優では、「おしどり駕籠」(1958年)の中村錦之助・・・。
観ている方が驚くのですが、彼女たちがが登場した瞬間、スクリーンからその存在がまぶしくきらめいたのでした。
youtubeで、ジーン・セバーグが「聖女ジャンヌダーク」に出たときのオーデイションフィルムを見たことがあります。
17歳の彼女が「ジーン・セバーグです」と微笑みながら自己紹介する姿が映っていたモノクロフィルムからは、間違いなくスターという特別な存在だけが持つ輝きが放射されていました。
ジーン・セバーグは「悲しみよこんにちわ」と「勝手にしやがれ」の2本だけで充分です。
ジーン・セバーグはあの時代を象徴する新しい女性像を見事に演じました。
あの自由奔放で天真爛漫な姿はたまりません。
田舎者の私にとっては、映画の中だけにありえた女性です。