ネオレアリスモとは、イタリア映画史の核と言っていい概念と運動であり、イタリア降伏後の戦後時代に作られた作品群を称する。
「無防備都市」、「戦火のかなた」、「自転車泥棒」、「靴みがき」、「揺れる大地」など、ネオレアリスモの代表作を撮ったのは、ロベルト・ロッセリーニ、ヴィトリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンテイらと脚本家のチェザーレ・ザヴァッテイーニらであり、そこに共通するのは、戦争や封建制のために苦悩する民衆の貧しさを直接的に描いたことだった。.
スタジオでスターが演じる夢の世界を描く映画から、街頭ロケで普通の人々の日常を見せる映画への変貌を果たしたのがネオレアリスムであり、世界の映画作りに影響を与え、のちにフランスの「ヌーベルバーグ」として結実した。
ネオレアリスモ期のイタリア人映画作家には、ロッセリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンテイのほか、国家機関として設立されたチネチッタ撮影所付属の映画実験センターで学んだ、ピエトロ・ジェルミ、ジュゼッペ・デ・サンテイス、ルイジ・ザンパや、同じく映画批評誌「チネマ」同人出身のアルベルト・ラトアーダ、カルロ・リッツアーニらがいる。
また、サイレント時代から活躍し、戦争初期には「ファシスト政権の御用監督」とまで言われた、アレッサンドロ・ブラゼッテイやマリオ・カメリーニらベテランが、戦争後半から戦後にかけては民衆の貧しさをテーマにした作品を撮っている。
(以上は、集英社新書2023年刊 古賀太著「永遠の映画大国イタリア名画120年史」第三章ネオレアリズモの登場より要旨抜粋)


「雲の中の散歩」 1942年 アレッサンドロ・ブラゼッテイ監督 イタリア
監督はサイレント時代からのキャリアを誇るアレッサンドロ・ブラゼッテイ。
脚本には戦後にデ・シーカと組んでネオレアリスモの重要な牽引者となった、チェザーレ・ザヴァッテイーニ。
戦時中は「ファシスト政権の御用監督」とまで言われたブラゼッテイだが、本作は、ヴィスコンテイの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(42年)、デ・シーカの「子供たちは見ている」(42年)とともにネオレアリスモの先駆を成す作品といわれている。
映画は庶民の朝のシーンで始まる。
目覚時計で目を覚まし、子供のために牛乳を温め、ぶつくさ言う妻を後にして家を出るサラリーマン・パウロ。
倦怠感に満ちたシーンだが、何やら楽し気なBGMが流れる。
演じる俳優も当時の映画スターらしい風貌だ。
演技的にも、音楽的にも、流れ的にも映画の作りはサイレント時代からの伝統にのっとっている。
決して実験的でも、独創的でも、センセーションを売り物にする映画でもないことがわかる。
その点では、旧来のスタイルの映画に、現実的なテーマを盛り込んだ作品であろうことがわかる。
満員の電車で営業に向かうパオロ。
車内で同僚のサラリーマンと無駄口をたたくうちに、どこか寂しそうな若い女に席を譲ることになる。

若い女はマリアといい、パオロが偶然電車を降りた後で乗ったバスでも同席となる。
バスが運転手の妻の出産で、遅れたり、祝宴が始まったり、スピードを出しすぎて道を外れたりするうちにパオロはどんどん仕事に遅れ、押し黙っているマリアが気になり、手助けをし、口をきいてゆく。
彼女は不倫の末妊娠し、やむなく田舎の実家へ向かっていることを告白する。
伝統ある家長の父親から受け入れられないだろうことも。
そこで何くれと親切にしてくれたパオロに助けを求める、「父に会う時だけ夫の役を果たしてくれ」と。
「なんで関係のない家族持ちの俺がそこまでしなきゃいけないのか。仕事(菓子のセールス)の途中だし」、
パオロは当然そう言うが、マリアの姿を見ると放っておけなくなり、会うだけならと家に同行する。
田舎の実家では、マリアが大歓迎を受け、結婚と妊娠を知ってからは、神父や署長まで呼んでの大宴会となる。
パウロは抜けられなくなり、マリアの実家で一晩を過ごすが・・・。

50年代にイタリアで、90年代にハリウッドで、さらにインド映画にまでリメークされたこのストーリーは、映画ならではのハートウオーミングドラマの典型というか原点。
「そんなことあるかいな?」と思わせながらも、「そうあってほしい」方向に話が進んでゆく。
二人の周りで起こる奇妙でファンタステイックなエピソードと連動して進む夢の時間は、パウロの夢であると同時に観客の夢でもある。
ネオレアリスモ主流作品の深刻さはないが、未婚女性の不倫による妊娠と家族、社会との軋轢を描いており、その点で42年のデ・シーカ作品「子供たちは見ている」の、大人の世界に蔓延する姦通やブルジョアの無為な生活など『社会の現実』を描いた観点同様に、ネオレアリスモの精神を先取りしている。
主人公のパオロにジーノ・チェルヴィ、マリアにアドリアーナ・ベネッテイ。
マリア役のベネッテイはデ・シーカの「金曜日のテレーザ」(41年)でデヴューした新鋭女優。
その薄幸な美人ぶりは「ローマ11時」(52年)のカルラ・デル・ボッジョや、「街は自衛する」(51年)のコゼッタ・グレコを思い出させる。

監督のブラゼッテイは戦後、歴史大作「ファビオラ」(49年)、艶笑ドラマ「懐かしの日々」(52年)を発表。
さらにショーの記録映画として『夜もの』映画、あるいは『モンド』映画の先駆けとなった「ヨーロッパの夜」(60年)を、あのグアルテイエロ・ヤコッペッテイと組んで発表した。
イタリア映画史を横断する『巨匠』のキャリアではないか。

「不幸な街角」 1948年 マリオ・カメリーニ監督 イタリア
アンア・マニヤーニが存分に「一人芝居」で大暴れする。
役柄は戦後直後の貧しい家庭の主婦。
幼い一人息子がいて、2年前にアフリカ戦線から復員してきた夫パウロ(マッシモ・ジロッテイ)は失業中。
失業を戦争のせいにして、決して悪辣に社会を渡っていけない夫と、子供のためにコロッケ一つ買えない家計に不満を募らせる妻リンダ(マニヤーニ)。
製作は「にがい米」でシルバーナ・マンガーノを「発見」した、デイノ・デ・ラウレンテイス。
30年代から活躍のベテラン、マリオ・カメリーニを監督に起用、音楽はのちにフェリーニ作品や「ゴッドファーザー」で有名なニーノ・ロータ。
当時の新進映画作曲家ロータの楽し気なBGMに乗って、映画は戦後の貧困な社会を背景とした、ひと時の庶民の夢をつづってゆく。
まだ若く、幼子の母親役が似合うマニヤーニのマシンガントークが、いつものように炸裂する。
漫才でいえば「ノリ突込み」を一人でこなすから、相手役のジロッテイはそばに立っているだけの役割。
見るものはマニヤーニの芝居にあっけにとられる。

稼ぐ手段が見つからず、家ではリンダのマシンガントークに追いつめられたパウロは、高級車の盗難をそそのかされる。
何とか盗難に成功し、モグリの売却業者のもとに急ぐが、夫の浮気を確信したリンダが息子を連れて車に乗り込んでくる。
楽しそうなリンダと苦虫をかみつぶしたパオロのドライブが始まる。
この場面、浮気を誤解してまくし立てるマニヤーニと、彼女を援護する、いつの間にか集まった群集と偶然にしてはタイミング良すぎる警官の登場。
彼等をバックに一段とオクターブを上げるマニヤーニの、十八番ともいえる誇らしげな姿。
コメデイ映画定番のシチュエーションだが、マニヤーニにかかるとみているこちらのテンションも上がる。
待ってました!
イタリア映画らしいエキストラとおせっかい警官の表情も最高!
そうしてモグリの悪徳転売業者のもとにたどりつくが、彼は孫の洗礼に夢中。
教会で洗礼の後は親戚一同(と神父、署長)でお約束の大宴会となる。
焦るパオロ。
いつの間にか家族に同化し、盛大の飲んで食うリンダのテンションも爆上がり。
コメデイ定番の展開の後、なんと!悪徳業者は孫の澄んだ目を見て良心に目覚める!
「初めて泣くのを見た」と乱舞して、悪徳業者を連れ神父ともども教会の懺悔室?になだれ込む親戚及び関係者一同。
かくて業者は善人となり、車の転売はおじゃんに。
その後も、政治集会の群れに車の行く手を阻まれたり、無銭飲食でオートバイに追いかけられたり。
「悪」には全く素人のパウロはリンダと息子を乗せて、ヒヤヒヤドキドキの家族ドライブを繰り広げる。
2人の子供を演じる子役がいい。
ドライブの先々で、七面鳥やウサギと出会い、最後は海を見ながら砂浜で遊ぶ幼子。
現実の貧困からの「救い」の映画的表現がやさしい。
ハピーエンドで終わる物語は後味もよい。
貧しい家庭が一日の夢のようなドライブを楽しんだ。
これは、救いのない現実に苦しむ当時の観客にとっても救いのある、映画的な設定であったろう。
マニヤーニの芝居のいいところは、その熱演がコメデイを狙ったものではなく、結果としてコメデイになって入るが、あくまでも本人にとっては真剣なものであること。
この作品でも、マニヤーニは大まじめに周りをかき乱す女性像を演じながら、高級車は夫が盗んだものだと察したときに執拗に自首を勧め、夫が応じなければ妻として夫の代わりに警察に自首するのである。
まさに大真面目に生きているのだ、周りをかき乱しながら。

マリオ・カメリーニは1895年ローマ生まれ。
イタリアの僻地出身でも、左翼思想の洗礼を受けたわけでもない、生粋の戦前派映画人といえる存在。
23年に監督デヴューの後、30年代のイタリア映画界をアレッサンドロ・ブラゼッテイとともに支えた。
50年代まで第一線で活躍した。