令和3年の夏は西日本で豪雨があり、水害が発生しました。
その前には熱海で盛り土の決壊による土石流災害が発生しました。
長野県では令和元年秋の台風19号による水害の記憶が新しいところです。
当時の被害の復旧は現在でも行われており、上田電鉄別所線の千曲川鉄橋の復旧は今年の春までかかりました。
山小舎おじさんの畑付近の川の護岸の復旧工事はただいま現在行われているところです。
本日、山小舎の裏では、小川が音を立ててが流れていました。
8月上旬の長めの「休暇」を家族と共に過ごし、山小舎へ戻ってみると、標高1400メートル近い場所のお盆過ぎという季節とて、初秋のころのを思わせる空気感は致し方ないとしても、この間の長雨による小川の水流の音には、自然相手に暮らす山小舎の厳しさを痛感させられました。
この小川、台風など大雨があった後にしか流れが起きません。
普段は枯れています。
山が大水を処理しきれなかったときにだけ排水を行う安全弁のような存在と思われます。
また、上流のほうに属するため、水流が発生しても周りに害をもたらすほどの水量には至っていません。
ただしそれもこれも、今まではそうだったというだけのこと。
「体験したことのない」災害が定期的に発生するようになった日本のこと、今後もそうだとの保証はありません。
幸い今回の水流にしても、護岸設備を崩すほどの害はありませんでした。
組んだ丸太は崩れていません。
ただ、丸太の隙間や土台を埋めるために配置しておいた石やブロックが崩れていました。
流れは護岸丸太のすそを洗っていたのです。
今後、どんな流れが発生しないとも限りません。
その際、丸太で守られている護岸を崩し、ひいては山小舎の土台に影響しないとの保証はどこにもありません。
引き続き護岸工事の継続の必要性を痛感する今日この頃です。