DVD名画劇場 ビリー・ワイルダーの闇 「深夜の告白」「第十七捕虜収容所」「情婦」

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロをしていたワイルダーは、戦前にアメリカに亡命し、ハリウッドに潜り込んでシナリオライターから身を起こした。
今回は初期の作品に特徴的なワイルダーの暗黒な作風を追ってみた。

「深夜の告白」 1944年 

ワイルダーの監督第一作。
破滅する主人公にフレッド・マクマレー。
破滅を誘うファムファタルにバーバラ・スタンウイック。

瀕死のマクマレーが己の罪を独白するシーンから始まるのは「サンセット大通り」が、警察の死体置き場に置かれた死体となった主人公の回想シーンから始まるのと同じ趣向。

この作品からファムファタルがしばらく当たり役となったバーバラ・スタンウイは、埃とたばこのにおいがこもる部屋にバスタオル姿で登場し、アンクレット(娼婦が足首につける装飾品)を巻いた足首を組んでマクマレーを挑発。

金髪(のカツラ)、スリット入りのスカート、サングラス、など様々な意匠を凝らし、ファムファタルの役柄に応えようとするスタンウイックだが、あくまで芸として役柄に徹しており、存在が悪女そのものであるラナ・ターナーのように根っからの悪女に見えないのが、この救いのない作品の数少ない救いでもある。

かび臭い部屋での両者の邂逅。女は足首にアンクレットをつけて足を組みなおす

スケベでいい加減な保険セールスマンのマクマレーは、何度か後戻りのチャンスがあったものの、スタンウイックと知り合った瞬間から、自ら破滅の道へと進んでゆく。
マクマレーは何度か戻ろうとしたが、スタンウイックと組んだ悪事から引き戻れなくなった時点から、映画そのものも主人公が見る悪夢となっていった。

保険会社調査員のE・G・ロビンソン以外のキャラは、全員がイカれており、悪意と欲望に満ちている。

マクマレーは死に臨んでから、スタンウイックはマクマレーに撃たれる前の告白(本心かどうかは疑問だが)で正気に戻るが時すでに遅し。

DVDパッケージ裏面

ワイルダーとしては「失われた週末」の前に作ったサスペンスで、亡命ユダヤ人である本人が戦中に感じたであろう不安、不条理を隠れたテーマにした作品。

調子よく生きてきた独身のフレッド・マクマレーが、自らはまっていったた白昼の悪夢を好演。
マクマレーを悪夢にはめたファムファタルを、あくまでも自己の女優のキャリアの一環として演じたバーバラ・スタンウイック。
ラスト以外徹頭徹尾、救いのないストーリーはワイルダーが見てきた己の前半生を反映したものなのだろう。

1950年ころRKOのスタジオで淀長さんと歓談。バーバラ・スタンウイックの気さくな性格がうかがえる

「第十七捕虜収容所」 1953年 パラマウント

第二次大戦中のドイツ軍捕虜収容所。
撃墜された米軍パイロットなど下士官クラスが収容される捕虜収容所の物語。

ドイツ軍に金品などの供与を行い、たばこ、ワインなどをため込み、望遠鏡を自作してロシア軍女捕虜ののぞき見させ捕虜仲間から金品を集めるイヤなヤツがウイリアム・ホールデン。
ホールデンとしては、「サンセット大通り」がヒットしたものの後年のようなヒーロー役一辺倒となる前の作品だ。

戦闘ノイローゼとなった米兵、配給のスープで靴下を洗う米兵、などの多彩で苦渋と諧謔に満ちたキャラクターの数々。
金髪のカツラで捕虜同士ダンスをし相手がその気になるとカツラを脱ぎ捨てる(「お熱いのがお好き」のラストに自ら援用)シーンもある。
辛辣だったり、微苦笑を誘うワイルダーらしいエピソードが繰り返される。

収容所長を演じるのが映画監督のオットー・プレミンジャー。
ドイツ人っぽい風貌だがユダヤ人のこの人。
ぬかるんだ泥道にいちいち板を敷いて歩いたり、宿舎の中で軍靴を脱ぎ、まるで日本人親父のステテコ姿のような格好で部下に命令したり、と、ドイツの軍人を盛んに揶揄した演技を繰り広げる。

収容所内のスパイとして、ホールデンが疑われ、リンチにも遭うが、実はアメリカ育ちのドイツ人が捕虜に扮して紛れ込んでいた。

そのスパイを炙りだし、ホールデンらが脱走に成功する。
暗闇の中、スパイは自軍(ドイツ側)の銃弾に倒れる。
爽快感ゼロの結末は、のちの収容所脱走ものの映画とは大きく異なる。

DVDパッケージ裏面

主人公のホールデンも収容所内のイヤなヤツ。
イカれた捕虜と、いけ好かないドイツ軍。
コメディーでもなくシリアスでもなく、後味に苦渋の残るワイルダー印の捕虜収容所物語。

「情婦」 1957年 ユナイト

裕福な未亡人が殺される。
当時のボーイフレンド(タイロン・パワー)が逮捕される。
仕事にドクターストップがかかっている弁護士(チャールズ・ロートン)に弁護の依頼が来る。
アガサ・クリステイーの原作。

MGMはDVDの版権を持っているだけ。映画オリジナルの製作はパラマウント

前半はロートンと看護婦のやり取り、未亡人殺し容疑のパワーの弁護シーンが続く。
ロートンの演技はいつもながらうまいが、ワイルダーらしい苦さ、暗さ、皮肉はまだ画面に出てこない。

パワーが米兵としてハンブルグに駐留時代に結婚したドイツ女性役の、マレーネ・デートリッヒが登場してから映画は動き、ワイルダーらしさが出てくる。

占領下のハンブルグのバー。
男装したデートリッヒがアコーディオンを弾きながら歌う。
脚を見せろ、とヤジが飛びズボンを片足引き裂かれる。
そのまま酒場は大乱闘。
デートリッヒの楽屋で、パワーはコーヒーひと缶でデートリッヒのこころに付け入る。

回想シーン。終戦直後のハンブルグのバーで歌う、男装のデートリッヒ

ワイルダー作品中では「異国の出来事」(1946年)でもデートリッヒが戦後の瓦解したベルリンのバーの歌姫として登場し、また米軍士官をパトロンとして廃墟のビルの自室に迎え入れていた。

「異国の出来事」。デートリッヒとジーン・アーサー

ワイルダーとデートリッヒ。
片やユダヤ人系映画人として戦前のベルリンでジゴロなどしながらナチスにおびえ、片やウーファのスター女優として嘱望されながらナチスを嫌ってアメリカへ亡命、戦中は危険を冒して連合軍兵士を前線に慰問した。

デートリッヒを起用した2作品では、ワイルダーとしては珍しく出演者に対するリスペクトをデートリッヒに捧げている。
さすがのワイルダーも、戦争当時、亡命ユダヤ人組織に財政支援をしたという、デートリッヒへの恩は忘れない、ということか。

DVDパッケージ裏面

「情婦」はメインテーマとしては対独戦争は描かれていないものの、ワイルダーの関心の的だったであろう、戦後のドイツ人の苦しさ、と反面の矜持みたいなものはデートリッヒのキャステイングによって暗喩されていた。

「情婦」での男装のデートリッヒと、「異国の出来事」でのドレスアップしたデートリッヒの酒場のステージは、いささか映画の主題とは異なるかもしれないが、両作品中の白眉だった。

不安な時代、世相への強烈な恐れ、おののき。
滑稽な行動をとりながらも暗い絶望感に打ちひしがれる登場人物たち。
ドイツとドイツ人に対する他人事ならぬ関心。

これらはワイルダーの初期作品に共通してはいないだろうか。

50年代に入り、オードリー・ヘップバーンなどをキャステイングしての「麗しのサブリナ」「昼下りの情事」などではワイルダーのこういった闇の部分はどう描かれているのだろう?

今年のスイカ村

松本の農協では毎年夏にスイカ村が開かれています。
今年も行きました。

会場は波田と呼ばれる、松本市郊外のスイカの名産地に立地する農協。
毎年7月中旬から8月上旬にかけて、数軒のスイカ農家が出店を出してスイカ村が開かれ、客が詰め掛けます。

7月下旬のある日、軽トラでスイカ村へ行きました。
土曜日ということで、県外ナンバーの車も目立つ会場。
数軒のスイカ農家がテントを張って出店しています。
人気のある店には客が列を作ります。

山小舎おじさんは毎年買っている店に並びました。
待つまでもなく買えました。
L玉2個で、3,800円。
夏の来客用です。

信州の短い夏の収穫期が始まりました。

大収穫!

7月の畑の収穫です。

ある日の収穫。ミニトマトはまあまあとれてます

キューリがどんどん採れています。
ズッキーニも例年通りです。

2日ほど畑を留守にするとキューリがこの通り
ズッキーニとキャベツ

ナスとピーマンは樹の丈が伸びず、収穫は始まりましたが実の数が少ないままです。

ナスとピーマン類。この日はナスの初収穫です

トマトがよくありません。
葉っぱに病気が広がり、大玉の実が尻腐れ病になりました。
ミニトマト以外の収穫が絶望的です。

理由は雨が多い天候、風通しの悪さでしょう。
遅まきながら、フェンスに絡まった草を刈るなどして畑の風通しを良くしようと思います。

ズッキーニの葉の上のキリギリス(メス)

週2回ほど、奥さんがやっている彩ステーションに出荷しています。
彩ステーションでは好評で、毎回完売とのことです。

DVD名画劇場 ハリウッドの異邦人 ルネ・クレールとマックス・オフュルス

今回はルネ・クレールの「奥様は魔女」とマックス・オフュルスの「忘れじの面影」。
第二次大戦時にドイツ、フランスからアメリカに渡った両監督がハリウッドで作った名作です。

「奥様は魔女」 1942年 ルネ・クレール監督 ユナイト

クレジットにはルネ・クレールプロダクション製作、とある。
さすがは戦前のフランス映画界において、ジャック・フェデー、ジャン・ルノアールと並んで三巨匠と呼ばれた名監督だけある。
ドイツから逃れてきたユダヤ人監督たち(フリッツ・ラング、ロバート・シオドマク、マックス・オフュルスら)とは待遇が違ったようだ。

クレールがハリウッドで選んだ題材は「奥様は魔女」。

山小舎おじさんの世代だと、「旦那様の名前はダーリン、奥様の名前はサマンサ。二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をし・・・ただ一つ違うのは、奥様は魔女だったのです」のナレーションで始まるアメリカ製テレビドラマの「奥様は魔女」の方が馴染みがあるが、ルネ・クレールの本作がオリジナルである。

とにかく魔女役のヴェロニカ・レイクが可愛い。
40年代が全盛のハリウッド女優で、アラン・ラッドとの共演でフィルムノワールっぽい犯罪映画に出ていた。

現代のおとぎ話である本作では、浮世離れした魔女のキャラクターにぴたりとあてはまり、天然にコケテッシュな振る舞いと豊かな金髪で、現世の人々をきりきり舞いさせる。

きりきり舞いさせられる、現代の人々にフレデリック・マーチとスーザン・ヘイワード。

特にヘイワードはマーチと結婚寸前の花嫁(田舎議員であるマーチの後援者の有力新聞社社長の娘。ワガママで鼻持ちならず、婚約者のマーチをバカにしている)役で、結婚式の段取りの悪さにかんしゃくを起こしたり、観客の前でだけ無理な笑顔を作る演技がケッサク。

ヴェロニカ・レイクとフレデリック・マーチ

クレールの演出は、正攻法で奇をてらわず、しかもユーモアを欠かさない。
全編を覆う、いい意味での緊張感のなさは大監督の悠々迫らぬ余裕のなせる業か。

エピローグのシーン。
結婚したマーチとレイク。
子供が4人ほどいる。
女の子がホーキに乗って遊びたがるのをマーチ扮する父親が注意するが、レイク扮する母親は、さすが魔女の子孫と気にもしない。

この場面を見て、のちにテレビ版「奥様は魔女」が作られたわけがわかるような気がした。
典型的な中流階級の家庭に潜む秘密をベースにしたコメデイというコンセプトこそ、無限のエピソードの源泉だろうからだ。

「忘れじの面影」 1948年 マックス・オフュルス監督 ランバート・プロ

メロドラマかな?と思って見た。
その体裁を取ってはいるが、一人の女性の魂の遍歴を描いた、忘れられない場面の数々に彩られた映画だった。

主人公を、その少女時代からジョーン・フォンテイーンが演じる。
周りになびかず、自分の世界に閉じこもりがちな少女が、自分が住むアパートに越してきたハンサムな音楽家に惹かれる。
それが一生続く。

主人公にとって、音楽家との関係が唯一の〈現実〉だった。

母親が継父とともに引っ越す列車に同乗せず、音楽家の住むアパートへ戻る。

音楽家が住むウイーンで洋服店のモデルの仕事(お客に気に入られると指名同伴?するような仕事)をして一人の時間を過ごす。

雪の日の夜に偶然、音楽家に出会う。
かつての少女のことなど忘れている音楽家との再会。
主人公は音楽家と遊園地や、ダンスホールでデートする。

たった一度のデートで音楽家の子供を妊娠し一人で産む。

資産家に見染められ、連れ子ともども何不住なく暮らすが、オペラハウスで落ちぶれた音楽家の姿を見た瞬間、ぜいたくな暮らしと誠実な夫を捨てて音楽家のもとへ走る・・・。

主人公の世界は一貫して変わらず、行動も一貫している。
たとえ音楽家が己の存在を記憶していようがいまいが。

この主人公の心理は、彼女個人にのみ特有なものなのだろうか、それとも女性に、人間に、普遍的なものなのだろうか。

DVDパッケージ裏面

雪の日の街角での出会いの幻想的で映画的記憶に満ち満ちた場面。
世界旅行の書割をバックに尽きることない時間を過ごす遊園地のシーンの不思議な懐かしさ。

オーストリアからの亡命者でユダヤ人のオフュルス監督は、アパートの中庭や、お屋敷のセットには階段を用い、出演者に階段を上り下りさせて、立体的な画面作りを試みる。

移動、パン、クレーンを多用した流麗なカメラワークのは、夢の中を生き切った主人公の心理を表しているかのよう。

ジョーン・フォンテイーンは、持ち味の普通ッポさ、オドオドした感じを前面に出し、この特異で一途だが、普遍的でもあるキャラクターを好演。
忘れられないこの作品の象徴となった。

1943年「永遠の処女」のジョーン・フォンテイーン

番外) 「レベッカ」1940年 アルフレッド・ヒッチコック監督 セルズニックプロ

「忘れじの面影」を見て、ジョーン・フォンテイーンが気になり、彼女の出演作を探した。

ヒッチコックの渡米第二作の「レベッカ」は、フォンテイーンにとって、製作者セルズニックに見いだされてのメジャーデビュー作だった。

レベッカという名の前妻の影が色濃く残るお屋敷に後妻となって移り住んだ主人公のフォンテイーン。
彼女の持ち味の、普通さ、オドオドした自信なさげなキャラクターにより、まがまがしいレベッカの恐怖が強調されるミステリー。

途中までは、フォンテイーンを後妻にめとったローレンス・オリビエの正体が不明で、死んだレベッカにかしずく屋敷の女執事長の正体やいかに、というミステリーに満ち満ちていた。
が結末では合理的な説明がなされ、レベッカという稀代の魅力的な美女にして悪女に振り回されてのまがまがしさだったことがわかる。

DVDパッケージ裏面

ジョーン・フォンテイーンは確信的悪女そのものだったレベッカとは対極にある、平凡で常識的なキャラクターを好演し、変質者(女執事)や神経衰弱(ローレンス・オリビエ)が跋扈するこのミステリアスな物語の被害者を演じつつ、安心感に満ち満ちた結末をもたらすべく、夫を励ます健気な新妻を演じきった。

チェーンソーの刃を取替て伐採

チェーンソーの刃が切れなくなりました。
ホームセンターで刃の新品を買ってきました。

今日は草苅バイトには行かない日。
午前中から家周りの仕事をします。

チェーンソーの刃を取替ました。

新品の替え刃を用意します

ブレードを外して古い刃を取り出します。
ついでに機械にこびりついた木くずを出来るだけ取り除きます。

新しい刃を取り付けます。
チェーンの張り具合も調整しておきます。

ブレードを外し、古い刃を取り外します
新しい刃を装着します

新しい刃のうちに、立木を伐採することにします。

立木を伐採するときには、木の長さを勘案し、倒れる方向に電線、屋根がないことを確認します。
またほかの立木に引っかからないようにも、しなければなりません。
自分が倒れる立木にぶつからないようにするのはもちろんです。

去年はしなかった立木の伐採です。
通算でも10本ほども切ったでしょうか。
まだまだ初心者です。
気を付けるに越したことはありません。

もっと言うと、何十年も生きてきた木を倒すのですから、倒す側の人間が、疲れたときや気が乗らないときに行うものではなく、十分に気持ちが充実したときにのみ行うべき作業だと思います。
さもなければ、木の力に負けてしまいます。

今回伐採したのは、細めの木でしたが、生きている木に刃を入れるときには、いつもながら決心がいります。
覚悟を決め、刃を入れてゆきます。

倒したい方向に倒れるように切れ目を入れてゆきますが、万が一のことも考えて用心しながら刃を入れてゆきます。

予定した方向にメリメリと倒れ始めたら一安心ですが、予想以上に木の丈が長くてどこかに引っかかったりしないか心配は残ります。

どこにも引っかからずにドシンと着地するまでは安心できません。

ミズナラの樹がうまく倒れました
枝を切り離してゆきます

無事倒れたら、枝を外してゆきます。
たくさんの葉がついた枝は主軸から切り離してまとめておきます。
葉が枯れたころ、枝を適当な長さに切りそろえて乾かせば焚付になります。

ついでに丸太を玉切りしてしまいます

倒れた丸太の玉切りはこの後の仕事ですが、刃がよく切れるのでついでに切ってしまいました。

刃物は切れ味がすべてです。
仕事のはかどり具合が数倍違います。

枝は葉がついたまままとめておきます

軽トラ流れ旅 善行寺参道を歩く

長野市の相生座へ映画を観に行きました。
映画を観た後、権堂通商店街から長野駅まで善行寺表参道を歩きました。

軽トラを付近の駐車場に止め、午前10時前の権堂通商店街アーケードを相生座に向けて歩きます。

土曜日午前10時前の権堂通り商店街
毎年夏行われる、長野びんずるのポスター

10時からの回を相生座で観ます。

100周年を迎えたという相生座。
2クリーンを擁した映画館で、今回はロキシー2と呼ばれるやや小さめのスクリーンで目指す「テオレマ」は上映されました。
観客は予想を上回る、10人ほどの入り。
上映された映画は難解で、眠気をこらえるのが大変でしたが・・・。

いつもの相生座の全景
劇場は100周年!
10時からの上映は「テオレマ」

映画が終わるとお昼の時間。
アーケード街にある喫茶ブラジルでナポリタンのランチ。
地元では有名な店とか。

ナポリタンはバターが効いた味で、ケチャップの味付けもぎりぎり程よく、またセットのクリームコロッケは手作り風でおいしかったです。
ずっと残ってほしい店です。

権堂通の一角にあるブラジル
ナポリタンランチ(クリームコロッケ付き)をチョイス

アーケード街を出るとそこは善行寺表参道。
右へ行くと善行寺で、左が長野駅方向です。
左へ曲がります。

のんびり歩いて長野駅までは20分ほどでしょうか?
長野市街地のメインロードで、新旧様々な商業施設が集まっています。

FM局や銭湯が見えます。
古い町らしく仏具展などもあります。
また、長野市街地は風情ある路地が多いことで有名です。

表参道から見える場所にある銭湯
地元FM局も
数ある小路の中の一つ、しまんりょ小路

県内のヤングファッションの発信地?といわれた商業ビルがつい最近閉店しました。
長野市にとっては権堂アーケードに立地していたイトーヨーカドーの閉店(2020年)に続く大型商業ビルの閉店です。

これも市街地の商店街衰退の世の流れでしょうか?
地元の買い物客は、郊外のバイパス沿いに並ぶ全国チェーン店の列か、あるいはモールへ車で出かけるようです。

閉店したばかりのAGAIN

駅が近くなりました。
長野市街地では、観光客が集まる善行寺周辺と、東急デパートと新装駅ビルがある長野駅周辺に人が残っています。

駅近くにもミニシアターが1軒残っています。
ここ千石劇場は、新作上映がメインですが、「仁義なき戦い」5部作の一挙上映なども行う映画館です。

駅近くの「ミニシアター」千石劇場
上映予定作品には地元由来の新作「破戒」も

駅ビルの中には県内の有名店が出店していますが、2階奥にあるアンテナショップには、地酒、ワイン、シードルなどの県内銘柄が集まっていて眺めるだけでも楽しく、またお土産に美味しそうな地酒、ワインを求めるのに便利です。

ベランダ側の外壁塗りで DIY!

ベランダ側の外壁を防水防腐塗装しました。

今まで機織り機がベランダの奥に置かれていて、なかなか手入れができなかった部分です。

塗装前の外壁。手前には乾いた薪を積み始めている

この春に山小舎おじさんの奥さんの指導の下、息子に加わってもらって重く大きな機織り機を移動。
ベランダの奥から引きずり出し、ベランダ中央部の家よりの部分に置き場を変えました。

今まで手の付けられなかったベランダ最深部が現れたので、手摺、柵、柱の部分を塗装しました。
これで、ベランダそのものについては、防水防腐塗装がほぼ完了しました。

ついでにベランダ側の母屋外壁の塗装を行いました。
ベランダのこの場所には、あとあと、乾いた薪の置き場としても使いたいので、その前に塗装したかったのです。

塗料を攪拌し、重ね塗りしました。
下準備としては1か月ほど前にホースを引っ張って、壁板に水をかけ、たわしでこすっておきました。
直接は雨水、雪などがかからない場所ですが、それなりに汚れが流れ落ちてゆきました。

塗料は一斗缶のまま年を越していましたので、缶をヨコにするなどしたうえで、よく振ってから使いましたが、塗料が上澄みのさらっとした感じでした。
半乾きのまま重ね塗りしましたが、去年塗った部分に比べて色が薄いような気もしました。

塗料にはナフタデコールを使用
今日の作業は終了。後日もう一回重ね塗りの予定

外壁はまだまだ未塗装部分が広大にあります。
できる範囲で、ぼちぼちやってゆこうと思います。

DVD名画劇場 1940年代最高の美人女優ジーン・ティアニー

ジーン・ティアニーという女優がいました。
1920年ニューヨーク生まれのアイルランド系。
旅行でハリウッドのスタジオを訪れたときにスカウトされ、1940年代に活躍した。

叩き上げ女優のような強烈な存在感に訴える女優ではなく、気品ある美しさが持ち味だった。

ジョン・フォードの「タバコロード」(1941年)やエルンスト・ルビッチの「天国は待ってくれる」(1943年)などに出演した。

映画評論家の山田宏一や蓮見重彦がジーン・ティアニーのファンで、彼らの著作や対談集には彼女に一章が割かれていることが多い。

今回はジーン・テイアニーの出演作から2作を選んで見てみた。

「砂丘の敵」 1941年 ヘンリー・ハサウエイ監督

ジーン・ティアニー21歳の時の作品。

製作はウオルター・ウエンジャー。
第一次大戦後のパリ講和会議で大統領補佐官の任についたという、数か国語を操る人物で、パラマウントに入社後、プロデユーサーとして独立し、数々の作品を制作した。

主に1930年代から40年代にかけて活躍し、ドイツからの亡命ユダヤ人監督フリッツ・ラングの「暗黒街の弾痕」(1937年)、「入り江の向こう側の家」(1940年)のほか、ジョン・フォードの「駅馬車」(1939年)やアルフレッド・ヒッチコックの「海外特派員」(1940年)をプロデユースしている。

本作「砂丘の敵」は英領東アフリカが舞台の冒険活劇。

世界大戦時の不安定な情勢下で、英国から派遣された軍人、鉱物学者らが、現地人に不正に武器を供与する勢力の暗躍に立ち向かうストーリーで、クレジットのトップを飾るジーン・テイアニーは現地で生まれ育ち、父が築き上げた現地の隊商による交易利権を継承しているという白人娘で登場する。

敵対勢力(ドイツを暗喩)に立ち向かう連合国白人チームの冒険活劇、という点ではのちの「インデイジョーンズ」をほうふつとさせる。

ユダヤ人でもある製作者のウエンジャーが、反ナチの意味を込めた本作の設定は、この後アメリカ映画のいわば定番の設定ともなり、ナチス勢力はわかりやすい悪役として登場し続けることとなる。
「砂丘の敵」はその原点の1本なのだろう。

DVDパッケージ裏面より

ジーン・テイアニーはスカーフを被り、おなかを出したハーレム風衣装で活躍する。
当時のオリエンタルな女性スタイル(とおもわれるもの)である。

当時のアメリカ映画「アラビアンナイト」(1942年 ジョン・ローリンズ監督)や「アリババと四十人の盗賊」(1944年 アーサー・ルービン監督)でも、シエラザードやお姫様を演じたドミニカ出身の美人女優マリア・モンテスも、スカーフとおなか出し、はお約束だった。

東アフリカと中東では、風景も人種も服装も異なるとは思うのだが、西欧(とアメリカ)にとっては、自分たちの世界以外は〈東〉としてひとくくりにしていた世界観(今も?)なのだろう。

「砂丘の敵」のジーン・テイアニー

砂漠を駆け抜ける馬に乗った一団。
現地人の隊商を統括するベールを被った美しき白人娘。
〈民主的〉にあーだこーだと、仲間内では揉めながらも、最終的にはテキパキと敵対勢力を打ち破る連合国チームのスリリングな活躍。

大戦下の不安に満ちた雰囲気漂う作品ながら、かつ、のちの冒険活劇の原点ともいえる要素に満ちた「砂丘の敵」でした。

文庫版「傷だらけの映画史」の表紙を飾るジーン・テイアニー

ここで余談

砂漠を駆け抜ける馬に乗った一団。
「アラビアンナイト」でもそうだったが、ラクダはともかく、中東やアフリカでこのようにたくさんの馬が運用できたのは史実なのだろうか?

スピード感があって映画的にはこれでいいとは思うのだが。

マリア・モンテスが出演するアラビアもの2作品

「風とライオン」(1975年 ジョン・ミリアス監督)でも、現地人首領に扮したショーン・コネリーは集団を馬で運用していた。
ショーン・コネリーが誘拐したアメリカ領事?夫人役のキャンディス・バーゲンを自らの乗馬に抱え上げて立ち去る場面は、映画のハイライトとしてヒロイックに演出されていたが、果たして。

「ローラ殺人事件」1944年 オットー・プレミンジャー監督 20世紀FOX

ジーン・テイアニーの代表作で、オットー・プレミンジャーの出世作。
美人で華やかな活躍をする主人公ローラを巡る男たちの悪夢の物語。

殺されたはずのローラが現れて、刑事や真犯人らが驚く。
ローラを巡る、パトロン、婚約者、刑事らの心理が謎めいて描かれる。

高慢で滑稽なくらい個性的なパトロン、女にだらしないクズっぽさ全開の婚約者。
一匹狼風の敏腕刑事にしても、一人で殺人現場のローラ宅に泊まり込む、という異様さ。

まともな人が出てこない。
刑事でさえも途中からローラの陰に取り込まれ、夢中になってしまう。
もともと彼らがまともではないのか?それともローラが彼らを虜にしているのか?

ジーン・テイアニーは本作当時24歳。
貫禄もつき、美しさに磨きがかかっている。
まさに適役。

様々な髪形、ファッション、帽子で登場し、いちいちキュートだ。

ラストで謎は解明され、真犯人が射殺され、ローラは刑事の胸に飛び込む。
それまでの間、何より観客はローラの魅力に惑わされ、迷宮のストーリーにさ迷う。
悪夢のようなその展開がこの作品の狙いだったのだろう。

信州ソウルフード放浪記VOL,20 小海町の風とり食堂

八ヶ岳の東山麓、国道141号線沿い。
高原のパン屋さん、スーパーナナーズの並びに食堂風とりはあります。

バイトの草刈りで一緒の管理事務所の職員さんが教えてくれた食堂です。

八ヶ岳を茅野から小海町へと横断する、メルヘン街道の麦草峠を越えてゆきました。

高原のパン屋さんもスーパーナナーズも、小海町を通る際には寄るところですので、目指す風とりもすぐわかりました。

食道正面全景
店先のメニュー表

おすすめの風とり丼を注文します。
とんかつのほかに、白身魚とエビとイカのフライが乗ったどんぶりです。
最近少食になった山小舎おじさんにとって、思いのほか量が多く、やっとの思いで完食しました。

メニューより
お店おすすめの風とり丼。

正直いって、イカやエビのフライはともかく、メインのとんかつが〈通常レベル〉のものなので、満腹以上になると胃に入ってゆきません。
とんかつ専門店ではない食堂なのでしょうがありませんが。
風とり丼は若い人向けのメニューでした。

かの別荘管理事務所の職員さんは、カツ丼とラーメンのセットを食べると言ってました。
若いです!

休み休み食べ終えた山小舎おじさん。

店を出ると10人近くのライダー集団が、佐久方面からやってきて食堂の駐車場に入ってゆきました。
ライダー飯としても有名な場所のようです。

今度来るときがあったら、信州サーモン丼か馬刺し丼にしようと思います。

DVD名画劇場 クララ・ボウとシルビア・シドニー

映画プロデユーサーの息子で、作家のバッド・シュルバーグの自伝的回顧録「ハリウッド・メモワール」には、1920年代から30年代のハリウッドが活写されており、様々な映画人が登場する。
この書で、子供時代の筆者の視点で印象的に描写されているのが、女優のクララ・ボウとシルビア・シドニーだった。

バッド・シュルバーグ著「ハリウッド・メモワール」。表紙はシルビア・シドニー

クララ・ボウは、バッド・シュルバーグの父のB・P・シュルバーグがスカウトしてきた新人女優だった。

子供だったバッドから見ても、〈クララは演技ができなかった。それに覚えがいい方ともいえなかった〉(「ハリウッドメモワール」P160)が、同時に〈彼女の全身から電流のような活発さ、うきうきする感じが発散していた〉(同161P)存在だった。

1920年代のセックスシンボルとしてクララ・ボウの評価は現在定まっている。

クララ・ボウ

シルビア・シドニーはニューヨークの芝居に出ていたところをB・Pにスカウトされた、東欧ロシア系のユダヤ人で、1933年に結成されたのちのHANL(ハリウッド反ナチ同盟)の創立メンバーの一人だった。

映画はトーキーとなり、セリフがちゃんと喋れるタイプの女優が重宝された。

まもなく彼女とB・Pは共に暮らすようになり、B・Pはバッドらが暮らす自宅には帰ってこなくなった。

〈私の目には、シルビア・シドニーが自分の女優としての立場を守るために父の血を吸うきれいな吸血鬼のうちの最新の女だと決めつけている考えを変えることはできないと思えた。〉(同書353P)

シルビア・シドニー
蜜月時代

今回は彼女らの代表作を見てみようと思った。

「つばさ」 1927年 ウイリアム・A・ウエルマン監督  クララ・ボウ主演 パラマウント

第一次大戦時の複葉機による空中戦を再現した戦争ドラマ。
クララは若き戦闘機乗りの恋人に思いを寄せ、従軍女性ドライバーとして戦地に赴き、また必要とあらばフラッパーな格好でパリのカフェに現れ恋人に迫る、健気で可愛げのあるアメリカンガールを演じる。

「つばさ」より

監督はこれが出世作となったウエルマン。
無名の存在だったが、空軍の従軍経験をアピールし、当時で製作費100万ドルを超える大作のメガホンをとることを必死に製作者のB・Pに売り込み。パラマウントのタイクーン、アドルフ・ズーカーはB・Pの連帯責任を条件にOKした。

ウエルマン監督

とにかく空中戦のシーンが多い。
それもロングショットで撃墜シーンなどが繰り返される。

基本、実写だった時代の空中戦の撮影は、出演する方も演出の方も大変だったろうと想像がつく。
地上戦の再現シーンも大掛かりで、とにかく戦闘シーンの再現に力が入った作品。

戦闘場面

一方で、パリのカフェで酔っ払って正体不明の恋人に、フラッパーなクララが迫る場面では、シャンパングラスから泡が出てくる特撮を演出。
ロマンチックなムードを醸し出してもいた。

DVDパッケージ

サイレント時代の作品だが、実写の空戦シーンを中心に今でも目を見張るところのある作品だった。

「暗黒街の弾痕」 1937年 フリッツ・ラング監督 シルビア・シドニー主演

若い主人公たちが社会の無理解から追い込まれ、犯罪に手を染めた挙句に自滅してゆく姿を描く、いわゆる〈ボニーとクライド〉ものの原点といわれる作品。

シルビア・シドニーは主人公の弁護人事務所の秘書だったが、ヘンリー・フォンダ扮する主人公と恋に落ち、犯罪を犯して自滅するまでの行動を共にする。

「暗黒街の弾痕」の一場面

雨の中、バックミラーに映る目線だけで犯人側を表現した銀行強盗シーン。

人気のない操車場の貨車に隠れるシーン。

恋人が差し入れた拳銃でヘンリー・フォンダが死刑当日に脱獄する一連のシーン。

いずれも〈この世のものとも思えない〉緊張感に満ちた悪夢のような場面が続く。

DVDパッケージ

制作者:W・ウエンジャー、監督:F・ラング、主演:S・シドニーらメインスタッフ、キャストがユダヤ人である事が、開戦前夜の世相と相まっての不安感、悪夢感に満ちた画面を起因せしめているのだろうか?

ドイツからの亡命者、フリッツ・ラングのアメリカ映画の第2作目。

本作でのラングの視点は、登場人物を冷徹に見つめるもの。

本作は、〈ボニーとクライド〉ものの原点と呼ばれてはいるものの、のちの「ハイシエラ」(1941年 ラウール・ウオルシュ監督)でのハンフリー・ボガートとアイダ・ルピノ、「夜の人々」(1949年 ニコラス・レイ監督)のファーリー・グレンジャーと.キャシー・オドンネル、「拳銃魔」(1950年 ジョセフ・H・ルイス監督)のジョン・ドールとペギー・カミングス、「明日に処刑を」(1972年 マーチン・スコセッシ監督)のデビッド・キャラダインとバーバラ・ハーシーが演じた〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉作品で濃厚に漂う、若い犯罪者への同情というか共感の視点はほぼない。

ヘンリー・フォンダのキャラに同情の余地は少ないし、シルビア・シドニーがフォンダに惹かれる必然性の描写はない。
むしろ、二人の逢瀬の場面で池のガマガエルを執拗に映して、若き犯罪者を突き放すようなラングの視点がある。
もともとが真人間とは異なる世界の人間の物語だといわんばかりに。

DVDパッケージ裏面

冷徹で表現主義的なラングの描写は、銀行強盗のシーンがのちのギャング映画にそっくり使われたり、安モーテルで公証人?から結婚証明書をもらう場面が、のちの〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉映画の数々で繰り返されたり、貨車の場面が「明日の処刑を」に援用されたり、と、映画的記憶の原典の数々を生み出した。

「明日に処刑を」貨車のシーン

シルビア・シドニーの清純な演技も一見の価値がある。