陸井三郎著、1990年筑摩書房刊の「ハリウッドとマッカーシズム」という本を読んだ。
マッカーシズムとは、1940年代から60年代にかけて、アメリカ下院議会に設置された「非米活動委員会」の活動を指す。
上院議員のジョゼフ・マッカシー議員に由来するネーミング。
委員会のメンバーは、反共、反リベラル、白人至上主義、反ユダヤ、人種差別、親ナチの主義者。
その目的は共産党員とそのシンパの摘発。
非米活動委員会は1947年、その目標をハリウッドに定め、共産党員、元党員およびシンパと目された19人の、映画製作者、脚本家、監督を「非友好的」証言者として議会に召喚した。
19人は全員が戦争中、反ナチ、親ソの立場で仕事をし、また10人ないし13人がユダヤ系だった。
また、彼らのうち、脚本家ドルトン・トランボ、監督のルイス・マイルストン、脚本のレスター・コール、俳優のラリー・パークスなどは、すでにハリウッド最高クラスの高給取りだった。
委員会は19人の召喚の前に、「友好的」証人として、ウオルト・デイズニー、ジャック・ワーナーなど保守的な映画界のボスたちを召喚し、証言させた。
ボスたちに、共産主義の影響を受けた「破壊活動分子」がハリウッドに存在していること、またボスたちが彼等をすでにリストアップし、かつ追放していることを証言させ、世論を委員会の味方つけることが目的だった。
1947年10月「非友好的」証人19人が召喚に応じ、うち11人が議会で証言した。
委員会が要求した証言内容は、煎じ詰めると「あなたは共産党員か、元党員か」であり、「ほかに共産党員だった人物を知っているか」だった。
それに対し「非友好的」証人らは、言論の自由を規定したアメリカ憲法の修正第一条を盾に、非米活動委員会の召喚そのものが憲法に違反している、という建付けで証言(を拒否)することで対抗した。
そもそもの始まりが、戦前の1938年に、反ファシストの立場から、仮想敵国のスパイ活動を取り締まる目的で設置されたのが非米活動委員会だった。
ところが、戦後、非米活動委員会は、反共に基づいた思想調査活動を、FBIとの連携のもとおこなうように変容しており、あまつさえマッカーシー、ニクソンなどの保守派議員の活動実績作りの場ともなっていた。
それに対し、左翼やニューディール派の知識人、マスコミなどは批判的で、「右翼」に乗っ取られた委員会による中傷、誹謗に対しては、軽蔑と嘲笑をもって応えていた。
11人の「非友好的」証人らは、証言席で、事前にまとめたステートメントを読み上げようとし、また、憲法が定める表現の自由を無視するかのような委員会自体の在り方に疑問を呈し、反論した。
自作のシナリオを持ち込み「どこに共産主義的要素があるのだ」と委員会に逆質問した。
「あなたは共産党員ですか」の問いには質問自体が憲法修正第一条に違反するからと答えず、再度の質問には「先ほどお答えした」と答えた。
「他の共産党員の名を述べよ」との質問に答えるわけがなかった。
委員会は証言者10人を議会侮辱罪で、下院本会議に上程した。
本会議は圧倒的多数でこれを可決し、10人の議会侮辱罪が裁判所に提訴されることになった。
これに応え、1948年ワシントン連邦地裁は、10人全員に禁固1年ないし6か月、罰金1000ドル前後の判決を下した。
10人は下獄した。
この時、「政治」に先導されたアメリカ世論は、すでに「反共」に変わっており、10人を擁護する流れが、非米活動委員会を容認する風潮に変わっていた。
下獄した10人はのちにハリウッドテンと呼ばれた。
以上が、非米活動委員会の第一次証人喚問時の、ハリウッドテンに関する概略である。
本著は、この部分を著作中の全9幕中の、第1幕と2幕に集約。
残りの7幕はハリウッドテンの周辺で非米活動委員会の召喚を受けた文筆家、アルヴァ・ベッシー、ベルナルド・ブレヒト、ダシール・ハメット、リリアン・ヘルマン、アーサー・ミラーなどの顛末に充てている。
アルヴァ・ベッシーは映画脚本家だったが、スペイン戦争に義勇軍として参加したという理由だけで召喚され、議会侮辱罪で下獄し、以降は職を転々として暮らした。
ベルナルド・ブレヒトは、最後までアメリカ国籍を持たなかったドイツ人劇作家。
ドイツ出国後は各地を転々と亡命しており、アメリカ亡命後は同じくドイツ亡命組のフリッツ・ラングやウィリアム・デイターレの支援の下にハリウッドに脚本家として活動しようとしていた。
ブレヒトは文化的にも芸術的にもアメリカおよびハリウッドに馴染もうとはしなかった。
非米活動委員会の証言では委員の質問を巧みにはぐらかした。
委員たちの敵う相手ではなかった。
ブレヒトは議会侮辱罪で上程されることもなく、旧東ドイツに向けて出国した。
著者は、戦後すぐの1945年に米軍によって日比谷に開設されたアメリカ文化センターに送られてきた新聞・雑誌・書籍により、マッカーシズムに接し、以降研究をつづけた。
本著では、アメリカ議会の議事録と残されている録音、画像を照合し、証言の再現を行うなどして、ハリウッドに関するマッカーシズムについて著している。
リアルな証言の再現などは臨場感をもって、当時の進歩的文化人たちの矜持に接することができる。
ダシール・ハメットやアーサー・ミラーたちハリウッド外の文化人たちの気骨に触れられたことも、読者にとっての有益だった。
エリア・カザンやリリアン・ヘルマンなどに対する決して高くはない「評価」に触れられたことも。
一点不満を申せば、晩年は不遇だったダシール・ハメットの葬儀に女優のパトリシア・ニール画参列した、など、映画関連では詳細な情報に触れ得る本著ではあるが、エリア・カザンの1962年作品「訪問者」がイングリッド・バークマン主演とあった(P249)のは事実と違う記述であり残念だった。
カザン、バーグマンとも映画史上のレジェンドであり、基本的事実関係は押さえておいてほしかった。
著者の左翼的史観から、多少のひいき目と固定観念があったきらいはあるが、ハリウッドにおけるマッカーシズムの歴史が整理された労作だった。