またも新潮新書「日本農業への正しい絶望法」を読む

ブックオフで買ってあった本。
雨で山小屋に閉じこもっているときに読んだ。
テレビかスマホ、パソコンを見る機会が多い昨今、紙の文字は新鮮だった。
読書の輝きの再発見!

今どきの農業ブームへのアンチテーゼ

著者は1962年生まれの農学博士。
本の帯には「有機栽培だからおいしい」「農業は成長産業だ」「日本人の舌は厳しい」全部ウソです。の刺激的なキャッチコピーが並ぶ。
はて、最近流行の「日本スゴイ・農業版」のウソを暴く本か?
それも現代風なジャーナリステイックな文体で?

実は、正統派農業関係者である著者が、日本農業衰退を現場の豊富な実例によって分析した本だった。

著者の強みは、農業行政はもちろん、現場の農家と接点を持ち、また最近流行の有機農業、自然農業、「外向き発信型農業」などにも詳しいことだ。

*「外向き発信型農業」とは生産物そのものより消費者などへの発信を重視する農業スタイルのこと。

著者が薦める「技能集約型農業」

著者が日本農業の本当の特徴にして生き残る道として示すのが、技能集約型農業という概念だ。

篤農家、名人として営々と日本の畑に受け継がれてきた農業技能。
有機農業、無農薬などと標榜するわけではないが、本当の意味で品質のいい作物を作る人。

例えばほかに人が作った稲の葉っぱを見て触って、その田んぼの状況、農家の対応を言い当てることができる名人のことと、そういった人が作る作物のおいしさ。

これは、日本の農村が営々と築いてきた集落の秩序があってのことだと著者は分析する。
技能集約型農業により、環境や健康が保たれ、農村に雇用を生むと説く。

著者が憂う、農業をめぐる現状

現在は、集落の秩序そのものが衰退し、有意の農家が技能集約型農業を目指そうとも、周りの農家と行政、JAが目先の利益に走るため困難とのこと。

いまの流行は、有機農業、自然農業といったキャッチフレーズのみの「外向き農業」か、手順を単純化した「マニュアル農業」であり、農業者として最重要な生産物の品質向上より、マスコミ受け消費者受けが最優先のものになっていると著者は分析する。

また、農家も農地転用による目先の利益を優先し、意欲のある新規参入者に休耕地を貸すより、いつでも農地転用、売却のことを考えているのが現状と分析。
「農家は被害者でいい人」の常識を打破する。

また無秩序な農地転用などを抑制してきたJAが弱体化によりその機能を果たせなくなっていることを指摘。

消費者もマスコミ情報をうのみにし、自らの舌で農産物を選別していないこと、また舌そのものが退化し、作物を選別できない、とする。

おじさんが本書を読んで考えること

おじさんが20代のころ、短期だが農家に住み込んで働いたことがあった。
千葉の専業農家で3町歩の畑を持ち、スイカを主力作物としていた。
農薬を使わない農家で、有機農産物の産直グループに卸していたが、作業は20代のおじさんにもきつかった。

朝6時起床。
顔を洗って地下足袋をはいてから、作業終了後の日没まで地下足袋は履きっぱなし。
昼食1時間、夏には納屋で昼寝ができたが、午前と午後のお茶の時間以外はひたすら野良で作業が続いた。

スイカだけで1町歩ほども作っていたから、初夏には天気のいい朝に、スイカの苗を覆うトンネルのすそを引き上げ、夕方に戻す作業を中腰で行うだけで腰が曲がるほどだった。

本書で「最近の日本人に農作業を行う体力はない」と論じていたが、この作業を今の若い人はなかなかやらないだろう。

おじさんらの世代は「農家は大変だ。自分は農家はできない」と漠然と思っていたものだが、偽らざる実感だ。

日々の農作業に耐える体力、集落の縛りと秩序の中での生活はサラリーマン家庭で育ったものが馴染むものではない。
農家の生れついたものか、選ばれた人間がよくするものだ。

かつてはそれが一般常識だったように思う。

いまの農業ブームは、本来の技能(と体力)集約型農業が衰退する隙間に咲いた仇花で、マニュアル農業を前提としマスコミが持ち上げ、消費者が勘違いして持ち上げているものなのかもしれない。

 

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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