パトリシア・ニールは舞台女優としてその女優生涯を終えた(2010年84歳で没)。
21歳の時、ワーナーブラザースと契約してハリウッドデヴューもヒット作がなく、また当時のハリウッドが望む女優像に沿ってはパトリシアの特質を生かせず、評論家には受けても、大衆とハリウッドプロデューサー達に爆発的人気がなかった。
契約から4年後、パトリシアはワーナーとの契約を解除された。
それでもパトリシアにハリウッドでの需要はあった。
エイジェントが20世紀フォックスでの3本の出演契約を取った。
「地球の静止する日」(1951年)、「ステキなパパの作り方」(1951年 フォックスから他社への貸出出演)、「国務省の密使」(1952年)がフォックス時代の作品となる。
同時にホームグラウンドであるブロードウエイでの舞台出演も続けていた。
パトリシア・ニールの自伝「真実」によると、1951年には愛人ゲーリー・クーパーとの間で妊娠し、堕胎する結果となった。
クーパーとの恋愛は公然の事実化し「さすがに面と向かって批判されることはなかったものの、パーテイでそれとなく無視されるぐらいでは済まなくなった」(自伝「真実」より)
また、ハリウッドを襲った「赤狩り」では、クーパーもマッカーシー上院議員の聴聞会に召喚された。
クーパー主演の「真昼の決闘」(1951年)の脚本家カール・フォアマンの反米的姿勢を糾弾するために、クーパーから「友好的な」証言を得るのが聴聞会の目的だった。
自伝では、パトリシアは事前にクーパーに対し、フォアマンを擁護するように懇願したという。
クーパーはパトリシアとの約束を守り、ためにその後、ヘッダ・ホッパーら反動ゴシップ家から筆誅を加えられた。
「地球の静止する日」 1951年 ロバート・ワイズ監督 20世紀フォックス DVD
パトリシア・ニールはこの作品について、自伝でいう「少しも気乗りがしなかったけれど、せっかくフォックス入りしたのに仕事がないというのでは格好がつかない。監督はロバート・ワイズ、これまでも私には親切な人だった。彼はこの映画に自信を持っていて、私の出演を希望したのだった。承知してよかったと、私は今思っている。」と。
「しかし白状すれば、撮影中、まじめくさった顔をしているのが難しい時もあった。くすくす笑い出しそうになるのをわたしが唇をかんでこらえていると、マイケル(・レニー:宇宙人役)も同じように我慢していて、やがて、いかにもイギリス人らしい慎み深い口調で、あなたはそういう風に演じたいというわけですか、と言ったものだった。」とも。
知り合いだったヒュー・マーロー(愛人役)や、新しく友達になったマイケル・レニー(UFOから降り立った宇宙人役)らとフレンドリーな撮影期間を楽しんでいたパトリシアの様子が生き生きと伝わってくる。
作品はロバート・ワイズ初期の意欲作。
突如ワシントンに降り立ったUFOから宇宙人とロボットが降り立ち、地球人に警告する「地球人同士の争いには不干渉だが、核をもてあそぶことには、宇宙に影響するので強く反対する」と。
地球人はこの警告に対し、「政治」は対処できず、「英知」の象徴である科学者は世界規模で集まったものの、「政治」に干渉され、結局、警告を残したまま宇宙人は去る。
SFに仮託した「政治」の狭量ぶりが描かれる。
群集は着陸したUFOの間近に集まり、見物し、宇宙人に親しみさえ感じる。
が、いったん軍隊との間に暴力的接触があると途端に手のひらを返し、むやみに宇宙人を恐怖の対象として排除する。
ポピュリズムと群集心理の恐怖だ。
映画のタッチは、スリラーを強調したものではなく、当時のアメリカ社会のおおらかなのんびりムードを基調にしたもので、ロバート・ワイズ監督の個性が表れている。
何よりパトリシア・ニールが、彼女のそれまでの映画出演の堅苦しさが嘘のように、生き生きと動いている。
髪の毛の色はワーナー時代後期に染めたブルネットで短髪のまま。
戦争未亡人で10歳ほどの息子を持つ活発な婦人役がよく似合う。
宇宙人の、正論で高邁な考えに同調し、世俗的な反応の愛人と訣別して行動する役柄でもある。
パトリシア・ニールにはハリウッド映画の「架空のお姫様」役より、子供の世話をしたりオフィスでテキパキと働く、行動的で現実的な女性の方がずっと似合う。
この後の「ステキなパパの作り方」(1951年 ダグラス・サーク監督)はウイキペデイアのフィルモグラフィーにも載っていない作品。
少し前にシネマヴェーラで見ることができた。
自伝には「フォックスからの他社出演で、ユニバーサルの軽いコメデイーに出演した。どうということもない映画だったが、ヴァン・ヘフリンと仕事をするのは楽しかった。私は彼が大好きだった。」とある。
「地球の静止する日」に続くコブ付き未亡人役のパトリシアは、この作品でも男の児2人の面倒を見ながらクルクルよく動きしゃべる母親役を気持ちよさそうに演じており、その芸達者ぶりは見ている方も楽しくなる。
以前に本ブログでも書いたが、一人の子供の役名が「ゲーリー」。
ハリウッド得意の楽屋落ちというか、脚本家の遊びというか、自虐ネタである。
渦中の愛人の名前を、たびたび大声で叫ばなければならない彼女の心中やいかに。
「プロ」だから平気なのか。
撮影中、セットにゲーリー・クーパーがたびたびパトリシアを訪ねてきたという。
このころ、セルズニックとジェニファー・ジョーンズ主宰の大パーテイに二人別々に招待された。
ゲーリーとパトリシアが連れ立って入ってゆくと、女達はさっと目をそらしたという。
二人はやがてすれ違い、別れることになるのだった。
「ハッド」 1963年 マーテイン・リット監督 パラマウント DVD
ゲーリー・クーパーと別れたパトリシア・ニールは、イギリス人の児童文学者、ロアルド・ダールと結婚した。
最後まで「愛したことのない」(自伝「真実」より)人との結婚だった。
映画界とも離れたパトリシアはブロードウエイの舞台に復帰した。
「自分でも誇りに思える仕事がしたかった。家庭が欲しかった。自尊心も欲しかった。」(自伝「真実」より)。
結婚し、長女が生まれ、映画にも「群衆の中の一つの顔」(1956年 エリア・カザン監督)で本格復帰した。
「ハリウッドに見切りをつけ、ハリウッドは私に見切りをつけていると思っていた」(自伝「真実」より)矢先のこと。
ニューヨークアクターズスタジオ時代からの盟友カザンからのオファーだった。
二人目の子供(次女)がおなかにいるときの撮影だったが、「また映画の仕事ができたことは満足だった」(自伝「真実」より)。
「群衆の中の一つの顔」は彼女の代表作の一つになる。
「ハッド」もまた、アクターズスタジオ時代の仲間、マーテイン・リットからのオファーで始まった。
パトリシアには次女、長男が生まれ、不幸にも長女を風疹で.亡くし、長男もまた自動車事故で頭に重傷を負い手術を繰り返している頃だった。
「ハッド」について、パトリシアは、「マーティーと仕事ができるのがうれしかった。監督の要求には何でも応えればいいのだと思ったのは、エリア・カザンと組んで以来のことだった」と自伝で述べている。
最初のラッシュを見たリット監督がパトリシアに「君が鍋を扱っているのを見た瞬間にだね、これはいい、君は台所の勝手がわかっている女だと思ったね」と言ったという。
このエピソードを読んで、戦前生まれの日本女優の茶碗を洗うシーンを思い出した。
「須崎パラダイス赤信号」(1956年)の新珠三千代(1930年生まれ)は、流れ着いた飲み屋に住みこもうと、店の洗い場で茶碗を洗い始めるシーンでその手ばやさを見せた。
「いかなる星のもとに」(1962年)の山本富士子(1931年生まれ)は、出かける前にさっさとお茶漬けを食べた後、一連の動作のように茶碗を洗って片づけていた。
二人とも普段から茶碗洗いなど台所仕事に慣れており、また当時の日本女性には当たり前の動作であることをうかがわせる仕草だった。
パトリシア・ニールも、国は違うとはいえほぼ同年代に生まれ育った女性だった。
牧場主(メルビン・ダグラス)と、不肖の次男ハッド(ポール・ニューマン)、死んだ長男の息子ロン(ブランドン・デ・ワイルド)、住み込みの家政婦アルマ(パトリシア・ニール)が暮らす西部の田舎町。
口蹄疫が広まり、牧場経営が音を立てて崩れてゆく。
親からは疎まれているハッドだが、甥っ子のロンはハッドに憧れている。
仕事ができ、女に手が早く、親に愛情を持つハッドは、要領がいいというか現代的考えの持ち主。
口蹄疫が発表される前に州外に牛を売れとか、牧場をやめて油田を掘れとか、未亡人との情事に夫が出てくるとロンのせいにして切り抜けるとか、そのたびに昔気質の親にがっかりされる。
21世紀の企業なら当然の倫理志向でもある「新自由主義」的な考えの持ち主のハッド。
一方で、父親からの愛情を求めてすねている。
住民たちの楽しみといえば、バーにたむろし、こっそり他人の女房を寝取ることを除けば、年に何回かやってくるロデオを見たり、住民参加のツイスト大会や豚を捕まえる競争に参加するくらいしかない田舎町。
開拓時代と異なるのは、鉄道が走り、モータリゼーションが普及し、テレビが映り、インデイアン(先住民と呼ばねばなるまい)がいなくなったくらい。
ハッドと正直一本やりの旧世代との断絶。
34歳独身で田舎町に暮らすハッドの、投げやりな性的放縦と年頃のロンにも忍び寄る性的な疼き。
男三人の所帯を切り回す離婚を経験した中年女のアルマが、男たちにとって全女性を代表するかのような存在であること。
やがて解体する家族。
親父は死に、ロンは出てゆき、アルマもまた。
それらを映画は淡々と描写してゆく。
薄手のブラウスで下着をすかせながら、あるいは夜のベランダで裸足になりながら。
台所で鍋を扱い、料理をサーブし、朝寝坊のロンのシーツを剥ぎ取りながら、実年齢36歳になったパトリシア・ニールが田舎の男所帯の家政婦を演じる。
牧場の閉鎖とともに夜の長距離バスで町から去ってゆくアルマ。
過去ある女、名もなき女、ながら居場所と尊厳を求めてさ迷うが、実はプライドを秘めた女を見事に演じる。
パトリシア・ニールは、映画で人間の尊厳を表現できる人なのだ。
ポール・ニューマンの「ハスラー」(1961年)という映画があった。
ニューマンが場末のバーで一人の女に声をかける。
女を演じるのはかつてのお姫様役で、この時実齢29歳のパイパー・ローリー。
ニューマンに声をかけられたときの、無理に苦笑いを作るかのような表情。
小児まひで世をすねながら、酒がないと寝られない若くはない女を演じて、忘れられない印象を残す。
パイパーは、お姫様役からのイメチェンのためにアクターズスタジオで演技の勉強をし直して、この役に挑んだという。
彼女の演技への精進は「キャリー」(1976年)での狂信的な母親役での怪(快)演につながってゆく。
「ハッド」のパトリシア・ニールは、ブロードウエイとアクターズスタジオ仕込みの演技力ばかりではなく、実生活の重みがもたらす人間性の深さをにじませながら、アルマという役を演じた。
アルマには、単に人生に疲れ男への期待も失せた中年女の姿だけではなく、それでもなお湧き上がる性的匂いと母性の偉大さ、が立ち込めていた。
インテリでもあるパトリシアの演技は「中年女の汚れ役」とはこういう風に演じるのだよ、と具体的に示してくているかのようだった。
パトリシア・ニールはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞。
その後、第5子の妊娠中に脳卒中を発症。
奇蹟的に回復し、4女も無事誕生。
50歳台になって亡きクーパーの妻、娘と和解。
30年連れ添ったロアルド・ダークと離婚。
の生涯を送ることになる。