軽井沢へ行ったときに追分宿に寄ってみた。
追分宿は中山道六十九次の第二十次。
江戸方面からでは沓掛宿の次にあたり、この後、北国街道と別れ小田井宿へと向かう。
上野国(現群馬県)から碓井峠の関所を越え、軽井沢宿で信濃国(現長野県)に入り、2つ目の宿場が追分宿。
現住所は軽井沢町追分になる。
国道18号線を西に向かい、しなの鉄道中軽井沢駅を過ぎ、信濃追分駅のあたりに、国道から右に分かれる道がある。旧中山道だ。
入ってすぐ左手にある広い無料駐車場に軽トラを止め、中山道を散策してみる。
軽井沢歴史民俗資料館で聞いた通り、古民家が並んだ風ではない。
現代風の民家がぽつぽつと建ち、中には今風の飲食店も見られる。
神社や仏閣は当時のままなのだろう。
観光客の姿はほとんどない。
宿場の歴史的景観はとうに失われ、そこに住んでいたであろう住民の民家もまばらになった通りを歩いていると、右手に校舎のような公民館のような木造建物が見えた。
寄ってみると、脇本陣を旅館に転用した油屋という建物だった。
旅館は廃業しているが、地元の若い人がカフェなどで活用しているようだった。
既に冬季休業中だったが、面白そうな場所だった。
泉洞寺というお寺の入り口に、「歯痛地蔵はこちら」という看板があった。
当地ゆかりの文学者堀辰雄が愛でたお地蔵さんだという。
珍しいので境内に入ってみることにした。
山門をくぐる。
両側に菊が生けられ、垂れ下がるもみじも見事なお寺。
墓地の片隅にある歯痛地蔵にたどりつく。
なんということはない石像だが、地蔵さんとしては珍しいフォルム。
墓地には三々五々、お墓参りの人の姿があった。
表通りより人出が多かった。
北国街道と分岐する「分去れ」まで、駐車場からゆっくる歩いて15分から20分の距離。
いろいろ道草をして小一時間の行程だった。
宿場時代の建物はほぼなく、ここまで時代の洗礼を受け、景観も人の営みも変遷してきたことがうかがえる。
残った古民家風の建物はリノベーションされてカフェとして再生されたものもあったが、追分宿そのものは、休館日だった「追分宿郷土館」の中にしか残っていないのだろうと想像できた。