クールビューティー小山明子特集より 「彼女だけが知っている」「死者との結婚」

シネマヴェーラ渋谷で「クールビューテイー小山明子」という特集上映があった。
松竹の新人女優時代から、大島渚との結婚・独立を経て、1960年代の他社出演作品まで、小山明子出演の14作品が上映された。

シネマヴェーラ渋谷にて

小山明子自伝「女として、女優として」

小山明子自伝「女として、妻として」表紙

手許に「女として、女優として」という小山明子の自伝がある。
映画デヴューから大島渚との出会い、結婚、独立までの半生をつづっている。
その中から印象的なエピソードを拾ってみる。

・「家庭よみうり」という雑誌の表紙に載ったことから、松竹大船撮影所長にスカウトされ、1955年、横浜のドレスメーカー女学院に在籍のまま松竹入社したのが女優人生のスタート。
当初は、父子家庭の父親は芸能界入りに大反対で、また本人も乗り気ではなかったという。

新人女優時代の小山明子

・松竹入社2作目の「新婚白書」(堀内真直監督)出演時に、作品の助監督だった大島渚に出会い、翌年から付き合い始める。
付き合い始めて3年目、大島に旅行に誘われ断ったことから大げんかになり、その際に大島が殴ったことから一旦は別れる。

・1959年、大島が「愛と希望の街」でデヴューすると告げたはがきを読んだ小山が大島を呼び出す。
小山は大島に会うなり、まっすぐ目を見て「私はあなたのお嫁さんになることにしたわ」と告げたという。

・1960年結婚。
結婚式は大島の第4作「日本の夜と霧」が上映打ち切りとなった後に行われた。
新郎の大島までを含めた来客が上映打ち切りに抗議し、松竹弾劾の演説を行う結婚式だった。
怒号が飛び交い、招待客の松竹首脳は途中退席した。
まもなく大島は松竹を退社した。

・退社して何の用事もない大島を訪ねて新婚アパートには来る日も来る日も友人たちが押し掛けてきた。
昼間でも「まずビール」。
毎晩酒を飲みながら楽しそうな(小山による表現)議論が延々と続いた。
小山には松竹との契約が残っていたが仕事は来なかった。
小山も松竹をやめ、活路をテレビやラジオに求めた。

大島渚と結婚

・助監督の給料が1万4千円くらいの時代、小山の映画出演料は4作目で50万円になっていた。
当時は生放送だったテレビ出演でくたくたになってアパートに帰ってくる小山を迎えるのは、大島とその仲間たちの「あー腹減った。ご飯!」の声だった。

新婚アパートにて、お銚子の準備をする小山明子

・子供が生まれた。
京都から大島の母・清子に来てもらい、小山は預金通帳と財布を渡して育児と家事一切をお願いした。
義母はそれを張り合いにしてくれた。
小山の死んだ実母の名前は清子、継母の名も清子、という縁があった。
小山は仕事に邁進した。
20年以上、大島家の家事育児一切は義母が切り盛りした。

・1961年、大島は田村孟、渡辺文雄らと独立プロ創造社を設立。
第1回作品「飼育」を撮る。
1ヶ月の長野県南相木村でのロケの後、ツケの酒代を支払いに現地の酒屋を訪れた小山は「お酒は120本飲まれました」と主人に言われる。
てっきりお銚子の数だと思った小山は、一升瓶の数だと聞かされてひっくり返りそうになる。

・1968年の創造者作品「絞首刑」の時、テレビ番組の打上パーテイーに出席して「絞首刑」のアフレコに遅れた小山に大島が激怒。
口答えした小山のパーテイー用のドレスを、皆が見ている前でびりびりに引き裂いてしまった。
この時ばかりは離婚を決意した小山だった。

自伝「女として、女優として」を読むと、やんちゃ小僧のような大島渚と、女優業で稼ぎながら大島らの世話に追われ、いざとなると気も強い小山明子の若く、ハチャメチャなエピソードばかりが印象に残る。
大島家の柱は渚だが、それを支えたのは小山明子だったことがわかる。

また、5年間ほどとはいえ、邦画メジャー・松竹の主演女優だった小山の実績はダテではなく、テレビや他社出演など、女優で一生食っていけたことがわかる。
「松竹映画の主演女優」のステータスは相当なものだったのだ。

文芸春秋社刊「キネマの美女」より

高橋治と松竹ヌーベルバーグ

シネマヴェーラの「クールビューテイー小山明子」特集で、高橋治監督の「彼女だけが知っている」と「死者との結婚」が上映された。

高橋は、1953年に助監督として松竹に入社。
同期に篠田正浩、1期下に大島渚、山田洋次、2期下に吉田喜重、田村孟がいた。

入社年に「東京物語」の助監督を務める。
1960年「彼女だけが知っている」で監督デヴュー。
6本の監督作品を残し、1965年松竹を退社、文筆活動に入る。
文筆時代の代表作は「絢爛たる影絵・小津安二郎」、直木賞受賞作「秘伝」など。

高橋の監督デヴュー当時は、大島、篠田、吉田、田村孟などが次々と若くして監督デヴューし、彼等の斬新で挑発的な作風が松竹ヌーベルバーグとしてもてはやされた。

折から時代は1960年の安保闘争を迎えていた。
また、戦後世代の若者文化の光と影が時代を彩っていた。

大島らは松竹映画の中にそれまでにはなかった、若者の痛切な青春像や、旧世代と新世代の階級対立を持ち込んだ。
世の中に反抗し自滅する若者を描いた「青春残酷物語」、ドヤ街の現実に埋もれそうになりながらもギラギラする人間性を追求した「太陽の墓場」はヒットしたが、新左翼が旧左翼を糾弾する内容の「日本の夜と霧」は記録的な不入りとなり、松竹ヌーベルバーグは終焉した。

状況を逆手にとって時代の寵児として自己をプロデユースし得る大島、スター監督候補としてそつなく話題作に挑む篠田、独特の感性で自分の世界を追求する吉田ら、松竹ヌーベルバーグの本流ともてはやされた連中はしぶとく映画界に残った。
彼ら3人に共通しているのはいずれも松竹のスター女優と結婚していることだった。

高橋は気が付くと映画界を去っていた。
スター女優を妻としなかったこともその理由の一つかもしれない?が、高橋の才能と興味が文筆活動により向けられていたのはその後の履歴が示している。

「クールビューテイー小山明子」特集では、高橋の松竹時代の貴重な作品に接することができた。
初々しくも、多彩な才能が映画にも発揮されていることを確認した。

「彼女だけが知っている」 1960年  高橋治監督  松竹

63分の中編。
当時の新人監督のデヴュー作用の規格だ。
大島渚のデヴュー作「愛と希望の街」(1959年)も60分ほどの中編だった。

「愛と希望の街」が、何より大島の主張が濃い作品だったのに比して、高橋治のデヴュー作は映画としての完成度が高かった。

強姦殺人事件に立ち向かう刑事ものストーリー仕立ての作品で、刑事の心理描写、捜査のち密さ、スリリングな場面展開がよく描かれている。
夜の場面の暗さを強調した撮影もいい。
笠智衆、三井弘次、水戸光子らベテランの名わき役たちの起用も新人監督のデヴュー作としては恵まれている。
高橋のデヴュー作がスタッフ、キャストに「祝福されて」生まれたものであることがよくわかる。

シネマヴェーラロビーに掲示された当時のポスター

共同脚本と助監督が田村孟。
本来は、場面数を少なくし、不条理な設定上の主人公を出口なしの状況に追いつめるように描くことが多い田村の脚本だが、本作は、場面展開が早く、具体的な描写が多く、またラストに救いがあり、いわば映画的サービス精神に満ちている。
高橋のデヴュー作が商業的にも成功するように最大限に配慮した田村脚本であることがわかる。

主演の渡辺文雄は、松竹ヌーベルバーグの表現者のひとり。
大島作品、高橋作品での主演が多い。
田村孟の監督作品「悪人志願」(1960年)でも主演を務めた。
ヌーベルバーグ作品での渡辺の役柄は、声高に主義主張を叫ぶのではなく、主役の傍らにいて、時々鋭い客観的で分析的セリフを吐く、ということが多い。
作者の代弁者の役柄といったところかもしれない。

本作での渡辺は、強姦事件の被害者となった小山の恋人役。
刑事という立場場もあり、被害者小山の心理を理解するよりも、社会利益のため捜査に協力するよう小山に働きかける、いわば一般社会の代弁者として正論を吐く。
結果的には小山は捜査に協力し事件は解決するのだが、小山の感情は解決してはいないというのがこの作品のテーマの一つ。

小山と渡辺が2人きりで「対決」する場面が2つある。
ビルの屋上と小山の部屋。
そこで、二人の感情と主張のすれ違いが描かれる。
刑事の娘であるという立場、一人の女性として傷を負った立場、それぞれを「克服」し、捜査協力する決心をした小山だが、公の代弁者に終始し小山の芯の理解者たり得ないに渡辺に対し「同情されたまま一生終わりたくないの」「あなたと同等の立場でいたいのよ」と思いのたけを叫ぶ。

このセリフを書いた田村と高橋。
昨今やっと尊重されてきたハラスメント被害者の心理状況の核心を表すともいうべきもので、1960年当時にはっきりとこの部分が表現されていることは貴重だと思う。
この作品は強姦事件を背景にしているが、よしんば被害者が差別上のものだったり、階級上のものだったりしても、その心理状況はあてはまるだろう。

渡辺と小山の間に、学生の討論のような調子でセリフが交わされ、作品の隠されたテーマである、立場の違う人間を隔てる壁の存在があらわになる。

ラストで背を向けて一人去ってゆく小山に渡辺が走って追いつく(そこでエンド)のは、観客に向けたサービスで田村脚本の本意ではないのだろうが、この方が映画的で好きだ。
若い二人には相互理解が可能な未来が待っていてもいいではないか。

小山明子の演技は、それまでの役では多かったであろう愛嬌のあるお嬢さん役から脱皮しようという、意欲を感じるものとなっている。

シネマヴェーラの特集パンフより

「死者との結婚」 1960年  高橋治監督  松竹

高橋治の監督第二作。
田村孟との共同脚本は前作同様。
前作が刑事ドラマの体裁をとっているのと同じく、ウイリアム・アイリッシュの犯罪小説を原作としたドラマ。
ただし犯罪ドラマは体裁で、作者が描きたいのは人間疎外であり、尊厳の追求であり、個人の自立である。

シネマヴェーラロビーのポスター

いい加減な恋人に捨てられ自暴自棄になった女(小山明子)が、あてどない旅で乗船した船で、フィアンセの実家に挨拶に行く途中の女(カップルの片割れの男も乗船している)と知り合う。
船は沈没し、女を残しカップルは死ぬ。
死んだ女に入れ替わった小山が、死んだ男のフィアンセとして実家に迎え入れられる。

巻頭から主人公を取り巻く不条理な世界観が炸裂する。
何者かわからない存在の小山が、さらに不可解なほどダメな競輪選手崩れの男に捨てられさ迷う。
まるで「悪人志願」で、理由不明で鉱山現場で働く、渡辺文雄扮するおしの主人公の女版のようでもある。

紛れ込んだ「義実家」。
気持ち悪いほど疑いを知らず、善意の乖離を尽くす「義実家」の人々。
主人公は無表情なまま戸惑うが、もともと悪意はなく、このまま平穏な暮らしが続けばよいと思う。
フィアンセの弟(渡辺文雄)は女が別人であると気づく。

渡辺は女に敵愾心を持つが、従順で状況を受け入れ周りに重宝がられる女を愛し始める。
まったく疑いを知らない(義母は途中で気づくが、気づいたうえで女を受け入れる)人々は「別の世界」に暮らしているかのよう。
「現実」を見ないようにしているうちに、「別の世界」を受け入れるしかなくなる女に、「現実」を知ったうえで女を受け入れようとし始める義弟。

そこへ別れた競輪選手崩れの男が現れ、いわば強烈な「現実」の出現に「別の世界」は一挙に破滅に向かう。
ここからの犯罪シーンは、前作「彼女だけが知っている」ほどのスリルがなく、やや手際が悪い印象。

「現実」が表に出て、それでも受け入れようとする義弟に、「現実」に目覚めた女は醒めた目を向ける。
去ってゆく小山に対し、前作と違って渡辺は追いかけない。

同情され、偽の自分として一生生きることを敢然と拒否し、自分本来の(それがいばらの道とは知りつつも)人生を生きることを決意する名もなき女の背中を突き放して捉えて映画は終わる。
敢然と歩く小山の後姿はりりしくもあり、厳しくもある。

シネマヴェーラの特集パンフより

前作「彼女だけが知っている」ほどの映画的広がりがなく、渡辺と小山の討論会的なセリフのやり取りなどに田村孟の脚本色が強い作品になっている。
一方で、ジャズっぽい音楽や、犯罪映画の表現の取り入れなど高橋監督のサービス精神というか、手法の多彩さも見られる。
このまま松竹にいれば将来的に「砂の器」をドライにしたような大作を作ったのではないかと思わせる高橋監督である。

小山明子は不条理の中で戸惑い、気持ちを抑えて状況に耐え、また新たな状況に立ち向かう女性を演じた。
そのクールさは、のちの「続・兵隊やくざ」(1965年)の似合いすぎる黒づくめの従軍看護婦役、や「少年」(1969年)、「儀式」(1971年)の近寄りがたい冷たさ、に結実したのではないか。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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