東京闇市紀行VOL1 吉祥寺ハモニカ横丁を歩く

吉祥寺駅前のハモニカ横丁を歩きました。
おじさんの家からは自転車で20分ほどの距離です。

闇市跡の風景

東京をはじめとする都市部の駅前には終戦後、闇市と呼ばれるマーケットがありました。
空襲で焼け野原となった跡地、それも駅前など人の流れのある場所に人々が品物を並べたのが始まりとされています。
やがてバラックの商店となり、地回りのやくざや第三国人と呼ばれる勢力が縄張りとする中で固定化されたマーケットとなりました。

「光は新宿より」。
新宿東口の闇市を取り仕切った尾津組組長の長女による当時の回想記。

東京には、当時の闇市の名残が今でも残っています。
新宿の通称しょんべん横丁は当時の景色を残す一角です。
また、今は雑居ビルとなっている新橋駅前のニュー新橋ビル、渋谷駅前のハチ公広場下の地下街、などは闇市マーケットの商権がそのまま組み込まれた建物と聞きます。
下北沢駅前にもつい最近までバラック建てのマーケットが残っていましたが、つい最近更地になって再開発されています。これらの土地は、終戦後のどさくさによって本来の地権者から、やくざや第三国人などが勝手に占拠し現在に至っているものが多いといわれます。

吉祥寺ハモニカ横丁

JR中央線沿線の闇市跡としては、吉祥寺駅前のハモニカ横丁が有名です。
おそらく当時の景色をとどめている場所として貴重な場所ではないのでしょうか?

おじさんが吉祥寺に来始めた30年前のハモニカ横丁は、八百屋、魚屋、肉屋、雑貨屋などがメインの文字通り地元のマーケットでした。
現在ではそれらの店はほとんど姿を消しました。
魚屋が2軒残っているでしょうか。

表通りには八百屋が残っています。

替りに多くなったのがカフェ風の飲食店など。
餃子屋やパスタ屋には人が並びます。
今やスノッブな飲食店街となりました。

代替わりするにせよハモニカ横丁の風景が残るのはいいことだと思います。
今や観光名所ともなりこのまま残ってゆくことでしょう。

昔から飲み屋が並ぶ一角もあります。
この寂れ方は立石などにある古くからの飲み屋の横丁に通じるものがあります。

パルコ地下に映画館ができた

吉祥寺パルコの地下2階には長いこと新刊書店があったが、いつの間にかなくなり、映画館がオープンしていました。
封切館はいくつか残っているが、いわゆる名画座がなかった吉祥寺。

今回オープンしたのは、アップリンク吉祥寺なる映画館。
スクリーンは5つほどのシネコンです。
ちょいとロビーを覗いてきました。
今どきのシネコンのロビーよろしく、自動券売機とカフェ風のカウンターがありました。

スノッブな客以外はお断りの風情を漂わせようとしているようですが、ここは三多摩の武蔵野市。
地元の雰囲気を色濃く漂わせた方々も三々五々歩いており、おじさんは安心しました。

肝心な上映プログラムはとみると、「見逃した映画特集」ということで比較的新しいミニシアター系の話題作を中心に組んでいました。
中にはルイス・ブニュエルの「皆殺しの天使」もありました。
フィルムではなくデータ化された作品であれば、ちょいと話題になったものは上映の機会がありそうです。
今は、様々な作品をやってみて客層を探っているのかもしれません。

ロビーを歩いてびっくりしたのがパンフレット置場の棚の広いこと!
ロビーが狭い映画館ならば、重なっておいてあるパンフが、まったく重ならず広々と置かれていました。また、パンフの種類よりも棚の面積のほうが広いのか、同じパンフが何か所にも置いてありました。
方向模索中の新しい映画館らしさを感じました。

吉祥寺の古本屋巡り

公園口のバス侵入道路沿いにある古書センター。駅から近いが自転車で行くには不向きかも。

井之頭通り沿いにある、よみた屋。
比較的新しくできた店。
八切止夫の「野史辞典」なども比較的安い値段で置いてある意欲的な店。東急デパート南隣の建物2階の、百年という古書店。
場所柄かおしゃれな品揃え。雰囲気がいい店。

五日市街道沿いには昔ながらの古書店、藤井書店もある。文庫などは品揃えもよく値段もお手頃です。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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