11月中旬。
信州では多くの場所で紅葉も終わり、初雪の便りが聞かれたころ。
大岡にある山村留学の施設で収穫祭があった。
ひょんなことからその情報を知った山小舎おじさんは軽トラで駆け付けた。
大岡ひじり学園という山村留学施設。
大岡は今は長野市の一部だが、市の中心部からは1時間ほどもかかろうか、というほどの山間部。
長野市中心部から国道19号線で西へ向かい、信州新町という地区から山間部を南下したエリアである。
たまたま見た「長野市民新聞」の記事で、大岡ひじり学園の山村留学生が、大岡地区の在来品種のそばを栽培し、来る収穫祭でふるまう、とのニュースに接し、興味を持った。
山小屋から学園までは2時間の行程。
通ったことのない山道を通らなければならない。
折から山小舎周辺は真っ白な雪景色。
行く先の峠道もどんな状況かわからない。
一回は訪問をあきらめたが、当日朝の山小舎周辺は晴れで気温も高めで雪が溶け始めている。
思い切って長靴で出発した。
8時半に出発し、長野へ向かう時のいつもの道を千曲川に沿って北上する。
千曲市の稲荷山地区を過ぎたあたりで西方へ山越えの道に入る。
大岡地区へのショートカットの道。
通るのは初めて。
雪が残っている。
交通量もなく、人気に乏しいが雰囲気のある山村の道をマイペースで走る。
やがて眼前にアルプスの眺望が現れる。
雪を頂き、中腹に雲のたなびきを従えたアルプスのパノラマが広がる。
北アルプスを望むには長野市の山間部か、安曇野エリアまで来なければならない。
ここまで来たのだ。
やがて学園への案内板が道路沿いに現れる。
ひじり学園のひじりとは大岡地区に隣接する麻績村にあるリゾート地・聖高原から来ているのだろう。
山村留学施設のほか、立派な住宅付きのクラインガルテンなども整備した大岡地区は、過疎対策に力を入れていることがわかる。
雪が残る学園前の道にはすでに路駐で車が集まっている。
11時開場を前に太鼓の音が聞こえる。
開場を前に留学生の父兄会長さんが来場者に挨拶をしているところだった。
留学生が抽選権を配っている。
施設の建物前のスペースにはバザー会場のテントがあり、地元農家出品の野菜のほか、焼きそば、焼き鳥、コーヒーなどが出店している。
人の流れについて行って施設の中に入ってみると、雑貨や食品などが市価の半額程度で売られており、地元の人たちが段ボールに入れて買いあさっている。
山小舎おじさんも慌てて50円で買い物バックを買い、カレールーや食用油、氷砂糖、鯖缶などを1200円ほど買いあさった。
これも集客の手段なのか、安い!
施設内は、留学生、府警、関係者、地元民で盛況。
バザーのほかに、1年間の活動報告、これまでの二十数年間の山村留学の記録などが展示されている。
四半世紀も続いているのは、地元の協力体制のたまものなのだろう。
施設内部にはその間の歴史と普段の生活の匂いが染みついており、ここが教育施設だと物語っている。
在来種のそばが食べられるのかな、と思っていたが初日に父兄にふるまわれて終了とのこと。
それではと、大広間のラーメン食堂へ行き、しょうゆラーメンを注文する。
200円。
周りの紅白の幕が張られた大広間は部屋といい飾りつけといい、日本の(田舎の)伝統形式そのもの。
温泉施設の大広間を思い出す。
地元民との交流や発表会はここで行われるのだろう。
やがて舞台では留学生の踊りの発表が行われた。
6人の中学生女子による踊りは若々しくてかわいい。
大広間に詰めかけた父兄らはラーメンを注文しつつ、子弟の発表にカメラを向けていた。
帰りの時間を気にし始めた山小舎おじさんは外へ出て、出店で大根、ヤーコンなどの野菜を購入。
溶け始めた雪の中帰途に就く。
帰りも初めてのルートで麻績村へ南下。
ひなびた山村と山の景色が続く山間のルートだった。
日陰の路上には雪が残っていたが危なくはなかった。
麻績村からさらに山越えで青木村へ、そこから鹿教湯温泉へ抜けて帰った。
いつもの旅と違い、若々しいエネルギーに触れる旅でした。
結局、長靴のまま帰ってきた晩秋の旅でした。