調布は映画のまちです。
日活が戦後に東洋のハリウッドという触れ込みで作った日活撮影所が、京王線の布田駅から多摩川に向かった場所にあります。
かつては石原裕次郎達スターが、会社のマイカーで土ぼこりを立てて、撮影所に向かう田圃の中の道を走って通ったそうです。
映画監督の鈴木清順は日活解雇後もしばらく調布市内の市営住宅に住み、奥さんが新宿ゴールデン街のバーで働いて生計を立てていたようで、その時代の「アサヒグラフ」巻末連載の「わが家の夕飯」に、市営住宅の一室で襖をバックに一人夕飯(というか酒と肴)をわびしく聞し召す壮年時代後半の清順氏が掲載されていたこともありました。
また、京王多摩川駅の近くには大映の流れをくむ、角川大映スタジオがあります。
戦前の日活多摩川撮影所から始まり、戦時中に大映に組織替えし、戦後の映画最盛期には、道路を挟んだ向かい側と、都立調布南高校の敷地になっている部分を敷地に加え、さらに隣地に大映村と称する社員住宅(家族寮、独身寮、風呂などを完備)まで備えていたという撮影所です。
今は入り口に大魔神とガメラが立っています。
かつては、調布市立の郷土資料館ではロビーに大きな35ミリ映写機が展示されていました。
これらの歴史的遺産を背景にした町おこしがささやかに調布で行われています。
品川通りという、京王線と多摩川の間を通る街道の脇で「映画のまち」による町おこしが行われていました。
映画フィルムをデフォルメしたのでしょうか、モニュメントがたち、パネルというか看板には映画製作の流れをイラストにして描いています。
オープンな広場というか通路で自然に「映画のまち」を市民にアピールしようというコンセプトでしょうか。
付近には調布市内唯一のデイスコにしてライブ会場でもある、ginzがあります。
入ったことはないのですが、ここのバンドの演奏を聞いたことがあります。
山小舎おじさんと同年代と思えるメンバーとやや若めの女性ボーカルがご機嫌にスイングしていました。
おじさん年代(の青春時代)を直撃するナンバーの数々もご機嫌でした。