ビリー・ワイルダーと「失われた週末」

アメリカで活躍した映画監督にビリー・ワイルダーがいる。
1906年旧オーストリア=ハンガリー帝国生まれのユダヤ人で、戦前にアメリカに亡命。
脚本家、監督としてハリウッドで活躍し、2002年没。

「ハリウッド帝国の興亡」にみるワイルダー

手元にある「ハリウッド帝国の興亡・夢工場の1940年代」には当時のワイルダーについての記述があるが、それは以下の通りとても印象的なものであり、ワイルダーの人となりと遍歴が浮かび上がる。

黄金の40年代ハリウッドを考察した著作

(共同脚本家として一時代を築いた)チャールズ・ブラケットは、ワイルダーの本質の多くを嫌っていた。
つまり人間嫌い、死を連想させるような不気味な感覚、冷酷さ、根っからの粗暴さ、などを。(同書ページ567)

サンタバーバラでの「失われた週末」の試写会は笑い声に迎えられた。
大声の笑いとくすくす笑い、嫌悪感を抱かせる映画だというアンケート用紙の回答に迎えられた。(ページ565)

1945年の秋、「失われた週末」は公開された。
批評は素晴らしかった。
そしてワイルダーは、監督として初めてのアカデミー賞を受賞、脚本の共同執筆者としてもオスカーを授かった。(ページ565)

「サンセット大通り」(50年)を自伝的作品とみるには幾通りかの解釈がある。
ワイルダーはかつてベルリンのホテルで雇われダンサー兼エスコートをしていたので、ジゴロの困惑といったようなものは身に染みていた。(ページ567)

ワイルダーは「サンセット大通り」の冒頭シーンに、死体保管所で死体同士がここに来ることになったいきさつを語り合う、という、おぞましくも不気味なシーンを撮影した。
ロングアイランドでの試写会でも「サンセット大通り」は嫌われた。笑われたばかりではなくブーイングされ、シーシー野次られ、嘲られた。
ワイルダーは、死体同士の会話という設定から、主人公(売れない脚本家:ジゴロ)の死体単体によるモノローグへと冒頭シーンを撮りなおした。(ページ569)

1950年の夏に公開された「サンセット大通り」は批評家から受けて当然の絶賛を受け、興行成績も上々だった。(ページ571)

テレビ洋画劇場でのワイルダー

テレビの洋画劇場で40年代、50年代、60年代の洋画がせっせと放送されていた時代。
山小舎おじさんは中学生から高校生だった。

テレビで「お熱いのがお好き」(59年)や「アパートの鍵貸します」(60年)を見た。
大学生になっての上京時、大塚名画座という今は亡き映画館(大塚駅近くの八百屋の二階にあった)で「あなただけ今晩は」(62年)を見たこともあった。

いずれもワイルダーの代表作だ。
展開の速さ、オチ、ペーソス、伏線、演技、どれをとっても良くできた作品で、引き込まれるように見た。

3作品とも主演はジャック・レモンで、すっかりファンになった。
テレビ放映では吹替の愛川欣也の名調子に、レモンの演技と愛川の吹替が一心同体に見えた。

日本におけるワイルダーの評価も、上手にコメデイを作る巨匠というようなことで落ち着いていたような気がする。「麗しのサブリナ」(54年)、「七年目の浮気」(55年)、「昼下がりの情事」(57年)などもワイルダー作品である。
ヘップバーン、モンローなど旬の有名どころを使い、だれもが満足するストーリー展開と、たっぷり予算を使った舞台装置。
たっぷりの予算を十分回収しうる興行成績。
押しも押されぬハリウッドの巨匠である。
しかも批評家受けがいい。
それだけの才能を持った作家がワイルダーだった。

ワイルダーと「失われた週末」

この夏、渋谷シネマヴェーラで「恐ろしい映画」特集をやっていた。
お盆の帰宅の際、その中の1本「失われた週末」を見る機会があった。

脚本はワイルダーとチャールズ・ブラケットの共同。
主演はレイ・ミランドとジェーン・ワイマン。
1945年のパラマウント作品である。

ワイルダーの出世作にして代表作の1本。
それまで大根役者といわれてた主演のミランドがアカデミー男優賞を受賞して演技派開眼、というオマケまでついた非の打ちどころのない会心作、といわれている。

シネマヴェーラの怖い映画特集に出かける

「ハリウッド帝国の興亡」による影響か、「失われた週末」にはワイルダーの持つ、影の部分、おぞましさを好む陰湿さが濃厚に反映しているのではないか?と思った。
だからこそぜひ見たかった。

内容はアル中に苦しむ作家が恋人の無償の支援を受けて更生に向かうまでの姿。
ワイルダーらしく冒頭のシーンからエンディングに至るまで、人物配置、伏線などに怠りはない。

取ってつけたようなハピーエンドも、それまでの無償の愛を貫く恋人の人物描写が伏線として生きており、何よりスピーデイーに展開する結末のシークエンスが観客を納得させる。

アルコールを求めて街をさ迷う場面

しかしながら決して脇のエピソードとは言えない二つのシークエンスの緊張感はハピーエンドを旨とする当時のアメリカ映画とは思えないものがあった。

一つ目は酒代を求め、質草のタイプライターを抱えて、安息日のニューヨークを質屋を求めてさまよう主人公の描写。
二つ目は酒屋で強盗を働いた挙句、放り込まれるアル中専用の病院内の描写。

アル中病院の奇妙な看護師にあしらわれる主人公

先のシークエンスではドキュメンタルな手法を駆使し、ロケーションによる臨場感を強調し、後者では表現主義的とでもいおうか、デフォルメされた収容病院内の恐怖を強調している。
これら予定調和を無視した緊張感あふれる画面作りは、単にアル中患者の不安定な心理描写ということにとどまらず、カフカの小説の主人公のように不条理にもてあそばれる恐怖を連想させる、劇中でも特異な雰囲気に満ち満ちたシークエンスになっている。

アメリカに亡命を余儀なくされたユダヤ人であるワイルダーが経験したであろう、戦前のドイツ時代からそれ以降の「不条理への恐怖」が色濃くも反映してはいないだろうか。

おまけにというか、さりげなくユダヤ教への絶望、キリスト教へのあきらめも表現されている。
主人公が質屋巡りをする日がユダヤ教の安息日で、ユダヤ人が経営する質屋が全部閉まっており、彼ら(ユダヤ教)からは見放されたという設定と、主人公が前途に絶望し、十字を切るポーズで自殺を暗示する描写である。
一方で主人公を憐れみ、5ドルを恵んでくれた、バーを根城にする娼婦のアパートの目印がインデアンの塑像であることは何の暗示だろうか。

おぞましさ、不条理の描写というと、ルイス・ブニュエルという映画監督を思い出す。
女性の足、靴、ストッキングへのフェチを隠そうともせず、またキリスト教会の権威への明快なオチョクリなど、この御仁の作品はトンデモナイ描写の連続だが、スペイン人でメキシコで映画のキャリアを積んだブニュエルが、どこかすっとぼけた、憎めない、乾いたカラーを持っていたのに比して、オーストリア=ハンガリー帝国出身のワイルダーの描写はひたすら深刻で、暗く、イジワルで痛々しく映る。
その点については、長年の共同脚本家を務めた、ブラケットのワイルダー評は的を得ている。

後年、ワイルダー作品からはこのような直截的な恐怖心の描写は見られなくなったものと思われる。
が、よく見れば「お熱いのがお好き」はギャングから逃れ、女装して楽団に潜り込む追い込まれた二人組の話だし、「アパートの鍵貸します」は、がんじがらめの会社組織で理不尽な上司の要求に逆らえない、出口のない部下たちの話であった。

いずれも巧妙に隠されてはいるが、不条理に苦しむ人物が主人公ではあるのだ。

ワイルダーは生涯、理不尽で不条理な恐怖を己のテーマとして描き続けたのではあるまいか。
その主題を、笑なり、ペーソスなどに落とし込み、起承転末の効いた作劇にまとめあげることができるのがワイルダーの才能であり、ワイルダーのワイルダーたるゆえんであると思う。

ワイルダーのダークの部分が色濃く反映されている作品と思われる、「深夜の告白」(44年)と「サンセット大通り」はぜひとも見たいものだ。
できれば「情婦」(58年)なども。

シネマヴェーラ「恐ろしい映画特集」のパンフレットより

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

「ビリー・ワイルダーと「失われた週末」」への2件のフィードバック

  1. 山小舎おじさんの文章を読んでビリー・ワイルダー作品が見たくなりました。
    息子が入っているAmazonプライム・ビデオで探してみると未見の「深夜の告白」が入っていました。無料で見られることが分かりさっそく鑑賞。サスペンス映画のお手本のような作品で、緊迫感がありました。共同脚本にレイモンド・チャンドラーが加わっており、気の利いた台詞を味わうことができます。
    次の映画の話を楽しみにしています。

    1. 最近はネットで動画を見られるなど、いろいろ便利になりました。
      思えば映画館で見る作品もほとんどがデータ上映です。
      時代は変わりましたが、画質が良い(解析度が良い)のはデータ上映の良いところです。
      新しい時代になっても古い映画への関心を失わずに行こうと思います。

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