「石井輝男キングオブカルトの猛襲」VOL.2 「女王蜂と大学の竜」他を観る

名画座・ラピュタ阿佐ヶ谷で年をまたいで催されている石井輝男監督特集。

先回報告の「戦場のなでしこ」の後、「女体渦巻島」(1960年・新東宝)、「神火101・殺しの用心棒」(1966年・松竹)、「女王蜂と大学の竜」(1960年・新東宝)、「緋ぢりめん博徒」(1972年・東映)と映画館に駆けつけてきました。

石井輝男という映画監督、専属だった新東宝倒産のあとは、東映をベースに松竹、日活と招かれて作品を作っており、単なるカルト系のマニアックな映画監督ではなく、職人としての腕が映画会社全般に買われていることがわかります。

かといって、娯楽的ストーリーをそつなくまとめるだけの監督では全くありません。
それは作品の主題やちりばめられたエピソードを観れば一目瞭然です。

例えば「女体渦巻島」の舞台は対馬で、そこで行われている麻薬と人身売買が背景となっています。

麻薬はともかく、戦後に対馬で日本人が人身売買されていたのかどうかはわかりません。

とはいえ、古くは戦国時代から戦前まで続く、日本人奴隷とからゆきさんの歴史を見ると、占領時代から朝鮮戦争へと続くどさくさの時代の玄界灘の離島にあっては無きにしも非ずと思わせる題材です。

同じく1960年の新東宝作品「女王蜂と大学の竜」ではその背景が戦後闇市時代で、やくざと三国人の抗争が主なエピソードとなっています。

これまた、現在では微妙な題材と言わざるを得ません。

中国訛りのある悪役というのは、藤村有弘から小沢昭一に至るまでカリカチュアライズされた正体不明の悪役像でしたが、今でも可能な描写かどうか?

また、東映では「仁義なき戦い」(1972年・深作欣二監督)、「実録・私設銀座警察」(1973年・佐藤純弥監督)などで闇市における三国人と、日本人やくざもしくは特攻崩れの若者との暴力沙汰が描写されていましたが、今では無理でしょう。

「女王蜂と大学の竜」ではトラックに乗って押し寄せる三国人と、機関銃を備えて迎え撃つ(不発でした)やくざという場面が正面から描かれています。
戦後の渋谷では同様の抗争事件があったのが歴史上の事実です。

この作品では、三国人との抗争が、負の歴史として苦渋に満ちた描写ではなく、無国籍なアクション映画のように軽快明瞭に描写されています。

もうこういう映像は制作されないのじゃないでしょうか。
現在ではタブーへの挑戦になってしまいます。

闇市のセットの念の入りようといい、「女王蜂と大学の竜」には戦後直後の日本の風景の再現という意味で、文化遺産的な価値、をさえ感じてしまう山小屋おじさんです。

また、本作には三原葉子の着流し女やくざに「緋牡丹博徒」の原点があったり、嵐寛十郎が立ち回りでバラセンに巻かれるサディステックなシーンがあったりなど、随所に石井輝男監督の非凡なセンスと独特の好みが見られます。

全体を通して、流動的な時代背景を舞台に、伝統を引きずるやくざの親分(嵐寛十郎)と、自由自在に躍動する若い主人公(吉田輝夫、三原葉子)が三国人相手に大暴れするという映画です。
エピソードも盛りだくさんで、新東宝作品らしい場末感に満ち満ちています。
久しぶりに「明るい・前向きな」映画を観た、とおじさんは思いました。

ちなみにラピュタ阿佐ヶ谷における新東宝作品は、フィルムセンターからの貸し出しによるそうです。
渋谷のシネマヴェーラは、新東宝作品の管理会社から直接貸し出してもらえるそうですが、内情はわかりません。

「神火101・殺しの用心棒」は、ヌーベルバーグを経て混迷期に入った、60年代の松竹に呼ばれて石井監督が作った作品の一つで、香港が舞台です。
若き日の竹脇無我が後年とは違った軽々しさを発揮して、監督のタッチとマッチしています。
現在ではほとんど上映機会のない作品で、貴重な上映でした。

この作品でも背景に、中国の海上民である、虱民と彼らが暮らすサンパンの群れを描写するところに石井監督らしさがありました。
今は一掃されているであろう、虱民の風景だけでも貴重な映画なのかもしれません。

藤純子の後継者に予定していた中村英子という女優売り出しのための「緋ぢりめん博徒」は、中村英子の非力もあり全く様にならない作品となっていました。
出てきた若い女優がことごとく様になっておりませんでしたが、その中では盲目の仕込み杖使いに扮した、藤浩子という女優の暗闇での立ち回りのシーンが雰囲気が出ていました。

中村英子は「仁義なき戦い」で梅宮辰男扮する悪魔のキューピー・大西の情婦役をやり、短い登場時間でしたが印象深かったです。
この人は、のちに山口組三代目の田岡組長の子息と結婚。
一子を設けた後自殺しています。

「仁義なき戦いシリーズ」は、既成の女優を別人のように輝かせる舞台でした。
中村英子のほかに、梶芽衣子、池玲子などが印象印に残っています。
これに「仁義の墓場」の多岐川裕美、「人切り与太」の渚まゆみを加えると、深作欣二監督の女優の活かし方には刮目せざるを得ません。

いずれの作品も女優さんを無理にフーチャーするのではなく、無茶苦茶する男どものあくまでも脇として使い、理不尽な状況の中で耐える女の魅力を引き出していることに気づきます。
耐えるだけではなく、控えめながらも状況に抵抗する彼女たちの哀れにも凛とした姿が忘れられません。

ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーでは往年の映画スターのプロマイドが売られています。女優さんの写真はよく売れるそうです。

ロビー奥には書籍コーナーもあります。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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