ジョセフ・ロージーは舞台演出家出身のアメリカ人映画監督。
ユダヤ人ではない。
左翼系演劇時代にはドイツから亡命中のベルナルド・ブレヒトとも協働したという。
制作者ドーリ・シャリーの引きでハリウッドに渡り、「緑色の髪の少年」で映画デヴュー。
シャリーはMGMを皮切りに、セルズニックプロ、RKO、ふたたびMGMと渡り歩いたプロデユーサーで、「少年の町」(1938年)、「らせん階段」(1946年)、「十字砲火」(1947年)、「二世部隊」(1951年)、「日本人の勲章」(1955年)などを手掛けた。
中でも、当時(今でも)マイナーな存在の日系人とその差別問題をさりげなく取り上げた「二世部隊」「日本人の勲章」はユニークなテーマ性を持っており、シャリーの特性を表している。
進歩的映画人に寛容なシャリーが、左翼のジョセフ・ロージーにデヴュー作を撮らせることになる。
ロージーは、ハリウッドで5本ほど監督(「緑色の髪の少年」(48年)、「暴力の街」(50年)、「M」(50年)、「不審者」(51年)、「大いなる夜」(51年))するが、1951年非米活動調査委員会の影響によりブラックリストに載り、アメリカを脱出。
以降イギリスを本拠にヨーロッパで活動し、最後までハリウッドには戻らなかった。
代表作に「エヴァの匂い」(1962年)、「できごと」(1967年)、「恋」(1970年)など。
ビスコンテイやベルイマンと同じく舞台演出家としても高名なロージー作品には、ジュリー・クリステイー(「恋」)やアラン・ドロン(「暗殺者のメロデイ」(72年)、「パリの灯は遠く」(76年))、ジェーン・フォンダ(「人形の家」(73年))などのスターが出演することでも知られた。
シネマヴェーラ渋谷のilm gris特集では、ロージーの貴重なハリウッド時代の作品が取り上げられた。
「緑色の髪の少年」 1948年 ジョセフ・ロージー監督 RKO
戦争孤児で親戚のおじさんと暮らす少年の髪の毛が緑色に変わった。
少年は仲間にいじめられて家出する。
緑色の髪は戦争の悲惨さに対し人々に注意を向けさせるための象徴だと気づいた少年は町に戻り、人々に説くが、人々は受け入れない。
戦後すぐに起こった核実験や反共の嵐。
時代に流されて疑問を感じない人々。
これらへの警鐘をテーマとした反戦寓話。
緑色の髪の毛を表現する意味もあり、カラーで撮られた。
ナイーブなテーマと平板な造りに初々しさを感じるジョセフ・ロージーのデヴュー作。
少年のおじさん役のパット・オブライエンが味のある演技を見せる。
髪の色が変わった少年を精神医学的に分析する博士にロバート・ライアンだが、性格上特色のない役でロバート・ライアンを使うのはもったいない感じもした。
映画的興奮と過度なテクニックの使用を避け、淡々とした描写に徹するロージーの持ち味がデヴュー作で早くも発揮されているのが興味を引く。
「不審者」 1951年 ジョセフ・ロージー監督 ユナイト
ロージーの長編4作目。
力のこもった一編に仕上がっている。
サイコパス気味の警官(ヴァン・ヘフリン)が、夜を一人で過ごす人妻(イヴリン・キース)にほれ込み、パトロールがてらの訪問を繰り返す。
偶然二人が同郷だったことなどから打ち解け、警官の手練手管もあって二人は恋人関係に。
警官はパトロール中の事故を装い、人妻の亭主を射殺。
裁判で無罪を勝ち取り、人妻と結婚する。
ここら辺から二人の力関係が変わってゆき、予定外の妊娠から完全犯罪がばれるのを防ぐために、砂漠の廃墟に逃げ込んむ頃には、開き直って堂々とする女と、嘘にうそを重ねようとあたふたとする男と、二人の心理的状況が逆転する。
全体を通して芸達者なヴァン・ヘフリンの一人芝居ともいうべき演技力に支えられている。
好人物役が多いヘフリンだが、サイコパス気味の役も上手に演じ、悪徳警官の小悪党ぶりから、自滅に向かうあたふたぶりまで大車輪の演技を見せる。
監督であるロージーの関心は、サイコパスによる犯罪映画にあるわけではないので、途中からヘフリンの異常ぶりは薄められ、「ひょっとして人妻に横恋慕しただけの小心な小悪党」だったのか、と思わせる。
むしろ土壇場での「開き直った強い女心」の潔さ、あるいは「不正は正直な正義の前には所詮無力」であることを描きたかったのか。
夜のシーンが多く、光と影を塩梅した撮影が秀逸で、一見サイコサスペンス調の映画でありながら、平凡な人物の奥底に潜む異常性と小心さとその破滅を描いた作品。
力がこもるのは演じる役者であり、作る側は淡々としてクールに人間性を描くというのがロージーらしい。
「大いなる夜」 1951年 ジョセフ・ロージー監督 ユナイト
この作品を最後にハリウッドのブラックリストに載ったロージーがアメリカを離れることになる、上映時間73分の中編。
都会の下町のバー。
17歳の主人公が尊敬する父がマスター。
父は離婚している。
主人公の17歳の誕生日。
父はバースデーケーキを作ってくれた。
その夜に新聞記者をやっている街のボスがバーにやってきて、父をステッキで殴り倒す。
黙って耐える父。
主人公は耐えきれず、ボスへの復讐を誓って夜の街をさ迷う。
バーの引き出しにあった拳銃をもって。
夜の歓楽街で見知らぬ大人と仲良くなったり、女性と初めてのキスをしたり、ボスに詰め寄って拳銃が暴発したり。悪夢で始まった少年の一夜は、迷宮のような大人の世界に翻弄される。
突然降りかかった不条理な悪夢は、当時の反共の世相の恐怖感を反映したものか。
権力の象徴としてのボスの存在。
少年が交わる大人の世界の猥雑さ、権力者へのスリより、手のひら返しは、世間一般の頼りなさ、ご都合主義を表しているのか。
主人公の少年のナイーブさ、頼りなさ、解決能力のなさは、現実的なロージーの世界観を反映しているのか。
ショッキングな設定ながら、地味に淡々とした描写に終始するところがロージーらしい。
彼が求めるのは映画的テクニックによる興奮ではなく、役者の演技を通しての熱量なのだろうから。