山中貞雄という映画監督が戦前にいました。
脚本家を経て監督となり、20代のうちに26本の時代劇を監督。
28歳で出征先の中国で戦病死しました。
山中監督の作品2本を見る機会がありました。
「丹下左膳餘話 百萬両の壺」 1935年 山中貞雄監督 日活
片目片腕のニヒルな剣客・丹下左膳が用心棒兼ヒモとして、寄宿している射的屋の女将とともに、貰い子を巡って右往左往する作品。
もともとは異形の怪人として、数々の作品にフィーチャーされてきた丹下左膳に思いきった解釈を加えた山中監督の快作。
屈折した性格で、剣を抜けば神がかり、の怪奇派である左膳が、女将の尻に敷かれ、射的屋の座敷に寝そべっている。
女将(有名な芸者の新橋喜代三が演じて存在感十分)が得意の三味線で歌いだすとそそくさと逃げ出すといダメ亭主ぶり。
後の活躍の伏線とするために、ショバ荒らしのやくざを追っ払う時の颯爽とした動きの描写も忘れないが。
女将は「子供なんて嫌いなんだよ」といいながら次のカットで子供に飯を食わせている。
「竹馬なんていけません」と説教した次のカットで、嬉しそうに子供と竹馬で遊んでいる。
道場に通わせようとする左膳と、寺子屋だという女将が夫婦喧嘩。
次のカットで寺子屋へ通う子供。
脚本は十分に練られている。
人斬りのシーンの素早い凄惨さ、道場破りのシーンでのとびかかるような腰が入ってバネの効いた動き、は大河内傅次郎自身が持つ、目を見張るような凄さ。
これを最後まで封じて、子煩悩なヒモを演じさせる山中演出の新しさ。
タッチは乾いていないが日本流のソフィステイケーテッドコメデイのようだ。
大河内演じる左膳のコメデイアンぶりもいいが、女将さんを演じる新橋喜代三の貫禄、色気も存在感十分。
いいキャステイングだった。
「人情紙風船」 1939年 山中貞雄監督. PCL
山中監督出征前の作品。
「あれが遺作では寂しい」と本人が出征中に述懐したという。
作品を貫く庶民目線(反権力)の精神を、細かいところまで練られた脚本で見せる。
長屋に住む落ちぶれた武士が、地位のあった父のツテを頼って権勢をふるう御家人に取り入ろうとするが相手にされない。
一方長屋の住人達には、目が見えるとしか思えない按摩がいたり、やくざのショバで賭博をしては逃げ回る職人崩れがいたり。
長屋の住人の描写がユーモラスでブラックで面白い。
落ちぶれた武士をあしらい続け、出入りのやくざを使ってまで排除する御家人と豪商の描写もシニックでリアリステックだ。
職人崩れが、豪商の放蕩娘を誘拐して、彼らの鼻をあかしたりもする。
が、庶民側の抵抗もここまで。
職人崩れはやくざの親分と果し合い、落ちぶれた武士は万策尽きて長屋で妻と心中する。
庶民目線の精神は、時代の暗黒を前にペシミステックな結末となる。
山中監督の「この作品が遺作では・・・」という述懐は、戦争に向かう時代の暗黒を色濃く反映した作品を遺作にはしたくなかったということなのだろう。