DVD名画劇場 ”ゲルニカ・モナムール” アラン・レネと戦争の記憶

アラン・レネ

1922年フランス生まれ。
幼少から映画に興味を持つ。
俳優を目指しパリに向かうがのちに映画編集を学ぶために高等映画学院に入学、ジャン・グレミヨンに影響を受ける。
短編映画を撮りはじめ、「ゲルニカ」(50年)、「夜と霧」(55年)などに結実。

59年には『フランス人である我々が、日本人が体験した原爆被害をどこまで知ることができるのか』をテーマに、ヌーヴォー・ロマン派の作家マルグリッド・デユラスに脚本(テクスト)執筆を依頼し、長編第一作「二十四時間の情事」を日仏合作で製作。

ヌーベルバーグの潮流に乗っての長編デヴューでもあったが、ゴダール、トリュフォーらのカイエ・デユ・シネマ派とは異なり、テクスト(脚本=文学性)を重要視し、『社会参加の意識が強く、自分たちの左翼的意見を隠そうとはしないし(後略)』(マルセル・マルタン著「フランス映画1943ー現代」1978年合同出版刊 P94)という「セーヌ左岸派」に属した。

代表作に「去年マリエンバートで」(61年)、「戦争は終わった」(66年)。
70年代以降も2014年の遺作発表まで旺盛な制作意欲を見せる。

アランレネの初期作から、反ファシズム・反戦を製作動機とした「夜と霧」「二十四時間の情事」を見る。
レネの原点は、スペイン市民戦争のファシズムによる弾圧を糾弾したピカソの力作「ゲルニカ」をモチーフにした初期の短編作品にあった。

アラン・レネ

「夜と霧」  1955年  アラン・レネ監督   フランス(アルゴスフィルム)

戦後10年、アウシュビッツ収容所解放から10年後に作られた作品。
ドイツによるユダヤ人絶滅収容所の全貌を初めてまとめた映画とされる。

10年後のアウシュビッツ(現地名:オシビエンチム)の夏草に覆われた風景のカラー画面から始まる。

ドイツ国内のナチス党の政権樹立から、ユダヤ人の排斥・強制収容、そして収容所の実像へと時系列に時代を追ってゆく。
家を追われ、貨物列車で移送されてゆくユダヤ人たちの姿は、北米で資産放棄の上、僻地のキャンプに強制収容された日系人を思い起こさせる。

ドイツの戦時収容所にはユダヤ人だけでなく、ドイツ人の政治犯、刑事犯も収容されていたこと。
所内には楽隊や動物園、保育園などがあったこと。
粗暴な看守に対抗する抵抗組織があったこと。
看守用の売春施設(女囚が売春婦)や監獄まであったこと、が語られる。
この時点までは収容所が、刑務所だったり捕虜収容所的な色彩を持っていたということだ。

1942年に親衛隊長ヒムラーがアウシュビッツを視察し『生産的に処分せよ』と指示してから、アウシュビッツが絶滅収容所になった。
ガス室と大規模な火葬施設が作られた。
のちに火葬施設が不足し、死体はバーナーで焼かれたり、野焼きされた。
死体の毛髪は毛布に、遺灰は肥料に転用された。

1945年には収容人数を10万人規模に拡大するとともに、囚人を労働力として活用すべく、ジーメンスなどの国内企業が進出した。
そして連合軍の進出により解放された。

映画は『この責任はだれにあるのか。今も戦争は終わっていない。』と語って終わる。
連合軍の解放場面に問題の解決感は漂わない。
『900万人の霊がさ迷う』とのナレーションも。
この数字は事実誤認とはいえ、フランス映画らしい真実追及の客観性に満ちた作品である。

製作はアナトール・ドーマン。
独立プロ:アルゴスフィルムを立ち上げ、後に「男性・女性」(66年 ジャンリュックゴダール監督)「バルタザールどこへ行く」(66年 ロベールブレッソン監督)などの意欲作をプロヂュースし、「愛のコリーダ」(76年 大島渚監督)「パリ・テキサス」(84年 ヴィムベンダース監督)までを作った。

テクストを書いたジャン・ケロールは収容所から生還した作家。
その言葉は作品のナレーションとして語られる。



「二十四時間の情事」  1959年  アラン・レネ監督  日仏合作(大映=アルゴスフィルム)

この作品はいくつもの切り口を持っている。

・監督アラン・レネの「ゲルニカ」「夜と霧」から続く『戦争の傷跡を告発する』作品の系統から。
・大映とアルゴスフィルム(永田雅一!とアナトールドーマン!)のダイナミックこの上ない邂逅と企画実現の経緯から。
・欧州戦争の癒えぬ残像にヒロシマを重ねた脚本のマルグリッド・デュラスの着眼点から。
・欧州と広島という難しい二つの悲劇を奇蹟的に結合させた主演のエマニュエル・リヴァの存在から。

それらの切り口のいずれもが化学反応を起こしたハレーションゆえに、この奇蹟的な映画が誕生したことがわかる。

映画はケロイドの腕が自らの体を撫でまわすシーンと、汗にまみれた男女の腕がお互いの体を撫でまわすシーンのモンタージュから始まる。
短編映画「ゲルニカ」でピカソの絵画を撫でまわすように撮ったアラン・レネの真骨頂だ。
病院の廊下や、原爆資料館の展示物を撫でるようにとらえる移動撮影がモンタージュされる。

反戦映画のロケで広島を訪れているフランス人女優(エマニュエル・リヴァ)と日本人建築家(岡田英次)が出合う。
いや出会いは描写されない。
二人が汗みどろになって抱き合っている場面が二人の出会いのスタートだ。
翌朝、ベッドでコーヒーを飲んだり、一緒にシャワーを浴びるシーンもあり、デユラスの脚本は男女関係の描写が生々しい。

ホテルの部屋で、翌日の朝

男女の出会いに理屈も何もない、出会った以上は生々しい関係こそ不可欠。
これはフランス映画らしさであり、脚本のマルグリッド・デュラスらしさでもある。
のちに自伝的小説「愛人ラマン」を発表する、仏印サイゴン生まれのデユラスらしく、フランス女性がアジア人の現地人と性愛関係を結ぶ設定はこなれている。

エマニュエル・リヴァのナレーションでデユラスの脚本が語られてゆくことのこの上ない心地よさ。
デユラスのセリフを忠実に、まじめに再現してゆくエマニュエル・リヴァ(と岡田英次)の信頼感というにふさわしい演技。

ロケ地まで女を追った男

東洋人と相対する白人女優ということで、心配があったが、岡田英次と対するときのエマニュエル・リヴァには、若干の戸惑いはあったものの、時には好奇心に彩られた信頼感にあふれ、上から目線の蔑みなどはなく、自らの演技に徹しているのがよくわかる。

妻のいない自室に女を招く男

二人は二度の逢瀬(彼女の宿泊先と彼の自室)を経て、離日の時を迎えるが、それまでの空き時間、広島の町を愛する彼女とともに過ごす、繁華街の「テイールーム・どーむ」という名のカフェで。

このカフェ(バーというか洋酒居酒屋というか)での二人のやり取り(リヴァのほとんど独演)がこの映画のハイライトだ。
広島にとどまれと迫る男。
男に惹かれながらも、戦争中の心の傷が癒されない女。
彼女にとってその身がパリにあろうとも、広島に在ろうとも安らぎとはならないのだ。

テイールーム・どーむにて

女は18歳の時、ヌヴェールという地方都市でドイツ兵と恋に落ちた。
生まれて初めての恋に『死んでもいい』と思った。
ヌヴェールに解放軍がやって来るその日に恋人は、待ち合わせのローヌ河畔で狙撃され、彼女の腕の中で死んでいった。
彼女はドイツ兵と通じたことで髪の毛を刈られ、また家族によって地下室に閉じ込められた。
現在のパリの家族にもあかしていない傷だった。

ヌヴェールで初めての恋に喜びを隠せない女

ヌヴェールでの傷を告白し、目の前の男との愛に悩む女。
テイールーム・どーむで女の苦悩が語られる。
その顔に照明は当たらない。
女が男の腕に崩れ落ちたとき、男の腕に当たっていた照明が女の顔を捉える。

まさにこの映画の核心を表すような、暗さを基調にした照明は大映スタッフのなせる業なのか。
「夜の河」(56年 吉村公三郎監督)で山本富士子の京都のお茶屋でのラブシーンを徹底したバックライトで表現した、大映京都の職人・岡本健一の照明を思い出す。

テイールーム・どーむにて、自らの傷を打ち明ける女

また、テイールーム・どーむでのシーンに、日本の歌謡曲や盆踊りの音がかぶさる。
特に歌謡曲が流れ、女のヨーロッパでの忘れられない傷が語られる場面は、時空を超えた異化効果に満ちた場面となった。
まったく異なる文化、地域が画面で融合する。
背景にはアラン・レネの『撮影地日本に対する前向きな好奇心』があったのだろう。
これがデユラスの脚本にあったのだとしたらその創作力に感服する

ヒロシマとヌヴェールを対比させ、融合させる試みを持った作品。
ヒロシマに対する表面的な理解(これについては、女に向けて『君は広島で何も見ていない』と男に語らせている)に対して、ヌヴェールで女が生涯の傷を追う描写の数々の深刻さ、残酷さが格段にリアルで、そこにフランスと日本の認識の断絶が表れてもいるが。

女と男は語り合ううちに、忘れることに恐怖しつつも、ヌヴェールを忘れてゆき、男に対し『あなたの名はヒロシマね』という。
男は『君の名はヌヴェール』と言って映画は終わる。
戦争と、恋と、故郷に傷ついた女性にとってこれは救いの言葉なのだろうか。

広島駅の待合室にて

長編第一作が日仏合作映画というアラン・レネ。
己のスタイルを崩さず、かといって脚本のヂュラスへのリスペクトも維持し、またロケ地日本への好奇心と尊重もある作品を作った。
山場のテイールーム・どーむでの男女の芝居の演出も上手かった。
これにはスタッフの協力もあるが、スタッフの協力を引き出すのも才能だろう。

エマニュエル・リヴァはロケで広島に滞在中に自らのカメラで広島の町をスナップしていた。
のち(2008年)にその写真集が日仏で出版された。
当時の広島の街角や市井の人の日常が写っている内容だったが、彼女の被写体に向けての親しみと好奇心にあふれたものだった。

また、はるか昔に見た本作は、大映マークで始まる日本配給版で、大映マークの後にはお馴染みの『製作 永田雅一』と縦書きのクレジットがあった。
アラン・レネ作品にしては、と激しい違和感を感じた事を思い出すが、居間にして思うのは、大映スタッフの全面協力がなければなしえなかった企画であったろうということである。


(おまけ) 1982年3月のアウシュビッツ

山小舎おじさんがアウシュビッツを訪れたのは、バックパッカー旅も1周年を迎えたころ、今から43年前のことでした。

西ベルリンのポーランド大使館(領事館?)で50マルク(5000円ほど)でポーランドの10日間だったか1週間だった加のビザを入手。
西ベルリンから列車でポーランドのポズニナへ入りました。

アウシュビッツ(現地名:オシビエンチム)はローカル列車しか止まらないため、最寄りのカトビツェという中都市まで行きました。
カトビツェの町は、石炭ストーブを燃やしたススの臭いが漂っており、かつての北海道の冬を思い出させました。

当時のポーランドはバックパッカーには塩対応でした。
まず安宿(国営旅行会社直営の宿、ユースホステルなど)が見つかりずらい上に、たどりついても宿泊を断られることがありました。
また、街行く人はうつむいて早足に通り過ぎてゆくイメージです。
話しかけてくるのは、ドルと現地通貨を交換したがる闇両替の男くらいでした。
当時のポーランド・ズロチの闇レートはドルと交換すると使えきれないくらいズロチをもらえました。
また、観光案内所以外に英語が通じる場所がない印象です。
レストランではメニューはあるものの、あれはないこれはないで、出てくるのはビーツの真っ赤なスープ(そこに餃子が浮かんでいることも)だけのことが多くありました。

カトビツエから、窓が汚れ、なんだったら割れたままの普通列車でオシビエンチムの駅へ。
そこから路線バスで収容所跡へ行きました。
下りる停留所がわからずキョロキョロしていると、乗客の女性がここだよと教えてくれました。

収容所跡は整備させれた博物館のようになっており、観光客がチラホラいました。
卒業旅行で来ている、富山県滑川出身の慶応大学生と知り合いました。

”アルバイト・マハト・フライ”という、囚人に労働を喚起する収容所の標語が、よくみる写真そのままにゲートに掲げられていました。

靴やメガネなど囚人の遺品がほこりにまみれてガラス越しに積み重ねられていましたが、女性から刈られたであろう遺髪の山の金髪が記憶に残っています。

2段ベッドが連なる収容室の中央には、むき出しの水洗トイレがありました。
収容室の床はタイル張りだったと思います。
囚人の尊厳は否定しつつも、清潔に留意し、尊厳以外の部分は合理的に運営しようとするところにドイツ人らしさを感じました。
「夜と霧」に出てくるトイレは穴が開いただけのものが並んでいましたが、そういった場所もあったのでしょう。

ガス室と火葬施設ですが、レンガ造りのガス室はともかく、同じくレンガ造りで一人ずつ焼くスタイルの火葬施設が2基だけ並んでおりました。
これじゃ大量に焼けないな、と思ったものでした。
「夜と霧」では大規模な火葬施設と野焼きの場面がありました。

広大な収容所跡を巡っているとたった一人になることが多くありました。
既に戦後37年を経過し、地元のポーランドにはほぼ縁がなく、しかし膨大な費用が掛かる(費用負担はだれが?)であろう収容所の背景はいったい?

マルグリッド・デュラスが「二十四時間の情事」のテクストで冒頭に喝破したように『アウシュビッツの何も知らず、何も見ていない』のです。
ましてや戦争を知らない世代の東洋からの旅人においては。

茫漠たる思いに駆られながら売店で、”アルバイト・マハト・フライ”を掲げた門の絵葉書を買って送った記憶があります。
ここへ来た記念としてのみの意味として。

アウシュビッツを見た後、クラコフ、ワルシャワと移動しました。
ワルシャワでは、ユダヤ人ゲットー跡とされる場所に行ってみました。
そこには巨大な壁のようなモニュメントが建っており、周辺は数階建てのアパートが整然と並ぶ団地になっておりました。
ソ連軍の到着を目前にしたワルシャワ市民が占領軍に対して立ち上がった、ワルシャワ蜂起の記録フィルムが見たくて旧市街にある博物館にも行きましたが、英語が通じないうえに休館でした。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第5集) テリー・サザーン、ラス・メイヤーの世界

「カジノロワイヤル」  1967年  ジョン・ヒューストン他監督  コロムビア

ハリウッドで長年、ジョーン・ベネットなどスターの代理人や「赤い河」(1948年)、「七年目の浮気」(1955年)などの製作を行ってきたチャールズ・フェルドマンが、そのキャリアの最後に、ユナイト製「007」シリーズ(1962年「ドクター・ノオ」でスタート)とは別系統で作った、イアン・フレミング原作のジェームス・ボンドものの一作。

ショーン・コネリー主演のユナイト製「007」シリーズのパロデイやら、映画史の楽屋落ち、東西冷戦の冷やかしまでがてんこ盛りで、ボンドを誘惑する女性陣のお色気衣装も楽しめる。
ピーター・セラーズの「ピンクパンサー」的なオトボケ演技や、今を時めく(もう終わったか)ウッデイ・アレンのお笑い芸人時代の自虐ネタも存分にちりばめられている。

引退して悠々自適のジェームス・ボンド(デヴィッド・ニブン)が世界征服を企む悪の組織スメルシュの首領ドクター・ノアをせん滅すべく立ち上がる。
ボンドの前には様々な美女(デボラ・カー、新人ジャクリーン・ビセットら)が立ちはだかる。
一方、ボンドを助ける美女たち(「007は二度死ぬ」から連続出演?のウルスラ・アンドレス、ジョアンア・ブテイット、バーバラ・ブーシェら)も百花繚乱。

マタ・ボンドが西ベルリンに潜入する。ジョアンナ・プテイット
ボンド役のデヴィッド・ニブンとバーバラ・ブーシェ

ゲストスターのもったいなさも、この作品のてんこ盛り的な荒唐無稽の表れ。
カジノ王役で出演し、賭博場でなぜかマジックを見せてご満悦なオーソン・ウエルズ。
チョイ役で、ウイリアム・ホールデン、ジョン・ヒューストン、ジョージ・ラフト、ジャン・ポール・ベルモンドが使い捨て風のキャステイング。
これらの配役に全く必然性と関連性がないのもいい。
スターらに手当たり次第に出演打診し、OKの返答の順番に、1日か2日で撮ったのか?

エピソードごとの関連性もなく、ストーリーの展開に必然性もない。
5人ほどの監督(ヒューストンのほか、ロバート・パリッシュ、ヴァル・ゲスト、ケン・ヒューズ、ジョセフ・マグラス、と監督の選出にも一貫性なし)に各パートを任せ、全体の責任を持つ演出者は置かなかったのだろう。
結果として、個々のエピソード、場面に見るべき点はあったものの、それらに統一感はなく、”混沌”と”支離滅裂”に貫かれた作品が出来上がった。
デヴィッド・ニブンを狂言回しに、セラーズとアレンの芸、女優陣のお色気、パロデイで場をつないでゆく。

ピーター・セラーズを誘惑する若きジャクリーン・ビセット

冷戦下のベルリン。
東西の壁を挟んで”、片や”ブルーエンジェル(「嘆きの天使」)”名のキャバレーネオンが怪しく輝き、その足元で売春婦が蠢く西側。
カメラがパンすると、壁際に兵士と鉄条網、全体を覆う赤いライテイングに重苦しいBGMが流れる東側が映しだされる。
鉄のカーテンの硬直ぶりと資本主義の堕落ぶりを揶揄するハリウッド”鉄板”の東西冷戦描写だが、そのあからさまぶりが、わかりやすくて面白い。
ロンドンからタクシーでやってきた、女スパイのマタ・ボンドが潜入する西ベルリンのキャバレーの建物内部は「カリガリ博士」をカリカチュアした(オマージュではない)アヴァンギャルド風書割セットという徹底ぶり。
当時の東側体制とドイツ文化は、ハリウッド映画にとって風刺の対象だったことがわかる。

往年のスター、デボラ・カーとオーソン・ウエルズはそれぞれ自らのパロデイを演じている。
スコットランド出身のカーは、ボンドを誘惑しつつもその魅力に陥落して修道院に隠居する貴族役。
映画の末尾で、清楚な修道女姿で登場し、ボンドに寄付を乞う。
「白い砂」などで、その代表的イメージにもなった修道女姿のパロデイを自ら演じる。

オーソンは巨魁の黒幕役という、近年の自らの役柄に沿った姿で登場。
唐突にマジックを披露するが、マジックはオーソン、プライベートでの趣味だった。

こうしてかつての主演スターが自らのパロデイもしくはプライベートな芸を披露。
ここまでくると彼らにとっての最後の売り物は、過去の名作で着た衣装くらいではなかろうか。

カジノでのオーソン・ウエルズ。ウルスラ・アンドレスも見える

60年代の終わりに当たって、映画はかつてのように人気スターの主演で商売できる時代を終えていた。
で、次の時代の売り物は何か?
悲惨な現実社会を等身大に描くことか、ナンセンス・パロデイに逃げることか、ヒッピー・ドラッグなど別の価値観に向かうことか。

ナンセンスとパロデイの線を目指した本作だが、どうしたことかそのズレ感が痛々しい。
だが本作に価値があるとしたら、堂々とズレに徹したその鈍感ぶりにある。
大スターのありがたみをぶち壊した功罪もあるが、時代の流れか。

バート・バカラックのテーマ音楽がゴキゲンにタイトルバックから流れ、脚本のテリー・サザーンのブラック感覚は60年代のサブカルチャームードにマッチした。

本作の後、映画は吹っ切れたように徹底した現実描写や、徹底した戯画化や、徹底したサブカルチャーに向かうことができたのではないか。



「キャンディ」  1969年  クリスチャン・マルカン監督   米・仏・伊合作

監督のマルカンはフランスの俳優で監督は2作目。
テリー・サザーン原作の映画化権を買取り、友人のマーロン・ブランドに出演を依頼、その影響でリチャード・バートンらビックネームの出演を実現、ABCフィルムズから資金を引く出すことに成功した。

原作者のテリー・サザーンは、「博士の異常な愛情」(64年)、「カジノロワイヤル」(67年)、「イージーライダー」(69年)、「マジッククリスチャン」(70年)などの脚本で知られるブラックユーモア感あふれる作家である。
「キャンディ」は、だれよりもサザーン印あふれる作品だった。
主演のスエーデンの若手女優エヴァ・オーリンのふわふわムード溢れる存在感が何より際立ってはいたが。

インチキ詩人の講演を聞く高校でのキャンデイ

ミニスカート全盛時代のアメリカのハイスクール。
その他の女子高校生に交じって登場するエヴァ・オーリンのマシュマロのようなキュートさ。
講演に招かれたインチキ俗物詩人のリチャード・バートンならずとも、魂を吸い取られてしまいそうだ。

キャンデイ・クリスチャン(オーリン)の家には庭師(リンゴ・スター)がいる。
家に入ってはいけないと命じられているが、地下のビリヤード台の上でキャンデイを犯してしまう。
かねてより惹かれていたようだ。

ニューヨークへ向かう飛行場で、空てい部隊の飛行機に助けられたキャンデイ一行。
彼女の愛くるしい姿を見て、部隊長のゴリゴリの国粋軍人ウオルター・マッソーが色気づいて(里心がついたというのか)しまう。

ニューヨークに着いたキャンデイは、けがをした父親をヒスパニック系の名医(ジェームス・コバーン)に診せる。名医には看護婦の愛人軍団がついている。
名医に口説かれたキャンデイは愛人にひがまれ、妨害される。

シャルル・アズナブール扮するせむしの浮浪者に犯されそうになり、ヒッチハイクで逃げ込んだトレーラーには、ラスボス、マーロン・ブランドのヨガのグルがいる。
もちろんインチキ修行者だ。

キャンデイことエヴァ・オーリン

60年代アメリカを象徴する、芸術家、軍人、医療者、ホームレス、スピ系のインチキぶりを暴くのは原作者テリー・サザーンの得意とするところ。
その暴き方も、毒が効いている。

軍人は『アカとヒッピーたちを叩き潰す』と念仏のように唱え続け、名医はその手術を観客の前でエンターテイメントの如くショーアップするが、肝心な部分は助手に任せる。
ヨガのグルは魂のレベルアップを説きながら腹が減るとジャンクフードを貪り食う。

全部に共通するのは、一皮めくるとただのスケベなおっさんという、その一点だ。

社会の権威者らに毒づく一方で、さりげなくアメリカ社会の現状も揶揄する。
名医がヒスパニック系で差別を逃れるため名前を変えており、かつ病院の掃除婦をしている実母を邪険にしていたり。
メキシコ人や日本人を差別するアメリカ人をからかったり。
ニューヨークのギャング社会の女に対する凶暴さを生々しく表現したり。

それにしても、マルカン監督と親しいというブランドの怪演はいいとして、リンゴやアズナブールはどういう経緯で出演したのか。
ギャラは歩合制だったらしいが出演して後悔はなかったのか。
気になる所だ。

キャンデイは、まさに現代の生き地獄をさ迷うイノセントな聖女の如く、完璧なプロポーションで迷える男たちに施しを与える。
エヴァ・オーリンはキャンデイを具現化した存在だった。

テリー・サザーンは18世紀の小説「カンディード」をモチーフに「キャンデイ」を書いたといわれる。
青年カンデイードの”地獄巡り”とその果ての悟りを描いた18世紀の物語は、美少女キャンデイに置き換えられて20世紀に蘇った。

「カンデイード」は、モンド映画を世に広めたイタリアのグァルティエロ・ヤコペッテイにより映画化もされている。
「ヤコペッテイの大残酷」(1974年 原題:MONDO CANDIDO)として。

こういった共通点をたどると、「キャンデイ」はアメリカ版モンド映画なのかもしれない。


「ワイルド・パーテイ」   1970年   ラス・メイヤー監督 20世紀FOX

ドラッグカルチャー世代感満載の70年代ムービー。
製作監督はインデイペンデント界の雄ラス・メイヤー。
巨乳好みのエロムービーの巨匠で、初のメジャー配給作品だ。
製作にはFOXの支配者ダリル・F・ザナックが当然一枚かんでいる。

「哀愁の花びら」(67年 マーク・ロブスン監督)の続編ではない、とのコメントが流れて映画は始まる。
芸能界の舞台裏を描いた同作の続編として企画された「ワイルド・パーテイ」だが女性の原作者から、原作との関連を拒否されたといういわくつきの作品。
原題は「BEYOND THE VALLY OF THE DOLLS」で、「哀愁の花びら」の原題「VALLY OF THE DOLLS」をモロに意識しているのだが。

安っぽいガールズバンド(白人二人は巨乳)がマネージャーとともに、西海岸に流れてくる。
ドラッグとセックスとヒッピーの西海岸に。

メンバーの一人が叔母さんの遺産を継ぐとか継がないとか。
黒人のメンバーに同じく黒人のボーイフレンドができたとか。
エッジが効いているバイセクシャルなプロデユーサーの推しでメジャーデヴューし、テレビ出演するほどの売れっ子になるとか。
パーテイにたむろするジゴロとねんごろになったメンバーが、ボーイフレンドだったマネージャーを振ったとか。
振られたマネージャーがポルノ女優とデキるとか。
どうでもいいエピソードが展開する。

毎晩繰り広げられるパーテイ

エピソードをつなぐカッテイングの早さ、ところどころに光る構図の鋭さ。
大戦中の記録映画からのキャリアを誇るメイヤー監督の感覚が随所にみられる。
カッテイングの合間合間に、巨乳やヌードを挟むところも抜け目ない。
ポルノ女優がバンドのマネージャーに仁王立ちして別れを宣言する堂々たる仰角の構図は、監督の女性に対する憧憬、信仰が表れているようで感慨深い。

芸能界の虚構をテーマとしながら、だらだら続くエピソードの羅列が一変するのがラストの残劇描写。
両刀使いのプロデユーサーが、自身のセキュシュアリテイーか、アイデンテイテイかをジゴロに侮辱されてから一変し、狂気のバイセクシャル女装マンと化す。

女装マンは、”伝説の剣”でジゴロの首を刎ね、眠っている女性の口にピストルを突っ込み引き金を引く。
同年に起こったシャロン・テート邸での惨殺事件に影響されたともいわれるこのシークエンスは、のちのバイオレンス描写に影響を与えたらしい。
シャロン・テートが「哀愁の花びら」の主演の一人だったことも不吉な縁だ。

楽屋落ち、スターのプライバシーへのからかいが”芸”の一つでもあるハリウッド文化が、実際の惨殺事件ですらパロデイの材料とし始めたということか。

ヒッピーに顔をしかめる大人がいる、黒人が付き合うのは黒人だけ、ヒスパニックや東洋人の影はほとんどない時代の西海岸。
ドラッグとセックスは欠かせない業界人の世界。
ついでにドイツ人とナチスに対するからかいも欠かさない。

出演者全員が無名で、この作品を出世作として世に出ているわけでもない。
これぞラス・メイヤーのインデイペンデント魂か。
安っぽい描写の中にも時々ぴかっと光る映画人魂があった。

ラス・メイヤー

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第4集) 蝋人形館の”旧と新”

「肉の蝋人形」(MYSTERY OF THE WAX MUSEUM) 1933年  マイケル・カーテイス監督  ワーナー

1921年のロンドン。
蝋人形館に命を懸ける男がいた。
生命を賭けた傑作人形マリー・アントワネットの出来栄えは男の自慢だった。
ところが客の入りがよくなく、興業主は火災保険の保険金で、赤字を取り戻そうと蝋人形館に放火する。
男は最愛のアントワネットとともに業火に沈んだのだったが・・・。

ロンドン時代のイゴール。入魂のマリー・アントワネット像と

昔の雑誌のカラーグラビアのような発色の、二色式テクニカラーで撮られたこの作品。
蝋人形の製作・展示というマニアックな世界を舞台にした、猟奇がかった怪奇譚は12年後のニューヨークへと飛ぶ。

かの地で新たに蝋人形館を開館するというイゴール(ライオネル・アトウイル)。
弟子からは先生と呼ばれる蝋人形の権威だ。
一方、30年代のニューヨークの新聞記者は、生き馬の目を抜くというか、セクハラパワハラ全開でワークライフバランスなどという言葉と無縁の世界。
女優の不審死と死体の紛失、蝋人形館を巡る怪しさに気づく女流記者(グレンダ・ファレル)がいた。

イゴールは弟子のフィアンセ(フェイ・レイ)を一目見てから、マリー・アントワネットの再来と勇み立つ。
イゴールは先般の女優に続き、彼女の体をベースにして蝋人形を作ろうとしていた!
抵抗する彼女の手がイゴールの顔面を叩くと、蝋のマスクが割れ、12年前にロンドンで大やけどを負った姿が現れる・・・。
そこへ女流記者に導かれた警官隊が駆け付ける・・・。

フェイ・レイに迫る車椅子のイゴール

冒頭のプロローグで早くも炎に包まれ溶けてゆく蝋人形の描写が見られる。
ニューヨークに場所を移しては、ミステリアスでマニアックな老先生が、美女に迫る猟奇性が展開!
地下室に展開する蝋人形制作の大規模なラボの釜には常に沸き立った蝋が満たされている!
鬼気迫る美女の絶叫!

併せて新聞記者の生態のスピーデイさ、身分の危うさ、ハラスメント三昧、特ダネ探し、などが、女流記者と編集長の間のマシンガントークで繰り返し描写される。
映画は、新聞記者の実態を、コミカルさにかまけて描くことに力を入れている。

炎に包まれるアントワネット像

絶叫要員のフェイ・レイは初代「キングコング」でコングの恋人役に抜擢されたあの女優さん。
よく見れば整った美人で、本作では生きたまま蝋人形にされる寸前の役で絶叫。

絶叫のフェイ・レイ。「キングコング」より

監督のマイケル・カーテイスは、オーストリア=ハンガリー帝国ブダペスト出身のユダヤ人。
同じくユダヤ人のタイクーン、ジャック・ワーナーに誘われて1927年にハリウッドに渡り、以降中堅職人監督として定着。
「カサブランカ」(43年)が有名だが、監督としての守備範囲はエロール・フリンの剣劇ものなどの手堅い娯楽作。
本作では33年乍らカラー作品を任されるなど、タイクーンからの信頼の厚さがうかがえる。



「肉の蝋人形」(HOUSE OF WAX)  1953年  アンドレ・ド・トス監督  ワーナー

今回見たDVDは、A面が53年版の、B面が33年版の「肉の蝋人形」で、A面には特典映像として、オリジナル予告編とニュース映画が収められている。

このオリジナル予告編が凄い。
文字が飛び出てくるだけの(映像なし)予告編は、繰り返し”スリー・デイメンション”とアピールされるという、センセーショナルなもの?
53年版は3D映像で劇場公開された作品なのだ。
また公開時の劇場前の模様を収めたニュース映画では、詰めかけたスター達(ロナルド・レーガンやシェリー・ウインタース)の姿が見られる。

3D作品はカラーセロファンが貼られたメガネをかけて見ると、映像が飛び出すというもの。
本作では、蝋人形が燃えて首が落ちる場面や、蝋人形にされた死体がこちらに向かって倒れ掛かる場面などがスクリーンから飛び出たのであろう。
あるいは夜のニューヨークの街角をさ迷う怪人の姿が、立体的に浮かび上がったのかもしれない。

筋立ては33年版を踏襲。
蝋人形の炎上場面のショック、死体置き場などで暗躍する怪人(蝋人形師)のスリラー、死体が紛失した美女が蝋人形となった恐怖、蝋人形師の地下のラボ(蝋が煮えたぎった風呂釜のような装置)のマッドぶり、などなど映画の見せ場も前作と同様。
マリー・アントワネットの蝋人形に擬すべく、蝋人形師がほれ込んだ美女の危機一髪が最大の山場であることも共通している。
死体置き場で死体が起き上がるなど、細かなシーンを前作から頂いていることが多い。

復讐の鬼となる蝋人形師にビンセント・プライス、その弟子にチャールズ・ブチンスキー(のちのブロンソン)、蝋人形にされかかった美女にフィリス・カーク。
若き日のブロンソンは不気味な聾唖者の役で出演時間も多く活躍している。

監督のド・トスはハンガリー生まれ。
33年版のマイケル・カーテイス同様、ヨーロッパでキヤリアをスタートさせた後のハリウッド入り。
フィルモグラフィを見ると本作「肉の蝋人形」が最も有名な作品のようだ。
ハリウッドに見込まれ、”仕事”に徹した職人中の職人監督だと思われる。
本作は3D映画ということもあり、予算を賭けたA級作品として製作されており、夜のニューヨークの街角の大掛かりなセットや、街を駆け巡る当時の消防馬車の再現などに監督の手腕が見られたものと思いたい。



(もう1本!)「妖婆 死棺の呪い」 1967年 コンスタンチン・エルシュフ、ゲオルギー・クロバチョフ ソビエト

「肉の蝋人形」とはコンセプト的にも関係はないが、ホラー共通ということでソビエト初のホラー映画を見た。

ゴーゴリの短編が原作、総監督にソ連初のカラー作品でカンヌ映画祭色彩賞受賞の「石の花」(46年)を監督したアレクサンドル・プトゥシコが付いた。

舞台は19世紀のウクライナ。
キエフの神学校の哲学生ホマーが体験する怪異譚をソビエト映画独特の悠久のムードで描いたもの。
怪異譚ではあるが全編を貫くのはウクライナの大地が醸し出す、その大陸的なおおらかさ。
ウクライナそのものが主人公のフォークロアともいえる作品。

神学校の学生たちの若さ溢れる逸脱ぶりが描かれる。
校長ら聖職者の型にはまった硬直ぶりも。
大地に根を生やす百姓はもっとどうしょうもなく、普段はただただ飲んだくれている。

村の中庭には、牛や馬や豚やガチョウが歩き回り、家の近くの大木にはコウノトリが巣を作っている。
中世の西洋絵画のような風景。
これが19世紀のウクライナの農村風景なのだろう。

神学校の夏季休暇で帰省途中のホマー等は道に迷い、村の一軒に宿を求める。
納屋で寝ようとするホマーに家の老婆が迫る!
老婆はホマーの背にまたがり空を飛ぶ。
地上に降りた老婆をさんざん殴打するホマー、ダメージを食らった老婆はうら若い美女に姿を変える。

神学校に戻ったホマーは、遠くの村に呼ばれる、村の有力者の娘の臨終の立ち合いをしてほしいと。
村に着くと娘は死んでいる。
父親は三日三晩、娘に祈祷することを命じ、夜になると教会に娘の棺とともに閉じ込める。
ホマーと娘の運命やいかに、そして娘の正体は?

若き魔女が血の涙を流す。演ずるはナターリヤ・ヴァルレイ

ホマーにまたがって空を飛ぶ老婆。
棺の中で魔女となって蘇る娘と、チョークで丸く結界を描いて身を守るホマー。
その攻防が教会で毎晩繰り広げられる。
三日目になると魔女の攻撃はさらに増し、棺ごと飛びまわって結界に体当たりする・・・。

いわゆるホラー映画のショッキングなシーンと異なり、これらの幻想シーンのなんとほのぼのとしていることよ。昔々の魔女と聖職者の対決のおとぎ話のテイストさえ漂う。

悠々迫らざるウクライナの大地から現れれる魔女や怪物のホラー度は、切羽詰まった近代的文明社会におけるそれらとは、切迫度、強迫観念度に於いて全然違う。
歴史と宗教に彩られた中世社会の安心感と、それらが失われた現代社会の不安感の違いとでもいうのか。

突拍子もないフォークロアでありながら、不安感のない作品。
ソ連、ロシアの映画史にあっても異色の作品なのだろう。

DVDに封印されていた解説書

DVD名画劇場 追悼・イタリアの名花 クラウデイア・カルデイナーレ

クラウデイア・カルデイナーレ

1938年、チェニジア生まれ。
両親はギリシャ出身のイタリア人だという。

地元の美人コンテストを経て映画界入り。
美人コンテスト出身のイタリア女優には、シルバーナ・マンガーノ、ルチア・ボゼー、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダなどそうそうたるメンバーがいる。

「山猫」(1963年 ルキノ・ヴィスコンテイ監督)では貴族の令嬢役

58年に映画デヴュー。
60年代に入ってからは、「鞄を持った女」(61年 ヴァレリオ・ズルニーニ監督)、「ブーベの恋人」(63年 ルイジ・コメンチーニ監督)などの主演作品で人気を博し、63年には「山猫」、「8・1/2」とヴェスコンテイ、フェリーニの両巨匠作品に抜擢されて大女優への道を歩んだ。
「ピンクの豹」(63年 ブレイク・エドワーズ監督)以来ハリウッドにも進出した。

「山猫」はフェリーニの「8・1/2」と掛け持ちでの出演だったという。アラン・ドロンと。

筆者が見たカルデイナーレ出演作品は「若者のすべて」(60年 ルキノ・ヴイスコンテイ監督)、「大盗賊」(61年 フィリップ・ド・ブロカ監督)、「熊座の淡き星影」(65年 ヴィスコンテイ監督)、「ラ・スクムーン」(72年 ジョゼ・ジョヴァンニ監督)、「フィツカラルド」(82年 ヴェルナー・ヘルツォーク監督)と少ない。

が、カルデイナーレというイタリア人女優の、若い時の初々しく、土臭く、気が強そうな表情と、庶民的で人懐っこい笑顔は強く印象に残っている。

「リオの男」「カトマンズの男」などの名コンビ、ド・ブロカ監督とベルモンドが再び組んだフランス製時代劇「大盗賊」では、ベルモンド扮する義賊を助け、彼に殉ずる活発で心優しいヒロインを演じていた。
こういう女性が身近にいたら男としては身を捨てて張り切るだろうし、この上なく勇気づけられるだろうと思わせるヒロイン像だった。

姉弟間の狂おしい愛情を基調とする、舞台劇のような「熊座の淡き星影」は、場面も少なく、ひたすら暗い画面でセリフのやり取りが続いていたが、一方で、カルデイナーレの頼もしい肉感性がもう一つのテーマであった。

70年代以降の作品では、札幌狸小路の1本立て洋画二番館・ニコー劇場で見た「ラ・スクムーン」がある。
フランスの人間国宝・ベルモンド主演の一ひねりしたギャング映画だったが、カルデイナーレが出てくると圧倒的な色気と貫禄が画面を制していた
洋画雑誌のグラビアで彼女のピンナップや過去の代表作のスチールに接するしかなかった世代の筆者にとって、年を経たとはいえ、その女優さんとリアルタイムのスクリーンで対面したことの歓びを感じた記憶がある。

「映画の友」1964年12月号の巻頭グラビアより。ハリウッド作品「プロフェッショナル」(66年)の撮影後
「キネマ旬報」1966年10月号増刊の表紙より。「大盗賊」(61年)撮影当時のもの

彼女の追悼として手許にあるDVD2作品を見た。

「暗殺指令」  1960年  エンツイオ・プロヴェンツアーレ監督  イタリア

イタリアのLUX FILMという製作会社の製作・配給、プロデユーサーはのちにカルデイナーレと結婚するフランコ・クリスタルデイ。
カルデイナーレがスターダムに登る前の初期作品で、その初々しくぎこちない演技の、後の大女優の若きを姿を見ることができる。

監督は、社会派フランチェスコ・ロージ作品の脚本メンバーだというが、監督作品はこの1本だけらしい。
シチリアを舞台にし、マフィアに実権を握られたかの地の後進性を、それに反抗した挙句葬られてゆく若い恋人たちを通して描くこの作品。
シチリアを舞台に、戦後イタリア社会の貧困を描くことの多かった、イタリアンネオレアリスモ及びその流れをくむ作品群と共通するところが多い。

「映画の友」1961年4月号に掲載の本作広告より。上半分は「ローマで夜だった」の広告の一部

舞台はシチリア島の寒村。
主人公は兵役から帰った失業若者。
設定は撮影当時の1960年のようだから、大戦時の帰還兵が役柄だった「オリーブの下に平和はない」や「にがい米」のラフ・バローネのように汗じみた着た切りスズメ、髭ボーボーの風体ではない。
本作の帰還兵アントニオ(レナード・カステラーニ)は、やや現代風にこざっぱりしている。
のちに出てくるシチリア島最大の町パレルモは若者がおしゃれして闊歩するほどに賑わっている復興の時代。
同じく敗戦国の日本が、1961年の厚生白書で『もはや戦後ではない』と晴れやかに?宣言し、復興と高度成長期の活気を見せていたかのように。

一方、シチリア島の深部、塩田を主産業とする海辺の寒村の領主はいまだに伯爵一家。
妻を自殺で失った訳ありありの伯爵一家の妹娘グラツイア(クラウデイア・カルデイナーレ)が心を閉じて暮らしている。
グラツイアは、後にアントニオとともに因習まみれる故郷を脱出し、つかの間の青春を謳歌しながらも悲恋の定めに沈んでゆくヒロインとなる。

妹グラツイアの日記を読んで嫉妬する姉

封建的な父親の侯爵、過去を引きずり自由を目指す妹に冷たく復讐する姉。
閉ざされた家庭から自由を求めて船出するグラツイア。
一方、父の代からのしがらみでマフィアの暗殺命令を拒めず、塩田の村で侯爵の暗殺を試みるが果たせず、その後はマフィアの追跡から逃れて、パレルモからイタリア本土へと流れるアントニオ。
二人が脱出の小舟の上で邂逅する。

若い二人の逃避行。
ローカル列車の座席でまどろむグラツイア。
トランクを下げバス停から駅へとシチリアの田舎の草原をさ迷う。
パレルモの駅で心細そうなグラツイアと、その日の本土行きの船をあきらめて彼女のトランクをもって同行するアントニオ。

貧しい庶民出身の、しかし心に太陽のような情熱を秘め、愛する男に尽くすイタリアの若い女の純情、が当たり役となってゆく頃のクラウデイア・カルデイナーレの、初々しい姿が絶品だ。
やはり彼女は貴族より庶民が似合う。

パレルモについた二人のつかの間の幸せ

二人のパレルモの町でのデートシーンが好ましくて涙が出る。
しかしこの喜びも長くは続かない。
追跡するマフィアと逃げるアントニオ、取り残されるグラツイアのすれ違いが、もどかしくも巧みな脚本で描かれる。

アントニオは有力者の名付け親に助けを求めるが取り合ってもらえない。
かえってマフィアに通告される。
グラツイアは貴族の従弟と、その使用人からマフィアに向けての情報が筒抜けだ。
マフィアはシチリアの村民を制圧しているだけっではなく、有力者や支配階級とも持ちつ持たれつの利権関係を結んでいるのだった。

アントニオはホテルの部屋で偽りの告白をして彼女にもとを去る

単にマフィアの支配と田舎の封建性だけを描くのではなく、マフィアと切っては切れない支配階級の腐敗も盛り込んで、シチリアのイタリアの問題に切り込んだ作品。

何よりもクラウデイア・カルデイナーレの初期の出演作として、後の彼女の役柄となった、純情で、貧しくも、しっかりした、太陽のようなヒロイン像の原型がここに見られた。

「ブーベの恋人」  1963年  ルイジ・コメンチーニ監督  イタリア

LUX FILM製作、プロデユーサーはフランコ・クリスタルデイと「暗殺指令」と同じ布陣。
クレジットのトップにパラマウントのロゴが出てくるのは、世界配給を同社が行うのだろう。
資本も入っていると思われる、キャスト等の意向も。
ジョージ・チャキリスの起用はパラマウントによるものだと思われる。
出来上がりはシッカリとイタリア映画だった。

カルデイナーレとチャキリス

1944年、アメリカ軍が進駐してくる。
大歓迎する村の娘たち。カルデイナーレ扮するマーラもその一人。
父はパルチザンのシンパ。
兄の死を伝えに来たパルチザンの同志ブーベ(チャキリス)。
マーラはブーベを一目見て恋に落ちる。

アメリカ軍がイタリア本土に上陸したとはいえ、国内はドイツ軍が支援するファシスト派と抵抗するパルチザンが内戦状態のイタリア。
教会はドイツ・ファシストに組みし、パルチザンは国内の警察組織にも追われている。
分裂状態の民衆は、ある時はファシストに組した司祭をリンチ寸前にまで追いつめるし、また息子をゲリラ戦で亡くした母親はパルチザンに拒否感を示す。
ドイツや日本と違い、戦争中でも国内が一致団結せず、対抗勢力同士が武力で衝突するイタリア。
民衆レベルでもそれぞれが四分五裂しており、映画はその現実をさりげなく描き込む。

二人は村のカフェでデートする

マーラが待ちくたびれた頃、ブーベが村にやってくる。
ブーベのズボンのほつれを縫うマーラ。
パラシュートの生地を持ってくるブーベ。
マーラはその上等な絹の生地でワンピースを縫う。
戦時中の貧しい恋人たちの逢瀬。
実年齢25歳になるカルデイナーレにマーラの役がよく似合う。

飲み屋で憲兵親子とけんかになり、仲間が射殺された後、憲兵親子を殺害し、追われるブーベ。
パルチザン組織に匿われ、マーラとの逃避生活を過ごす。
突然、別の場所に移動が決まり、車で去ってゆくブーベに追いすがり、かろうじて別れのキスをするマーラ。

ここら辺の不安定だが、初々しくもみずみずしい二人の関係と、突然の分かれのドラマチックな演出は、コメンチーニ監督はうまい。
社会派そのものではなく、社会的良心を背景にした作風の職人監督、としての面目躍如だ。
パラマウントが出資し、口を出してくる、いわば合作映画をこれだけまとめ上げるのだから上出来だ。

別れた後の二人は、留置所でのブーベとの面会、裁判での証言で顔を合わせるだけの年月が過ぎてゆく。
この間、町で働き、まじめな男・ステファノのアプローチに対し受け入れ寸前まで行く。
マーラとて生身の女なのだ。
その時の正直な気持ちは新しい愛情を受けれることなのだ。

こういった気持ちの動きをしつこく、重厚に描くのがイタリア映画流。
「ひまわり」(70年 ヴィトリオ・デ・シーカ監督)でのソフィア・ローレン演じる主人公もそうだった。

よろめくマーラ。
裁判でも気の利いた証言はできない。

懲役14年の判決があった7年後、駅には27歳になったマーラの姿があった。
ステファノが偶然見かける。
マーラはブーベのもとに月2回、列車に乗って面会に行くのだった。
『7年後は34歳、まだ子供も産める。これまでの7年間はあっという間だった』と、ステファノに告げながら。

これこそイタリアの女性。
軽そうに見えながら(イタリアの男はそうだろうが)、信じるものには一直線、容易には見放さない、土着的で目端は効かないが。

すでに映画にも慣れ、自らの主演を楽しそうに、自由に演じるカルデイナーレの姿が見られる。
チャキリスは演技ができないので役不足だが、戦時中の青年の貧しさは出せたと思う。

戦争中のイタリア社会、庶民の断絶とぬぐいきれない傷跡を背景に、当時の若者たちの一途な恋の変遷を描いた作品。
基調にはどっかりとイタリア女性の逞しさが横たわっている。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第3集) ”サイコパス”ロバート・ミッチャム

ロバート・ミッチャム

この俳優は1940年代以降のハリウッド映画のタフガイとして活躍した。
「天使の顔」(1952年 オットー・プレミンジャー監督)では救急隊員役として、ヒロインであるジーン・シモンズの相手役だった。

50年代に入って、役柄を広げたのか、適役を演じることのなったのか、「狩人の夜」(1955年)と「恐怖の岬」(1961年)の2本の映画に出演した。
どちらもタフガイというヒーローではなく、敵役である。
これらの作品でミッチャムは、定型の悪役ではなく、怪演技ともいうべきサイコパスぶりを披露し、彼本来の資質を開花させるとともに、映画史に残る悪役のひとつの型を作った。

ロバート・ミッチャム

「狩人の夜」   1955年  チャールズ・ロートン監督   ユナイト

映画史に残るカルト作品。
この作品の功績は、原作を発掘し、製作にこぎつけた製作者のポール・グレゴリーと監督のチャールズ・ロートンに第一義的には譲るものの、独特の世界観を作品にもたらした撮影のスタンリー・コルテスとともに、配役のロバート・ミッチャムのサイコパスな演技に負うところが多い。

オリジナルポスターにはミッチャムにすがるネグリジェ姿のシェリー・ウインタースが

大恐慌下の30年代のウエストバージニア州の田舎町。
銀行強盗の末に息子に1万ドルの隠し場所を託して刑死した父親(若き日の「スパイ大作戦」、ピーター・グレイブス)。
獄中でこの話を知り、牧師に身を偽って残された家族に接近するパウエル(ロバート・ミッチャム)。
未亡人(薄幸の女性役が似合っていた頃のシェリー・ウインタース)と偽りの結婚をし、幼い兄妹から金の隠し場所を聞き出そうとする。

物を盗んだり、人を殺すことを何とも思わないパウエルは、ストリップ小屋での観劇中に自動車盗難で警察に捕まる境遇がよく似合う。
左手の指の甲にHATE、右手にLOVEと入れ墨をしており、これだけでも十分サイコ野郎なのに、その手を絡ませて善悪の戦いと善の勝利を田舎の善民に説き喝采を受けるその牧師姿は、単なる悪の具現化を超越した怪物性を際立たせる。
これ以上ない悪であり、俗物であり、サイコパスなのだ。
ロバート・ミッチャムの個性とパウエルの怪物性が融合し、この先の悪夢をもたらす。

カルト映画史に燦然と輝くサイコヒーロー、パウエル

パウエルの正体を見破り殺された未亡人(ご丁寧に、湖底に自動車とともに沈んだシェリー・ウインタースを映画は美しいもののように丁寧に描写する)。
いろいよ金のありかを巡って虐待を繰り返すパウエルから逃れ、母を殺された兄妹は小舟に乗って川を下る。
兄の方は最初からパウエルを信用していない。
農夫を殺し馬を奪ったパウエルは、彼のテーマソングである讃美歌を歌いながら、兄妹を追跡する。

作品に、寓話性と十分な悪夢をもたらすカメラが川を行く兄妹を捉える。
プラネタリウムのように不自然に光る夜の星と三日月。
明らかに太めのひもで作ったクモの巣。
不自然にカメラの前に置かれたカエル、ウサギの背景に兄妹の船が流れる。

川に沿った土手を白馬にまたがってゆくパウエルはシルエットで捉えられる。
この悪夢に彩られた童話のワンシーンのようなカットが作品の一つのハイライトでもある。

そういえばこの男、獄中での登場シーンは二段ベッドからさかさまに現れたし、兄弟の家へ現れる際はシルエットでの登場だった。
ショック効果というよりは、この男の異常性を表現してのものであろう。

疲れ果てた兄妹がたどりついたのは、孤児3人を育てる老婦人(リリアン・ギッシュ)のもと。
農場の生産物を孤児とともに売って自立する老婦人。
この御仁もキリスト教信者。
孤児たちに愛を注ぐが、家を出て帰らない実の息子には未練を持っている、生身の人間でもある。
彼女は現れたパウエルの偽牧師ぶりを見破り、その異常性に対しては銃をもって対抗する。

パウエルの襲来に毅然と銃を構えるリリアン・ギッシュの雄姿

孤児のうち最年長の娘がパウエルに雑誌とアイスで誘惑される。
これを知った老婦人は娘をかき抱き悪人に誘惑される愚を説く。

このシーンのリリアン・ギッシュの存在感に圧倒される。
これがサイレント時代にグリフィス作品でヒロインを務めてきた大女優の力量なのか。
テクニカルな面の目立つこの作品のカメラも、固定したフルサイズの長回しでギッシュの演技に敬意をしめす。
作品のテーマの一つでもある、ロバート・ミッチャムとの「善悪対決」でも勝負前から決着がついたかのようだ。

ギッシュはパウエルに利用された年長の娘を諄々と諭す

一度追い返されたパウエル(もうロバート・ミッチャムそのものといったほうがいいか)が夜になって再びやって来る。
例によって讃美歌を口ずさみながら。
それを聞いた老婦人も思わずその一節を口ずさむ、寝ずの番で銃を携えながら。
善悪の共通点はキリスト教にあるということか。

悪は一瞬にして駆逐され、みじめにパトカーに押し込まれる。
映画はあれだけ偽牧師を絶賛した田舎の善民たちが一転して、彼を吊るせと押し寄せるさまを捉える。
老婦人の年長の孤児が最後まで、自分を女としてかまってくれたパウエルを、いい人だったとつぶやく様も。

圧倒的な善であるリリアン・ギッシュが、小物のサイコパス、ロバート・ミッチャムを一瞬で叩き潰した、というのが映画のテーマの一つ。
もう一つのテーマは、善も悪も表裏一体、生身の人間同士だということ。
生身の大衆はまた、即物的だし、簡単に騙されて反省もしないということ。

俳優として名高い監督のチャールズ・ロートン。
この作品が公開時にはヒットせず、理解されるまで20年以上かかったこともあり、監督作品はこの1作だけだった。

実はロリコンだったというチャールズ・ロートンと、ねっとりとしたカメラのスタンリー・コルテス、麻薬で逮捕歴のあるロバート・ミッチャム。
3人のサイコ野郎の本質に近いものが集結した極め付きのカルト作品だった。

「恐怖の岬」  1962年  J・リー・トンプソン監督  ユニバーサル

ロバート・ミッチャムという俳優、タフガイの役でも、どうしょうもないクズの役でも、たたずまいが変わらない。
それがいいのかどうかはわからないが、役柄を問わず、”そこにいるのはもれなくロバート・ミッチャム”という存在なのだ。

この作品は60年代の入ってからのもので、暴力描写や性的(なものをうかがわせる)描写がより直截的なものになっており、ミッチャムのサイコな凶悪ぶりもより激しく表現されている。
思わせぶりな神秘性は全くなく、わかりやすいサスペンスに徹した画面作り。
そこには、”現実”の救いのなさのみが醸し出される。

自分の婦女暴行事件の証人となった弁護士のサム(グレゴリー・ペック)を8年間の入獄中、逆恨みして、出獄後にサム一家にストーキングし、自らのサデイズム趣向に基づいた復讐を図るケイデイ(ロバート・ミッチャム)。
サム一家の住む町に現れ、サムが弁護士として働いている裁判所に歩を進めるミッチャムの”崩れた”風体は、いつものロバート・ミッチャムの”ヨタッた”姿そのもの。
それが演技なのか地なのか?

家族でボーリングに興じるサム一家に近づくケイデイ。手前が娘のナンシー

60年代に入ったアメリカの町は一見すると繁栄に彩られており、サム一家の邸宅は広大な庭に囲まれ、黒人メイドを使っている。
しかし、映画は、来るべき70年代の挫折と断絶を予見させるがごとく、サム一家の暗い危うさを見逃がさない。

一人娘のナンシーのショートパンツ姿は、「ロリータ」(62年 スタンリー・キューブリック監督)のスー・リオンを思い出させる。
母親は、ナンシーの下校を車で迎えに来ているにもかかわらず、着飾って買い物に興じ、車から離れて娘を危機に陥らせるし、最終局面のケープ・フィアーでのハウスボート上でケイデイに迫られ、恐怖とも歓びともつかぬうめき声をあげる。
二人とも隙だらけで、来るべき時代の危機に無警戒なのだ。

ケープ・フィアーのハウスボートでサムの妻に迫るケイデイ

町の酒場には夜の女がいて、その女は生まれ故郷から流れてきた女で、ケイデイの誘いに応え自室に招いた挙句、彼のサデイズムの洗礼を受けて恐怖のあまり、あわてて町から長距離バスで去る。
警察からの捜査協力依頼を拒否して。
このエピソードはケイデイの常軌を逸した変態ぶりを描くとともに、60年代にはアメリカ社会の底辺に一般的だった、”町々を流れ歩く売春婦”の存在を描いてもいる。
「裸のキッス」(64年 サミュエル・フラー監督)は、”カツラを自ら吹き飛ばし、スキンヘッドとなった女が客の男を殴り倒す”、という冒頭シーンが有名だが、その女は洋酒のセールスウーマンを装った売春婦が町に流れてきたという設定だった。

60年代にはアメリカの病巣がかなりの部分で出そろっていたということだ。
そうした60年代のアメリカ社会の腐敗の萌芽とそれが招く暗さ、人々の危うさがこの作品の基調でもあった。

当時の近未来に対する予想もできない恐怖を象徴的に表したのがケイデイというキャラクター。
恐怖や悪に対抗する価値観としての宗教性はすでにない。
悪に対するのは法律だけ。
正義を担保するべき警察力も法律に縛られていて、悪を超絶的に発揮するサイコパスに対しては無力だ。
サイコパスに対する常識・理屈の無力を描いたという点では時代を先取りした作品だ。
サイコパスに対する一般人の無防備、トンチンカンぶりを徹底して描いた点も先進的だ。

パナマ帽と葉巻がケイデイのトレードマーク

法律や合法的手段ではケイテイに対抗できないと悟った後のサムがいい。
それまで、どこか他人事のように構えていたサムが、”極悪非道なクラントン一味と実力で雌雄を決しようとするワイアット・アープ”のように覚悟を決める。
実力(暴力)で決着をつけることを決めた後のグレゴリー・ペックは、最低限の支援を警察に求め、家族の協力のもと一人でケイデイに挑む。
ペックが黙々と独力で実力を行使する役は、「日曜日には鼠を殺せ」(64年 フレッド・ジンネマン監督)での、”自らの信念に基づきスペイン内戦後の祖国に戻るため、一人ピレネー山脈を越える元戦士”の役を思い出させる。

最後の最後で実力行使に出るサム

ロバート・ミッチャムの演技は、「狩人の夜」よりもさらに深化し、60年代のアメリカ社会の病巣を先取りするサイコパスぶりを発揮。
そのキャラクターは、凶暴性、変態性に加え、法律にも強い理屈が加わっての最強ぶりだった。
ペックとの最終決戦の場・ケープフィアーに現れ、ペックの妻が残るハウスボートのドアを開けて姿を現す場面は、”キング・オブ・クズ野郎”の最終降臨シーンとして映画史に残りそうな出来栄えだった。

ペックと親友の警察署長にマーチン・バルサム。
私立探偵にテリー・サバラス。
60年代アメリカ中流家庭夫人の虚飾と小市民性と隠れた背徳を演じて印象的だったのはポリー・バーゲン。

本当の”サイコパス”は60年代のアメリカ社会そのものだったのかもしれない。

上田トゥラム・ライゼで「黒川の女たち」をみる

「黒川の女たち」を見に、上田映劇の姉妹館トゥラム・ライゼに出かけた。
数少ない国内現存木造映画館の上田映劇と同一NPO法人が運営するトラム・ライゼも、もとはといえば上田市内の古い映画館。
コンクリート打ちっぱなしの建物は1998年都市景観賞に選ばれている。

上田高校出身で日大芸術学部大学院卒で卒論は「ジョン・カサベデス」の若い支配人は、上田映劇の観客が各回数人の時期過ごしながら、トゥラム・ライゼにまでテリトリーを増やし、どうなるかと思ったが続いている。

久しぶりに訪れた同館には、若く輝くような笑顔の女性ボランテイアスタッフが観客を迎え、元気に継続していた。
次回上映の韓流作品には何と地元の女子高校生らが詰め掛ける盛況ぶりだった!

この日朝一回目の「黒川の女たち」にも大人の客約10名が来場した。
上映後は館前で支配人らと記念撮影する遠来の客もいた。

「黒川の女たち」  2025年  松原文枝監督  テレビ朝日

劇中何度も出てくる満州時代の集合写真がある。
7名の若い女性、岐阜県白川村黒川地区からの開拓団の当時の独身女性らの記念写真である。
後列右端がこの映画の主人公ともいうべき女性。
1925年生まれで、20歳の年に開拓団が満州引揚の際に、団の安全と引き換えにソ連軍の接待要員とされた女性の一人である。

この集合写真は平時に撮られたものだと思われる。
平時とはいえ、満民の農家を接収しただけのあばら家で厳しい冬を過ごし、あまつさえ国家は戦時体制で、ソ連との国境を控えるという立地に緊張の糸は緩むことがなかっただろう。
彼女らの表情からもうかがえる。
同時に、若き独身女性ながらも「大人」としての自覚と責任感も。
当時は20歳前後といえば立派な一人前。
女性であれば主婦に代わっての家事労働全般のほか農作業はこなせたし、こなす自覚はあったろう。

満州開拓団の移住は国策として、太平洋戦争半ばの1943年になっても続けられた。
国内では、次男三男、貧乏な家庭は移住せよ、とされた。
一方、極東のソ連軍は日本の満州移民団の場所、人数などを正確に把握し、その目的の一つにしても対ソ連の防御のため、と正確に把握していた。

やがて敗戦。
黒川開拓団は関東軍に見捨てられ、自力で避難の途中、侵攻していたソ連軍に保護を求める。
その目的は原住民である満人からの略奪・報復からの保護であった。
隣の開拓団は集団自決をしていた。
黒川開拓団の団長は、命は軽くない、と自決を避け、全員の帰国を模索した。
ソ連軍は保護の代わりに女性による接待を求めた。
団長は既婚者をのぞく18歳以上の独身女性に犠牲を求めた。
団長からの申し出に、団が無事になるならと娘らは応じた。

映画では、団の犠牲となり接待に応じた4人の女性を登場させる。
本人らは当然了承の上だ。
最初は顔出しを拒否するも映画の後半となって、孫らとの楽しいひと時を全身で表す女性がいる。
映画の途中で亡くなるが、2010年代になって長野県阿智村の満蒙開拓記念館の講演で、自らの体験を話し、初めて公に歴史の闇を自ら語った女性がいる。
もう一人は施設に入っているがこうした動きに共感を寄せる。

映画の主人公ともいえる女性は、満蒙記念館での講演にも臨席し、かつてはテレビの別の取材時に引揚時の話題の報道を働きかけたことがある。
引揚後には実の弟から、満州帰りの女は汚れていて嫁の貰い手がないといわれ、故郷を離れて同じ引揚者の男性と結婚、岐阜県内の開拓地で酪農をした。
「外地で生きるか死ぬかの経験をした。日本で生活をして苦労と思ったことがない」と女性は語る。
引揚者同士で集まった時だけ泣く。

引揚の時より、帰ってきてからの方がつらい。
引揚の時、男の人がもう少ししっかりしてくれれば。と語る人も。
生涯結婚せず亡くなった人もいた。

黒川開拓団は、当時の団長はなくなったが、息子が二代目となって活動していた。
回顧文集に接待の記録を書いた女性はその部分だけ削除されて掲載された。
接待の事実が、公にできない時代が70年続いた。

当事者の女性たちのほかに、当時子供だったが女性らと家族同様に接してきた次世代の女性がいて、彼女らを何くれと支援してきた。
彼女らと現在もつながり続ける現団長がいた。
悲しみや、憤怒の時を過ぎ、この事実をないことにしたままではいけないと思い続ける当事者らがいた。

2010年代になって、現団長は正式に当事者女性らに開拓団としての判断を謝罪し、亡くなった諸霊らにわびた。
当事者らを弔う「乙女の碑」に経緯を解説する碑文を隣接した。
満蒙記念館での当事者女性らの歴史的講演があったこともきっかけにした現団長の判断だった。

老齢になった当事者4人の表情には、涙もなく、恨みもない。
清々しいというべきか、命題を乗り越えたものだけが持つ高みに立った表情というか。
真の強さを持つものの表情というか。

映画は、当事者たちの表情を淡々とというか、あまり整理されないままとにかく生の声と表情を記録してゆく姿勢だった。
感情を誘導するような盛り上げは一切行わないし、既存の価値観や歴史感への誘導もしない。
圧倒的に歴史証人としての彼女らの存在感が重いのだ。
カメラは彼女らの日常的付き合いや楽しみに同席しては喜んでおり、撮る側ではなく彼女らが主体であることを鮮明に示す。
製作者のこの姿勢があったからこそ彼女らから歴史的事実を引き出せたのであろう。

当事者の中心メンバーで映画の主人公的存在の女性は1925年生まれで、昭和の年と自らの満年齢が同じというバリバリの戦中派。
戦地で生死の境をさ迷ったり、空襲下を逃げまどったり、若い身空で耐乏生活に耐えたり、空腹の日常下で学徒動員されたり、の世代である。
彼女らはその中でも特別苦労した引揚者のなかの、さらに70年間、周りにとっても日本の歴史的にも触れることができなかった事件の経験者で、自らそのことを「なかったことにはできない」と闘わざるを得ない運命に選択された人。
すべてを超越した神々しい表情で自らの使命に従うその生きざまは、戦中派ら昔の世代らしいし、何より日本人らしい。

彼女らの存在を知って、孫のように付きまといながら、記録を紡いでいった女性監督の姿勢がうれしかった。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第2集) 吸血鬼三代

「吸血鬼」  1932年  カール・ドライヤー監督  フランス=ドイツ

カール・ドライヤーは、1889年デンマーク生まれの世界的監督。
その代表作「裁かるるジャンヌ」(28年)は英国の映画専門誌・サイトアンドサウンドが10年ごと選出している映画史上ベストテンに、1952年以来たびたび選出されている。

本作「吸血鬼」は「裁かるるジャンヌ」の次回作としてフランスで撮影された。
トーキーだがセリフは少なく、字幕で説明が入るなど、技術的、作風的に特色ある(過渡期の?)作品。
「裁かるるジャンヌ」に続いての起用である撮影のルドルフ・マテは、技法、構図、陰影などの画面作りに凝りに凝った成果を見せた。

カール・ドライヤー

吸血鬼を題材にした映画としては、22年の「ノスフェラトウ」(F・W・ムルナウ監督)ほどのドラマ性、映画としての完成度はない。
また、31年のハリウッド製「魔人ドラキュラ」(トッド・ブラウニング監督)に見られ、その後の吸血鬼ものの原典となった、ドラキュラの怪物としての万能性や、ホラー映画としての見世物感、あざとい俗物性の強調は、更にない。

どちらかというと「アンダルシアの犬」(29年 ルイス・ブニュエル監督)のようなアヴァンギャルド映画、あるいは戦前のベルリンを舞台に、エドガー・G・ウルマーやビリー・ワイルダーといったユダヤ系の若い映画人が集結した「日曜日の人々」(30年) のような素人俳優を使ったセミドキュメンタリーのスタイルに似ている。
主体はドライヤーの感性であり、撮影者マテの技法であるかのような斬新さがある。

劇映画でいえば「カリガリ博士」(20年 ロベルト・ヴィーネ監督)の全編が悪夢のような不条理に満ちた作風にも似ている。

印象的な開巻の一場面。大鎌を持った農夫がいる

フランスのある村にたどりついた旅行者アラン・グレイが主人公。
いきなり、宿についたアランの後姿をフォローする移動撮影と、大鎌を担いで渡し船の出航を知らせる農夫のカットバックが見られる。
開始早々、悪夢のような、異次元の世界のような違和感に満ち満ちた映像が展開する。

宿の部屋は窓から外の光があふれるような、露出過剰の画面もある。
部屋に飾られた、臨終の風景を描いたかのような絵画をなでるように見るアラン。
「アンダルシアの犬」そのものの、つながりのない象徴的なシーンが続く。

夜、宿の部屋をノックし、老人(村の領主らしい)が入ってきて『私が死んだあと開封するべし』とした封書を置いて去るあたりからアランの悪夢の世界に入ったらしい。
どこからが悪夢で、何が現実かわからないし、映画はそもそも悪夢と現実を峻別して描いてはいない。

アランは領主の屋敷へ行って病弱な娘を見る。
彼女は吸血鬼と呼ばれる悪霊に魅入られ血を吸われたらしい。
吸血鬼を助ける存在の村の医者がアランから採血して(娘に輸血する?)ことでアランを吸血鬼の子分としてしまった(らしい)。

吸血鬼とは生前に悪行を重ね、成仏できない霊的存在であり、本作では老婆の姿?で夜に棺から出てくる。
棺を開くショットが棺内部から撮られる鋭角的なショットが斬新だ。

犠牲者の娘は邪悪な目つきをするが、『死ねたら楽なのに』と正気に戻ったようなセリフも吐く。
彼女は、村の因習にとらわれ、宿業の結果として死んでゆく犠牲者として描かれる。
吸血鬼の犠牲者が、首に歯の後をつけて狂ったように血を求め、十字架にわざとらしくひるむ、ハリウッド以降の吸血鬼の犠牲者像はここにはない。
むしろ「ノスフェラトウ」の、村民に差別され、弱々しく、光の中に消滅してゆく吸血鬼像に近い。

「ヴァンパイア」名で発売されたDVD版。淀長さんの解説付きだ

いずれにせよドライヤーの興味は吸血鬼の不死身の悪役像にあるわけではなく、またホラーにあるのではない。
怪物としての吸血鬼の不気味さと並行して、古い因習にまみれた農夫たちを、シャドーや大鎌などの小道具を使って描いていることからも、吸血鬼伝説を欧州の負の歴史の一部としてとらえている。
結局それらの描写がホラーとなっているのだが。

撮影のルドルフ・マテは、「最後の億万長者」(34年 ルネ・クレール)、「リリオム」(34年 フリツラ・ラング)らを撮影。
ハリウッドに渡り、「孔雀夫人」(36年 ウイリアム・ワイラー)、「海外特派員」(39年 アルフレッド・ヒッチコック)、「生きるべきか死ぬべきか」(42年 エルンスト・ルビッチ)などそうそうたる作品の撮影を担当。
のちに監督に転じた。

「吸血鬼ドラキュラ」  1957年  テレンス・フィッシャー監督   イギリス・ハマープロ

イギリスの製作会社ハマープロが、30年代のハリウッドでホラー映画をヒットさせたユニバーサルのドラキュラ、フランケンシュタインなどをリメークしたのは50年代のこと。
ワーナーブラザースの出資と配給で「フランケンシュタインの逆襲」を製作したのが57年。
次回作が「吸血鬼ドラキュラ」だった。

ちなみに前回の「DVD名画劇場」で紹介した「恐怖の雪男」はそれ以前に製作されたハマープロ作品で、イギリス映画らしさに溢れた佳編だったが、ハリウッドの出資はなく、また日本未公開だった。

DVDパッケージ

クレジットタイトル順では、吸血鬼を退治する医者の博士、ピーター・カッシングがトップ。
ドラキュラ役でブレークし、のちには「007」の悪役にも起用されるクリストファー・リーは4番目。

配役は地元イギリスで固められているようだが、カラーで再現されるドラキュラ城内部などのセットには予算がかけられている。
また、吸血鬼に篭絡される女優陣の生々しさや、ドラキュラの超人的な凶悪さ、吸血鬼と博士らの手に汗握る攻防などがカラーで劇的に再現されている。

クリストファー・リー扮する血だらけの吸血鬼

開始早々ドラキュラ城を訪れた司書に、吸血鬼となっている美女が迫る。
肉感的な美女が牙をむきだして司書ののどにかみつく。
ドラキュラが美女ののどにかみついたり、美女が男ののどにかみつくシーンのクローズアップは、この作品から吸血鬼映画の売り物となったのかもしれない。
ショッキングで生々しく、エロチックな吸血鬼映画の山場の一つである。

更には、棺桶で町にやってきたドラキュラが、夜な夜な篭絡しに通ってくる若い女性の恍惚の表情もいい。
ドラキュラ除けのニンニクの花や十字架を排除し、窓を開けてドラキュラを待つ女性は、吸血鬼の被害者というよりは、背徳の誘惑者の夜這いを心わななかせて待つ女性の心理そのものである。
クリストファー・リーのドラキュラは誘惑者の色気と俗物性に溢れている。

美女に迫るドラキュラ

被害者の女性たちは、一方では棺桶で横になっているときに杭で打たれて被害時の姿になって成仏し、また夫からの輸血によって回復する。
十字架には大げさに反応し、焼き鏝を当てられたように傷跡がつく。
日光にも弱い。
こういった吸血鬼の弱点をドラマチックに表現したのもこの作品からであろう。
行動力豊かなドラキュラと博士らのスリリングな攻防も、現代的だ。

最後の見せ場は、光を浴びて崩れ去ってゆくドラキュラの特撮シーン。
クリストファー・リーの大げさともいえる断末魔の表情と、手や顔が崩れて飛散してゆく特撮が素晴らしい。

吸血鬼の子分になっている美女が迫る

ドラキュラ城の立地する19世紀のトランシルバニアの村の居酒屋の主や集う人が、因習にまみれた閉鎖的な中世の中欧に見えないこと。
ドラキュラ城内部のセットが新しく、御殿のようで、30年代のユニバーサル版のクモの巣とほこりにまみれたセットと比べて、ホラー感がなかったこと、などの不満はある。

決して吸血鬼ものの原典、決定版とは思えないが、吸血鬼の特徴の再現や被害女性とのエロチックな関係の示唆などに現代的な表現を見せた作品である。
ピーター・カッシングの存在もハマーフィルムの至宝というべきものであろう。

ピーター・カッシング扮する正義の博士
DVDパッケージの裏面

「ドラキュラ’72」  1972年  アラン・ギブソン監督   イギリス・ハマープロ

ハマープロによるドラキュラシリーズ6作目。
第1作が製作された1957年から25年たっている。
主演の吸血鬼とそれに対する博士の配役は、鉄板のクリストファー・リーとピーター・カッシング。
第1作ではカッシングがトップだったクレジット順が本作では、リーがトップに来ている。

リー扮するドラキュラは第1作から衰え知らず、ますます目を充血させて鬼気迫っているが、カッシングは終盤の山場の急を急ぐシーンで息切れが目立ち、格闘シーンでは弱々しくやられっぱなで、年齢を感じさせる。
そこが本作の演出意図でもあるのだが。

1972年のロンドン。
世の中は新世代の若者が我が物顔に青春を謳歌している。
謳歌といってもたまり場で無為に過ごし、クスリと酒とフリーセックスに時間を潰しているだけ。
余りに暇なものだから、グループにいつの間にか紛れ込んだ正体不明の若者ジョニーの誘導で、黒ミサに興味本位で参加し、100年前に滅んだドラキュラの復活とヘンシング博士一族への復讐に、きっかけを与えてしまう。
そのグループにはヘンシング博士(現代の)の孫娘ジェシカ(ステアニー・ビーチャム)がいる。

70年代とドラキュラの接点をどう表現するのかというのが本作のポイントの一つだったが、無為な若者の興味本位のオカルト趣味がもたらす心理的隙間をそこに持ってきたわけだ。
カッシング扮するヘンシング博士の研究も、存在も、70年代の世相からはかけ離れており、いきなり博士とドラキュラの古式豊かな抗争劇を持ってきても現代とはつながらなかったろうから。

軽薄で空虚な現代の若者たちが、オカルトに取り込まれ、その象徴たる吸血鬼に簡単に篭絡されてゆくというストーリーは、事実は小説より奇なりではないが、悪の前に非力な現代人を象徴していて、その意味でのリアリテイーがある。

ドラキュラの超人的能力の誇張や、対するヘンシング博士の神の力を背景にした正義の表現は最低限に抑え(老境に差し掛かったカッシングに敢えて年齢を意識させた演技をさせて)、現代人の不安定な心理の危うさの恐怖を強調した作品。
ドラキュラ本人ではなく、その弟子の子孫のジョニーをメインに持ってきてその不気味さを強調し、現代とのマッチングをしてもいる。
ここには、イロモノとしてのドラキュラではなく、現代の不安というリアリテイを背景とした緊張感を持った新たなドラキュラものを目指した製作陣の姿勢がみられる。

ジェシカ役のステファニー・ビーチャムはマーロン・ブランドと共演した「妖精たちの森」(71年 マイケル・ウイナー監督)でブランド相手に体当たり演技でデヴューした女優。
存在感は十分で、演技も上手い。
新世代の若者の浮遊感には似合わなかったが、悪夢に汗だくで悶える演技や、ドラキュラの花嫁として白いドレスから見事な胸の形をのぞかせる場面などは圧巻だった。

ジョニーに誘惑され、ドラキュラに崩壊させられる若者グループの一員で「シンドバッド7回目の航海」(74年)や「007私を愛したスパイ」(77年)でスターダムに上った、無名時代のキャロライン・マンローも出ている。

ハマープロによるドラキュラシリーズは、7作目の「新ドラキュラ・悪魔の儀式」(73年)でクリストファアー・リーとピーター・カッシングの最後の共演を終え、「ドラゴンVS7人の吸血鬼」(74年)でシリーズ最終作を迎えることとなる。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第1集) 水と雪と宇宙に潜むもの

特集・妄執、異形の人々」とは

これはシネマヴェーラ渋谷というミニシアター(上映番組はまさに名画座というにふさわしい)の夏の恒例特集のタイトルから頂いたネーミングです。
シネマヴェーラでは夏になるとこのタイトルを銘打ち、石井輝男の「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」や新東宝版「一寸法師」などのカルトといわれる邦画作品を上映していたのです。

カルト作品の上映が一巡し、シネマヴェーラが『妄執、異形の人々』特集を取りやめた今日、代わりにDVD名画劇場の夏の特集として、洋画版カルト作品を特集してみたのです。
第一回は、怪物が出てくる3作品の特集。

得体のしれぬ神の創造物は、水面下にも雪山にも宇宙にもいるのでした。

「大アマゾンの半魚人」  1954年  ジャック・アーノルド監督  ユニバーサル

サイレント時代には、ロン・チャニー主演で「ノートルダムのせむし男」、「オペラ座の怪人」など大掛かりなゴシックロマンでヒットを飛ばし、トーキーになって「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」などで、主演のベラ・ルゴシ、ボリス・カーロフともども伝説を作ったユニバーサル映画が新たな怪物を創造した!

これまでの原作ものから一変、ユニバーサルが作ったのは、オリジナルストーリーによる、未知の怪物が未踏のジャングルの水面下から現れ、探検隊を襲うという、今もファンに愛される伝奇的SF映画だった。

半魚人とジュリー・アダムスその1

白人の老博士が、アマゾンの奥深く海洋生物の調査を行っていたところ、未知の生物の手の化石を発見する。
博士はブラジルの海岸部で肺魚の研究をしている教え子の科学者たち(その中には若い美女も含まれている)の応援を得て、化石生物の本格調査をすべく、現地人が近寄らないブラックラグーンと呼ばれる沼沢地へ船で乗り込む。

チェアに寝ころび、蚊帳付きのベッドで暮らす優雅な探検隊は、危険を顧みずアクアラング一丁で怪しげな沼での潜水を繰り返す。
美女(ジュリー・アダムス)は白いホットパンツ姿で男たちの潜水を見守りながら、ある時は我慢できず、白い水着姿で未知の沼に飛び込む。
水底の水草の陰では半魚人がその姿を眺めている。
たまたまその姿を目撃した男たちは、未知の生物存在の証拠を持ち帰らんと興奮する。

半魚人はテントを襲い、船によじ登っては、現地人スタッフを絞め殺したりもするが、美女が泳いでいるのを見るとシンクロして泳いだり、その足に恐る恐る触ろうとしたりと、かわいらしい仕草も見せる。
最後には、思い余って美女を抱き上げて沼に飛び込み、棲み家へ連れ込むが、白人男どもが黙っているはずもなく、水中銃とライフルで仕返しされるという結末が待っている。
手つかずの神秘が文明人によって蹂躙されることになる。

半魚人とジュリー・アダムスその2

3D映画として製作され、今に至るまでファンを持ち、その後の海洋ショッカーものや怪物ものの原典としてリスペクトされている作品。
何よりも半魚人のデザインが、映画のイメージとぴったりな点が素晴らしい。
永遠のキャラクターの誕生だ。

ジュリー・アダムスの水着姿と絶叫ぶりと半魚人のマッチアップぶりも最高。
白い水着のジュリー・アダムスを抱き上げた半魚人のスチール写真は、(少なくともSF)映画史上の名場面の一つである。

平和的な弱者でもある半魚人。
一方、半魚人を殺してでもアメリカに持って帰ろうとする探検隊のスポンサーの野望。
それに対し、科学者的良心を持つ主人公(ジュリー・アダムスの恋人役)というお馴染みの登場人物。
根本的には白人中心の価値観で、現地文化への興味や尊重に乏しいという、50年代のハリウッド映画そのもの。
それよりは、半魚人のデザイン、ジュリー・アダムスの水着姿を楽しむ作品。
半魚人の水中シーンにも力を入れている。
半魚人が泳げば泳ぐほど、人間の動きと同一であることが露わになってはいたが。

続編も3Dで製作されたとのこと。
捕獲された半魚人がアメリカに連れてゆかれ、人間として再教育されるが、うまくいかず人間を襲い、パニックが起こる、というもののようだった。

ジュリー・アダムス。「決闘一対三」(53年)より

「恐怖の雪男」  1957年   ヴァル・ゲスト監督   イギリス・ハマープロ

イギリスのハマープロダクションが、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」で全世界的にヒットする直前に製作した作品。
折からヒマラヤ初登頂や雪男の足跡の写真が世界的ニュースとなったタイミングで製作された。

出だしからハリウッド映画とは違う、ドキュメンタルで地味な緊張感。
これがイギリス映画のムードなのか。
ハリウッド映画なら、絶叫要員の若手女優に色気のある格好をさせ、大衆小説の舞台のような無国籍なセットで、『出るぞ、出るぞ』とゾクゾク感をあおるところ。

東宝の「獣人雪男」(55年 本多猪四郎監督)では、雪に閉ざされた山奥の駅で登山者がいつ来るかわからぬ列車を待つという出だしから、秘境感漂う伝奇的な映画空間が意図的に演出されていた。

本編の「恐怖の雪男」では博士(ピーター・カッシング)が植物研究で滞在するヒマラヤ奥地の僧院の日常風景から始まる。
ラマ僧たちの読経の声、奥の部屋に鎮座するラマと彼に仕えるラマ僧たち。
セリフが多いラマ以外はアジア人エキストラを使っている。

ハリウッド映画なら必要以上に強調するであろうエキゾチシズムが、ギラギラしたものではなくどこか記録映画風にも客観的表現にも感じられる。
アジア各地に植民地支配を実践してきたイギリス文化の蓄積がなせる業なのか。

紅一点の博士の妻も登場するが、博士の同僚の研究者、登山者であり、知性的ではあるがセクシーではない。
雪山の物語であるから肌も出さない。
危機的状況にも絶叫はしない。
ましてや雪男に(抱きかかえながら)拉致されることなど、金輪際ない。

ラマの僧院の中庭を歩く博士

未知の生物・雪男(劇中ではイエテイ、スノーマン、クリエイチュアと表現される)へのこの映画のアプローチは、現地ラマ僧たちが語る『見てはいけないもの、畏れの対象、いないもの』と認識の認識に準拠している。

博士は実在を調査したいと思い、植物研究と銘打って僧院に滞在し、チャンスをうかがっているところに、本国から一団がやって来る。
雪男で一儲けしようという山師のような男(フォレスト・タッカー)率いる一行で、現地人を手荒く使い、ポーターには賃金を払い伸ばし、下品に食事をする。
博士はこの一団に同行する。
雪男への尽きせぬ科学的興味のため。

山師を迎える博士と妻

良心的科学者と功名的実業者を対立的に配置するのは「大アマゾンの半魚人」同様だが、細かな描写には大きな違いがある。
現地人に対する白人の支配的な振る舞いの具体的描写には、イギリスのしたたかな歴史の滓を感じるし、延々とした高所の登山シーンでは、ヒマラヤの自然への畏敬を感じる。
「大アマゾンの半魚人」ではあまり感じられなかった、現地の自然、風土への興味、関心といったものが、「恐怖の雪男」ではチベット文化、ヒマラヤへの客観的な尊重として映画の根底をなしている。

文化的側面のみの映画ではなく、雪男の謎から醸し出されるサスペンスに満ちた作品でもある。
人間同士の葛藤、自然との対決のスリルもある。
何より強調されるのは、雪男そのものより、雪男を使っての名声、実利の妄想に突き動かされる人間達が醸し出す我執の迷宮である。

檻で雪男を捕まえようとする一行

ヒマラヤとチベット文化の最深部に位置する触れてはならぬ象徴が雪男だった。
映画終盤までその具体的描写は、テントの内部に延びる腕と咆哮だけで表現され、最後に至るまでバックライトに浮かぶ全身像と、顔半分の描写に留められる雪男の姿のみが表れるだけである。

山師が射殺した一匹を観察した博士は、それを『知性を持った優しい表情』と表現し『人間が介入すると滅びる存在』と評価する。
このセリフは、雪男の実像を、特撮の着ぐるみで描写するより効果的に表現している。

山師一団はことごとくヒマラヤの自然によって死に絶え、かろうじて生き残った博士は、身の危険を顧みず助けに来た妻たちとともに僧院に生還する。
ラマの前で『雪男はいなかった(人間が介入してよい存在ではない)』と報告する博士のセリフがこの作品の結論だ。

ヒマラヤという大自然が支配した、人知が及ばない世界がここに広がっていると同時に、その更に未知の最深部の象徴である雪男は、ましてや部外の人間にとっては、触れてはならぬものなのだった。


「禁断の惑星」  1956年  フレッド・マクラウド・ウイルコックス監督   MGM

ハリウッド最大の映画会社MGMが、2年の歳月をかけ、イーストマンカラー・シネマスコープという当時最高クラスの仕様で仕上げた大作。
宇宙船の光速以上での惑星間移動、宇宙船内の先進的装置類、ロボットの登場、などで後年のSF映画の先駆となった作品といわれる。

船長とアルタ

ファーストシーンで画面の上から宇宙船が現れるのは「スターウオーズ」にコピーされている。
また、宇宙船の乗組員が正体不明の怪物(人間の攻撃的な意識が凝り固まったもの)と闘うというコンセプトは、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフなどのSF小説(スペースオペラと呼ばれる宇宙冒険ものではない種類の)を連想させる。
登場人物は、メカニカルな専門用語や哲学的用語を駆使し、観客をおどろおどろしい世界に引きずり込むのではなく、むしろ突き放す。

宇宙船が目指す惑星にたどりつき、着陸するまで、高速から減速する際に乗員を磁気的に防護したり、着陸地点を立体的宇宙図の中で特定したり、惑星の軌道に乗ってから着陸に至る行程を表現したり、と科学的事実を踏まえて宇宙間移動を描写する。
単にホラーとしてのSF映画ではないことがここからもわかる。

アルタはロボットを制し船長らを博士の書斎に迎える

円盤形宇宙船から階段で惑星に降り立った乗員らが、まったく平服で体を防御していなかったり、宇宙船を守るため隊員が夜警の番をしたりと、前時代的な描写もある。

20年前から惑星に住み着き、宇宙船の着陸に協力的ではなかった博士(ウオルター・ピジョン)の住処は未来型SF映画そのもので、博士が作ったロボットの能力はドラえもんそのものの万能型。
ここら辺は近未来的SFだ。

映画のミューズとして、裸足に体にぴったりしたミニワンピース姿で登場する博士の娘アルタ(アン・フランシス)に早速隊員が迫るというアメリカ映画らしすぎる展開もある。

ロボットは宇宙船に迎えられ操縦する

しかし、隊員らが感じている、博士とその住処、研究対象、20年の間に生まれ育った娘への違和感は、作品のテーマとも結びついた映画の基調をなす。
博士は隊員に重大な秘密を隠しているし、社会と常識を知らずに育った娘が纏う違和感は彼女が博士の犠牲者だということだ。

アン・フランシス扮するアルタは、シーンごとに新しいミニワンピースに着替えるし(隊員から煽情的な格好を非難され、ロボットに命じてロングドレスを作らせる場面があるが)、朝は裸で池で泳ぐし(水着という概念を知らず)、隊員らとキスしても体が反応しない。
絶叫担当でも科学者のような存在でもない。
お色気担当ではあるが。
彼女の、アメリカンガール的な明るさが、妖艶さと反対の、人知に染まらぬ自然児的な色合いを出している。

ウオルター・ピジョン、アン・フランシス、ロボット

ある日宇宙船が襲われ、隊員が惨殺される。
時期を知った博士は船長らに惑星の秘密を打ち明ける。

惑星には20万年前に高度な文明が栄えていたが、滅んだこと。
ただし各種の高度な装置が、自分でエネルギーを補給し、メンテナンスしながら残っていること。
ここで隊員に紹介される、創造力養成装置という3次元の思考実現装置がスゴイ。
この作品に関わった、脚本家、デザイナーたちのオタク性が存分に発揮された場面だ。

『怪物が美女を抱く』のがハリウッド製SF映画のお約束

自らの意識が怪物となり、隊員のみならず自分にも襲い掛かろうとしたあげく、博士が自らとともに惑星の最期と怪物の破壊を行う。
人間性に目覚めたアルタは愛する船長とともに脱出し地球へ向かう。

作り方やキャステイングによっては、猟奇的・伝奇的な作品になったであろう素材だが、科学的デイテイルへの徹底したこだわりと、オタク的創造性により、地味ながらまじめで内省的な作品となった。

長々とした科学的、哲学的セリフと、それを視覚的に表現したオタク性。
色を添える美女までを配したゼイタクなSF映画であった。

アン・フランシス。「禁断の惑星」は彼女の代表作となった

雪男についての思いで

私が25歳から26歳のかけての1981年に、バックパッカー旅行でネパールに1か月ほど寄ったことがあります。
カトマンズとポカラに滞在したのですが、ポカラから1週間ほど山歩きをしたことがあります。
秀峰マチャプチャレの周りを1か月かけて回るジョムソンルートというトレッキングコースの、ほんの一部を歩きました。

ルート上には車道などはなく、村々を結ぶ交通手段は歩くこと。
気や水道はありません。
物資の運搬にはポニーのような馬を何頭か仕立てて行ったり、急病人はおぶって運んでいたりしました。
外国人にも人気なそのルートは、沿道の村に茶店や食堂、宿泊施設などがあり、コカ・コーラやパンケーキなどといったメニューを出している店もありました。

4日ほどかけて到達した村には、マナスルやダウラギリを遠望できる丘のふもとにありました。
ヒマラヤの名峰を肉眼で見られる地点まで到達したのです。
その村にはトレッキング客専用のロッジがあり外人客で賑わっていました。
そういうロッジには、たいがい英語で接客するスタッフがおり、12歳くらいに見える女の子だったり、若い男だったりが達者な英語で接客しているものでした。
彼ら以外のスタッフ(家族経営?)は恥ずかしそうにしているのが常でした。

そういったロッジの囲炉裏に当たりながら、英語を話す現地人のスタッフ(若い男)と、カナダから来た二人連れと話していたとき、思いついて「イエテイはいるのか?」と現地人スタッフに聞いてみました。
彼は、バカにするなと言わんばかりの顔で、半笑いしながら否定しました。
私は意地悪にも「カナダにはサスカッチというイエテイがいるよ」と言って、カナダ人の方を見ました。
カナダ人は苦笑いしながら「ビッグフット」と答えました。

その時のネパール人の、あっけにとられて、茫然自失、しばらく開いた口を塞ごうともしない表情が忘れられません。

その反応の奥底には、若いネパール人が迷信として記憶の底に葬り去っていた、前近代的な地域性や民族性に、外国人が無神経に触れたことへの思いもよらぬショックからのものなのか、それとももっと深いタブーのようなものがあるのかはわかりません。

私にとって、イエテイの棲みかに最も近くまで行った場所で聞いた現地情報は、何も得られなかっただけでなく、その背後の漆黒の闇に深さを思わせたのでした。

DVD名画劇場 淀長さんベスト121より 「散り行く花」、「ノートルダムのせむし男」、「オペラ座の怪人」

「散り行く花」  1919年  D・W・グリフィス監督  ユナイト

映画の父と呼ばれるグリフィスは、イタリアの「カビリア」(15年)を数十回見て「イントレランス」(17年)を撮った。
そのあとにトーマス・バークの短編を原作に撮ったのが本作である。
主人公の12歳の少女役には、撮影当時23歳になろうとしていたリリアン・ギッシュをキャステイングした。
グリフィスとリリアンの出会いは彼女が16歳の時だった、以来グリフィスは自作に起用し続けた。

リリアン・ギッシュ

グリフィスの美少女好みは今では伝説的で、「国民の創生」で追いつめられて山から身投げする美少女や、「イントレランス」バビロン編の戦車を操る美少女などが今に残るが、現実のグリフィスが常に美少女たちに取り囲まれていたといわれる。

「散り行く花」(原題:イエローマンと少女)を見るときにグリフィスの好みを前提にリリアン・ギッシュの服装、髪形、表情、仕草に注目することになる。
彼女はロンドンの貧民窟に、妻に逃げられて残った娘を召使のように虐げる父親と暮らす少女ルーシーを演じる。

帽子からのぞく巻き髪、ショールを肩掛けした貧しいワンピース、うつむき加減に顔をかしげている。
歩くときは猫背加減であきらめたような顔つきで、表情が浮かぶのは、父親の理不尽な折檻におびえるときだけ。

虐待されるルーシー

一方、清朝時代の中国から一人の青年が『野蛮で無秩序な西洋人に心の平和を伝えよう』との夢をもって渡英する。やがて夢破れ、今では貧民窟の雑貨屋に収まっている。
演ずるは白人俳優のリチャード・バーセルメス。
この作品ではほかの重要な中国人役にも白人を配しているし、ちょっとだけ画面に映る黒人役も黒塗りした白人エキストラだったりする。
そういう時代の作品だった。

ルーシーは、スラム街のボクサーの父親から理不尽な扱いを受け続ける。
時としてその描写はサデイステイックである。
これはグリフィスの好みであるのだろうか。
折檻そのものに興味があるのか、耐える美少女が好みなのかはわからないが。

父親の荒れ狂う鞭を逃れてルーシーがイエローマン(中国青年)の店へ迷い込む。
かねてからルーシーを崇拝していたイエローマン(字幕でもこう表記されている)は大切な花のようにルーシーを扱う。

イエローマンに匿われるルーシー

ここで字幕の字体が装飾体になり、大げさな美文調で二人の出会いが綴られる。
ルーシーに中国服を着せ、ベッドに横たわらせ、線香を焚いて仏壇に祈るイエローマン。
彼はルーシーを『ホワイトブロッサム』と呼ぶ。
ルーシーもただうっとり。
「散り行く花」のまさにハイライトシーンだ。

チャイナスタイルのルーシー

グリフィスの美少女趣味が、サデイステックなものだけではなく、美少女に対しプラトニックにかしずく方向性を持っていることがわかる。

この作品でスターダムに乘ったリリアン・ギッシュは、60歳を超えたときの「狩人の夜」(55年 チャールズ・ロートン監督)でも、90歳を超えたときの「八月の鯨」(87年 リンゼイ・アンダーソン監督)でも、良識に溢れたキャラクターを演じ、清純派としての生涯を全うした。

淀長さんベスト121の7番目にランクインした作品。
なお淀長さんは「MyBest37 私をときめかせた女優たち」でリリアン・ギッシュを取りあげている。
サブタイトルは「奇跡の映画。女神」だった。


「ノートルダムのせむし男」  1923年   ウオーレス・ワースリー監督  ユニバーサル

怪奇俳優として一世を風靡したロン・チャニーが、ヴィコトル・ユゴー原作の「ノートルダムのせむし男」のカジモドを演じる。
ノートルダム大聖堂、その建物内部、宮殿の間、中世パリの貧民窟、地下水道などを大セットで再現し、数百人のエキストラに当時の服装をさせ再現した大作。
製作はカール・レムリとアービング・サルバーグだが、実質の製作者は出演を熱望したチャニーその人だったという。

ロン・チャニーのカジモド

まずはノートルダム大聖堂の大セットを生かした撮影に見とれる。
聖堂のバルコニーからはるか下を眺めた広場の大群衆、聖堂の壁を上り下りするカジモドのスリリングな動き。

チャニーのメイクは一目見たら忘れられない。
顔の原型をとどめない、ほほのコブと突き出した右の眼球。
チロチロと舌を突き出す演技と、背を縮めたかのような短い体躯と曲がった脚でひょこひょこ動くのも不気味。

鞭うたれるカジモドに水を恵むエスメラルダ

暴君ルイ11世治世下のパリ。
大聖堂には誠実な執事がいて、その兄の謀略に生きるジュハンがいる。
王の親衛隊長フィーバスや貧民窟の大将クロピンも。
そのクロピンには、さらってきた赤ん坊をジプシーの踊子として育て上げた娘のエスメラルダ(パッツイ・ルース・ミラー)がいる。

死の間際に大聖堂の鐘をつくカジモド

エスメラルダは優しい娘で、公開むち打ちの刑にされたカジモドに水を恵んでやる。
親衛隊長のフィーバスはエスメラルダに一目ぼれして追いかけまわす。
ジュハンは謀略をめぐらし、カジモドを捨て駒のように使い倒すが純粋な心のカジモドはジュハンへの恨みを忘れず、エスメラルダに心を許す。
善人と悪人をはっきり分けるのが文豪ユゴー流なのか。

体制側の腐敗、上流社会出身の武術者の無力、大衆の反乱などが表面的に描かれるが深みはない。
大聖堂に象徴されるキリスト教的正義の維持と主人公のハッピーエンドはハリウッド流価値観によるものだろう。
原作ではエスメラルダが死ぬが、映画では親衛隊長と結ばれる。
どちらも、姿形は醜くとも心は純粋なカジモドは死んでゆくのだが。

淀長ベスト121の20番目。
オリジナルの日本公開タイトルはこの通りだが、DVD版では「ノートルダムの男」となっている。


「オペラ座の怪人」   1925年  ルバート・ジュリアン監督    ユニバーサル

日本公開時のタイトルは「オペラの怪人」。
今回はDVD版のタイトルで紹介する。

「ノートルダムのせむし男」ですさまじいメイクを見せたロン・チャニー主演の怪奇ロマン。
隠れた主役はパリのオペラ座そのものである。

ファントムメイクのロン・チャニー

華やかなオペラ座には伝説がある。
地下の拷問室だったところにはファントムが棲む、と。

音楽の天才で、オペラ座のプリマドンナが気に入らないと、舞台のシャンデリアを落とすなどの妨害をし、近づくスタッフには死をもって応えるファントム。
一方気に入ったプリマがいると、壁越しに歌を教えたりする。
今回のドラマはただ気に入られただけではなく、愛をささげ、またプリマから愛をもって応えることを要求したファントムの物語。

ファントムとクリスチーヌ

導入部、その他大勢のバレリーナたちが集団で右往左往しながら、オペラ座の奈落や地下室でファントムの存在をスタッフに聞いて回る。
可愛いバレリーナの集団に見とれながらドラマに導かれる。

美人プリマのクリスチーヌがファントムに気に入られる。
クリスチーヌの前に仮面をかぶって現れるファントム。
その仮面は、ピーター・ローレにも中国劇の人形にも似た情けない表情なのがかわいい。

仮面舞踏会に現れたファントムの雄姿

ファントムの性格は独善的でわがままでおまけに独占的。
とても女心にアピールするものではなく、20年代の完全に受け身の女性をしても全く受け入れられない。
クリスチーヌにしても脅迫的になされたファントムとの約束を、解放後に即破るくらい一方的なものなのだ。

クリスチーヌの性格付けもこの時代にしては全くの受け身ではなく、その場しのぎの嘘をつきながら、自分の欲望に正直に生きる行動的な女性に描かれている。

ピアノを弾きながらのポーズ。これがファントムのパフォーマンスだ

映画の後半は、驚異的にメカニカルに守られているオペラ座地下のファントムの部屋(基地でもある)における攻防がスペクタクルに描かれる。
頭脳的で、ナルシステイックなファントムのふるまいが凄い。
50年後に「ファントムオブパラダイス」(1974年 ブライアン・デ・パルマ監督)としてオマージュされるほどのハリウッド古典キャラクターのパフォーマンスの、これが原典だ。

乗りに乗ったロン・チャニー

ロン・チャニーのメイクは、仮面を取ったあとの怪奇派的メイクより、仮面をかぶったままの想定外の不気味さがいい。
怪物におびえる美人の演技をクリスチーヌ役のメアリー・フィルピンが完璧に演じるが、これはのちの怪奇SFドラマにおける美人の恐怖演技の模範となったはず。

ハリウッド第一期タイクーンの一人、カール・レムリ率いるユニバーサルが、トーキーになってヒットさせた、べラ・ルゴシやボリス・カーロフのドラキュラ、フランケンシュタインものの先駆を成す、ユニバーサルホラーの古典。

恐怖する美女の決定版、メアリー・フィルピン

DVD名画劇場 淀長さんベスト121より「チート」と早川雪州

KAWADE夢ムック「サヨナラ特集淀川長治」より

1999年河出書房新社刊の淀川長治追悼ムック本が手許にある。

ご本人の生い立ち以来の口絵写真に始まって、双葉十三郎、蓮実重彦/山田宏一との対談、本人エッセイ、講演録、果ては吉行淳之介や北野武との対談までを採録した稀覯本というかマニアックな内容なのだが、目次の一つに「映画百年これだけは見ておきたい私が愛する100本の映画」がある。

表紙

『すべてが貴重品。映画の教科書ばかりですよ…』と銘打った題目で、初出は94年7月号の文芸春秋とのこと。
100本というオーダーに平気で121本出すところも淀長さんの面目躍如。
古今東西の名画が並んだ。

ベスト121の一覧

私など、小学校から中学、高校と「日曜洋画劇場」で、50年代からのハリウッド名画の数々をその独特の解説とともに学ばせていただいた我等が淀長さんご推薦の100本である。

淀長さんこと淀川長治さんは、戦後すぐの時代から「映画の友」の編集者として、映画の解説、紹介の分野で文字通り日本の最先端を歩み続けた人で、来日した映画製作者、監督、スターらへのインタヴューや、2回のハリウッド訪問の記録に接するにつけ、その映画愛、人間愛に感銘を受けざるを得ない。
『私はまだ嫌いな人に会ったことはない』(淀長さんの金言)のだ。

ハリウッド訪問時の淀長さん。セシル・B・デミルと

手許にあるDVDから淀長さんベスト121に選ばれた作品を選んで見た。

「チート」  1915年  セシル・B・デミル監督  パラマウント

淀長さんベスト121の第4位は「チート」(第4位といってもベスト4ということではなく、ベスト121の映画を年代順に並べた4番目ということ)。

古めかしいサイレント映画と思いきや、古臭さよりも映画的活力、先進的技法、早川雪州のギラギラした野心が画面を横溢し、そうしたエネルギーが全く古びていない作品。

コンセプトは、アメリカ現代人の危うさと、その救い。
主人公らは中産階級のアメリカ人夫婦。
夫人の浪費の危機、株取引に依存する夫の危うさが描かれる。
一方、ビルマの象牙王・アラカワという社交界のパトロンがいて、金力と性的魅力で世の婦人たちを狙っている。
そうとも知らずに浪費を続け、赤十字慈善事業の寄付金にまで手を付ける無知で見栄っ張りな夫人。
株価に頼って虚業の世界で生きている夫は妻の浪費の心配以前に、株価が心配だ。

主人公夫婦が覗き見る経済的、貞操的、犯罪的地獄の入り口に口を開けているのが「東の野蛮人」ことアラカワであり、若く、エネルギッシュな早川雪州が演じて、アメリカ人の主人公夫婦役の俳優女優を完全に食っている。

夫人は破滅寸前まで見栄っ張りを貫き、アラカワの毒牙にかかり、焼き鏝を押されてしまう。
貞操だけは守り抜く。
夫は妻の危機を察し、すんでのところで介入、アラカワを射殺した妻の肩代わりとして逮捕される。
裁判でも罪を着ようとする夫だが妻が真実をぶちまけ逆転無罪となる。
アラカワは民衆によるリンチを受けず、法の下の正義によって裁かれる。

物語のベースにあるのは、人種的・文化的偏見であるから、アラカワなる人物は、強欲で悪辣で好色でついでにサデイステイックな存在として描かれており、主人公夫婦のはまった「地獄の入り口」の象徴であり、白人の仲間としての人間ではない。
アラカワと共に登場する日本趣味の小道具、畳・仏像・線香、などは中国文化とごっちゃになった『ハリウッド式東洋趣味』ではなく、正確な日本趣味であるが、それは彼らが日本に興味があるからではなく、早川が導入したのかどうか、いずれにせよ、たまたまのものであろう。
映画の精神は、字幕にも出てくる『東は東、西は西。両者は出会うことはない』なのだから。
排日主義、黄禍論というより、異邦人に関心を持つ精神的、文化論的余裕も想像力もないのであろう、アメリカ社会もハリウッドも。

金融資本主義の危うさ、浪費の危うさ、パーテイに象徴される華美で見栄っ張りな習慣の危うさをピューリタン的精神で批判しつつ、法に基づく正義を謳った作品。
アラカワに象徴される異文化、異邦人は、当初はあくまで映画的興味の範囲内の扱いだったろうが、終わってみるとアラカワこと早川雪州しか印象に残らない作品となった。

わかりやすくテンポの良いスジ運び。
シルエットを生かした絵づくりなどデミルの演出は的確だった。

有名な、アラカワによる白人女性への焼き鏝あてのシーンは、本筋に怪しくグロテスクに彩を添える、デミル的な効果を狙ったもので、その俗物的な狙いは十分に効果を発揮した。
むしろ効果を発揮しすぎて、観客の特に女性は、雪州のぞくぞくするセックスアピールとしてとらえたようだった。

いずれにせよ、雪州の存在は、ルドルフ・ヴァレンチノのように異人種の怪しい性的な魅力の象徴だったようだ。
ヴァレンチノがアラブ人に扮し、白人娘と結ばれぬ恋に落ちたサイレント映画でも、二人の結ばれぬ愛について『東は東、西は西』と字幕が出ていた。(当時はアラブ人は、アジア人同様に『東』の存在だった)。

(おまけ)「人間の記録87 早川雪州 武者修行世界を行く」1999年 日本図書センター刊より

手許に「チート」の主演、早川雪州の自伝があるので読んでみた。
思っていたより数十倍面白い。

表紙

明治23年に房総半島の海岸部の村に代々村長をつとめた家に生まれ、海軍兵学校を目指すが耳の炎症で不合格に、それならばと渡米してシカゴ大学で法律を学び始める。
父親の死去に伴い帰国しようとロサンゼルスに向かうが、その時にたまたま入った日本人向けの芝居小屋でひらめき、徳富蘆花の「不如帰」を脚色して自ら主演、これが評判になる。

芝居に目覚め、アメリカ人向けに「タイフーン」という芝居を打ったところ、ニューヨークの映画会社社長トーマス・インクの目に留まり映画化。
「タイフーン」はパラマウントが配給しヒット、同社(正確にはトーマス・インクのプロダクション)と4年の契約を結ぶ。
パラマウント時代の代表作は「チート」のほか、メキシコで撮影した「ジャガーの爪」(17年)など。

パラマウントとの契約終了後は独立プロを作って映画製作をしたが、排日のアメリカからフランスに渡り、戦中戦後はパリで過ごした。
その後はアメリカ、日本を往復し、舞台、映画で活躍した。

目次

雪州の自伝が面白いのは海外に渡ってからのエピソードの破天荒さだ。
渡米第一夜のサンフランシスコで地元のチンピラに絡まれ柔道技で撃退したり、俳優として売れてからは、たかってくるチンピラたちを恐れずにふるまったりのエピソードがつづられる。
まさに大正期に世界を股にかけて探検したり、無銭旅行をした幾多の同輩たちの痛快な旅行記を読んでいるかのような気持ちにさせてくれる。
この時代に世界に打って出た日本人青年たちの、無鉄砲さ、開き直り、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、の精神が脈々と波打っている。
そういう時代だったのだ。

ハリウッド時代には禁酒法もものかわ、自宅の豪邸で何百人も招待しての乱痴気騒ぎをした記述もある。
また、スター周辺には「金堀リ女」と呼ばれるものがいて因縁をつけて結婚を迫ることも。
チャップリンやミッキー・ルーニーが何度も結婚するのはそういった女に引っかかったから、とか。
独立プロで「赤い鉛筆」を撮影したときには、合同で製作した会社の社長が200万ドルの生命保険を雪州にかけ、セットの事故を装って殺されそうになったことも。
本当かどうかはともかく、ハリウッドらしい、浮世離れしたエピソードの数々。
危機一髪で切り抜ける雪州の、大正時代の日本男児的面目躍如ぶりも素晴らしい。

雪州と妻

「戦場にかける橋」(57年 デヴィッド・リーン監督)では3か月間セイロンでロケし、男ばかりで女っ気が全くなく、現地の女性らを招待するがやってきたのは子供ばかり。
スタッフらがノイローゼになり自費で奥さんらを呼び寄せた話。

「緑の館」(59年 メル・ファーラー監督)ではアマゾンの酋長を演じ4週間の現地ロケ。
もう少しでクランクアップというある日、着物を着、扇子を開いて日本娘に扮したオードリー・ヘプバーンがキャデラックで慰問にやってきた話。
やはり映画関係の話が面白い。

後半には仏教と禅に傾倒し、精神と肉体の関連を話したり、俳優の相談に乗ったりした話が出てくる。

そういえば国際的に売れた後の大島渚が雪州を素材にして「ハリウッド・ゼン」という映画を企画していたことを思い出す。
もっとも主役は坂本龍一かジョン・ローンだったろうから、全盛期の雪州の妖気と色気の再現は無理だったろう。