DVD名画劇場 特集・妄執、異形の人々 その1 水と雪と宇宙に潜むもの

特集・妄執、異形の人々」とは

これはシネマヴェーラ渋谷というミニシアター(上映番組はまさに名画座というにふさわしい)の夏の恒例特集のタイトルから頂いたネーミングです。
シネマヴェーラでは夏になるとこのタイトルを銘打ち、石井輝夫の「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」や新東宝版「一寸法師」などのカルトといわれる邦画作品を上映していたのです。

カルト作品の上映が一巡し、シネマヴェーラが『妄執、異形の人々』特集を取りやめた今日、代わりにDVD名画劇場の夏の特集として、洋画版カルト作品を特集してみたのです。
第一回は、怪物が出てくる3作品の特集。

得体のしれぬ神の創造物は、水面下にも雪山にも宇宙にもいるのでした。

「大アマゾンの半魚人」  1954年  ジャック・アーノルド監督  ユニバーサル

サイレント時代には、ロン・チャニー主演で「ノートルダムのせむし男」、「オペラ座の怪人」など大掛かりなゴシックロマンでヒットを飛ばし、トーキーになって「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」などで、主演のベラ・ルゴシ、ボリス・カーロフともども伝説を作ったユニバーサル映画が新たな怪物を創造した!

これまでの原作ものから一変、ユニバーサルが作ったのは、オリジナルストーリーによる、未知の怪物が未踏のジャングルの水面下から現れ、探検隊を襲うという、今もファンに愛される伝奇的SF映画だった。

半魚人とジュリー・アダムスその1

白人の老博士が、アマゾンの奥深く海洋生物の調査を行っていたところ、未知の生物の手の化石を発見する。
博士はブラジルの海岸部で肺魚の研究をしている教え子の科学者たち(その中には若い美女も含まれている)の応援を得て、化石生物の本格調査をすべく、現地人が近寄らないブラックラグーンと呼ばれる沼沢地へ船で乗り込む。

チェアに寝ころび、蚊帳付きのベッドで暮らす優雅な探検隊は、危険を顧みずアクアラング一丁で怪しげな沼での潜水を繰り返す。
美女(ジュリー・アダムス)は白いホットパンツ姿で男たちの潜水を見守りながら、ある時は我慢できず、白い水着姿で未知の沼に飛び込む。
水底の水草の陰では半魚人がその姿を眺めている。
たまたまその姿を目撃した男たちは、未知の生物存在の証拠を持ち帰らんと興奮する。

半魚人はテントを襲い、船によじ登っては、現地人スタッフを絞め殺したりもするが、美女が泳いでいるのを見るとシンクロして泳いだり、その足に恐る恐る触ろうとしたりと、かわいらしい仕草も見せる。
最後には、思い余って美女を抱き上げて沼に飛び込み、棲みかへ連れ込むが、白人男どもが黙っているはずもなく、水中銃とライフルで仕返しされるという結末が待っている。
手つかずの神秘が文明人によって蹂躙されることになる。

半魚人とジュリー・アダムスその2

3D映画として製作され、今に至るまでファンを持ち、その後の海洋ショッカーものや怪物ものの原典としてリスペクトされている作品。
何よりも半魚人のデザインが、映画のイメージとぴったりな点が素晴らしい。
永遠のキャラクターの誕生だ。

ジュリー・アダムスの水着姿と絶叫ぶりと半魚人のマッチアップぶりも最高。
白い水着のジュリー・アダムスを抱き上げた半魚人のスチール写真は、(少なくともSF)映画史上の名場面の一つである。

平和的な弱者でもある半魚人。
一方、半魚人を殺してでもアメリカに持って帰ろうとする探検隊のスポンサーの野望。
それに対し、科学者的良心を持つ主人公(ジュリー・アダムスの恋人役)というお馴染みの登場人物。
根本的には白人中心の価値観で、現地文化への興味や尊重に乏しいという、50年代のハリウッド映画そのもの。
それよりは、半魚人のデザイン、ジュリー・アダムスの水着姿を楽しむ作品。
半魚人の水中シーンにも力を入れている。
半魚人が泳げば泳ぐほど、人間の動きと同一であることが露わになってはいたが。

続編も3Dで製作されたとのこと。
捕獲された半魚人がアメリカに連れてゆかれ、人間として再教育されるが、うまくいかず人間を襲い、パニックが起こる、というもののようだった。

ジュリー・アダムス。「決闘一対三」(53年)より

「恐怖の雪男」  1957年   ヴァル・ゲスト監督   イギリス・ハマープロ

イギリスのハマープロダクションが、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」で全世界的にヒットする直前に製作した作品。
折からヒマラヤ初登頂や雪男の足跡の写真が世界的ニュースとなったタイミングで製作された。

出だしからハリウッド映画とは違う、ドキュメンタルで地味な緊張感。
これがイギリス映画のムードなのか。
ハリウッド映画なら、絶叫要員の若手女優に色気のある格好をさせ、大衆小説の舞台のような無国籍なセットで、『出るぞ、出るぞ』とゾクゾク感をあおるところ。

東宝の「獣人雪男」(55年 本多猪四郎監督)では、雪に閉ざされた山奥の駅で登山者がいつ来るかわからぬ列車を待つという出だしから、秘境感漂う伝奇的な映画空間が意図的に演出されていた。

本編の「恐怖の雪男」では博士(ピーター・カッシング)が植物研究で滞在するヒマラヤ奥地の僧院の日常風景から始まる。
ラマ僧たちの読経の声、奥の部屋に鎮座するラマと彼に仕えるラマ僧たち。
セリフが多いラマ以外はアジア人エキストラを使っている。

ハリウッド映画なら必要以上に強調するであろうエキゾチシズムが、ギラギラしたものではなくどこか記録映画風にも客観的表現にも感じられる。
アジア各地に植民地支配を実践してきたイギリス文化の蓄積がなせる業なのか。
紅一点の博士の妻も登場するが、博士の同僚の研究者、登山者であり、知性的ではあるがセクシーではない。
雪山の物語であるから肌も出さない。
危機的状況にも絶叫はしない。
ましてや雪男に(抱きかかえながら)拉致されることなど、金輪際ない。

ラマの僧院の中庭を歩く博士

未知の生物・雪男(劇中ではイエテイ、スノーマン、クリエイチュアと表現される)へのこの映画のアプローチは、現地ラマ僧たちが語る『見てはいけないもの、畏れの対象、いないもの』と認識の認識に準拠している。

博士は実在を調査したいと思い、植物研究と銘打って僧院に滞在し、チャンスをうかがっているところに、本国から一団がやって来る。
雪男で一儲けしようという山師のような男(フォレスト・タッカー)率いる一行で、現地人を手荒く使い、ポーターには賃金を払い伸ばし、下品に食事をする。
博士はこの一団に同行する。
雪男への尽きせぬ科学的興味のため。

山師を迎える博士と妻

良心的科学者と功名的実業者を対立的に配置するのは「大アマゾンの半魚人」同様だが、細かな描写には大きな違いがある。
現地人に対する白人の支配的な振る舞いの具体的描写には、イギリスのしたたかな歴史の滓を感じるし、延々とした高所の登山シーンでは、ヒマラヤの自然への畏敬を感じる。
「大アマゾンの半魚人」ではあまり感じられなかった、アマゾンへという自然、風土への興味、関心といったものが、「恐怖の雪男」ではチベット文化、ヒマラヤへの客観的な尊重として映画の根幹をなしている。

文化的側面のみの映画ではなく、雪男の謎から醸し出されるサスペンスに満ちた作品でもある。
人間同士の葛藤、自然との対決のスリルもある。
何より強調されるのは、雪男そのものより、雪男を使っての名声、実利の妄想に突き動かされる人間達が醸し出す我執の迷宮である。

檻で雪男を捕まえようとする一行

ヒマラヤとチベット文化の最深部に位置する触れてはならぬ象徴が雪男だった。
映画終盤までその具体的描写は、テントの内部に延びる腕と咆哮だけで表現され、最後に至るまでバックライトに浮かぶ全身像と、顔半分の描写に留められる雪男の姿のみが表れるだけである。

山師が射殺した一匹を観察した博士は、それを『知性を持った優しい表情』と表現し『人間が介入すると滅びる存在』と評価する。
このセリフは、雪男の実像を、特撮の着ぐるみで表現するより効果的に表現している。

山師一団はことごとくヒマラヤの自然によって死に絶え、かろうじて生き残った博士は、身の危険を顧みず助けに来た妻たちとともに僧院に生還する。
ラマの前で『雪男はいなかった(人間が介入する存在ではない)』と報告する博士のセリフがこの作品の結論だ。

ヒマラヤという大自然が支配した、人知が及ばない世界がここに広がっていると同時に、その更に未知の最深部の象徴である雪男は、ましてや部外の人間にとっては、触れてはならぬものなのだった。


「禁断の惑星」  1956年  フレッド・マクラウド・ウイルコックス監督   MGM

ハリウッド最大の映画会社MGMが、2年の歳月をかけ、イーストマンカラー・シネマスコープという当時最高クラスの仕様で仕上げた大作。
宇宙船の光速以上での惑星間移動、宇宙船内の先進的装置類、ロボットの登場、などで後年のSF映画の先駆となった作品といわれる。

船長とアルタ

ファーストシーンで画面の上から宇宙船が現れるのは「スターウオーズ」にコピーされている。
また、宇宙船の乗組員が正体不明の怪物(人間の攻撃的な意識が凝り固まったもの)と闘うというコンセプトは、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフなどのSF小説(スペースオペラと呼ばれる宇宙冒険ものではない種類の)を連想させる。
登場人物は、メカニカルな専門用語や哲学的用語を駆使し、観客をおどろおどろしい世界に引きずり込むのではなく、むしろ突き放す。

宇宙船が目指す惑星にたどりつき、着陸するまで、高速から減速する際に乗員を磁気的に防護したり、着陸地点を立体的宇宙図の中で特定したり、惑星の軌道に乗ってから着陸に至る行程を表現したり、と科学的事実を踏まえて宇宙間移動を描写する。
単にサスペンスとしてのSF映画ではないことがここからもわかる。

アルタはロボットを制し船長らを博士の書斎に迎える

円盤形宇宙船から階段で惑星に降り立った乗員らが、まったく平服で体を防御していなかったり、宇宙船を守るため隊員が夜警の番をしたりと、前時代的な描写もある。

20年前から惑星に住み着き、宇宙船の着陸に協力的ではなかった博士(ウオルター・ピジョン)の住処は未来型SF映画そのもので、博士が作ったロボットの能力はドラえもんそのものの万能型。
ここら辺は近未来的SFだ。

映画のミューズとして、裸足に体にぴったりしたミニワンピース姿で登場する博士の娘アルタ(アン・フランシス)に早速隊員が迫るというアメリカ映画らしすぎる展開もある。

ロボットは宇宙船に迎えられ操縦する

しかし、隊員らが感じている、博士とその住処、研究対象、20年の間に生まれ育った娘への違和感は、作品のテーマとも結びついた映画の基調をなす。
博士は隊員に重大な秘密を隠しているし、社会と常識を知らずに育った娘が纏う違和感は彼女が博士の犠牲者だということだ。

アン・フランシス扮するアルタは、シーンごとに新しいミニワンピースに着替えるし(隊員から煽情的な格好を非難され、ロボットに命じてロングドレスを作らせる場面があるが)、朝は裸で池で泳ぐし(水着という概念を知らず)、隊員らとキスしても体が反応しない。
絶叫担当でも科学者のような存在でもない。
お色気担当ではあるが。
彼女の、アメリカンガール的なフレッシュさが、妖艶さと反対の、人知に染まらぬ自然児的な色合いを出している。

宇オルター・ピジョン、アン・フランシス、ロボット

ある日宇宙船が襲われ、隊員が惨殺される。
時期を知った博士は船長らに惑星の秘密を打ち明ける。

惑星には20万年前に高度な文明が栄えていたが、滅んだこと。
ただし各種の高度な装置が、自分でエネルギーを補給し、メンテナンスしながら残っていること。
ここで隊員に紹介される、創造力養成装置という3次元の思考実現装置がスゴイ。
この作品に関わった、脚本家、デザイナーたちのオタク性が存分に発揮された場面だ。

『怪物が美女を抱く』のがお約束のイメージ

自らの意識が怪物となり、隊員のみならず自分にも襲い掛かろうとしたあげく、博士が自らとともに惑星の最期と怪物の破壊を行う。
人間性に目覚めたアルタは愛する船長とともに脱出し地球へ向かう。

作り方やキャステイングによっては、猟奇的・伝奇的な作品になったであろう素材だが、科学的デイテイルへの徹底したこだわりと、オタク的創造性により、地味ながらまじめで内省的な作品となった。

長々とした科学的、哲学的セリフと、それを視覚的に表現したオタク性。
色を添える美女までを配したゼイタクなSF映画であった。

アン・フランシス。「禁断の惑星」は彼女の代表作となった

DVD名画劇場 淀長さんベスト121より 「散り行く花」、「ノートルダムのせむし男」、「オペラ座の怪人」

「散り行く花」  1919年  D・W・グリフィス監督  ユナイト

映画の父と呼ばれるグリフィスは、イタリアの「カビリア」(15年)を数十回見て「イントレランス」(17年)を撮った。
そのあとにトーマス・バークの短編を原作に撮ったのが本作である。
主人公の12歳の少女役には、撮影当時23歳になろうとしていたリリアン・ギッシュをキャステイングした。
グリフィスとリリアンの出会いは彼女が16歳の時だった、以来グリフィスは自作に起用し続けた。

リリアン・ギッシュ

グリフィスの美少女好みは今では伝説的で、「国民の創生」で追いつめられて山から身投げする美少女や、「イントレランス」バビロン編の戦車を操る美少女などが今に残るが、現実のグリフィスが常に美少女たちに取り囲まれていたといわれる。

「散り行く花」(原題:イエローマンと少女)を見るときにグリフィスの好みを前提にリリアン・ギッシュの服装、上方、表情、仕草に注目することになる。
彼女はロンドンの貧民窟に、妻に逃げられて残った娘を召使のように虐げる父親と暮らす少女ルーシーを演じる。

帽子からのぞく巻き髪、ショールを肩掛けした貧しいワンピース、うつむき加減に顔をかしげている。
歩くときは猫背加減であきらめたような顔つきで、表情が浮かぶのは、父親の理不尽な折檻におびえるときだけ。

虐待されるルーシー

一方、清朝時代の中国から一人の青年が『野蛮で無秩序な西洋人に心の平和を伝えよう』との夢をもって渡英する。やがて夢破れ、今では貧民窟の雑貨屋に収まっている。
演ずるは白人俳優のリチャード・バーセルメス。
この作品ではほかの重要な中国人役にも白人を配しているし、ちょっとだけ画面に映る黒人役も黒塗りした白人エキストラだったりする。
そういう時代の作品だった。

ルーシーは、スラム街のボクサーの父親から理不尽な扱いを受け続ける。
時としてその描写はサデイステイックである。
これはグリフィスの好みであるのだろうか。
折檻そのものに興味があるのか、耐える美少女が好みなのかはわからないが。

父親の荒れ狂う鞭を逃れてルーシーがイエローマン(中国青年)の店へ迷い込む。
かねてからルーシーを崇拝していたイエローマン(字幕でもこう表記されている)は大切な花のようにルーシーを扱う。

イエローマンに匿われるルーシー

ここで字幕の字体が装飾体になり、大げさな美文調で二人の出会いが綴られる。
ルーシーに中国服を着せ、ベッドに横たわらせ、線香を焚いて仏壇に祈るイエローマン。
彼はルーシーを『ホワイトブロッサム』と呼ぶ。
ルーシーもただうっとり。
「散り行く花」のまさにハイライトシーンだ。

チャイナスタイルのルーシー

グリフィスの美少女趣味が、サデイステックなものだけではなく、美少女に対しプラトニックにかしずく方向性を持っていることがわかる。

この作品でスターダムに乘ったリリアン・ギッシュは、60歳を超えたときの「狩人の夜」(55年 チャールズ・ロートン監督)でも、90歳を超えたときの「八月の鯨」(87年 リンゼイ・アンダーソン監督)でも、良識に溢れたキャラクターを演じ、清純派としての生涯を全うした。

淀長さんベスト121の7番目にランクインした作品。
なお淀長さんは「MyBest37 私をときめかせた女優たち」でリリアン・ギッシュを取りあげている。
サブタイトルは「奇跡の映画。女神」だった。


「ノートルダムのせむし男」  1923年   ウオーレス・ワースリー監督  ユニバーサル

怪奇俳優として一世を風靡したロン・チャニーが、ヴィコトル・ユゴー原作の「ノートルダムのせむし男」のカジモドを演じる。
ノートルダム大聖堂、その建物内部、宮殿の間、中世パリの貧民窟、地下水道などを大セットで再現し、数百人のエキストラに当時の服装をさせ再現した大作。
製作はカール・レムリとアービング・サルバーグだが、実質の製作者は出演を熱望したチャニーその人だったという。

ロン・チャニーのカジモド

まずはノートルダム大聖堂の大セットを生かした撮影に見とれる。
聖堂のバルコニーからはるか下を眺めた広場の大群衆、聖堂の壁を上り下りするカジモドのスリリングな動き。

チャニーのメイクは一目見たら忘れられない。
顔の原型をとどめない、ほほのコブと突き出した右の眼球。
チロチロと舌を突き出す演技と、背を縮めたかのような短い体躯と曲がった脚でひょこひょこ動くのも不気味。

鞭うたれるカジモドに水を恵むエスメラルダ

暴君ルイ11世治世下のパリ。
大聖堂には誠実な執事がいて、その兄の謀略に生きるジュハンがいる。
王の親衛隊長フィーバスや貧民窟の大将クロピンも。
そのクロピンには、さらってきた赤ん坊をジプシーの踊子として育て上げた娘のエスメラルダ(パッツイ・ルース・ミラー)がいる。

死の間際に大聖堂の鐘をつくカジモド

エスメラルダは優しい娘で、公開むち打ちの刑にされたカジモドに水を恵んでやる。
親衛隊長のフィーバスはエスメラルダに一目ぼれして追いかけまわす。
ジュハンは謀略をめぐらし、カジモドを捨て駒のように使い倒すが純粋な心のカジモドはジュハンへの恨みを忘れず、エスメラルダに心を許す。
善人と悪人をはっきり分けるのが文豪ユゴー流なのか。

体制側の腐敗、上流社会出身の武術者の無力、大衆の反乱などが表面的に描かれるが深みはない。
大聖堂に象徴されるキリスト教的正義の維持と主人公のハッピーエンドはハリウッド流価値観によるものだろう。
原作ではエスメラルダが死ぬが、映画では親衛隊長と結ばれる。
どちらも、姿形は醜くとも心は純粋なカジモドは死んでゆくのだが。

淀長ベスト121の20番目。
オリジナルの日本公開タイトルはこの通りだが、DVD版では「ノートルダムの男」となっている。


「オペラ座の怪人」   1925年  ルバート・ジュリアン監督    ユニバーサル

日本公開時のタイトルは「オペラの怪人」。
今回はDVD版のタイトルで紹介する。

「ノートルダムのせむし男」ですさまじいメイクを見せたロン・チャニー主演の怪奇ロマン。
隠れた主役はパリのオペラ座そのものである。

ファントムメイクのロン・チャニー

華やかなオペラ座には伝説がある。
地下の拷問室だったところにはファントムが棲む、と。

音楽の天才で、オペラ座のプリマドンナが気に入らないと、舞台のシャンデリアを落とすなどの妨害をし、近づくスタッフには死をもって応えるファントム。
一方気に入ったプリマがいると、壁越しに歌を教えたりする。
今回のドラマはただ気に入られただけではなく、愛をささげ、またプリマから愛をもって応えることを要求したファントムの物語。

ファントムとクリスチーヌ

導入部、その他大勢のバレリーナたちが集団で右往左往しながら、オペラ座の奈落や地下室でファントムの存在をスタッフに聞いて回る。
可愛いバレリーナの集団に見とれながらドラマに導かれる。

美人プリマのクリスチーヌがファントムに気に入られる。
クリスチーヌの前に仮面をかぶって現れるファントム。
その仮面は、ピーター・ローレにも中国劇の人形にも似た情けない表情なのがかわいい。

仮面舞踏会に現れたファントムの雄姿

ファントムの性格は独善的でわがままでおまけに独占的。
とても女心にアピールするものではなく、20年代の完全に受け身の女性をしても全く受け入れられない。
クリスチーヌにしても脅迫的になされたファントムとの約束を、解放後に即破るくらい一方的なものなのだ。

クリスチーヌの性格付けもこの時代にしては全くの受け身ではなく、その場しのぎの嘘をつきながら、自分の欲望に正直に生きる行動的な女性に描かれている。

ピアノを弾きながらのポーズ。これがファントムのパフォーマンスだ

映画の後半は、驚異的にメカニカルに守られているオペラ座地下のファントムの部屋(基地でもある)における攻防がスペクタクルに描かれる。
頭脳的で、ナルシステイックなファントムのふるまいが凄い。
50年後に「ファントムオブパラダイス」(1974年 ブライアン・デ・パルマ監督)としてオマージュされるほどのハリウッド古典キャラクターのパフォーマンスの原典を見る喜び!

乗りに乗ったロン・チャニー

ロン・チャニーのメイクは、仮面を取ったあとの怪奇派的メイクより、仮面をかぶったままの想定外の不気味さがいい。
怪物におびえる美人の演技をクリスチーヌ役のメアリー・フィルピンが完璧に演じるが、これはのちの怪奇SFドラマにおける美人の恐怖演技の模範となったはず。

ハリウッド第一期タイクーンの一人、カール・レムリ率いるユニバーサルが、トーキーになってヒットさせた、べラ・ルゴシやボリス・カーロフのドラキュラ、フランケンシュタインものの先駆を成す、ユニバーサルホラー作品の古典。

恐怖する美女の決定版、メアリー・フィルピン

DVD名画劇場 淀長さんベスト121より「チート」と早川雪州

KAWADE夢ムック「サヨナラ特集淀川長治」より

1999年河出書房新社刊の淀川長治追悼ムック本が手許にある。
ご本人の生い立ち以来の口絵写真に始まって、双葉十三郎、蓮実重彦/山田宏一との対談、本人エッセイ、講演録、果ては吉行淳之介や北野武との対談までを採録した稀覯本というかマニアックな内容なのだが、目次の一つに「映画百年これだけは見ておきたい私が愛する100本の映画」という項目がある。

表紙

『すべてが貴重品。映画の教科書ばかりですよ…』と銘打ったもので、初出は94年7月号の文芸春秋とのこと。
100本というオーダーに平気で121本出すところも淀長さんの面目躍如。
古今東西の名画が並んだ。

ベスト121の一覧

私など、小学校から中学、高校と「日曜洋画劇場」で、50年代からのハリウッド名画の数々をその独特の解説とともに学ばせていただいた我等が淀長さんご推薦の100本である。

淀長さんこと淀川長治さんは、戦後すぐの時代から「映画の友」の編集者として、映画の解説、紹介の分野で文字通り日本の最先端を歩み続けた人で、来日した映画製作者、監督、スターらへのインタヴューや、2回のハリウッド訪問の記録に接するにつけ、その映画愛、人間愛に感銘を受けざるを得ない。
『私はまだ嫌いな人に会ったことはない』(淀長さんの金言)のだ。

ハリウッド訪問時の淀長さん。セシル・B・デミルと

手許にあるDVDから淀長さんベスト121に選ばれた作品を選んで見た。

「チート」  1915年  セシル・B・デミル監督  パラマウント

淀長さんベスト121の第4位は「チート」(第4位といってもベスト4ということではなく、ベスト121の映画を年代順に並べた4番目ということ)。

古めかしいサイレント映画と思いきや、古臭さよりも映画的活力、先進的技法、早川雪州のギラギラした野心が画面を横溢し、そうしたエネルギーが全く古びていない作品。

コンセプトは、アメリカ現代人の危うさと、その救い。
主人公らは中産階級のアメリカ人夫婦。
夫人の浪費の危機、株取引に依存する夫の危うさが描かれる。
一方、ビルマの象牙王・アラカワという社交界のパトロンがいて、金力と性的魅力で世の婦人たちを狙っている。
そうとも知らずに浪費を続け、赤十字慈善事業の寄付金にまで手を付ける無知で見栄っ張りな夫人。
株価に頼って虚業の世界で生きている夫は妻の浪費の心配以前に、株価が心配だ。

主人公夫婦が覗き見る経済的、貞操的、犯罪的地獄の入り口に口を開けているのが「東の野蛮人」ことアラカワであり、若く、エネルギッシュな早川雪州が演じて、アメリカ人の主人公夫婦役の俳優女優を完全に食っている。

夫人は破滅寸前まで見栄っ張りを貫き、アラカワの毒牙にかかり、焼き鏝を押されてしまう。
貞操だけは守り抜く。
夫は妻の危機を察し、すんでのところで介入、アラカワを射殺した妻の肩代わりとして逮捕される。
裁判でも罪を着ようとする夫だが妻が真実をぶちまけ逆転無罪となる。
アラカワは民衆によるリンチを受けず、法の下の正義によって裁かれる。

物語のベースにあるのは、人種的・文化的偏見であるから、アラカワなる人物は、強欲で悪辣で好色でついでにサデイステイックな存在として描かれており、主人公夫婦のはまった「地獄の入り口」の象徴であり、白人の仲間としての人間ではない。
アラカワと共に登場する日本趣味の小道具、畳・仏像・線香、などは中国文化とごっちゃになった『ハリウッド式東洋趣味』ではなく、正確な日本趣味であるが、それは彼らが日本に興味があるからではなく、早川が導入したのかどうか、いずれにせよ、たまたまのものであろう。
映画の精神は、字幕にも出てくる『東は東、西は西。両者は出会うことはない』なのだから。
排日主義、黄禍論というより、異邦人に関心を持つ精神的、文化論的余裕も想像力もないのであろう、アメリカ社会もハリウッドも。

金融資本主義の危うさ、浪費の危うさ、パーテイに象徴される華美で見栄っ張りな習慣の危うさをピューリタン的精神で批判しつつ、法に基づく正義を謳った作品。
アラカワに象徴される異文化、異邦人はあくまで映画的興味の範囲内だったが、終わってみるとアラカワこと早川雪州しか印象に残らない作品となった。

わかりやすくテンポの良いスジ運び。
シルエットを生かした絵づくりなどデミルの演出は的確だった。

有名な、アラカワによる白人女性への焼き鏝あてのシーンは、本筋に怪しくグロテスクに彩を添える、デミル的な効果を狙ったもので、その俗物的な狙いは十分に効果を発揮した。
むしろ効果を発揮しすぎて、観客の特に女性は、雪州のぞくぞくするセックスアピールとしてとらえたようだった。

いずれにせよ、雪州の存在は、ルドルフ・ヴァレンチノのように異人種の怪しい性的な魅力の象徴だったようだ。
ヴァレンチノがアラブ人に扮し、白人娘と結ばれぬ恋に落ちたサイレント映画でも、二人の結ばれぬ愛について『東は東、西は西』と字幕が出ていた。(当時はアラブ人は、アジア人同様に『東』の存在だった)。

(おまけ)「人間の記録87 早川雪州 武者修行世界を行く」1999年 日本図書センター刊より

手許に「チート」の主演、早川雪州の自伝があるので読んでみた。
思っていたより数十倍面白い。

表紙

明治23年に房総半島の海岸部の村に代々村長をつとめた家に生まれ、海軍兵学校を目指すが耳の炎症で不合格に、それならばと渡米してシカゴ大学で法律を学び始める。
父親の死去に伴い帰国しようとロサンゼルスに向かうが、その時にたまたま入った日本人向けの芝居小屋でひらめき、徳富蘆花の「不如帰」を脚色して自ら主演、これが評判になる。

芝居に目覚め、アメリカ人向けに「タイフーン」という芝居を打ったところ、ニューヨークの映画会社社長トーマス・インクの目に留まり映画化。
「タイフーン」はパラマウントが配給しヒット、同社(正確にはトーマス・インクのプロダクション)と4年の契約を結ぶ。
パラマウント時代の代表作は「チート」のほか、メキシコで撮影した「ジャガーの爪」(17年)など。

パラマウントとの契約終了後は独立プロを作って映画製作をしたが、排日のアメリカからフランスに渡り、戦中戦後はパリで過ごした。
その後はアメリカ、日本を往復し、舞台、映画で活躍した。

目次

雪州の自伝が面白いのは海外に渡ってからのエピソードの破天荒さだ。
渡米第一夜のサンフランシスコで地元のチンピラに絡まれ柔道技で撃退したり、俳優として売れてからは、たかってくるチンピラたちを恐れずにふるまったりのエピソードがつづられる。
まさに大正期に世界を股にかけて探検したり、無銭旅行をした幾多の同輩たちの痛快な旅行記を読んでいるかのような気持ちにさせてくれる。
この時代に世界に打って出た日本人青年の、無鉄砲さ、開き直り、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、の精神が脈々と波打っている。
そういう時代だったのだ。

ハリウッド時代には禁酒法もものかわ、自宅の豪邸で何百人も招待しての乱痴気騒ぎをした記述もある。
また、スター周辺には「金堀リ女」と呼ばれるものがいて因縁をつけて結婚を迫ることも。
チャップリンやミッキー・ルーニーが何度も結婚するのはそういった女に引っかかったから、とか。
独立プロで「赤い鉛筆」を撮影したときには、合同で製作した会社の社長が200万ドルの生命保険を雪州にかけ、セットの事故を装って殺されそうになったことも。
本当かどうかはともかく、ハリウッドらしい、浮世離れしたエピソード。
危機一髪で切り抜ける雪州の、大正時代の日本男児的面目躍如ぶりも素晴らしい。

雪州と妻

「戦場にかける橋」(57年 デヴィッド・リーン監督)では3か月間セイロンでロケし、男ばかりで女っ気が全くなく、現地の女性らを招待するがやってきたのは子供ばかり。
スタッフらがノイローゼになり自費で奥さんらを呼び寄せた話。

「緑の館」(59年 メル・ファーラー監督)ではアマゾンの酋長を演じ4週間の現地ロケ。
もう少しでクランクアップというある日、着物を着、扇子を開いて日本娘に扮したオードリー・ヘプバーンがキャデラックで慰問にやってきた話。
やはり映画関係の話が面白い。

後半には仏教と禅に傾倒し、精神と肉体の関連を話したり、俳優の相談に乗ったりした話が出てくる。
そういえば国際的に売れた後の大島渚が雪州を素材にして「ハリウッド・ゼン」という映画を企画していたことを思い出す。
もっとも主役は坂本龍一かジョン・ローンだったろうから、全盛期の雪州の妖気と色気の再現は無理だったろう。

DVD名画劇場 メリナ・メルクーリ「日曜はダメよ」

メルクーリとダッシン

メリナ・メルクーリはギリシャに政治家一家の娘として生まれ、舞台女優のキャリアを積んでいたが、アメリカ人監督のジュールス・ダッシンと知り合い恋に落ちる。
二人とも既婚者で、ダッシンには子供もいた。

ニューヨークにユダヤ人移民の子として生まれたダッシンは、映画監督として「真昼の暴動」(47年)、「裸の町」(48年)などドキュメンタリータッチの作風で売り出していたが、マッカーシズムの犠牲者としてヨーロッパに亡命的な移住を余儀なくされていた。
数年のブランクを経て、フランスで「男の争い」(55年)を撮り、カンヌ映画祭で監督賞を受賞した。
メルクーリと出会ったのはそのころだった。

メルクーリとダッシン

意気投合した二人は「宿命」(57年)、「掟」(58年)を独立プロデユーサーと組んで作り上げた。
のちに「日曜はダメよ」の原案となるアイデアをダッシンが思いつき、ユナイトのヨーロッパ支社長に出資と配給を取りつけてできたのが本作である。

ダッシンは(「日曜はダメよ」について)語る。
『他人に自分の考えをそっくり押し付けようとする男の話』
『万事うまく行っているところにずかずか入ってゆき、何でもかんでも捻じ曲げてしまう男なんだ。その彼が一人の女に出会う。彼女はギリシャ人で、男はアメリカ人だ』
『悪い奴じゃない。ただ危険なほどナイーブなんだ。ボーイスカウト、つまりとてつもなく単純なんだ。彼女はとても幸せで、彼にはそれが我慢ならない。彼女が幸せなはずはないと思っているんだ』。
(メリナ・メルクーリ著「ギリシャわが愛」1975年合同出版社刊P177、178より)。

ギリシャのピレウス港を舞台にした物語はこうして始まった。

メリナ・メルクーリ著「ギリシャわが愛」1975年合同出版社刊
同・目次

「日曜はダメよ」  1960年  ジュールス・ダッシン監督  ギリシャ

ピレウスの娼婦イリアを演じるメリナ・メルクーリ。
目が大きく、スタイルがよく、自分の魅力がわかっている。
育ちの良さが隠せない、生まれながらのヒロイン。
たばこの吸いすぎとウーゾ(ギリシャのスピリッツ)の飲みすぎで声がガラガラ。

ダッシンの演技は、ニューヨーク時代にイディッシュ語の舞台で鍛えた歩き方が、踊るようだ。
アメリカ人らしい直情的な反射神経もある。
ただし、常に尖っていて「文明人」らしい余裕はない。

イリアとホーマー

ダッシン扮するアメリカ人哲学者ホーマーが体験するギリシャは、例えばブーズーキという弦楽器の演奏が流れるタベルナ(酒場)では、ウーゾ以外のものを注文されるのを嫌がり、興が乗ってくるとおっさんがソロで踊り出す。
そのおっさんは踊りに拍手されると侮辱されたと感じる。
なぜならソロの踊りは全く自分のためだけの踊りだからだ。

タベルナではウーゾのグラスを空けると、グラスを床でたたき割る。
ホーマーがアメリカで流行っている精神分析をひけらかし、ギリシャ人に「(その気持ちは)母への憎しみが潜在的にあることが原因だ」などと言おうものなら、「母親は聖母だ!」と反論と反撃のパンチを浴びる。

ホーマーはギリシャの習慣と精神にいちいちびっくりし、大げさな反応を示すが、映画は勝手にアメリカ文化(精神分析、アンチアルコール、キリスト教原理主義的な倫理観、科学信仰、西欧文化への偏重など)を押し付けるホーマーの場違い感を強調する。

イリアを中心に、美しいものを愛で、義務感よりも楽しみを生きがいとするピレウスの港町で働く男たちは、時として、イリアをヒロインとしたミュージカルのバックダンサー兼コーラスの如く描かれる。
その幸福感は、見ているものが「実際のギリシャ社会はそんなものじゃないだろう」と、醒める思いをするほど予定調和的に美化されてもいる。
それらの予定調和感は、ダッシンがそこまで深くギリシャを理解していないことの表れだろうし、また敢えてギリシャ社会の現実をそこまで深く描こうとしなかったからでもあろう。

この作品にとってのギリシャは、イリアという娼婦に象徴されている。
それはとてつもなく魅力的で困惑的ながら、誇り高く、それでいて恐ろしく無知で、直感的で、『進歩性』のないギリシャそのものである。

彼女はギリシャ悲劇を円形劇場で観劇して、涙を流しまた爆笑するが、その悲劇的結末を自分流に解釈するのだ。
「主人公たちは和解して海岸へ行く』と。
これがホーマーには理解できない、最後まで。
そしてピレウスの港に軍艦がやって来ると矢も楯もなくワクワクし水兵たちを迎えに駆け出したくなるのだ。
彼女を「教化」しようと散々試みたホーマーを軽く裏切って。

イリアと愛する男

ダッシンの脚本は、おせっかいなアメリカ人のギリシャ文化への出会いと、相互無理解と、アメリカ人による「教化」の失敗を描きつつ、ギリシャ文化への愛着は、深い理解は保留しつつも、メルクーリの太陽のような存在に託して思いっきり打ち出している。

メルクーリが登場する部分は、ほぼ彼女の自由にさせている。
たびたび登場する、タベルナでのブーズーキのメロデイ。
男たちはイリアを中心に嬉しそうだ。
そして日曜日はイリアの自宅で(日曜はイリアの休業日)男たちが集まり、イリアを賛美する。

ユナイト配給のハリウッド資本映画乍ら、ギリシャ語が飛び交い、ホーマーの英語はイリアが通訳する。
ホーマーのイリアへの「教化」は失敗するが、「アメリカの失敗とギリシャの勝利」と単純には描いていない。
船でギリシャを去るホーマーを見送りに、イリアを中心にピレウスの男たちが船上でじゃれ合う姿に、いつまでも変わらぬギリシャへの憧憬にも似た肯定感があふれているのだった。

メルクーリが劇中で「プレイバック撮影」(セットに流す音楽に合わせて歌い、演技する撮影方法)で歌う主題歌は世界でヒットし、今ではポピュラー。
彼女はカンヌ映画祭で最優秀女優賞を獲得した。

(おまけ)作品の舞台ピレウスとギリシャについての思い

ピレウスはギリシャ一の港で、諸外国からの航路やエーゲ海の島々への航路の窓口となっている。
1981年に、エジプトからイタリア船に乗ってついたところがピレウスでした。
夜中についたので、港の施設のベンチで夜を明かしました。

ピレウスからアテネまでは近代的な地下鉄が通じており30分ほどで着いた記憶があります。
地下鉄の座席に親子の乞食(子供は眼を患っていた)がいたことも。

アテネのシンタグマ広場で各国からのバックパッカーとともに雑魚寝の野宿をして、日本大使館で日本からの手紙を受け取り、パルテノン神殿などを見た後、ギリシャの島でも一つくらい見ておこうかと再びピレウスを訪れました。

確かイドラ島というところへ行ったのですが、青函連絡船くらいの大きなフェリーの甲板で半日くらい過ごしました。
たまたま日本の貨物船とすれ違い、気が付くと貨物船の日章旗に手を振っていました。
着いた島はビーチが白人観光客の巣のようになっており、彼等は何もせずじーっと日に当たり続けているのでした。

ギリシャの旅を終え、ヒッチハイクでヨーロッパを北上したのですが、ギリシャでヒッチハイクするのは一苦労でした。
アテネから車列は続くのですが止まってくれる車はないのです。
折から旅仲間となったユーゴスラビア人とヒッチハイクを試みたのですが、夜になり、地元の食堂に入った後、そこら辺の藪の中で野宿したこともありました。
ようやくつかまった車はドイツからギリシャに来た若者が帰る途中のバンでした。

DVD名画劇場 イタリア映画前史 「カビリア」

サイレント時代のイタリア映画

「世界の映画作家32秋の号 イギリス映画史・イタリア映画史」(1976年 キネマ旬報社刊)の「イタリア映画史(吉村信次郎編)1・チネマトグラフォ誕生~4・イタリア史劇の黄金時代」までを読んで、サイレント時代までのイタリア映画史のトピックをまとめてみた。

・映画の始まりは、フランスのリュミエール兄弟が特許を取り、観衆の前で上映したシネマトグラフからだといわれている。
シネマトグラフはイタリアにも輸入され、見世物「チネマトグラフィ」として大いに観客を集めた。

・1905年にトリノにイタリア初の映画スタジオが完成。
「ローマの占領」という劇映画が発表される。
当時トリノはイタリア映画界の中心で、12館のチネマトグラフィ上映館があったという。
また、大衆に人気のある文豪ガブリエル・ダンヌンツイオの映画への参加により、映画の一般化、社会化が進んだ。

・1908年に発表された「ポンペイ最後の日」は、イタリア国内のみならず海外でも成功し、イタリア映画を名実ともに飛躍させた。
これまでチネマトグラフィの題材は、実写が多かったものの、歴史上の人物を主人公とした劇映画の製作は、その後のイタリア映画の題材となった。
史劇はイタリア統一運動を経たイタリア人のナショナリズムをくすぐる題材であり、またイタリア映画の特色として世界に認識された。

・1911年にトリノで開かれた万国博覧会は、フィアットと並ぶ世界的産業となったイタリア映画のお披露目ともなった。
1912年には上映時間2時間、製作費2万リラの超大作「クオバデイス」が製作された。
サイレント時代の最大のヒット作となる「カビリア」が製作されたのはその2年後となる。

「世界の映画作家32 イタリア映画史」に目を通すと、チネマトグラフィの時代からイタリアでは映画が盛んで、一時は国内の映画撮影所が、フランス、ドイツやハリウッドの撮影所の手本となったことや、史劇映画が世界各国で定評を得ていたことが分かる。
その土壌の上に、ネオレアリスモや、ヴィスコンテイ、フェリーニ、ベルトルッチらの華々しい芸術が生まれ、またマカロニウエスタンやモンド映画、ホラー映画などが毒々しく花を咲かせたことがわかる。

「カビリア」   1914年   ジョヴァンニ・パストローネ監督  イタリア

製作者兼監督のパストローネは、これまでの総ての映画を凌駕するような超大作を1912年に企画。
自らもルーブル美術館のカルタゴ展示室をはじめとした多くの博物館や文献を参考に時代を考証。
出演者の選定では、重要な黒人奴隷のマチステ役に素人の港湾労働者を選び、数か月にわたってカメラ慣れさせた。
また、原作者に文豪ガブリエレ・ダンヌンツイオの名を借り作品の知名度アップを狙った。

カルタゴの神殿の大セット

紀元前のローマ対カルタゴの戦争を題材に、エトナ火山の噴火、ハンニバル軍のアルプス越え、シラクサ港のローマ軍艦の炎上、など大スペクタクルをちりばめた作品で、製作費5万リラ、製作期間1年、上映時間2時間の当時としては破格の大作となった。

アルプス、チュニジア、シチリアなどでロケを敢行。
ミニチュア撮影、移動車やクレーンを使った撮影などの新機軸を活用し効果を上げた。

王宮のセット。象の彫刻は「イントレランス」のバビロンの神殿のセットに影響を与えたか?

紀元前の戦い、特に相手の城壁を攻略する武器には、梯子段、櫓(滑車で移動できる高さ数メートルの木造の櫓。兵士が乗って城壁を攻撃しまた城壁を越えるための兵器)、投石器などが数々の映画で再現されている。

「カビリア」では梯子段と投石器が見られて、ハリウッド映画の「イントレランス」(16年 D・W・グリフィス)、「十字軍」(39年 セシル・B・デミル)で見られた櫓は出てこなかった。
また、「カビリア」では、兵士たちが自らの体と盾を使って組体操のように積み上がり、上段に登った兵士が城壁を越えるという場面があった。
城壁攻略としては、地味で原始的な方法で、ハリウッド映画などでは見られないものだったが、当時の再現としてリアルだった。

また、ハンニバルのアルプス越えの場面では、アルプスに何百人のエキストラを使ってロケし、歴史的場面が再現されている。
象も使われており、史実の再現が忠実になされている。
動物の使用では、宮殿で姫が豹やハトをペットにしている場面がみられる。
ハリウッドの歴史スペクタクルでも豹などの使用がみられるが、これも史実なのであろう。

豹をペットにする王族

物語の狂言回し的な役割がローマのファビオとマチステのコンビで、敵対するカルタゴをかく乱し、ヒロイン(というかイタリアを象徴する女神的存在)のカビリアをカルタゴの邪宗や奴隷の危機から救うのだが、のちのヴィクター・マチュアのようなマッチョ型史劇俳優の出発点のようなマチステが印象的だ。
のちにマチステ主演のシリーズが作られたという。

マチステは黒人の設定だが、カルタゴなどの宮殿で姫に使える女官には黒人の設定が見られる。
ヨーロッパにも黒人奴隷の歴史があったということなのだろう。
今のヨーロッパに、近年の黒人移民は多数いるが、紀元前からの黒人奴隷の痕跡はあるのだろうか?
中世にはキリスト教勢力による日本人奴隷のヨーロッパ導入もあったが、その人種的痕跡はほぼ見られないことから、近年に至るまで厳然たる人種的隔離があったのだろうか。

マチステのマッチョぶりはのちの史劇にも影響したか?

映画技法的には固定カメラの前で俳優が芝居する方法によってはいるが、何か所かカメラがゆっくり移動する場面があった。
この臨場感が増す撮影手法はパストローネ監督が始めたものだという。

また、カルタゴ軍から隠れているファビオとマチステを、宿屋の主人が密告する場面では、画面の奥でバックライトによりシルエットとなっている人物たちが、だんだん手前にやって来るに従い、ライトが当たってやり取りがあらわになるまでをワンカットで表現していた。
これなどは近年においても活用される手法であるが、この時代のサイレント映画で鮮やかに表現されていた。

D・W・グリフィスは「カビリア」のプリントを1本買って何十回と見て、のちの「イントレランス」のヒントとしたといわれる。
「イントレランス」の巨大なバビロン神殿のセット、何百人ものエキストラ、激しい城壁攻略場面などでは「カビリア」の影響というか、スケールをアップさせたその再現が見られる。

両者の間の決定的な違いは、「イントレランス」に宗教的、文化的背景からくる強迫観念的ともいうべき緊張感が途切れないのに対し、「カビリア」では南欧的風土に根差した、おおらかさ、明るさがあることだ。
「イントレランス」における隠れたテーマがグリフィス自身の『狂気』だとしたら、「カビリア」におけるそれは、パストローネの野心としての『歴史的大作の製作』なのだから、それでいいのだが。

もう一人のヒロイン・ソフォニスバを演じる女優イタリア・マンツイニ(左)

ミニチュア撮影による噴火や軍艦炎上の再現、砂漠やアルプスでの大掛かりなロケ、大セットによる宮殿や神殿の再現によるスペクタクル効果は、「イントレランス」出現までは当代随一だったと思われる。
加えて主人公コンビの凸凹ぶり、ヒロイン・カビリアの清順さ、など配役と演技面の面白さ。
カルタゴに対するローマの勝利を描きながらも、イタリアの歴史感を押し付けないおおらかで平明なトーン。
イタリア映画の特色が表れた歴史的サイレント大作だった。

DVD名画劇場 イタリアンネオレアリスモの作家たち その7 モギー、カステラーニ、コメンチーニ

バラ色のネオレアリスモ

1950年代に入り、ネオレアリスモのかつての推進者たちはそれぞれ独自の映画表現へと向かっていった。

すなわち、ヴィスコンテイは「夏の嵐」(54年)で、19世紀のイタリア統一運動の中で愛に生きる貴族の女性をドラマチックに描き、以降の彼の作風となる『貴族、王族、ブルジョアの葛藤と黄昏を豪華絢爛に描く』方向への転換を行った。

ロッセリーニは「ストロンボリ」(50年)、「ヨーロッパ1951年」(51年)を発表。
主演には「無防備都市」「戦火のかなた」に感動してロッセリーニのもとに走ったイングリッド・バーグマンを起用して、イタリアや欧州の戦後の現実の中で、コミュニケーションの困難をきたすアメリカ女性の姿を描いた。
一方、「神の道化師フランチェスコ」(50年)ではロッセリーニのもう一つの資質である宗教的なものへの希求を示した。

デ・シーカは「ミラノの奇蹟」(51年)で貧困の主人公たちが箒で空を飛ぶというファンタジーを描いた後、「終着駅」(53年)では、ハリウッドの製作者デヴィッド・O・セルズニックとの合作で、モンゴメリー・クリフトとジェニファー・ジョーンズを起用してのラヴロマンスを描き、商業主義へと舵を切った。

上記3監督が作風に変容を見せ始めた50年代は、またレナード・カステラーニやルイジ・コメンチーニら新鋭監督が、喜劇的作風の「2ペンスの希望」(52年)、「パンと恋と夢」(53年)などを発表、『バラ色のネオレアリスモ』と呼ばれた。
これらの作品は50年代以降に発表されることになる「イタリア式喜劇」の出発点となった。
「イタリア式喜劇」は、50年代以降のイタリアの高度経済成長期に現れた利己的で小心者の庶民やブルジョアをブラックユーモアで描く悲喜劇の作品群で、以降のイタリア映画の主流の一つとなった。

(以上は、集英社新書2023年刊 古賀太著「永遠の映画大国イタリア名画120年史」第三章ネオレアリズモの登場より要旨抜粋しました)

「明日では遅すぎる」  1950年  レオニード・モギー監督  イタリア

監督のモギーは、1899年オデッサ生まれのユダヤ人で、フランス、イタリア、アメリカなどで映画監督として活躍した。
本作はイタリア映画であるが、モギー自身はネオレアリスモの流れをくむ映画人ではない。
彼の代表作の一つは1935年にフランスで発表した「格子なき牢獄」で、女子感化院の非人間性を描いた作品。
収容される少女役のコリンヌ・リュシエールは日本でも人気が出たが、ドイツによるフランス占領期にドイツ軍将校の愛人となったことにより戦後は投獄され、獄中で亡くなった。

「格子なき牢獄」のコリンヌ・リュシエール

本作「明日では遅すぎる」は、「格子なき牢獄」等での手腕を買われての起用だと思われ、モギー監督は手堅くその起用に応えている。

舞台はイタリア。
リアルタイムの設定と思われ、1950年の中高生の物語。
同じアパートに住む、フランコとミゼッラ(アンナ・マリア・ピエランジェリ)は同じ学校の同学年。
この学校は男女共学だがクラスは別で、教師もそれぞれぞれ性別の先生が教えている。
先生役にヴィットリオ・デ・シーカとロイス・マックスウエル。

女先生(ロイス・マックスウエル)とピエランジェリ

生意気盛りのフランコは年上の女を映画に誘ったり、友達連中と学校の女子をカメラテストの名目で誘ってキスを奪って喜んでいる。
フランコのことが気になるミゼッラは年上女とフランコの話をアパートの廊下から立ち聞きしたり、女性雑誌の「男の気の引き方」特集を読んだりする。

やがて夏のサマーキャンプがお城で行われ、厳しい女校長と進歩的な両先生(デ・シーカとマックスウエル)が監督する。
生徒たちは細かな校則違反で女校長をいちいち怒らせる。
フランコとミゼッラは,、発表会で吟遊詩人とお姫様を演じてから、互いの気持ちに素直になっており惹かれ合っている。

生徒の気持ちを尊重する両先生と校長の対立。
女先生は校長によって追放される。
女先生を駅へ送った生徒たちが嵐にあって夕食に遅れ、フランコとミゼッラは納屋に逃れる。

納屋では焚火を炊き、服を乾かし、嵐が去るまで藁の中で休む二人。
キスも交わしている。
まるで「潮騒」のようなシチュエーションだ。
この時代の両思いの10代の最大限の愛の表現として、イタリアと日本の共通点が面白い。

戦後を迎えて、青少年の性も無視できなくなった時代に、最大限進歩的に青少年の性を扱った作品。
ややもするとキワモノ的な興味を誘いかねない所を、清純そのもののヒロイン(ピエランジェリ)と、二枚目俳優(デ・シーカ)、正統派美人女優(マックスウエル)の起用によって正統派映画の作風となっている。

進歩的な両先生の言動が今見ると偽善的に見えるほど、教条的なキライはあるが、現実を直視する姿勢はネオレアリスモの精神を継承しているといえよう。

ヒロイン役でデヴューした、アンナ・マリア・ピエランジェリは本作がベヴェネチア映画祭で受賞したこともあり、MGMにスカウトされてアメリカに渡り、『ピア・アンジェリ』として売り出した。

ハリウッドでは「三つの恋の物語」(53年)、「葡萄の季節」(57年)などに主演。
ジェームス・デイーンとの恋愛が有名だったが、歌手と結婚。
離婚して61年にはイタリアに戻り「ソドムとゴモラ」(61年)などに出るがスターダムには乗り切れず。
71年ビバリーヒルズの友人宅で睡眠薬自殺を遂げた。

モギー監督が「発見」した、リシュエールとピエランジェリという仏伊の二人の清純派スターは道半ばにしての夭折していった。

なお、ピエランジェリのハリウッド移籍は、50年代から活発になったイタリア映画とハリウッドの交流(ハリウッドスターのイタリア映画への起用、合作など)の先駆けとなる出来事だったのではないか。

「三つの恋の物語」(53年)。21歳になる年のピア
「葡萄の季節」(57年)でミシェル・モルガンと

「2ペンスの希望」  1952年  レナード・カステラーニ監督  イタリア

舞台はナポリ郊外のべスピオス火山の麓の町。
最寄りの鉄道駅からは馬車が町まで通る田舎町。
その町へ主人公のアントニオが復員してきた。
志願兵ではないので恩給は出ない、その日から無職の22歳だ。
息子が帰ってきて大騒ぎし、近所で飼っているウサギを盗んで御馳走を煮る母親役の女性が、女優とは思えない存在感で『イタリアの母』を演じる。

町の無職者たちは教会の柵を背に無為に過ごす。
そのアントニオに笑いかける娘がいた。
花火師の娘カルメラだった。
ピラピラのワンピースを翻し、走り回るカルメラ。
洗濯物を干しながら歌い、父親に弁当を届けに山すそを走り抜ける。

アントニオは、ソーダの瓶詰や馬車の助手をして稼ぐが、母親が弟たちを使って午前中に雇い主から前借してゆくので、ばかばかしくなる。
ナポリへ行っても無職では滞在さえできない。

花火屋の親父の仕事を手伝うカルメラ

駅からの連絡交通が馬車からバスに代わる時、ナポリでおんぼろバスを買いアントニオが運転手になろうとする。
それを聞いたカルメラは親に隠れて運転手用の帽子を縫う。
バスは馬車仲間と共同で運行する予定だったが、初日に仲間割れでおじゃんとなる。

アントニオはカルメラの父親の助手になれば、と考えるが頑固で昔気質な父親は頑として受け入れない。
カルメラがアントニオに会いに夜出かけてると知れば、娘の脚をベッドに鎖で縛りつけもする。

親父にベッドにつながれても歌うカルメラ

カルメラは自棄になり、親父の花火倉庫に火をつけ爆発させる。
アントニオはナポリの映画館のフィルム運びなどをして何とか生きるが、カルメラはナポリに女がいると勘鋭く追及したり、アントニオは共産主義だと口走ったりして足を引っ張る。

若い二人のぎこちない迷走と、ストレートな愛情を縦の糸とすると、横の糸は旧態依然の田舎の大人たちである。
ネオレアリズモの作品群は、封建的な網元や、マフィアに支配される後進性や、宗教に縛られる因習を描いてきたが、そこには『田舎の人間は、資本家やマフィアの被害者である』というテーゼが存在していたように思う。
作家たちの左翼思想にもその要因はあったのだろうが。

片や「2ペンスの希望」の田舎の大人たちには全く救いがない。
カルメラの父の頑迷さは最後までそのままだったし、アントニオの母親の狡さ、俗物性は最後まで貫かれた。
まるで『大人たちは、社会の被害者として保護されるほど甘くないし、人間性には全く期待できない』と、この作品の作り手たちは断じているようだ。

映画はエピソードごとにテンポよくまとめられ、まるでスクリューボールコメデイのように進む。
何しろ次から次へと事件が起こり、何とか生きようとするアントニオを巻き込み、前進を阻止し、やる気をそぐ。
カルメラは無邪気に混乱の原因を作り出し、アントニオや家族の気持ちに関係なく彼について回ろうとする。
カルメラの一途な無鉄砲さに、ハリウッドの伝説的スクリューボールコメデイ「赤ちゃん教育」(1938年 ハワード・ホークス監督)でのキャサリン・ヘプバーンの破壊的がむしゃらさを思い出し、思わず笑いがこみ上げる。

2人そろって町の人々の視線の中、カルメラの親父の元へ行くが、親父は「2人でどこへでも行け」とけんもほろろ。
貧乏人のくせに、気に入らない相手との結婚を許さないこの頑固親父の心理は、カソリックを原因とする因習からくるものなのだろうか、それともただのわからず屋だからだろうか。

二人で生きてゆくと覚悟を決めたアントニオはカルメラのワンピースを脱がせて親父に投げ返す。
アントニオの開き直った清々しさを見た町の人々が寄ってきて二人を応援する、洋服屋は掛け売りしてやる。
何もないが若さと愛情だけはある二人を祝福するように。

カルメラとアントニオ

最後の最後に映画的ハピーエンドが訪れるが、それまでのコメデイ仕立てながら辛辣な現実描写に徹した、レナード・カステラーニ監督の痛快な傑作。
イタリアの映画館ではこのラストシーンに観客から拍手が起きたという。

カルメラ役のマリア・フィオーレの抜擢と演出にもカステラーニ監督のひらめきが光る。
彼女はこの作品では、ほとんど唯一の美形女優でありながら、ひたすら野を駆け回り、家事手伝いに精を出すのだったが、よく見ると若いころのステファニア・サンドレッリのような清らかな美貌。
野に咲く花のような生命感と、精霊のような純粋さがあった。

アントニオの母親、カルメラの父親、町の人々には素人と見まがう年季の入った俳優、女優を起用。
その欠けた歯並びと、しわだらけの風貌、因習にまみれた俗物的な言葉の数々は強烈な印象をもたらす。

結婚資金ができ、中年の男と結婚したアントニオの姉が、ささやかな結婚式を終えた後、教会から婚家へ向かうのだが、結婚相手とその母親が腕を組んでさっさと歩いゆき、新婦たる姉はその後に仕方なくついてゆくという、幸福感も何もない、これからの姉の人生の絶望感を表すような場面も何ともいえずわびしかった・・・。
加えて、田舎の寂れた町と荒涼とした風土を前面に出してのほぼ全編のロケ撮影。

『バラ色のネオレアリスモ』として、その楽観的姿勢が批判されたこともあるカステラーニだが、世界的にヒットしたこの作品は、第5回カンヌ映画祭のグランプリをオーソン・ウエルズの「オセロ」と分け合った。

「パンと恋と夢」  1953年  ルイジ・コメンチーニ監督  イタリア

「2ペンスの希望」と並び、『バラ色のネオレアリズモ』と呼ばれる1作。

戦後10年近くたち、イタリア映画のテーマは戦争そのもの、直後の現実をストレートに描くことから、同じく戦後の貧困などの現実を基底としつつも、映画のエンデイングに前途に希望をもたらすような作品が出てきた。
本作もまた、ヴィトリオ・デ・シーカ、ジーナ・ロロブリジータという陽性の両スターを前面に押し出した商業性を意識した作品で、興行的にもヒットし、またベルリン映画祭で銀熊賞を受賞している。

マリアは弟が飼っていた小鳥を署長にプレゼントする

南イタリアの寒村に警察署長(デ・シーカ)が赴任してくる。
村人はよそ者や男女関係には異様に興味を示し、うわさはあっという間に広まる。
村一番の美人ながら「山猫」と呼ばれるマリア(ロロブリジータ)は、父親を亡くし、母と妹弟らと暮らすじゃじゃ馬娘。
村のおじさんたちは、マリアにちょっかいを出してははねつけられる。
若い巡査はマリアへの恋心を伝えられず、おどおどしている。

白髪が混じりながらも独身を貫く署長も、マリアの若さがまんざらでもないが、片や熟女の助産婦アンナレ(マリザ・ベルリーニ)の落ち着いた大人ぶりにも鼻の下を伸ばす。

戦争と無知な村人たちの犠牲者でもあるマリアは、一張羅のワンピースを翻しながら、ロバに横乗りし、生きるためにスモモを盗んで売り、行商が持ってきたドレスを巡って女同士の喧嘩も辞さない。
実直で、聖職者にしては珍しく裏のない村の司祭は、彼女に金銭的な援助をしている、賽銭から。
署長も目立たぬよう500リラを彼女に与えようとするが、5000リラ札と間違えた上に、彼女の母の手に渡ってしまう。
母親は巡礼のおかげ、聖アントニオの奇蹟が起きたと喜ぶが、マリアは署長からの援助に我慢できず5000リラの札を破り捨てる。

助産婦として村に赴任して7年のアンナレは、村中の出産に駆け回りながら、実はローマに残した婚外の一人息子の成長を生きがいにしている。

女性二人の間を行き来する署長は、いい年をしてプライベートではギターを爪弾き、水着女性のグラビア雑誌を開いてくつろぐ独身ぶり。
年配のメイドはそういう署長をからかうように言葉を挟む。

行商屋の洋服を巡って諍いを起こしたマリア

地方喜劇の脚本家出身というコメンチーニ監督のタッチは、まさに大衆演劇のそれであった。
テレビでやっていた松竹新喜劇の舞台になぞらえれば、純粋培養の世間ずれしていない二枚目役がデ・シーカ扮する署長、彼を取り巻く中年女芸人(老メイド)やら、まじめな二枚目女優(助産婦)がかき回し役だ。
彼等が寄ってたかって弄り回す若いカップルが、マリアと若い巡査となる。

「パンと恋と夢」を松竹新喜劇ととらえれば成程ピタッとはまる。
決定的な悪人は登場せず、貧困が原因の嘘やいさかいも最後の大団円で溶けて流れる。
気の利いた、男女の機微をくすぐるような、大衆受けするセリフもある。
現実を必要以上にリアルに表現しない姿勢も大衆演劇風。

一方で、戦後のイタリアの貧困が全国民に重くのしかかっていたこの時代。
登場人物の背景に、戦争による犠牲、宗教的因習、来るべき階級差などを描き込みながらも、庶民たちの楽天性、逞しさを前面に押し出した本作は、『バラ色』一辺倒ではないが、左翼教条主義的でもない作品となった。

DVD名画劇場 イタリアンネオレアリスモの作家たち その6 ブラゼッテイ、カメリーニ

ネオレアリスモとは、イタリア映画史の核と言っていい概念と運動であり、イタリア降伏後の戦後時代に作られた作品群を称する。

「無防備都市」、「戦火のかなた」、「自転車泥棒」、「靴みがき」、「揺れる大地」など、ネオレアリスモの代表作を撮ったのは、ロベルト・ロッセリーニ、ヴィトリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンテイらと脚本家のチェザーレ・ザヴァッテイーニらであり、そこに共通するのは、戦争や封建制のために苦悩する民衆の貧しさを直接的に描いたことだった。.

スタジオでスターが演じる夢の世界を描く映画から、街頭ロケで普通の人々の日常を見せる映画への変貌を果たしたのがネオレアリスムであり、世界の映画作りに影響を与え、のちにフランスの「ヌーベルバーグ」として結実した。

ネオレアリスモを担ったイタリア人映画作家には、上記3名のほか、戦前に国家機関として設立されたチネチッタ撮影所付属の映画実験センターで学んだ、ピエトロ・ジェルミ、ジュゼッペ・デ・サンテイス、ルイジ・ザンパや、同じく映画批評誌「チネマ」同人出身のアルベルト・ラトアーダ、カルロ・リッツアーニらがいる。

また、サイレント時代から活躍し、戦争初期には「ファシスト政権の御用監督」とまで言われた、アレッサンドロ・ブラゼッテイやマリオ・カメリーニらベテランが、戦争後半から戦後にかけては民衆の貧しさをテーマにした作品を撮っており、ネオレアリスモの先駆をなしたといわれている。

(以上は、集英社新書2023年刊 古賀太著「永遠の映画大国イタリア名画120年史」第三章ネオレアリズモの登場より要旨抜粋しました)

「雲の中の散歩」  1942年   アレッサンドロ・ブラゼッテイ監督  イタリア

監督はサイレント時代からのキャリアを誇るアレッサンドロ・ブラゼッテイ。
脚本には戦後にデ・シーカと組んでネオレアリスモの重要な牽引者となった、チェザーレ・ザヴァッテイーニ。

戦時中は「ファシスト政権の御用監督」とまで言われたブラゼッテイだが、本作は、ヴィスコンテイの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(42年)、デ・シーカの「子供たちは見ている」(42年)とともにネオレアリスモの先駆を成す作品といわれている。

映画は庶民の朝のシーンで始まる。
目覚時計で目を覚まし、子供のために牛乳を温め、ぶつくさ言う妻を後にして家を出るサラリーマン・パウロ。
倦怠感に満ちたシーンだが、何やら楽し気なBGMが流れる。
演じる俳優も当時の映画スターらしい風貌だ。
演技的にも、音楽的にも、流れ的にも映画の作りはサイレント時代からの伝統にのっとっている。
決して実験的でも、独創的でも、センセーションを売り物にする映画でもないことがわかる。
その点では、旧来のスタイルの映画に、現実的なテーマを盛り込んだ作品であろうことがわかる。

満員の電車で営業に向かうパオロ。
車内で同僚のサラリーマンと無駄口をたたくうちに、どこか寂しそうな若い女に席を譲ることになる。

アドリアナ・ベネッテイ(左)とジーノ・チェルヴィ

若い女はマリアといい、パオロが偶然電車を降りた後で乗ったバスでも同席となる。
バスが運転手の妻の出産で、遅れたり、祝宴が始まったり、スピードを出しすぎて道を外れたりするうちにパオロはどんどん仕事に遅れ、押し黙っているマリアが気になり、手助けをし、口をきいてゆく。

彼女は不倫の末妊娠し、やむなく田舎の実家へ向かっていることを告白する。
伝統ある家長の父親から受け入れられないだろうことも。

そこで何くれと親切にしてくれたパオロに助けを求める、「父に会う時だけ夫の役を果たしてくれ」と。
「なんで関係のない家族持ちの俺がそこまでしなきゃいけないのか。仕事(菓子のセールス)の途中だし」、
パオロは当然そう言うが、マリアの姿を見ると放っておけなくなり、会うだけならと家に同行する。

田舎の実家では、マリアが大歓迎を受け、結婚と妊娠を知ってからは、神父や署長まで呼んでの大宴会となる。
パウロは抜けられなくなり、マリアの実家で一晩を過ごすが・・・。

マリアと父親

50年代にイタリアで、90年代にハリウッドで、さらにインド映画にまでリメークされたこのストーリーは、映画ならではのハートウオーミングドラマの典型というか原点。
「そんなことあるかいな?」と思わせながらも、「そうあってほしい」方向に話が進んでゆく。
二人の周りで起こる奇妙でファンタステイックなエピソードと連動して進む夢の時間は、パウロの夢であると同時に観客の夢でもある。

ネオレアリスモ主流作品の深刻さはないが、未婚女性の不倫による妊娠と家族、社会との軋轢を描いており、その点で42年のデ・シーカ作品「子供たちは見ている」の、大人の世界に蔓延する姦通やブルジョアの無為な生活など『社会の現実』を描いた観点同様に、ネオレアリスモの精神を先取りしている。

主人公のパオロにジーノ・チェルヴィ、マリアにアドリアーナ・ベネッテイ。
マリア役のベネッテイはデ・シーカの「金曜日のテレーザ」(41年)でデヴューした新鋭女優。
その薄幸な美人ぶりは「ローマ11時」(52年)のカルラ・デル・ボッジョや、「街は自衛する」(51年)のコゼッタ・グレコを思い出させる。

監督のブラゼッテイは戦後、歴史大作「ファビオラ」(49年)、艶笑ドラマ「懐かしの日々」(52年)を発表。
さらにショーの記録映画として『夜もの』映画、あるいは『モンド』映画の先駆けとなった「ヨーロッパの夜」(60年)を、あのグアルテイエロ・ヤコッペッテイと組んで発表した。
イタリア映画史を横断する『巨匠』のキャリアではないか。

「不幸な街角」  1948年  マリオ・カメリーニ監督  イタリア

アンア・マニヤーニが存分にその「一人芝居」で大暴れする。

役柄は戦後直後の貧しい家庭の主婦。
幼い一人息子がいて、2年前にアフリカ戦線から復員してきた夫パウロ(マッシモ・ジロッテイ)は失業中。
失業を戦争のせいにして、決して悪辣に社会を渡っていけない夫と、子供のためにコロッケ一つ買えない家計に不満を募らせる妻リンダ(マニヤーニ)。

製作は「にがい米」でシルバーナ・マンガーノを「発見」した、デイノ・デ・ラウレンテイス。
30年代から活躍のベテラン、マリオ・カメリーニを監督に起用、音楽はのちにフェリーニ作品や「ゴッドファーザー」で有名なニーノ・ロータ。
当時の新進映画作曲家ロータの楽し気なBGMに乗って、映画は戦後の貧困な社会を背景とした、ひと時の庶民の夢をつづってゆく。

まだ若く、幼子の母親役が似合うマニヤーニのマシンガントークが、いつものように炸裂する。
漫才でいえば「ノリ突込み」を一人でこなすから、相手役のジロッテイはそばに立っているだけの役割。
見るものはマニヤーニの芝居にあっけにとられる。

稼ぐ手段が見つからず、家ではリンダのマシンガントークに追いつめられたパウロは、高級車の盗難をそそのかされる。
何とか盗難に成功し、モグリの売却業者のもとに急ぐが、夫の浮気を妄信したリンダが息子を連れて車に乗り込んでくる。
楽しそうなリンダと苦虫をかみつぶしたパオロのドライブが始まる。

この場面、浮気を誤解してまくし立てるマニヤーニと、彼女を援護する、いつの間にか集まった群集と偶然にしてはタイミング良すぎる警官が二人を取り囲む。
彼等をバックに一段とオクターブを上げるマニヤーニの、十八番ともいえる誇らしげな姿。
コメデイ映画定番のシチュエーションだが、マニヤーニにかかると見ているこちらのテンションも、わかっていながら爆上がりだ。
イタリア映画らしい、芸達者なエキストラ陣とおせっかい警官の表情も最高!

そうしてモグリの悪徳転売業者のもとにたどりつくが、彼は孫の洗礼にかかりっきり。
教会で洗礼の後は親戚一同(と神父、署長)でお約束の大宴会が繰り広げられる。
早く車を売らないと、と焦るパオロ。
いつの間にか家族に同化し、大笑いしながら盛大に飲んで食うリンダの食欲とコミュニケーション欲?も誰にも止められない。

コメデイ定番の展開の後、なんと!悪徳業者は孫の澄んだ目を見て良心に目覚める!
「初めて泣くのを見た」と乱舞して、悪徳業者を連れ神父ともども教会の懺悔室?になだれ込む親戚及び関係者一同。
かくて悪徳業者は善人となり、車の転売はおじゃんになるのであった。

その後も、政治集会の群れに車の行く手を阻まれたり、無銭飲食でオートバイに追いかけられたり。
「悪」には全く素人のパウロはリンダと息子を乗せて、ヒヤヒヤドキドキの家族ドライブを繰り広げる。

2人の子供を演じる子役がいい。
ドライブの先々で、七面鳥やウサギと出会い、最後は海を見てはしゃぎながら砂浜で遊ぶ幼子。
現実の貧困からの「救い」の映画的表現がやさしい。

ハピーエンドで終わる物語は後味もよい。
貧しい家庭が一日の夢のようなドライブを楽しんだ。
そもそもがパウロが慣れない悪事に手を染めたからだったが、二転三転、犯罪にならずに済んだ。
これは、救いのない現実に苦しむ当時の観客にとっても救いのある、映画的な夢であったろう。

マニヤーニの芝居のいいところは、その熱演がコメデイを狙ったものではなく、結果としてコメデイになっているが、あくまでも本人にとっては真剣なものであること。

この作品でも、マニヤーニは大まじめに周りをかき乱す女性像を演じながら、車は夫が盗んだものだと察したときにきっぱりと夫に自首を勧め、あまつさえ自分が夫の代わりに警察に自首するのである。
まさに大真面目に、正しく生きているのだ、その『勝手な』行動で周りをかき乱しながらも。

マリオ・カメリーニは1895年ローマ生まれ。
イタリアの僻地出身でも、左翼思想の洗礼を受けたわけでもない、生粋の戦前派映画人といえる存在。
23年に監督デヴューの後、30年代のイタリア映画界をアレッサンドロ・ブラゼッテイとともに支えた。
50年代まで第一線で活躍した。

DVD名画劇場 イタリアンネオレアリスモの作家たち その5 ピエトロ・ジェルミ

ピエトロ・ジェルミとは

1914年イタリア本土の歴史ある港町ジェノヴァ生まれ。商船学校に入るが、のちにローマに出て、チネチッタ付属の映画実験センターの演技科から監督科に移って卒業。

ピエトロ・ジェルミ

当時のベテラン監督アレッサンドロ・ブラゼッテイの助監督を務めた後、「証人」(45年)で監督デヴュー。
「無法者の掟」(49年)、「越境者」’(50年)、「街は自衛する」(51年)など、ネオレアリスモの手法を受け継いでイタリアの貧しい人々の生活を描く。

1950年代中盤になると、「鉄道員」(56年)、「わらの男」(57年)、「刑事」(59年ん)といった、小市民の生活の哀歌を描く作品を、自らの主演で発表。
これらの作品は日本でもヒットし、現在でもジェルミの代表作と呼ばれる。

「刑事」。ピエトロ・ジェルミとクラウデイア・カルデイナーレ

1960年代に入ると、男と女の愛の機微をコメデイーで描いた「イタリア式離婚協奏曲」(61年)、「誘惑されて捨てられて」(63年)、「蜜がいっぱい」(65年)などを発表。
イタリア市民や社会にひそむ古風な習慣や生活哲学を痛烈にかつ愛を込めて批判する。

「誘惑されて捨てられて」のステファニア・サンドレッリ

ジェルミの作品の根底に流れているのは、市民に対する限りない愛情の眼差しであり、その意味で彼はヴィットリオ・デ・シーカの流れをくむ作家である。

(以上は、1983年芳賀書店刊「イタリア映画の監督たち」P36「ピエトロ・ジェルミ作品アルバム+監督論」高沢瑛一より要旨抜粋しました。)

「無法者の掟」  1949年  ピエトロ・ジェルミ監督  イタリア

ジェルミ3本目の作品。
舞台は灼熱、荒涼としたシチリア島内陸部の寒村。
その地方を武力で支配するマフィアと新任の裁判官の対立を描く。
マフィアを最初に取り上げた映画とのこと。
脚本にはフェデリコ・フェリーニが参加しいている。

左から裁判官(マッシモ・ジロッテイ)、男爵、男爵夫人

26歳の裁判官グイド(マッシモ・ジロッテイ)が赴任してくる。
前任者は引継ぎもせず逃げるように任地を去った。
グイドを迎える村の雰囲気は殺伐としている、バスの運転手はグイドの荷物を下ろそうともしない。
愛想がいいのは少年のパウリーノくらい。

裁判所に着任して書類を調べる。
告訴から数年ほおっておかれた案件もある。
弁護士、書記官、警察署長らが裁判官と仕事を共にするはずだが、味方は所長だけ。
地元の有力者・男爵はマフィアを使って権力を維持しており、味方のはずの弁護士は男爵の屋敷に入り浸っている。村人たちはマフィアに逆らわず、不利なことも黙って受け入れる。
その表情には過酷な自然に耐えるかのように忍従と諦念が深く刻み込まれている。

グイドがマフィアのアジトに向かう。
ボスが、勇壮な幹部たちを連れて現れる。
『我々が執行すること自体が村の掟であり、正義である』と言わんばかりに。
貫禄たっぷりなボスを演じるのがフランスの俳優シャルル・バネル。
「外人部隊(1934年 ジャック・フェデー監督)」のフランソワーズ・ロゼエの宿六役であり、「恐怖の報酬」(1953年 アンリ=ジョルジュ・クルーゾ監督)ではイヴ・モンタンの相棒役を演じた味のある役者だ。

ボスは『自分たちは名誉ある男たちだ』と自任。
伝統のマッチョで残忍な価値観を自分たちだけではなく、支配地域の住民たちにも強要し、そのためには暴力を発動する。
その割には、中央の法律を意識して、殺人などを隠そうと画策するのがオカシイ気がするが。
映画では、ボスを中心とするマフィアたちを勇壮に描き、その登場シーンなどでは高らかなマーチをBGMで謳う。

勇壮なマーチをBGMにマフィアが村を行く

男らしいマフィアではあるが中には卑劣な輩もいる。
村に住む情婦のもとにやってきたその男は、年頃になった16歳の娘に目を付け、なんと結婚を希望する。
母親は『自分を捨てて娘に乗り換えるのね』と分かりながら、生き残るために結婚を了承する。
しかし娘の恋人はパウリーノだった。
二人は駆け落ち同然に契りを結ぶが、のちにパウリーノはそのマフィアに殺される。

マフィアの一団に粛清される仲間の男

マフィアは自分たちのシノギである『男爵が所有する鉱山の利権』のおこぼれにも敏感で、まるっきりヤクザのような存在なのだが、幹部を演じる俳優たちを見る限り『地域の逞しくて、仕事のできる男たちは、マフィアになる』といわんばかりに描かれている。
そうした貧しい地方だシチリアは、ということなのだろう。

ストーリーは展開が早く、エピソードが盛りだくさんで登場人物が多い。
映画は、手際が良くないこともあって、わかりやすくない。
グイドと男爵夫人のロマンスも唐突な感じがする。
パウリーノ少年と16歳の娘のエピソードは素朴でいいが。

法律を盾にする裁判官とマフィアの対立という、アメリカ映画「アンタッチャブル」のような構成。
ただし、裁判官の描き方は『マッチョではない青二才』の雰囲気を残し、また決して法律の全能感を謳いあげるわけではない。

マフィアの登場シーンなどでBGMに流れる勇壮なマーチは、のちのマカロニウエスタンを思わせる。
マフィアを描きつつ、これを一方的に断罪していないのはイタリア映画だからか。
そこには、シチリアの風土が持つ貧しさ、後進性、伝統が強烈に匂う。

ラストは辞任して男爵夫人と村を去るばかりのグイドが、パウリーノの死を知って教会の鐘を鳴らし、集まった村人の前で演説する。
それを聞いたボスが、(この件での)グイドの正義を認め、仲間の下手人を粛正する。
マフィアがシチリアの寒村で一定程度の秩序維持を果たしている現実を描いて映画は終わる。

「街は自衛する」  1951年  ピエトロ・ジェルミ監督  イタリア

骨格は犯罪映画。
犯行描写のスリルとサスペンス、警察の捜査の冷徹さ、犯人を取り巻く人間の非情と悪辣。
これだけ見ると徹頭徹尾の犯罪映画に見えるし、ジェルミのサスペンス演出はうまい。
が、背景にあるのは隠しようがないイタリア社会の貧困。
戦後直後は混乱と貧困をストレートに描いてきたネオレアリスモだったが、戦後数年を経て、犯罪の背景としての貧困を描くようになった、ということなのだろう。

ストーリーは4人のグループによるサッカー場の売上金強奪。
4人は知人ではなく、互いのファーストネームしか知らない。それぞれの犯人の背景と結末が描かれてゆく。

ルイージは妻子を持つ中年男。
台所からベッドまでが一部屋につめこまれたアパートでは妻がミシン仕事をしている。
強盗後、気に病んでノイローゼとなったルイージは、旅費だけ仲間にもらって妻子とともに田舎を目指して電車に乗る。
ねだる幼子に人形を買い与える妻。
妻はもらった金で質入れしていた結婚指輪を買い戻してもいた。
しみじみ嬉しそうな夫婦と人形で遊ぶ娘。
しかし車掌からキップを買おうとして高額紙幣を出したことから騒ぎとなり、ルイージは一人列車を飛び降り、挙句ピストル自殺する。
貧困が救われずに自滅してゆく。
これが現実。

田舎へと逃避行をすべく駅へ向かうルイージ一家(左:コゼッタ・グレコ)

ルイージの妻を演じる巨乳の美人女優はコゼッタ・グレコという人。
貧しい役には不似合いだが、どこか薄幸な匂いもする。
ストレートな貧困の描写が、真実味を持った時代の演技だった。
アメリカのギャング映画の逃避行(フィルムノワールといわれる映画の中で『Love on the Run』と分類される)では、恋人二人が自動車でハイウエイをぶっ飛ばすが、イタリア映画では妻子を伴い、郊外電車に乗ってしみじみ行われるのだなあ、と改めてその湿っぽさ、重たさに感じ入った。

Love on the Run映画の代表作「拳銃魔」(1950年 ジョセフ・H・ルイス監督)。2004年刊「FILM NOIR」P96,97より

実行犯には加わらなかったが、人気サッカー選手を足のケガで引退したパオロは、選手時代の贅沢な情婦(ジーナ・ロロブリジータ)が忘れられずに犯行に参加。
金を得た後、どろどろの格好で情婦の贅沢なマンションへ向かうが、情婦に風呂場へ案内された後で通報され捕まる。
警察でルイージの死体を見せられグループの名前を白状する。

ジーナ・ロロブリジータはこのエピソードだけの出演。
まだ強烈なセクシー路線には移行していないが、若々しい中に濃厚なメークを施しての「悪女」ぶりを発揮していた。
縁を切った女による冷え冷えとした仕打ち。
これも現実。

パオロは金をもってかつての情婦のもとに向かうが(右:ジーナ・ロロブリジータ)

実行犯には絵の先生と呼ばれる貧しい画家のグイドもいた。
ジャン=ルイ・バローのような風貌のグイドは、レストランに行って金持ちの客たちに『肖像画はいかがですか』と営業して回るのが仕事。
ある日、美人の客のスケッチを描いたことから美人から電話番号を渡され『うちに来て油絵を描いてちょうだい』と言われる。
美人との関係はそれだけだったが、グイドを追う警察に美人が聴取される。
日本式キモノを羽織って余裕たっぷりに警察の事情聴取を受ける美人役はタマラ・リーズという女優。
ほほ骨が高く、凹凸豊かなゴージャスな美人だ。

グイドは、船で密航しようと、船頭のところへ行く。
スパゲッテイを動物のように食い、家族ともどもいぎたなく笑う船頭はどう見てもまともな人間ではない。
費用600万リラという法外な料金を請求する。
一度断るが、切羽詰まって港にやってきたグイドに『600万なんて言ってねえよな、800万って言ったよな』とおちょくった挙句、仲間と一緒にグイドを絞め殺す。
悪辣さにみじんも救いのない船頭一家の描写には、地獄のような非人間性が描かれる。
これも裏街道の現実。

「無法者の掟」と比べて、散漫な印象はなく、カチッとまとまった作品。
映画監督として『上手になっている』ジェルミの姿が確認できる。

様々な現実的結末を犯罪者は迎えてゆく中で、グループ唯一の10代であるアルベルトがいる。
分け前にも固執せず、グイドに『連れてって』と懇願するも放っておかれる。
諦めて実家へ帰るとそこには警察が。
窓から脱出して壁に貼りつくが、母親の説得で戻り、連行されてゆく。
人間的な結末である。
母親はアンナ・マニヤーニのような猛烈なイタリア母ではなく、聖母のように良識的であった。

ここで、ラストシーンについて考えた。
『壁に貼りつくアルベルトに、イタリアの母親が叫び、自分も窓から飛び出そうとする。慌てて息子が壁から部屋に戻ってくる。』ではどうだったか?
コメデイになっちゃうか。

DVD名画劇場 イタリアンネオレアリスモの作家たち その4 ジュゼッペ・デ・サンティス

ジュゼッペ・デ・サンティス

1917年生まれ。
長じてチネチッタ付属の映画実験センター・監督科を卒業し、ビスコンテイらが集っていた雑誌「チネマ」同人となり、映画批評に健筆をふるう。

ヴィスコンテイ処女作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」に共同脚本として参加。

マルキシズムの影響を受け、共産党の出資で撮った「荒野の抱擁」(1948年)で監督デヴュー。
以降「にがい米」(49年)、「オリーヴの下に平和はない」(50年)とネオレアリスモ史上に残るの重要な作品を発表する。

シルバーナ・マンガーノ、ルチア・ボゼーといったイタリア映画史に残る、美人でグラマーな女優のデヴュー作を撮ったのも、この監督の功績である。

「にがい米」   1949年  ジュゼッペ・デ・サンティス監督  イタリア

後の大プロデユーサーーのディノ・デ・ラウレンティスの製作第一作、シルバーナ・マンガーノの映画初出演、監督ジュゼッペ・デ・サンテイスの第二作。
のちにイタリア映画界を国際的にも引っ張ってゆく才能(特にラウレンテイスとマンガーノ)が揃った作品。
まさにイタリア映画戦後世代の台頭のムーブメントであった。

シルバーナ・マンガーノ、1948年

題材はイタリア社会の貧しさ、それを表現する素材には戦後世代のエネルギーを象徴するような18歳のシルバーナ・マンガーノを抜擢。
この時点で、この映画は、貧しくもつつましやかな庶民の姿を、いわゆる正攻法ではなく、無知で享楽的な若さと肉体をもって描こうとしていることがわかる。

「にがい米」のワンシーン

スカートをまくり上げて、蓄音機をならしながら広場で一人踊る18歳のマンガーノ。
ガムをかみながら出稼ぎ仕事を要領よくこなし、田植えになるとぴちぴちのショートパンツに膝上までのハイソックス。
宿舎では黒いスリップ姿で胸元を晒し、太ももから腋毛まで見せる。
圧倒的な肉体の存在感。
単なる若さの披歴でも、過剰なセックスアピールでもなく、すでに唯一無二の存在感をまとった新人女優である。
腰のあたりの太さが昔風なのもいい。

「にがい米」、田植えシーン。30~40センチの苗を植える

旧来の価値観にとらわれるわけでもなく、階級闘争にも無縁の存在であるマンガーノは、目先の物欲に支配され、ひたすら貧しさからの脱却(男にすがっての)を望む、戦後のアプレゲールな存在。
若くて勢いのある彼女は出稼ぎ集団のシンボル的存在として一目置かれている。
心ならずも貧しい出稼ぎ労働者の群れにいることに内心の焦燥感を抱いている。
その反動で、物質的な自己実現に固執してもいる。

彼女に絡むのは、犯罪者の男(ヴィットリオ・ガスマン)と、彼にそそのかされて身を持ち崩し、田植え労働者の群れに身を隠している女(ドリス・ダウリング)、先の戦争から10年間の兵役に疲れた軍曹で、若く肉感的なマンガーノが忘れられない男(ラフ・バローネ)。
それぞれが救いようのない悪だったり、悪を反省して更生しようとする人間の良心だったりするのだが、その登場人物たちが三角関係のように絡み合う。

「にがい米」のシルバーナ・マンガーノ。素晴らしい

サッカー場のように広い水田に並んでの田植え、田んぼで泥だらけになっての労働者同士の喧嘩、雨の中で箕のような雨具を被っての田植え、用水路の堰を破られ田圃に水があふれたときの右往左往。
契約労働者と未組織労働者の対立と和解。
前近代的な雇い主側への素朴な抵抗。
彼女たちに野卑な声をかける村の男たち。
宿舎の納屋で藁をカバーに詰めた寝具の上でスリップ一丁で過ごす女達。
風呂もシャワーもなく水路で水浴びする生活環境。

もう一人の主人公ドリス・ダウリング。右はラフ・バローネ

デ・サンテイス監督の狙いはそのあたりのシーンに表われているのだろうが、デ・ラウレンテイスプロヂューサーの狙いは、マンガーノの胸と太腿にあった。
そしてその狙いは世界中のヒットとなって的中した。

ラウレンテイスはその後、「道」(54年)、「カビリアの夜」(57年)、「天地創造」(66年)、「キングコング}(76年)などで大プロデユーサーとなり、マンガーノ(ラウレンテイスと49年に結婚)は、夫君の製作作品のほか、ヴィスコンテイやパゾリーニ作品の常連として活躍した。
「にがい米」はこの二人にとっての記念すべき第一作なのだった。

「オリーヴの下に平和はない」  1950年   ジュゼッペ・デ・サンティス監督  イタリア

デ・サンテイス監督の第三作、美人コンテスト優勝者のルチア・ボゼー映画初出演。
イタリア郡部の貧しい現実を素材にしたドラマ。
戦後まだ5年という製作時期がより生々しい現実感を生んでいるのは「にがい米」と同様。

舞台はチョッチャリア地方という山岳地帯。
第二次大戦の激戦地・カッシーナに近いという。

村民は羊と山羊を放牧して暮す。
家畜の数がそのまま財の多寡を示す、前近代的な社会だ。
そこでは悪辣な手段によっても、家畜を増やすボスが支配する社会でもあった。
同地方出身のデ・サンテイス監督が実話をもとにしての作品だという。

ラフ・バローネとルチア・ボセー

兵役3年、収容所3年を経て帰ってきた28歳のフランチェスコ(ラフ・バローネ)が主人公。
帰ってきたら羊がボスに盗まれている。
ルチア(ルチア・ボゼー)という恋人がいるが、ボスに気に入られ婚約することになり、フランチェスコとの交際を家族に禁じられている。

フランチェスコは羊を奪い返し、ルチアとともに村を離れる決心をするが、悪辣なボスに裁判に訴えられる。
フランチェスコに有利な証言をした村民は、家畜に毒を盛られたり、家に放火されたりする。
頼みのルチアまでが家族が復讐されることを心配して偽証する。
フランチェスコは有罪となり投獄される。

一方、羊を奪い返した際に逃げ遅れてボスに強姦されたフランチェスコスコの妹マリアは、ボスが忘れられずに密会を続ける。
ボスとルチアの結婚式にも現れる。
ボスの母親は息子とマリアの顛末を知り、結婚するのはこの二人だと断ずる。
ルチアは結婚指輪を外してその場を去る。

復讐の念に燃えたフランチェスコスコは脱獄してボスを狙う。
それを知ったルチアはフランチェスコスコのもとに駆け付ける。
なかなか受け入れないフランチェスコスコだったが、やがて二人は結ばれ行動を共にする。
警官隊の山狩りが迫り、ボスがフランチェスコスコの復讐に恐れおののき、村民たちがボスの悪辣さに反旗を翻し、と状況が切迫する。
果たしてフランチェスコスコとルチアの運命やいかに?

山岳のルチア・ボゼーとラフ・バローネ

「にがい米」のマンガーノ同様、デヴュー作の役名ルチアが芸名と同じというヒロイン、ルチア・ボゼーは前半は無理解な両親と、嫌悪感しかないボスの間でひたすら無表情の演技。
家族を捨てフランチェスコスコのもとに駆け付ける決心をしてからは表情が一変。
オリーヴ摘みの女達の中心でスカートをまくり上げて踊りを披露して警官隊の注意をそらす。
フランチェスコと再会してからは、決然とした女の表情と立ち姿を見せ、行動的なヒロインに変身。
その顔つきと突き出た胸は「ならず者」(1943年 ハワード・ヒューズ監督)でデヴューしたアメリカ人女優、ジェーン・ラッセルを彷彿とさせた。

ルチア・ボゼーとラフ・バローネ

ルチアがボスとの結婚をすんでのところで回避できたのは、ボスの母親の行動からだった。
「ベリッシマ」のアンナ・マニヤーニもすごかったが、イタリアのおっ母の存在感!がここでも炸裂。
たとえ悪辣な息子のマンマであっても、カソリックの信仰が最優先するのがイタリア。
先にマリアを強姦していたことを知ったマンマはボスに黙ってビンタを張り、「結婚相手はマリアだよ。ルチアは関係ない」と結婚式を強制終了させ、結婚そのものを再起動させる。

最初に手を付けた女性を妻としてめとらなければならない、という当時のカソリックの大原則は絶対であった。
離婚ができないのも同様。
そしてイタリア男はマンマの言うことを終生、最大限に尊重しなければならないのもイタリア人の基本の基だった。フランチェスコに「奴はキリスト教徒ではない、凶暴な犬だ」と断じられたボスも、最小限のカソリック教徒であり、イタリア人だったのだ。

「揺れる大地」の漁民が、資本家たる網元の支配に抵抗し、いったん挫折した後も団結を尊重するように、本作における放牧を生業とする村民たちのドラマでも、団結による勝利が高らかに謳われる。

辛辣な現実描写と階級闘争による勝利を謳った本作だが、デ・サンテイス監督の手腕は「にがい米」同様、スペクタクルな場面でも存分に発揮される。
脱獄したフランチェスコが家に閉じこもったボスに向かって声をかける場面など、反響効果を利かせたセリフ、悪漢を追いつめるヒーローのクールさ、そもそもが悪漢に対し我慢に我慢を重ねた末の反撃というドラマ構成。
グラマーでヒーローにぴったりくっついたヒロインも存在。
これはイタリア映画の体臭でもあり、そのまま後年のマカロニウエスタンで再現された呼吸でもあった。
ネオレアリスモは元祖マカロニだったようだ。

「ローマ11時」  1952年  ジュゼッペ・デ・サンテイス監督  イタリア

戦後7年目を迎えたイタリア。
戦中戦後の混乱期は過ぎたものの、戦争に起因する貧困と格差は埋まらないまま、不況の世相が続いていた。
経済のパイが広がらず、循環も滞ったまま、限られた正業に失業者の群れが殺到する。
これは、1951年1月にローマで起こった実話をもとに、関係者に取材して作られたドラマである。

新聞に載った募集広告。
『美人タイピスト1名募集』。
広告主はボロアパートの1室で事務所を開く会計士。
そこへ応募の女性が200人ほども押し寄せる。

左の女優がカルラ・デル・ボッジョ

戦後のすさんだ空気が残る街、失業中の女性たちは10リラの屋台の焼き栗でさえ買うのを躊躇する。
しかし、並び始める女性の一人にウインクしてバスを次々に見送り、名前と住所をせがむ水兵がいる。
メイドの身分から解き放たれようとタイピストに応募する少女に手を出す男がいる。
ここはイタリア。
男はもちろんイカレているが、女達もどこかのんびりしていて、切迫感より人間味が先行している。

ボロアパートの門を『開けろ、開けない』でのひと悶着もイタリア的。
応募した女たちの、袖すり合うも他生の縁的な井戸端会議的コミュニケーションぶりも面白い。
もちろん、だしぬけの横入りや、騒音に抗議するアパートの住人達に対する抗議のドタバタぶりはイタリア映画のお約束。
大騒ぎして、自分だけでも就職しようとする女達は失業者とは思えないほど元気だ。

夫も失業中で、この中では一番切羽詰まった感じの女が、抜け駆けして面接室に入ったことから他の女たちが騒ぎ出し、手摺が壊れて階段が崩落する。
一人が結局死に、ほとんどが救急車で病院に連れていかれる。

病院では入院費1日3700リラが自費だと聞き、勝手に退院してゆく女達。
マスコミが病室に乱入し、ベッドに腰を掛けて全員にインタヴュー。
得意の歌を披露する娘もいる。
本当にこんなんだったのか?イタリア的すぎないか?

責任所在の捜査のため、警察が集めた関係者。
アパートの大家、住人、タイピストの募集主、アパートの設計者、それぞれが勝手に責任逃れの言い訳をわめく。
その中で、列を抜け駆けした女が責任感から泣き崩れる。
死んだ女とは階段で並ぶうちに知り合ったばかり、彼女が水兵と住所を交わしていたことも知っていたのだった。

警察による責任者の追及は結局なかったが、貧困の現実は変わらない。
壊れたアパートの門の前で再び並び始める娘がいるのだった。

瓦礫の下に倒れるルチア・ボゼー

映画が描きたかったのは、戦後数年を経てなおイタリアの貧困の現実。
そしてその責任が個人にはないこと。

応募した女達には、田舎からもう戻らない覚悟で出てきた娘、金持ちの育ちながら貧乏絵描きと愛し合う娘、スラムに住む売春婦、上司と不倫の末妊娠して前職を辞した女らがいる。
映画の後半は彼女らの現状と行く末を描いてゆく。
デ・サンテイスの彼女らに対する視線には温かさががある。
彼女らは逞しく、ユーモラスでさえある。

俳優の動きを捉えるカメラは移動撮影を多用し、状況全体を流れるようにとらえる。
縦の構図で、画面の奥で芝居させるカットもある。
階段崩落のアクション?シーンも真に迫っている。
女優たちのお色気にも手を抜かない。
脚本には、デ・シーカ作品で有名なネオレアリスモの中心人物のチェザーレ・ザヴァッテイーニを起用。
デ・サンテイスの映画作りは、準備段階から俳優の選択、撮影技法に至るまで、いつもながら本格的だった。

特に女優たちの存在感、演技は印象深い。
「オリーヴの下に平和はない」でデヴューしたルチア・ボゼーは貧乏画家と同棲する金持ち娘。
事故が新聞沙汰となり家族が迎えに来るが、途中で車を降りて画家の元へ戻る。

夫婦で失業中の妻はタイプに自信があり、どうしても就職したいことから割り込んで顰蹙を買い、事故の原因を作った、その後罪悪感にさいなまれる。
この幸薄い美人妻を演ずるのはカルラ・デル・ボッジョという女優。

逞しい売春婦で、戦後を色濃く引きずるスラム街に住み、お客?同伴でタイピストに募集するのはレア・バドヴァーニ。
スラムを見たお客?は去っていった。
彼女はこの後、更生できるかどうかはわからないが、たくましく人生を生き抜いてゆくことは確かだ。

伊那旭座で「鹿の國」を見る

たまたま伊那のミニシアター旭座のサイトを見ていたら、「鹿の國」の上映最終日が迫っていたので出かけることにしました。
旭座で見るのは初めてです。

伊那旭座

諏訪湖から太平洋に流れる谷沿いに広がる伊那谷。
下流に向かって右手に中央アルプス、左手に諏訪地方から山梨県にかけての境をなす山々に囲まれています。

伊那市は上伊那と呼ばれる伊那谷北部の中心都市で、人口比の飲み屋の多いことでも知られています。

伊那錦町の飲み屋街

伊那市に唯一現存する映画館の旭座は、明治時代に開館した芝居小屋をルーツに、大正2年に現地に移り、芝居などの出し物の間に映画上映を行ったといいます。
戦後になり映画専門の劇場となりました。
県内最大級のスクリーンを擁し、旭座1は352人、別棟の旭座2は204人の定員で、経営はタバタ映画社です。
全国で9館のみという現存木造映画館のうちの一つにかぞえられ、上映作品は、シネコンで上映されるロードショー作品が主流です。

旭座1の全景

静まり返った伊那の街はずれに、忘れられたようにたたずむ昭和感丸出しの映画館が旭座です。
シネコンでもなければ、ミニシアターでもない(今流の分類ではミニシアターとなるのであろうが)、木造の味のある外観。
「コナン」の新作ポスターがかかっていなければ営業しているかどうかもわかりません。
昭和からタイムスリップしてきたかのような空気感に、劇場そのものが覆われています。

旭座1の近景

「鹿の國」の開映5分前に映画館のドアを開ける。
チケット売り場の窓口は当然開いていない、入場口左手のモギリにも人がいない。
声をかける寸前、右手の事務所?に人の気配がし、70代くらいのおじさんが動いた。
「鹿の國、シニアで」と声をかけると、料金表を指し示しつつ、モギリにやって来る。
忙しいのか、話しかける雰囲気ではない。
この雰囲気、昭和の映画館スタッフが持つ、堅気でもなく、そうかといってヤクザっぽいわけでもなく、せかせかした人を寄せ付けないオーラを思い出させた。
フィルム上映の有無や、作品選択などを聞きたかったが諦める。

旭座1のチケット売り場

観客は一人。
スクリーンの大きさ、きれいさ、場内の設備の良さは経営のプロっぽさ、封切館の雰囲気を思い出させた。
2階席もあるのだった。
開映直前におばさんが入ってきて観客が二人に。
上田映劇、長野相生座、塩尻東座など県内のミニシアター系の木造映画館での経験でも特筆される観客の少なさだ。

旭座1の場内とスクリーン
別棟の旭座2の全景

「鹿の國」  2025年  弘理子監督  ヴィジュアルフォークロア製作・配給

『ミシャクジ ミシャクジ 目には見えない何者かがここにはいる』。
諏訪の雪景色のなかの鹿の群れの映像にナレーションが被る。
いきなり諏訪の神様の核心に迫る出だしだ。

この映画の狙いは諏訪という場所の民俗学的興味なのか。
だとしたら諏訪大社に祀られる諏訪の神様の正体こそがその核心であろう。
そして諏訪の神様とは、古事記に現れる人格を持った固有名詞ではなく、岩や石に象徴される精霊が宿る自然だったり、神職と呼ばれる人が行う神事だったり、一般人が営々と繰り返す営みだったりを通して現れるものなのだろう。

大祝と呼ばれる神職が諏訪大社にはあった。
選ばれた少年は、冬から春にかけて御室とよばれる半地下の筵小屋に閉じこもる。
翌年の豊作を祈り、生命の誕生を祝う神事だとされている。
映画では、途絶したこの神事を再現する。
公民館で大祝役の少年を呼び、中世の芸能研究者を呼んでレクチャーする。
『神様は芸能を好む』、という研究者の解釈により、村の顔役たちが鹿肉を食らいながら御室で繰り広げたであろう宴を地元の衆の演技で再現する。

上伊那地方のある家族。
屋号がミシャクジだという。
三つに割れた桜のご神木の元で毎年春の神事を行う。
この貴重な記録、参加しているのが年寄りばかりというのは気になった。
若い人がその場にいないというのは、諏訪大社の役職(神長官、大祝)同様、近年で断絶するということなのか。

諏訪大社のお札には、『鹿食免』というお札がある。
江戸時代以前の肉食禁止の時でも、諏訪を中心とする地方では鹿の狩猟と肉食は許されていた名残である。
大社でお札をもらい、鹿を捕り、肉を神事のために大社に納めるハンターがいる。

諏訪に移住し、モンペと着物姿で機械を使わずに田圃を作る人がいる。
それを助ける集落の老婆がいる。
腰は曲がっているが、農作業は体が覚えている。

明治以前の神仏習合の時代、諏訪大社周辺には無数の寺があった。
象に乘った普賢菩薩が大社のご神体ともいわれたという。
この映画では、その時代以来であろう寺の僧侶が大社でお経をあげる場面が記録された。
僧侶は言う「諏訪の神様とは、タケミナカタノミコトでも普賢菩薩でもなく、ミシャクジとよばれる精霊などの集合体なのだろう」と。

「鹿の國」チラシ

この作品のうまさは、諏訪の神様に解釈を、中世の芸能研究者や僧侶などに語らせていること。
解釈が必要なことは専門家に語らせ、その解釈を映像化している。
また、上伊那の屋号がミシャクジと呼ばれる一家の神事など、貴重な事実を記録している。

ミシャクジと並ぶもう一つのキーワード「鹿」については、上社の春の神事「御頭祭」での、鹿の首を神主が押し頂く場面、ハンターが狩猟する場面等々で繰り返し扱っている。
『鹿亡くしてはご神事はすべからず』。
中世の風土記に書かれた言葉であるという。

「鹿の國」チラシ裏面