朝市の会打上げで田舎と都会について考えた

朝市の会の打ち上げがあった。
参加したのは8名。場所はおじさんの住む別荘地内の食堂。
食堂の主のIさんも朝市の会のメンバー。

8名の内訳は、別荘住民で自作の作物を出品するYさん夫婦。
地元の農家で観光ブルーベリー園のほか、野菜全般を作付けするMさん夫婦。
地元にUターンしてドジョウなどの養魚で地域おこし中のKさん。
別荘族20年で80歳代のため今年は出品中止したMさん。
会場の食堂マスターのIさんと、定年おじさん。

おじさんは、山小屋にあふれる材料で、大根の煮物、里芋の煮物、焼き芋、ツルムラサキのお浸しを作り、上田の地酒・亀齢の一升瓶とともに持って行った。
ところが、1品持ち寄ってきたのはおじさんだけで、つまみはフルコースで出てきて、ビールから何から飲み放題で会費1000円だった。

会は、UターンしたKさんのチェロ演奏で始まった。
東京での学生時代からの趣味とのこと。
思わぬ文化的な香りに驚く。

おじさんが持参した亀齢を見て、Kさんらが早速反応。地元の人はわかっているのだなとうれしくなる。
先日の別荘族の集まりの時は、亀齢を知っている人がいなかった。

一事が万事。別荘族と地元の人の違いを感じ続けたひと時だった。
話題は、畑のことから、地元の人たちが考えている地域おこしのことまで。

知識をひけらかす感じがぬぐえない、別荘族の話に対して、地元の人の話はあくまで実体験に基づいた豊かなもの。
Mさんの、トマトの青い実を収穫して追熟させて冬に食べる話や、ヤギの乳をご飯にかけて食べる話。
今考えているのは、清流を利用してのクレソンづくり。都会へ出荷するのではなくて、都会人を呼び込むような地域おこしをしたいとのこと。
話をするMさんの表情は嬉しそうだったり、きっぱりしていたりと話題に負けず豊かだ。

亀齢にうれしい反応をしてくれた、UターンのKさんは、千葉で定年退職後、実家に戻り4年目。
奥さんがまだ都会で働いているのは、定年おじさんと同じ境遇。
地元でドジョウ、フナ、タニシなどの養殖を始めたとのこと。
Kさんが地元にいたころは、農耕用に牛を飼い、タニシなどは常食していたとのこと。
Kさんは非常に人懐っこく、同年代の定年おじさんに話しかけてきた。

Mさん、Kさんに共通するのは、身の丈に合った仕事をしているところ。
地域の特性を生かした素材による地域おこし。

鰻や、FI作物など、経済性に染め抜かれた素材を扱うとどうしても「相手」の土俵で相撲を取ることになる。「相手」は得体のしれぬ資本の世界だ。100%いいとこどりされて終わりである。

クレソンとドジョウの養殖。華々しい資本の世界とは無縁かもしれぬが、手ごたえを実感できる事業になるだろう。

ここで、おじさんが地域の住民Mさんに質問。
移住者が地域にやってくると最初は歓迎されるがじきにいなくなることについて。
和んだ空気が凍り付く。
すかさず、別荘族20年のMさんが、それはコーディネーターがいないからだ、と断言。
おじさんは、都会人は必ずしも、「お互い様」の価値観になじまず、「私は私」の人もいるから。と更にMさんに聞く。
Mさんから返事はなく、話題は自然消滅。

おじさんとしては、田舎の価値観の否定ではなく、都会の価値観とのすり合わせ、融合が図れないか、地域の有意の人に考えを聞きたい気持ちだった。
Mさんとしては、根の深い問題であることをわかっているから安易な返答ができなかったのだろう。

とにかく、先に口が動く別荘族とは対照的である。
別荘族は話し終わると自慢のどや顔をするが、地元の人は話し終わると心底うれしそうな顔になる。
過去の栄光に固執し、未来の話ができない別荘族に対し、地元の人の前向きで明るい話題に心が満たされたひと時だった。

地元・長和町の広報と、養殖事業を紹介されたKさん。

お隣から生みたての卵をもらいました。

直売所へゴー!

田舎では何を差し置いても直売所へゴーだ!

その土地らしさを求めた時、どこへ行く?
街へ出てシャッター街を歩くか?
城下町の路地を覗くか?
人気(ひとけ)を求めて駅ビルへ闖入するか?

それもいいだろう。
だが、田舎が等身大の活気を見せる場所はどこか?
地域の社交場にして生産物の晴れ舞台はどこにある?
それは直売所なのだ!

国交省管轄の道の駅というところもある。
残念ながらそこは地元にとってよそ行きの場所。
土産品をかき集めて、標準語で接客するイメージ。

道の駅に準ずる大掛かりな直売所もある。
ここら辺では、たてしな自由農園など。
物資は豊富だが、品ぞろえ優先で、県外の野菜も多い。加工品など油断すると輸入品を買ってしまう。贈答用の桃や、ブドウなどを買うにはいいけどね。

おじさんのお気に入りは、農産物直売加工センター・あさつゆ。
上田市丸子にある。
野菜は全品地元産。季節外れの野菜はない。今だとリンゴが幅を利かせている。
トウガラシなど、はおじさんが作ったほうがモノが良かったりすることもある。が、そのほかは近隣のプロ農家が作った美品。しかも安い。
夏のキューリ、なすなどは一袋100円から200円。

ジャム用の桃、洋ナシ、リンゴはここで買う。
漬物用のキューリやナスもここ。
今日は秋映というリンゴを5個入り400円で購入。
おじさんの畑にない長ネギは3本で120円。

食事もできる。
地元のおばさんが作る手打ちうどんは、ほとんど家庭料理。つゆまで完食する。
松茸や朝鮮人参、日本はちみつなども売っているが、あくまでも地元産だ。

地元の人がひっきりなしに集まってくる。
ここはいい。

定年おじさん 別荘地の集まりに参加する

おじさんの住む別荘地は、数百の区画があり、その半分くらいに別荘が建っている。
そのうちで、定住しているのが数十軒。
夏や冬に長期滞在するおじさんのようなところが数十軒。もっといるかな?
ということは、数百の区画の別荘地でも、よく利用しているのはせいぜい100軒どまりということ。
限られた敷地内で、限られたメンバーが交流せざるを得ないというのが別荘地である。

おじさんの山小屋の近所に、Kさんという定住者がいる。ご夫婦でペンションと貸別荘を経営している。
おじさんは、窯でピザを焼いたからとご馳走になったりしていた。
先日、畑で採れたサツマイモを持ってゆくと、「今度、芋煮会をするから来ないか?」とご招待を受けた。

Kさんは70歳代。集まったメンバーも70歳代以上がメイン。男女合わせて10人ほど。
20年前からKさんらの声掛けで集まった別荘地内のメンバーで、共同で畑を借りて朝市に出品したり、本を集めて図書館を作ったり、ハイキングをしたり、とのこと。

当時、Kさんが発行したという会報を見ると、活動の多彩さもさることながら、写真入りで作られた会報の丁寧な作りが印象的だった。

メンバーには偶然ながら、おじさんの大学の先輩の人もいた。20年近い先輩で工学部応用化学出身。
畑で採れたサツマイモを蒸留して焼酎を作っていたとの話が印象的。

男手で芋煮を作った。
畑で採れた里芋、大根を持ち寄り、豚肉の出汁で大鍋で煮る。
Kさん宅の土間が大人数の炊事には使い勝手がよい。
煮えるまで、おじさん持参の上田岡崎酒造の純米亀齢を開けて男チームで歓談。

鍋ができてから、女衆の待つ母屋の食堂に入る。
母屋の作りは防寒がしっかりしていて暖かい。これがペンション仕様か。
女衆持ち寄りの、カボチャ、キューリの辛子漬け、マツタケご飯、揚げ物などをつまみに夕方まで歓談。

皆さん久しぶりの集まりとのことで、話題は20年間の思い出話が主だった。
Kさんの人柄か、興味と話題が多彩な、行動的なメンバーだった。
別荘住民は個性的な人が多い印象だが、今回のメンバーからは、「至極まっとうな人たちが、まずまずのリタイア生活を送っている」感じがした。
高齢や病気で、アルコールを制限しているメンバーが多い中、亀齢の一升瓶が開き、三三五五の散会となった。メンバーはそのまま車で帰って行ったが、別荘地内のこととはいえ、飲酒運転で大丈夫だったろうか?

稲刈り はぜ掛けの風景

長野県は稲刈りの真っ盛り。
昔ながらの、はぜ掛けの風景が見られる。

刈った稲を束ねて、天日乾燥のため、物干しざおに掛ける作業。
コンバイン普及後は、もみだけを刈り取って、機械乾燥するのが主流となっていた。
いまも大規模米作はその方法だ。

ところが長野県に来て、昔ながらのはぜ掛けによる乾燥が行われているのを見た。
自家用分だけをそうするのかと思ったら、結構大規模に行われている。
はぜ掛け乾燥を売り物にした米も売られていることも知った。

はぜ掛けって、結構大変で、稲の根っこを刈り、稲わらで束ね、よっこらしょとはぜに掛けなければならない。人出がいるし、刈ったばかりの稲束は結構重い。
稲刈りから後の作業に人出が掛けられる状況でないと、そもそもできない。根っこの刈り取りまでは機械でできるが。

定年おじさんは、かつて自宅の近くで田んぼづくりのグループに参加し、手植え、手刈り、はぜ掛けで稲作をしたことがある。
だから、はぜ掛けの大変さは、よくわかる。

できた新米にプレミアがつく現状なら、作業のし甲斐もあるだろう。
地元の人には、「今の乾燥機は性能がいいから、はぜ掛け乾燥と食味に大差がない」と話す人もいるが。
いずれにせよ、頑固というか、奇をてらわず、結果、古いものが残っている長野県らしい風景のひとつである。

はぜ掛けの風景は、上田盆地一帯のほか、諏訪湖周辺の田んぼでも見られる。ほかの地方のことは知らない。