定年おじさん 別荘地の集まりに参加する

おじさんの住む別荘地は、数百の区画があり、その半分くらいに別荘が建っている。
そのうちで、定住しているのが数十軒。
夏や冬に長期滞在するおじさんのようなところが数十軒。もっといるかな?
ということは、数百の区画の別荘地でも、よく利用しているのはせいぜい100軒どまりということ。
限られた敷地内で、限られたメンバーが交流せざるを得ないというのが別荘地である。

おじさんの山小屋の近所に、Kさんという定住者がいる。ご夫婦でペンションと貸別荘を経営している。
おじさんは、窯でピザを焼いたからとご馳走になったりしていた。
先日、畑で採れたサツマイモを持ってゆくと、「今度、芋煮会をするから来ないか?」とご招待を受けた。

Kさんは70歳代。集まったメンバーも70歳代以上がメイン。男女合わせて10人ほど。
20年前からKさんらの声掛けで集まった別荘地内のメンバーで、共同で畑を借りて朝市に出品したり、本を集めて図書館を作ったり、ハイキングをしたり、とのこと。

当時、Kさんが発行したという会報を見ると、活動の多彩さもさることながら、写真入りで作られた会報の丁寧な作りが印象的だった。

メンバーには偶然ながら、おじさんの大学の先輩の人もいた。20年近い先輩で工学部応用化学出身。
畑で採れたサツマイモを蒸留して焼酎を作っていたとの話が印象的。

男手で芋煮を作った。
畑で採れた里芋、大根を持ち寄り、豚肉の出汁で大鍋で煮る。
Kさん宅の土間が大人数の炊事には使い勝手がよい。
煮えるまで、おじさん持参の上田岡崎酒造の純米亀齢を開けて男チームで歓談。

鍋ができてから、女衆の待つ母屋の食堂に入る。
母屋の作りは防寒がしっかりしていて暖かい。これがペンション仕様か。
女衆持ち寄りの、カボチャ、キューリの辛子漬け、マツタケご飯、揚げ物などをつまみに夕方まで歓談。

皆さん久しぶりの集まりとのことで、話題は20年間の思い出話が主だった。
Kさんの人柄か、興味と話題が多彩な、行動的なメンバーだった。
別荘住民は個性的な人が多い印象だが、今回のメンバーからは、「至極まっとうな人たちが、まずまずのリタイア生活を送っている」感じがした。
高齢や病気で、アルコールを制限しているメンバーが多い中、亀齢の一升瓶が開き、三三五五の散会となった。メンバーはそのまま車で帰って行ったが、別荘地内のこととはいえ、飲酒運転で大丈夫だったろうか?

稲刈り はぜ掛けの風景

長野県は稲刈りの真っ盛り。
昔ながらの、はぜ掛けの風景が見られる。

刈った稲を束ねて、天日乾燥のため、物干しざおに掛ける作業。
コンバイン普及後は、もみだけを刈り取って、機械乾燥するのが主流となっていた。
いまも大規模米作はその方法だ。

ところが長野県に来て、昔ながらのはぜ掛けによる乾燥が行われているのを見た。
自家用分だけをそうするのかと思ったら、結構大規模に行われている。
はぜ掛け乾燥を売り物にした米も売られていることも知った。

はぜ掛けって、結構大変で、稲の根っこを刈り、稲わらで束ね、よっこらしょとはぜに掛けなければならない。人出がいるし、刈ったばかりの稲束は結構重い。
稲刈りから後の作業に人出が掛けられる状況でないと、そもそもできない。根っこの刈り取りまでは機械でできるが。

定年おじさんは、かつて自宅の近くで田んぼづくりのグループに参加し、手植え、手刈り、はぜ掛けで稲作をしたことがある。
だから、はぜ掛けの大変さは、よくわかる。

できた新米にプレミアがつく現状なら、作業のし甲斐もあるだろう。
地元の人には、「今の乾燥機は性能がいいから、はぜ掛け乾燥と食味に大差がない」と話す人もいるが。
いずれにせよ、頑固というか、奇をてらわず、結果、古いものが残っている長野県らしい風景のひとつである。

はぜ掛けの風景は、上田盆地一帯のほか、諏訪湖周辺の田んぼでも見られる。ほかの地方のことは知らない。