五輪久保のハブキフジ

摘み取りバイトをした立科町五輪久保のリンゴ農家で、フジのB品の箱売りがあったので行ってきました。
例年、12月になるとハブキと呼ばれるB品がコンテナ売りされるのです。

B品は、形がいびつだったり、小玉だったり、色づきが悪かったり・まだらだったり、軸の取れかたが悪かったりしたりんごです。
味は変わらないようです。

農家の玄関先につくと、りんごを入れたコンテナが積まれており、箱を入れ替える台が用意されていました。
予約しておいた二箱を受けとり、代金1万円なりを支払います。
領収証を発行してくれるのは、農家の個人事業主としての正しい出納処理でしょう。

コンテナ二箱分を購入
自前のコンテナに入れ替える

15日の打ち上げには参加できないからと、手製の干芋をほんの数枚お土産に渡すと、奥さんが五輪久保特製のりんごジュースを「2本しかないけど」と言って渡してくれました。
摘み取りが終ると、毎年、バイトの人とともに打ち上げを行っています。
かつては住み込みで青森からの出稼ぎを使っていた時の名残でしょうか。

干芋のお返しにもらったジュース

五輪久保からの帰りに一部のフジを自宅に送りました。
持って行ったもみ殻を詰めた段ボールが二箱でしたが、全体の量の半分にもなりません。
翌日、彩ステーションにもひと箱送りました。
東京でも大好評のようでした。

東京への宅配便。もみ殻を使う

松代大本営平和祈念館

長野市松代には戦時中に掘った大本営と天皇御座所があります。
松代の皆神山などの地下を掘り進め、地下壕を作ったのです(天皇御座所は地上にあります)。

今では戦争遺産として保存されており、一部の地下壕は一般公開されています。

なお、長野県は現在の佐久市望月地区に、陸軍士官学校の校舎が昭和20年6月に移転してもいます。
何かあるのでしょうか。

祈念館の玄関

旧大本営地下壕を抱える松代に、平和祈念館ができたということを新聞で知り、行ってみました。

真田家(幸村の実兄を初代当主として幕末まで続いた)を町の名士と仰ぐ松代は、古い町並みが残る町です。
その一角に目指す祈念館がありました。
古民家をすっかりリノベーションしたという建物です。

土曜日ということもあり、受付には数人の比較的高齢の方々の姿が見えます。
運営するNPO法人のメンバーなのでしょうか。

祈念館のパンフ

2階の展示スペースに上ると、当時の世界情勢や、日本の満州移民、戦時下の長野県内などの解説から始まって、大本営地下壕の全体像や労働者の実情、採掘方法までが細かく展示されていました。

時代背景から、県内の戦時体制まで、各々の解説文が通り一遍のものではなく、NPOメンバーが自力で取りまとめ、執筆していることがよくわかるもので、全文読みごたえがあります。

当時の長野県には、退役軍人をメンバーとする在郷軍人会のような組織があり、戦争遂行や満州移民の際に、国に先行して活躍したこと。
満州への移民数と少年義勇軍?の人数が県としては全国一だったこと。
米軍の本土上陸を想定した訓練に長野県が協力したこと、その際の武器は竹やりやスコップだったこと。
などが展示されています。
戦後に県内で発見された、訓練の計画書や貧弱なスコップの実物などもあります。

祈念館のパンフより

ついてきてくれたNPOメンバーさんが、長野県からの満州移民が全国一だった背景を説明してくれました。
当時は県の主力産業だった製糸産業が世界恐慌によって壊滅したこと。
在郷軍人会からの圧力があったこと。
農家の耕地面積が狭く、次男三男は地元にいてもしょうがなかったこと、などです。
映画「黒川の女たち」でもそのことは語られていました。

祈念館のパンフより

メンバーさんはご自身も相当知識が豊かで、当時の県内の背景、雰囲気なども伝わるように解説してくれました。
さすが地元のNPOです。

大本営地下壕の掘削については、労働者の多くが朝鮮人だったが当時の名簿は焼却されて正確なことはわかっていないこと。
大成建設だったかについてはアメリカの国文書館だったかに残っており、そのコピーが展示されていました。
いずれにせよタコ部屋並みの労働環境だったようです。

松代の観光パンフより
祈念館でピンバッチを100円で購入

NPO法人の真面目な尽力が感じられる祈念館でした。
松代大本営に関する疑問がかなり解消できる資料と知識が詰まった施設でした。

祈念館を出て「ニュー街道一」へ向かいました。
地元で人気の食堂です。
ここ2回ばかりは満員で入れませんでしたが、この日はカウンターが空いていました。
念願のカツカレーをいただきました。

JA松代選果場
長芋一袋1500円

この日の目的はもう一つ。
松代が名産地の長芋です。
選果場はすでに買い物客で賑わっていました。
B品の袋詰めとごぼうなどを買いました。
6月のアンズに続いて、11月の松代は長芋が「買い」です。

この日の北アルプス

諏訪のフジモリ姓

諏訪地方に多い姓は藤森だ。

自動車のご当地ナンバー・「諏訪」のテリトリーは岡谷、下諏訪、上諏訪、茅野、原村、富士見といった市町村。
その地域を走るとフジモリの名の看板が目につく。

カメラのフジモリ、藤森建設、藤森眼科、藤森塗料店などなど。
商売のために看板を掲げる藤森さんだけでもこれだけいるのだから、勤め人の藤森さんはこの数倍から何十倍もいるのだろうと想像がつく。

茅野市内のビーナスライン沿いのカメラ店
山梨県小淵沢にも

縄文土器の権威である藤森さん、地元の公民館などを設計した建築家の藤森さんもいる。
諏訪の博物館には考古学の藤森さんの実績を展示したコーナーがある。

八ケ岳山ろくに縄文土器を発掘研究した藤森栄一
建築士藤森照信が設計した茅野市高部公民館
同じく神長官守矢家の裏手に立つ乗り物

全国的に有名なのが芸人の藤森慎吾。
出身地諏訪市の観光大使を務め、最近ではJA信州のイメージキャラクターとして、県内のAコープで流れるCM映像に出ている。

Aコープピアミドリ店前の藤森慎吾
元祖長野県出身芸能人・峰竜太が隣にいる

軽トラ流れ旅 戸隠は忍者の里だった

山小舎に去年から祀っている、戸隠神社九頭竜社の家内安全のお札。
これを納めて新しいお札をいただきに戸隠神社へ行きました。
毎年参拝しては、家内安全と足腰の無事を祈っている神社です。

山小舎からは下道で2時間超の行程。
今回はいつもの善行寺ルートではなく、長野市から鬼無里ぬ向かう道から入るルートでした。

山間に貼りつくように集落が点在する道を上り下ります。
過疎とか限界集落とかが語られる昨今ですが、長野県らしい、日本らしいい風景ではありませんか。

長野市から戸隠に至る山間部の集落風景
渋すぎるバス停
公民館の文字が右から左に
廃屋となった建物

戸隠の里は秋晴れでした。
中社と呼ばれる戸隠神社の中心の社屋周辺には観光客が群れています。
それを横目にパワースポット・奥社に向かいます。

戸隠高原の里風景

参道にクマが出没した奥社は、心配していたほどの混雑もなく、インバウンドの喧騒もありませんでした。
そういえば、さしものインバウンドも中国人も、食べ歩きやごみ捨てなどの姿を見ることがない奥社参道です。
さしもの中国人も、奥社のパワーの前に品行方正にならざるを得ないのでしょうか。

奥社参道には熊注意の看板
参道中ほどの山門。ここら辺にクマが出た
パワースポットの杉並木

何とか休みなしで2キロの参道を上り切り、お参りとお札納ができました。
古いお札の納め場所は中社にあるとのことでしたが、奥社の宮司さんは受け取ってくれました。

奥社のお宮
無事にお札をいただく
ご褒美に蕎麦ソフト

無事に今回の目的を達成。
奥社の向いにある郷土資料館と忍者資料館を訪ねてみます。

戸隠と忍者。戸隠は戸隠流忍法発祥の地だったのです。
そういえばあったな、戸隠(とがくれ)流忍法。
伊賀の服部が徳川の御庭番だったとすれば、戸隠流は武田方についたり、上杉についたり、弱小の地・信州らしい身の処し方を強いられたようです。

民俗館を訪ねる

人気のない忍者資料館に入ってみてさらにびっくり。
そこに展示されているのは、奥義書やら手裏剣などの実物。
昭和になってから後継者らによって実演された忍法の現場写真の数々。
くノ一だというおばさんの写真も。

忍者資料館の展示物
手裏剣の数々
忍法の実践
すいとんの術
くノ一の実物写真

伊賀の里という場所に行ったことがありますが、からくりを仕込んだ屋敷があったり、若い女の子の忍者がパフォーマンスをするような場所でがっかりしたことがあります。
対する、戸隠の忍者資料館は、リアルというか歴史を感じるというか。
さすが質実剛健な信州魂。
忍者の世界もそうなのね。

資料館内部

手裏剣の的当てができる「手裏剣道場」。
バイトのお兄さんに、実物と同じ重さだという手裏剣を持たせてもらい、戸隠流忍者について聞きました。
若いのに郷土の忍者について勉強していることがわかりました。

手裏剣同場にはバイトのお兄さんが立っていた
戸隠山連峰

帰途は戸隠から南下して小川村を通ります。
雪を頂いた北アルプスが見えました。

北アルプス

昼食は新蕎麦を食べたくて道の駅信州新町へ。
相変わらず賑わっている道の駅でした。

新蕎麦セット
道の駅信州新町で蕎麦を打つ職人

軽トラ流れ旅 新蕎麦と穂高神社

穂高神社へお札を返しに行ってきました。
その途中に築北村のそば処さかいに寄ってみます。

麻8時に出ます。
青木村への道をまっすぐ。
道の駅青木に着いたのは10時前、時間があるので寄ってみます。
野菜やおやきを買いました。
秋の味覚が真っ盛りの直売所です。
マツタケは売切れていました。

修那羅山の麓を通って築北村へ。
坂井地区の直売所の駐車場へ入ります。
法被を着た地区のおじさんたちが場内整理をしています。
テントが幾張か建てられ、芋煮などの鍋が煮えており、地元の女の子が紙の深皿によそってもらっています。
地区の秋のイベントが開かれているようでした。

筑北村坂井地区の収穫祭会場
テントでは芋煮が

先ずは念願のそば処へ。
11時開店のはずがもうやっていました。
初めての入店です。

蕎麦処さかい

内部は思ったよりも広く、板の間のほかに座敷もあります。
小さめの旅館のような造りです。
メニューを見ると新蕎麦が出ているとのこと。
キノコのつけ蕎麦の大盛を頼みました。

さかいの店内
新蕎麦が特別価格で

出てきたそばを一口すすって「あれっ」と思いました。
冷たい蕎麦を温かい丼の汁につけて食べる蕎麦です。
汁にはどっさりとキノコが入っています、ぜいたくです。
しかし、口に持ってゆくと熱くもなく、冷たくもない蕎麦が、中途半端な味の汁をまとっているようにしか感じられないのです。

熱い掛けそばは好きです。
冷たい蕎麦を濃い出汁につけてすするのも好きです。
味付けは関東風にこだわりません。
しかし今回のそばはどのジャンルにも属さないのです。
ぬるい付け蕎麦というのがどうにも性に合いません。
10時半の時刻でまだ腹が減っていなかったのかもしれません。
しかし新蕎麦です。
ありがたくいただきました。
店内は、11時前ながらほぼ満席でした。

キノコつけ蕎麦大盛

そば処を出て隣の直売所へ。
秋野菜のほか、新米もたっぷり出ています。
地方の直売所は本当に豊かです。
大根、長ネギなどをチョイス、地元産の干蕎麦も買いました。

直売所

坂井地区を出て国道467号線へ。
ここは聖高原と安曇野の明科を結ぶ西街道と呼ばれる道です。
松本と長野を結ぶJR篠ノ井線に沿って走ります。

途中の聖高原駅に立ち寄ってみました。
篠ノ井線の駅です。
かつては麻績駅といったそうです。
駅は無人駅ではありませんでした。

駅前には食堂などの商店街の跡がありますが、開いている店は若い人がやっているのであろう、ベーカリー・カフェが1軒だけでした。
むしろこんな場所でも店をやろうという人に、いい意味で感心しました。

篠ノ井線聖高原駅
駅前の現状

麻績から明科にかけての西街道沿いは、里山集落の景色や、岩盤の露呈、さらには篠ノ井線のトンネル開通に伴う廃線の景色が見られる興味深い街道筋となっています。
廃線跡はいずれ見たいですね。

明科で国道19号線に下ります。
塩尻から松本を経由して信州新町、長野市に至る主要国道です。
交通量が格段に増えます。
そこから穂高神社を目指します。
今回の旅の目的の一つ、穂高神社のお札納です。

穂高神社の駐車場ではトンボの群れが出迎えてくれました。
いつ来てもゆったりした温かさに包まれる境内です。
参拝の後、お札売り場で巫女さんに納める場所を確認し、新しいお札を頂きます。
返すお札が袋に入っているのを見た巫女さんが「この袋は取ってもらって結構です」とアドバイスしてくれました。境内では鶏(神様のお使い)がいなくなったままだとのことでした。

穂高神社
本殿で祈祷する巫女さん
神楽殿では催し物の後かたずけ中
ドーナツの出店。おいしかった

境内では縁日なのか、食品やフラフト類の出店が花盛りでした。
見て歩くと、サーターアンダギーのような揚げドーナツを売っている店があったので二つ買いました。
黄な粉やココナツなどお好みのトッピングを振りかけてくれるといううれしいサービス付きでした。

この後は、道の駅で買い物。
北アルプス牧場でソフトクリーム。
穂高温泉・シャクナゲの湯でひとっ風呂。
と安曇野でのゴールデンタイムを満喫。
まだ遠い帰路を帰りました。

北アルプス牧場でソフトクリーム
穂高温泉しゃくなげの湯

新米と布施温泉

新米の季節です。
山小舎から下った麓はお米の産地。
佐久方面に下ると、浅科地区の五郎兵衛米をはじめ、地域自慢の銘柄米が覇を競う米産地方になります。

かつては、この地方は蓼科山の湧水に恵まれた場所でしたが、春先は湧水の水温が低く、稲作には適さなかったそうです。
江戸時代に地元の五郎兵衛さんという人が、用水路を工夫して冷たい湧水を日光で温める方法を編み出し、水田が盛んになったとのことです。

五郎兵衛米産地の真っただ中、道の駅ホットパーク浅科へ新米を買いにゆきました。
去年の夏ころは、いつ行ってもお米が品切れだった県内の直売所や道の駅ですが、銘柄米の値段が高止まりし、コメの需要も一巡したからなのかどうなのか、新米の季節になった今、五郎兵衛米の新米がたっぷり売れ残っていました。
値段は5キロで4800円もしましたが。

道の駅浅科ホットパーク、直売所
五郎兵衛米の新米がズラリ

ホットパークでランチです。
ここで食べるのは初めてです。
浅間山を遠望しながらの大ロケーションです。

道の駅の食堂テラスより浅間山方面を望む
名物味噌カツ丼を賞味

浅科までくると、望月をはじめ、春日、立科などの地区が帰り道です。
望月農協をはじめ、地元スーパーの越後屋、直売所菜ないろ畑、春日のチーズラボ、望月のOKブレッドなど、魅力的な購買所が目白押しです。

この日は布施温泉によってみることにしました。
夏に山小舎へやってきた5人の学友が立寄ってきた温泉とのこと。
初めて行ってみます。

布施温泉を目指す
沿道はハザ架けの風景が

今どきはよくある感じの田舎の立寄り湯。
立派な建物と、周りの庭園です。
食堂もついている地域のスーパー銭湯的な施設です。
入浴料500円は今時では良心的な方かもしれません。
入浴客は地元の高齢者オンリー、平日の割には混んでいました。

布施温泉
正面玄関

久しぶりの温泉に身も心もほっこり、ゆったりした、ある日の午後でした。

モミの木オイルとネパールカレー

長野日報に載っていた『地元産モミの木から作った精油』を求めて、出荷先の諏訪大社本宮東参道のカフェを訪れたけれど、発売開始が翌日からだったり、再度訪問の際にはカフェが定休日だったりの話は、本ブログでお伝えした通りです。

10月に入ったばかりの金曜日に、気になっていたモミの木精油を追い求め、改めてカフェを訪れました。
カフェは開店していました。

本宮東参道のカフェ

店には若いマスターが一人、愛想のよかったママさんは不在、客はいません。
マスターに確認すると、モミ精油は販売されていました。

モミの木を蒸留したエッセンシャルオイルとそのオイルを水で割ったウオーターの2種類が主な製品です。
値段はスプレー瓶が2000円、ミニボトルが600円。
それぞれテイステイングができます。
手首にスプレーして匂いを嗅ぐと、鮮烈な木の香りが頭の底まで響きます。
精気漂う深山の森に連れていかれたようです。

オイルとディフューザー(オイルを数滴たらして部屋につるすなどの道具)のセットを購入しました。
都会で暮らす山小舎おばさんへのプレゼントです。

モミの木エッセンシャルとディフューザーのセット、1200円

店内には県内のニッチな産物がプレゼンされています。
竹炭があったり、アカマツのエッセンシャルがあったり、黒曜石やコケをレイアウトした置物なども。
それぞれ、生産者がいたりデザイナーがいるとのことでした。
山小舎には黒曜石はたっぷりあるので、空気の浄化用?に竹炭を一袋求めてみました。

モミの木精油製品

併せて諏訪大社の歴史を学べることもこのカフェのテーマの一つ。
関連本がずらりと並び、大社の古地図の複製が展示されたりしています。

マスターと大社について雑談しつつ、コーヒーを頼みました。
小型の焙煎用具で炒って淹れる『本日のおすすめ』コーヒーは飲みやすく飽きの来ない味でした。

カフェで一服

マスターに神長官守矢家のことを聞きました。
『当代の守矢早苗さん(独身)がなくなると断絶だね』というと『跡継ぎがいるそうですよ』とのこと。
適格者がいれば養子をとって歴史をつないできた神職の家系にはそういう手があったのですね。
ただミシャクジを下ろす呪文(口伝)については、現当主の祖父の代を最後に、伝承が途切れているそうです。

カフェ内部
カフェにはいろいろな情報のパネルが

マスターに昼食のおすすめ店と、立寄り湯の情報を聞きました。
美味しいカレー屋が近くにあるというので寄ってみました。

東参道から大社方面へ歩き右折、表参道と並行して進む道沿いの民家が目指すネパールカレー店でした。
民家に似つかわしくない旗がひらめいています。
恐る恐る入ると玄関は古民家風です。
靴を脱いで上がる店内は畳敷きの部屋にテーブルが10席ほど、すでに数組が飲食中です。
チャイを頼んで読書をする若者もいます。

民家を再利用したネパールカレー店
入口
築100年の玄関内部

オーナーらしき女性がオーダーを取りに来ました。
チキンダルバードを頼みます。
チキンカレー、インデイアカ米、ダルスープ、ヨーグルトに副菜が数種類付いた定食です。
ご飯とダルスープはお替り自由とのこと。

チキンダルバート1300円
店内にはネパールグッズも

店内にはネパール人の男女も数名働いていました。
カレーとダルスープは上等。
インデイアカ米はやや硬い炊きあがりに感じました。
一度お替りして満腹、満足しました。
立寄り湯には寄らずに買い物して帰りました。

(おまけ) ネパールでのカレーの思い出など

1981年の4月から5月にかけて1か月ほどネパールにいたことがあります。
カトマンズでは地元の定食屋に出入りしました。

ネパールには、チベット料理の流れを汲む麺やギョーザ(モモ)、水牛料理などもありますが、一般的に食べられるのはダルバードと呼ばれるカレー定食です。
これはインドとも共通します。
人々はこれを右手の指で上手に食べます。
外人客にはスプーンを出してくれます。

給仕はカンチャと呼ばれる少年が行っており、呼ぶとごはんやカレーのお替りをよそってくれます。
客は食べたいだけお替りし、いらなくなると途中でも(ご飯などが残っていても)食べるのをやめて立ち上がります。

カレーの具はチキンが多かったように記憶しますが、日本で食べるネパールカレーのように肉がゴロゴロ入ったカレーは(ホテルのレストランでもなければ)出てきません。
屋台でマトンカレーを頼んだことがありましたが、骨とそこにへばり付いたスジが入っていました。
また、庶民的食堂や屋台では、具が一種類だけのことが多く、玉ねぎだけ、ジャガイモだけのカレーが一般的で、肉のダシが効いたコクのある味のカレーは食べたことがありませんでした。

定食屋でトイレに行くと、隣でカンチャが人懐っこい笑顔で食器を洗っていました。
インド、ネパールでは、生まれながらに井戸水で鍛えられた昭和の日本人でも、あっという間に腹が下ったのでした。

ある時、カトマンズ近くのバス停脇の屋台でドーナツ状の揚げパンを食べていました。
視線を感じるので振り向くと、祖母らしき老婦人に連れそった少年が半分口を開けて恨めしそうにこちらを見ています。
少年は、屋台のテーブル席を独占して賑やかにふるまう白人グループのお大尽ぶりには眼もくれず、ぼそぼそと揚げパン1個をほおばる日本人の口元のみをひもじそうに見ています
思わず揚げパンをほおばる日本人の口も半開きのままで停止しました。

しかしながらここで少年と揚げパンを共有した(少年に揚げパンを恵んだとして)、その後の展開はインド、ネパールを旅してきた日本人にとって容易に想像がつきます。
同伴の老婆(のみならず周りの人も)が、わたしにもくれと要求してくるのです。
ただ間近でこちらを眺める少年の無心な目には、擦れてきた旅人も負けました。

揚げパンの食べかけの部分を手折ると残りを少年に贈呈し、その後に起こるであろう事態に対処するため、急いで立ち上がって逃げるように移動しました。
その刹那、テキもさる者、私にもくれと唇に指を当てて迫る老婆の姿が目の隅にありました。

「葡萄の国」小布施

北信地方の小布施は、県内の町おこしの成功例として知られます。
葛飾北斎ゆかりの地として寺院にその絵が残り、秋には栗の産地として有名。
休日ともなると全国から観光客が押し寄せ、広くない町内の和菓子屋、蕎麦屋に並びます。
また、ここは隣の須坂などと並んで葡萄の名産地としても名をはせています。

そのことを知ったのは、前年に家族とともに小布施の道の駅に寄った秋の日のこと。
休日の道の駅は駐車場も満車になるくらいの人が押し寄せ、農産物の直売所には葡萄を中心とした秋の農産物で文字通り溢れんばかりの豊作ぶりを目の当たりにしたからです。

その時に買って帰った葡萄の味が忘れられず、家族ともども、小布施の葡萄は美味しいと評判でした。
今年も葡萄の季節となりました。
小布施の道の駅の盛況ぶりが目に浮かびます。
9月のお彼岸を過ぎた日曜日、軽トラを駆って長駆、小布施を目指しました。

8時に山小舎を出発。
真田から菅平を越え、須坂を経て小布施の道の駅に着いたのが10時過ぎ。
既に駐車場は満車に近い勢いでした。

道の駅オアシス小布施の駐車場

道の駅の母屋から道路を挟んだ直売所にはすでに人が並んでいます。
手に手に野菜や果物が入った籠を持っています。
観光客というより、近隣の地元客が詰め掛けている様子です。

直売所のレジに並ぶ人の列。地方では珍しい人が並ぶ光景

テントの下に、これでもかと展開されている葡萄を、人々をかき分けながら物色します。
この日の目的は自宅用と、帰省時にお世話になった札幌の親戚用の贈答用2ケースを買って発送することです。
すぐに贈答用の箱の山が見つかりました。
3房の詰め合わせ、6房が入ったものもあります。
家族からは、ナガノパープルとシャインマスカットのリクエストがあったのでそれらが入ったものを、親戚にも同様なものをチョイスし、レジへ持ってゆきます。

葡萄中心のテント
贈答用詰め合わせの箱
自宅持ち帰り用パックは売れ行き好調

レジのおばさんは、「北海道?それなら冷蔵便だね」、「東京宛にも巨峰が入っているから冷蔵の方がいいね」。
との反応です。
地方の直売所ではレジのおばさんとの会話が楽しい時がままあります。
フランクで、地元ならではの情報に溢れたおばさんがいると会話が盛り上がります。

レジのおばちゃんたち

山小舎用に洋ナシ、プルーン、イチヂクのパックも買いました。
洋ナシ、イチヂクはコンポートなどにします。

相変わらず直売所に列が続いています。
道の駅母屋の土産品コーナーや食堂にも三々五々、客が詰め掛けています。

加工用などに、イチヂク、プルーンなども購入
道の駅の母屋
道の駅からは公園に続いている

この後は高山村の選果場へ寄って、紅玉シードルを買いましょう。

高山村のJA選果場で紅玉一袋も

昼食は、帰り道がてら松代の地元食堂・ニュー街道一にでも行ってみようか、と秋晴れの小布施を後にします。
来年から9月末の小布施での葡萄仕入ツアーが恒例になりそうです。

「木曜定休日」

長野日報に掲載された「モミ精油」を求めて、上社本宮の東参道にある柏谷カフェに出直しました。

何と、目指す柏谷カフェには「木曜定休」の看板が掛かっていました。
定休日が決まっているということは、それ以外はちゃんと店を開けているんだ、と妙に安心したり。
下調べなしに出たとこ勝負のやり方に自分ながらがっかりしたり。

目指す柏谷カフェは「木曜定休日」だった!

折角なので今年初めての本宮参りをしてきました。
諏訪大社には毎年お参りしますが、今年は前宮にお参りしただけだったのです。
前回本宮に来たのはおととし、彩ガールズ総勢5名の来客を案内したときのことだったでしょうか。

表の大鳥居から

シャッターが閉まった柏谷カフェのある東参道から、太鼓橋を渡り、銅鳥居と呼ばれる鳥居をくぐると、森と樹々に支配された諏訪大明神の世界です。
重要文化財で明治維新までは、大祝(おおほおり)と呼ばれる神官のみが通ったという入口御門・布橋と呼ばれる通路を歩きます。
タケミナカタノミコトが祀られている(といわれる)幣拝殿を横から眺めるポジションです。
幣拝殿は多くの参拝客がお参りする拝殿です(上社本宮にいわゆる本殿はないそうです)。

諏訪の神様といわれる存在は、古事記に記されるタケミナカタノミコトや、それに敗れた地元神の守矢神よりもさらに古い神様を示すようです。
その神様の依り代は、山と岩と森だそうです。

東参道から銅鳥居をくぐる
入口御門・布橋を行く
御柱
入口御門・布橋からのぞいた幣拝殿
雷伝為衛門の像

諏訪大社の古い歴史を表すように、表の大鳥居から90度横向きにタケミナカタノミコトを祀った幣拝殿にまずは御参りします。
神社の正面から90度横に祀られた神様は、その神社にとって後から祀られた神様であることを示します。

併せて大鳥居からまっすぐの位置に鎮座する、太古からの山と森に向かって参拝します。

いつ来ても清々しい上社本宮です。

モミ精油の入手は次回です。

幣拝殿
神社正面に向かう遥拝所
まるで新緑の木陰のような社内
上諏訪、下諏訪、茅野の銘酒が奉納されている

県内ローカル新聞の華麗な世界 長野日報

諏訪市に本社のある長野日報社刊の日刊新聞です。
諏訪地方、上伊那地方をテリトリーとしています。

一方で、諏訪には他に市民新聞が、上伊那にはみのわ新聞、辰野新聞などがあって、さらに細かく地域をフォローしています。
長野日報は、全国ニュースもフォローしており、地方のみを扱うローカル紙ではなく、県内で、信濃毎日新聞の2番手に位置する新聞のようです。

9月5日付け長野日報第一面
第一面には諏訪湖マラソンの開催記事も。懐かしいワイナイナさん

9月5日付長野日報の第一面は『6年ぶり新作花火あす開幕」。
毎年9月に行われていたが、コロナで(公式には)中断していた、諏訪湖新作花火大会が正式に開催されるニュースです。
諏訪湖畔を舞台に、県内外の平均年齢39.6歳、計20名の若手花火師が、コンクール方式で覇を競うとのこと。

山小舎おじさんは、コロナ時代、下諏訪温泉の旦過の湯を訪れた際に、番台のおばさんから新作花火大会があると聞いて出かけたことがあります。
ポスターなどでの宣伝はなかったと記憶していますが、岡谷側の湖畔公園にはたくさんの観衆が集まっていました。コロナ下の宣伝なしでの集客に、花火大会に対する地元の情報網はさすがだと思ったものです。

さて、19面を開くと2件の地元情報が載っています。
「岡谷にハワイの風を」と「芳香精製水など新発売」の二つです。

二つ目の記事は諏訪大社上社周辺の街づくり協議会が、諏訪産のモミから抽出した精油を使った精製水を上社本宮の参道にあるカフェで発売するというもの。
地元のモミを伊那の会社で精油化し、上田の会社がウオーターや化粧パウダーに加工したとのこと。

19面の「岡谷にハワイの風」
19面には諏訪産モミの加工の記事が

これは気になる記事です。
さっそく諏訪方面に下りたついでに上社参道にカフェを訪ねました。
目指すカフェは大鳥居の正面の表参道沿いにではなく、東参道にありました。
諏訪大社の歴史や遺物を展示するギャラリーを兼ねた店でした。
ただし、モミの精油を利用した商品は翌日から販売とのこと!
早まりました、出直しです。

モミ精油を求めて諏訪大社上社東門へ
目指すカフェには精油があったのか?

紙面に戻ります。
諏訪に隣接する塩尻ではブドウの収穫季節です。
ブドウ狩りの広告が目立ちます。

季節柄ブドウ園の広告が
諏訪地方唯一の映画館・岡谷スカラ座(シネコン)の広告も

紙面構成は全国ニュースを網羅し、スポーツ欄あり、政治欄あり、海外ニュース欄ありです。
ただし内容の濃い精度の高い情報はやはり諏訪地方を中心にしたローカルニュースについてが圧倒的に勝っているようです。